2021年12月31日金曜日

2021年そして2011年 [志村正彦LN302]

 毎年、大晦日にその年を振り返ることが多いが、今日はまず、十年前の2011年のことを思い出してみたい。この年の12月23・24日、志村正彦の同級生たちが富士吉田市民会館で「志村正彦展 路地裏の僕たち」を開催した。縁があって、この地元で初の本格的な志村展で、当時勤めていた甲府城西高校の授業で生徒が書いた志村正彦・フジファブリックについての素晴らしい文章と共に、僕自身の「志村正彦の夏」という拙文も展示していただいた。

 あの当時から今日に到るまで、志村の同級生たちから成る「路地裏の僕たち」、ネットの「Fujifabric International Fan Site」、地元紙の山梨日日新聞・YBS山梨放送が地元での活動やその紹介や報道の中心を担っている。彼らの活動の継続が、現在の志村正彦の大きな隆盛の原動力となっている。

 十年を経た今年、富士吉田では志村を伝え広めていくための重要な動きがたくさんあった。この12月末から、富士急行の下吉田駅の列車接近曲として「若者のすべて」「茜色の夕日」が流れることになった。志村の母校、山梨県立吉田高校の音楽部や放送部が彼の曲を合唱したり、番組を制作したりという活動を始めた。音楽部は日本テレビの番組「MUSIC BLOOD」にも出演し、「若者のすべて」のコーラスを担当した。富士吉田の高校生たちによる「#私たちのすべて」の試み。「黒板当番」さんによる富士山駅ヤマナシハタオリトラベル mill shopでの黒板画。また、そのような活動についてのNHK甲府やUTYテレビ山梨・山梨新報、全国紙の山梨版での報道や番組も増えてきた。この11月、志村正彦が富士吉田文化振興協会によって第24回「芙蓉文化賞」に選出された。エフエムふじごこでは「路地裏の僕たちでずらずら言わせて」というトーク番組が続いている。志村の故郷富士吉田そして山梨では、志村正彦の評価が確固たるものとなった。十年前と比べると、志村の知名度は格段に高まってきた。

 2022年度から「若者のすべて」が高校音楽Ⅰの教科書、教育芸術社『MOUSA1』に採用されたことは特筆すべきことだった。このニュースは、朝日新聞の全国版などで大きく報道されて反響を呼んだ。『サブカル国語教育学』という国語教育の書籍で「桜の季節」の授業構想も発表された。音楽や国語などの教育の場で、志村正彦・フジファブリックの作品が教材となる動きは今後も続くだろう。

 僕の本業は教師である。勤務先の山梨英和大学の「人間文化学」「山梨学」の講義の一つとして、「若者のすべて」や四季盤の作品を取り上げた。担当の卒論ゼミでは、志村正彦を卒業論文のテーマとする学生も出てきた。専門ゼミでは学生と一緒に、志村正彦・フジファブリックと松本隆・はっぴいえんどの歌詞の比較、日本語ロックの歴史的考察も試みたが、このテーマは今後このブログで書いてみたい。また、大学の出張講義の依頼があり、「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える-志村正彦の作品」を甲府市内の三つの高校と吉田高校で行った。このように学内の講義・ゼミナール、学外の出張講義という形で、教育やそのための研究を進めている。

 偶景webの中心コンテンツ「志村正彦ライナーノーツ(LN)」が300回を超えた。振り返れば、2011年の志村展の「志村正彦の夏」という文が、この連載の第ゼロ回という位置づけになる。この文を書き終わったときにある手応えを感じた。このスタイルであれば志村正彦の歌について書いていけるかもしれない、そのような予感があった。実際にこのブログを始めたのはその一年後だったが、志村正彦LNについては、300回を一つの到達点として設定してみた。それ以来ほぼ一週間に一回ほどのリズムで書き続けてきた。少なくとも数回分の構想はあり、実際に下書きもしているのだが、時々起きる志村をめぐる様々な動きやニュース、あるいは全くの偶発的な出来事も積極的に取り入れてきた。だから、連載しているものが時々中断して、しばらくしてまた再開するということも少なくなかった。

 自分の内的なモチーフと、他者や外側から受けとるモチーフの両方から書いてきた。内発的なものと外発的なもの、必然的なものと偶然的なもの、その二つの観点から記述していくことが、このブログの持続のために重要だった。そして、このブログの書き手と読み手という二つの在り方を意識した。自分自身が一人の読み手としてこのブログを読む。その観点から何を書くべきかを模索してきた。


 最後にある曲を紹介したい。HINTOの新曲「ニジイロウィークエンド」である。

 12月28日、SPARTA LOCALSと HINTOのスプリットシングルCD『≠』(ノット・イコール)がリリースされた。一昨日、CDが届いた。紙ジャケットの表側には、白地に黒色の≠の記号が、中側には夜(SPARTA LOCALS)と昼(HINTO)のオブジェのような光景が印刷されている。おそらく録音スタジオ(山梨のようだ。山中湖あたりと思われるが、確かなことは分からない)周囲の晩秋の風景を素材としている。いつものように美しいデザインだ。

 最近はPC内蔵のスピーカーで聴いてしまうことが多いのだが、このシングルはオーディオ装置を通して何度も聴いた。安部光広のベースの心地よいうねり。伊東真一の彩り鮮やかギター。菱谷昌弘のタイトなドラム。そのサウンドに乗って、やや哀しげに、安部コウセイは〈土砂降り雨のウィークエンド あわてて走り出す/これはどこに向かっているのかな〉〈疲れ果てたよウィークエンド/君と話したい 果たせなかった事ばかり思う〉と歌い出す。安部のTwitter (@kouseiabe)には、〈コロナ禍で自宅にいる時、空に立派な虹がかかり、フジファブリックの曲「虹」が脳内でながれた。そのときの気分を残しときたくて作った曲です〉とあった。「虹」には〈週末 雨上がって 虹が空で曲がってる〉〈不安になった僕は君の事を考えている〉という歌詞がある。

 安部がフジフジ富士Qで歌った「虹」、堕落モーションFOLK2の「夢の中の夢」、HINTOの「シーズナル」「なつかしい人」。〈君と話したい〉の〈君〉に向けた歌とも思われる歌がいくつか浮かんでくる。「ニジイロウィークエンド」は、コロナ禍の苦悩や内省が入り混じる歌だ。いつかまた詳しく書いてみたい。

 この歌には複雑な陰影があるが、次のリフレインで終わる。


  雨上がりのウィークエンド 虹がかかったウィークエンド

  雨上がりのウィークエンド 始まりそうなウィークエンド


  この〈虹がかかったウィークエンド〉〈始まりそうなウィークエンド〉を、2022年への希望の言葉として受けとめてみたい。


2021年12月26日日曜日

「セレナーデ」と「若者のすべて」[志村正彦LN301]

  前回、「若者のすべて」の〈「僕ら」、「僕」という一人称単数ともう一人の一人称単数の存在は、別々の場にいるのだが、それでも、何か一つのものを分かち合っている。かけがえのないものを分有している〉と書いた。

 「僕」にとっての〈もう一人の一人称単数の存在〉は、「僕」の視点から見ると、《君》や《あなた》という二人称の存在になるが、「若者のすべて」の歌詞の中には二人称で呼びかけられる人間そのものは登場しない。あくまでも一人称の存在が二人いて、その二人が「僕ら」という一人称複数の代名詞で呼ばれている。「僕」と《君》ではなく、「僕」ともう一人の《私》が、「僕ら」を構成している。この「僕ら」が「僕ら」というあり方で、かけがえのない何かを分有している。今回はその〈分有〉について書いてみたい。そのために、「セレナーデ」という歌をこの場に召喚したい。

 「セレナーデ」は、2007年11月7日リリースの10枚目シングル『若者のすべて』のカップリング曲として発表された。今年6月、 RECORD STORE DAY 2021に合わせて、『若者のすべて』が7インチのアナログレコードとして発売された。B面には「セレナーデ」が収録された。赤色のレーベルに曲名がプリントされた黒色の円盤。赤と黒のコントラストが鮮やかだ。「若者のすべて」の〈花火〉の赤色。「セレナーデ」の黒色の〈眠りの森〉。そんな色の感触がある。レコード化されて、「若者のすべて」と「セレナーデ」の結びつきが強まった気がした。

 「セレナーデ」 (作詞・作曲:志村正彦)の歌詞を全文引用したい。


眠くなんかないのに 今日という日がまた
終わろうとしている さようなら

よそいきの服着て それもいつか捨てるよ
いたずらになんだか 過ぎてゆく

木の葉揺らす風 その音を聞いてる
眠りの森へと 迷い込むまで

耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
僕もそれに答えて 口笛を吹くよ

明日は君にとって 幸せでありますように
そしてそれを僕に 分けてくれ

鈴みたいに鳴いてる その歌を聞いてる
眠りの森へと 迷い込みそう

耳を澄ましてみれば 流れ出すセレナーデ
僕もそれに答えて 口笛吹く

そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
消えても 元通りになるだけなんだよ


  「若者のすべて」の「僕ら」は、眼差しの一瞬の交わし合いの中で再会したと考えているが、「セレナーデ」は、その「僕ら」が夢の中で再会する歌ではないだろうか。

 「僕」は〈眠りの森〉から聞こえてくる〈セレナーデ〉に誘われて眠りにつく。しかし本当は、その〈セレナーデ〉は「僕」が口笛で吹いている。すべては夢の中で混沌としている。「僕」の声もどこからか来る音も、混じり合っている。

 その〈セレナーデ〉が〈君〉に届く。〈君〉もまた〈眠りの森〉の世界へ入っていく。「僕」と「君」は〈眠りの森〉の中で再会する。深い眠りの中で〈セレナーデ〉が響いている。

 「僕」は〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉と、夢の中で「君」に語りかける。「君にとって 幸せでありますように」という祈りが先にあり、「それを僕に 分けてくれ」という願いがその後に続く。「僕」の祈りと願いの言葉は、言葉として「君」に届くことはない。

 「君」はこの言葉の残響のようなものを微かに聞きとる。夢からの覚醒時に儚くも消えてしまうが、夢の中の言葉として記憶のどこかに、意識されない言葉として刻まれるかもしれない。最後の〈そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ/消えても 元通りになるだけなんだよ〉はその推移を描いている。

 すべては〈眠りの森〉の中の出来事。起きたことも、起こりつつあることも、これから起きることも、夢から覚めた後に消えてしまうが、この祈りだけは、無意識のどこかに、微かな痕跡のようなものとして残存する。「僕」と「君」は、この祈りを分かち合う。〈明日は君にとって 幸せでありますように/そしてそれを僕に 分けてくれ〉というかたちの〈幸せ〉が、「僕」と「君」に分有される。

 「若者のすべて」の「僕ら」は〈最後の最後の花火〉を見て、「同じ空」を見上げる。「セレナーデ」の夜になると、「僕ら」は〈眠りの森〉に入る。夢の世界で〈幸せ〉を分有する。すべては「僕」の〈途切れた夢の続き〉かもしれないが、「僕」の夢想は、A面の「若者のすべて」からB面の「セレナーデ」へと引き継がれていく。これ自体が筆者の夢想のような解釈だが、そのような夢想をこの二つの歌と分かち合いたい。



2021年12月19日日曜日

「僕」は「僕ら」でもある-「若者のすべて」24[志村正彦LN300]

 前回述べたように、ドラマ『SUMMER NUDE』の世界では、「若者のすべて」をめぐって、〈別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えない〉とする三厨朝日と、〈その彼女と花火大会の日に偶然再会する〉〈まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てる〉とする一倉香澄との間に、物語の解釈の違いがある。

 再会をめぐる解釈の差異は、「若者のすべて」の語りの構造に起因している。これまで繰り返し述べてきたが、「若者のすべて」の歌詞は、《僕の歩行》の系列と《僕らの花火》の系列の二つが複合されて作られた。この系列の構造を図示してみよう。



 三厨朝日は、「僕」の観点を重視し、《僕の歩行》系列の最後の〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉に、再会しないまま一人で歩き出すという物語を読みとる。それに対して、一倉香澄は、「僕ら」の観点を重視し、《僕らの花火》系列の〈同じ空を見上げているよ〉に再会の実現という物語を読みとる。

 この再会の有無についてさらに踏み込んでいきたい。

 「僕」と「僕」が思い続けていた人(『SUMMER NUDE』でいう「彼女」)が実際に再会して同じ場にいるのなら、当然、「僕ら」はこの二人を指すことになるだろう。この二人が〈最後の最後の花火〉の場面で〈同じ空を見上げている〉ことになる。

 しかし、この二人が再会していないとしたら、〈最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉をどう捉えたらよいのか。この「僕ら」という一人称複数の代名詞は、やはり、「僕」と「僕」が思い続けていた人の二人を指すだろう。再会していない二人が「僕ら」となるのはどのような状況を想像したらよいだろうか。一つ可能性を示したい。

 「僕ら」は同じ場所にいるのではなく、別々の場所で空を見上げている。つまり、「僕」はあくまでも一人で、空の花火を見上げている。「僕」が思い続けていた人、もうひとりの人物も別の場所にいる。「僕」とその人は別々の場にいるが、「最後の最後の花火」の時間に花火大会の会場という場を共有している。だから、僕とその人は「僕ら」と呼ばれ〈同じ空〉を見上げていると、「僕」は考える。〈同じ空〉という表現には、別々の場所にいるにもかかわらず同じものを見ているという含意も感じられる。

 また、〈同じ空を見上げている〉ということを〈よ〉という助詞を使って呼びかけていることにも注意したい。助詞〈よ〉は、話し手の判断・主張・感情などを強めて聞き手に呼びかけたり、訴えたりするときに付加する言葉だが、〈よ〉は話し手と聞き手の情報の不一致を前提として、話し手が聞き手の知らない情報や不充分である認識を伝えるという意味合いが込められることもある。「僕」の相手となる人は、「僕」と同じ場所にいるわけではないので、〈同じ空を見上げている〉という認識がないかもしれない。だからこそ、「僕」は〈よ〉を付けてその相手に呼びかける。この場合、この言葉は実際の発話ではなく、心の中の発話であるだろう。


 一つのストーリー、《僕らの花火》系列の2,3,4の間の空白をつなげる場面を想像してみたい。


最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ


最後の花火に今年もなったな 
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな


最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 「僕」は、〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と想い続けていた人を、偶然、見かける。その偶景によって、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉というフレーズが、〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉に転換される。しかし、「僕」は〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉と躊躇い、そのままその場を通り過ぎようとする。その一瞬に、「僕」の視線はその想い続けていた人に向けられる。「僕」とその人との間で、眼差しが交わされる。眼差しによる再会。

 「僕」はその場を通り過ぎた後、一人で「最後の最後の花火」を見ている。その人も別のところで〈同じ空〉の花火を見ている。「僕」とその人は離れてはいるが、花火大会の時と場を共有する「僕ら」となる。「僕ら」は何らかの想いを共有していると、「僕」は考える。そして、〈僕らは変わるかな〉と問いかける。

 「僕」にとって、〈僕ら〉も〈同じ空〉も二人が何かを共有していることを伝える表現である。共有というよりも《分有》という言葉を使う方が適切かもしれない。「僕ら」、「僕」という一人称単数ともう一人の一人称単数の存在は、別々の場にいるのだが、それでも、何か一つのものを分かち合っている。かけがえのないものを分有している。


 「僕」は一人であるかもしれないが、同時に、「僕ら」でもある。その意味において、「僕」は孤独ではない。「僕」は「僕ら」でもあるのだから。


 しかし、異なるストーリーも可能だろう。「僕」と僕が思い続けていた人が再会し、文字通りの「僕ら」となり、同じ空を見上げている。そのような展開も想像できる。その他の解釈もあるだろう。

 おそらく、志村正彦にとっても、「僕」と「僕ら」をめぐる物語は固定的なものとして捉えられていなかった。彼は試行錯誤して二つの曲を融合させてこの作品を作ったと述べている。2007年12月の両国国技館ライブのMCでは次のように発言している。

歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという。


 志村は同じ歌詞であるのに解釈が異なってくることを強調している。彼が言うように、「若者のすべて」は、一人ひとりの解釈を生成していく。ここで論じたように、「僕」と「僕ら」のどちらの観点をより重視していくかによっても解釈が分かれていく。そして、「僕」と「僕ら」の二つの観点をどう融合してかによって、「若者のすべて」の解釈がさらに多様になっていく。

 この歌を聴くすべての人にそれぞれの「若者のすべて」がある。その一つ一つが「若者のすべて」の〈すべて〉を形成している。


【付記】今回、「志村正彦ライナーノーツ(LN)」は300回を迎えた。2013年3月に第1回を書いた。当初は漠然とだが、300回を一つの目安にした。9年近くを要してその回数に到ったことになる。このエッセイの言葉で言えば、この偶景webが、「僕」のブログであり、同時に、「僕ら」のブログであることを目指して、今後も書き続けていきたい。

2021年12月12日日曜日

解釈の分岐点-「若者のすべて」23[志村正彦LN299]

 「若者のすべて」の歌詞自体の分析を再開したい。前回の《22》から2か月ぶりになる。

 「僕」と、「僕」が〈会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉と想い続けている人とが再会したのかどうかを前回で論じた。「若者のすべて」を物語として読むときに、二人の再会の有無が大きなテーマとなる。

 もう八年も前のことだが、2013年の夏、フジテレビの月9ドラマ『SUMMER NUDE』(脚本:金子茂樹)で、「若者のすべて」をモチーフとする場面が登場したことが話題になった。この第2話の回想シーンで、三厨朝日(山下智久)と一倉香澄(長澤まさみ)が海辺のカフェーにいる。「若者のすべて」がBGMで流れ、香澄はこの歌を口ずさみ、二人の話が始まる。鍵となる部分を色分けして引用しよう。


朝日:この歌好きなの?
香澄:うん、大好き、歌詞がちょー良くない?
朝日:うん、これってさあ、別れた男女の切ない歌だよね。
香澄:えっ、違うよ。
朝日:そうだって、別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えないっていう歌だよ。
香澄:その彼女と花火大会の日に偶然再会する歌だって。
朝日:いや違う、絶対間違ってるって。
香澄:ちゃんと聴いてないでしょ。
朝日:聴いてるよ、俺もこの歌ちょー好きだし。
香澄:最後までよく聴きなよ。まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てるから。
朝日:いや、再会なんかしてないでしょ
香澄:してるの、彼女は戻ってくるの


 「若者のすべて」の物語を〈別れた彼女と偶然の再会を期待して、思い出の花火大会に来たけど会えない〉とする三厨朝日と、〈その彼女と花火大会の日に偶然再会する〉〈まったく会えることを期待しなかった彼女に最後の最後に会って、一緒に花火を見てる〉とする一倉香澄との間で、解釈が対立している。二人は各々、「若者のすべて」の歌詞から自分の想像する物語を読みとる。当然だが、どちらも成り立つ。むしろ、二人の各々の解釈が二人のその後にどう影響するのかということの方が『SUMMER NUDE』の重要な鍵となる。

  二人の解釈の分岐点は、《僕らの花火》系列の3と4のあいだの空白に何を読みとるのかということに帰着する。


  3
 最後の花火に今年もなったな 
 何年経っても思い出してしまうな
 ないかな ないよな なんてね 思ってた
 まいったな まいったな 話すことに迷うな


  4
 最後の最後の花火が終わったら
 僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 香澄の解釈は、彼女と〈花火大会の日に偶然再会する〉ことから〈一緒に花火を見てる〉ことへと接続していく。二段階でこの物語を捉えている。そして、〈彼女は戻ってくる〉ということを強調している。それに対して、朝日の方は二人が〈一緒に花火を見てる〉に相当する場面への言及がない。〈思い出の花火大会に来たけど会えない〉ということだけを語っている。香澄の解釈に比べると、一段階の物語となる。この段階の違いが解釈の分かれ道になっている。香澄と朝日各々の恋愛についての考え方にも起因しているだろう。

 この解釈の差異は結局、〈僕〉と〈僕ら〉、〈僕の歩行〉と〈僕らの花火〉の系列の間の空白部をどうつなげるかに帰着する。

   (この項続く)


2021年12月5日日曜日

「若者のすべて」の共演-「MUSIC BLOOD」[志村正彦LN298]

  12月3日放送の日本テレビ「MUSIC BLOOD」(MC:田中圭・千葉雄大)を見た。

 毎週1組のアーティストを迎え、衝撃的な音楽との出会いから始まった音楽人生や今も血液として自分に流れる原体験を〈MUSIC BLOOD〉として語り、自らの〈BLOOD SONG〉となった曲を演奏する番組である。

 冒頭で、志村の「一番の目標はその名盤を創るじゃないですけど、揺るがない作品を創りたいってのが」という発言が紹介された。志村についての簡潔な説明の後で、フジファブリック現メンバーの山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一が登場し、彼らの〈MUSIC BLOOD〉は志村正彦だと語った。

 志村について語るのは勇気が要るのではというMCの問いかけ対して、山内は「(あの)メンバーが志村君のことを話すというのは、その言葉によっては(やっぱ)誤解を産んでしまうという、(こう)おそれもやっぱりあるのはあるんですけど、やはり彼のことを伝えたいという、まだまだ知ってもらいたいと思ったので今日は話したいなと思いました」と答えた。山内、金澤、加藤の三人が志村が亡くなった時のことについても話した。彼らの志村への想いは伝わってきた。沈んだ声と瞳が印象的だった。三人の言葉をここに引用するのは控えたい。この番組はTVerやhuluでまだ視聴できる。

 この日は、「若者のすべて」(作詞:志村正彦 作曲:志村正彦)が〈BLOOD SONG〉になり、志村の声、現メンバー、志村の母校山梨県立吉田高等学校の音楽部による共演で演奏されると予告されたので、そのことに一番関心があった。番組の中頃で「志村の歌声とメンバーの演奏そして母校の若者たちの歌声」というナレーションと共に共演が始まった。メンバーと吉田高校生の背後に、「若者のすべて」MVが流れ、志村正彦が映し出された。記録のために、共演の箇所を下記に示したい。


若者のすべて (作詞:志村正彦 作曲:志村正彦)



〈志村の声〉

夏のピークが去った 天気予報士がテレビで言ってた
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている

夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて


〈志村の声+金澤・山口のコーラス〉

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

〈志村の声+金澤・山口のコーラス+吉田高校音楽部のコーラス〉

すりむいたまま 僕はそっと歩き出して

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 吉田高校のコーラスは女子8人男子2人で編成されていた。「僕はそっと歩き出して」と「僕らは変わるかな」の一人称の単数と複数の代名詞、〈僕〉と〈僕ら〉に、志村正彦のやわらかい優しい声と高校生の若々しく綺麗な声が美しく重なりあう。「若者のすべて」の〈全て〉が多層的に響きあっていた。

 しかし、上記の記載で分かるように、2番目のすべてと、3番目の一部が省略されていた。特に、3番目のパートの〈ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉はこの展開からすると吉田高校の生徒のコーラスが入る部分だろうが、それを聴くことができなかったのがきわめて残念だった。

 純粋な言葉の音の響きからすると、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉のコーラスが最も魅力的な部分となる。放送の時間の都合なのだろうが、この部分の吉田高校生のコーラスが省かれたのは疑問である。せっかく母校の高校生が共演するという貴重な機会を尊重するのなら、フルヴァージョンで収録し放送すべきだろう。「若者のすべて」の〈すべて〉が損なわれてしまうとも言える。

 最後に、書かざるをえないことを正直に記したい。

 志村正彦・フジファブリックの聴き手の一人としては、このような番組は基本として嬉しいものがある。しかし、この番組は〈衝撃的な音楽との出会い〉〈今も血液として自分に流れる原体験〉という観点から構成されているので、どうしてもある種の物語が必要とされる。そのことがかなり気になった。

 〈名曲を残し、若くして亡くなった天才〉という〈天才志村正彦の物語〉。そして、〈志村没後、もがき苦しみながら活動を続けた〉という〈苦悩と葛藤のバンドの物語〉。そのような捉え方や過程が実際にあったとしても、それが物語として語られることに、そして共有されることに、疑問がある。そうではない、という違和感を持つ。

 志村正彦の人生は物語ではない。

 揺るがない作品を創ることが一番の目標だと志村は語っていた。「若者のすべて」の〈僕〉は、そっと歩き出す。〈僕〉はなんでもない一人の若者である。その歩みは物語ではない。物語ではないからこそ、歌が生まれる。歌という作品が創造される。


2021年11月21日日曜日

志村正彦の母校での講義 [志村正彦LN297]

 先週、志村正彦の母校の山梨県立吉田高等学校で、志村正彦の歌詞についての出張講義を行ってきた。担当の先生から山梨英和大学に直接の依頼があった(ロックの歌詞に関する私の講義を聴いた吉田高校出身の学生が、その内容を母校の先生に話してくれたことがきっかけになったそうである)。志村の母校からの依頼はとても嬉しかった。光栄でもある。そもそもフジファブリックは高校時代のバンドが元になっている。この高校での出会いや様々な経験は、志村正彦という人間の形成にとって重要なものとなった。

 この講義は、1学年の総合的な探究の時間「富士山学Ⅰ」、スポーツ・観光・国際・芸術文化・街づくり・防災の6分野の講座のうちの一つだった。今年度のテーマは「地域を知ろう!」。担当の先生の教科が音楽であり、芸術文化の分野だったことことから、富士吉田出身、吉田高校の卒業生である志村正彦がテーマとして選ばれた。

 担当の先生とメールや電話で打ち合わせをした。「若者のすべて」教科書採用の話題で盛り上がった。合唱部も指導していて、「若者のすべて」の四部合唱もすでに試みたそうである。来年度からの吉田高校の音楽の授業では、「若者のすべて」が重要な教材になることは間違いない。吉田高校でも志村正彦の知名度が上がり、関心が高くなっている。放送部でも志村に関する番組を制作したそうである。音楽の授業で「若者のすべて」を歌い奏でる。部活動で志村正彦を探究していく。吉田高校の今後の活動がとても楽しみである。

 当初はオンライン遠隔授業の予定だったが、山梨県ではコロナ感染者も激減していたので(最近は感染者ゼロが続いている)、高校での対面授業に変更することができた。せっかくの機会なので、私も担当の先生も対面の方が良いと判断した。

 生徒の事前アンケートが送られてきて、志村正彦の存在は知ってるが、その作品はあまり聴いたことがないということが分かった。昨年、山梨県内では、「若者のすべて」が「STAY HOME」のCMで繰り返し流されていたので、この曲は知っているようだった。この高校は進学校であり、富士吉田市以外の市町村からも入学してくる。そのような事情も影響しているかもしれない。

 今回の講義では、音楽の教材となる「若者のすべて」と共に、「富士山学」の「地域を知ろう!」というテーマから、富士北麓地域の風景や季節感とのつながりが深い四季盤の作品、「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」も取り上げることにした。「志村正彦・フジファブリック-四季盤と「若者のすべて」の歌詞を読む-」というテーマを設定して、特に四季盤については新たにSLIDE資料32枚を作成した。授業時間は45分と短いので、その全てを講義することはできない。講義では要点を話し、SLIDEは印刷資料やpdfにして配付するように計画した。そのSLIDEの一枚を紹介したい。(ABCという記号は三項から成る構造の各要素を示している)



 四季盤の春夏秋冬は、〈桜→陽炎→金木犀→銀河〉と変化していく。その季節の舞台となっている場は、〈坂の下→路地裏→帰り道→丘〉と移動していく。志村は具体的な地名や場所を記してはいないが、富士吉田がその場としてあるいは原風景としてイメージされていることは確かであろう。今回、四季盤の曲を繰り返し聴いていくうちに、富士吉田という場の中で四季の変化と具体的な場所の移動が循環しているように感じた。そのような時と場の循環のなかで、歌の主体(僕)は、言葉では伝えることのできない想いを抱えている。そのような観点に基づいてSLIDE資料を構成した。「桜の季節」「陽炎」「赤黄色の金木犀」「銀河」の四つの作品の構造を個別に分析する資料を作成した。

 当日は甲府から車で吉田に向かった。あいにく富士山は雲に隠れていた。吉田高校は二十年ほど前に校舎が新築された。この校舎に入るのは初めてだった。その前の旧校舎で志村は学んでいた。三十年ほど前、僕の友人が吉田高校に勤めていたときに、旧校舎に一度だけ行ったことがある。そんなことも思い出した。

 受付を済ませ待機していると生徒が迎えに来てくれた。1年生の教室は四階にあった。廊下の窓から周辺の山々が見えた。ところどころ紅葉していて美しい。教室に入ると生徒でいっぱいだった。コロナ禍での外部講師による出張講義ということもあり、生徒はやや緊張している様子だ。教室の後に数名の先生もいらしたのでこちらも少し緊張する。

 プロジェクターでSLIDEを投映しながら、〈志村正彦は富士吉田の坂の下や路地裏や丘を繰り返し歩いたのだろう。帰り道は高校から自宅までの道のりかもしれない。そして、春に桜を見て、夏は陽炎が揺れ、秋の金木犀の香りに包まれ、冬は銀河のきらめく星を眺める。季節の移ろう中で歌の主体(僕)は、誰か大切な人に想いを伝えようとするのだが、言葉で伝えることは難しい。そのような高校時代の経験が四季盤の歌詞に反映されているのではないだろうか〉というように、生徒に直に語りかけた。

 いつも心がけていることだが、こういう講義の場合、私自身の歌の解釈を示すことは最小限にとどめている。歌詞を聴き、読む上で参考となる語り方の構造やモチーフの関係の分析と、作品についての志村の証言に限定している。歌の解釈は聴き手のものである。歌の意味は、歌い手と対話しながら、究極的には、一人ひとりの聴き手が作りだすものである。この講義は一つの参考資料にすぎない。生徒自身が志村正彦・フジファブリックの言葉と楽曲を経験して、その世界を味わって読みとってほしい。吉田高校の生徒にそのことを伝えたかった。

 吉田高校のHPの新着情報に、吉高フォトダイアリー(1学年総合的な探究の時間「富士山学Ⅰ」)という記事がUPされていた。当日のいろいろな分野の講義の写真が十数枚掲載されている。そのなかに、黒板に「ロックの詩人 志村正彦展」のポスターが小さくだがかすかに見えるものがある(SLIDEは文字と図が中心なので、このポスターを掲示していただいた)。ポスターの横で私が立っている。当日の雰囲気が伝わる大切な記念写真となった。

 2011年、当時勤めていた高校で志村正彦の歌詞の授業を始めた。ちょうど十年後に彼の母校で授業を行った。この間、勤務先の高校や大学でこのテーマの授業を続けてきた。今年はすでに三つの高校で出張講義をした。拙い講義を受講してくれた生徒・学生、そして高校・大学という場に感謝したい。あらためて十年という時の重みを想う。

 


2021年11月7日日曜日

〈消えないでよ 消えないでよ〉-「ペダル」と「自転車泥棒」[志村正彦LN296]

 2007年11月7日、「若者のすべて」「セレナーデ」「熊の惑星」の3曲を収録したフジファブリック10枚目のシングルCDがリリースされた。今日は14回目の誕生日。人間の成長に見立てれば「若者のすべて」も14歳になる。TEENAGERの真ん中の季節にたどりついた。

 「ペダル」を冒頭に置いたアルバム『TEENAGER』について、志村はこう述べている。(【フジファブリック】時間はかかってしまったけど 無駄なことはひとつもなかった OKMusic編集部    取材:岡本 明、2008年01月20日


中学生~?高校生のはちきれんばかりのパワーってあるじゃないですか。あの集中力に負けてはいけないと思ったんです。いろんなことを経験して、あの時とまったく同じことはできないけれど、これからも追い続けていくっていうことを象徴した曲が「TEENAGER」。アルバムもそうしたいと思ったんです。ロックをやる限り、永遠にロック少年でいたいという決意がありますから。26?27歳で少年というのもどうかと思いますけど(笑)、潔く言っちゃう。ジャケット写真は女の子がぶら下っていて、顔も引きつってる。それがロック。ロックの定義は重力に逆らうことなんです。丸くならないで尖っていたい、逆らい続けることがロックですから!


 同様のことが、『東京、音楽、ロックンロール』(志村日記)の「ジャケ深読み」(2008.01.25)にも書かれている。『TEENAGER』は、中学生から高校生そして大学生くらいまでの十代の若者、そして〈逆らい続けるロック〉をテーマとするコンセプトアルバムだと捉えられる。「ペダル」から最後の「TEENAGER」まで、歌詞の言葉にもゆるやかなつながりがある。志村は確固たるコンセプトを持ってこのアルバムを制作したのだろう。

 「ペダル」は、ユニコーンの「自転車泥棒」(作詞・作曲:手島いさむ)からの影響があると言われてきた。今回はその点について少し考察したい。まず「自転車泥棒」の歌詞を引用したい。


遠い昔 ふた月前の夏の日に
坂道を 滑り降りてく二人乗り
ずっとふざけたままで

手を離しても 一人で上手に乗れてた
いつのまにか 一人で上手に乗れてた

髪を切りすぎた君は 僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の 君は自転車泥棒

白い帽子 陽炎の中で揺れてる
いつのまにか 彼女は大人になってた

本気で追いかけたけど 僕は置いてけぼりさ
お気に入りの自転車は そのまま君のもの

髪を切りすぎた君は 僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしてる しかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の 君は自転車泥棒


 冒頭で〈遠い昔〉〈ふた月前の夏の日〉という二つの時が設定されている。この二つの時間の関係が読みとりにくいが、〈遠い昔〉という大きな枠組の中で、その昔のある現在時から〈ふた月前の夏の日〉という時、小さな枠組が設定されていると、とりあえず考えてみたい。その〈ふた月前の夏の日〉に、〈坂道を 滑り降りてく二人乗り〉の自転車に、〈僕〉と〈君〉が乗っていたのだろう。二人はおそらく十代の若者。しかし、その〈君〉は自転車泥棒のように〈僕〉から去って行く。〈いつのまにか 彼女は大人になってた〉とあり、まだ大人になりきれない〈僕〉とすでに大人になっていった〈彼女〉との擦れちがいを読みとれる。ここで〈君〉という二人称ではなく〈彼女〉という三人称になっていることに注目したい。その出来事を客観的に見つめる視線がある。この言葉は、作者がこの歌を作った現在の時点から語られているのだろう。十代の男女には、大人になるための時の進み方の差がある。〈本気で追いかけたけど 僕は置いてけぼりさ〉とあるように、たいていは男の方が置き去りにされる。作者はその時の光景を〈白い帽子 陽炎の中で揺れてる〉と描写し、回想している。〈自転車泥棒〉とは、投げやりで激しくもある言葉だが、やるせない切ない言葉でもある。突然、泥棒に奪われてしまうかのように、〈坂道を 滑り降りてく二人乗り〉の〈僕〉の大切な出来事が消えていく。二人の〈お気に入りの自転車は そのまま君のもの〉になってしまう。


 次に、「ペダル」(作詞・作曲:志村正彦)の歌詞を引用する。


だいだい色 そしてピンク 咲いている花が
まぶしいと感じるなんて しょうがないのかい?

平凡な日々にもちょっと好感を持って
毎回の景色にだって 愛着が湧いた

あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ

上空に線を描いた飛行機雲が
僕が向かう方向と垂直になった
だんだんと線がかすんで曲線になった

何軒か隣の犬が僕を見つけて
すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり

あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ
駆け出した自転車は いつまでも 追いつけないよ

そういえばいつか語ってくれた話の
続きはこの間 人から聞いてしまったよ


 作品の全体としては、手島いさむの「自転車泥棒」と志村正彦の「ペダル」はそれぞれ固有の世界を表現している。明確な影響の関係はない。ただし、〈自転車〉とそれに関わる〈坂道〉〈滑り降りてく〉〈追いかけた〉という一連のモチーフが、潜在的な次元として何らかの影響を与えているかもしれない。むしろ、〈白い帽子 陽炎の中で揺れてる〉の表現が、別の曲ではあるが、あの「陽炎」(シングルおよび1stアルバム『フジファブリック』収録曲)の〈陽炎は揺れてる〉につながる。志村正彦は奥田民生から決定的な影響を受けたことを何度も語っているが、ユニコーンの他のメンバーによる作品からも影響を受けていると考えてもよいだろう。

 歌詞には、トポス(topos)としての言葉、定型的表現が多く含まれる。トポスは《場所》を意味するギリシア語由来の言葉。主題や論題のことだが、月並みな表現という意味もある。和歌の歌枕もある意味ではトポスである。季語にもトポスの性格がある。

 〈陽炎〉を一つのトポスとして捉えてみよう。日本語のロックやポップスの枠内で探しても、はっぴいえんど「花いちもんめ」(作詞:松本隆・作曲:鈴木茂)の〈おしゃれな風は花びらひらひら/陽炎の街/まるで花ばたけ〉、荒井由実「ひこうき雲」(作詞・作曲:荒井由実)の〈白い坂道が 空まで続いていた/ゆらゆらかげろうが あの子を包む〉などたくさん挙げることができる。〈陽炎〉は曖昧で不安な心象のトポスである。「自転車泥棒」の他の言葉では、〈坂道〉〈髪〉〈自転車〉〈帽子〉もトポスの言葉であり、数限りない用例がある。そのようなトポスとしての言葉をどのように表現するか。表現者が最も苦心するところだ。

 「自転車泥棒」は、〈坂道〉〈髪〉〈自転車〉〈帽子〉というようなトポスを歌詞の基盤に置いているが、〈遠い昔〉〈ふた月前の夏の日〉の二つの時間の設定、〈君〉〈彼女〉という人称の工夫や視点の転換によって、ロックの歌が陥りがちな定型性を免れている。優れた歌だと言えよう。〈自転車泥棒〉は苦いユーモアも含まれる巧みな比喩だが、結局、その比喩に〈僕〉の想いは回収される。〈僕〉と〈君〉の世界はそこにそのまま閉じられていく。

 「ペダル」も、〈僕〉と《君》(歌詞で明示されていないので《》を付す)の世界が根底にある。〈毎回の景色〉、〈花〉〈飛行機雲〉〈自転車〉などの《見えるもの》のなかで、《君》は歌詞の中の言葉としては登場しない。しかし、《君》という二人称は《見えないもの》として「ペダル」の世界に存在している。志村は《見えないもの》として描き出すことを意図したのではないだろうか。《見えるもの》のなかで《姿》としては描かれないものがほんとうに見たいものであり、《見えるもの》を通して《見えないもの》が浮かび上がってくる、というように。その《見えないもの》は《消えてしまうかもしれないもの》あるいは《消えてしまったもの》でもある。そして、それが〈消えないでよ 消えないでよ〉の対象となる。「自転車泥棒」とは異なり、〈僕〉と《君》の世界が過去の世界に閉じられることはない。〈駆け出した自転車は いつまでも 追いつけないよ〉というように、〈僕〉の想像力はいつまでもどこまでも追いつこうとしている。 〈消えないでよ〉と追い求めている。この想像力、繊細なものの見方、対象の多層的な現れ方が、作者志村正彦の個性である。トポスとしての言葉を独創的な表現へと変換している。

 最後の間奏の後の部分、手紙の「追伸」にあたるところの〈そういえばいつか語ってくれた話の/続きはこの間 人から聞いてしまったよ〉では、歌の主体である一人称の〈僕〉、〈いつか語ってくれた話〉を〈僕〉に話した二人称の存在(この人が《君》なのだろう)、〈僕〉がその話の〈続き〉を〈この間〉〈聞いてしまった〉当人である三人称の〈人〉、という三人の人間が関係している。ここにも複雑な人間の関係と場面の設定がある。志村正彦ならではの追伸だ。〈いつか語ってくれた話の/続き〉は〈消えないでよ〉と思わずにはいられない話だったのかもしれない。


 今回「ペダル」を聴き直す中で、〈消えないでよ〉は、アルバム『TEENAGER』全体を通したキーワードだと考えるようになった。冒頭に紹介した志村のコメントを受けとめるならば、まず第一に〈TEENAGER〉の世界そのものが〈消えないでよ〉の対象だが、〈逆らい続ける〉ロックもまた〈消えないでよ〉の対象だろう。アルバム全体という枠組ではなく、個々の作品、たとえば「若者のすべて」にも〈消えないでよ〉というキーワードが共鳴している。「最後の最後の花火」は消えてしまうものではあるが、〈消えないでよ〉と思い続ける光、その残像でもある。

 アルバム『TEENAGER』2曲目の「記念写真」には、〈記念の写真 撮って 僕らは さよなら/忘れられたなら その時はまた会える〉というユニコーンの「すばらしい日々」(作詞・作曲:奥田民生)を想わせるフレーズがあり、〈消えてしまう前に 心に詰め込んだ〉という一節がある。〈消えないでよ〉を反転させる〈消えてしまう〉というモチーフが歌われている。「若者のすべて」のカップリング、B面曲「セレナーデ」はアルバム『TEENAGER』には収録されなかったが、この時期のきわめて優れた作品である。歌詞の最後はこう結ばれる。


そろそろ 行かなきゃな お別れのセレナーデ
消えても 元通りになるだけなんだよ


 「セレナーデ」では、〈僕〉が〈君〉に〈消えても 元通りになるだけなんだよ〉と呼びかけるのだが、それはそのまま〈消えないでよ〉という言葉をこだまのように反響させる。そして、聴き手は〈消えないでよ〉を召喚するだろう。


2021年10月31日日曜日

富士吉田を歩く、2021ハタフェス・黒板当番さんの絵・「ペダル」[志村正彦LN295]

 昨日10月30日、大学の担当授業「山梨学Ⅱ」で地域活性化の先進的な試みを実際に見て学ぶために、受講学生20名とバスに乗って、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。一昨年は台風、昨年はコロナ禍で中止となったので、2018年以来の三年ぶりの開催だった。ハタオリマチフェスティバル、通称「ハタフェス」は、山梨県富士吉田市の街の中で開催する秋祭り。二日間、小室浅間神社と本町通り沿いの各会場で、山梨のハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりするマチフェスである。

 10時頃、駐車場の富士吉田市役所に到着。2020年12月にリニューアルされた庁舎の壁画を初めて見る。ハタフェスのデザイン画も描いているテキスタイルデザイナーの鈴木マサルさんの作品。配色が素晴らしい。ポップでロックだ。この絵がハタフェスの招待状(招待画?)になっていた。



 僕、アシスタント学生2名、受講学生20名の一行二十数名がぞろぞろと街を歩き始めた。担任に率いられた遠足のような集団で少し気恥ずかしくもあったが、この日は快晴で、ところどころ紅葉も進み、富士山も美しく、歩くのは清々しかった。コロナ禍でこのような外出の機会も少ない学生にとっては貴重な時間となった。

 全員で歩き、入り口の会場で検温検査をしてシールや資料をもらい、本町通り沿いの各会場を確認しながら、メイン会場の小室浅間神社に到着。すでにたくさんの人が集い、活気がある。〈おかえりハタフェス〉といった感じだ。この授業では昨年も一昨年も見学する計画だったのだが、中止となってしまった。ようやく実現できてほんとうに良かった。(主催者や協力者の方々に感謝を申し上げます)

 三つにグループを分けて記念写真を撮った。グループ別に見学し、その後三時間ほど各自のテーマによる自由見学という流れにした。僕もこの自由見学の時間に久しぶりに富士吉田の街を歩くことにした。小室浅間神社近くの志村正彦ゆかりの場所へと向かう。何年ぶりのことだろうか。小さなコートで子供たちがサッカーの指導を受けていた。「記念写真」の一節がメロディーと共に浮かんでくる。〈ちっちゃな野球少年〉ではなく〈ちっちゃなサッカー少年〉がボールを追いかけていた。

 それから会場の一つ「FUJIHIMURO」に行った。その後、本町通り沿いに各会場を回った。ところどころで路地に入り、回り道をしてひたすら歩く。この際、ハタフェスと富士吉田の街を歩くことを堪能しようとした。途中で学生たちと何度か出会った。最近開店したカフェの店主にインタビューしている学生もいた。スライド作成のための取材だ。頼もしい。この後、各自が作ったスライドの発表会が予定されている。この授業「山梨学Ⅱ」の最終課題は、自分が自分の街のフェスティバルや活性化のための具体策を計画して提案するというものだ。ハタフェスの先進事例として学んだ上で、自分自身が主体的に考えていくことを重視している。

 僕は会場の一つ富国生命ガレージで黒板当番さんのミニギャラリーを見た。以前から黒板当番さんのTwitterで作品を拝見していたのだが、二週間ほど前、仕事の関係でお会いした人が黒板当番さんご本人だということをたまたま知った。黒板当番さんも偶景webを読んでいただいているようで、話をしている内に、僕が偶景webの主宰者だと分かったようだ。結局、お互いに「あなたでしたか」ということになった。山梨は、いや世界は(とあえて言おう)、狭いのである。

 ハタフェスで彼の作品が展示されることを知ってから、この日を愉しみにしていた。ミニギャラリーにはインクジェットプリンターで印刷した60枚のミニ黒板が並べられていた。志村正彦をテーマとする12枚の絵もあった。小さなものには小さなものゆえの存在感がある。

 この後、ネットで見た『ペダル』が展示されている富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル MILL SHOP」に向かった。本町通りは車では何度も通ったことがあるか、長い距離を歩くのは初めてだ。上り道がずっと続く。この日は快晴ゆえに日差しも強かったので、思っていたよりも暑い。寒さを予想して厚着だったので余計にこたえた。

 富士山駅に到着。駅ビル1階のMILL SHOPへ。ハタオリ紹介番組を流すモニターの横に『ペダル』の黒板。椅子に腰かけてしばらくの間眺める。チョークアートの技法はまったく分からないが、チョークのチョークたる所以である、何というのだろう、あの筆触が活かされている。チョークが黒板に接触する際に、チョークの粉がかすれ、消えていく感触が残っている。黒板当番さんの絵が素敵なのは、この擦れて消えていくものが幾重にも重ねられていくところにあるのだろう。擦れて消えていくものは、志村正彦が繰り返し歌ったモチーフでもある。

 『ペダル』の絵は主に、上側に志村正彦、下側に犬の二つのオブジェで構成されている。(黒板当番さんに快諾していただいたので、画像を添付したい)



 歌詞では〈何軒か隣の犬が僕を見つけて/すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり〉というように犬が登場する。絵の中の犬は微笑むようにして、〈僕〉を見ている。とても可愛い。その上に描かれている志村は〈ちょっと面倒〉そうに横を向いているが、内心はどうなのだろうか。この絵には他に、富士吉田の街並、空、飛行機雲の線、だいだい色とピンクの花、角を示すミラー、昭和風の喫茶店、スニーカーを履いて歩く〈僕〉の足下と、『ペダル』の世界が忠実に反映されているのだが、女子高校生らしい人物が自転車を漕ぐ後ろ姿が目を引く。歌詞の中ではこのような像としてはっきりと描かれてはいないが、黒板当番さんはおそらく、〈あの角を曲がっても 消えないでよ 消えないでよ〉と歌われる〈消えないで〉の対象を自転車に乗る女子高校生だと解釈したのだろう。これは卓見である。絵を描く人の想像力がなせる技でもある。黒板画のマチエールそのものもこの題材に適している。(この部分を拡大した画像も添付させていただく)

 白色の花と白色のブラウスが溶け合っていく。自転車を漕ぐ彼女はどこに向かっているのだろうか。彼女の眼差しの向こうには何があるのだろうか。




 もう八年ほど前になるが、〈『ペダル』1「消えないでよ」(志村正彦LN12)〉で次のように書いた。    

 「消えないでよ」という謎めいた表現がいきなり登場する。いったい何が「消えないで」なのか、分からない。「あの角」も具体的な像が浮かばない。通常の流れを考えると、「まぶしいと感じる」「だいだい色 そしてピンク 咲いている花」が「消えないで」ほしい対象と考えられるが、「花」に限定しまっていいのか、心もとない。あるいは隠喩と考えるのなら、「虹」のようなものか、あるいは「平凡な日々」や「毎回の景色」という出来事や風景、そこにうつりゆくものなのか、あるいはそれらの対象をすべて包み込むような何かなのか。

 聴き手がそれを絞りきれないまま、「消えないで」ほしい対象への「僕」の強い想い、その対象に対する呼びかけとそのリフレインが、聴き手の心にこだましてくる。分からないままに、「消えないでよ」という言葉そのものが「リアルなもの」として響いてくる。「消えないで」と願う対象をあえて明示しないことが、歌詞の中の空白部をつくり、聴き手の想像を広げるような作用をしている、とひとまずは言えるだろうか。

 続く〈『ペダル』2「僕が向かう方向」(志村正彦LN13)〉ではこのように展開した。

  「僕」が歩いているとすると、「駆け出した自転車」に「追いつけない」のは「僕」だという解釈も成り立つ。誰かが漕いで「駆け出した自転車」を僕は歩いて追うが、「いつまでも追いつけない」という状況だ。そうなると、「僕」が「消えないでよ」と願う対象はこの「自転車」だとも考えられる。しかしあくまでも、「僕」が「自転車」に乗っていると考える場合は、「僕」が「いつまでも追いつけない」対象は、「消えないでよ」と願う対象と文脈上同一のものになるだろう。

 この第二ブロックの場合、最初に現れた「飛行機雲」が「消えないで」の対象とすることもできる。現実的にも、「飛行機雲」はごく短い時間の移動では消えないが、やがて消えてしまう自然の現象である。第一ブロックの「花」も、より長い時間の間隔ではあるが、その色の輝きがやがて失せてしまうものである。そう考えると、歌詞の展開通り、「花」や「飛行機雲」が「消えないでよ」と願う対象にあげられてよいのだろうが、それだけに限定するのはこの歌の世界の広がりや漂う感覚にそぐわない気がする。やはり「消えないでよ」の対象はより抽象的に把握したほうがよいのではないだろうか。


 以前の考察でも〈消えないでよ〉の対象として〈自転車〉を挙げてはいるのだが、そこで終わってしまっている。誰が自転車に乗っているのかという想像することはできなかった。このときは、〈やはり「消えないでよ」の対象はより抽象的に把握したほうがよいのではないだろうか〉と考えて、具体的なものを追究することを避けたのだろう。

 それに対して、黒板当番さんは〈自転車を漕ぐ女子高校生の後ろ姿〉という具体的なイメージを描いている。この『ペダル』そしてアルバム『TEENAGER』全体、もっと広く言うのなら、志村正彦・フジファブリックの全作品を通じて、〈消えないでよ〉と歌われる存在がある。その具体像の一つとして、女子高校生もあげられる。実際にフジファブリックの「桜の季節」「赤黄色の金木犀」「銀河」などのミュージックビデオには、制服を着た女子高校生らしき女性が登場している。いくぶんかは不可思議で奇妙な雰囲気を伴って、ではあるが。黒板当番さんのこの図像からは、ティーンエイジャーらしい凜とした後ろ姿が漂ってくる。

 そもそも以前の考察では、〈花〉〈虹〉〈平凡な日々〉〈毎回の景色〉〈飛行機雲〉〈自転車〉、歌詞で歌われたすべての情景を〈消えないでよ〉の対象にしている。この対象を〈歌詞の中の空白部〉として捉えているからだろう。言葉で表現する場合、このように概念化したり抽象化したりすることがある。この種の概念化や抽象化はある種の逃げになることもある。(筆者もそのように逃げることがある、とここに書いておかねばならない)しかし、絵を描く場合は、具体像として(抽象的な像もあるだろうが)描出しなければならない。「ペダル」の黒板画を見て、文章と絵画の違いということも考えることになった。


 志村正彦は「ペダル」を歩行のリズムで作ったと述べたことがある。昨日、「ハタフェス」開催中の富士吉田の街を三時間ほど歩いた。若者を中心に沢山の人がハタフェスに集っていた。学生がメモを取りながら見学していた。機織の生地や製品がいたるところに並べられていた。秋の季節。快晴の青空。紅葉。綺麗な雪景色の富士山。富士山駅で黒板当番さんの「ペダル」の絵を見て、記憶の中の「ペダル」を再生した。帰りはなだらかな下り坂。下吉田の街とその向こう側の山々が見えた。歩きながら歌詞の一節を口ずさんだ。

 歩くことによって見えてくるものがある。
 その光景のすべてが〈消えないでよ〉、そう思わずにはいられなかった。


2021年10月24日日曜日

「若者のすべて」-「朝日新聞」と「Real Sound」の記事/『サブカル国語教育学』[志村正彦LN294]

 一昨日10月22日、「朝日新聞」山梨版の第2山梨面で、〈「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用〉という記事が掲載された。

 すでに、「朝日新聞」10月14日付夕刊の全国版(東京本社版・名古屋本社版・大阪本社版・西部本社版)社会総合(10面)に、〈「若者のすべて」何年経とうとも ロックバンド名曲 高校教科書に〉という記事が全体の三分の二ほどの紙面を割いて掲載された。しかし山梨版にはなかなか載らなかったので、全国版だけで終わるのかと残念に思っていたのだが、一週間ほど遅れてやっと紙面の記事となった。山梨版の方も第2山梨面の半分以上が使われていた。山梨の方にぜひ知ってほしいニュースなので、これは嬉しかった。

 やはりいまだに、新聞記事、特に地方では地元紙や全国紙の地方版の影響力は大きい。NHK甲府、山梨放送、テレビ山梨などの地元局でも報道されたので、山梨県民の多くが、富士吉田出身の志村正彦・フジファブリックの楽曲が高校の音楽教科書に採用されることを知ったことと思う。地方では郷土愛的なものが自然に共有されている。富士吉田出身の若者が創った作品が教科書に掲載されることは、素直に誇りに思うことだろう。高校に限って言えば、これまで山梨県出身の作家が教科書に掲載されたのは、おそらく、国語教科書に載った飯田蛇笏・飯田龍太の俳句だけであろう。

 朝日新聞のこの二つの記事には若干の違いがある。そもそも、この記事は10月14日の朝日新聞デジタル版に①が掲載され、その日のうちに①を少し短縮した記事②も掲載された。10月14日全国版の夕刊に載ったのは②である。ところが、10月22日付の山梨版に載ったのは①の方であった。

  フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…
           2021年10月14日 10時30分
「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に
           2021年10月14日 16時30分

 二つの記事はなかでも最後の部分が異なっているので、ここに引用する。

① 志村さんが亡くなって、この冬で12年。いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「この曲は多くの方々に愛されて、たくさんのアーティストが歌い継いでくださっています。フジファブリックが大切にしている『若者のすべて』が世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。作詞作曲を手掛けた志村君もきっと喜んでいることと思います」


② いまはボーカルとギターを担当する山内総一郎さんら3人で新作を発表し続けるフジファブリックは、取材に対して、こうコメントを寄せた。

 「世代を超えて、学生の方に知っていただける機会をいただきましたことに感謝いたします。そして、この曲がこれまで以上に皆様の心に届き、寄り添う曲となることを願っています。志村君もきっと喜んでいることと思います」

 おそらく紙面の字数の都合で、①の一部が省略されて②へと短縮されたのだろうが、コメント部分のニュアンスが若干違っているのが読みとれるだろう。


 タイトルの差異も興味深い。山梨版を③として並べてみよう。

① 【デジタル版】フジファブリックのあの名曲が教科書に 亡き志村君もきっと…

② 【デジタル版・全国版】「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に

③ 【山梨版】「若者のすべて」世代を超えて フジファブリックの名曲、高校教科書に採用

 〈フジファブリックのあの名曲〉〈「若者のすべて」…ロックバンド名曲〉〈「若者のすべて」…フジファブリックの名曲〉と変化している。①には曲名がなく、②はフジファブリックというバンド名がない。山梨版にはどちらも記されているのは、地元山梨での知名度を意識したのかもしれない。 


  「若者のすべて」音楽教科書採用の経緯については、「Real Sound」の〈米津玄師「Lemon」、フジファブリック「若者のすべて」なぜ高校教科書に採用? 版元編集者に聞くポップスの選定基準〉(文・取材=小林潤、取材協力・画像提供=教育芸術社 取締役・今井康人)という記事も注目される。「MOUSA 1」出版の教育芸術社の今井康人氏が、「若者のすべて」の掲載理由、ポップスの選定基準などについて語ったものである。このブログにも要点を記録しておきたいので、以下、引用させていただく。


高校生がポップスを学ぶ意義
世の中に出ていく高校生にとって、より身近なものを自らの音楽文化の一つとして取り込んでいく必要があるだろうということで、今社会に生きている音楽であるポップスを取り上げるケースが多いのです
掲載楽曲の選定基準
選定において重要なのは楽曲のパワーです。その楽曲が生き残っていく可能性がどれだけあるか、話題性に留まらず、音楽・詩そのものが持っている力がどれだけあるか、そういったものを見極めて選んでいます
企画や特集における工夫
『MOUSA1』で日本のポピュラーミュージックを年代で区切って特集する企画と関連付けて掲載しました。例えば1940年代『東京ブギウギ』、1960年代『見上げてごらん夜の星を』、1970年代『翼をください』、そして2000年代で『若者のすべて』、2010年代で『Lemon』というように、その時代を代表するような楽曲を選定したのです。
教科書制作における課題や難しさ
近年難しくなってきたのは今後掲載する楽曲が、10年、20年と残っていくような本当にいい楽曲なのか見極めることです。
授業が多様な音楽に触れるきっかけになれば
ネットが発達した今の社会では『好きなものしか聴かない』という状況に陥りがちです。しかし世の中にはいろいろな音楽があって、それらの価値に触れることも大切だと思います。例えばYouTubeなどで検索してみて聴いてみることを通して多様な音楽に触れていただきたい。そのきっかけ、窓口に音楽の授業がなってくれればいいなと思いますね


 今井康人氏は、〈楽曲のパワー〉〈その楽曲が生き残っていく可能性〉〈音楽・詩そのものが持っている力〉を強調されている。特に〈音楽・詩〉というように、〈音楽〉だけでなく〈詩〉もかなり意識していることが注目される。高校生が歌う可能性のある作品の場合、あたりまえのことではあるが、詩、歌詞も重要である。「若者のすべて」はその点でも極めて高い評価を得たようだ。

 また、ネット社会の発展で〈好きなものしか聴かない〉という状況が進むなかで、授業や教科書がいろいろな音楽の価値に触れるきっかけになればいいという想いは、教育に携わる筆者にとっても非常に共感できる。僕が高校や大学という場の国語や日本語表現という教育において、志村正彦・フジファブリックの歌詞についての授業の実践を続けてきたのは、生徒や学生が優れた作品を知る機会が意外に少ないという状況があったからでもある。ネットで音源、映像、情報は膨大にある。しかし、ほんとうに優れた作品を見出すことは難しい現実もある。そのような現実に対抗するものとして、学校教育の存在意義、教材選択の意味や価値は依然としてある、というのが僕のスタンスである。

 最近、『サブカル国語教育学 「楽しく、力のつく」境界線上の教材と授業』(町田守弘 編著、三省堂2021.9.10)というマンガ、映画・アニメ、音楽、ゲームなどのサブカルチャーを用いた国語科の教材や授業提案の書籍が出版された。その中に、永瀬恵子氏の〈現実と虚構の合間で手紙をしたためよう [教材名] 「桜の季節」〉という授業構想が発表されていた。このような新しい実践が生徒の表現や思考の能力を育成していくだろう。僕も以前、『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(大滝一登・幸田国広 編著、大修館書店2016.11.20)に、志村正彦・フジファブリックの「桜の季節」を教材の一つにした報告と論考『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』を書いたことがある。(永瀬氏にはこの拙論を参考文献として取り上げていただいた)

 音楽そして国語でも、志村正彦の作品が教材となる時代が到来している。


   

2021年10月13日水曜日

「若者のすべて」教科書採用の経緯 [志村正彦LN293]

 今回は、「若者のすべて」の再解釈からいったん離れるが、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が音楽の教科書に採用された経緯について書きたい。すでに5月に《高校音楽教科書の『若者のすべて』[志村正彦LN273]》という記事を書いたが、今日はその続報でもある。

 一昨日、10月11日(月)22:00-24:00の時間帯に放送されたJ-WAVEの「SONAR MUSIC」という音楽番組(ナビゲーター:あっこゴリラ)のテーマは、「教科書に載るポップミュージック」だった。

 番組webにはこう紹介されている。

フジファブリック「若者のすべて」が高校の音楽の教科書に載る
と言うニュースもありましたが
こうやって、ポップミュージックで学校の教科書載る音楽はどう言ったものなのか?選ばれるポイントは?その歴史は?
誰もが一度は通ってきた道「音楽の教科書」に注目!あなたの思い出の曲はなんですか?

 放送後にこの情報を知り、昨日、radikoのプレミアム会員に登録してタイムフリー機能で聴くことができた。もう一度聴こうとしたが、すでに今日の午前中に聴取期間は終了していた(ただし、地域その他の条件によって期間の違いがあるかもしれませんので、聴いてみたい場合にはご確認ください)。正確に内容を紹介したいところだが、すでに終了してしまったので、記憶している内容をこの場に再現したい。

 ゲストは、教育芸術社の呉羽弘人さん。 2022年度から使用される高校の音楽Ⅰの教科書、『MOUSA1』の編集者である。この番組では、ポップミュージックが音楽教科書に掲載された歴史から始まって、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」採用の経緯が詳細に語られた。

 視聴できなかった方のために、採用経緯を簡潔にまとめてみたい。


  • もともとはギターストロークが良い曲を探していた。同じ教科書の編集担当者が何曲かを候補として楽譜を見せてくれたが、「若者のすべて」だけは知らなかった。(ファンの人にはほんとうにお恥ずかしい。ビスコンティビスの同名の映画なら知っていたが)。自分で弾いてみたらなかなか面白いと思った。実際の曲を聴いてみたら、全体がとてもよくて、詞もすごくいい。ギターのストロークという感じではなく、それよりまるごと、なんて魅力的な曲なんだと思った。
  • 曲も詞も素晴らしいと思い、編集会議で検討してみることになった。編集委員の先生の中にはこの曲を知らない方もいたが、聴いてみるとすごくいい歌だという感想が多かった。10年単位で曲を採用する構想にもつながった。私も自分でもフジファブリックのCDを買うほどになった。


 もう一度聞き返すことが出来なかったので、正確な再現ではないが、話の要点はこのようなものだった。さらに、他の採用曲《翼をください》や《Lemon》と比較すると、知名度という点では低いかもしれないが、担当編集者がこの曲に魅了され、編集委員もこの曲を高く評価して、2000年代の代表曲として採択が決まったという話もあった。

 このニュースを知ったときに採用の理由や経緯に興味を持ったが、「SONAR MUSIC」によってその答えが得られた。筆者も国語教科書の編集協力をしたことがあるが、その経験から、教科書の質は担当編集者の見識や力量によるところが大きいと考えている。

 この教科書の説明資料から、10年代ごとの採用曲を作曲者名・作詞者名と共に挙げてみよう。

1940年代 《東京ブギウギ》      作詞:鈴木勝・作曲:服部良一
1960年代 《見上げてごらん夜の星を》 作詞:永六輔・作曲:いずみたく
1970年代 《翼をください》      作詞:山上路夫・作曲:村井邦彦
1980年代 《クリスマス・イブ》    作詞・作曲:山下達郎
1990年代 《負けないで》       作詞:坂井泉水・作曲:織田哲郎
2000年代 《若者のすべて》      作詞・作曲:志村正彦
2010年代 《Lemon》           作詞・作曲:米津玄師


 志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」は、その楽曲と歌詞の純粋な力によって、2000年代の代表曲として(おそらく、それ以上に長いスパンにおいて、時代を超える名曲として)、高校の音楽教科書に採用されたのである。あらためて感慨を覚える。


【追記10/14 12:30】

 本文を少し修正し追加したところ、採用経緯の記事のピークを迎えているようで、今日10/14の朝日新聞デジタルに〈「若者のすべて」、何年経とうとも ロックバンド名曲、高校教科書に〉という記事が掲載された(記者:斉藤佑介)。ここでは次のように書かれてある。

 歌唱曲として楽譜や歌詞、解説を載せるのは、教科書「MOUSA(ムーサ)1」(教育芸術社)。全国の高校で使われている教科書の一つだ。同社は今回、戦後から歌い継がれている歌曲を10年区切りで選んだ。
 00年代の曲として「若者のすべて」を推薦したのが、同社編集部の阿部美和子さんだ。一時の流行で廃れることなく、多感な時期にある高校生が長く歌い継げる曲はないか。4年に1度の改訂に向けて18年ごろから曲を探し始め、ネット検索などを通じてこの曲に出会った。
 現役の音楽教師や作曲家ら編集メンバー約10人も「曲も歌詞も、心の中にずっと残る」と全員一致で推した。このほか、1980年代「クリスマス・イブ」(山下達郎)、90年代「負けないで」(ZARD)、2010年代「Lemon」(米津玄師)などミリオンセラーの曲も選んだが、一番反響が大きかったのが「若者のすべて」だったという。
 阿部さんは「誰もが感情移入できる心象風景が描かれ、すでにたくさんの人が歌い継ぐ時代を超える曲だと思う」と語る。


 「SONAR MUSIC」の話と総合すると、阿部美和子さんがまず推薦して候補曲のリストに挙げ、呉羽弘人さんもとても気に入って、編集会議にかけることになったのだろう。〈「曲も歌詞も、心の中にずっと残る」と全員一致で推した〉〈一番反響が大きかった〉とあるのが嬉しい。〈曲も歌詞も〉すべてが素晴らしいところが、「若者のすべて」のすべてであるからだ。

2021年10月10日日曜日

《眼差し》だけの再会-「若者のすべて」22[志村正彦LN292]

 「若者のすべて」の〈僕らの花火〉の系列は、四つのブロックで構成されている。


1 最後の花火に今年もなったな
    何年経っても思い出してしまうな
  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ 

2 最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな
  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

3 最後の花火に今年もなったな 
      何年経っても思い出してしまうな
    ないかな ないよな なんてね 思ってた
      まいったな まいったな 話すことに迷うな

4   最後の最後の花火が終わったら
    僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ


 2013年に書いた〈「会ったら言えるかな」「話すことに迷うな」-『若者のすべて』6 (志村正彦LN 44)〉では、〈僕らの花火〉の系列について次のように考察している。 


  構成上、1と2は同一の繰り返しであり、3の前半部も1と2の前半部の反復である。しかし、3の後半部から、大きな展開が起こる。「最後の花火に今年もなったな 何年経っても思い出してしまうな」の三度目の反復、それを受けて「ないかな ないよな」の三度目の反復が同じように続く。しかし、続く言葉「なんてね 思ってた」によって、この「最後の花火」の物語は大きな転換を迎える。  
 「ないかな ないよな」は、「なんてね 思ってた」と受け止められることで、「ない」が反転し、「ある」こと、あるいは「いる」ことが立ち現れる。不在が現前へと変化するのだ。思いがけないことであったせいか、歌の主体「僕」は「まいったな まいったな」と戸惑う。聴き手の方も、いったい何が起こったのかと戸惑うが、続く「話すことに迷うな」によって、事態をおおむね理解する。どうやら、「僕」はいつのまにか、誰かとの再会というか予期しない遭遇が果たせたようなのだ。ただし、「話すこと」そのものが「僕」をまだ迷いの中に閉じこめる。
  この現実の遭遇は、「まぶた閉じて浮かべているよ」という夢想と円環をなしている。「まぶた」を閉じた「僕」は、「まぶた」の裏の幻の対象に対して、「会ったら言えるかな」と囁く。「まぶた」を開けた「僕」は、その眼差しの向こうの現実の対象に対して、「話すことに迷うな」と呟く。不在と現前、夢想と現実の響きが、『若者のすべて』の中で、美しい織物のように編み込まれている。


 この時の考察は、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉から〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉への変化を、不在から現前への転換というように捉えて、その現前を強調するものであった。そのように考えて、この〈どうやら、「僕」はいつのまにか、誰かとの再会というか予期しない遭遇が果たせたようなのだ〉という解釈を導いた。しかしこの時も、〈ただし、「話すこと」そのものが「僕」をまだ迷いの中に閉じこめる〉という但し書きを添えている。「僕」はまだ迷いの中にいるのだ。

 〈ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉の場面において、「僕」は少なくとも〈会ったら言えるかな〉と思い続けていた誰かを目撃した。〈まぶた閉じて浮かべているよ〉と繰り返されるように、この歌の中心には「僕」の《眼差し》があり、「僕」は何よりも《見る人》なのだ。観察者であり、時に幻視者でもある。

 そしてここからが解釈の分かれ道である。その誰かを目撃した後、「僕」はどうしたのだろうか。またその目撃の際に、僕がその誰かを見つめただけで終わってしまったのか、それともその誰かも僕を見つめ返したのか、ということもある。視線の交換があったのかどうかによって、解釈も異なるだろう。


 およそ三つの可能性があるだろう。

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かは「僕」の方を見てはいない。視線を交わし合うことはない。「僕」は〈話すことに迷う〉ままに、その場所から去ってしまう。

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かも「僕」を見る。視線は一瞬の間交わされる。「僕」は〈話すことに迷う〉ままに、その場所を通り過ぎてしまう。(しかしその遭遇の瞬間に、「僕」は《眼差し》だけで想いを伝え、相手の《眼差し》も返ってきたのかもしれない)

・「僕」はその誰かを目撃する。その誰かも「僕」を見る。視線は一瞬の間交わされる。そうして、「僕」はその誰かの方に歩いて行く。「僕」は〈話すことに迷う〉が、何らかの言葉をかけるのだろう。実際の再会が果たされる。


 予期しない遭遇は確かにあった。その遭遇が、《眼差し》だけの遭遇に終わったのか、実際の再会につながる遭遇になったのか。視線を交わし合うことの有無によって、前者はさらに二つに分かれる。それ以外の状況も想定できるかもしれない。

 以前の論考では、筆者は三つ目の解釈を取っていた。解釈には聴き手の想いや判断が込められている。つまり、「僕」とその誰かとが何らかの再会を果たしたという解釈には、そのような再会を果たしてほしいという聴き手の想いが投映されている。「僕」は誰かと再会し、その二人は「僕ら」となる。この「二人」が歌の現実において「僕ら」となるところに、「若者のすべて」の歩みの帰結がある。そして、〈最後の最後の花火が終わったら〉という仮定のもとに、〈僕らは変わるかな〉という想いが「僕ら」に共有される。〈同じ空を見上げているよ〉という二人の場と時の共有と共に。このような場面を想像した。そこには筆者の願いや望みもあったのだろう。

 また、〈「ない」が反転し、「ある」こと、あるいは「いる」ことが立ち現れる。不在が現前へと変化するのだ〉という論理を根拠としたことも影響している。不在から現前へ、「ない」ことから「ある」ことへの転換を強調していた。この現前は実際の再会につながると考えた。

 長い間、この再会についての解釈が変わることはなかった。しかし最近、それが変わってきた。二番目の捉え方がこの歌には合っているのではないか、そんな想いがある時ふと浮かんできた。実際の再会ではなく、眼差しも交わさずに通り過ぎるのでもなく、《眼差し》だけによる「僕ら」の再会。しかし、一瞬かもしれないが、その《眼差し》は「僕」の想いを相手に伝える。その瞬間、相手の《眼差し》から想いが返ってきたのかもしれない。言葉が交わされることのない再会。〈会ったら言えるかな〉という自らへの問いかけは、やはり、会っても言えない、言葉として伝えることはできない、という結果に終わる。〈話すことに迷うな〉という迷いは迷いのままに閉じられる。沈黙の再会がこの場面にはふさわしい。これは推論というよりも感覚のようなものだ。そして、この歌の最後の場面、その想像の場面も変化してきた。

      (この項続く)


2021年10月3日日曜日

成立過程と二つの系列-「若者のすべて」21[志村正彦LN291]

 十月に入り、一昨日あたりから金木犀の香りが漂ってきた。いつもの年より一週間ほど遅いが、「赤黄色の金木犀」の季節の到来だ。

 前回、「若者のすべて」について、〈「僕」は一人で「最後の最後の花火」を見ているのかもしれない。どちらかというとそのような解釈の方が「若者のすべて」全体の方向に合致しているではないとかと考え始めた。そのためにはこの前のフレーズ「ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな」から再検討しなければならない〉と記した。

 この「志村正彦ライナーノーツ」では、「若者のすべて」についてこれまで64回ほど書いてきたが、歌詞の構造やモチーフ、成立過程、基本的な解釈について考察する場合には、番号を付けて掲載してきた。その時期、回数、主な内容をまとめてみる。(2018年、題名に21~25回を付番した記事については、今回、その番号を外した。内容の整合性から判断した)

  • 2013年6月~10月、1~12回、歌詞の構造とモチーフの分析、二つの系列
  • 2014年9月、13~15回、「な」と「ない」の音の連鎖、声の響き。
  • 2015年9月~12月、16~20回、「諦め」の世代、三つの系列

 今回は歌詞の最後のフレーズについての解釈の再検討を行うので、番号を付けて論じていきたい。


 八年前の2013年6月に投稿した第1回〈ファブリックとしての『若者のすべて』-『若者のすべて』1 (志村正彦LN 34)では、この歌の成立過程と作品の構造について次のように考察している。


 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している印象を受ける。そのような印象を持ち続けていたのだが、今回、「若者のすべて」についての発言をたどりなおしたところ、『FAB BOOK』にある興味深いことが書かれていた。
 取材者は、『若者のすべて』が「Aメロとサビはもともとは別の曲としてあったもので、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体していったそうだ」という重要な事実を伝え、さらに「最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する」という経緯を説明した上で、志村正彦の次のコメントを載せている。


ちゃんと筋道を立てないと感動しないなって気づいたんですよね。いきなりサビにいってしまうことにセンチメンタルはないんです。僕はセンチメンタルになりたくて、この曲を作ったんですから。

 つまり、『若者のすべて』は、二つの異なる、「別の曲」、別の世界が(とはいっても、絶対的に異なる世界ではないのだろうが)「自然」に複合されて生まれた作品であるという、ある意味で、驚くべき、しかし感覚としては腑に落ちるような事実が明らかにされている。ものを創造するときに、ある二つの異なるものを複合させたり、複数のモチーフを合体させたりすることは、意外によくあることだろう。意識的な行為としても、無意識の次元での選択としても、あるいは単なる偶然の結果としても、むしろ普遍的なことである。
 志村正彦は、その上で、「筋道」を立て、「感動」に至る過程を練り上げ、「物語」を創造していった。
 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している。「フジファブリック」という名の「ファブリック」、「織物」という言葉を喩えとして表現してみるならば、『若者のすべて』の物語には、《歩行》の枠組みという「縦糸」に、「最後の花火」を中心とする幾つかのモチーフが「横糸」として織り込まれている、と言えよう。


 この「縦糸」と「横糸」を〈僕の歩行〉と〈僕らの花火〉という二つの系列に分けて、青色と赤色に色分けした図を示したい。


 志村正彦は、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、『若者のすべて』について重要な証言をしている。すでに引用して論じたことのある証言だが、あらためてその全体を引用したい。

最初は曲の構成が、サビ始まりだったんです。サビから始まってA→B→サビみたいな感じで、それがなんか、不自然だなあと思って。例えば、どんな物語にしてもそう、男女がいきなり“好きだー!”と言って始まるわけではなく、何かきっかけがあるから、物語が始まるわけで、同じクラスになったから、あの子と目が合うようになり、話せるようになって、やがて付き合えるようになった……みたいなね。でも、実は他に好きな子がいて……とか(笑)、そういう物語があるはずなのに、いきなりサビでドラマチックに始まるのが、リアルじゃなくてピンと来なかったんですよ。だからボツにしていたんだけど、しばらくして曲を見直したときに、サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいいと。しかも同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて。ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…


 〈サビ→A→B→サビ〉という当初の構成を〈A→B→サビ〉に変更したことは、先ほど引用した『FAB BOOK』の〈最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する〉という記述に符合する。

 さらにここで、志村が〈“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない! そう思って制作を再スタートさせて、精魂込めて作った曲なんだけど〉と語っているところに注目したい。特に、〈再スタート〉という言葉である。おそらく、「若者のすべて」の制作には中断の期間があった。志村は、“ないかな/ないよな”という言葉を鍵にして、楽曲を再構成し、歌詞を再検討して、制作を再スタートさせたという推論が成り立つ。

 『FAB BOOK』と「Talking Rock!」2008年2月号の証言をまとめると、要点は次の三つになる。

  • Aメロとサビは別の曲であり、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体した。
  • 〈サビ→A→B→サビ〉という展開を〈A→B→サビ〉という展開に再構成した。
  • “ないかな/ないよな”という言葉から膨らませる方向で制作を再スタートした。


 今回は、すでに論じてきたことを振り返りながら、「若者のすべて」の成立過程と二つの系列についてあらためて示した。この作品は楽曲と歌詞の再構成、制作の再スタートという過程を経たことによって、きわめて優れた音楽、詩的作品へと成長していった。次回からは、最後の場面の解釈を再検討していきたい。

      (この項続く)