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2018年7月29日日曜日

2018年の夏-『若者のすべて』[志村正彦LN189]

 LINEモバイルのCM「虹篇」のCMソングとして、フジファブリック『若者のすべて』が使われたことはネットの世界でかなりの反響を呼んでいる。特にテレビで思いがけなく志村正彦の声が聞こえてきた人にとっては、驚き、喜び、そして不意打ちのようにしてもたらされた哀しみなど様々な感情が去来したようだ。このような形で使われることに対する反発もあった。曲とCMの内容に齟齬があるのではないかという指摘もあった。それでも、『若者のすべて』が傑出した作品であることについては皆が同意しているようだ。

 筆者としては、作品としての素晴らしさとは別次元のこととして、なぜこの曲が選択されたのかを考えた。CMソングによくあるタイアップではなく、しかも、フジファブリックは今も活動しているが、九年前に亡くなった志村の声によるオリジナル音源を採用した経緯はどのようなものであったのか。このような問いは問いのまま終わることが多いのだが、このCMのスポンサーであるLINE株式会社取締役CSMOの舛田淳氏自身のtwitter(@masujun 7月26日)が、その問いに対する答えをある程度まで明らかにしてくれた。


今回のcmは企画から完成まで大難産。最後の最後まで今までで一番悩んだかもしれない。楽曲も悩みに悩んでの「若者のすべて」。だからこそ、tweetでの皆さんのたくさんのポジティブな評価が嬉しい。300円、300円... 。


 CSMOという役職は、企画・企業戦略・マーケティングに関する全てを統括する責任者のようだ。その職に就いている最高責任者自身が『若者のすべて』採用の経緯を率直に吐露しているのは珍しい。twitterというフラットなコミュニケーションの文化がそういう状況を切り開いたのだろうが。

 発言を読む限り、かなりの悩み、困難や試行錯誤の過程を経た上での志村の歌の採用だったようだ。ネットの情報によると、舛田淳氏は1977年生まれ、高校中退後に大検を経て早稲田に進み、LINEをここまで成長させた経営者らしい。経歴もベンチャー起業家としての実績もとてもユニークだ。「愛と革新」というLINEモバイルのキーワードも秀逸だ。なるほど。このような人物だからこそ、『若者のすべて』はこの2018年の夏の季節に日本全国に流されることになったのであろう。

 そんなことを考えていた昨日の午後、小袋成彬(おぶくろなりあき)という未知の音楽家が「フジロックフェスティバル '18」のRED MARQUEEステージで『若者のすべて』を歌ったことを知った。幸いなことに、この日のライブはyoutubeの「FUJI ROCK FESTIVAL '18 LIVE Sunday Channel 2」で中継されていた。LIVE映像を過去に巻き戻して、小袋成彬のステージを見ることができた。本人とギター、ベースの三人編成で『若者のすべて』の一番が演奏された。小袋の声はファルセットボイス。透き通るように広がっていく。この歌が新しい世代の音楽家たちにも愛されているのがとても嬉しい。
 ただし、「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて、のところを、「運命」なんて便利な言葉でぼんやりさせて、と歌ったのには疑問符が付く。おそらく間違いだったのだろうが、意図的だったとするなら、ここは「言葉」ではなく「もの」でなければならないと書いておきたい。それこそ、歌詞をぼんやりさせてしまう。

 振り返ると、このblogで『若者のすべて』について書き始めたのは2013年3月、それから五年半近くの年月が経っている。この歌に強く惹かれて、通番を付さないものも含めると今回で計34回も書いたことになる。あの当時もこの作品は志村正彦・フジファブリックの代表曲、2000年代の日本語ロックの傑作という評価はあった。その後、優れた歌い手によって何度もカバーされ、幾つものテレビ番組やドラマ・アニメの挿入歌にもなってきた。
 そして2018年の夏、CMソングとして大量にオンエアされている。この五年半の間、より多くの人々に届けられるようになった。

 『若者のすべて』は、繊細な季節感と新しい叙情の表現、この時代の若者の複雑な陰影の描写、「僕」と「僕ら」による語りの重層性によって、希有な作品となっている。「日本語ロック」という枠組みを超えて、「日本の歌」「夏の叙情詩」というより大きな世界で揺るぎない評価を受け、愛されるようになった。今、そのような「運命」を生きている。

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