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2021年4月4日日曜日

『桜の季節』-奥田民生と志村正彦[志村正彦LN270]

 今年の桜の季節の到来は早かった。その割りには長い間、花が保たれていた。2日、大学の入学式があった。昨年度は中止だったが、今年は時間をかなり短縮して挙行された。大学の周りには美しい桜の並木がある。すでに満開は過ぎていたが、幸い、花は新入生を待っていてくれた。帰る頃には、風に吹かれて、桜が舞い散り始めていた。キャンパスの小さな池に花筏のように広がっていた。

 奥田民生・ユニコーンの「すばらしい日々」のことを続けて書いていきたい。


  君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける

  君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける


 「君は僕を忘れるから」という出来事、未来の状況が想定される。その未来の時点を「その頃」と指し示した上で「その頃にはすぐに」、あるいは「そうすれば」という未来の仮定のもとに「そうすればもうすぐに」、「君に会いに行ける」という帰結を述べる。

 時間の配列が独特だ。未来の状況、未来の時点から、すべてを振り返る。逆向きに現在に帰着する。そうして、その現在から未来の可能性、「君に会いに行ける」という未来の出来事を語っていく。願いのように、あるいは予言のようにして。

 そのような時間の捉え方が奥田民生の時へのまなざしである。「君」との別離をめぐるモチーフが、時の流れ方のモチーフと絡み合い、複雑な情感を伝えていく。


 今回、この歌を久しぶりに聴いて、志村正彦・フジファブリックの『桜の季節』の時間の設定と語り方が思い浮かんできた。


  桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい

  桜のように舞い散って しまうのならばやるせない


  その町に くりだしてみるのもいい

  桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

 

 この歌の時間の捉え方についてはすでに、〈「桜が枯れた頃」 -CD『フジファブリック』6 [志村正彦LN73]〉2014/3/16 に書いた。そのまま引用してみたい。

桜が花を咲かせる時ではない。桜の花が散る時でもない。桜の季節自体が過ぎてしまうという時の設定は、普通の桜の歌にはありえない。時間の捉え方が独創的だ。「桜の季節」「過ぎたら」、その未来に設定された時間の中で、主体は誰とも分からない他者に対して、「遠くの町」に「行くのかい?」と問いかける。そして、歌の主体「僕」は「やるせない」とも感じる。この感情は、「桜のように舞い散って」「しまうのならば」という未来の時間においてのある仮定を先取りする形で、歌の主体に訪れる。

 第3ブロックに入ると、歌の主体「僕」の相手である他者が「行く」「遠くの町」に「くりだしてみるのもいい」という、やはり未来の時間が仮定されているが、それは「桜が枯れた頃」という季節だ。この楽曲で最終的に歌われているのは、「桜が枯れた頃」、その季節の風景だ。その解釈は難しい。桜の「冬枯れ」の季節なのか、桜の樹そのものの「枯死」を迎える季節なのか。どちらにしろ、「桜が枯れた頃」の情景には、桜の「死」が濃厚に漂う。おそらく、「桜が枯れた頃」に「その町」に「くりだしてみる」のは不可能なのだ。すべては遅すぎる。歌の主体は「その町」にたどりつくことはできない。歌の主体は「その町」に住む他者と再び会うことはない。


 これを書いた時点では、奥田民生『すばらしい日々』のことはまったく視野に入らなかった。ある歌とある歌とが響き合うことは、いきなり訪れてくる。

 「君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける」と歌う奥田。「桜が枯れた頃」「その町に くりだしてみるのもいい」と歌う志村。

 君が僕を忘れる頃も、桜が枯れた頃も、これから過ぎ去っていく時間を前提にしている。そうしてその未来のある時点で、「君に会いに行ける」、「その町に くりだしてみるのもいい」とする。ただし、「行ける」は可能性、「みるのもいい」も選択の可能性だ。成就するかどうかは分からない。未来の出来事を想定して、そこから遡行して、現在の想い、未来の出来事への想いが歌われるのだが、その想いの成就はあくまでも可能性に留まる。錯綜するような語り方である。随分と迂回するような想いでもある。『すばらしい日々』と『桜の季節』との間に直接的な関係があるわけではないだろうが、奥田民生と志村正彦との間には、その独特な語り方と想いのあり方が共鳴し合っている。


 奥田民生(RAMEN CURRY MUSIC RECORDS)のyoutubeチャンネルに、彼が歌う『桜の季節』がある。



 2004年10月30日、広島で行ったライブ『ひとり股旅スペシャル@広島市民球場』収録の映像である。この時、奥田民生は39歳になっていた。(現在、このDVDは [SING for ONE ~Best Live Selection~] (期間生産限定盤) の一つとして廉価版で販売されている)

 この映像は画質と音声がとてもクリアだ。奥田「ひとり」の声が、広島市民球場にのびやかに広がっていく。興味深いのは、「坂の下 手を振り 別れを告げる/車は消えて行く/そして追いかけていく/諦め立ち尽くす/心に決めたよ」というブロックが歌われていないことだ。別離の描写のシーンだが、あえて歌わなかったのかもしれない。

 当日、志村正彦は現地にいて、奥田民生が歌う『桜の季節』を聴いていた。現実の出来事として、『桜の季節』という歌を媒介にして、志村正彦と奥田民生とが共鳴し合った。


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