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2016年3月31日木曜日

ある感慨-メレンゲ『火の鳥』5

 一昨日29日の夜、前回の記事を書き上げた時に、ちょうどその頃終えているはずの大阪Loft PlusOne Westでの『クボノ宵』がどうだったか気になり、Twitterのリアルタイム検索を見ると、アンコールで『若者のすべて』『火の鳥』が続けて歌われたことを知った。昨夜30日の京都SOLE CAFEでも本編の最後にこの二曲が歌われたそうだ。

 『火の鳥』についての一連のエッセイを書き始めた時点では、『若者のすべて』との関係は意識していなかった。しかし、この歌を聴き直していくうちに、『火の鳥』の向こう側から『若者のすべて』の歌詞が浮かび上がってきた。クボケンジと志村正彦が、歌と歌とによって対話しているように感じた。すべて、一人の聴き手としての僕の恣意にすぎないが、一昨日昨日の二夜、クボケンジがこの二曲を歌ったという出来事は感慨深い。
 それでも、このような出来事は思いがけなく起こるからこそ、かけがえのないものになる。聴き手がそれを求めすぎてはならないだろう。そんなことも思う。

 正直に書くと、この『火の鳥』の音源を聴いたり、MVを見たりするのは辛い。普段は聴くことも見ることもない。この文を書くにあたり、二年ぶりに視聴することになった。歌の印象が少し変化した。歌詞の一節に「世界には愛があふれてる」とある。この歌にも愛があふれている。

 今年も桜が開花した。志村正彦『桜の季節』の季節の到来だ。この歌は投函されることのない「手紙」がモチーフの一つになっている。
 『火の鳥』もまた、クボケンジが志村正彦に宛てた手紙、言えなかったことを言おうとする手紙、それも投函されることのない手紙だ。

 歌そのものが手紙に擬えられる。手紙は宛先に届く。
 鳥は手紙を受けとる。
 鳥は「火の鳥」となる。

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