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2017年1月10日火曜日

音楽、憂鬱、天使たちークラーナハ展

 土曜日、国立西洋美術館の「クラーナハ展-500年後の誘惑」を見てきた。
 東京の美術館に出かけることもほぼなくなってしまったが、この展覧会にはれはどうしても行きたかった。終了まであと一週間の時点で何とか見ることができた。予想よりはるかに充実した展示で、二時間以上かけてルカス・クラーナ(父、Lucas Cranach der Ältere、1472年-1553年)の作品を堪能した。
 (東京では15日、今週の日曜日までの開催。大阪・国立国際美術館で1月28日~ 4月16日開催。おすすめです)

 副題には「500年後の誘惑」とあるが、クラーナハの絵画、特に女性の眼差しに「誘惑」を感じることはなかった。もちろん、「誘惑」の眼差しは女性のものではなく、それを見ている男の欲望の眼差しの反転したもの、つまり男性の所有するものだ。クラーナハの女性はどこも見つめていない。どこかを見つめているのなら、その見つめられている場所に男が位置することで、その場から男が女を眼差す「欲望」が生まれる。しかし、あの女たちの眼差しは空洞のようなもので、男たちが「欲望」を感じる場が存在しない。男の眼差しは空を切ってしまう。

 クラーナハは大きな工房を設けて絵画の大量生産を行ったそうだ。現代で言うなら、アンディ・ウォーホルのファクトリーになぞらえる論もあるようだ。近年修復された代表作の色彩は五百年という時を超えてしまったかのように鮮やかだった。同一のモチーフの反復。装飾品的な味わい。不思議なのだが、ポップアートのような感触もある。そのことがこの画家の革新性なのかもしれない。

 影響を受けた画家や関連作品の展示もあった。レイラ・パズーキというイラン人アーティストの「ルカス・クラーナハ『正義の寓意』1537年による絵画コンペティション」という作品が特に面白かった。クラーナハの『正義の寓意』を中国の複製画制作者に模写させたもので、90枚の複製画が壁面に並んでいた。まるでウォーホルのキャンベルスープやマリリン・モンローの世界。本物とのずれ具合がとてつもなくポップだった。

 あまり目立たない作品だが、『メランコリー』という絵が印象に残った。

クラーナハ『メランコリー』部分

 十五人の天使を中心に、謎めいた女性が右側に、夢魔が上側に描かれている。笛を吹く天使と太鼓を叩く天使。踊る天使と眠る天使。「音楽にはメランコリーを癒す力がある」と信じられていたというキャプションが添えられていた。当時のドイツでそのように信じられていたのか、美術史や文化史に疎いので、その説明の根拠についての知識はない。音楽が憂鬱を癒す。経験としては誰にも覚えのあることだろうが。
 『メランコリー』の図像は複雑であり、何を示しているのかは分からないが、五百年前のドイツ人がこの絵画を愛しみ、愉しんだことは伝わってくる。
 

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