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2017年2月12日日曜日

桜は常にそこにある。[志村正彦LN150]

 桜という主題を探究する一連の授業では、俵万智の随筆『さくらさくらさくら』[『風の組曲』河出書房新社 (2000/01)所収]、志村正彦の歌詞『桜の季節』[フジファブリック『桜の季節』 Single  CD、 EMIミュージック・ジャパン(2004/4/14)]、社会学者佐藤俊樹の評論『桜が創った「日本」―ソメイヨシノ 起源への旅』[岩波書店 (2005/2/18)]の三つを教材にした。各々のテクストの中で最も魅力のある部分を取り上げて授業を展開した。

 俵万智は桜についてこのように述べている。

桜というのは、花だけを取り出して観賞するものではないのかもしれない。桜の咲いている空間ごと、そして時間ごと、日本の春という舞台の全てを含めて桜なのだという気がする。

 「花」だけではなく、桜の咲いている「空間」や「時間」、「舞台」の全てが「桜」なのだという指摘は鋭い。桜を見つめる視線が、「花」だけにズームインしていくのではなく、「花」を離れてその周辺へとズームアウトしていく動きがある。

 志村正彦は桜の季節をこう歌っている。

 桜の季節過ぎたら遠くの町に行くのかい?
 桜のように舞い散ってしまうのならばやるせない

 その町にくりだしてみるのもいい
 桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

 「桜の季節」。慣用的な表現でもあり、さっと読み飛ばしてしまうかもしれない。だが、「桜」と「季節」が「の」で結ばれているのは志村らしい言葉の接合の仕方ともいえる。
 この歌は一人称の主体が二人称の相手に対する「問いかけ」という枠組を持つ。「遠くの町」に行く相手に対して、歌の主体は「その町」と捉えなおした上で「くりだしてみるのもいい」と自らに語りかける。ただし、その時季は「桜が枯れた頃」の季節なのだが。

 佐藤俊樹はソメイヨシノの風景を次のように考察している。

ソメイヨシノの「一面の花色」は、桜の美しさを極端なかたちで現実化したものだ。その意味で、ソメイヨシノはやはり理想的な桜であった。けれども、「一面の花色」は桜の理想のあくまでも一つにすぎない。別の理想像をもつ人、いやそれ以上に、理想というものの多様さを直感できる人にとって、ソメイヨシノは美しさとともに、異様に歪曲された感じを抱かせる。

 佐藤俊樹は、ソメイヨシノの「起源」、江戸末期にエドヒガンとオオシマザクラが交雑した樹のクローンとして誕生した事実を述べるだけでなく、「桜」の「美」をめぐる「想像」と「現実」との複雑な関係性を指摘している。ソメイヨシノの出現以前から、「一面の花色」という「想像」が文学作品の中で描かれていた。その想像を「現実」のものとするかのうようにソメイヨシノは育成されていった。

 俵万智の随筆、志村正彦の歌詞、佐藤俊樹の評論、三つとも「桜」についての新しい捉え方を提起している。生徒はこの三つの教材を読んで、「桜」について捉えなおし、考察を深めて、最終段階で「桜という存在と私」という題で600字の文章を書いた。三人の筆者の考え方を受け止めた上で、それにとどまることなく、自己の「桜経験」を振り返り、「桜」という存在と「私」という主体とのつながりについて思考し表現した。『変わる! 高校国語の新しい理論と実践』に収録した生徒作品を一つ紹介したい。

桜は季節によって姿を変えていくが、人は花のない桜の木を桜として捉えていない。同じ場所に同じ樹木として立っているにもかかわらず、あの桜色の世界がないだけで違うものに見えてしまうほど、私たちに染みついた桜のイメージは固定されている。夏は若々しい緑の葉がつき、秋には葉が落ち、冬は寒さに耐え乗り越えて、春になるとあの特有の花を惜しげもなく開いて、人々を笑顔にする。努力を人知れず積み上げ、笑顔を生み出すのは、人と同じだ。桜は常に寄り添い見守ってくれる暖かい木だ。桜は常にそこにある。

 この生徒は、季節によって姿を変えていく桜に焦点を当てている。「桜のイメージ」の固定化への批判もあり、春になり「あの特有の花」で人々を「笑顔」にする桜への親愛の情もある。「努力」する桜、「常に寄り添い見守ってくれる」木としての桜という擬人化は高校生らしい感受性があふれる。最後の「桜は常にそこにある」という表現は深い。

 志村正彦の歌は問いかける。以前にも書いたが、その問いかけが生徒の思考と感性を触発する。生徒の言葉を生み出す。この生徒作品にも『桜の季節』の問いかけに対する応答がある。志村の描こうとした風景には「無」の感覚が漂うが、この生徒が見つめてきた風景には「有」や「生」の感触が濃厚である。感受性は異なるが、それゆえの対話がある。
 「桜は常にそこにある」のだが、人はそれを忘却してしまう。生徒の文からそのことを教えられた。

 この授業は昨年の4月から5月にかけて試みた。生徒の振り返りの文で最も印象に残ったのは、「来年は桜の見方、見え方が変わるだろう」という言葉だった。
 あと一月半で今年の桜の季節を迎える。桜の風景がどのように現れるのだろうか。


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