「まさか日本で、瀬戸内の島で暮らすことになろうとは。人生、わからないものです」
英国のバンド「キャラヴァン」や「キャメル」で、1970年代を中心に活躍したキーボード奏者だ。ジャズや聖歌の要素も取り入れたプログレッシブ・ロック。「グレイとピンクの地」では英ゴールドディスクも獲得した。
転機は2003年。ソロ新作の宣伝で来日し、京都の寺を再訪。前回から四半世紀の時が流れたのに、何も変わらぬ姿に心動かされた。浮き沈みの激しい音楽業界で3人の子を育てるため、田舎町に中古ピアノ店を開いて二十数年。すでに子は独立し、妻とも心が離れていた。日本でなら、何か新しい音楽の刺激が得られるかもしれない。「いま、ここで人生を変えよう」と、移住を決めた。
11年の京都暮らしで、二回り年下の日本人女性に出会って再婚。愛媛県の弓削(ゆげ)島に移り住んで2年半になる。人口3千。穏やかな海。豊かな人付き合い。島の暮らしから、するりと曲が生まれた。
♪きらめく街に背を向けて/夢にみたこの場所/心の奥から声がした/この島こそ アイランド・オブ・ドリームス
島の高校が今年、創立70周年。その記念行事に招かれて文化の日、全校74人の生徒と一緒にこの「ゆめのしま」を歌う予定だ。
「光栄です。この島はもう我が家ですから」 (文・写真 萩一晶)
デイヴ・シンクレア(Dave Sinclair、David Sinclair)がメンバーだった「キャラヴァン(Caravan)」。いわゆる「カンタベリー・ロック(Canterbury rock)」、イギリスのカンタベリー出身者を中心とするプログレッシブ・ロックのバンドの一つだった。
彼らが活躍したのは70年代。80年代以降は第一線から退いていった。中古ピアノ店で糧を得ていたとのことだが、どの国でも売れなくなった音楽家の生活は厳しいようだ。
プログ・ロック(イギリスではこの呼び方らしいのでこう記す)というと、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどが知名度が高いが、ソフト・マシーン、キャラヴァン、マッチング・モール、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースなどのカンタベリー・ロック系のバンドにも、少数派かもしれないが熱心なファンがいる。僕もその一人だった。ジャズ・ロック風のサウンド、イギリスらしい知性や叙情性が感じられる歌詞、独特なアートやユーモアの感覚に魅了された。例を挙げると、ハットフィールド・アンド・ザ・ノース(Hatfield And The North)の『ザ・ロッターズ・クラブ』 (The Rotters Club)。ジャケットの絵とデザインが秀逸で、LPを部屋に飾っていた。デイヴ・シンクレアはこのバンドに在籍していたこともある。
彼はロバート・ワイアットが結成したバンド、マッチング・モウル(Matching Mole)のオリジナルメンバーでもある。ファースト・アルバム『そっくりモグラMatching Mole』は学生の頃の愛聴盤だった。カンタベリー・ロックの歴史の中の傑作だと言える。彼の弾くキーボードのメロディは美しく流麗で、バンドサウンドを構築する要ともなっている。
キャリア的には「キャラヴァン」のキーボードとして知られているのだろう。今朝からすごく久しぶりに代表作『グレイとピンクの地 (In the Land of Grey and Pink)』(1971年)を聴いてみた。
日曜日の朝にふさわしい爽やかで穏やかな声と音の響きだった。都市というよりも郊外の田園風景を想起させる音楽でもある。ジャケットのイラストレーションも素晴らしい。
youtubeで当時の映像を探してみた。デイヴ・シンクレアの演奏シーンのある『Place of My Own』(1969、Beat Club - German TV)を添付したい。
モノクロ映像が時代を感じさせるが、当時のキャラヴァンの雰囲気をよく伝えている。
どうだろうか。直接的な影響ではないが、ブリティッシュロックの半世紀を超える歴史からすると、カンタベリー・ロックの系譜もフジファブリックの音楽に流れ込んでいると考えられるかもしれない。
この記事を読むまで、デイヴ・シンクレアが日本で暮らしていることは全く知らなかった。しかも音楽活動を続け、島の高校の創立70周年記念に生徒と一緒に歌う。「文化の日」とあるので昨日披露されたことになる。どんな歌と演奏になったのだろう。
「きらめく街に背を向けて/夢にみたこの場所」という歌詞の一節。カンタベリー・ロックの世界と瀬戸内の島の風景が融合するような気がする。
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