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2016年3月13日日曜日

「意味もなく」-メレンゲ『火の鳥』1

 東日本大震災から五年経つ。

 メレンゲの『火の鳥』。クボケンジが作詞・作曲したこの作品は、2011年4月6日、ミニアルバム『アポリア』中の一曲としてリリースされた。震災の一月ほど後のことだ。

 その『火の鳥』のライブ映像がメレンゲの公式サイトにある。
 2011年2月20日、京都府庁旧本館で録画された。ネットに幾つかレポートが上がっているが、とても心を打つライブだったようだ。会場の奥からの固定撮影なので記録として録画されたのだろう。小さく暗くて、メンバーの表情が見えないが、逆に、聴くことに集中できる。acoustic sessionであるのも貴重だ。
 『アポリア』特設サイトに入り、下にスクロールすれば見つかる。ぜひ聴いていただきたい。


 歌詞の始めを引用する。

   まっすぐに空を鳥が飛ぶ
     急いでいるのでしょうか どちらまで?

     急いでいるように見えましたか?
     実は私にもわからないのです

     意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです

     泣きそうな声 悲しい事言うなよな
     ならその空の旅を 僕と行かないかい?
     道はなく壁もなく ただ空は青く その青さがゆえに 青い海


 人と鳥の対話から始まる。
 歌の主体は、急ぐように空を飛ぶ鳥に、「どちらまで?」と問いかける。
 鳥の「私」は、「わからないのです」と答える。「意味もなく 意味もなく ただ羽があるから飛んでたのです」と続ける。

 人と鳥、二人の対話はそこで終わる。
 再びこの二人の声と声との対話がこの世界でくりかえされることは、おそらくないだろう。永遠の別離。鳥はこの世界の果てへと飛び去っていく。

 別離の後、歌の主体はこの世界に取り残される。
 「鳥」はもうこの世界にはいない。この声は「鳥」に届くことはない。「その空の旅を 僕と行かないかい?」という言葉が「鳥」に聞き取られることはない。言葉はどこにも届かずに戻ってくる。それでも、歌の主体は語り続けねばならない。
 
 『火の鳥』は、クボケンジが親友志村正彦の死を歌った作品だと言われる。
 本人が明言しているわけではないが、そのように捉えるのがむしろ自然だろう。歌の主体はクボの分身、「鳥」は志村の分身。そう考えられる。


 ライブ映像の声と音にもう一度耳を澄ます。
 美しい旋律と律動を伴って、分身同士の対話は静かに始まる。「意味もなく」の一節は高い透明な声でひときわ美しく歌われる。引用部分の最後、「泣きそうな声」で始まる一節から声と音の調子が微妙に変化する。対話から独白へと転換していく。

 「鳥」は「意味もなく 意味もなく」飛ぶ。「ただ羽があるから」飛ぶ。そのように飛びながら、そうとも知らずに、行方も知らずに、この世界の果てへと飛んでいってしまう。「羽」を持ってしまった存在は、自らの「羽」ゆえに飛び続け、いつかは果てへと飛び去っていく運命なのか。「羽」は歌という羽、音楽という翼を象徴しているのか。志村正彦にとっては、「羽」はそのような象徴だったと思われる。

 すべてが「意味もなく」進んでいくのが私たちの世界なのだろうか。私たちの運命なのだろうか。アルバム名の『アポリア』とは、思考の「行き詰まり」を意味する。

 クボケンジは志村正彦の死を、「意味もなく」ということが唯一「意味もある」、そのような世界での出来事として捉えた。その残酷なアポリアに耐え、『火の鳥』を作った。
  あの当時、クボはどこに向かおうとしたのか。

       (この項続く)

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