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2018年6月18日月曜日

花を植えたい 『ムーンライト』[志村正彦LN182]

 フジファブリック『ムーンライト』は、『蜃気楼』と共に6thシングル『茜色の夕日』のカップリング曲としてリリースされた。アルバムでは『シングルB面集 2004-2009』に収録されている。このところこのCDをよくかけるのだが、『蜃気楼』の次が『ムーンライト』という曲順なので、この二曲を続けて聴くことになる。
 『ムーンライト』(詞・曲:志村正彦)の歌詞を引用してみよう。


  今日はなんか不思議な気分さ
  大きなテーマを考えたいのさ

  そう例えば 人類の夢とか
  想像は果てなく続く

  ムーンライトが照らした

  いつの日かクレーターに潜ってみたり
  惑星を眺めつつ花を植えたい

  さあ行こうか 大空
  ワープですり抜けて 飛び出して行こう

  ムーンライトが照らした

  いつの日かクレーターに潜ってみたり
  惑星を眺めつつ花を植えたい


 いかにも不安で下降していく音調の『蜃気楼』が終わり、明るく軽快に上昇していくかのような『ムーンライト』のイントロが奏でられると、曲が流れる部屋の雰囲気が一変する。
 「今日はなんか不思議な気分さ/大きなテーマを考えたいのさ」「そう例えば 人類の夢とか/想像は果てなく続く」という志村の声に促されるように、こちらもおおらかな気持ちになっいく。そうか、「夢」とか「想像」を自由に広げていけばよいのだ。のびやかなメロディやリズムに乗って、想像のスクリーンにいろいろなものを浮かべて。聴き手にそのような遊びを与えるのはこの歌の素晴らしさだ。

 志村のスクリーンには「ムーンライトが照らした」世界が登場した。この歌の主体は「ワープですり抜けて」「大空」に飛び出して行く。宇宙飛行や宇宙遊泳という夢の世界が背景となっているが、歌詞の舞台はあくまで「ムーンライト」、「月」という場に限定されている。「月」は彼が繰り返し表現したモチーフだが、志村は「月」や「月の光」の情感を何よりも愛した。月の海の「クレーター」に潜ってみたり、「惑星」を、これは月から見た地球のことだろうが、眺めてみたり、月面での遊泳は、重力から解き放されたように、軽やかに戯れることができる。そしてここで「花を植えたい」という表現が現れ出る。
 「花」という言葉の反復。「僕は読み返しては感動している」、『桜の季節』の歌詞に倣ってそのように記してもよいだろうか。

 「志村正彦の花」とでも名付けたい花々がある。部屋の窓ごしの花、野に咲く花、路地裏の花。その花々に、『蜃気楼』では「おぼろげに見える彼方」に咲く「鮮やかな花」が、さらに『ムーンライト』では月面か宇宙のどこかに植えたい「花」が加わる。部屋の窓や路地裏という身近な小さな場所から空の彼方、月や宇宙へと、花の咲く空間が広がっていく。花に対する想像力が自由に羽ばたいていく。これはこれで花についての「大きなテーマ」になるのかもしれない。

 人間の織りなす世界から遠く隔てられているからこそ花は美しい。人間にとって他なるものであるからこそ花には恵みがある。微少なものかもしれないが恩寵がある。志村は花を慈しみ、花を歌い続けた。

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