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2017年1月15日日曜日

『桜の季節』の授業 [志村正彦LN148]

 LN147で触れたように、昨年11月刊行の『変わる!高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』[編著者 大滝一登(文部科学省教科調査官)・幸田国広(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)、大修館書店、2016/11/20]に、『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』という実践報告を執筆した。

 この授業の意図と背景について書いた拙文が、大修館書店の雑誌「国語教室第104号」に掲載されている。大修館書店のHP「WEB国語教室」でPDF化されたものが閲覧できるが、その文章をここで紹介させていただく。


   「高校国語」を探究する書
               山梨県立甲府城西高等学校教諭 小林一之

 「桜が枯れた頃」という表現から何を想い描くだろうか。
 ロックバンド、フジファブリックの楽曲『桜の季節』の一節だ。冬枯れあるいは枯死した樹か。桜が咲き散る春の情景とは遠く隔たる季節であるのは間違いない。この歌の作者志村正彦は四季の景物を織り込み、揺れ動く心を綴った。彼の歌詞のような作品が現代の若者にとってのリアルな「詩」ではないかと考え、五年間授業を試みた。志村の言葉は生徒に深く作用し、言葉を紡ぎ出す。教室が自由で活発な場になり、私にとって生徒中心の授業へ転換する契機ともなった。
 本書の実践はその試みをさらに前へ進め、複数の教材を横断的に読み多様な視点を持つことで、桜という言語文化的な主題の考察を深めることを目標にした。思考と表現の方法を習得し、それを活用することを学びの過程に位置付けた。対比とその統合という三項関係による思考の構造化は汎用性が高く、様々な単元で活用できる。
 複雑な時代を生きる高校生は、自己と社会の課題を考え、他者と交流する力を身に付けねばならない。そのための根幹の教科に国語は再構築されつつある。転換期の今、新しい理論と実践の一助となることを本書はめざしている。私自身も深く学び取りたい。そして本書を通じて、「高校国語」という課題そのものを探究するために、私たち現場の教師が語り合う場ができればよいと考えている。


  字数の制約があり、簡潔に書かざるを得なかったので少し補足したい。
 文中にある「複数の教材」とは、俵万智の随筆『さくらさくらさくら』、志村正彦の歌詞『桜の季節』、社会学者佐藤俊樹の評論『桜が創った「日本」』の三つである。俵万智の随筆と佐藤俊樹の評論は「現代文A」「現代文B」教科書所収の本文に基づいたが、志村正彦の歌詞『桜の季節』は『志村正彦全詩集』(PARCO出版)の本文から新たに教材化した。

 この三つの作品の共通点は、「桜」についての新しい捉え方、考え方を表現していることにある。「桜が咲き、散る」にまつわる定型的な紋切り型とも言える感性や美学とは距離を置いている。中でも志村正彦『桜の季節』は最も重要な作品だと想定して授業を構成した。実際の授業後に生徒の印象と評価を分析したところ、想定通り、生徒が最も興味を抱いたのは志村の歌詞だった。
 志村正彦・フジファブリックの歌と歌詞、もう少し文脈を広げれば、すでに半世紀の歴史を持つ日本語ロックの優れた歌詞が、現代の若者にとってのリアルな「詩」であり教材の対象にもなるというのが、現場の一教師としての問題提起である。

       (この項続く)

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