メレンゲ(クボケンジ) @kubokenji 7月10日
志村、誕生日おめでとう。36才だな?
何もかもを失ったと思って唄った
そんな歌にも続きはあったよ
ただね、一緒に年を取りたかったね
生きてたら何十年も後に、
ようやく見つけた煙草が吸える喫茶店で年よりかは若く見える白髪姿の君は向か い側の僕にやっぱり愚痴を言ってるはずだったんだ
何十年も後、「煙草が吸える喫茶店」で、すっかりお爺さんになった「僕」クボケンジと「君」志村正彦は向かい合って座る。「白髪姿」の「君」は「僕」に「愚痴」を言っている。
「愚痴」ってなんだろう?分かっているようで分からない。辞書を引くと、「言ってもしかたのないことを言って嘆くこと」とある。なるほど。過不足のない、簡潔で明確な定義だ。「愚痴」は要するに「嘆き」の言葉。それは「僕」と「君」との間で共有される。というか、「僕」と「君」との間でしか共有されない。二人の間で「嘆き」が共有されることが暗黙の前提となり、「言ってもしかたのないこと」を言うことができる。
「君」の「愚痴」は嘆きの言葉。そうなる「はずだった」という「僕」の呟きもまた「嘆き」の言葉となる。
それでも、その光景は幸せなものにちがいない。
その光景からある歌のことを思い出した。Analogfish『No Rain (No Rainbow)』(作詞:下岡晃 作曲:Analogfish)。最近公開されたミュージックビデオ(Director : 笹原清明)も比類ないほどすばらしい。
歌の主体の「僕」はこう語る。
寄った居酒屋は値段の割に酷いもんで
それを愚痴る僕に君は思い出したように
「ただ好きなだけでこれはサービスではないの
ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」
「でも…」 she says
“No Rain No Rainbow”
一組の男女の対話劇が繰り広げられる。
この時代に、値段の割に酷い「居酒屋」で、「僕」と「君」は向かい合って座る。「愚痴る僕」に向かって、「君」は「ただ美しいだけで虹は雨の対価ではないでしょ」と諭す。日常の断片の嘆きと諭し。
それでも、その光景は幸せなものにちがいない。
“No Rain No Rainbow”。雨がなければ虹が現れることはない。でも、虹は雨の対価ではない。虹は、ただ美しいだけ、そういうあり方で出現する。この歌では「代償」「支払う」「サービス」「対価」という言い回しが反復される。何かと何かの価値が交換される世界。資本の世界と言い換えてもいいだろう。この世界の中で、虹は何物とも交換されない。虹が虹として存在するのは、虹が私たちへの純粋な贈与であるからだ。かけがえのない贈り物だからだ。そのことを伝える「君」「she」の言葉もまた美しい贈与のように響く。
クボケンジのtweet、下岡晃(Analogfish)のlyric。
「愚痴」を言う「僕」たち、男たち。
それでも、虹は現れる。
そう祈る。
No Rain No Rainbow。
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