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2018年7月16日月曜日

世界が笑う-『虹』と『虹色デイズ』2[志村正彦LN187]

 『虹色デイズ』では、冒頭シーンの『虹』に加えてもう一曲、フジファブリック『バウムクーヘン』(詞・曲:志村正彦)が球技大会の場面で使われている。
 飯塚健監督がフジファブリックの二曲を使用した経緯や理由を語ったインタビューが「ナタリー」に掲載されている。(取材・文 / 中野明子) 

 「虹」を使用した理由については「撮っている中でフジファブリックの「虹」は合いそうだというのが直感的にあって、現場でずっと聴いてたんです」と述べている。監督には最初から強い「直感」があったようだ。現場でずっと聴き続けていたせいか、結果として、この『虹』のリズムが映画全編を通して響き続けているようにも思える。
 また、『バウムクーヘン』の採用経緯についてはこう語っている。

ちょうど合うシーンとして球技大会の場面があって。セリフが一番大事なシーンではないので、ここだったらかけられるかもってなったんです。オープニングのプールに飛び込むシーンとつながる部分でもあるので、もう1回「虹」をかける案もあったんです。でも、逆にハマりすぎて「これはダメだ。主題歌になる」っていう理由でやめて。

 さらに、「同じ曲が2回映画の中で使用されると、曲の存在感がかなり強くなりますよね」という取材者の発言に対して「そうなんです。ただ、オープニングとのつながりがあるシーンなので、フジファブリックの曲からチョイスさせていただこうと」と述べている。

 フジファブリックの曲は「主題歌」という扱いではないという制約あったのだろう。『虹』を二回使うと「ハマりすぎて」主題歌になってしまう。それを避けるために『バウムクーヘン』が使われたというのは興味深い。
 球技大会自体の性格どおり、この場面自体は物語の展開の余白のような部分だ。だから、志村正彦の歌詞を物語の説明として機能させているわけではない。ただしそれでも、「何をいったいどうしてなんだろう/すべてなんだか噛み合わない/誰か僕の心の中を見て 見て 見て 見て 見て」というあたりは、作中の高校生たちの「心の中」を描写しているようにも見える。この場面を境に、物語は前半から後半へと転換していくところでもある。

 『虹色デイズ』全体の音楽は海田庄吾、エンディング・テーマ『ワンダーラスト』は降谷建志、挿入曲はフジファブリックの他に阿部真央・Leola・SUPER BEAVERが担当している。それぞれ素晴らしい作品だった。オープニング曲は映画への導入としてきわめて重要なものだ。ビジネスという面では現在活躍中のアーティストを使用したり、タイアップ曲として連携したりするのが通常にもかかわらず、飯塚監督は志村の作品を選択した。志村の言葉と楽曲にそれだけの力があったということだろう。力のある作品は決して滅びない。

 このblogで繰り返し書いてきたことだが、志村の作品は映画やドラマとの親和性が高い。『蜃気楼』『蒼い鳥』のような映画のエンディングテーマ曲の他にも、『茜色の夕日』『若者のすべて』などドラマの挿入歌として使われた例もある。志村の作品は本質的に声と音で構成されたショートフィルムでもあると筆者は考えている。

 ラストシーン。登場人物たちの向こう側の空に虹が映し出される。まさにここで『虹』が流れてほしい、「虹が空で曲がってる」という詞が歌われてほしいという瞬間なのだが、当然そうはならない。そうなるとエンディング・テーマと被ってしまうのだろう。そのような事情をうけとめながら、筆者は心の中のスクリーンで『虹』を響かせていた。


  言わなくてもいいことを言いたい
  まわる!世界が笑う!


 特に末尾の「世界が笑う!」がこのラストシーンの高校生たちを祝福する言葉のように聞こえてきた。虹が笑う。高校生が笑う。虹も高校生も笑うようにして、この瞬間のこの世界を肯定している。

 飯塚健監督は「誰もが経験したことがあるような記憶を観ている人が照らし合わせる」映画となるように『虹色デイズ』を制作したと述べている。例えば志村正彦の歌う「世界が笑う」ような経験を、僕たちはおそらく中学生や高校生の時代に体験しているのだろう。その記憶はどこかにしまわれている。でも映画や音楽に触れることで回帰してくることもある。そんな想いがかけめぐった。

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