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2017年1月5日木曜日

夕ごころ

 元日や手を洗ひをる夕ごころ       芥川龍之介

 元日を迎えるとこの句を思う。芥川自選の七十七句を編んだ『澄江堂句集』の一句。芥川の作という枠を超えて、今や元日の句として最も有名な句であろう。

 元日は、初日の出、朝の時間が祝福される。だが、芥川は朝をそれとなくやりすごす。昼から夕方へと時は移り、「手を洗ひをる」。身体の所作だが、幾分か象徴的でもあり、自分を洗う、自身を浄める意味を帯びているかもしれない。補助動詞「をる」のおさまりがいい。「洗ふ」動作に終止符を打ち、いったん間をあけ、「夕ごころ」につなげていく。

 芥川龍之介は眼差しの人でもある。自らの「手」を凝視した後、田畑の家の庭にでも降りて、夕暮れを見たのだろうか。それとも書斎にいて記憶の夕景を思い出していたのだろうか。どちらにしろ、彼は「夕ごころ」に佇んでいる。
 「yuugokoro」というなめらかな響きはどこか懐かしいが、芥川特有の憂愁がある。

 芥川は夕暮れ、日暮れの時を好んだ。よく読まれている作品では『羅生門』冒頭の「ある日の暮方の事である」、遺稿『或阿呆の一生』の「彼は日の暮の往来をたつた一人歩きながら、徐ろに彼を滅しに来る運命を待つことに決心した」など、繰り返し表現している。日暮れ時、物語の主人公は一人で往来を歩く。路地を彷徨する。その憂愁に包まれている。
 そんなことを考えていると、志村正彦・フジファブリック『茜色の夕日』が浮かんできた。この歌にも「夕ごころ」の憂いが込められている。

 大晦日にさかのぼりたい。朝日新聞朝刊のある面全体に歌詞らしきものがあった。下の小さな文字を読んで、NHK紅白歌合戦に出場する「THE YELLOW MONKEY」のメッセージ広告だと分かった。「ロックの歌詞」がこのような形で新聞の全面を覆うのは初めてのことではないか。どれだけの経費がかかったのか。毒を以て毒を制すということなのか。「残念だけど、この国にはまだこの歌が必要だ。」という言葉が添えられていたが、確かに、この国に必要な歌であることは間違いない。

 夜、紅白を見た。椎名林檎とRADWIMPSのドラマーが刄田綴色だと気づいて驚いた。
 終盤近くになって、THE YELLOW MONKEYの登場。吉井和哉が、ロック的なあまりにロック的な『JAM』を堂々と切々と歌う。2016年のロックの聞き納めとなった。

  儚なさに包まれて 切なさに酔いしれて
  影も形もない僕は
  素敵な物が欲しいけど あんまり売ってないから
  好きな歌を歌う
     ( THE YELLOW MONKEY 『JAM』  作詞・作曲:吉井和哉 )

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