堕落モーションFOLK2/若者のすべて @ 下北沢Laguna
という映像が安部コウセイのinstagramに上がっている。
このライブは8月27日(月)に行われた。夏の最後に近づい日付ゆえにこの歌が選ばれたのだろう。安部は何度か『若者のすべて』を歌っているが、ネット上に公開されたことは初めてだろう。「(すりむいたまま 僕はそっと)歩き出して」から「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」までの1分間ほどの映像だが、安部コウセイの『若者のすべて』の雰囲気がよく伝わってくる。
視線を落としたうつむき顔なので表情を読みとるのは難しいが、歌詞の言葉の一つ一つをかみしめるように丁寧に歌っている。安部らしいハイトーンの声がのびやかに広がっている。とても素直で力強い歌いぶりが印象に残る。伊東真一のストロークも心地いい。「僕らは変わるかな」のところは安部コウセイならではの声と節が響きわたる。彼にとってのキーワードなのだろう。
安部の率いる三つのユニットの一つ、HINTOには 『シーズナル』という夏の名曲がある。
以前この曲について次のように書いたことがある。
『シーズナル』と『若者のすべて』の間に、描かれる物語の内容でもモチーフの面でも、直接的、間接的な対応関係はないと考えられる。しかし、二つの歌のサビの部分にはある種の共通した雰囲気もある。
『シーズナル』のサビは三回繰り返される。それぞれの末尾はこうだ。
めぐってめぐって少しずつ変わって
愛して憎んで少しだけわかって
めぐってめぐって少しだけ変わった
『若者のすべて』の最後の歌詞「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と、『シーズナル』の「少しずつ変わって」「少しだけわかって」「少しだけ変わった」という展開が、どこかでこだましているのではないかという筆者の感想を記した。何の根拠もない感想にすぎないのだが、言葉がそのように作用してきた。instagramの映像を見てそのことを思い出したので、繰り返しになるがここに書きとめておきたい。
『若者のすべて』は数々の歌い手によってカバーされている。この作品を歌いこなすのは難しい。技術的な面でも難度は高いが、それ以上に、志村正彦の歌詞の世界を映像として描きだすのが非常に難しい。聴き手の心の中に、『若者のすべて』の世界を一つの短編映画のように上映させなければならないからだ。
歌い手の側からすると、『若者のすべて』は鏡のような存在でもある。歌い手の心象がそこに写し出されてしまう。カバーの仕方によって質がかなり変化する。逆に、カバーに挑みたくなる作品なのだろう。
この歌が聴き手にとっても歌い手にとっても愛されている要因かもしれない。
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