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2013年5月29日水曜日

メレンゲ 『ビスケット』 (志村正彦LN 30)

  5月23日のメレンゲのセットリストは片寄明人が選んだそうだが、最後に『ミュージックシーン』収録の『ビスケット』が演奏された。顔を傾けたり揺らしたりして歌う、クボケンジ独特のスタイルで、「もっと遠くまで」と力強い声が響いた。
 結成から11年にわたりメレンゲの独創的なサウンドを創ってきた、タケシタツヨシのベースとヤマザキタケシのドラムによるリズムセクションのしなやかで強靱なビート、サポートメンバーである大村達身のギターと横山裕章のキーボードの繊細で粘り強い音色からなる演奏がクボの歌声とひとつになって、激しく柔らかく高揚していく。

 クボは『ミュージックシーン』のセルフライナーノートで、『ビスケット』について「オルガン的な音を入れたりしてフジを意識してみた」と書いている。サウンドの軽快な疾走感と、それに反するかのような陰影のある歌詞を持つ『ビスケット』は、特に『CHRONICLE』の頃の志村正彦、フジファブリックの世界に通じるものがある。
 『ミュージックシーン』収録曲には、「メリーゴーランド」「キンモクセイ」というように、志村正彦の歌詞の一節とのつながりや彼を連想するような言葉の断片もかなり含まれている。言葉として現れてこなくても、志村を想起させるような内容が少なくない。

 『ビスケット』の言葉には、直接、志村を感じさせるようなものはないが、冒頭の「もっと遠くまで もっと遠くまで 冷たくしないで かまって かまって かまって よね」という言葉の連なり、特に「かまって」の反復、「よね」という末尾の言い回しなどに、例えば、志村正彦の『バウムクーヘン』の「誰か僕の心の中を見て 見て 見て 見て 見て」やその他の歌とのつながりを感じてしまう。

 クボケンジは、2010年7月の「フジフジ富士Q」コンサートで、『バウムクーヘン』と『赤黄色の金木犀』を歌った。そのクボの姿を見て志村に似ていると感じた人が多かったと聞いている。クボはその時「当日は志村もいるつもりで行きます。僕が彼の言葉を背負って歌う事は出来ないのでフジファブリックを好きな人たちとみんなでカラオケするように楽しめたら良いのかなって今は考えています」というコメントを寄せている。

 『ビスケット』には次の一節がある。

    ポケットには 一人分 
    叩いて 二人分 
    粉々になる 
    黙って 困って 黙って

 この一節は、誰もが感じるように、まど・みちお作詞の『ふしぎなポケット』、あの有名な童謡から着想を得たものであろう。

  ポケットの なかには ビスケットが ひとつ
  ポケットを たたくと ビスケットは ふたつ
  (中略)
  そんな ふしぎな ポケットが ほしい
  そんな ふしぎな ポケットが ほしい

 「ふしぎなポケット」、たたくとビスケットの枚数が増えていくポケット。一つのものが二つ三つと増殖していくという不可能な出来事。「そんなふしぎなポケットがほしい」という欲望は、現実にはありえない夢、というよりも、夢の中でしか実現できないような不可能な欲望だと言えよう。精神分析の理論では、夢の本質は願望の充足だと考える。子どもだけでなく大人もまた、対象はどのようなものであれ、その対象の増殖への純粋な願望を夢の中で実現させ、願望を充足させる。意図したものではないかもしれないが、まどみちおはそのような欲望を描いている。

 それに対して、クボケンジの『ビスケット』では、「一人分 叩いて 二人分」になったが「粉々になる」。クボケンジのポケットは、まどみちおのポケットが反転されたものである。欲望の充足は損なわれ、夢が砕けてしまったかのように、ビスケットは粉々になる。「一人分」が「二人分」になることは永遠に不可能となる。その事態に直面した歌の主体は、「黙って 困って 黙って」という沈黙と困惑の循環の中に閉じこめられる。何かが決定的に損なわれてしまった。困り果てた主体は、為すすべもなく、壊れたビスケットを見つめる。

 次の一節が続く。

  もういいや もういいや 君の夢でもみよう
  楽しい事 楽しい事
  肝心な時はやはり 出てきてもくれないか
    (中略)
  もういいかい もういいかい あふれそうな I miss you 

 歌の主体は、「君の夢」を見ようと考える。でも、「肝心な時」に「君」は夢に現れてくれない。この「君」が誰であるのかは分からない。特定の誰か、歌の主体の恋人、友人かもしれない。あるいは誰でもないのかもしれない。「あふれそうな I miss you」という言葉からは、「君は失われ、僕は損なわれた」というような声が聞こえてくる。その喪失と欠落の感覚があふれそうになるのだ。
 無意識の次元まで考えていけば、クボケンジの『ビスケット』の一連の言葉の流れから、志村正彦との関係の痕跡が浮かび上がってくるような気がしてならない。

 志村正彦が亡くなった三日後に、クボは自身のブログで、志村との関わりの日常を書き記してくれた。受け入れられない現実の中で、それでも何とか言葉を発しようとする、正直で抑制した書きぶりが、逆に、限りない哀しみと喪失を伝えている。その後、クボケンジは志村正彦について、ブログや公的な場でほとんど語っていないはずだ。
 例外としては、聴き手に向けて、「フジフジ富士Q」のステージで、志村正彦のことを「心を許せる大親友でした」と話した後すぐに「あ、大親友です」と言い直したことが記憶に残る。「た」という過去形ではなく、「です」という現在形であることを改めて確認するかのように。そのような場を離れて、コメントのような形では語ることはできない、あるいはそうしないという姿勢がクボには見られる。むしろ、音楽家として、新しい歌を作ることで、志村正彦との対話を続けている。それは追悼や過去へと遡るものではなく、「もっと遠くまで」行こうとするような、現在から未来へ向けた確固たる強い意志にもとづいている。そのように歩み出したクボケンジを、志村正彦は見守っていることであろう。

 歌い手は、歌を作り歌うことがすべてである。それがクボケンジの決意である。5月23日の新宿ロフト、メレンゲのライブで、そのことを強く感じた。

2 件のコメント:

  1. とても魅力的な記事でした。
    また遊びに来ます!!

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    1. コメントありがとうございます。
      また遊びに来ていただけるように、
      魅力ある記事を書き続けていきたいです。
      これからもよろしく。

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