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2018年7月7日土曜日

夏の歌が揺れてる-『NAGISAにて』3[志村正彦LN185]

 七夕の日。この夏もまた今夕から富士吉田でフジファブリックの『若者のすべて』が流れる。「真夏のピークが去った」頃の歌だが、富士北麓の夏は短い。この歌の季節感と共に夏が開けていくのも富士吉田らしいのかもしれない。

 『NAGISAにて』は、春夏秋冬シリーズの2ndシングル「夏盤」、『陽炎』のカップリング曲としてリリースされた。『NAGISAにて』と『陽炎』の二曲は物語の世界や曲調がかなり異なるが、「夏盤」としての共通項がある。

 志村正彦は発売時の「oriconstyle」のインタビュー記事で、『陽炎』について「今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵が、頭の中あって。そこで回想をして、映画に出てきそうなシーンを書きたいなと思って作りました。」と述べている。また、『NAGISAにて』に関して「この曲も、『陽炎』の延長線上にあります。歌詞のテーマは、ドラマの一場面にありそうな、男女関係のコテコテを出したかったんです。」と言及している。

 季節は共に夏。舞台は『陽炎』が故郷の街、『NAGISAにて』が渚。『陽炎』では「今の自分」が「少年時代の自分」に、『NAGISAにて』では「男」が「女」に出会う。二つの物語は「映画に出てきそうなシーン」「ドラマの一場面」というように幾分か虚構化されている。

 『FAB BOOK―フジファブリック』(角川マガジンズ 2010/06)で、志村は『陽炎』に言及し「東京に来てからは、夏の思い出はないんですよ。だから、この曲でも夏とはいっても明るいサマーな感じはないんですよね」と述べている。確かに、『陽炎』にも『NAGISAにて』にも「明るいサマーな感じ」は全くない。作者は「夏」と自分との距離をむしろ描きたがっている。他の春、秋、冬の歌にもそのような趣がある。

 二つの歌の風景の中心をなす言葉にも共通項がある。


  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる             『陽炎』


  渚にて泣いていた 貴方の肩は震えていたよ
  波音が際立てた 揺れる二人の 後ろ姿を          『NAGISAにて』


 「陽炎が揺れてる」と「揺れる二人」。「陽炎」「二人」と対象は異なるが、「揺れる」という動詞が共に登場する。
 『陽炎』は「今の自分」が「少年時代の自分」を回想している。現在と過去との間に、時の揺らぎのようなものが起きることでこの歌は生まれた。少年時代の「路地裏」に「陽が照りつけて」、その遠くで「陽炎が揺れてる」。こちら側と向こう側、少年の視線を隔てている場で何かが揺れている。
  『NAGISAにて』では、こちら側にいる「男」が向こう側にいる「女」を眺めている。物語内の現実ではなく想像、妄想の世界だと筆者は解釈したが、どちらにしろ「二人」の関係は揺れている。

 「映画」や「ドラマ」が引き合いに出されたように、この二曲はきわめて映像的な設定であり演出でもある。現在の自分と過去の自分、青年と少年。眺める主体と眺められる客体、男と女。時や場を隔てて、各々の二者は揺れている。志村が「明るいサマーな感じ」という定型を脱構築することによって、物語が揺れはじめる。
 遠くで夏の日が揺れてる。夏の歌が揺れてる。
                                           

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