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2018年8月5日日曜日

出会い-『陽炎』1[志村正彦LN191]

 この夏は、『NAGISAにて』そして『虹』、『若者のすべて』と志村正彦・フジファブリックの「夏」に関わる作品について書き続けてきた。『虹』は映画『虹色デイズ』のオープニング曲、『若者のすべて』はLINEモバイルのCM「虹篇」のCMソングとして使われたことに触発された。今回から『NAGISAにて』の際に少し触れた『陽炎』を取り上げたい。『NAGISAにて』、『虹』、『若者のすべて』はどの曲も夏(それは初夏であったり晩夏であったりするが)を舞台とする作品ではあるが、夏(それも真夏、盛夏)そのものの季節の感覚を強く表している作品としてはやはり『陽炎』が筆頭であろう。

 僕と志村正彦・フジファブリックとの出会いについてはこのblogでほとんど触れたことはなかったが、『陽炎』が出会いの曲だった。その経緯を少し語らせていただきたい。

 2010年のことだ。僕はそれなりに難しい病気にかかり、四月に東京の病院で手術を受けた。一月ほどして退院し甲府に戻り療養生活に入った。安静状態で回復を待たなければならなかった。外出は禁止だったので三ヶ月近く自宅に閉じこもることになった。回復が順調にいくのか、職場に無事復帰できるのか、不安な日々を送っていた。寝ているだけで何もしないのも苦痛なので、読書をしたり映画を見たりしていたが、それもすぐに疲れてしまう。結局、音楽好きだったのでCSの「スペースシャワーTV」「MUSIC ON! TV」「MTV」などの音楽番組を見ることが多くなった。BGMのように流すこともできた。

 六月頃だったろうか。複数の音楽専門局で集中的にフジファブリックの映像が流されたり特集番組が放送されたりしていた。当時は分からなかったが、七月に富士急ハイランドで開催の「フジフジ富士Q」のプロ-モーションと志村正彦の追悼の意味があったのだろう。同じ頃、地元紙の山梨日日新聞の「志村正彦『富士』に還る」という連載記事もあった。これらの音楽番組と新聞記事によって、僕は志村正彦・フジファブリックに出会うことになった。

 フジファブリックの代表曲のミュージックビデオはどれも素晴らしいものであった。中でも圧倒的な印象を受けたのは『陽炎』MVだった。真夏の季節。檸檬色のシャツの女性が彷徨う。街中の路地裏。二匹の野良猫。通り雨。時計の針の逆転。流れる雲と空。部屋のカーテンの向こう側の海辺の光景。落下する時計。映像が歌詞の説明でないところもよかった。暗い眼差しの青年が自らの表情を隠すようにして歌い続けている姿に何よりも惹かれた。






 MVを録画して繰り返し聴くと、独特なグルーブのサウンドに連れられて、『陽炎』の物語世界に自分自身が入り込んでいくような気がした。歌詞をたどると、複雑で陰影に富んだ世界が刻み込まれていた。記憶や知識の中にある日本語ロックの世界に類似した作品はなかった。真に独創的な音楽を富士吉田出身の青年が作り出していたことに感銘を覚えた。それと共に、なぜこれまでフジファブリックの存在を知らなかったのだろうかと後悔した。(正確に言うと、そのバンドの名前は知っていたが音源に接することはなかった、ということだが)志村正彦はその前年の十二月に亡くなっていた。

 それでも、あの時期に自宅で療養をしていなかったら、フジファブリックと出会うことはなかったかもしれない。少なくともその出会いはもっと遅くなっただろう。今振り返ると、病気療養中の不安な日々と『陽炎』の底に流れる不安な心象がどこかでつながれていた気がする。


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