2021年5月29日土曜日

『桜の季節』-NHK新日本風土記「さくらの歌」[志村正彦LN275] 

 昨夜、5/28(金)21:00から放送されたBSプレミアムの新日本風土記スペシャル「さくらの歌」を見た。公式サイトに〈フジファブリック「桜の季節」が志村正彦と共に紹介されます〉という知らせがあった。志村正彦のパートは、全体で90分のなかで予想外の11分という時間がかけられていた。しかも、桜の歌の作者、音楽家として取り上げられたのは彼だけだった。これは志村ファンの僕たちにとっては、嬉しいことであり、誇らしいことでもあった。 ただし、番組の観点や構成については違和感を感じざるを得なかった。  

 志村のパートは「突然ですが、フジファブリックというバンドをご存じですか」で始まり、「2000年結成、曲のほとんどを志村正彦が手がけていました」と紹介され、『若者のすべて』の冒頭部が歌詞のテロップと共に放送された。「文学的な詞を変幻自在の楽曲に乗せるサウンドがゆとり世代、失われた世代の若者たちに支持され、さまざまなアーティストがカバーしています」というナレーション。槇原敬之、桜井和寿、柴崎コウの声でつながれていく。「ソングライターとしての評価やバンドの人気も急上昇していた2009年、志村さんは急逝。まだ二九歳でした」と語った後で、「フジファブリックのメジャーデビュー曲がこの桜ソングです」と、『桜の季節』が流され始めた。

 なぜ、『桜の季節』ではなく『若者のすべて』から始まったのか。この間ずっと戸惑うままに見続けていた。そもそも、この展開では『若者のすべて』が桜ソングだと誤解されるおそれもある。「さくらの歌」特集の番組では配慮すべきことだ。『桜の季節』が他の桜ソングに比べてあまり知られていないという判断があったのかもしれない。それでもやはり、『桜の季節』から始まるべきである。志村正彦本人が作った桜の歌である。ここは譲れないところだ。

 結局、『若者のすべて』という曲と「ゆとり世代、失われた世代」という言葉が、志村正彦を語るキーワードになっていた。この観点は、昨年のNHK制作の志村正彦の番組から引き継がれている。志村を語る上ではそれなりに有効であるが、この観点が「志村のすべて」ではない。せっかく、『桜の季節』を取り上げるのだから、志村正彦の生涯についての別の新しい語り方があってもいいはずだ。そういう思いがもたげた。「さくらの歌」というテーマだからこそその契機ともなったのだが、この番組は世代的論な観点を踏襲していた。

 11分もの時間が志村のパートに配分されたのだから、『桜の季節』の全曲をかけて、その歌詞のすべてをテロップで紹介すべきだった。この歌詞にそって取材した映像を構成することもできただろう。特に、「その町に くりだしてみるのもいい/桜が枯れた頃 桜が枯れた頃」というこの歌の鍵となるフレーズはBGM的に流されたが、歌詞のテロップは省略されいた。この一節から、志村正彦の生涯を語ることも可能だ。「さくらの歌」特集に「桜が枯れた頃」という表現がそぐわないのかもしれないが、この不可思議な季節感、風景のヴィジョンが欠けてしまえば『桜の季節』の歌としての力も価値も失われてしまう。この歌は、反「桜ソング」、「桜ソング」の批評、批判として存在している。そのような意味で『桜の季節』は、桜の「ロック」である。

 後半は『茜色の夕日』と2007年の市民会館ライブでのMCが取り上げられていた。志村の生涯を語る上では重要な映像だが、あの展開では『茜色の夕日』も桜ソングと捉えられるおそれもある。そもそも、視聴者のほとんどは、志村正彦・フジファブリックのことを(『若者のすべて』や『茜色の夕日』の歌詞も)知らないということを前提に番組を制作すべきである。そのうえで、もっと分かりやすいナレーションが必要だ。率直に言って、説明不足である。(志村ファンなら理解しただろうが、彼を知らない人にとってはおそらく、なんとなくの雰囲気的な理解で終わってしまっただろう。)

 また、新倉富士浅間神社とその桜が重要なモチーフになっていたので、この「いつもの丘」を舞台とした『浮雲』という作品、その歌詞の「登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月/僕は浮き雲の様 揺れる草の香り」「雨で濡れたその顔に涙など要らないだろう/消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても」「独りで行くと決めたのだろう/独りで行くと決めたのだろう」という言葉につなげていく構成など、色々な工夫があってもよかった。

 志村のパート以外でも、この番組全体を通じて、取材した人々の言葉、出来事の重さに比べて、番組の表現や構成に練り上げの不足があるというのが感想であり、批評である。NHKが持続的に志村正彦の番組を放送してくれることは、ほんとうにありがたい。だからこそ率直に書いた。今後作られるであろう番組に期待したい。 

 最後に最も感慨深かったことを記したい。志村の幼なじみ、富士ファブリックとその原型の高校生バンドのベーシスト、そしてこの春から新倉富士浅間神社の神主になられた渡辺平蔵さんとお父様の登場場面は貴重なものであり、とても心に残るものだった。最後の夢の話に落涙した。(この夢の話をここに記すのは控える。この夢は彼のものであり、彼だけが語ってよいものだろう。)

 この最後の場面で流されたのは『茜色の夕日』だったが、これは選曲が違う。この場面にこそ『桜の季節』がふさわしかった。「桜が枯れた頃」「くりだしてみるのもいい」「その町」とは、富士吉田の町のような気もした。

 桜の季節が過ぎたら、涙が舞い散ってしまう。


  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って
  しまうのならばやるせない

  その町に くりだしてみるのもいい
  桜が枯れた頃 桜が枯れた頃



2021年5月23日日曜日

『若者のすべて』を読む-2021年《人間文化学》[志村正彦LN274]

 昨年度に引き続き、先週、勤務先の山梨英和大学の《人間文化学》というオムニバス科目で、「日本語ロックの歌詞を文学作品として読む-志村正彦『若者のすべて』」という講義を行った。

 志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』には、独特の語りの枠組やモチーフの展開があり、学生や若者にとって「文学作品」として享受できる。今回は冒頭で、僕自身がこのブログにも書いた〈 『若者のすべて』を初めて聴いた時、歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想いにとらわれた。きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。そのような印象の原因はどこにあるのか〉と問いかけた。そのプロセスを整理するとこうなる。


最初の感想…歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想い
  ↓
物語の印象…きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。
  ↓
自ら問いを作る…そのような印象の原因はどこにあるのか。
  ↓
自ら応答する…歌詞の語りの枠組・モチーフの分析/志村正彦の証言次のSLIDEで示した。

 このプロセスを次のSLIDEにして学生に示した。



 この歌詞を文学作品として捉えるのであればまず第一に、自分自身の初発の感想(作品から想い描いた情景や物語、それに対する自分の感情や感覚の動き、印象に残った部分や謎のような部分への問い)を大切にすること。その初発の感想に基づいて何らかの問いを自ら立てること、その問いに対して自ら応答するようにして思考していくこと。僕自身の〈『若者のすべて』を読む〉という試みを講義することによって、学生自身が自らそのような実践をすることを促すことがこの講義の目的であった。この科目は、学部名でもある《人間文化学》の導入科目であり、方法論の基礎も伝える必要があるからだ。

 この科目は1年次学生の必修科目である。昨年度より新入生が増えて200人程が受講するので、今年度もオンライン授業で実施した。本学は入学生全員にモバイルノートPCを貸与している。最新型のM1チップ搭載のMacBook Airだ。自宅あるいはWi-Fi環境が整備されて学内で受講できる。Google「Google Workspace for Education」のClassroomとMeet を使って、SLIDE資料を映し出し、声による説明を重ね合わせる方法で行った。昨年のSLIDEは56ページだったが、表現の細部を修正し全体を再構成した上で、 『若者のすべて』が高校音楽Ⅰの教科書に掲載されるという最新情報も追加したので、69ページに増えた。

 学生が書いたコメントの中で、今回の、「日本語ロックの歌詞を文学作品として読む」という目的に関連したものを二つ紹介したい。


全体の授業の感想として、日本語ロックを文学として読むということが初めは理解できませんでした。ですが、この歌詞にはこんな意味があるとか、二つの世界が試行錯誤の中で合わさっているとか、段階的に曲を見ることができたおかげで、自分なりの解釈や他の目線から見た解釈を自分なりに考えることができて、単なる曲としてメロディや歌詞を聴くだけでなく、まるで短編小説を読んでいるような感覚で考えていくことができました。これから曲を聴く時は今日のことを活用していきたいですし、志村正彦さんの曲をもっと調べてみようと思いました。


この歌を最初に聴いた時と、授業を終えたときの印象はガラリと変わった。曲をひとつの物語と捉えて一つ一つの言葉を解釈していくと、様々な想いが込められていることや、表現の仕方に工夫がされていることに気づく。それらのことを知ってから改めて曲を聴くと、これまでとはまた違った楽しみ方ができると思った。私は自分の好きな歌などを深く理解しようとしたことがなかったが、今回の授業を通してどんな歌にも感情が込められており、歌詞に意味があることが分かったので、深く調べてみようと思った。そしてそのような様々な表現の工夫に触れていくことは自分の表現力の向上にも繋がっていくと思う。


 このようなコメントが多数あった。学生に感謝したい。この講義の目標はほぼ達成されたと考えている。目標は、僕自身の解釈を伝えることではなく、それをひとつの試みとして、ひとつの方法として学生に示して、学生が自分自身で『若者のすべて』そして自分の好きな歌についての読みを深めることである。

 文学作品を読むことは、主体的な実践である。自由な行為である。読むこと、その可能性のすべて、自由のすべてを学生が試みてほしい。


2021年5月5日水曜日

高校音楽教科書の『若者のすべて』[志村正彦LN273]

   志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が、来年2022年度(令和4年)から使われる高校の音楽Ⅰの教科書、教育芸術社の『MOUSA1』に採用されたことをネットの情報で知った。(音Ⅰ703,  令和4年度 高等学校用教科書 音楽Ⅰ MOUSA1)

 来年から高校では新しい学習指導要領による教育が始まる。それに伴って教科書も全面的に改定されるのだが、旧課程の教科書から引き継がれる教材もあれば、新たに導入される教材もある。その新教材に『若者のすべて』が選ばれたのである。志村の音楽ファンの一人として、そして高校の教育に携わっていた者としても、 教育芸術社とこの教科書の著作者・編集者の見識と英断に熱い拍手を送りたい。

 僕もある高校国語の教科書の編集協力者として、教材選択の仕事や関連教材の執筆をしたことがあるので、教科書作りの大変さは分かっている。様々な観点から総合的に教材となる作品を検討しなければならない。文部科学省の検定があるので、細心の注意も必要である。僕は国語についての経験しかないが、教材の決定については、その教科書の著作者や編集者の一人ひとりの考えが尊重される。この『MOUSA1』についても同様であろう。おそらく『若者のすべて』を強く推す方がいて、編集会議で承認されたのだと思われる。

 調べてみると、以前からこの『MOUSA1』にはロック音楽の系譜図が載っていたり、ロックの歌が採用されていたりするので、ロック好きの担当者がいるに違いない。とても喜ばしいことだ。ここ半世紀の若者の音楽の中心にロックは存在している。

    「令和2年度使用都立高等学校及び都立中等教育学校(後期課程)用教科書 教科別採択結果(教科書別学校数)」によると、この『MOUSA1』の現行課程版は、234校中73校で採択されている。採択数はトップ、採択率は31%になる。都立高校等で音楽を選択する高校生の3割がこの教科書を学んでいる。来年度からは新課程版だが、もっと採択率が上がるかもしれない。

 教育芸術社のwebには、この教科書の 内容解説資料 が掲載されている。「歌唱」という単元については次のように書かれている。


多感な時期にある生徒が楽しく幅広く音楽を学習することができるよう教材を精選し,提示の仕方を工夫しながら,ポピュラー・ソング,唱歌,芸術歌曲,合唱曲,ミュージカル・ナンバー,オペラ・アリアなどを取りそろえました。特に,長い間歌い継がれ,親しまれてきた曲を豊富に収録するとともに,我が国の伝統的な歌唱も学習できるよう,能の謡を取り上げました。


 この単元の一つとして「ポピュラー・ソング」が取り上げられ、次のように説明されている。


広く親しまれている《翼をください》《見上げてごらん夜の星を》《Memory》の他,生徒の心に響くポピュラー・ソングを新たに5曲加えました。

現在までの推移を10年ごとに区切り,それぞれの時代を彩った歌を1曲ずつ選びました。


2010年代《Lemon》(P.12・13)
2000年代《若者のすべて》(P.16・17)
1990年代《負けないで》(P.15)
1980年代《クリスマス・イブ》(P.115)
1970年代《翼をください》(P.14)
1960年代 《見上げてごらん夜の星を》(P.64・65)
1940年代《東京ブギウギ》(P.114)


 『若者のすべて』は、「生徒の心に響く」曲、「時代を彩った歌」として選ばれた。(P.16・17)とあるので、初めの方に載る。これは重要なポイントだ。見開き2頁だから楽譜がしっかりと記載されるのだろう。参考までに、この7曲のリリース日の順に作詞作曲者を付けて並べてみよう。


1948年1月        《東京ブギウギ》 作詞:鈴木勝・作曲:服部良一
1963年5月1日   《見上げてごらん夜の星を》 作詞:永六輔・作曲:いずみたく
1971年2月5日   《翼をください》 作詞:山上路夫・作曲:村井邦彦
1983年12月14日《クリスマス・イブ》 作詞・作曲:山下達郎
1993年1月27日  《負けないで》 作詞:坂井泉水・作曲:織田哲郎
2007年11月7日 《若者のすべて》 作詞・作曲:志村正彦
2018年3月14日 《Lemon》 作詞・作曲:米津玄師


 この7曲の中で純粋なロックと言えるものは『若者のすべて』だけである。もともと「ポピュラー・ソング」という枠組での選択だからロックは1曲しかないのかもしれない。逆に言うと、『若者のすべて』は良い意味でロックの枠を超えているのだろう。ジャンルを超越して、作品そのものがこの時代の「ポピュラー・ソング」の代表曲、私たちの歌として愛されている。

 誰もが知る名曲が並ぶ中で、『若者のすべて』、そして作者志村正彦の一般的な知名度は最も低いのかもしれない。しかし、この曲が生まれてから十四年経つが、いまだにこの歌は浸透し続けている。2000年代の代表曲としての評価が高まってきた。『MOUSA1』の著作者・編集者もそう判断したのだろう。そして、この教科書に収録されることで、この作品はさらに広まっていく。やがて、この半世紀の日本語ロックの最高の達成としての評価が定まるだろう。

 来年から、かなりの数の高校生がこの教科書で『若者のすべて』と出あう。歌う。奏でる。十年ほど前であれば信じられないような話だが、これは現実である。彼の母校でも、音楽の授業で歌われることになるかもしれないのだ。作者の志村が一番驚いているだろう。〈教科書に載るなんてロック的でない〉とか言いそうだが、〈僕の曲を知らない高校生や若者に聴いてもらいたい〉と語っていた彼のことだがらやはり素直に喜ぶだろう。志村正彦の歌詞についての授業を高校と大学で実践してきた僕としても、とても嬉しい。

  今日はあえてこう書きたい気分です。志村正彦のことをとても誇らしく思います。


2021年4月30日金曜日

『桜並木、二つの傘』ABCDのかたち[志村正彦LN272]

 四月が終わる。今朝の朝日新聞「天声人語」では、北海道函館の五稜郭公園のソメイヨシノが盛りを迎えた、とあった。史上2番目の早さということだ。

 この園内1500本の大半は樹齢60年以上で衰えが目立ってきたので、昨年から「お礼肥(ごえ)」プロジェクトを始め、ボランティアを募って老木に肥料を挙げたそうだ。「桜が枯れた頃」とならないように桜を大切に養生する。記事は「今年の桜前線は列島を常ならぬ早足で駆け抜け、めでる余裕もなかった。来年こそは心穏やかに花の盛りを迎えたい。過度の負担を幹や根にかけぬよう気をつけながら」と結ばれていた。同感である。コロナ禍があり、桜を静かに眺めるという心のゆとりがもなかった。でも昨年も「来年こそは」という言葉が交わされていた気がする。ここ山梨の地元放送局テレビ山梨は、『若者のすべて』を音源にして「STAY HOME」のCMでそのようなメッセージを流していた。コロナ禍を含め、未来がきわめて不透明な時代だ。先が見通せない辛い現実がある。

 志村正彦・フジファブリックの『桜並木、二つの傘』のことを続けて書きたい。現代詩作家の荒川洋治は、『詩とことば』 (岩波現代文庫 2012.6、原著2004刊)で、詩の基本的なかたちを次のように示している。(p102)


 詩は、基本的に、次のようなかたちをしている。
    こんなことがある      A
  そして、こんなこともある  B
  あんなこともある!     C
  そんな ことなのか      D

 いわゆる起承転結である。Aを承けて、B。Cでは別のものを出し場面を転換。景色をひろげる。大きな景色に包まれたあとに、Dを出し、しめくくる。たいていの詩はこの順序で書かれる。あるいはこの順序の組み合わせ。はじまりと終わりをもつ表現はこの順序だと、読者はのみこみやすい。


 このABCDは確かに起承転結のかたちだが、それを〈こんなことがある→そして、こんなこともある→あんなこともある!→そんな ことなのか〉と述べているところが愉快だ。荒川洋治的な語り口がある。このABCDのかたちを志村正彦・フジファブリックの『桜並木、二つの傘』にあてはめてみよう。


1A あれはいつか かなり前に君を見たら 薄笑いを浮かべて 相手が気になり仕方が無いのは 何故なのだろう
1B 偶然街で出会う二人 戸惑いながら 照れ笑いを浮かべて 相手が気になり仕方が無いのは 何故なのだろう

1C 切り出しそうな僕に気付いたのなら 君から告げてはくれないのか
1D 降り出しそうな色した 午後の空が 二人の気持ちを映してるかのようで

2A されど 時が経てば覚めてしまうもので  そうなってはどうにもこうにもならなくなってしまうのは 何故なのだろう
2B 何か少し期待外れの部分見つけ 膨らんではどうにもこうにもならなくなってしまうのは 何故なのだろう

2C 解りきった会話続くわけもない 苛立つ僕はタバコに火をつけ
2D 強く降り出した通り雨の音 二人の沈黙を少し和らげた

3C DO DA DO DA DI VA DA VA DO DA 最後に出かけないか
3D 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト

*リフレインの部分は省略


〈A こんなことがある〉
1A あれはいつか かなり前に君を見たら 薄笑いを浮かべて 相手が気になり仕方が無いのは 何故なのだろう
2A されど 時が経てば覚めてしまうもので  そうなってはどうにもこうにもならなくなってしまうのは 何故なのだろう

〈B そして、こんなこともある〉
1B 偶然街で出会う二人 戸惑いながら 照れ笑いを浮かべて 相手が気になり仕方が無いのは 何故なのだろう
2B 何か少し期待外れの部分見つけ 膨らんではどうにもこうにもならなくなってしまうのは 何故なのだろう

〈C あんなこともある!〉
1C 切り出しそうな僕に気付いたのなら 君から告げてはくれないのか
2C 解りきった会話続くわけもない 苛立つ僕はタバコに火をつけ
3C DO DA DO DA DI VA DA VA DO DA 最後に出かけないか


〈D そんな ことなのか〉 
1D 降り出しそうな色した 午後の空が 二人の気持ちを映してるかのようで
2D 強く降り出した通り雨の音 二人の沈黙を少し和らげた
3D 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト


 三つのブロックがあるので、1,2,3の番号を付けた上でABCDに分けて靑色の字で示した。3にはABがなくCDのみがあると考えた(分け方はいろいろあるだろうが)。それをABCD別に再配置したのが赤字の部分である。

 そうするとこの歌詞も、荒川洋治の言う「ABCD」の基本的かたち、起承転結の構成を持つことが分かる。1と2のABは、過去や現在の状況をめぐる「何故なのだろう」という問いかけである。123のCでは、「僕」は別れを「君から告げてはくれないのか」と思い、「会話」が続くわけもないので「僕」は苛立ちタバコに火をつける。スキャットを挟んで、「最後に出かけないか」と「君」を誘う。3は明らかに転換の箇所である。そして物語の中の行動の箇所である。「僕」は苛立ち、そして急いでいる。123のDは、空・雨・桜並木というように、気候や季節の感触を活かして「二人」の情景を描いている。天気が「降り出しそうな色した 午後の空」から「強く降り出した通り雨の音」へと移ると共に、「二人の沈黙」が少し和らいでいく。空と雨に呼び込まれるようにして、「傘」のモチーフが現れる。そして、「桜並木」はこの歌詞全体の終わりの舞台として登場する。「桜並木と二つの傘」の姿と色が「きれいにコントラスト」をなすことでこの歌詞はエンディングを迎える。

 この『桜並木、二つの傘』では、志村正彦はサウンドに急き立てられるかのよう歌う。自分で自分の言葉を追いかける。そして、「二人」の物語を語るというよりもむしろ語らないままで追い越してしまう。この歌には、ABCDという起承転結のかたちはあるのだが、ほとんどかたちだけであり、具体的な物語は浮かび上がらない。

 志村は物語を置き去りにしてまで、「桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト」という情景へ疾走したかったのだろうか。

 『桜の季節』では、「桜が枯れた頃」という遠い時間が設定されていた。桜をめぐる循環した時間があった。その時間の中で「遠くの町に行くのかい?」「その町に くりだしてみるのもいい」という「町」がそこにはあった。その町にはそれなりに自然の景観が広がっている。そんな雰囲気がある。それに対して『桜並木、二つの傘』の場は、「町」というよりも「街」のように感じる。それも都会の街であり、街の桜並木だろう。時間もせわしく流れている。

 『桜並木、二つの傘』と『桜の季節』。志村正彦の二つの桜の歌は、時と場が、きれいにコントラストをなしている。


2021年4月25日日曜日

『桜並木、二つの傘』[志村正彦LN271]

  甲府では桜の季節はとうに過ぎ去ったが、今回から、志村正彦・フジファブリックの『桜並木、二つの傘』について書いてみたい。

 この作品は、2002年10月21日リリースのフジファブリックの1stミニアルバム『アラカルト』に収録された。その後、2004年4月14日、1stシングル『桜の季節』のカップリングとしてリメイクされた。この二つの曲にはアレンジや演奏の違いがあり、聞き比べるのも興味深い。

 他の四季盤のA面とB面(メインとカップリング)の曲が、テーマが明確に異なるのに対して、この春盤では、「桜」というテーマが一致している、しかも「別れ」というモチーフまでも共通している。なぜこのような組合せにしたのか。それこそ、この歌の一節「何故なのだろう」という気分である。あえて言うのなら、同一のテーマとモチーフによって、『桜並木、二つの傘』の一節で言うのなら「きれいにコントラスト」を作ったのだろうか。

 フジファブリック Official Channel に『アラカルト』の音源がある。これはありがたい。Vo./Gt. 志村正彦、Gt. 萩原彰人、Ba. 加藤雄一、Key.  田所幸子、Dr. 渡辺隆之の編成によるインディーズ時代の通称「第2期フジファブリック」の録音。その後のメジャーデビュー時のフジファブリックでは失われた独特のグルーブ感がある。志村の声も若々しい。

 桜並木、二つの傘 · FUJIFABRIC アラカルト

℗ 2002 Song-Crux Released on: 2002-10-21
Lyricist: Masahiko Shimura Composer: Masahiko Shimura


 

歌詞の全文を引用しよう。


 桜並木、二つの傘
 作詞・作曲:志村正彦

あれはいつか かなり前に君を見たら
薄笑いを浮かべて 相手が気になり仕方が無いのは 何故なのだろう
偶然街で出会う二人 戸惑いながら
照れ笑いを浮かべて 相手が気になり仕方が無いのは 何故なのだろう

切り出しそうな僕に気付いたのなら
君から告げてはくれないのか
降り出しそうな色した 午後の空が
二人の気持ちを映してるかのようで

されど 時が経てば覚めてしまうもので
そうなってはどうにもこうにもならなくなってしまうのは 何故なのだろう
何か少し期待外れの部分見つけ
膨らんではどうにもこうにもならなくなってしまうのは 何故なのだろう

解りきった会話続くわけもない
苛立つ僕はタバコに火をつけ
強く降り出した通り雨の音
二人の沈黙を少し和らげた

DO DA DO DA DI VA DA VA DO DA
最後に出かけないか 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト

切り出しそうな僕に気付いたのなら
君から告げてはくれないのか
降り出しそうな色した 午後の空が
二人の気持ちを映してるかのようで

DO DA DO DA DI VA DA VA DO DA
最後に出かけないか 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト
DO DA DO DA DI VA DA VA DO DA
最後に出かけないか 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト

AH〜


 1番目のブロック。冒頭の「あれはいつか かなり前に君を見たら」という一節。「あれはいつか かなり前に」という過去の時間設定。それに続いて、「君を見たら」という過去における出来事の仮定というのか、ある種の提示があり、それに対して「薄笑いを浮かべて 相手が気になり仕方が無いのは 何故なのだろう」という帰結がある。「あれはいつか かなり前に君を見た時に 薄笑いを浮かべて 相手が気になり仕方が無かったのは 何故なのだろう」が通常の表現だろう。この表現であれば、過去の回想と現在の「何故なのだろう」という問いかけがきっちりと分離されている。しかし、志村正彦の選択した表現は、時間にも構文にも、奇妙なねじれがある。ある意図が込められたのだろうが、それは判然としない。続く「偶然街で出会う二人 戸惑いながら」の「偶然」「戸惑いながら」という状況との関係から選択されたのだろうか。このあたりの表現の機微は、志村正彦的なあまりに志村正彦的な、とでも言うしかない。そして「薄笑い」にしろ「照れ笑い」にしろ、自分が自分を笑う。そのような位置の取り方をしている。

 2番目のブロックには、「切り出しそうな僕に気付いたのなら/君から告げてはくれないのか/降り出しそうな色した 午後の空が/二人の気持ちを映してるかのようで」とあり、「僕」「君」「二人」という人称代名詞やそれに類する言葉が出そろう。「僕」は「君」に対して、「切り出しそうな僕に気付いたのなら」「君から告げてはくれないのか」と心の中で呟く。ここでも「たのなら」「てはくれないのか」という仮定とその帰結という形式を取っている。「降り出しそうな色した 午後の空が/二人の気持ちを映してるかのようで」とあり、雨が降り出しそうな午後の空の色が描かれる。その色は「二人の気持ちを映してるかのようで」と捉えられるが、「かのようで」とあることから、歌の主体「僕」があたかもこの場面の外側にいて、その外側の視点から、「空の色」と「二人の気持ち」を「かのようで」で接続していると受けとめられる。つまり、「僕」と「君」が居合わせる「二人」の場と、それを眺める「僕」との間には、分離、隔たりがある。「二人」の場面をカメラのフレーム、枠組みの中に収めている「僕」がいる。「僕」はそのフレームの向こう側とこちら側の両方にいる。冒頭の時間と構文のねじれようなものは、このことに起因しているのかもしれない。

 3番目のブロックは、「されど」で始まる。ここで「僕」の想いの方へと焦点が当てられていく。歌の物語の転換である。「時が経てば覚めてしまうもので」「何か少し期待外れの部分見つけ」という「二人」の関係の変化。そのようにして「どうにもこうにもならなくなってしまうのは 何故なのだろう」と、自分が自分に問いかける。

 4番目のブロックで、一連の出来事がひとまずの収束を迎える。「解りきった会話続くわけもない/苛立つ僕はタバコに火をつけ」と、志村正彦の歌詞では珍しい「苛立つ」という直接的な感情表現がある。その感情は、「強く降り出した通り雨の音」によって少し鎮められたのだろうか。通り雨の「音」が「二人の沈黙を少し和らげた」とある。「降り出しそうな色した 午後の空」から「強く降り出した通り雨の音」への空模様の変化は、時間の進行を示している。

 5番目のブロック、サビの「DO DA DO DA DI VA DA VA DO DA/最後に出かけないか 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト」は「僕」の内心の呟きというか静かな叫びなのだろう。「通り雨の音」と「二人の沈黙」の音をめぐるコントラストが、二人のいる室内にある。そこから外に出ることを「僕」は想像している。「最後に出かけないか」と「僕」は「君」を誘う。おそらく「二人」の別れの場面だろう。でもこの歌の中で、そこに到る物語が語られることはない。物語は覚めてしまって、期待外れに終わっている。「僕」の心の中には「桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト」という「最後」の情景が浮かび上がる。これははあくまでも僕が想像している光景である。その光景はあくまでも「きれいにコントラスト」を成していなければならない。そうでなければ、「二人」の物語の「最後」の光景が完結しないかのように。

 『桜並木、二つの傘』は、本編の物語がほとんど欠落している。(あるいは隠されていると言うべきかもしれないが)「桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト」を成すラストシーンだけが上映される短編映画のような作品である。そのラストシーンへの展開、時間の凝縮の仕方が、志村正彦の語りの技術でもある。

      (この項続く)


2021年4月11日日曜日

奥田民生『拳を天につき上げろ』『すばらしい日々』

 奥田民生MTR&Yの山梨公演の収録映像が、「RAMEN CURRY MUSIC RECORDS」のyoutubeチャンネルに載せられている。オープニング曲『拳を天につき上げろ』だ。


 奥田民生 - 拳を天につき上げろ  Live at YCC県民文化ホール(山梨) 2021.1.31



 

    拳を天につき上げろ       作詞・作曲:奥田民生
   
              雨も日差しも とけてながれた
              今日の時間を 振り返っている
              失敗の 場面を なげき
              因憊の 体を ほめる

              誰か見てるか 誰も見てない
              誰かが見てるさ かくれて見てるさ
              いっぱいの 期待をあつめ
              心配の 元をたつのさ

              カンパイ 拳をつき上げて
              カンパイ カンパイ 言いたい事はそれだけ

              闇と光と かわりばんこさ
              闇も光も 泡にまみれた

              カンパイ 夜空の星に向け
              カンパイ カンパイ 言いたい事はそれだけ

              カンパイ 拳をつき上げて
              カンパイ カンパイ ただそれだけ
              カンパイ 夜空の星に向け
              カンパイ カンパイ 言いたい事はそれだけ


 『拳を天につき上げろ』は労働歌だ。聴き手の喉の渇きを潤すかのように、歌が体に染み込んでくる。

 一日を振り返り、失敗をなげく。誰も見てないようで、誰かがかくれて見てる。時間も視線も追いかけてくる。そんな働く男や女に、歌い手は〈カンパイ 拳をつき上げて〉と呼びかける。疲労困憊の体がほぐされ、心配の元がうすめられていく。毎日、〈闇と光〉は〈かわりばんこ〉に現れる。働く者の実感だ。〈カンパイ〉の〈泡〉にまみれて、闇が光になる。時には光が闇になるのだろうが、それでも〈夜空の星〉、闇の中の光に向けて〈カンパイ カンパイ〉と奥田民生は歌う。

 〈失敗〉〈困憊〉〈いっぱい〉〈心配〉そして〈カンパイ〉と韻を踏んだキーワードが物語の情景を織りなす。聴き手は「コール・アンド・レスポンス」のようにして、歌い手に応答するのがよいかもしれない。〈言いたい事はそれだけ〉なのだから。

 ユニコーン初期の傑作『大迷惑』『働く男』『ヒゲとボイン』そして『すばらしい日々』も労働歌、労働者ロックだ。『拳を天につき上げろ』もその系譜に属している。この歌は2012年1月リリース。サッポロビールの企業CMタイアップ曲だったようだ。タイアップという枠組の中で労働歌を作る。奥田民生らしい拳の挙げ方だ。初期の歌とは異なり、この歌にはある種の諦念があるが、これは成熟とも言えるのだろう。

 MTR&Yバンド。ボーカル&ギター奥田民生・ベース小原礼・キーボード斎藤有太・ドラム湊雅史のユニットの音はとても心地よい。2021年の今、ここではロックが生き生きと呼吸している。


 もう一つ、最近のライブ映像を紹介したい。

奥田民生 - すばらしい日々(UNICORN)  I Live at Zepp Tokyo 2020.11.25



 奥田民生ライブツアー 『ひとり股旅 2020』Zepp Tokyoのツアーファイナル公演の映像である。一人で歌うのとバンドで歌うのとは印象がまったく異なる、不思議なほどに。なぜだろう。

 55歳になった奥田民生の『すばらしい日々』は、歌詞そのものは同じだが、その独特な時間の感覚が以前よりも凝縮されている気がする。


  なつかしい歌も笑い顔も すべてを捨てて僕は生きてる

  それでも君を思い出せば そんな時は何もせずに眠る眠る

  朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える

  君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける


 繰り返しになるが、彼の歌は時間の捉え方が独特だ。〈そんな時は何もせずに〉〈時々はぼんやり〉と、時という言葉が繰り返される。時を加速させたり、静止させたり、振り返ったり、解き放ったりして、時が動いていく。時が進むのも戻るのも、忘れるのも想いだすのも、別離も再会も、『拳を天につき上げろ』の一節で言うなら、どれも〈かわりばんこさ〉と囁くかのように。


2021年4月4日日曜日

『桜の季節』-奥田民生と志村正彦[志村正彦LN270]

 今年の桜の季節の到来は早かった。その割りには長い間、花が保たれていた。2日、大学の入学式があった。昨年度は中止だったが、今年は時間をかなり短縮して挙行された。大学の周りには美しい桜の並木がある。すでに満開は過ぎていたが、幸い、花は新入生を待っていてくれた。帰る頃には、風に吹かれて、桜が舞い散り始めていた。キャンパスの小さな池に花筏のように広がっていた。

 奥田民生・ユニコーンの「すばらしい日々」のことを続けて書いていきたい。


  君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける

  君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける


 「君は僕を忘れるから」という出来事、未来の状況が想定される。その未来の時点を「その頃」と指し示した上で「その頃にはすぐに」、あるいは「そうすれば」という未来の仮定のもとに「そうすればもうすぐに」、「君に会いに行ける」という帰結を述べる。

 時間の配列が独特だ。未来の状況、未来の時点から、すべてを振り返る。逆向きに現在に帰着する。そうして、その現在から未来の可能性、「君に会いに行ける」という未来の出来事を語っていく。願いのように、あるいは予言のようにして。

 そのような時間の捉え方が奥田民生の時へのまなざしである。「君」との別離をめぐるモチーフが、時の流れ方のモチーフと絡み合い、複雑な情感を伝えていく。


 今回、この歌を久しぶりに聴いて、志村正彦・フジファブリックの『桜の季節』の時間の設定と語り方が思い浮かんできた。


  桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい

  桜のように舞い散って しまうのならばやるせない


  その町に くりだしてみるのもいい

  桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

 

 この歌の時間の捉え方についてはすでに、〈「桜が枯れた頃」 -CD『フジファブリック』6 [志村正彦LN73]〉2014/3/16 に書いた。そのまま引用してみたい。

桜が花を咲かせる時ではない。桜の花が散る時でもない。桜の季節自体が過ぎてしまうという時の設定は、普通の桜の歌にはありえない。時間の捉え方が独創的だ。「桜の季節」「過ぎたら」、その未来に設定された時間の中で、主体は誰とも分からない他者に対して、「遠くの町」に「行くのかい?」と問いかける。そして、歌の主体「僕」は「やるせない」とも感じる。この感情は、「桜のように舞い散って」「しまうのならば」という未来の時間においてのある仮定を先取りする形で、歌の主体に訪れる。

 第3ブロックに入ると、歌の主体「僕」の相手である他者が「行く」「遠くの町」に「くりだしてみるのもいい」という、やはり未来の時間が仮定されているが、それは「桜が枯れた頃」という季節だ。この楽曲で最終的に歌われているのは、「桜が枯れた頃」、その季節の風景だ。その解釈は難しい。桜の「冬枯れ」の季節なのか、桜の樹そのものの「枯死」を迎える季節なのか。どちらにしろ、「桜が枯れた頃」の情景には、桜の「死」が濃厚に漂う。おそらく、「桜が枯れた頃」に「その町」に「くりだしてみる」のは不可能なのだ。すべては遅すぎる。歌の主体は「その町」にたどりつくことはできない。歌の主体は「その町」に住む他者と再び会うことはない。


 これを書いた時点では、奥田民生『すばらしい日々』のことはまったく視野に入らなかった。ある歌とある歌とが響き合うことは、いきなり訪れてくる。

 「君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける」と歌う奥田。「桜が枯れた頃」「その町に くりだしてみるのもいい」と歌う志村。

 君が僕を忘れる頃も、桜が枯れた頃も、これから過ぎ去っていく時間を前提にしている。そうしてその未来のある時点で、「君に会いに行ける」、「その町に くりだしてみるのもいい」とする。ただし、「行ける」は可能性、「みるのもいい」も選択の可能性だ。成就するかどうかは分からない。未来の出来事を想定して、そこから遡行して、現在の想い、未来の出来事への想いが歌われるのだが、その想いの成就はあくまでも可能性に留まる。錯綜するような語り方である。随分と迂回するような想いでもある。『すばらしい日々』と『桜の季節』との間に直接的な関係があるわけではないだろうが、奥田民生と志村正彦との間には、その独特な語り方と想いのあり方が共鳴し合っている。


 奥田民生(RAMEN CURRY MUSIC RECORDS)のyoutubeチャンネルに、彼が歌う『桜の季節』がある。



 2004年10月30日、広島で行ったライブ『ひとり股旅スペシャル@広島市民球場』収録の映像である。この時、奥田民生は39歳になっていた。(現在、このDVDは [SING for ONE ~Best Live Selection~] (期間生産限定盤) の一つとして廉価版で販売されている)

 この映像は画質と音声がとてもクリアだ。奥田「ひとり」の声が、広島市民球場にのびやかに広がっていく。興味深いのは、「坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く/そして追いかけていく/諦め立ち尽くす/心に決めたよ」というブロックが歌われていないことだ。別離の描写のシーンだが、あえて歌わなかったのかもしれない。

 当日、志村正彦は現地にいて、奥田民生が歌う『桜の季節』を聴いていた。現実の出来事として、『桜の季節』という歌を媒介にして、志村正彦と奥田民生とが共鳴し合った。


2021年4月3日土曜日

ユニコーン「すばらしい日々」/1993年8月 CSA改めSMAちゃん祭り

 1月31日の奥田民生甲府公演<MTRY TOUR 2021>の生配信ライブについて以前書いたが、そのレポートが「DI:GA ONLINE」に載っていた。タイトルは〈奥田民生、3年ぶりのバンドツアー「MTRY TOUR 2021」がスタート!ツアー初日をレポ〉、取材・文は兵庫慎司。志村正彦やフジファブリックについての記事をたくさん書いているライターだ。こうしたレポートを読むと、記憶に刻まれやすくなる。

 僕が初めて奥田民生・ユニコーンのライブを見たのは、1993年8月1日、富士急ハイランド・コニファーフォレストで開催された「サウンドコニファー229 CSA改めSMAちゃん祭り1993」だった。「サウンドコニファー229」は富士急行グループ主催の野外フェスティバル、SMAはSony Music Artistsの略称。この日はユニコーンを中心とするSMA所属バンドのフェスとなった。この年の9月、ユニコーンの解散が発表されたので(その後再結成されているので、最初の解散と言うべきか)、その一月ほど前の貴重なライブとなった。

 30年近く前のことなので、記憶はすでにかなり失われている。ネットで調べたがあまり情報がない。どうしたものかと思っていたところ、「ロケンローラーはお熱いのがお好き?/CSA改めSMAちゃん祭り1993●夏」(「ARENA37℃」1993年10月号臨時増刊号、音楽専科社)という雑誌が見つかったので、早速注文した。表紙の写真には90年代前半の雰囲気が濃厚にある。本文を読んでいくと、当日の断片のようなシーンがいくつか浮かんできた。



 甲府から車で出かけた。とにかく暑い日だった。富士北麓とは思えないくらいに日光がとても強かった。暑さでクラクラするなかで、富士急の会場には爆音が響いていた。出演者は、Dr.StrangeLove、真心ブラザーズ、SPARKS GO GO、すかんち、ユニコーン、そして全員によるセッション。この順でステージに立った。

 ユニコーンの演奏曲は次の通りだ。

  おかしな雪が降レゲエ町
  あやかりたい'65
  時には服のない子のように
  薔薇と憂鬱
  裸の王様
  感謝ロック
  すばらしい日々
  大迷惑


 僕のお目当ての曲は「すばらしい日々」だった。この年、1993年4月リリース。この曲の歌詞は、それまでの日本語ロックにはない世界を創り上げていた。奥田民生の言葉の才能は抜きん出ていた。演奏されることを期待して行ったのだが、それは叶った。富士急という会場でこの歌を生で聴くことができ、僕にとってすばらしい日となった。

 付言すると、この2年後の1995年8月19日、同じ会場の「SOUND CONIFER 229 エレキな若大将たち! 」で、志村正彦は奥田民生の音楽に遭遇した。

 当時のミュージックビデオである。



    

        すばらしい日々  作詞・作曲:奥田民生


  僕らは離ればなれ たまに会っても話題がない
  いっしょにいたいけれど とにかく時間がたりない
  人がいないとこに行こう 休みがとれたら
  いつの間にか僕らも 若いつもりが年をとった
  暗い話にばかり やたらくわしくなったもんだ
  それぞれ二人忙しく汗かいて

  すばらしい日々だ 力あふれ すべてを捨てて僕は生きてる
  君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける

  なつかしい歌も笑い顔も すべてを捨てて僕は生きてる
  それでも君を思い出せば そんな時は何もせずに眠る眠る
  朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える
  君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける


 君は僕を忘れる。君の中で僕が忘却される。そして、君の中で僕が不在になる。どれほどの時が流れるのだろうか。ようやく、「その頃」という時にたどりつく。その時が到来すれば、僕は「すぐに君に会いに行ける」。

 「君」の中で「僕」が不在になり、その不在が行き渡ることによって初めて、僕は君と再会できる。その時、その不在はひとつの在へと変わるのだろうか。その時間の歩みは「すばらしい日々」となるのだろうか。

 不可思議な世界と時間を創り出したこの歌の魅力は、三十年近い時が経った今日でも失われていない。

 

2021年3月13日土曜日

飯田龍太展 生誕100年

 山梨県立文学館で開催中の特設展「飯田龍太展 生誕100年」を観覧してきた。

 俳人飯田龍太は、1920年7月10日、山梨県笛吹市境川町で飯田蛇笏の四男として生まれた。1962年10月に蛇笏が亡くなると俳誌「雲母」の主宰となり、随筆・評論と活動を広げ、現代俳句を代表する存在となった。学生時代の数年を除くと山梨でずっと暮らし、2007年2月25日、86年の生涯を閉じた。その生誕100年を記念する展覧会である。

 文学館に勤めていた頃、仕事で数度、龍太さんにお目にかかったことがある。講演会の映像を撮影したこともある。当時、古井由吉の『山躁賦』について読売新聞山梨版に短い文を寄稿したことがあった。人づてにだが、龍太さんがその文章を読んだ感想をお聞きして、とても励みになったこともある。もうかれこれ三十年前のことだ。そのいくつかの想い出を浮かべながら、展示室に入っていった。数多くの原稿、書簡、書画、愛用品、展示パネルで構成され、生誕百年記念展にふさわしい充実した展示だった。

 youtubeに特設展「飯田龍太展 生誕100年」PR動画があるので、紹介したい。



 飯田蛇笏・龍太の自宅、「山廬」(さんろ)も撮影されている。龍太句の生まれた場所の雰囲気が分かるだろう。

 山梨県立文学館と隣の山梨県立美術館は「芸術の森公園」の中にある。展示を見た後、この公園を歩いた。すっかりと暖かくなり、気候はおだやかである。光がどことなく優しい。公園の東南側の一角で梅が咲いていた。白梅、紅梅。そのほのかな香りが鼻腔を抜けていく。春、三月。この季節を表現した飯田龍太の代表句がある。1954刊行の第一句集『百戸の谿』の冒頭近くに掲載されている。


   いきいきと三月生まる雲の奥


 〈雲の奥〉から、〈いきいきと〉〈三月〉という季節が生まれてくる。雲が次々と生まれる大空。春の日差しのなかでその雲は明るい色を帯びている。甲府盆地は高い山々によって四方を囲まれている。山々の稜線、その上方の雲、大空。視界のなかでそれらがある奥行を持って層を成し、その層の〈奥〉へと、俳人は視線を投げかける。あたかもその〈雲の奥〉の空間が〈三月〉を生成していくかのように、春の感触が捉えられている。この眼差しのあり方が飯田龍太の俳句を貫いている。

 飯田蛇笏・龍太の父子、そしてその門弟の俳人たちが、この山国の自然の風景、この盆地特有の景観、空、雲、山、川、谷を詠んできた。

 一つ、偶景webとして記しておきたいことがある。飯田龍太の誕生日は7月10日生まれだが、志村正彦も7月10日に生まれた。生年は1920年と1980年、ちょうど60年の開きがある。同じ誕生日というのは偶然の符合だが、志村の歌詞の源にも〈自然〉がある。『陽炎』の〈遠くで陽炎が揺れてる〉という描写や調べはどことなく俳句的でもある。「陽炎」は春の季語。春から夏にかけての空気の揺らめきを指す。

 特設展「飯田龍太展 生誕100年」は、3月21日(日)まで開催されている。


2021年3月5日金曜日

レスリー・ウェスト/志村日記「レスポールスタンダード」[志村正彦LN269]

 志村正彦は、ギターリストとしてのレズリー・ウェストの存在を認めていた。志村日記の2007.11.27に次のような記述がある。(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』p243)


 レスポールスタンダード

 このツアー、ホテルに帰ったらまずすること。
 それは、テレビを付けて一服するでもなく、ライブを録音した音源のチェックだ。いわゆるライン録音というやつで、PAモリタ氏からライブ後、すぐもらう。ライン録音つうのは、客席に置いたマイクで録音したものとは違って、PA卓のOUTの音を直に録音したものなので、かなり自分たちの演奏がシビアに聴けるものであります(何か説明下手でスマン)。
それをひたすら聴いている。ここをああすべきだったとか、音のヌケがどうだとか、一人反省会だ。もちろん客席に聞こえている外音のことも視野に入れつつ。
 結果、新しく入手したギター、Gibsonレスポールスタンダードはしばらく弾かないことにした。俺が、まだ未熟で弾けてないからだ。音がスタンダードの音をしてないのかとも思う。う~ん分からん。ローディーの人は良い音してると言ってくれているのだが。それほど、レスポールスタンダードが中学の頃から憧れていた楽器です。名器です。だからもう少しちゃんとしなきゃなー。
 レスポールスペシャル(シングルカッタウェイの黄色のやつ。ちなみにレスポールのダブルカッタウェイは俺はあんま好きじゃない。いくらストーンズが使っていたとしても、 レズリー・ウェストが使っていたとしても。もうこれはあくまで俺個人のこだわり。弾く時が来るのは、ボトルネックが弾けるようになってからかなー)はもうずっと弾いてる。。だから何となく分かる。が、スタンダードは難しい…。


 このツアーは、フジファブリック「武者巡業ツアー」2007/10/14~ 2007/12/15。北海道、広島、福岡、大阪、愛知、宮城と回り、最後は東京の両国国技館だった。このライブ映像が『フジファブリック Live at 両国国技館ライブ』として発売された。あわただしいツアー中の「一人反省会」。志村の音楽に対するストイックな姿勢が伝わる。入手したGibsonレスポールスタンダードを「まだ未熟で弾けてない」と言う。レスポールスタンダードが中学の頃から憧れていた名器だが、高校の頃からレスポールスペシャルはもうずっと弾いてると書いているように、志村正彦が始めて購入したエレクトリックギターは、レスポールスペシャルだった。

 高校入学の春、志村正彦は、甲府の岡島百貨店内の新星堂ロックイン甲府店で、ギブソンレスポールスペシャルを購入した。もちろん高校生にとってはかなり高価なものなので、両親に代金を出してもらい、本人が新聞配達などのアルバイトを続けて支払ったそうである。最初からギブソンにしたことから、プロのミュージシャンになるという決意が感じられる。退路を断つような覚悟だったのかもしれない。

 ここで志村は、レスポールスペシャルの「シングルカッタウェイの黄色のやつ」が好きであり、「レスポールのダブルカッタウェイは俺はあんま好きじゃない。いくらストーンズが使っていたとしても、レズリー・ウェストが使っていたとしても」と述べている。ストーンズというと、キース・リチャーズのことだろう。そして、レズリー・ウェストに言及している。(志村はレズリーと書いている。Leslieのカタカナ表記はレズリー、レスリーの二つがある)確かに、レスポールスペシャルを弾くギターリストの代表は、キース・リチャーズとレズリー・ウェストである。ネットの情報によると、シングルカッタウェイは中低音が豊か、ダブルカッタウェイは抜けの良い音といいようように、音色が違うようだ。 

 実際に志村正彦がマウンテンやレスリー・ウェストの音楽をどのくらい聴いていてのかは分からない。それでもこのように書いているので、ギターリストとしてのレスリーをある程度までリスペクトしていたのだろう。

 レスリー・ウェストがレスポールを弾いている映像で比較的最近のものを探した。(最初にある白色のギターはレスポールスペシャルのように見えるが、黒色のギターはレスポールスタンダードのようだ。ギターについては詳しくないので、間違っているかもしれません)


Leslie West @Rock/Ribs, Augusta, NJ 6/28/14 Nantucket Sleighride



 2014年6月のRock Ribs and Ridges Festival。レスリーはすでに車椅子に座って演奏している。楽曲はマウンテンの名曲「ナンタケット・スレイライド "Nantucket Sleighride (For Owen Coffin)"」 (F. Pappalardi, G. Collins) 」。捕鯨船エセックス号(ハーマン・メルヴィルの『白鯨』の素材ともなった)の悲しい物語をモチーフとした作品である。この映像には、冒頭のチューニング、往年を彷彿とさせる間奏部分のインプロビゼーションやレスリー独特の奏法もある。歌詞は前半しか歌われていないが、その部分を引用する。


  "Nantucket Sleighride (For Owen Coffin)"
    (F. Pappalardi, G. Collins) 


              Goodbye, little Robin-Marie
              Don't try following me
              Don't cry, little Robin-Marie
              'Cause you know I'm coming home soon

              My ships' leaving on a three-year tour
              The next tide will take us from shore
              Windlaced, gather in sail and spray
              On a search for the mighty sperm whale

              Fly your willow branches
              Wrap your body round my soul
              Lay down your reeds and drums on my soft sheets
              There are years behind us reaching
              To the place where hearts are beating
              And I know you're the last true love I'll ever meet
              And I know you're the last true love I'll ever meet

               ………

 捕鯨からの帰還、愛する人との再会を歌っているが、その帰還と再開が果たされることはないのだろう。オリジナル音源では、フェリックス・パパラルディが歌っている。レスリー・ウェストはこれまで自分のバンドでこの曲を演奏してきたが、自ら歌ったことは少ない。録画年からして、彼がこの曲を歌ったライブ映像として最後のものかもしれない。 


2021年2月28日日曜日

レスリー・ウェスト(Leslie West)The Vagrants/「People Get Ready」

 レスリー・ウェストが昨年2020年の12月23日に亡くなった。今日は彼のことを振り返りたい。

 彼のプロフィールをあらためて読んで、愕然とした。日本語版にはないが英語版のWikipediaには、彼の両親はユダヤ人であり、両親の離婚後、Leslie Weinsteinという名をLeslie Westに変えたという記述があった。迂闊にも今までそのことを知らなかった。確かに、Weinsteinヴァインシュタイン(ワインシュタイン)はユダヤ系の姓として知られている。もともとドイツ起源の姓のようだ。

 英語版Wikiの注には、UCR(Ultimate Classic Rock)サイトの「TOP 10 JEWISH ROCK STARS」があり、そこでは次のような11人のユダヤ系ロックミュージシャンの名があげられている。

 11  Leslie West
 10  Marc Bolan
  9  Geddy Lee
  8  Billy Joel
  7  Paul Simon
  6  Paul Stanley
  5  Joey Ramone
  4  Lou Reed
  3  Gene Simmons
  2  Bob Dylan
  1  David Lee Roth

 

 レスリー・ウェストが、Marc Bolanに次いで11位に入っている。日本での低い知名度からするとこの順位は意外かもしれない。また、これはよく知られていることだが、Bob Dylan、Lou Reed、Paul Simon。ここにLeonard CohenやRandy Newmanを加えれば、ロックの優れた詩人にはユダヤ系が多いことがわかる。このリストを見ると一目瞭然である。(二十世紀の文学や思想の中心に、カフカ、ツェラン、フロイト、ベンヤミンと多くのユダヤ人作家・学者がいる。彼らには「孤高の単独者」という共通項がある)


 今回、youtubeでレスリー・ウェストの映像を探してみた。彼が最初に活動したヴァグランツ(The Vagrants)というバンドの貴重な映像を初めて見ることができた。


   1964年、The Vagrants "Oh,Those Eyes" の映像である。後列右側で19歳のレスリーがリードギターを奏でている。途中でソロが入るのだが、やはりレスリー・ウェストらしい音色だ。前列左側には弟のLarry Westがベースを弾いている。

 この後、レスリーはフェリックス・パパラルディに見出され、彼のプロデュースによるデビュー・アルバム『マウンテン』をリリースした。これを契機として、フェリックス・パパラルディとマウンテンを結成。彼らの独創的な音楽は70年代前半のアメリカそしてこの日本でも高く評価された。マウンテン解散後、ジャック・ブルースたちとウェスト、ブルース&レイングを結成。その後はロックの第一線からは次第に遠ざかっていったが、「ミュージシャンズ・ミュージシャン」、ミュージシャンから尊敬される存在として認められてきた。

 2011年、レスリーは糖尿病の合併症により右足の切断手術を受けた。2012年、イタリアのミラノでのライブを収録した映像がある。この時はすでに車椅子に座って、カーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)の「People Get Ready」とマウンテンの「Blood of the Sun」を演奏している。「Live Jam」とあるように、70年代を彷彿させるジャム・セッション風の展開だ。声と音色の輝きは失われていない。

 Leslie West - People Get Ready | Blood of the Sun (Live Jam) Live Milan, Italy 2012



 2016年、アメリカの音楽誌Relixのアコースティック・セッション企画に参加した時の映像がある。この時の曲も「People Get Ready」。2015年リリースの彼の通算16枚目のアルバム『Soundcheck』収録曲だ。彼は椅子に座り、アコースティック・ギターを奏でる。歌詞を少し変え短くして歌っている。2012年ミラノでのエレクトリックギターの演奏とは全く異なる雰囲気だ。この二つを聞き比べるのもよい。

   Leslie West "People Get Ready"


  ヴァグランツの映像、「People Get Ready」の映像。19歳から70歳までのレスリー・ウェスト。youtubeは遠い過去や近くの過去へタイムマシーンでもある。一人の歌い手・ギターリストの人生が映像として整列している。整列した映像は一人の音楽家の点と点をつなぎ、その軌跡を再構成する。考えてみれば不思議な経験なのだが、youtubeの時代はそれを可能とした。

 最近このブログの記事も回顧モードだが、意図したものではない。だが、「ロックの時代」の音源や映像の数々が目の前で整列し、それらを回想するかのような眼差しで時を振り返る。その行為に慣れ親しんでいるのは確かである。

 最後に、「People Get Ready」の歌詞を引用したい。


   People Get Ready (Curtis Mayfield)

 People get ready, there's a train a-comin'
 You don't need no baggage, you just get on board
 All you need is faith to hear the diesels hummin'
 Don't need no ticket, you just thank the Lord

 So, people get ready for the train to Jordan
 Picking up passengers coast to coast
 Faith is the key, open the doors and board 'em
 There's hope for all among those loved the most

 There ain't no room for the hopeless sinner
 Who would hurt all mankind just to save his own, believe me now
 Have pity on those whose chances grow thinner
 For there's no hiding place against the kingdom's throne

 So, people get ready, there's a train a-comin'
 You don't need no baggage, you just get on board
 All you need is faith to hear the diesels hummin'
 Don't need no ticket, you just thank the Lord


 「用意ができたかい、列車が来る。荷物は要らない、乗りこめばいい。信じればよい、列車のハミングが聞こえてくる。切符は要らない、神に感謝すればよい」 70歳のレスリー・ウェストが歌い奏でると、この歌詞がひときわ心に染み込んでくる。

 マウンテンの頃から変わらないレスリーの声の粒のようなものに魅せられてきた。彼の声、そしてエレキでもアコギでもギターの音は、彼の身体に共鳴して増幅するようにして解き放たれる。のびやかで美しく、そして時に激しいが、憂いのようなものも帯びている。

 レスリー・ウェストもまた「孤高の単独者」だったのかもしれない。


2021年2月19日金曜日

映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』

  昨日、甲府のシアターセントラルBe館で、映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見てきた。

 ロビー・ロバートソンの自伝を原作に、ザ・バンド(THE BAND)の誕生から1976年の解散ライブ『The Last Waltz』までの足跡を追ったドキュメンタリー映画。原題は『ONCE WERE BROTHERS:ROBBIE ROBERTSON AND THE BAND』。「ROBBIE ROBERTSON AND THE BAND」とあるように、ロビー・ロバートソンとその妻の視点からのTHE BANDの物語だった。

 僕がロックを聴き始めた1970年代の前半、THE BANDはすでに伝説のような存在だった。アメリカのルーツ・ミュージック、ロックンロール・カントリー・フォーク・R&Bなどを織りまぜたロックの創始者だった。ボブ・ディランのバックバンドとしての知名度も高かった。そのような音楽を生み出した彼らの生活スタイル、ウッドストックという地、ザ・バンドとボブ・ディランが借りていた家「ビッグ・ピンク」は、音楽雑誌などでよく記事にされていた。当時の僕たちは、彼らの音楽の総体を「知識」として受けとっていたように思う。

  今の若者が、彼らのデビュー曲的な位置づけである1968年の「ザ・ウェイト」(The Weight)を聴くとどう感じるだろうか。アメリカのルーツ・ロックとして普通に聞こえてくるかもしれないが、60年代の後半から70年代の前半の時代においては、斬新な音楽だった。「The Band on MV」のサイトから「The Weight (Remastered)」を紹介したい。冒頭部の歌詞も引用する。



 The Weight      作詞:Robbie Robertson

     I pulled into Nazareth, I was feelin' about half past dead
     Just need to find a place where I can lay my head
     'Hey, mister, can you tell me where a man might find a bed?'
      He just grinned and shook my hand and, 'No', was all he said

      Take a load off Fanny
      Take a load for free
      Take a load off Fanny
      And (and)(and)you put the load right on me
      ………

 俺はナザレにたどりついた
 半ば死んだように感じていた
 横になれるところが欲しかった
 「旦那、休めるところを教えてくれないか」
 彼はにやりと笑って握手して
 「ない」とだけ言った

 重荷を下ろせよ、ファニー
 自由に身軽になれよ
 重荷を下ろせよ、ファニー
 そうして重荷を俺に載せなよ

 この歌詞は難しい。自分なりに訳してみた。映画では、この「Nazareth」の意外な由来についても述べられている。『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』を見終わった後「The Weight 」の歌詞を振り返ると、いろいろな思いが浮かんでくる。
 映像は当時分からなかったことを丹念に描いている。ロビー・ロバートソンの生い立ちと音楽に目覚める過程、ロニー・ホーキンス のバックバンドとして活動していた時代、ザ・ホークスの時代、ボブ・ディランとの出会いや酷評されたツアー。そしてザ・バンドの誕生と活躍の時代。メンバーの友情と確執。そして、そのすべては1976年の解散ライブ『The Last Waltz』に収束していく。

 僕のザ・バンドとの出会いは、彼らの単独作品というよりも、ボブ・ディランが1974年にリリースした『プラネット・ウェイヴズ』(Planet Waves)を通してだった。ボブ・ディランがザ・バンドと創り上げたこのアルバムは、いまだに僕が最も好きなディランの作品であり、ザ・バンドの音楽、演奏である。映画では、ディランがアサイラム・レーベルに移籍した裏話も語られていた。

 映画を見ていくうちに、僕自身が四十数年前の70年代前半から半ばまでの「ロックの時代」にワープしていった。タイトルバックが流れると、しばらくの間、その残像が静かにまだ回っていて、今ここに、自分が戻りきれていない心持ちになった。

 リチャード・マニュエル、リック・ダンコ、リヴォン・ヘルムはすでに亡くなった。ロビー・ロバートソンとガース・ハドソンは健在である。この映画用にガース・ハドソンのインタビューも撮影されたそうだが、結局、使用されなかった。彼は沈黙を守ったのだろう。

 生き残った者の視点で、ロビー・ロバートソンはザ・バンドの歴史物語を綴る。他のメンバー四人からの視点はほとんどない。メンバー間の確執の真実は分からない。ロビー・ロバートソンは正しい人なのだろう。しかし、義しいのだろうか。その問いかけがずっと心に残っている。

 ロビー・ロバートソンその人というよりも、この映画の語り方そのものにある種の残酷さや非情さを感じた。バンドメンバーの生と死を分かつ「時」の残酷さ。あるはずの語られる物語が語られることはない。そのことを胸に刻んだ。

 それでもこの映画は「ロックの時代」の記録の一つとして見る価値がある。25日(木)までシアターセントラルBe館で上映される。