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2018年12月31日月曜日

エレクトリックとアコースティック、二つのヴァージョン-『陽炎』7[志村正彦LN205]

 フジファブリック『陽炎』には、エレクトリックとアコースティックという演奏や楽器の違いによる二つのヴァージョンがある。

 シングル『陽炎』とアルバム『フジファブリック』のCD音源やいくつか残されているライブ音源のエレクトリック・ヴァージョン。非売品の限定盤『四季盤』と『FAB BOX』内の『RARE TRACKS&COVERS』収録音源の二つがあるアコースティック・ヴァージョン。歌詞は同一だが聴いた印象は異なる。

  エレクトリック・ヴァージョンは70年代のブリティッシュロックを想わせる完璧なロックであり、アコースティック・ヴァージョンは志村正彦が影響を受けたとされるブラジル音楽の香りがする。どちらも素晴らしいのだが、『RARE TRACKS&COVERS』収録音源の『陽炎』は、志村の「歌」の本質を表しているような音源である。かけがえのない『陽炎』というべきだろう。

 ポルトガルの歌のファドは「サウダージ(saudade)」の感情を歌う。サウダージは失われてしまったものへの懐かしさや郷愁である。アコースティック・ヴァージョンの『陽炎』はまさしくサウダージを感じさせる。

 前回、「出来事が胸を締めつける」について、単なる感情や感覚を超えて、痛みを伴う葛藤やある種の強い不安が身体を貫いていると書いた。『陽炎』の音源を聴いたりライブ映像を見たりすると、エレクトリックでもアコースティックでも、全体的として抑制的に歌われていることに気づく。その中で「出来事が胸を締めつける」の歌い方は際立っている。この歌の感情と感覚の中心はここにあるが、興味深いことにエレクトリックとアコースティックの二つのヴァージョンによって、感情と感覚の表現の仕方に違いが見られる。歌う、奏でるという身体の行為に貫かれるようにして。

 エレクトリック・ヴァージョンの方は総じてテンポが速い。全体として張り詰めた感じがある。「む・ね・を」の助詞「を」の抑揚を高くまで上げて「し・め・つ・け・る」というように息を短く吐き出しながら強い調子で歌いきっている。外側に向けてある種の激しさを押し出している。

 アコースティック・ヴァージョンではゆるやかに言葉をかみしめるようにして歌っていく。歌い方にも独特の揺れがある。「を」を高く上げるのは同じだが、「し・め・つ・け・る」の方はむしろ息をつなぐようにして歌っている。内側に向けて痛みを押し込むかのようだ。そうすることでひしひしと「サウダージ」の感情が聴く者に迫ってくる。

 エレクトリックとアコースティックの歌い方の違いは、「出来事が胸を締めつける」の意味にも影響を与える。解釈が揺れる。そう言えるかもしれない。聴き手の心の揺れ方によって、歌は自由に受けとめられる。

 アコースティック・ヴァージョンの一つが収録された限定盤『四季盤』はもともと非売品であり、もう一つの『FAB BOX』(『RARE TRACKS&COVERS』)も限定版で売り切れている。どちらも入手困難だ。オークションに出たり中古盤として販売されているが、非常に高価である。

 今日で2018年が終わり、明日は2019年を迎える。志村正彦が旅立って十年となる。

 ファンの一人として望むことは、限定盤の『四季盤』や『FAB BOX』収録の音源など入手できないものが新たにあるいはもう一度発売されることだ。
 以前も書いたことがあるが、特に『シングルB面集 2004-2009』を独立したCDとして発売してほしいということは切なる願いである。デジタルではなく一つのパッケージとして存在してほしい。さらに言えば、『SINGLES 2004-2009』(A面集)』と併せて、2枚組の『SINGLES A・B面 2004-2009』がリリースされるのが僕の夢である。


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