2017年2月28日火曜日

ジャック・ランシエール『無知な教師 知性の解放について』

 教育については語りたくないという気持ちがある。後ろめたいような、気恥ずかしいような何かがつきまとう。この国の教育には大きな問題があり、それゆえに様々な議論がある。誰もが教育という経験を持つのだから、すべての人が一人ひとり各自の教育観や教育論を持っている。そのすべてが尊重されるべきだというのが議論の前提だが、それゆえにこの議論の進む方向はなかなか定まらない。深めていくのが難しい。

 それでも数回にわたって、一人の教師としての実践を中心に教育や国語教育について書いてきたのは、このblogの中心テーマである志村正彦・フジファブリックの歌を教材とする授業についてこの場に書き残すべきだと思ったからだ。私自身の実践ではあるが、そのことを離れて、志村正彦に関する様々な事柄、同時代の動き、出来事をできるだけ記載していくという「偶景web」の指針からそのように判断した。それに関連して、その授業の背景、授業の組み立てについての根本的な考え方にも触れた。昨年のこの時期、『銀河』について報告したことがあるように、志村正彦に関する授業には、歌詞を物語化するなど多様な試みがある。これからもその可能性を探っていきたい。繰り返しになるが、生徒の生き生きとした自由な言葉を触発するという点で、彼の歌にはきわめて大きな力がある。

 私はそもそも教育学や国語教育学の書物をほとんど読まない怠惰な教師だが、率直に述べると、特に「専門家」による著作は敬して遠ざけている。理屈を超えて何となく拒否反応があるのだ。だが六年ほど前、ジャック・ランシエールの『無知な教師 知性の解放について』(法政大学出版局、2011/7/28)を読んでからは、この書物を実践の拠り所とするようになった。教育学ではなく教育学批判の本であり、狭義の教育を超えて、人々の「知的な解放」を探究する本である。この本に出会った頃にちょうど志村正彦の歌について語り合う授業も始めた。テーマやモチーフとしての志村、理論や方法としてのランシエール。あたりまえであるが、この二つは別の流れ、異なる系譜のものではあるが、今振り返ると、この二人の表現と思考に負うものが非常に大きいことに気づく。

  ジャック・ランシエール(Jacques Rancière, 1940 - )はフランスの哲学者。ルイ・アルチュセールの弟子だったが、師を批判する書物を出すことで頭角を現した。その後、歴史資料を丹念に読み解き、19世紀の労働者の書いたによる哲学的、詩的作品を発掘し、その意義を考察した『La Nuit des prolétaires』(1981、『プロレタリアートの夜』未訳)、19世紀の教師ジョセフ・ジャコトの「知性の解放」のため教育を紹介し分析した『Le Maître ignorant 』(1987、『無知な教師 知性の解放について』2011)を著した。
 『無知な教師』の核心にあるのは次の出来事である。

  19世紀初頭、フランス人のジョセフ・ジャコト(Joseph Jacotot, 1770 –1840)は、ルーヴェン大学(現在のベルギーにある。当時はオランダ語圏だった)でオランダ語を母語とする学生にフランス語を教える職を得た。ジャコトはオランダ語が分からない。学生はフランス語が分からない。通常の「教える」ことが不可能な状況だった。ジャコトはどうしたか。私たちがこのような状況に置かれたらどうするだろうか。

 ジャコトは学生に「説明する」言葉を持たない。彼は『テレマック』というフランス語・オランダ語の対訳本を与え、そこに書かれた一つひとつの言葉に注意深く取り組むことだけを指示した。その結果、驚くべきことに、学生は高い水準のフランス語を習得した。
 この偶然の出来事、発見がジャコトの教育を根本から変えていった。教師は自分の知らないことを教えることができる。教えられないことを教える。むしろ、教えられないからこそ教えることができる。この驚くべき出来事、教育学の常識に反する事実が、ジャコトの受けた「啓示」である。ランシエールはこの「啓示」を次のように分析している。

ジョゼフ・ジャコトを捉えた啓示は、説明体制の論理を逆転させなければならぬ、ということに帰着する。

教育学の神話は、劣った知性と優れた知性があると主張する。劣った知性は、習慣と必要との狭い範囲の中で、行き当たりばったりに感知したものを記録し、記憶に留め、経験に基づいて解釈したり繰り返してみたりする。これは幼い子供や庶民階級の人の知性だ。優れた知性は物事を理性によって認識し、単純なものから複雑なものへ、部分から全体へと、筋道を立てて進める。この知性のおかげで、教師は自分の知識を生徒の知的能力に合わせて伝授し、学んだことを生徒がきちんと理解したかどうか確かめることができる。以上が説明の原理である。これは啓示以降、ジャコトにとっては愚鈍化の原理となる。

 ジャコトそしてランシエールが批判する「説明体制の論理」「愚鈍化の原理」は、現在の学校教育の中心にもある。教師は生徒に説明する。説明して教えこむ。だが、教えることの自明性が疑われることはない。教師は生徒を「劣った知性」と「優れた知性」を持つ者とに二分化する。だが決して、二分化の評価の自明性も疑われることはない。
 しかし、現場の一教師としての私の実感は、少なくとも「言葉を語る」という能力において、「劣った」「優れた」という二分化は無効である。生徒には「言葉を語る」能力がすべて平等に与えられている。彼らは思考し表現する。そのテーマ、モチーフにより、表現に差異が生じるのは確かだが、その差異を超えて、彼らは豊かに言葉を生みだしていく。それを引き出せないのは、その教育自体に原因がある。教えすぎたり固定的な評価をしたりすることで、生徒の自発的な力を阻害してしまう。これは実感というより確信に近いが、主観的な判断でなく、客観的な資料を提示することもできる。私の拙い実践報告や論文はそのことを示すものでもある。
 でも、どうすればよいのだろうか。その問いかけに対して、ジャコト=ランシエールはこう語っている。

生徒を解放すれば、つまり生徒自身の知性を用いるように強いれば、自分の知らないことを教えられるのだ。教師とは、知性が己自身にとって欠くことのできないものとならなければ出られないような任意の円環に、知性を閉じ込める者なのである。無知な者を解放するには、自分自身が解放されていること、すなわち人間精神の本当の力を自覚していることが必要であり、またそれで十分なのだ。無知な者は、教師が彼にはそれができると信じ、彼が自分の能力を発揮するように強いれば、教師が知らないことを独りで習得できる。

 つまり、教師にとって必要なことは「自分自身が解放されていること、すなわち人間精神の本当の力を自覚していること」である。解放されていない教師は自らを教える立場に固定し、教える行為に固執する。結果として、生徒が自ら学ぶ力、自ら考える力を抑圧してしまう。時には権威や侮蔑と共に、時にはある種の善意や誠意を伴って。だからこの問題の根は深い。

 人は誰でも独りで学び、知性を育み、自らを解放していく。
 このことの深い意味を理解するためには、ジャコトのような出来事を現実に経験するしかないが、それに近い事柄は、教える者あるいは学ぶ者は誰でも経験しているはずだ。でも、それはなぜか忘却されてしまう。現代の教育の場面でも、意識的無意識的に、否認され否定される。
 それでも、ジャコト=ランシエールの思想、「知性の解放」のための教育はこれからも実践されていくだろう。

2017年2月19日日曜日

授業実践 小川洋子『バックストローク』

 前々回の最後で「教師が一方的に教えるのではなく、生徒が考え表現することを尊重するのがこの授業の根本にある。生徒の言葉が彼ら自身の思考と表現の言葉となることを目指している」と書いた。大修館書店の本に書いたり、山梨英和大学で報告したりした一連の授業はこの考え方に基づいている。

 生徒・学習者を中心とする授業のデザインは十数年前から試みている。小説の授業の実践では、教育出版のHPの「高校メルマガ配信記事」の「教材研究・実践報告」に、「現代文B小川洋子『バックストローク』を読む1・2」という拙稿が掲載されている。(これは2008年秋に行った高校3年生対象の授業を考察したもので、「1」が2009年6月、「2」が2010年6月の「教育出版高校メルマガ」で配信された。) 

*注記(2026.7.7) 現在は教育出版のHPに掲載されていないので、「小川洋子『バックストローク』を読む 1」「小川洋子『バックストローク』を読む 2」 として新たに掲載した。

 その冒頭に書いた文を引用したい。

 小説を「読む」とはどのような行為なのか。そして、「小説」を学ぶ、教えるという行為はどの方向に向かうべきなのか。この問いを抱えながら、授業の準備を行い、教室に向かう。小説教材の最初の授業のとき、小説を読む充分な時間を生徒に与えるように心がけている。小説を読むのには固有の時間があり、読書の主体としての生徒には一人ひとり別の時間が流れている。教科書に印刷されている小説作品は文字の記号としてそこにあるが、読書主体としての生徒の読む行為を通じて、その存在を獲得し始める。

 教室ではまず始めに、時間は充分にあるので各自のペースで読んでいくことを指示する。その際「教材」ではなく、「作品」という意識で読むことを重視している。生徒がページをめくり始める。すぐに小説世界に入っていく者。煩わしそうに読む者。各々の読む時間が進行する。時に愉悦を感じ、時に困惑を感じる時間。静かな時間が流れ、時々、ページをめくる音が聞こえてくる。

 この後、生徒は小説を読んで感じたこと考えたことを自由に書く。私が作品についてあらかじめ説明することはない。教師が余計なことをいうとそれに引きずられてしまうからだ。それは生徒の自由な思考と表現を奪う。何も言わずに生徒が書くのを「待つ」姿勢を貫く。生徒が文を提出することで最初の授業が終わる。その後、生徒がどのように読んでいるのかを分析し、それに基づいて授業を構想していく。あくまで「読書主体としての生徒」の読みを中心に授業をデザインする。(付言すれば、2011年から始めた志村正彦・フジファブリックの歌を聞き歌詞を読む授業もこの方法で行っている。)

 通常の高校国語の授業は、教師用指導書等にある授業展開を参考に展開していく。その方法の根本には、教える者(教師、教科書著作者・編集者)が小説の読みを決定し、授業も構想するという考え方がある。教師中心の教材解釈であり、指導方法となる。(その背景には、作者が小説の主題や意味を支配しているという考えがある)この考え方は、すでに半世紀近く前、1960年代以降に欧米の文学理論、読書行為論や記号論で批判されているが(この系譜の理論を代表するのがロラン・バルトだ)、日本の国語教育ではこの指導方法や教育観が支配的だった。この教師中心の指導に対して批判的な実践をするのが、現場の教師としての私の一貫したモチーフであった。教育出版HPの2008年の授業研究はそれを最初にまとめたものであり、去年の大修館書店の授業報告はその発展形である。

 実際に生徒がどのように小川洋子の『バックストローク』を読んだのかは、拙稿を参照していただきたい。十八歳の思考や感性には素晴らしいものがある。生徒の読みから学ぶことは多い。

2017年2月12日日曜日

桜は常にそこにある。[志村正彦LN150]

 桜という主題を探究する一連の授業では、俵万智の随筆『さくらさくらさくら』[『風の組曲』河出書房新社 (2000/01)所収]、志村正彦の歌詞『桜の季節』[フジファブリック『桜の季節』 Single  CD、 EMIミュージック・ジャパン(2004/4/14)]、社会学者佐藤俊樹の評論『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅』[岩波書店 (2005/2/18)]の三つを教材にした。各々のテクストの中で最も魅力のある部分を取り上げて授業を展開した。

 俵万智は桜についてこのように述べている。

桜というのは、花だけを取り出して観賞するものではないのかもしれない。桜の咲いている空間ごと、そして時間ごと、日本の春という舞台の全てを含めて桜なのだという気がする。

 「花」だけではなく、桜の咲いている「空間」や「時間」、「舞台」の全てが「桜」なのだという指摘は鋭い。桜を見つめる視線が、「花」だけにズームインしていくのではなく、「花」を離れてその周辺へとズームアウトしていく動きがある。

 志村正彦は桜の季節をこう歌っている。

 桜の季節過ぎたら遠くの町に行くのかい?
 桜のように舞い散ってしまうのならばやるせない

 その町にくりだしてみるのもいい
 桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

 「桜の季節」。慣用的な表現でもあり、さっと読み飛ばしてしまうかもしれない。だが、「桜」と「季節」が「の」で結ばれているのは志村らしい言葉の接合の仕方ともいえる。
 この歌は一人称の主体が二人称の相手に対する「問いかけ」という枠組を持つ。「遠くの町」に行く相手に対して、歌の主体は「その町」と捉えなおした上で「くりだしてみるのもいい」と自らに語りかける。ただし、その時季は「桜が枯れた頃」の季節なのだが。

 佐藤俊樹はソメイヨシノの風景を次のように考察している。

ソメイヨシノの「一面の花色」は、桜の美しさを極端なかたちで現実化したものだ。その意味で、ソメイヨシノはやはり理想的な桜であった。けれども、「一面の花色」は桜の理想のあくまでも一つにすぎない。別の理想像をもつ人、いやそれ以上に、理想というものの多様さを直感できる人にとって、ソメイヨシノは美しさとともに、異様に歪曲された感じを抱かせる。

 佐藤俊樹は、ソメイヨシノの「起源」、江戸末期にエドヒガンとオオシマザクラが交雑した樹のクローンとして誕生した事実を述べるだけでなく、「桜」の「美」をめぐる「想像」と「現実」との複雑な関係性を指摘している。ソメイヨシノの出現以前から、「一面の花色」という「想像」が文学作品の中で描かれていた。その想像を「現実」のものとするかのうようにソメイヨシノは育成されていった。

 俵万智の随筆、志村正彦の歌詞、佐藤俊樹の評論、三つとも「桜」についての新しい捉え方を提起している。生徒はこの三つの教材を読んで、「桜」について捉えなおし、考察を深めて、最終段階で「桜という存在と私」という題で600字の文章を書いた。三人の筆者の考え方を受け止めた上で、それにとどまることなく、自己の「桜経験」を振り返り、「桜」という存在と「私」という主体とのつながりについて思考し表現した。『変わる! 高校国語の新しい理論と実践』に収録した生徒作品を一つ紹介したい。

桜は季節によって姿を変えていくが、人は花のない桜の木を桜として捉えていない。同じ場所に同じ樹木として立っているにもかかわらず、あの桜色の世界がないだけで違うものに見えてしまうほど、私たちに染みついた桜のイメージは固定されている。夏は若々しい緑の葉がつき、秋には葉が落ち、冬は寒さに耐え乗り越えて、春になるとあの特有の花を惜しげもなく開いて、人々を笑顔にする。努力を人知れず積み上げ、笑顔を生み出すのは、人と同じだ。桜は常に寄り添い見守ってくれる暖かい木だ。桜は常にそこにある。

 この生徒は、季節によって姿を変えていく桜に焦点を当てている。「桜のイメージ」の固定化への批判もあり、春になり「あの特有の花」で人々を「笑顔」にする桜への親愛の情もある。「努力」する桜、「常に寄り添い見守ってくれる」木としての桜という擬人化は高校生らしい感受性があふれる。最後の「桜は常にそこにある」という表現は深い。

 志村正彦の歌は問いかける。以前にも書いたが、その問いかけが生徒の思考と感性を触発する。生徒の言葉を生み出す。この生徒作品にも『桜の季節』の問いかけに対する応答がある。志村の描こうとした風景には「無」の感覚が漂うが、この生徒が見つめてきた風景には「有」や「生」の感触が濃厚である。感受性は異なるが、それゆえの対話がある。
 「桜は常にそこにある」のだが、人はそれを忘却してしまう。生徒の文からそのことを教えられた。

 この授業は昨年の4月から5月にかけて試みた。生徒の振り返りの文で最も印象に残ったのは、「来年は桜の見方、見え方が変わるだろう」という言葉だった。
 あと一月半で今年の桜の季節を迎える。桜の風景がどのように現れるのだろうか。


2017年2月5日日曜日

生徒は『桜の季節』をどう評価したか [志村正彦LN149]

 「思考と表現のデザイン」教育フォーラムでは、生徒中心の「思考のデザイン」学習の新しい方法について報告した。しかし、思考力を育成するためには「方法」の開発だけでなく、生徒の思考を触発させるような「作品」「教材」も開拓されねばならない。

 『変わる!高校国語の新しい理論と実践』には字数の制約があって掲載できなかったが、一連の授業の中で、生徒が志村正彦・フジファブリック『桜の季節』について評価や分析を行った。
  生徒は『桜の季節』を高く評価した。(段階評価の結果を数値化すると、「とても優れた作品」71%、「優れた作品」23%、「普通の作品」6%となった。教材の評価を明確にするためにあえて数値化した。)生徒の評価理由を簡潔に紹介したい。

・歌詞に問いかけの形が入っているから、色々と考えられる。
・何度聞いても全てが解釈できるわけではない歌の世界観に引き込まれた。
・今までにない桜ソング。独創的でいい。
・聴く人が一人ひとり自分のストーリーを作ることができる。
・「桜が枯れた頃」というように歌自体の季節感が味わえないどこか不思議な世界を持つ。
・繰り返しには誰かへの強いメッセージ性が感じられた。
・自分にあてた手紙のようなものだと思った。

 生徒は『桜の季節』が優れている理由を自分の視点で述べている。この歌の「問いかけ」や謎、世界観や独自の季節感。「自分のストーリーを作ることができる」「自分にあてた手紙のようなもの」だという記述は志村の歌詞の世界の本質に迫っている。
 志村正彦・フジファブリックの作品の授業において、私自身の「解釈」や「分析」を講義のような形で生徒に伝えることはない。そんなことをすれば生徒の自由な思考を損ねてしまう。だから、志村正彦のプロフィールや作品に関する基本データを簡潔に知らせることと、歌を集中して聴き、言葉を丁寧に読みとることだけを指示している。
 つまり、教師が一方的に教えるのではなく、生徒が考え表現することを尊重するのがこの授業の根本にある。生徒の言葉が彼ら自身の思考と表現の言葉となることを目指している。

2017年1月29日日曜日

山梨英和大・教育フォーラムでの高校生の発言

 1月26日、「思考と表現のデザイン」教育-高大接続教育フォーラムが山梨英和大学で開催された。天気は快晴、英和大のキャンパスからは御坂山系の向こう側に美しい富士山の頂きが望める。東京からの参加者がその姿に感心していた。
 高校教員、教育系出版社を中心に50人程が参加した。第1回の試みということもあり、広報や周知の仕方に慣れていなかったり、題名がやや難しい印象があったりしたせいか、当初の想定数には至らなかった。地方の小さな高校と大学の個別と連携、それぞれの実践が話題の中心であったが、「面白かった」「興味深かった」という声がほとんどの参加者から寄せられたので、内容は目標とした水準には達していたと思われる。
 私は主催者の山梨英和大学との連携校の担当者ということから、実質的には「共催者」の立場だったので、いくつかあった課題についてしっかりと受けとめていきたい。

 フォーラムは、ギッシュ・ジョージ学長が聖書の「初めにロゴス(言葉)があった」を引いて「言葉」の存在の意義について簡潔に語った。その「言葉」をリレーするようにして、小菅健一氏、河手由美香氏、木下学氏、私の順で四人の講演者・報告者が、高校と大学とその接続において今課題となっていること、実践していることを語っていた。皆、個人的な経験をふりかえりながら自分の語り口で率直に述べていたことが印象的だった。当然だが、思考や表現の教育を試みる者は自らの言葉に対して自覚的で批評的であらねばならない。

 その内容についてこのblogで紹介することは控えるが、一言で言うなら、生徒・学生つまり学習者が中心となる授業についての模索の経過報告である。いわゆる「アクティブ・ラーニング(AL)」型の授業であるが、ALという用語が流行しだす以前から、私の勤務校ではその種の試みを重ねてきた。(その一端が『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(大修館書店)収録の実践である)生徒が主体的に思考し表現すること。現在の高校の国語教育と大学の初年次教育の最大の課題である。
 議論の中で、私の授業におけるフィードバックの方法についての質問があった。まだ試行錯誤中であり、これから探究すべき課題だと答えるのが精いっぱいだったが、思わぬところでこの課題についての貴重な意見がもたらされた。

 学校帰りに立ち寄ってくれた生徒三人のうちの一人、K君の発言だった。(教員や大人だけでなく当時者である生徒が参加することも必要だと考え、声をかけていた)授業でのフィードバックという問題について、突然だったが生徒自身に発言を求めた。K君はフォーラムの議論の方向を彼なりに追いかけながら、高校生としての視点で的確な意見を出してくれた。自ら考えた言葉しかも対話性のある言葉で表現した。終了後、知り合いの参加者が異口同音に、生徒の言葉の質がこの授業の達成の度合いを示していると言った。確かに、彼の発言がこの実践のフィードバックになっていた。

 教育の実践は何をもって評価や達成とするのかが難しい。形式的、制度的な評価ができたとしてもそれが真正の評価であるかどうかは疑わしい。一年間を通してある授業を実践して、生徒がどのような思考力や表現力を獲得したのか。教師側の自己完結的な(時に自己満足的な)評価ではなく、「他者」としての生徒自身の思考や表現という「外化されたもの」で評価すること。教室という場を離れた社会の中での発言にその成果を見ること。私の拙い授業を超えて、高校生は思考と表現の力を育てていく。自立していく。その姿を見ることができたのがこのフォーラムの最大の成果だった。

2017年1月20日金曜日

1月26日(木) 「思考と表現のデザイン」教育のフォーラム

 1月26日(木)、山梨英和大学主催で「思考と表現のデザイン」教育-高大接続教育フォーラムが開催される。

 2012年から、甲府城西高校と山梨英和大学は連携して「思考と表現のデザイン」教育を実施してきた。大学側は小菅健一山梨英和大学副学長・教授、高校側は私が中心になって企画し運営してきた。その五年間の成果をふまえて、高校と大学そして社会が「思考力と表現力」を育成するために何をなすべきかという課題について話し合うフォーラムであり、私も報告者として参加する。

 私は、前回紹介した『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』所収の実践に基づいて、「思考シートによる構造化」授業の試みについて報告する。対立する二項とその統合という三項関係による思考を「思考シート」というワークシートによって図示、可視化することによって思考を構造化していく授業の方法である。生徒は、俵万智の随筆や志村正彦の『桜の季節』の言葉の世界をこの思考の方法によって分析した。30分程度の時間しかないので簡潔な報告となるが、フォーラムという場で参加者からのご意見をいただきたいと考えている。

 国語の授業では一貫して「考える力」「言葉で表現する力」の育成をテーマとしてきた。教材についても、ドキュメンタリー番組、映画やその脚本など教科書にはないものや視聴覚資料も取り入れてきた。志村正彦・フジファブリックの歌と歌詞、日本語ロックの作品を教材にしたのもその流れである。また、思考の構造化という方法への関心は大学生の頃にさかのぼる。
 
 80年代の初頭だった。私の通っていた大学の文学部ではジャック・デリダやロマン・ヤコブソンの研究者がいて、記号論や構造主義、脱構築やフランス現代思想が全盛の時代だった。バルトの研究家・翻訳家であった沢崎浩平先生が講師として来ていたことから「ロラン・バルトを読む会」という読書会が発足した。その会で小管健一さんと知り合った。沢崎先生のやむをえない事情により読書会は数回で終わってしまったが、今でも会場の喫茶店でバルトを語る先生の眼差しや仕草、ふっとつぶやかれた言葉が頭に浮かんでくる。

 ネットで久しぶりに「沢崎浩平」の名を検索してみると、内田樹氏が沢崎先生の思い出話を書いていた。(内田樹の研究室「エージェル」)二人は都立大の同僚だった。この話にある通り、沢崎先生は穏やかで実直でありながらどこか茶目っ気もある方だった。Hegel、エージェル、ヘーゲル。音の戯れがおかしい。

 小管さんも私も日本文学専攻だったが、バルトに興味を持ったのはあの時代の背景がある。二十年ほど前、小菅さんが山梨英和大学に赴任され、ある時に講演会を依頼したことで再び交流が始まった。そして五年前から、私の勤務校と高大連携の授業を始めることになった。「思考と表現のデザイン」というコンセプトは小菅さんの提案である。バルトのテクスト論の音調がどこかで響いている気がする。

 このblogの題名「偶景web」は、沢崎幸平訳のロラン・バルト『偶景』から借りたものであることは以前書いた。このblogに書くことも、教師としての仕事で取り組んでいることも、様々な意味で1980年代前半の「知」に影響されていることに思い至る。
 
 甲府近郊にお住まいの方で最近の国語教育や高大接続のあり方について関心のある方はぜひお越しください。1月20日締め切りとありますが、席にはかなりの余裕があるので、まだ申し込みが可能だということです。当日参加も大丈夫のようです。詳しいことは山梨英和大学のHPでご確認ください。

2017年1月15日日曜日

『桜の季節』の授業 [志村正彦LN148]

 LN147で触れたように、昨年11月刊行の『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』[編著者 大滝一登(文部科学省教科調査官)・幸田国広(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)、大修館書店、2016/11/20]に、『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』という実践報告を執筆した。

 この授業の意図と背景について書いた拙文が、大修館書店の雑誌「国語教室第104号」に掲載されている。大修館書店のHP「WEB国語教室」でPDF化されたものが閲覧できるが、その文章をここで紹介させていただく。


   「高校国語」を探究する書
               山梨県立甲府城西高等学校教諭 小林一之

 「桜が枯れた頃」という表現から何を想い描くだろうか。
 ロックバンド、フジファブリックの楽曲『桜の季節』の一節だ。冬枯れあるいは枯死した樹か。桜が咲き散る春の情景とは遠く隔たる季節であるのは間違いない。この歌の作者志村正彦は四季の景物を織り込み、揺れ動く心を綴った。彼の歌詞のような作品が現代の若者にとってのリアルな「詩」ではないかと考え、五年間授業を試みた。志村の言葉は生徒に深く作用し、言葉を紡ぎ出す。教室が自由で活発な場になり、私にとって生徒中心の授業へ転換する契機ともなった。
 本書の実践はその試みをさらに前へ進め、複数の教材を横断的に読み多様な視点を持つことで、桜という言語文化的な主題の考察を深めることを目標にした。思考と表現の方法を習得し、それを活用することを学びの過程に位置付けた。対比とその統合という三項関係による思考の構造化は汎用性が高く、様々な単元で活用できる。
 複雑な時代を生きる高校生は、自己と社会の課題を考え、他者と交流する力を身に付けねばならない。そのための根幹の教科に国語は再構築されつつある。転換期の今、新しい理論と実践の一助となることを本書はめざしている。私自身も深く学び取りたい。そして本書を通じて、「高校国語」という課題そのものを探究するために、私たち現場の教師が語り合う場ができればよいと考えている。


  字数の制約があり、簡潔に書かざるを得なかったので少し補足したい。
 文中にある「複数の教材」とは、俵万智の随筆『さくらさくらさくら』、志村正彦の歌詞『桜の季節』、社会学者佐藤俊樹の評論『桜が創った「日本」』の三つである。俵万智の随筆と佐藤俊樹の評論は「現代文A」「現代文B」教科書所収の本文に基づいたが、志村正彦の歌詞『桜の季節』は『志村正彦全詩集』(PARCO出版)の本文から新たに教材化した。

 この三つの作品の共通点は、「桜」についての新しい捉え方、考え方を表現していることにある。「桜が咲き、散る」にまつわる定型的な紋切り型とも言える感性や美学とは距離を置いている。中でも志村正彦『桜の季節』は最も重要な作品だと想定して授業を構成した。実際の授業後に生徒の印象と評価を分析したところ、想定通り、生徒が最も興味を抱いたのは志村の歌詞だった。
 志村正彦・フジファブリックの歌と歌詞、もう少し文脈を広げれば、すでに半世紀の歴史を持つ日本語ロックの優れた歌詞が、現代の若者にとってのリアルな「詩」であり教材の対象にもなるというのが、現場の一教師としての問題提起である。

       (この項続く)

2017年1月10日火曜日

音楽、憂鬱、天使たちークラーナハ展

 土曜日、国立西洋美術館の「クラーナハ展-500年後の誘惑」を見てきた。
 東京の美術館に出かけることもほぼなくなってしまったが、この展覧会にはれはどうしても行きたかった。終了まであと一週間の時点で何とか見ることができた。予想よりはるかに充実した展示で、二時間以上かけてルカス・クラーナ(父、Lucas Cranach der Ältere、1472年-1553年)の作品を堪能した。
 (東京では15日、今週の日曜日までの開催。大阪・国立国際美術館で1月28日~ 4月16日開催。おすすめです)

 副題には「500年後の誘惑」とあるが、クラーナハの絵画、特に女性の眼差しに「誘惑」を感じることはなかった。もちろん、「誘惑」の眼差しは女性のものではなく、それを見ている男の欲望の眼差しの反転したもの、つまり男性の所有するものだ。クラーナハの女性はどこも見つめていない。どこかを見つめているのなら、その見つめられている場所に男が位置することで、その場から男が女を眼差す「欲望」が生まれる。しかし、あの女たちの眼差しは空洞のようなもので、男たちが「欲望」を感じる場が存在しない。男の眼差しは空を切ってしまう。

 クラーナハは大きな工房を設けて絵画の大量生産を行ったそうだ。現代で言うなら、アンディ・ウォーホルのファクトリーになぞらえる論もあるようだ。近年修復された代表作の色彩は五百年という時を超えてしまったかのように鮮やかだった。同一のモチーフの反復。装飾品的な味わい。不思議なのだが、ポップアートのような感触もある。そのことがこの画家の革新性なのかもしれない。

 影響を受けた画家や関連作品の展示もあった。レイラ・パズーキというイラン人アーティストの「ルカス・クラーナハ『正義の寓意』1537年による絵画コンペティション」という作品が特に面白かった。クラーナハの『正義の寓意』を中国の複製画制作者に模写させたもので、90枚の複製画が壁面に並んでいた。まるでウォーホルのキャンベルスープやマリリン・モンローの世界。本物とのずれ具合がとてつもなくポップだった。

 あまり目立たない作品だが、『メランコリー』という絵が印象に残った。

クラーナハ『メランコリー』部分

 十五人の天使を中心に、謎めいた女性が右側に、夢魔が上側に描かれている。笛を吹く天使と太鼓を叩く天使。踊る天使と眠る天使。「音楽にはメランコリーを癒す力がある」と信じられていたというキャプションが添えられていた。当時のドイツでそのように信じられていたのか、美術史や文化史に疎いので、その説明の根拠についての知識はない。音楽が憂鬱を癒す。経験としては誰にも覚えのあることだろうが。
 『メランコリー』の図像は複雑であり、何を示しているのかは分からないが、五百年前のドイツ人がこの絵画を愛しみ、愉しんだことは伝わってくる。
 

2017年1月5日木曜日

芥川龍之介「元日や手を洗ひをる夕ごころ」       

 元日や手を洗ひをる夕ごころ       芥川龍之介

 元日を迎えるとこの句を思う。芥川自選の七十七句を編んだ『澄江堂句集』の一句。芥川の作という枠を超えて、今や元日の句として最も有名な句であろう。

 元日は、初日の出、朝の時間が祝福される。だが、芥川は朝をそれとなくやりすごす。昼から夕方へと時は移り、「手を洗ひをる」。身体の所作だが、幾分か象徴的でもあり、自分を洗う、自身を浄める意味を帯びているかもしれない。補助動詞「をる」のおさまりがいい。「洗ふ」動作に終止符を打ち、いったん間をあけ、「夕ごころ」につなげていく。

 芥川龍之介は眼差しの人でもある。自らの「手」を凝視した後、田畑の家の庭にでも降りて、夕暮れを見たのだろうか。それとも書斎にいて記憶の夕景を思い出していたのだろうか。どちらにしろ、彼は「夕ごころ」に佇んでいる。
 「yuugokoro」というなめらかな響きはどこか懐かしいが、芥川特有の憂愁がある。

 芥川は夕暮れ、日暮れの時を好んだ。よく読まれている作品では『羅生門』冒頭の「ある日の暮方の事である」、遺稿『或阿呆の一生』の「彼は日の暮の往来をたつた一人歩きながら、徐ろに彼を滅しに来る運命を待つことに決心した」など、繰り返し表現している。日暮れ時、物語の主人公は一人で往来を歩く。路地を彷徨する。その憂愁に包まれている。
 そんなことを考えていると、志村正彦・フジファブリック『茜色の夕日』が浮かんできた。この歌にも「夕ごころ」の憂いが込められている。

 大晦日にさかのぼりたい。朝日新聞朝刊のある面全体に歌詞らしきものがあった。下の小さな文字を読んで、NHK紅白歌合戦に出場する「THE YELLOW MONKEY」のメッセージ広告だと分かった。「ロックの歌詞」がこのような形で新聞の全面を覆うのは初めてのことではないか。どれだけの経費がかかったのか。毒を以て毒を制すということなのか。「残念だけど、この国にはまだこの歌が必要だ。」という言葉が添えられていたが、確かに、この国に必要な歌であることは間違いない。

 夜、紅白を見た。椎名林檎とRADWIMPSのドラマーが刄田綴色だと気づいて驚いた。
 終盤近くになって、THE YELLOW MONKEYの登場。
 吉井和哉が、ロック的なあまりにロック的な『JAM』を堂々と切々と歌う。2016年のロックの聞き納めとなった。

  儚なさに包まれて 切なさに酔いしれて
  影も形もない僕は
  素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから
  好きな歌を歌う
     ( THE YELLOW MONKEY 『JAM』  作詞・作曲:吉井和哉 )

2016年12月31日土曜日

「正彦君はいつも遠くを見つめていました」[志村正彦LN147]

 今年の初夏の頃、志村正彦についての思いがけない大切な出来事があった。

 僕は国語科の教員だが、キャリア教育や進路指導の係を担当している。この高校に来てからもう十五年になるが、その間ずっと進路指導室という部屋に席がある。生徒は7割が進学、3割が就職で、進路を実現するという責任の重い仕事に携わってきた。
 六月頃だった。進路室で同僚が農業高校について話をしていた。その時、漫画『銀の匙 Silver Spoon』のことが話題となり、アニメ版の主題歌を作ったフジファブリックという流れで、「志村正彦」という名を出した。(授業とは異なり、同僚の先生方に志村さんの話をすることも、このblogの存在を知らせることもほとんどない。あの時は自然にその名が出てきた)

 すると、今年赴任されて進路の係となった女性の先生が「わたし、正彦君の担任だったんです」と話してくれた。驚いた。同時に嬉しくなった。山梨は狭い地域であり、話しているうちにどこかでつながりが見えるということがしばしばある。その先生は、志村正彦が山梨県立吉田高等学校一年生の時のクラス担任だった。
 それからしばらくの間、志村さんのことで話が弾んだ。高校生の時の彼を今までよりも身近に感じるようになった。その話を今回は書いてみたい。(このblogに書いてもよろしいでしょうかと尋ねると、先生から快く了承していただきました。ここに書いてもよいことを少しだけ書かせていただきます)

 「正彦君はいつも遠くを見つめていました」
 先生の記憶の中心には、教室やいろいろな所でいつも遠くを見ているような志村正彦の姿がある。
 「正彦君は丸顔なんですよ」、少し微笑みながらそう言われた。そして綺麗な目をした高校一年生だった。元気のいい楽しいクラスで、沢山の思い出があるそうだ。少しやんちゃな男子も多かった。志村さんは目立つわけではないが、仲間とはよく付き合っていた。何かに打ち込んでいる感じがあり、クラスでも一目置かれていたそうだ。将来、歌詞を書くなんて全く想像できなかったとも言われた。思春期の男子なので、繊細なところはあまり出さなかったのだろう。
 先生はクラス文集を大切に取っておかれていて、予備として保管していた一冊をいただいた。思いがけないことで感謝を申し上げるだけで精いっぱいだった。(志村さん手書きの一頁もあったが、ここに記すことは控えます)

 クラス担任は本人・保護者との三者懇談で進路の希望を聞く。志村さんは一年生の時から「音楽家になりたい」とはっきりと語っていた。ゆるぎのない決意を知り、理解ある先生は納得した。(その後の志村さんの活躍を予想していましたかと聞くと、そこまでは想像していなかったけれど、未来を見据えるような表情からその道に進むことを確信したそうだ)「志村日記」にある通り、高校入学時から音楽家志望だった。

 その後「ロックの詩人 志村正彦展」のポスターを差し上げた。
 「瘦せてしまいましたね」とぽつりと言われた。先生の表情が寂しそうだった。記憶の中の「丸顔」の高校生。目の前にあるポスター写真の二十代後半の若者。撮影は2007年の晩秋で、確かにこの時期はやや痩せている。遠くを見つめるような綺麗な眼差しはそのままだが、深さとある種の苦さが込められている。高校一年から十年を少し超える月日が流れているが、そんなに長い間というわけでもない。この間の音楽家としての生活、その時間がどのようなものだったのか。痩せてしまったという一言から、様々なことを考えさせられた。

 志村さんが高校に入学したのは1996年。今年は2016年。二十年が経つ。先生が穏やかに懐かしそうに話す表情から、受け持ったクラスの生徒に対する愛情が伝わってきた。
 いつも遠くを見つめていた志村正彦。そのことを記し、今年最後の文を閉じたい。

2016年12月28日水曜日

2016年を振り返る[志村正彦LN146]

 今年は、折に触れてこのblogで触れたが、志村正彦・フジファブリックの作品が地上波テレビなどで何度も取り上げられた。映像メディアも多様化しているが、やはり地上波の力は大きい。反響の度合いが格段に違う。

・ 5月19日、NHKEテレ、『ミュージック・ポートレイト』「妻夫木聡×満島ひかり 第2夜」。俳優の妻夫木聡が『茜色の夕日』を人に贈りたい曲として選んだ。

・ 8月18日深夜、フジテレビ、アニメ『バッテリー』第6回。エンディング曲として『若者のすべて』(anderlustによるカバーヴァージョン)が流された。

・ 11月15日、NHKBSプレミアム、ドラマ『プリンセスメゾン』第4回「憧れのライフスタイル」。『茜色の夕日』が挿入歌として使われた。

・ 12月1日、NHKEテレ、『ミュージック・ポートレイト』「古舘伊知郎×大根仁 第2夜」。映画監督の大根仁が『夜明けのBEAT』を人生の転機となった大切な曲として紹介した。

 確認できていないだけで、この他にもあったかもしれない。twitterなどで、季節の折々に、例えば夏の花火の季節に『若者のすべて』が色々な場所で流されたという報告があった。anderlustによる『若者のすべて』カバーはCD音源化されたが、ライブなどで志村と縁のある音楽家を中心に、フジファブリック作品が演奏されたという話も少なくなかった。

 年末、志村正彦の故郷、山梨県富士吉田市では、夕方5時にフジファブリック『茜色の夕日』のチャイムが流された。彼の同級生を中心とした集まり「路地裏の僕たち」や市役所のおかげだ。
 昨夜は「Yahoo!JAPAN」の「エンタメ」ニュース欄で「志村正彦さん 防災無線で追悼という毎日新聞の記事が配信されていた(12/27(火) 17:29)。東京から来た女性の「青春時代に聴いた志村さんの音楽と人間性にひかれます。地元でチャイムを流し続けてくれているので、また来たいです」というコメント、24日下吉田駅前にファンが集っている写真が載せられていた。
 チャイムが流される。ただそれだけのことかもしれないが、それはそれだけで終わらない。大切な何かが確実に伝わっていく。

 「路地裏の僕たち」のメンバーは5月から地元ラジオ局の「エフエムふじごこ」で、『路地裏の僕たちでずらずら言わせて』(日曜日14:00~14:30、再放送水曜日20:30~21:00)を始めた。「都留信用組合プレゼンツ」とあり、スポンサーのローカル色が強いのがいい。
 同級生ならではの思い出話。時に甲州弁が混じるのがとてもいい。彼らも参加し、9月に開催された「SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY MUSIC FES DREAM MATCH 2016」出演アーティストによる志村正彦についてのコメントもあった。最近、「富士ファブリック」オリジナルメンバーの3人による結成時の話が数回放送されたが、志村が当時好きだったブラジル音楽などが紹介され、非常に興味深い内容だった。(ネットラジオの録音方法が分からないので、外出中で聞けない日もあるのが残念だが)

 今年は1月にデビッド・ボウイ、11月にレナード・コーエンが亡くなった。60年代70年代から活躍してきた「ロックの詩人」の生が閉じられていく時代を迎えている。ボブ・ディランは歌い続け、ノーベル文学賞を受賞した。「ロックの詩」の文学としての価値が歴史に刻まれた。
 このblogは、その折々の出来事、偶発性に触発されることは重視しているので、洋楽の話題が多くなった。僕にとってロックの原点は英米にある。現在の音楽シーンで最も好きなバンド、AnalogfishとHINTOについて何度も書いた。この二つのバンドの作品とライブは今日の都市音楽の最高の達成点だと断言する。ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの足跡を訪ねる小さな旅のノートも綴ることができた。地元の愛すべきクラブ、ヴァンフォーレ甲府のこと、サッカースタジアムという場についても触れた。

 歌や詩の言葉、音楽の作品やライブを縦軸に、甲府や山梨という場、時には旅の地を横軸にして、この偶景webは織り込まれていく。その中心点にいるのは志村正彦なのだが、今年は相対的に、彼の作品を取り上げることが少なくなってしまった。関心が低下しているのではなく、むしろその逆である。書いてみたい様々なモチーフが蓄積されているのだが、僕の記述ペースではこの回数と分量が限界だった。(それでも今回で82回を数えた。4日に1回の割合に近い)来年は少しスタイルを変えてみたい。

 今年、志村正彦に関する私自身の仕事に関して一つの進展があった。
  『変わる! 高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(編著大滝一登・幸田国広、大修館書店、2016/11/20)という書籍に、 『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』という原稿を執筆した。三つの作品、俵万智の随筆『さくらさくらさくら』、志村正彦・フジファブリックの歌詞『桜の季節』、社会学者佐藤俊樹の評論『桜が創った「日本」』を横断的に教材化して、生徒の思考と表現を触発させ、「桜」という不可思議な存在、言語文化的な主題について探究する授業を報告し分析したものである。十回分の授業を十二頁に集約させたために概要的な記述になっている(全体のバランスと分量の制約があり、志村正彦に関する部分も当初書いた原稿を削除せざるを得なかった)。拙いものではあるが、ここ数年試みてきた「思考と表現の構造化」の学習、「志村正彦の歌詞」の教材化によって、新しい高校国語の方向の一つを素描することはできたのかもしれない。
 この本の詳細についてはあらためて書いてみたい。

 12月14日、フジファブリックのニューアルバム『STAND!!』が発表された。2014年9月リリースの『LIFE』から二年ぶりの新作だ。現メンバーの3人が数曲ずつ曲を作ったそうだ。どのような世界を作り上げたのだろうか。変化しているのだろうか。最近注文したのでまだ届いていないのだが、冬休みの間に聴いてみたい。 

 2016年も、志村正彦・フジファブリックの作品はかけがえのないものとして、人々に届けられている。

2016年12月23日金曜日

都市音楽としての『茜色の夕日』-ドラマ『プリンセスメゾン』[志村正彦LN145]

 NHKBSプレミアムで10/25~12/13の毎週火曜日に放送された「プレミアムよるドラマ」枠のドラマ『プリンセスメゾン』。11月15日の第4回「憧れのライフスタイル」で、フジファブリック『茜色の夕日』が挿入歌として流れた。ネットの情報で知り、再放送を見ることができた。

 原作は池辺葵という漫画家の作品だそうだ。NHKのサイトには、「女、26歳、居酒屋勤務、結婚の予定なし。でも、“家”を買います」というコピーがある。「沼越幸」(森川葵)が購入するマンションを探す姿に現代の女性が求めているものを描く。彼女は不動産会社の営業マン「伊達政一」(高橋一生)を中心に様々な人々と出会う。

 第4回のラスト近く、冒頭から24分過ぎ、沼越幸が務めている居酒屋のシーンで『茜色の夕日』が静かに流れ出す。伊達政一が沼越の働く姿を垣間見るとそのまま小路を歩きだす。その瞬間から音量が高くなり、志村正彦の声が画面を覆いつくす。

  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった


 言葉の一つ一つが耳にしみこむ。
 伊達は自宅に戻りソファに座る。

  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 この歌詞に合わせて伊達が歌い出す。心に刻まれた『茜色の夕日』を自らの声で追いかけるように。「思い出すもの」がたくさんあるかのように。伝えられないものがたくさんあるかのように。
 志村正彦の声と伊達を演ずる高橋一生の声が、重なり合い、響き合う。その意外性、 不思議な感覚にひきつけられた。

 高橋一生はドラマや映画でしばしば見かけるが、五年前の冬、新宿の紀伊国屋ホールで演劇を見たことがある。鴻上尚史の「第三舞台」の封印解除&解散公演「深呼吸する惑星」だった。見た目通り少し線が細い感じだが、舞台に立つとなかなか存在感のある役者だった。

  高橋一生の演じる伊達の緊張感ある表情とやや暗い眼差し。池の水に対する恐怖症を感じさせるシーンなど、心に重く抱えているものがありながらも、誠実に礼儀正しく仕事にいそしむ。作中の人物設定は三十五歳のようだ。志村正彦が元気でいれば同じ位の年だ。(志村が会社員になっていたら、伊達のような表情で仕事をしていたのかもしれない、などというありえない空想をしてしまった)

 どのような演出の意図があって、『茜色の夕日』が挿入歌となったのかは分からないが、このドラマの文脈では、「東京の歌」として位置付けられているのは間違いない。都市生活者の都市音楽としての『茜色の夕日』。(この「都市音楽」という表現は、浜野サトル氏の著作『都市音楽ノート』の表題から使わせていただいている)ただし、地方からの出郷者が作る都市音楽、都市の歌なのだが。志村がそうであったように、作中の伊達も地方からの上京者という設定なのかもしれない。

 歌の主体は「少し思い出すものがありました』という語り口で歌い出す。今、東京で、生きている。その場と時から、かつて生きていた場、時へと回帰していく。
 志村正彦の描く風景、春夏秋冬の季節感、それは彼の故郷富士吉田、山梨に由来するものあることは確かだ。だが、そのままのものではなく、それらが一度失われたうえで、あらためて想い出されたもの、都市という場からの眼差しで再構築されたものだ。そのことが彼の歌の普遍性を支えている。望郷の歌、帰郷の歌、郷土性の高い歌とは一線を画している。

 明日12月24日は彼の命日である。今年も一週間の間、彼の生まれ育った富士吉田で『茜色の夕日』が夕方5時のチャイムの曲となる。
 今日は昨夜からの雨が上がったが、風がすごく強い。
 『茜色の夕日』は、故郷の風に吹かれているのだろうか。