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2013年5月26日日曜日

5月23日夜、新宿ロフトで。 (志村正彦LN 29)

  5月23日夜、新宿ロフト「14TH ANNIVERSARY」の「GREAT3 / メレンゲ」ライブに行ってきた。甲府から新宿までは電車で1時間30分、バスで2時間ほどだ。夕方出かけ、何とか間に合うことができた。

 志村正彦とGREAT3 、メレンゲの関係についてはよく知られているが、ご存じない方のために簡潔に記したい。GREAT3 の片寄明人は、フジファブリックのメジャーデビュー作のプロデュサー。それ以来、志村は片寄を慕い続け、信頼できる相談相手としていたようだ。メレンゲのクボケンジは自他共に認める志村の「大親友」であり、週に何度か部屋を訪ねるような仲であった。志村正彦が生まれたのは1980年、片寄は1968年、クボは1977年である。兄弟の関係に擬するならば、志村正彦にとって、片寄は年の離れた兄、クボは少し年上の兄というような存在であったと言えるだろうか。

 今回のライブの話をする前に、個人的な思い出を少し語らせていただきたい。
 70年代後半から9年間ほど、東京で学生それからフリーター(当時そんな言葉はなかったが)のような生活を送っていた。当時は雑誌「ぴあ」の全盛時代だった。毎号、ライブハウス情報をチェックし、西新宿にあった旧ロフトにも何度か出かけた。あの界隈のビル街には輸入盤レコード店がたくさんあった。大学がそう遠くないところにあったので、帰りによく足を運び、日本未発売のプログレを漁ったものだった。

 1980年前後の新宿ロフトだったと思う。「東京ロッカーズ」のイベント、特に「フリクション」のライブ、博多からやって来た「ルースターズ」のロフト初ライブなどが強烈な印象をもたらした。フリクションの重くて痙攣的で身体をえぐるビートは、聴き手を制圧してしまうような凄みを持つ。ルースターズの浮遊感のあるたたみかけるビートは、縦にも横にも、激しく柔らかく熱くてクールに身体を揺らす。違いはあるけれども、この二つのバンドに圧倒された記憶がある。彼らの繰り出すビートの感覚は当時の日本のロックシーンでは非常に斬新だった。(いつかこのことも詳しく書いてみたい)
 1980年頃を境にして、日本のロックにも新しい波がおとずれた。そのようなシーンを支えていたライブハウスの中心が新宿ロフトだった。

 歌舞伎町に移転した新しいロフトに入るのは初めてだった(新しいと書かざるをえない「初体験」の自分に苦笑する)。旧ロフトは(特に80年前後の頃は)「アンダーグラウンド」な匂いが濃くて、入るのにちょっとした覚悟がいるような場所だった。それに比べると、新しいロフトはずいぶん大きくなり、綺麗な場所になっていた。

 この場所で、インディーズからメジャー初期の時代、フジファブリックが演奏を行っていたのだなと少し感慨にふける。このホールでの志村正彦のライブ映像、Tシャツやポロシャツを着てステージに立っていた、飾り気のない彼の像。あのころの彼からは「東京のロックシーンに闘いを挑むような、たくましい青年」の印象を受けるのだが、実際はどうだったのだろう。
 
 会場は満員だった。やはり女性が多い。ホールが広くなったからだろうか、後方にはモニターも設置されていて、親切だ。新しい新宿ロフトには、聴き手を優しく受け入れてくれるような感じがある。正直言うと、この変化に少しばかり戸惑ったのだが、この雰囲気に慣れてくると、今の時代にはこのようなスタイルが合っているのだろうと好感を持った。

 少しだけ開演が遅れて、メレンゲが登場。最後尾で見ていたのだが、CDで聴くよりも、ずいぶん激しいビートの感触だ。CDとライブの差はどんなバンドでも感じるのだが、メレンゲの場合、良い意味での差異に少し驚いた。
 3曲ほど演奏した後で、クボケンジが「志村が、メレンゲとGREAT3を出会わせてくれた」と語りだした。「志村」という言葉が出た瞬間に、ホールが静かになり、皆がクボケンジの言葉を聞き取ろうとしていたことを記しておきたい。続いて、志村正彦から聞いていた片寄明人の印象と実際とのギャップ(聞き間違っていたら失礼なのでここでは書きません)など、面白い打ち明け話になると、ホール全体が盛り上がり、和やかな雰囲気に包まれた。
 (この項続く)

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