フジファブリック『陽炎』(詞曲:志村正彦)は2004年7月14日シングル第2弾として発売された。カップリング曲は『NAGISAにて』。「夏盤」のこの二曲の誕生から14年になる。
『陽炎』はどのように作られたのだろうか。有り難いことに本人によるいくつかの証言が残されている。志村正彦は、アルバム『フジファブリック』についてのBARKSのインタビュー (取材・文:水越真弓)で、『陽炎』の成立についてこう語っている。
「陽炎」は、けっこうすんなりできましたね。この曲を作った翌日に、新曲用の“デモテープ発表会”を控えていて(笑)、「ヤバイ…、新曲がない」って言いいながら夜中に家で一人でピアノを弾いてたんですよ。そしたら、30分くらいでこの曲のメロディが降りてきて、歌詞も同時にスラスラできました。
残された発言を読む限り、志村は楽曲や歌詞作りにはかなりの時間をかけたはずだ。誰にとってもそうかもしれないが、志村は作品の完成度を高めるための作業を惜しまなかった。『陽炎』のメロディと歌詞が同時に30分位で出来上がったというのはきわめて珍しいことだったろう。「夜中に家で一人でピアノを弾いてた」という具体的な状況も興味深い。
『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)ではこう述べている。『陽炎』の物語の枠組や根本的なモチーフを解き明かす貴重な発言である。
僕の中で夢なのか現実なのかわかんないですけど、田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵がなんかよく頭に浮かんだんですよね。それを参考にして書いたというか、そういう曲を書きたいなと思ってて、書いたのがこの曲なんです。
「少年期の僕」と「その自分を見ている今の自分」、二人の自分がいる。過去の自分と現在の自分。見られている自分と見ている自分。時間の差異と能動受動の差異によって二人の自分が存在しているわけだが、ここで重要なのは、その二人の自分を「絵」として頭に浮かべているもう一人の自分、第三の自分がいることだ。
そうなるとここには、①「少年期の僕」、②「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、③「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という①②③の三人の自分「僕」がいることになる。
かなり前になるが、次のように書いたことがある。【《作者》《話者》《人物》としての「僕」 (「志村正彦LN 7」)2013年3月24日】
語る「僕」のことを《話者》としての「僕」、語られる「僕」つまり作中人物としての「僕」のことを《人物》としの「僕」、時には《主体》としての「僕」と呼ぶことにしたい。さらに付け加えると、《話者》としての「僕」、《人物》としての「僕」の背後に、この歌を創造した《作者》としての「僕」つまり志村正彦という現実の作者、歌い手が存在している。
この枠組に基づいて整理してみたい。
『陽炎』の場合、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、の二人が作中に登場する。「僕」という人物、主体が二人設定されていることになる。この「僕」は過去と現在という時間を隔てた同一の人物、主体ではあるが。そして、その二人の「僕」を「絵」として見ていて物語として語っていくのが、《話者》としての「僕」である。《主体》としての二人の「僕」(①②)、《話者》としての「僕」(③)。ここまでで三人の「僕」が存在することになる。さらに、その三つに分化した「僕」を統合統率するのが《作者》志村正彦である。
文学研究的な語彙が堅苦しいかもしれないので、フジファブリックにちなんで「ファブリック」「織物」の喩えを用いてみよう。
「少年期の僕」を縦糸、「少年期の僕を見ている今の自分」を横糸とする二つの糸がそれぞれ、《主体》としての「僕」である。その二つの糸を織り上げていくのが、《話者》としての「僕」である。《話者》の「僕」が、縦糸と横糸の「僕」を織り込んで、絵や図柄という形にしていく。《話者》は織り人であり、美しい織物に仕上げていく。そのようにして、《作者》の志村正彦は一つのファブリックのデザインを創造する。
もちろん、志村はこの作品を30分位で仕上げたと述べているように、このような過程のすべてを意識的に行ったのではないだろう。身につけた技術や分析の力を活かすことがあるにせよ、詩人の創造は半ばは無意識的である。「降りてきて」「スラスラ」と述べていることがそのことを示している。
無意識は、言葉、記憶、感覚、映像の断片が複雑に織り込まれている。睡眠中に見る夢は無意識の形成物の代表である。詩人の場合、時に直観的に時に瞬時に、自らの無意識という織物を作品という織物に変換することができる。詩は覚醒状態の夢、無意識の形成物であるともいえる。だからこそ逆の作用によって、詩は読者の無意識に働きかける。
志村正彦・フジファブリックの『陽炎』もまた、聴き手の無意識に強く作用してくる。陽炎が揺れ、無意識が揺れる。
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