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2021年3月13日土曜日

飯田龍太展 生誕100年

 山梨県立文学館で開催中の特設展「飯田龍太展 生誕100年」を観覧してきた。

 俳人飯田龍太は、1920年7月10日、山梨県笛吹市境川町で飯田蛇笏の四男として生まれた。1962年10月に蛇笏が亡くなると俳誌「雲母」の主宰となり、随筆・評論と活動を広げ、現代俳句を代表する存在となった。学生時代の数年を除くと山梨でずっと暮らし、2007年2月25日、86年の生涯を閉じた。その生誕100年を記念する展覧会である。

 文学館に勤めていた頃、仕事で数度、龍太さんにお目にかかったことがある。講演会の映像を撮影したこともある。当時、古井由吉の『山躁賦』について読売新聞山梨版に短い文を寄稿したことがあった。人づてにだが、龍太さんがその文章を読んだ感想をお聞きして、とても励みになったこともある。もうかれこれ三十年前のことだ。そのいくつかの想い出を浮かべながら、展示室に入っていった。数多くの原稿、書簡、書画、愛用品、展示パネルで構成され、生誕百年記念展にふさわしい充実した展示だった。

 youtubeに特設展「飯田龍太展 生誕100年」PR動画があるので、紹介したい。



 飯田蛇笏・龍太の自宅、「山廬」(さんろ)も撮影されている。龍太句の生まれた場所の雰囲気が分かるだろう。

 山梨県立文学館と隣の山梨県立美術館は「芸術の森公園」の中にある。展示を見た後、この公園を歩いた。すっかりと暖かくなり、気候はおだやかである。光がどことなく優しい。公園の東南側の一角で梅が咲いていた。白梅、紅梅。そのほのかな香りが鼻腔を抜けていく。春、三月。この季節を表現した飯田龍太の代表句がある。1954刊行の第一句集『百戸の谿』の冒頭近くに掲載されている。


   いきいきと三月生まる雲の奥


 〈雲の奥〉から、〈いきいきと〉〈三月〉という季節が生まれてくる。雲が次々と生まれる大空。春の日差しのなかでその雲は明るい色を帯びている。甲府盆地は高い山々によって四方を囲まれている。山々の稜線、その上方の雲、大空。視界のなかでそれらがある奥行を持って層を成し、その層の〈奥〉へと、俳人は視線を投げかける。あたかもその〈雲の奥〉の空間が〈三月〉を生成していくかのように、春の感触が捉えられている。この眼差しのあり方が飯田龍太の俳句を貫いている。

 飯田蛇笏・龍太の父子、そしてその門弟の俳人たちが、この山国の自然の風景、この盆地特有の景観、空、雲、山、川、谷を詠んできた。

 一つ、偶景webとして記しておきたいことがある。飯田龍太の誕生日は7月10日生まれだが、志村正彦も7月10日に生まれた。生年は1920年と1980年、ちょうど60年の開きがある。同じ誕生日というのは偶然の符合だが、志村の歌詞の源にも〈自然〉がある。『陽炎』の〈遠くで陽炎が揺れてる〉という描写や調べはどことなく俳句的でもある。「陽炎」は春の季語。春から夏にかけての空気の揺らめきを指す。

 特設展「飯田龍太展 生誕100年」は、3月21日(日)まで開催されている。


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