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2018年8月11日土曜日

喪失を喪失のままに-『陽炎』2[志村正彦LN192]

  幸いなことに次第に回復して、7月中旬職場に復帰した。後遺症は残ったが仕事は可能だった。激務のルーティーンに舞い戻ることになった。そして、フジファブリックのCD・DVD、関連書籍を集め出した。熱心なファンになっていった。

 翌年の2011年、あることを契機に国語の授業で取り上げるようになった。志村正彦・フジファブリックの作品は生徒の心に強く作用した。言葉を生み出した。その試みが『山梨日日新聞』の文化欄に掲載され、その年の12月、富士吉田で開催された志村正彦展で生徒の文が展示された。
 その際に、授業の試みの概要と僕自身の志村正彦論を書くことにした。どういう視点で迫ろうか考えあぐねたが、『陽炎』の歌詞から「喪失」というモチーフが浮かんだ時に、言葉が動き出した。「志村正彦の夏」という題をつけた短いエッセイ。結局、この文がすべての始まりとなった。「偶景web」の原点とも言える。以前一度掲載したが、『陽炎』論の出発でもあるので該当箇所を再び引用したい。



 夏の記憶の織物は、フジファブリックの作品となって、ここ十年の間、私たちに贈られてきた。なかでも『陽炎』は志村にしか表現しえない世界を確立した歌である。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ  (『陽炎』)

 夏は、想いの季節である。夏そのものが私たちに何かを想起させる。「街並」「路地裏」という場。「英雄」、幼少時代の光景。楽しかったり、寂しかったりした記憶が「次から次へ」と浮かんでくる。
 夏は、ざわめきの季節でもある。人も、物も、風景も、時もざわめく。「陽」が「照りつけ」ると共に、何かが動き出す。そのとき、「陽炎」が揺れる。

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる   (同)

 『陽炎』はここで転調し、詩人の現在に焦点があてられる。

   きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
   きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

   またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ

   出来事が胸を締めつける          (同)  

 今では「無くなったもの」とは何か。特定の他者なのか。風景なのか。十代や青春という時間なのか。あるいは、過去の詩人そのものなのか。そのすべてであり、すべてでないような、つねにすでに失われている何かが「無くなったもの」ではないのか、などと囁いてみたくなる。

 喪失という主題は青春の詩によく現れるが、大半は、失ったものへの想いというより、失ったものを悲しむ自分への想いに重心が置かれる。凡庸な詩人の場合、喪失感は自己愛的な憐憫に収束するが、志村の場合は異なる。
 彼の詩には、そのような自己憐憫とは切り離された、失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動がある。そして、喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように、喪失を詩に刻んでいった。それは彼の強固な意志と自恃に支えられていたが、「胸を締めつける」ような過酷な歩みでもあった。



 七年近く前に書いたこのエッセイは、ごく短い作者論、「志村正彦論」としてまとめたものだ。当時は、フジファブリックの作品全体を考察できるほど聞きこんではいなかった。思い返すと、「無くなったもの」を「つねにすでに失われている何か」と捉えることによって論理を形成することができた。いかにも現代思想的な論点であり、若干の気恥ずかしさを感じるが。それでも、論理だけでなく、作品から受けた印象や触発された感覚を織り交ぜることも追求した。

 何かが、すでに、意識されることもない過去において失われている。その何かは、常に、現在においてそして未来においても、失われ続けている。その喪失は自己憐憫的な凡庸なものではない。
 志村の歌詞には「失ったものそのもの」という他なるものへの愛が貫かれている。それと共にあるいはそれに反して、「失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動」と形容した、衝動や欲動の律動がフジファブリックのリズムに込められている。抽象的で明解でないが、このように展開するのが精一杯だった。

 「喪失を喪失のままに」という表現はふっと自然に浮かんできた。そのような覚えがある。多分に直観的な把握だが、僕の志村論の原点となるモチーフがここに現れている。
 今回の連載は歌詞の丁寧な分析や資料の参照によって、当時の思考をあらためて省察していきたい。

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