2000年代、同時代のロックに対する興味をほぼ失っていた。日本語ロックは終わってしまった。歴史の中に生き続けるしかない。そんな白けた気分があった。そういう個人的な背景があったから、フジファブリックに出会い損ねてしまったのかもしれない。今からすると何か偶然でもあったらとつぶやいてみたりする。結局、自分の不明を恥じる。こんなことを書き連ねても堂々巡りだが。
今日は時間があったので、フジファブリック『live at 富士五湖文化センター』を通しで見た。2時間の間、様々なことを想った。ライブの映像ゆえに情報量が多い。以前は気がつかなかったことが見えてくる。実際には行ってないライブについて書くというのも「記念日」便乗のようで抵抗がなくはないが、この日付が終わらないうちに書いておきたいことがある。
1曲目は『ペダル』。「TEENAGER FANCLUB TOUR」なのでアルバム『TEENAGER』の冒頭曲になったのだろうが、『ペダル』がオープニング曲ということは素晴らしい。「ペダル」を漕ぎ出すようにして声と音が動き出す。観客の声援が湧き上がる。
だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?
平凡な日々にもちょっと好感を持って
毎回の景色にだって 愛着が湧いた
あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ
志村正彦が終生愛した「花」の描写から故郷の凱旋公演が始まる。あの時志村の視線の向こう側には、富士吉田の「だいだい色 そしてピンク 咲いている花」がまぶしく輝いていたのかもしれない。「花」のモチーフが『ペダル』の基底にある。「平凡な日々」の「毎回の景色」、「好感」や「愛着」の対象も「花」。「あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ」と呼びかけられるものも「花」。「花」の風景の中を「ペダル」が漕いでいく。そんなことを強く感じた。
2曲目の『記念写真』。「消えてしまう前に 心に詰め込んだ」という一節が迫ってきた。『ペダル』の「消えないでよ」と『記念写真』の「消えてしまう前に」。この二つの曲に「消える」というモチーフが貫かれている。そのことに気づいた。志村には「消える」というモチーフの歌が非常に多い。ライブで連続して歌われるとこの二つの曲のモチーフが響き合う。曲順やその展開によって言葉や音像が交錯し、思いがけない連想がもたらされることがある。消える、消えない。消えないで、消えてしまう前に。「TEENAGER」の声が聞こえ、消えていく。
志村のMC。メンバーの紹介。観客の表情。会場の雰囲気。記録として残されたことが貴重であり、DVDとしてリリースされたのは喜ぶべきことだ。
アンコールの二曲、『茜色の夕日』と『陽炎』。この二つの歌を聴くと心が静かに動かされる。揺さぶられ、そして整われていく。
勤務先では週に三日の「チャペルアワー」で教職員、学生、牧師の講話がある。今年の年間聖句は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」『新約聖書』「ローマの信徒への手紙」12章15節、パウロによる言葉である。クリスチャンではない僕にとって理解するのは難しいが、伝わってくるものはある。講話によって自然にこの言葉と対話することになった。「喜ぶ人」「泣く人」、何よりも「人」に焦点が当てられている。
あの日志村正彦は故郷に帰還した。「喜ぶ人」となり「泣く人」ともなった。とりたててキリスト教の文脈で語る意図はないが、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」という言葉が今日は自然に浮かんできた。「人と共に」いう言葉に立ち止まってしまった。この文の書き手である僕は彼を知らなかった、いや未だに知らない。僕のような存在は、志村正彦という「人」と「共に」ということはできないだろう。安易に「人と共に」と考えてしまうとかえって「人」から遠ざかってしまう。「人と共に」ではない位置があるのか。あるのだとしたらどういう位置なのだろうか。そんなことを自分に問いかけた。
自問自答が続いた。単純ではあるが、「作品」を聴く、見るという基本の位置に思い至った。「人と共に」は不可能であっても、「作品と共に」は可能であるだろう。
作品と共に喜び、作品と共に泣く。『茜色の夕日』と共に喜び、『茜色の夕日』と共に泣く。『陽炎』と共に喜び、『陽炎』と共に泣く。そのように喜び、泣く。その経験を書くことはできるだろう。
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