今年の初夏の頃、志村正彦についての思いがけない大切な出来事があった。
僕は国語科の教員だが、キャリア教育や進路指導の係を担当している。この高校に来てからもう十五年になるが、その間ずっと進路指導室という部屋に席がある。生徒は7割が進学、3割が就職で、進路を実現するという責任の重い仕事に携わってきた。
六月頃だった。進路室で同僚が農業高校について話をしていた。その時、漫画『銀の匙 Silver Spoon』のことが話題となり、アニメ版の主題歌を作ったフジファブリックという流れで、「志村正彦」という名を出した。(授業とは異なり、同僚の先生方に志村さんの話をすることも、このblogの存在を知らせることもほとんどない。あの時は自然にその名が出てきた)
すると、今年赴任されて進路の係となった女性の先生が「わたし、正彦君の担任だったんです」と話してくれた。驚いた。同時に嬉しくなった。山梨は狭い地域であり、話しているうちにどこかでつながりが見えるということがしばしばある。その先生は、志村正彦が山梨県立吉田高等学校一年生の時のクラス担任だった。
それからしばらくの間、志村さんのことで話が弾んだ。高校生の時の彼を今までよりも身近に感じるようになった。その話を今回は書いてみたい。(このblogに書いてもよろしいでしょうかと尋ねると、先生から快く了承していただきました。ここに書いてもよいことを少しだけ書かせていただきます)
「正彦君はいつも遠くを見つめていました」
先生の記憶の中心には、教室やいろいろな所でいつも遠くを見ているような志村正彦の姿がある。
「正彦君は丸顔なんですよ」、少し微笑みながらそう言われた。そして綺麗な目をした高校一年生だった。元気のいい楽しいクラスで、沢山の思い出があるそうだ。少しやんちゃな男子も多かった。志村さんは目立つわけではないが、仲間とはよく付き合っていた。何かに打ち込んでいる感じがあり、クラスでも一目置かれていたそうだ。将来、歌詞を書くなんて全く想像できなかったとも言われた。思春期の男子なので、繊細なところはあまり出さなかったのだろう。
先生はクラス文集を大切に取っておかれていて、予備として保管していた一冊をいただいた。思いがけないことで感謝を申し上げるだけで精いっぱいだった。(志村さん手書きの一頁もあったが、ここに記すことは控えます)
クラス担任は本人・保護者との三者懇談で進路の希望を聞く。志村さんは一年生の時から「音楽家になりたい」とはっきりと語っていた。ゆるぎのない決意を知り、理解ある先生は納得した。(その後の志村さんの活躍を予想していましたかと聞くと、そこまでは想像していなかったけれど、未来を見据えるような表情からその道に進むことを確信したそうだ)「志村日記」にある通り、高校入学時から音楽家志望だった。
その後「ロックの詩人 志村正彦展」のポスターを差し上げた。
「瘦せてしまいましたね」とぽつりと言われた。先生の表情が寂しそうだった。記憶の中の「丸顔」の高校生。目の前にあるポスター写真の二十代後半の若者。撮影は2007年の晩秋で、確かにこの時期はやや痩せている。遠くを見つめるような綺麗な眼差しはそのままだが、深さとある種の苦さが込められている。高校一年から十年を少し超える月日が流れているが、そんなに長い間というわけでもない。この間の音楽家としての生活、その時間がどのようなものだったのか。痩せてしまったという一言から、様々なことを考えさせられた。
志村さんが高校に入学したのは1996年。今年は2016年。二十年が経つ。先生が穏やかに懐かしそうに話す表情から、受け持ったクラスの生徒に対する愛情が伝わってきた。
いつも遠くを見つめていた志村正彦。そのことを記し、今年最後の文を閉じたい。
11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)
右下の《申込フォーム》から一回につき一名のお申し込みができます。名前欄に〈氏名〉を、メール欄に〈電子メールアドレス〉を、メッセージ欄に〈11月15日公演〉と記入して、送信ボタンをクリックしてください。(三つの欄のすべてに記入しないと送信できません)《申込フォーム》での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシに記載の電話番号へお申し込みください。 *申込者のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡および今後の当会の公演案内のみに利用させていただくことをご了承ください。それ以外の利用は一切いたしません。
2016年12月31日土曜日
2016年12月28日水曜日
2016年を振り返る[志村正彦LN146]
今年は、折に触れてこのblogで触れたが、志村正彦・フジファブリックの作品が地上波テレビなどで何度も取り上げられた。映像メディアも多様化しているが、やはり地上波の力は大きい。反響の度合いが格段に違う。
・ 5月19日、NHKEテレ、『ミュージック・ポートレイト』「妻夫木聡×満島ひかり 第2夜」。俳優の妻夫木聡が『茜色の夕日』を人に贈りたい曲として選んだ。
・ 8月18日深夜、フジテレビ、アニメ『バッテリー』第6回。エンディング曲として『若者のすべて』(anderlustによるカバーヴァージョン)が流された。
・ 11月15日、NHKBSプレミアム、ドラマ『プリンセスメゾン』第4回「憧れのライフスタイル」。『茜色の夕日』が挿入歌として使われた。
・ 12月1日、NHKEテレ、『ミュージック・ポートレイト』「古舘伊知郎×大根仁 第2夜」。映画監督の大根仁が『夜明けのBEAT』を人生の転機となった大切な曲として紹介した。
確認できていないだけで、この他にもあったかもしれない。twitterなどで、季節の折々に、例えば夏の花火の季節に『若者のすべて』が色々な場所で流されたという報告があった。anderlustによる『若者のすべて』カバーはCD音源化されたが、ライブなどで志村と縁のある音楽家を中心に、フジファブリック作品が演奏されたという話も少なくなかった。
年末、志村正彦の故郷、山梨県富士吉田市では、夕方5時にフジファブリック『茜色の夕日』のチャイムが流された。彼の同級生を中心とした集まり「路地裏の僕たち」や市役所のおかげだ。
昨夜は「Yahoo!JAPAN」の「エンタメ」ニュース欄で「志村正彦さん 防災無線で追悼という毎日新聞の記事が配信されていた(12/27(火) 17:29)。東京から来た女性の「青春時代に聴いた志村さんの音楽と人間性にひかれます。地元でチャイムを流し続けてくれているので、また来たいです」というコメント、24日下吉田駅前にファンが集っている写真が載せられていた。
チャイムが流される。ただそれだけのことかもしれないが、それはそれだけで終わらない。大切な何かが確実に伝わっていく。
「路地裏の僕たち」のメンバーは5月から地元ラジオ局の「エフエムふじごこ」で、『路地裏の僕たちでずらずら言わせて』(日曜日14:00~14:30、再放送水曜日20:30~21:00)を始めた。「都留信用組合プレゼンツ」とあり、スポンサーのローカル色が強いのがいい。
同級生ならではの思い出話。時に甲州弁が混じるのがとてもいい。彼らも参加し、9月に開催された「SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY MUSIC FES DREAM MATCH 2016」出演アーティストによる志村正彦についてのコメントもあった。最近、「富士ファブリック」オリジナルメンバーの3人による結成時の話が数回放送されたが、志村が当時好きだったブラジル音楽などが紹介され、非常に興味深い内容だった。(ネットラジオの録音方法が分からないので、外出中で聞けない日もあるのが残念だが)
今年は1月にデビッド・ボウイ、11月にレナード・コーエンが亡くなった。60年代70年代から活躍してきた「ロックの詩人」の生が閉じられていく時代を迎えている。ボブ・ディランは歌い続け、ノーベル文学賞を受賞した。「ロックの詩」の文学としての価値が歴史に刻まれた。
このblogは、その折々の出来事、偶発性に触発されることは重視しているので、洋楽の話題が多くなった。僕にとってロックの原点は英米にある。現在の音楽シーンで最も好きなバンド、AnalogfishとHINTOについて何度も書いた。この二つのバンドの作品とライブは今日の都市音楽の最高の達成点だと断言する。ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの足跡を訪ねる小さな旅のノートも綴ることができた。地元の愛すべきクラブ、ヴァンフォーレ甲府のこと、サッカースタジアムという場についても触れた。
歌や詩の言葉、音楽の作品やライブを縦軸に、甲府や山梨という場、時には旅の地を横軸にして、この偶景webは織り込まれていく。その中心点にいるのは志村正彦なのだが、今年は相対的に、彼の作品を取り上げることが少なくなってしまった。関心が低下しているのではなく、むしろその逆である。書いてみたい様々なモチーフが蓄積されているのだが、僕の記述ペースではこの回数と分量が限界だった。(それでも今回で82回を数えた。4日に1回の割合に近い)来年は少しスタイルを変えてみたい。
今年、志村正彦に関する私自身の仕事に関して一つの進展があった。
『変わる! 高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(編著大滝一登・幸田国広、大修館書店、2016/11/20)という書籍に、 『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』という原稿を執筆した。三つの作品、俵万智の随筆『さくらさくらさくら』、志村正彦・フジファブリックの歌詞『桜の季節』、社会学者佐藤俊樹の評論『桜が創った「日本」』を横断的に教材化して、生徒の思考と表現を触発させ、「桜」という不可思議な存在、言語文化的な主題について探究する授業を報告し分析したものである。十回分の授業を十二頁に集約させたために概要的な記述になっている(全体のバランスと分量の制約があり、志村正彦に関する部分も当初書いた原稿を削除せざるを得なかった)。拙いものではあるが、ここ数年試みてきた「思考と表現の構造化」の学習、「志村正彦の歌詞」の教材化によって、新しい高校国語の方向の一つを素描することはできたのかもしれない。
この本の詳細についてはあらためて書いてみたい。
2016年も、志村正彦・フジファブリックの作品はかけがえのないものとして、人々に届けられている。
・ 5月19日、NHKEテレ、『ミュージック・ポートレイト』「妻夫木聡×満島ひかり 第2夜」。俳優の妻夫木聡が『茜色の夕日』を人に贈りたい曲として選んだ。
・ 8月18日深夜、フジテレビ、アニメ『バッテリー』第6回。エンディング曲として『若者のすべて』(anderlustによるカバーヴァージョン)が流された。
・ 11月15日、NHKBSプレミアム、ドラマ『プリンセスメゾン』第4回「憧れのライフスタイル」。『茜色の夕日』が挿入歌として使われた。
・ 12月1日、NHKEテレ、『ミュージック・ポートレイト』「古舘伊知郎×大根仁 第2夜」。映画監督の大根仁が『夜明けのBEAT』を人生の転機となった大切な曲として紹介した。
確認できていないだけで、この他にもあったかもしれない。twitterなどで、季節の折々に、例えば夏の花火の季節に『若者のすべて』が色々な場所で流されたという報告があった。anderlustによる『若者のすべて』カバーはCD音源化されたが、ライブなどで志村と縁のある音楽家を中心に、フジファブリック作品が演奏されたという話も少なくなかった。
年末、志村正彦の故郷、山梨県富士吉田市では、夕方5時にフジファブリック『茜色の夕日』のチャイムが流された。彼の同級生を中心とした集まり「路地裏の僕たち」や市役所のおかげだ。
昨夜は「Yahoo!JAPAN」の「エンタメ」ニュース欄で「志村正彦さん 防災無線で追悼という毎日新聞の記事が配信されていた(12/27(火) 17:29)。東京から来た女性の「青春時代に聴いた志村さんの音楽と人間性にひかれます。地元でチャイムを流し続けてくれているので、また来たいです」というコメント、24日下吉田駅前にファンが集っている写真が載せられていた。
チャイムが流される。ただそれだけのことかもしれないが、それはそれだけで終わらない。大切な何かが確実に伝わっていく。
「路地裏の僕たち」のメンバーは5月から地元ラジオ局の「エフエムふじごこ」で、『路地裏の僕たちでずらずら言わせて』(日曜日14:00~14:30、再放送水曜日20:30~21:00)を始めた。「都留信用組合プレゼンツ」とあり、スポンサーのローカル色が強いのがいい。
同級生ならではの思い出話。時に甲州弁が混じるのがとてもいい。彼らも参加し、9月に開催された「SHINJUKU LOFT 40TH ANNIVERSARY MUSIC FES DREAM MATCH 2016」出演アーティストによる志村正彦についてのコメントもあった。最近、「富士ファブリック」オリジナルメンバーの3人による結成時の話が数回放送されたが、志村が当時好きだったブラジル音楽などが紹介され、非常に興味深い内容だった。(ネットラジオの録音方法が分からないので、外出中で聞けない日もあるのが残念だが)
今年は1月にデビッド・ボウイ、11月にレナード・コーエンが亡くなった。60年代70年代から活躍してきた「ロックの詩人」の生が閉じられていく時代を迎えている。ボブ・ディランは歌い続け、ノーベル文学賞を受賞した。「ロックの詩」の文学としての価値が歴史に刻まれた。
このblogは、その折々の出来事、偶発性に触発されることは重視しているので、洋楽の話題が多くなった。僕にとってロックの原点は英米にある。現在の音楽シーンで最も好きなバンド、AnalogfishとHINTOについて何度も書いた。この二つのバンドの作品とライブは今日の都市音楽の最高の達成点だと断言する。ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアの足跡を訪ねる小さな旅のノートも綴ることができた。地元の愛すべきクラブ、ヴァンフォーレ甲府のこと、サッカースタジアムという場についても触れた。
歌や詩の言葉、音楽の作品やライブを縦軸に、甲府や山梨という場、時には旅の地を横軸にして、この偶景webは織り込まれていく。その中心点にいるのは志村正彦なのだが、今年は相対的に、彼の作品を取り上げることが少なくなってしまった。関心が低下しているのではなく、むしろその逆である。書いてみたい様々なモチーフが蓄積されているのだが、僕の記述ペースではこの回数と分量が限界だった。(それでも今回で82回を数えた。4日に1回の割合に近い)来年は少しスタイルを変えてみたい。
今年、志村正彦に関する私自身の仕事に関して一つの進展があった。
『変わる! 高校国語の新しい理論と実践―「資質・能力」の確実な育成をめざして』(編著大滝一登・幸田国広、大修館書店、2016/11/20)という書籍に、 『思考の仕方を捉え、文化を深く考察する―随筆、歌詞、評論を関連付けて読む―』という原稿を執筆した。三つの作品、俵万智の随筆『さくらさくらさくら』、志村正彦・フジファブリックの歌詞『桜の季節』、社会学者佐藤俊樹の評論『桜が創った「日本」』を横断的に教材化して、生徒の思考と表現を触発させ、「桜」という不可思議な存在、言語文化的な主題について探究する授業を報告し分析したものである。十回分の授業を十二頁に集約させたために概要的な記述になっている(全体のバランスと分量の制約があり、志村正彦に関する部分も当初書いた原稿を削除せざるを得なかった)。拙いものではあるが、ここ数年試みてきた「思考と表現の構造化」の学習、「志村正彦の歌詞」の教材化によって、新しい高校国語の方向の一つを素描することはできたのかもしれない。
この本の詳細についてはあらためて書いてみたい。
12月14日、フジファブリックのニューアルバム『STAND!!』が発表された。2014年9月リリースの『LIFE』から二年ぶりの新作だ。現メンバーの3人が数曲ずつ曲を作ったそうだ。どのような世界を作り上げたのだろうか。変化しているのだろうか。最近注文したのでまだ届いていないのだが、冬休みの間に聴いてみたい。
2016年も、志村正彦・フジファブリックの作品はかけがえのないものとして、人々に届けられている。
2016年12月23日金曜日
都市音楽としての『茜色の夕日』-ドラマ『プリンセスメゾン』[志村正彦LN145]
NHKBSプレミアムで10/25~12/13の毎週火曜日に放送された「プレミアムよるドラマ」枠のドラマ『プリンセスメゾン』。11月15日の第4回「憧れのライフスタイル」で、フジファブリック『茜色の夕日』が挿入歌として流れた。ネットの情報で知り、再放送を見ることができた。
原作は池辺葵という漫画家の作品だそうだ。NHKのサイトには、「女、26歳、居酒屋勤務、結婚の予定なし。でも、“家”を買います」というコピーがある。「沼越幸」(森川葵)が購入するマンションを探す姿に現代の女性が求めているものを描く。彼女は不動産会社の営業マン「伊達政一」(高橋一生)を中心に様々な人々と出会う。
第4回のラスト近く、冒頭から24分過ぎ、沼越幸が務めている居酒屋のシーンで『茜色の夕日』が静かに流れ出す。伊達政一が沼越の働く姿を垣間見るとそのまま小路を歩きだす。その瞬間から音量が高くなり、志村正彦の声が画面を覆いつくす。
君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
言葉の一つ一つが耳にしみこむ。
伊達は自宅に戻りソファに座る。
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ
この歌詞に合わせて伊達が歌い出す。心に刻まれた『茜色の夕日』を自らの声で追いかけるように。「思い出すもの」がたくさんあるかのように。伝えられないものがたくさんあるかのように。
志村正彦の声と伊達を演ずる高橋一生の声が、重なり合い、響き合う。その意外性、 不思議な感覚にひきつけられた。
高橋一生はドラマや映画でしばしば見かけるが、五年前の冬、新宿の紀伊国屋ホールで演劇を見たことがある。鴻上尚史の「第三舞台」の封印解除&解散公演「深呼吸する惑星」だった。見た目通り少し線が細い感じだが、舞台に立つとなかなか存在感のある役者だった。
高橋一生の演じる伊達の緊張感ある表情とやや暗い眼差し。池の水に対する恐怖症を感じさせるシーンなど、心に重く抱えているものがありながらも、誠実に礼儀正しく仕事にいそしむ。作中の人物設定は三十五歳のようだ。志村正彦が元気でいれば同じ位の年だ。(志村が会社員になっていたら、伊達のような表情で仕事をしていたのかもしれない、などというありえない空想をしてしまった)
どのような演出の意図があって、『茜色の夕日』が挿入歌となったのかは分からないが、このドラマの文脈では、「東京の歌」として位置付けられているのは間違いない。都市生活者の都市音楽としての『茜色の夕日』。(この「都市音楽」という表現は、浜野サトル氏の著作『都市音楽ノート』の表題から使わせていただいている)ただし、地方からの出郷者が作る都市音楽、都市の歌なのだが。志村がそうであったように、作中の伊達も地方からの上京者という設定なのかもしれない。
歌の主体は「少し思い出すものがありました』という語り口で歌い出す。今、東京で、生きている。その場と時から、かつて生きていた場、時へと回帰していく。
志村正彦の描く風景、春夏秋冬の季節感、それは彼の故郷富士吉田、山梨に由来するものあることは確かだ。だが、そのままのものではなく、それらが一度失われたうえで、あらためて想い出されたもの、都市という場からの眼差しで再構築されたものだ。そのことが彼の歌の普遍性を支えている。望郷の歌、帰郷の歌、郷土性の高い歌とは一線を画している。
明日12月24日は彼の命日である。今年も一週間の間、彼の生まれ育った富士吉田で『茜色の夕日』が夕方5時のチャイムの曲となる。
今日は昨夜からの雨が上がったが、風がすごく強い。
『茜色の夕日』は、故郷の風に吹かれているのだろうか。
原作は池辺葵という漫画家の作品だそうだ。NHKのサイトには、「女、26歳、居酒屋勤務、結婚の予定なし。でも、“家”を買います」というコピーがある。「沼越幸」(森川葵)が購入するマンションを探す姿に現代の女性が求めているものを描く。彼女は不動産会社の営業マン「伊達政一」(高橋一生)を中心に様々な人々と出会う。
第4回のラスト近く、冒頭から24分過ぎ、沼越幸が務めている居酒屋のシーンで『茜色の夕日』が静かに流れ出す。伊達政一が沼越の働く姿を垣間見るとそのまま小路を歩きだす。その瞬間から音量が高くなり、志村正彦の声が画面を覆いつくす。
君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
言葉の一つ一つが耳にしみこむ。
伊達は自宅に戻りソファに座る。
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ
この歌詞に合わせて伊達が歌い出す。心に刻まれた『茜色の夕日』を自らの声で追いかけるように。「思い出すもの」がたくさんあるかのように。伝えられないものがたくさんあるかのように。
志村正彦の声と伊達を演ずる高橋一生の声が、重なり合い、響き合う。その意外性、 不思議な感覚にひきつけられた。
高橋一生はドラマや映画でしばしば見かけるが、五年前の冬、新宿の紀伊国屋ホールで演劇を見たことがある。鴻上尚史の「第三舞台」の封印解除&解散公演「深呼吸する惑星」だった。見た目通り少し線が細い感じだが、舞台に立つとなかなか存在感のある役者だった。
高橋一生の演じる伊達の緊張感ある表情とやや暗い眼差し。池の水に対する恐怖症を感じさせるシーンなど、心に重く抱えているものがありながらも、誠実に礼儀正しく仕事にいそしむ。作中の人物設定は三十五歳のようだ。志村正彦が元気でいれば同じ位の年だ。(志村が会社員になっていたら、伊達のような表情で仕事をしていたのかもしれない、などというありえない空想をしてしまった)
どのような演出の意図があって、『茜色の夕日』が挿入歌となったのかは分からないが、このドラマの文脈では、「東京の歌」として位置付けられているのは間違いない。都市生活者の都市音楽としての『茜色の夕日』。(この「都市音楽」という表現は、浜野サトル氏の著作『都市音楽ノート』の表題から使わせていただいている)ただし、地方からの出郷者が作る都市音楽、都市の歌なのだが。志村がそうであったように、作中の伊達も地方からの上京者という設定なのかもしれない。
歌の主体は「少し思い出すものがありました』という語り口で歌い出す。今、東京で、生きている。その場と時から、かつて生きていた場、時へと回帰していく。
志村正彦の描く風景、春夏秋冬の季節感、それは彼の故郷富士吉田、山梨に由来するものあることは確かだ。だが、そのままのものではなく、それらが一度失われたうえで、あらためて想い出されたもの、都市という場からの眼差しで再構築されたものだ。そのことが彼の歌の普遍性を支えている。望郷の歌、帰郷の歌、郷土性の高い歌とは一線を画している。
明日12月24日は彼の命日である。今年も一週間の間、彼の生まれ育った富士吉田で『茜色の夕日』が夕方5時のチャイムの曲となる。
今日は昨夜からの雨が上がったが、風がすごく強い。
『茜色の夕日』は、故郷の風に吹かれているのだろうか。
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志村正彦ライナーノーツ(LN)
2016年12月18日日曜日
『Biko』Peter Gabriel-ビコ生誕70周年
今朝、「google」のトップ画面には、シャツ姿のアフリカ系人の男性が何かを見つめている姿があった。誰だろうか。気になった。
イラストにポイントをあてると「スティーヴ・ビコ生誕70周年」と表示される。ビコだったのか。クリックすると検索画面に変わり、「スティーヴ・ビコ 生年月日1946年12月18日」とあった。今日はビコが生まれて70年目となる日だった。「google」は時に良い仕事をする。
スティーヴン・バントゥー・ビコ (Stephen Bantu "Steve" Biko)は南アフリカの反アパルトヘイト活動家だ。「黒人意識運動(Black Consciousness Movement)」の代表として活動していたが、1977年9月12日、拷問をうけ死去した。30歳の若さだった。
1980年発表のPeter Gabriel(ピーター・ガブリエル)ソロアルバム3作目『Peter Gabriel』(彼のソロは1作目から4作目まではすべて『Peter Gabriel』としか記されていない。当時彼は雑誌のタイトルのようなものだと述べていた。ジャケット写真からファンの間では『Melt』とも呼ばれている)のB面最後の曲が、『biko』だった。当時の日本ではスティーヴ・ビコはほとんど知られていなかった。少なくとも僕はそうだった。多くのロックファンと同様にこの歌によってビコの存在を知った。
洋楽の中では今に至るまで、Peter Gabrielは僕にとって唯一無二の存在だ。Genesisというバンドで彼は、物語や神話のモチーフを活かした歌詞、奇妙な仮面や衣装をまとった演劇的なステージなど、アバンギャルドなロックを創造した。ソロになってさらに、深い内省の力、鋭い批評性やユーモアも加わった。そのような彼が社会の現実に向き合い、問題を告発する歌を作り世界に広めようとしたことに、驚きと共に深い感動を覚えた。80年代の前半、一番多く聴いていたのはこのアルバムだった。
『Biko』は発表以来、彼のコンサートの最後で必ず歌われるようになった。1994年3月、PeterGabriel 「Secret World Tour」ライブが日本武道館で開催された。(今に至るまで、彼の単独来日ライブはこのツアー1回だけだ)僕にとっては文字通りの「夢」のライブだったのだが、この時もアンコールの最後でこの歌が力強く歌われた。
「Peter Gabriel VEVO」に「Amnesty International」のコンサート映像がある(時と場は1990年チリのようだ)。記者会見の映像もあり、コメントも聞ける。四十歳になった彼は地元の音楽家やStingと共演し、繊細にして強い意志が込められた声で歌っている。最後の観客の歓声に心を動かされる。
歌詞を引用する。
第二ブロックが印象深い。Peter Gabrielらしいvisionにあふれている。黒色と白色の世界を分断する線が赤く染まっている。歌の主体「僕」はそのような色彩の夢を見る。「僕」は、そして僕らは夢から覚めるのだろうか。
分かりやすい英語だが、拙訳を付したい。
September '77
Port Elizabeth weather fine
It was business as usual
In police room 619
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
The man is dead
When I try to sleep at night
I can only dream in red
The outside world is black and white
With only one colour dead
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
The man is dead
You can blow out a candle
But you can't blow out a fire
Once the flames begin to catch
The wind will blow it higher
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
The man is dead
And the eyes of the world are watching now, watching now
1977年9月
ポート・エリザベス快晴
いつもの仕事だった
619号取調室で
ビコ、ビコはビコゆえに
Yihla Moja
その男は死んだ
夜眠ろうとすると
僕は赤色の夢だけを見る
外の世界は黒色と白色で
一つの色だけが死んでいて
ビコ、ビコはビコゆえに
Yihla Moja
その男は死んだ
ろうそくを消すことはできる
だが火を吹き消すことはできない
一度炎が燃えはじめると
風が炎を高く舞いあげる
ビコ、ビコはビコゆえに
Yihla Moja
その男は死んだ
そして、世界の目が今見つめている
Bob Dylanのノーベル賞受賞によって、彼の初期のプロテストソングが注目を浴びているが、Peter Gabrielの 『Biko』も非常に優れたそして影響力を持つプロテストソングだ。従来とは異なる形の差別や貧困という「分断」が「世界」に広がる今日、「世界」の眼差しを問いかけるこの歌の存在は大きい。
イラストにポイントをあてると「スティーヴ・ビコ生誕70周年」と表示される。ビコだったのか。クリックすると検索画面に変わり、「スティーヴ・ビコ 生年月日1946年12月18日」とあった。今日はビコが生まれて70年目となる日だった。「google」は時に良い仕事をする。
スティーヴン・バントゥー・ビコ (Stephen Bantu "Steve" Biko)は南アフリカの反アパルトヘイト活動家だ。「黒人意識運動(Black Consciousness Movement)」の代表として活動していたが、1977年9月12日、拷問をうけ死去した。30歳の若さだった。
1980年発表のPeter Gabriel(ピーター・ガブリエル)ソロアルバム3作目『Peter Gabriel』(彼のソロは1作目から4作目まではすべて『Peter Gabriel』としか記されていない。当時彼は雑誌のタイトルのようなものだと述べていた。ジャケット写真からファンの間では『Melt』とも呼ばれている)のB面最後の曲が、『biko』だった。当時の日本ではスティーヴ・ビコはほとんど知られていなかった。少なくとも僕はそうだった。多くのロックファンと同様にこの歌によってビコの存在を知った。
洋楽の中では今に至るまで、Peter Gabrielは僕にとって唯一無二の存在だ。Genesisというバンドで彼は、物語や神話のモチーフを活かした歌詞、奇妙な仮面や衣装をまとった演劇的なステージなど、アバンギャルドなロックを創造した。ソロになってさらに、深い内省の力、鋭い批評性やユーモアも加わった。そのような彼が社会の現実に向き合い、問題を告発する歌を作り世界に広めようとしたことに、驚きと共に深い感動を覚えた。80年代の前半、一番多く聴いていたのはこのアルバムだった。
『Biko』は発表以来、彼のコンサートの最後で必ず歌われるようになった。1994年3月、PeterGabriel 「Secret World Tour」ライブが日本武道館で開催された。(今に至るまで、彼の単独来日ライブはこのツアー1回だけだ)僕にとっては文字通りの「夢」のライブだったのだが、この時もアンコールの最後でこの歌が力強く歌われた。
「Peter Gabriel VEVO」に「Amnesty International」のコンサート映像がある(時と場は1990年チリのようだ)。記者会見の映像もあり、コメントも聞ける。四十歳になった彼は地元の音楽家やStingと共演し、繊細にして強い意志が込められた声で歌っている。最後の観客の歓声に心を動かされる。
歌詞を引用する。
第二ブロックが印象深い。Peter Gabrielらしいvisionにあふれている。黒色と白色の世界を分断する線が赤く染まっている。歌の主体「僕」はそのような色彩の夢を見る。「僕」は、そして僕らは夢から覚めるのだろうか。
分かりやすい英語だが、拙訳を付したい。
September '77
Port Elizabeth weather fine
It was business as usual
In police room 619
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
The man is dead
When I try to sleep at night
I can only dream in red
The outside world is black and white
With only one colour dead
Oh Biko, Biko, because Biko
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
The man is dead
You can blow out a candle
But you can't blow out a fire
Once the flames begin to catch
The wind will blow it higher
Oh Biko, Biko, because Biko
Yihla Moja, Yihla Moja
The man is dead
The man is dead
And the eyes of the world are watching now, watching now
1977年9月
ポート・エリザベス快晴
いつもの仕事だった
619号取調室で
ビコ、ビコはビコゆえに
Yihla Moja
その男は死んだ
夜眠ろうとすると
僕は赤色の夢だけを見る
外の世界は黒色と白色で
一つの色だけが死んでいて
ビコ、ビコはビコゆえに
Yihla Moja
その男は死んだ
ろうそくを消すことはできる
だが火を吹き消すことはできない
一度炎が燃えはじめると
風が炎を高く舞いあげる
ビコ、ビコはビコゆえに
Yihla Moja
その男は死んだ
そして、世界の目が今見つめている
Bob Dylanのノーベル賞受賞によって、彼の初期のプロテストソングが注目を浴びているが、Peter Gabrielの 『Biko』も非常に優れたそして影響力を持つプロテストソングだ。従来とは異なる形の差別や貧困という「分断」が「世界」に広がる今日、「世界」の眼差しを問いかけるこの歌の存在は大きい。
2016年12月11日日曜日
パティ・スミスが歌う『はげしい雨が降る』-ディランのノーベル賞授賞式
昨夜、パティ・スミスがノーベル賞授賞式でボブ・ディランの代わりに『はげしい雨が降る』(A Hard Rain’s A-Gonna Fall)を歌った。もうすぐ七十歳になるパティを見ると別の感慨も覚える。
公式の映像がyoutubeにある。1:03頃から1:11頃までがそのシーンだ。
パティは緊張のせいか2番の途中で詰まってしまう。「ごめんなさい。とてもナーバスになっています」と言うと、会場からあたたかい拍手。それに促されるようにして、少し戻ったうえでもう一度歌い始めた。
パティの声を通じてディランの言葉が会場に静かにしかし強く広がっていく。歌詞に触発されたのだろうか、涙ぐむ女性も映されていた。真摯であたたかい雰囲気に包まれていた。歌詞の一節を引きたい。拙訳を付す。
Heard the song of a poet who died in the gutter,
Heard the sound of a clown who cried in the alley,
And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, it's a hard,
And it's a hard rain's a-gonna fall.
側溝で死んだ詩人の歌を聞いた
路地で泣いた道化の声を聞いた
激しい激しい激しい激しい
激しい雨が降る
ボブ・ディランの歌が「文学」であるかどうかというつまらない議論があるようだが、言葉が私たちに作用していく作品は、文字であれ音声であれ、すべて「文学」だと考える。書かれた文学の歴史はまだまだ浅い。もともと歌謡や口承文芸がその根源にある。
ディランのノーベル賞授賞は、彼の歌、そして広く、ロックの歌、ロックの詩に出会う人が増えていくことに最大の意義があるのだろう。
【付記】
昨夜放送のNHKスペシャル『ボブディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉』 は非常に興味深かった。タルサにある「ボブ・ディラン アーカイブ」に取材に行き、あの『ブルーにこんがらがって』(Tangled Up in Blue)の創作過程を資料に基づいて解説していた。ディランがどれだけの時間をかけて作品を完成していったのかの一端が分かる。12月17日(土) 午前0時10分から再放送される。この番組については回を改めて書いてみたい。
また、今夜23:00からNHKBSプレミアムで 『BOB DYLAN Master Of Change~ディランは変わる~』も放送される。
公式の映像がyoutubeにある。1:03頃から1:11頃までがそのシーンだ。
パティは緊張のせいか2番の途中で詰まってしまう。「ごめんなさい。とてもナーバスになっています」と言うと、会場からあたたかい拍手。それに促されるようにして、少し戻ったうえでもう一度歌い始めた。
パティの声を通じてディランの言葉が会場に静かにしかし強く広がっていく。歌詞に触発されたのだろうか、涙ぐむ女性も映されていた。真摯であたたかい雰囲気に包まれていた。歌詞の一節を引きたい。拙訳を付す。
Heard the song of a poet who died in the gutter,
Heard the sound of a clown who cried in the alley,
And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, it's a hard,
And it's a hard rain's a-gonna fall.
側溝で死んだ詩人の歌を聞いた
路地で泣いた道化の声を聞いた
激しい激しい激しい激しい
激しい雨が降る
ボブ・ディランの歌が「文学」であるかどうかというつまらない議論があるようだが、言葉が私たちに作用していく作品は、文字であれ音声であれ、すべて「文学」だと考える。書かれた文学の歴史はまだまだ浅い。もともと歌謡や口承文芸がその根源にある。
ディランのノーベル賞授賞は、彼の歌、そして広く、ロックの歌、ロックの詩に出会う人が増えていくことに最大の意義があるのだろう。
【付記】
昨夜放送のNHKスペシャル『ボブディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉』 は非常に興味深かった。タルサにある「ボブ・ディラン アーカイブ」に取材に行き、あの『ブルーにこんがらがって』(Tangled Up in Blue)の創作過程を資料に基づいて解説していた。ディランがどれだけの時間をかけて作品を完成していったのかの一端が分かる。12月17日(土) 午前0時10分から再放送される。この番組については回を改めて書いてみたい。
また、今夜23:00からNHKBSプレミアムで 『BOB DYLAN Master Of Change~ディランは変わる~』も放送される。
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Bob Dylan,
Patti Smith,
音楽
2016年12月5日月曜日
大根仁の選んだ『夜明けのBEAT』[志村正彦LN144]
NHKEテレ『ミュージック・ポートレイト「古舘伊知郎×大根仁 第2夜」』を先ほど見終わった。ネットの情報で大根仁監督がフジファブリック『夜明けのBEAT』を選んだと知ったので再放送を録画しておいた。(本放送は12月1日にあった)
この番組は、気心の知れた2人が人生の節目で心に響いた「大切な音楽10曲」を語り合うもの。古舘伊知郎と大根仁は20年来の知り合いだそうだ。二人は一緒に仕事をしていたのだが、古舘が「報道ステーション」を始めたことで、大根にとって生活の基盤となる仕事が失われる。これを転機として彼は深夜ドラマにシフトしていく。過去のドラマのパロディなど工夫を重ねたが、イマイチ「数字」(視聴率)が取れない。人に届けることができない。年齢も40歳を超える。ヒット作をちゃんと作らねばと思う。そんなある日定食屋で読んでいたある漫画に心をつかまれる。それが『モテキ』だった。普遍的なテーマ「恋愛」に活路を見出していく。テレビドラマ『モテキ』の誕生話だ。そしてこの作品が大ブレイクした。
ドラマ『モテキ』の話に続いてナレーターが語りだす。ご覧になられなかった方のために、音源や映像部分を( )内に注記しながら、発言を忠実に再現しよう。
(語り)大根は自らのモテなかった体験を主人公に投影してドラマを作り始めます。同時に主題歌を探していた大根、ふとこの曲に出会います。(ここから『夜明けのBEAT』イントロが流れる)
大根自身鳥肌が立ったというほど作品にぴったりなこの曲。大根はドラマ作りを加速させます。(ここから『夜明けのBEAT』MVが始まる。森山未來が夜を彷徨うシーン。歩いて倒れ、倒れて歩く。「半分の事で良いから 君を教えておくれ」「些細な事で良いから まずはそこから始めよう」の歌詞テロップ)
MV中の志村正彦登場シーンが流れると、それに合わせるように、大根の次の言葉が始まった。
(大根)この曲はボーカルの志村さんという人が2010年そのモテキのオンエアが始まるちょっと前に亡くなってしまったんですよね。で、だから志村さんはこの曲をこのドラマに向けて書いたつもりではないんですよ。でもなんかそうなのにもうなんか内容的に完全にシンクロしているし、なんかこの呼ばれている感じは何だろうなっていうね。
「この呼ばれている感じは何だろうな」というのが大根仁の『夜明けのBEAT』経験の核心にあるものだろう。彼は「呼ばれている」ことに誠実に応えた。そうすることで、『モテキ』と『夜明けのBEAT』は遭遇を果たせた。この歌がドラマ作りを加速させたように、ドラマ『モテキ』が『夜明けのBEAT』を数多くの人々に伝えることになった。
志村正彦も大根仁も『モテキ』の作中人物の一人となり、この二人が対話しているかのような幻想を想い描けるかもしれない。 FUJIFABRIC Official YouTube Channelから大根監督作成のMVを添付しよう。
久しぶりにこのMVを見た。森山未來のダンスはエッジが効いている。踊りも演奏も映像も、深夜から早朝までの時間を疾走していく。ラストシーン、薄紫色の雲と空の世界は、題名通りの「夜明け」の感覚に満ちている。そしてこのMVを支えているのは、数秒しか映らないのではあるが、志村正彦の歌い叫ぶ姿であろう。
今年はすでに5月に『ミュージック・ポートレイト「妻夫木聡×満島ひかり第2夜」』で、妻夫木によって『茜色の夕日』が選ばれている。
記憶されるべき作品として、志村正彦・フジファブリックの歌は「今」を生きている。
この番組は、気心の知れた2人が人生の節目で心に響いた「大切な音楽10曲」を語り合うもの。古舘伊知郎と大根仁は20年来の知り合いだそうだ。二人は一緒に仕事をしていたのだが、古舘が「報道ステーション」を始めたことで、大根にとって生活の基盤となる仕事が失われる。これを転機として彼は深夜ドラマにシフトしていく。過去のドラマのパロディなど工夫を重ねたが、イマイチ「数字」(視聴率)が取れない。人に届けることができない。年齢も40歳を超える。ヒット作をちゃんと作らねばと思う。そんなある日定食屋で読んでいたある漫画に心をつかまれる。それが『モテキ』だった。普遍的なテーマ「恋愛」に活路を見出していく。テレビドラマ『モテキ』の誕生話だ。そしてこの作品が大ブレイクした。
ドラマ『モテキ』の話に続いてナレーターが語りだす。ご覧になられなかった方のために、音源や映像部分を( )内に注記しながら、発言を忠実に再現しよう。
(語り)大根は自らのモテなかった体験を主人公に投影してドラマを作り始めます。同時に主題歌を探していた大根、ふとこの曲に出会います。(ここから『夜明けのBEAT』イントロが流れる)
大根自身鳥肌が立ったというほど作品にぴったりなこの曲。大根はドラマ作りを加速させます。(ここから『夜明けのBEAT』MVが始まる。森山未來が夜を彷徨うシーン。歩いて倒れ、倒れて歩く。「半分の事で良いから 君を教えておくれ」「些細な事で良いから まずはそこから始めよう」の歌詞テロップ)
MV中の志村正彦登場シーンが流れると、それに合わせるように、大根の次の言葉が始まった。
(大根)この曲はボーカルの志村さんという人が2010年そのモテキのオンエアが始まるちょっと前に亡くなってしまったんですよね。で、だから志村さんはこの曲をこのドラマに向けて書いたつもりではないんですよ。でもなんかそうなのにもうなんか内容的に完全にシンクロしているし、なんかこの呼ばれている感じは何だろうなっていうね。
「この呼ばれている感じは何だろうな」というのが大根仁の『夜明けのBEAT』経験の核心にあるものだろう。彼は「呼ばれている」ことに誠実に応えた。そうすることで、『モテキ』と『夜明けのBEAT』は遭遇を果たせた。この歌がドラマ作りを加速させたように、ドラマ『モテキ』が『夜明けのBEAT』を数多くの人々に伝えることになった。
志村正彦も大根仁も『モテキ』の作中人物の一人となり、この二人が対話しているかのような幻想を想い描けるかもしれない。 FUJIFABRIC Official YouTube Channelから大根監督作成のMVを添付しよう。
久しぶりにこのMVを見た。森山未來のダンスはエッジが効いている。踊りも演奏も映像も、深夜から早朝までの時間を疾走していく。ラストシーン、薄紫色の雲と空の世界は、題名通りの「夜明け」の感覚に満ちている。そしてこのMVを支えているのは、数秒しか映らないのではあるが、志村正彦の歌い叫ぶ姿であろう。
今年はすでに5月に『ミュージック・ポートレイト「妻夫木聡×満島ひかり第2夜」』で、妻夫木によって『茜色の夕日』が選ばれている。
記憶されるべき作品として、志村正彦・フジファブリックの歌は「今」を生きている。
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『夜明けのBEAT』/『モテキ』,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2016年11月30日水曜日
桜座の夜、歌の散布。
11月27日、甲府桜座、『Analogfish & mooolsと捲く、芋ケンピ空中散布ツアー2016 ~空中サンプ~、ドローンに詰めるだけ詰め込んで、、秋。』LIVE。このツアーに通い始めて四年目になるが、これまでで最も印象深かった。
開演前に、メンバーかスタッフの息子さんだろうか、男の子から芋ケンピが一つ渡され、「空中散布」が始まった。(後でmoools酒井泰明も観客一人ひとりに配り歩いた)
ケンタ&カフカ。佐々木健太郎(Analogfish)とカフカ先生(moools)のデュオ。MCで小淵沢でのレコーディング時の挿話が入る。ケンタの声とカフカの鍵盤の音色がゆるやかに溶け込む。カフカ先生の故郷、北海道礼文島ではソ連の放送が聞こえたそうで、記憶に残る美しいピアノ曲を奏でてくれた。なんだかとても懐かしい時が流れる。
KETTLES。コイケ、オカヤスによる男女デュオ。ベースレスのロックがどういうものかを堪能できた。ベースの不在は音を尖らせる。尖っているけどにこやかであり繊細でもある。2016年の東京パンクはこういう音なのかもしれない。『何をやっていたんだ』という曲が耳にこびりつく。今まで。
moools。彼らが登場するだけで桜座の重心が低い方に降りていく。彼らの佇まいがそうさせるのか。有泉充浩のベース、斉藤耕治のドラムス、円熟した音が低く低くうねる。それに反作用するかのように、酒井泰明の声が高く高く言葉を突きあげる。浜本亮のギターは限りなく透明に近い音色。カフカの鍵盤音がさりげなく落ち着きを与えている。彼らを桜座で聴いて四年目になるが、70年代の英米のロックの音、その最上の部分が再現されているように感じる。単なる反復ではなく、mooolsらしいひねりのある現前であるのだが。
Analogfish。斉藤州一郎のドラムスが桜座に鳴り出す。彼のパルスのようなビートの感覚はこの空間にとてもよく合う。どの曲も素晴らしかったのだが、とりわけ『Nightfever』『夢の中で』『世界は幻』と続いた三曲に圧倒された。
夜空は年々深さを増し
いつか僕はのみ込まれてしまうよ
センターラインはどこにある
そしてそのどちら側に君は立つ 『Nightfever』
誰かの夢の中で暮らしてるような気分
そんな気分 『夢の中で』
べつだん 何不自由も無い
すりガラスごしに見る 世界が幻だ 『世界は幻』
制作年代もテーマも異なる三曲だが、この日は、「夜」、「夢」、「幻」とモチーフが絡み合い、つながるように響く(こう書くと三題噺のようでもあるが)。
「センターラインはどこにある」のか、「誰かの夢の中」か、「すりガラスごし」か。場や人や物。その境界線のこちら側と向こう側、僕らはどこにいるのか。
なぜだか感情が潤んだ。哀しい寂しいというものではない。冷静であるのだが、心の奥深く何かが呼び起こされる。下岡晃の語り、佐々木健太郎の唄、かけがえのない歌を今ここで聴いているのだという確信があった。
この夜、桜座で、歌が散布された。Analogfish『Nightfever』の一節で閉じたい。
nightfeverが覚める頃街は朝の中
nightfeverが覚める頃君は夢の中
開演前に、メンバーかスタッフの息子さんだろうか、男の子から芋ケンピが一つ渡され、「空中散布」が始まった。(後でmoools酒井泰明も観客一人ひとりに配り歩いた)
ケンタ&カフカ。佐々木健太郎(Analogfish)とカフカ先生(moools)のデュオ。MCで小淵沢でのレコーディング時の挿話が入る。ケンタの声とカフカの鍵盤の音色がゆるやかに溶け込む。カフカ先生の故郷、北海道礼文島ではソ連の放送が聞こえたそうで、記憶に残る美しいピアノ曲を奏でてくれた。なんだかとても懐かしい時が流れる。
KETTLES。コイケ、オカヤスによる男女デュオ。ベースレスのロックがどういうものかを堪能できた。ベースの不在は音を尖らせる。尖っているけどにこやかであり繊細でもある。2016年の東京パンクはこういう音なのかもしれない。『何をやっていたんだ』という曲が耳にこびりつく。今まで。
moools。彼らが登場するだけで桜座の重心が低い方に降りていく。彼らの佇まいがそうさせるのか。有泉充浩のベース、斉藤耕治のドラムス、円熟した音が低く低くうねる。それに反作用するかのように、酒井泰明の声が高く高く言葉を突きあげる。浜本亮のギターは限りなく透明に近い音色。カフカの鍵盤音がさりげなく落ち着きを与えている。彼らを桜座で聴いて四年目になるが、70年代の英米のロックの音、その最上の部分が再現されているように感じる。単なる反復ではなく、mooolsらしいひねりのある現前であるのだが。
Analogfish。斉藤州一郎のドラムスが桜座に鳴り出す。彼のパルスのようなビートの感覚はこの空間にとてもよく合う。どの曲も素晴らしかったのだが、とりわけ『Nightfever』『夢の中で』『世界は幻』と続いた三曲に圧倒された。
夜空は年々深さを増し
いつか僕はのみ込まれてしまうよ
センターラインはどこにある
そしてそのどちら側に君は立つ 『Nightfever』
誰かの夢の中で暮らしてるような気分
そんな気分 『夢の中で』
べつだん 何不自由も無い
すりガラスごしに見る 世界が幻だ 『世界は幻』
制作年代もテーマも異なる三曲だが、この日は、「夜」、「夢」、「幻」とモチーフが絡み合い、つながるように響く(こう書くと三題噺のようでもあるが)。
「センターラインはどこにある」のか、「誰かの夢の中」か、「すりガラスごし」か。場や人や物。その境界線のこちら側と向こう側、僕らはどこにいるのか。
なぜだか感情が潤んだ。哀しい寂しいというものではない。冷静であるのだが、心の奥深く何かが呼び起こされる。下岡晃の語り、佐々木健太郎の唄、かけがえのない歌を今ここで聴いているのだという確信があった。
この夜、桜座で、歌が散布された。Analogfish『Nightfever』の一節で閉じたい。
nightfeverが覚める頃街は朝の中
nightfeverが覚める頃君は夢の中
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Analogfish ・下岡晃・佐々木健太郎,
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音楽
2016年11月22日火曜日
日曜日の桜座、Analogfish・moools・KETTLES、来る!
今週の日曜日、11月27日、甲府の桜座で、『Analogfish & mooolsと捲く、芋ケンピ空中散布ツアー2016 ~空中サンプ~、ドローンに詰めるだけ詰め込んで、、秋。』が開催されます。moools、アナログフィッシュ、KETTLES、ケンタ&カフカの出演だそうです。(ケンタ&カフカって何?誰?)
二か月ほど前にもここに書きましたが、まだまだ席があるようなので再度お知らせします。
佐々木健太郎(Analogfish) さんのtwitterに、手製のチラシの画像がありました。素晴らしい味わいがあるので勝手に転載させていただきます。
僕は読み返しては感動しています!
佐々木さんは「甲府桜座は、ガラス工場を加工した、他では有り得ない、場所自体に魔法がかかっちゃってる場所です。音もとてもいいんです。芝居小屋という事もあり、ライブとゆーより舞台みたいというか、普段とは一味も二味も違います。」と呟いています。
そうですそうです。桜座は「他では有り得ない」宝箱です。僕はここで色々な宝物と出会いました。特に山梨に住んでいる皆様、宝物を分かち合いましょう。いつも山梨のお客さんが少ない感じがします。もったいないです。予約は主催の「どうしておなかがすくのかな企画」のHPでできます。
Analogfishは最近 Acoustic self-cover Albumの『town meeting / Analogfish Acoustic Edition』をリリースしました。山梨の小淵沢の「星と虹スタジオ」で録音され、ミックスも田辺玄(WATER WATER CAMEL)さんです。山梨の空気が詰め込まれていることでしょう。僕はまだ手に入れていません。会場の桜座で販売されそうなので、購入することを楽しみにしています。
二か月ほど前にもここに書きましたが、まだまだ席があるようなので再度お知らせします。
佐々木健太郎(Analogfish) さんのtwitterに、手製のチラシの画像がありました。素晴らしい味わいがあるので勝手に転載させていただきます。
僕は読み返しては感動しています!
佐々木さんは「甲府桜座は、ガラス工場を加工した、他では有り得ない、場所自体に魔法がかかっちゃってる場所です。音もとてもいいんです。芝居小屋という事もあり、ライブとゆーより舞台みたいというか、普段とは一味も二味も違います。」と呟いています。
そうですそうです。桜座は「他では有り得ない」宝箱です。僕はここで色々な宝物と出会いました。特に山梨に住んでいる皆様、宝物を分かち合いましょう。いつも山梨のお客さんが少ない感じがします。もったいないです。予約は主催の「どうしておなかがすくのかな企画」のHPでできます。
Analogfishは最近 Acoustic self-cover Albumの『town meeting / Analogfish Acoustic Edition』をリリースしました。山梨の小淵沢の「星と虹スタジオ」で録音され、ミックスも田辺玄(WATER WATER CAMEL)さんです。山梨の空気が詰め込まれていることでしょう。僕はまだ手に入れていません。会場の桜座で販売されそうなので、購入することを楽しみにしています。
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Analogfish ・下岡晃・佐々木健太郎,
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2016年11月20日日曜日
レナード・コーエン、レオン・ラッセル。
レナード・コーエンが11月7日に、レオン・ラッセルが11月13日に亡くなった。享年82歳と74歳。若くして世を去るロックの音楽家も少なくない中、この二人は音楽家としての人生を過ごすことができたのだろう。僕にとっては70年代前半から半ばにかけての時代に出会い、その時代にリアルタイムで聴いてきた歌い手だけに、かなりの感慨がある。
72年か73年の頃、カーペンターズによるレオン・ラッセル『ア・ソング・フォー・ユー』(A Song for You)のカバー曲がヒットし、そのうち本家のレオン・ラッセルの歌もラジオでよくかかるようになったと記憶している。あの独特の声による語りの調子に魅了された。当時は「スワンプ・ロック」の中心人物として『ニューミュージック・マガジン』でよく紹介されていた。アメリカの歌の奥行きの深さのようなものを感じていた。カーニバル的な色彩感のある『タイト・ロープ』もヒットした。今では想像できないだろうが、当時のラジオ番組ではレオン・ラッセルのような渋い洋楽もかなり放送されていたのだ。
レナード・コーエンとの出会いは、1975年リリースの『ベスト・オブ・レナード・コーエン』というベスト盤レコードだった。67年のデビュー作から74年の5枚目までのアルバムからの自選集で、本人による歌の背景の簡潔な説明も載せられていた。(これは本人公認のものだが、あの頃は日本のレコード会社の独自企画によるベスト盤もたくさんあった。小遣いの少ない若者にとってはありがたい存在だった。1997年邦盤のCDが発売されたが、現在は入手できないようだ)
ミラノのホテルで撮影されたというジャケット写真も印象深いものだった。
A面の『スザンヌ』『シスターズ・オブ・マーシー』『さよならマリアンヌ』『電線の鳥』と続く初めの四曲、B面終わりの方の『チェルシー・ホテル#2』『誰が火によって』を繰り返し聴いた。なかでも『電線の鳥』には強く惹かれた。
Like a bird on the wire,
Like a drunk in a midnight choir
I have tried in my way to be free.
電線の上の一羽の鳥のように
真夜中の聖歌隊の酔いどれのように
僕は僕のやり方で自由であろうと試みた
英語そのものの壁、英米文学の伝統、ユダヤ・キリスト教的な思想の伝統という大きな壁があった。歌詞が理解できたわけではなかったが、レナード・コーエンの「声」が強く響いてきた。意味もおぼろげではあるが次第に作用してきた。「I have tried in my way to be free.」という声と言葉が刻み込まれた。それ以来このフレーズは、「自由」であることが試されるような時の折々に、頭に浮かんできた。
題名でもある「a bird on the wire」という情景がどのようなものかは長い間分からなかった。イラ・ブルース・ナデル著『レナード・コーエン伝』(訳・大橋悦子 夏目書房2005/02)を読んで、この歌の成り立ちについて知ることができた。
1960年、レナード・コーエンは故郷のカナダ・モントリオールを離れギリシャのイドラ島で暮らし始めた。当初そこには電線も電話もなかった。まもなく電柱が立ち電線が引かれた。彼はその状況についてこう述べている。
窓越しにそんな電話線を見つめては、文明が私を追いかけきてつかまえた、もう逃れられない、と思ったものだ。自分のために見つけたはずのこの十一世紀の生活を、もう続けることができなくなった。それが始まりだった。
そう考えた時に、鳥たちが電線にとまりに来ることに彼は気づいたという。そこからこの冒頭の歌詞が生まれたようだ。
この証言によれば「the wire」は「電話線」を指すことになる。電話線は他者や外部とのコミュニケーションの象徴だ。レナード・コーエンがそこから逃避してきた欧米の世界、二十世紀の生活と自分をつなげてしまう。ギリシャでのゆったりとした時間とは異なる時間に連れ戻してしまう。「もう逃れられない」というのは悲痛な叫びだ。電話線の上にとまっている「一羽の鳥」は、そのような状況の到来にもかかわらず、「自由」であろうとする試みの像なのだろう。
デヴィッド・ボウイは今年1月に、ルー・リードは2013年10月に亡くなっている。ロックの第一第二世代、60年代後半から70年前半にかけての激しい時代を生きのびたロックの詩人たち。彼らの生が閉じられていく時代を迎えている。
72年か73年の頃、カーペンターズによるレオン・ラッセル『ア・ソング・フォー・ユー』(A Song for You)のカバー曲がヒットし、そのうち本家のレオン・ラッセルの歌もラジオでよくかかるようになったと記憶している。あの独特の声による語りの調子に魅了された。当時は「スワンプ・ロック」の中心人物として『ニューミュージック・マガジン』でよく紹介されていた。アメリカの歌の奥行きの深さのようなものを感じていた。カーニバル的な色彩感のある『タイト・ロープ』もヒットした。今では想像できないだろうが、当時のラジオ番組ではレオン・ラッセルのような渋い洋楽もかなり放送されていたのだ。
レナード・コーエンとの出会いは、1975年リリースの『ベスト・オブ・レナード・コーエン』というベスト盤レコードだった。67年のデビュー作から74年の5枚目までのアルバムからの自選集で、本人による歌の背景の簡潔な説明も載せられていた。(これは本人公認のものだが、あの頃は日本のレコード会社の独自企画によるベスト盤もたくさんあった。小遣いの少ない若者にとってはありがたい存在だった。1997年邦盤のCDが発売されたが、現在は入手できないようだ)
ミラノのホテルで撮影されたというジャケット写真も印象深いものだった。
A面の『スザンヌ』『シスターズ・オブ・マーシー』『さよならマリアンヌ』『電線の鳥』と続く初めの四曲、B面終わりの方の『チェルシー・ホテル#2』『誰が火によって』を繰り返し聴いた。なかでも『電線の鳥』には強く惹かれた。
Like a bird on the wire,
Like a drunk in a midnight choir
I have tried in my way to be free.
電線の上の一羽の鳥のように
真夜中の聖歌隊の酔いどれのように
僕は僕のやり方で自由であろうと試みた
英語そのものの壁、英米文学の伝統、ユダヤ・キリスト教的な思想の伝統という大きな壁があった。歌詞が理解できたわけではなかったが、レナード・コーエンの「声」が強く響いてきた。意味もおぼろげではあるが次第に作用してきた。「I have tried in my way to be free.」という声と言葉が刻み込まれた。それ以来このフレーズは、「自由」であることが試されるような時の折々に、頭に浮かんできた。
題名でもある「a bird on the wire」という情景がどのようなものかは長い間分からなかった。イラ・ブルース・ナデル著『レナード・コーエン伝』(訳・大橋悦子 夏目書房2005/02)を読んで、この歌の成り立ちについて知ることができた。
1960年、レナード・コーエンは故郷のカナダ・モントリオールを離れギリシャのイドラ島で暮らし始めた。当初そこには電線も電話もなかった。まもなく電柱が立ち電線が引かれた。彼はその状況についてこう述べている。
窓越しにそんな電話線を見つめては、文明が私を追いかけきてつかまえた、もう逃れられない、と思ったものだ。自分のために見つけたはずのこの十一世紀の生活を、もう続けることができなくなった。それが始まりだった。
そう考えた時に、鳥たちが電線にとまりに来ることに彼は気づいたという。そこからこの冒頭の歌詞が生まれたようだ。
この証言によれば「the wire」は「電話線」を指すことになる。電話線は他者や外部とのコミュニケーションの象徴だ。レナード・コーエンがそこから逃避してきた欧米の世界、二十世紀の生活と自分をつなげてしまう。ギリシャでのゆったりとした時間とは異なる時間に連れ戻してしまう。「もう逃れられない」というのは悲痛な叫びだ。電話線の上にとまっている「一羽の鳥」は、そのような状況の到来にもかかわらず、「自由」であろうとする試みの像なのだろう。
デヴィッド・ボウイは今年1月に、ルー・リードは2013年10月に亡くなっている。ロックの第一第二世代、60年代後半から70年前半にかけての激しい時代を生きのびたロックの詩人たち。彼らの生が閉じられていく時代を迎えている。
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2016年11月6日日曜日
HINTO、"WC" TOUR 2016、渋谷WWWで。
一週間前の10月30日、渋谷でHINTOを聴いてきた。新アルバム発売に合わせた「"WC" release ONE-MAN TOUR 2016」の最終日だった。
正直書くと、東京のライブハウスまでわざわざ出かけるという意欲が最近はあまりない。このライブも迷っていたのだが、たまたまこの日に仕事関係の会議に行く用事ができた。これも何かの縁と思い、チケットを購入した。
五時半過ぎにやっと会議が終わり、渋谷に移動。この日はハロウィンの前日で渋谷駅前は大混雑。ハロウィン目当てでない人にとっては大迷惑。すり抜けすり抜け、会場の渋谷WWWへ。途中で仮装した若者をたくさん目撃したのだが、いまいち楽しそうでないというのか、なんだか痛々しい。誰かが仕掛けたのだろうが、仕掛けられた祭りはやはり白々しい。
開演六時半ぎりぎりに到着。ほぼ満員、最後列に何とかスペースを確保。映画館「シネマライズ」を改築した小屋だから段差がありステージが見やすい。しばらくするとHINTOの登場。『なつかしい人』が始まる。「100年まえから貴方のこと知ってる気がしているよ」の声が広がっていくと、場内が鎮まってくる。安部コウセイの表情を見て、言葉を聞き取ろうとする。この歌の静けさ、時をさかのぼり時を超えていくような調べはやはり特筆すべきものだ。
2014年9月渋谷CLUB QUATTRO公演の『エネミー』の狂熱に圧倒されたことは以前ここに書いたが、この日の『なつかしい人』の静かな熱量にも心と身体が押し込まれた。
このライブで気づいたのだが、安部光広のベースがHINTOサウンドの要だ。面白いベーシストだ。新しくもあり、どこか懐かしいようでもあるベースライン。彼のコーラスもこのサウンドに不可欠だ。安部兄弟の声と音が一つの塊となり、その塊に伊藤のエッジの効いたギターが彩りを何重にも与え、菱谷昌弘のドラムスが底の底のリズムを支える。
しかし元映画館のせいか、音が反響しすぎて分離が悪い。空間の規模に比べて、音量も大きすぎる。変なサラウンド効果がついたような音響にまいってしまった。
本編最後は、『WC』最後にある『ザ・ばんど』。「すべてのバンドマンに捧げます」というMCの後に、「何回も何回も 折れた心を乗せて走る/白いハイエースが 街から街へ/俺たち運んでいく ハイウェイ/待ってて」と歌い出された。
何回か本当にやめてしまおうかと思った
だけど恰好悪い ビートは続く
あの日からとまらないストーリー
最強の音楽でおれたちが連れて行くぜ遠く
青いバードはもう 探さず行こう
ドラムスが道標 ワン!ツー!
馴染めない この世界をぶっ壊すギター
忘れない 永遠みたいな悲しみのこと
情けない 自分自身をぶっ壊すシャウト
信じてたい 魔法みたいなロッケンロール
(『ザ・ばんど』 詞:安部コウセイ)
安部コウセイの歌詞にしては素直で直接的だ。もちろん、幾たびかの屈折を経た後で、ぐるっと回って素直さを得たというような感触だが。この歌について安部は、「バンドのことをシリアスに書くって、やっぱり恥ずかしいんです。でも、いい加減そこから逃げずにやんなきゃなって思ったのも事実なんですよね。」とした後でこう語っている。(『ラバーガール飛永との対話でこぼれた、HINTO安部コウセイの本音』文:金子厚武)
―なぜ今回のタイミングでは恥ずかしいと思う言葉でも使おうと思ったのでしょうか?
安部:なんでだろう……まあ、ど真ん中のことを大きい声で言う気持ちよさってやっぱりあるから、言いたくなってきたんでしょうね。あと“ザ・ばんど”に関して言うと、これを歌ったときに、自分達がいい方向に引っ張られるような曲にしたいと思ったんです。しんどいときに歌って、気持ちが前向きになったりしたらいいなって。
なるほど。「シリアス」で「恥ずかしい」ことであっても、そこから逃げずに「ど真ん中のことを大きい声で言う」。その境地は、三十歳代後半となった彼の現在の位置を示している。『ザ・ばんど』はバンドの過去、現在、そして未来の軌跡を描いてるのだろう。僕は単なる聴き手だから、バンドマンの真実は分からない。ただし、「自分達がいい方向に引っ張られる」という想いを共有することはできる。そのような曲であるのなら、聴き手もその方向に歩み出せるだろうから。
ハロウィンの渋谷。その狂騒から逃れるようにこの場に集った者はみな、安部コウセイがMCで話していたように、心に何かの塊を抱えている者なのだろう。変わらない、あるいは変えられない心の塊。2時間の間、ある者は踊り、ある者は言葉を聴く。自らの塊が、つかの間かもしれないが、ほぐされる。解放される。
HINTOの「最強の音楽」でこれからも、どこか遠くの場へと連れて行ってもらおうではないか。
正直書くと、東京のライブハウスまでわざわざ出かけるという意欲が最近はあまりない。このライブも迷っていたのだが、たまたまこの日に仕事関係の会議に行く用事ができた。これも何かの縁と思い、チケットを購入した。
五時半過ぎにやっと会議が終わり、渋谷に移動。この日はハロウィンの前日で渋谷駅前は大混雑。ハロウィン目当てでない人にとっては大迷惑。すり抜けすり抜け、会場の渋谷WWWへ。途中で仮装した若者をたくさん目撃したのだが、いまいち楽しそうでないというのか、なんだか痛々しい。誰かが仕掛けたのだろうが、仕掛けられた祭りはやはり白々しい。
開演六時半ぎりぎりに到着。ほぼ満員、最後列に何とかスペースを確保。映画館「シネマライズ」を改築した小屋だから段差がありステージが見やすい。しばらくするとHINTOの登場。『なつかしい人』が始まる。「100年まえから貴方のこと知ってる気がしているよ」の声が広がっていくと、場内が鎮まってくる。安部コウセイの表情を見て、言葉を聞き取ろうとする。この歌の静けさ、時をさかのぼり時を超えていくような調べはやはり特筆すべきものだ。
2014年9月渋谷CLUB QUATTRO公演の『エネミー』の狂熱に圧倒されたことは以前ここに書いたが、この日の『なつかしい人』の静かな熱量にも心と身体が押し込まれた。
このライブで気づいたのだが、安部光広のベースがHINTOサウンドの要だ。面白いベーシストだ。新しくもあり、どこか懐かしいようでもあるベースライン。彼のコーラスもこのサウンドに不可欠だ。安部兄弟の声と音が一つの塊となり、その塊に伊藤のエッジの効いたギターが彩りを何重にも与え、菱谷昌弘のドラムスが底の底のリズムを支える。
しかし元映画館のせいか、音が反響しすぎて分離が悪い。空間の規模に比べて、音量も大きすぎる。変なサラウンド効果がついたような音響にまいってしまった。
本編最後は、『WC』最後にある『ザ・ばんど』。「すべてのバンドマンに捧げます」というMCの後に、「何回も何回も 折れた心を乗せて走る/白いハイエースが 街から街へ/俺たち運んでいく ハイウェイ/待ってて」と歌い出された。
何回か本当にやめてしまおうかと思った
だけど恰好悪い ビートは続く
あの日からとまらないストーリー
最強の音楽でおれたちが連れて行くぜ遠く
青いバードはもう 探さず行こう
ドラムスが道標 ワン!ツー!
馴染めない この世界をぶっ壊すギター
忘れない 永遠みたいな悲しみのこと
情けない 自分自身をぶっ壊すシャウト
信じてたい 魔法みたいなロッケンロール
(『ザ・ばんど』 詞:安部コウセイ)
安部コウセイの歌詞にしては素直で直接的だ。もちろん、幾たびかの屈折を経た後で、ぐるっと回って素直さを得たというような感触だが。この歌について安部は、「バンドのことをシリアスに書くって、やっぱり恥ずかしいんです。でも、いい加減そこから逃げずにやんなきゃなって思ったのも事実なんですよね。」とした後でこう語っている。(『ラバーガール飛永との対話でこぼれた、HINTO安部コウセイの本音』文:金子厚武)
―なぜ今回のタイミングでは恥ずかしいと思う言葉でも使おうと思ったのでしょうか?
安部:なんでだろう……まあ、ど真ん中のことを大きい声で言う気持ちよさってやっぱりあるから、言いたくなってきたんでしょうね。あと“ザ・ばんど”に関して言うと、これを歌ったときに、自分達がいい方向に引っ張られるような曲にしたいと思ったんです。しんどいときに歌って、気持ちが前向きになったりしたらいいなって。
なるほど。「シリアス」で「恥ずかしい」ことであっても、そこから逃げずに「ど真ん中のことを大きい声で言う」。その境地は、三十歳代後半となった彼の現在の位置を示している。『ザ・ばんど』はバンドの過去、現在、そして未来の軌跡を描いてるのだろう。僕は単なる聴き手だから、バンドマンの真実は分からない。ただし、「自分達がいい方向に引っ張られる」という想いを共有することはできる。そのような曲であるのなら、聴き手もその方向に歩み出せるだろうから。
ハロウィンの渋谷。その狂騒から逃れるようにこの場に集った者はみな、安部コウセイがMCで話していたように、心に何かの塊を抱えている者なのだろう。変わらない、あるいは変えられない心の塊。2時間の間、ある者は踊り、ある者は言葉を聴く。自らの塊が、つかの間かもしれないが、ほぐされる。解放される。
HINTOの「最強の音楽」でこれからも、どこか遠くの場へと連れて行ってもらおうではないか。
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安部コウセイ・HINTO・堕落モーションFOLK2,
音楽
2016年11月3日木曜日
ヴァンフォーレ甲府J1残留
今日11月3日は、ヴァンフォーレ甲府のJ1残留をかけた試合があった。
僕は仕事を途中で切り上げ小瀬の中銀スタジアムへ。YBSラジオの中継を聴きながら向かったのだが、駐車場に到着した直後に失点、0:1となってしまった。キーパー河田のミスのようだ。こんな大切な試合でミスから失点とは「降格」の黄信号がともる。早足でスタジアムに急いだが、満員、立ち見の応援となった。もう後半25分を過ぎていた。
強風にあおられてボールがコントロールできない。チャンスらしいチャンスもない。得点の匂いがしない。今季を象徴しているかのような内容の乏しい試合だった。結局負けてしまったのだが、ライバルのアルビレックス新潟、名古屋グランパスも負けたので、勝点1の僅差でJ1に残留することができた。そのことを告げるアナウンスがあると喜びの声が上がったのだが、敗戦は敗戦、内容も内容だけに盛り上がりには欠けた。
試合後のセレモニーで佐久間悟監督は「苦しい状況が続きました。恨み悩み、絶望感を感じるようなシーズンでした。このような形ですがJ1に残留できたのは、前を向いて努力し続けた私たちへのサッカーの神様からのごほうびだったのかなと感謝しております」と挨拶した。「指揮官」の言葉としては疑問符が付くが、一人の「人間」の言葉として受け止めれば理解はできる。佐久間さんは正直な人だ。資質としても、監督よりもゼネラルマネージャーに向いている。それでもプロサッカーは結果がすべてだ。その厳しさがある。残留を決めたのは佐久間さんの勝利だ。今季限りで監督は退任し、GMに専念するそうだ。ほんとうにご苦労様でした。
勝点1の差での残留。2009年12月5日の試合のことを想い出した。この日、J2にいた甲府はJ1昇格を決める試合を闘っていた。最終節時点での勝点が湘南ベルマーレ95、 ヴァンフォーレ甲府94。甲府が勝ち、湘南が引き分け以下になると、甲府はJ1に昇格できる。結果は、甲府は勝利したが湘南も勝利して、湘南が昇格することになった。勝ち点1の差だった。冷たい雨の降る中、そのことが分かるとスタジアムが静まりかえった。
以前にも記したが、「志村日記」(『東京、音楽、ロックンロール』)2009年12月5日付で、志村正彦はこう述べている。
京都前のり。民生さんと合流し、飲みに行く。
民生さんサッカーの話、超詳しい。俺、全然分からん。
今、甲府はどうなってるんだ?
甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。
あの日、彼が甲府のことを書いていたのは偶然なのだろうが、なんだか不思議だ。2009年のあの日は冬の雨、今日は風が強かったが快晴だった。甲府盆地を囲む山々は美しい稜線を現していた。2009年と2016年のラストゲームは、同じ勝点1の差で、明暗を分けたことになる。
たかがサッカーされどサッカー。所詮はゲームなのだが、ゲームにしては「降格」という厳しさのあるこのゲームは、現実の縮図のようなところがある。それがJリーグの魅力だ。「昇格」があるからこそ「降格」もある。「降格」があるからこそ「昇格」もある。
昇格や降格、残留争いを何度も経験した甲府の一サポーターから、名古屋グランバスのサポーター(そしてVF甲府の選手でもあった小倉隆史前監督)に対して、「No Rain No Rainbow」という言葉を贈りたい。
僕は仕事を途中で切り上げ小瀬の中銀スタジアムへ。YBSラジオの中継を聴きながら向かったのだが、駐車場に到着した直後に失点、0:1となってしまった。キーパー河田のミスのようだ。こんな大切な試合でミスから失点とは「降格」の黄信号がともる。早足でスタジアムに急いだが、満員、立ち見の応援となった。もう後半25分を過ぎていた。
強風にあおられてボールがコントロールできない。チャンスらしいチャンスもない。得点の匂いがしない。今季を象徴しているかのような内容の乏しい試合だった。結局負けてしまったのだが、ライバルのアルビレックス新潟、名古屋グランパスも負けたので、勝点1の僅差でJ1に残留することができた。そのことを告げるアナウンスがあると喜びの声が上がったのだが、敗戦は敗戦、内容も内容だけに盛り上がりには欠けた。
試合後のセレモニーで佐久間悟監督は「苦しい状況が続きました。恨み悩み、絶望感を感じるようなシーズンでした。このような形ですがJ1に残留できたのは、前を向いて努力し続けた私たちへのサッカーの神様からのごほうびだったのかなと感謝しております」と挨拶した。「指揮官」の言葉としては疑問符が付くが、一人の「人間」の言葉として受け止めれば理解はできる。佐久間さんは正直な人だ。資質としても、監督よりもゼネラルマネージャーに向いている。それでもプロサッカーは結果がすべてだ。その厳しさがある。残留を決めたのは佐久間さんの勝利だ。今季限りで監督は退任し、GMに専念するそうだ。ほんとうにご苦労様でした。
勝点1の差での残留。2009年12月5日の試合のことを想い出した。この日、J2にいた甲府はJ1昇格を決める試合を闘っていた。最終節時点での勝点が湘南ベルマーレ95、 ヴァンフォーレ甲府94。甲府が勝ち、湘南が引き分け以下になると、甲府はJ1に昇格できる。結果は、甲府は勝利したが湘南も勝利して、湘南が昇格することになった。勝ち点1の差だった。冷たい雨の降る中、そのことが分かるとスタジアムが静まりかえった。
以前にも記したが、「志村日記」(『東京、音楽、ロックンロール』)2009年12月5日付で、志村正彦はこう述べている。
京都前のり。民生さんと合流し、飲みに行く。
民生さんサッカーの話、超詳しい。俺、全然分からん。
今、甲府はどうなってるんだ?
甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。
あの日、彼が甲府のことを書いていたのは偶然なのだろうが、なんだか不思議だ。2009年のあの日は冬の雨、今日は風が強かったが快晴だった。甲府盆地を囲む山々は美しい稜線を現していた。2009年と2016年のラストゲームは、同じ勝点1の差で、明暗を分けたことになる。
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| アウェイ側から見たホームゴール裏。背景の山々は、左側遠くに八ヶ岳、真中に茅ヶ岳など。 |
たかがサッカーされどサッカー。所詮はゲームなのだが、ゲームにしては「降格」という厳しさのあるこのゲームは、現実の縮図のようなところがある。それがJリーグの魅力だ。「昇格」があるからこそ「降格」もある。「降格」があるからこそ「昇格」もある。
昇格や降格、残留争いを何度も経験した甲府の一サポーターから、名古屋グランバスのサポーター(そしてVF甲府の選手でもあった小倉隆史前監督)に対して、「No Rain No Rainbow」という言葉を贈りたい。
2016年10月31日月曜日
瞬間と永遠―『赤黄色の金木犀』[志村正彦LN143]
フジファブリック『赤黄色の金木犀』、四季盤の秋の曲はどのようにできあがったのだろうか。
志村正彦はあるインタビューで次のように語っている。(oricon style 文:井桁学)
秋は夏が終わった憂いがあって、四季の中でも一番グッとくる季節だし、前々からいい形で秋の曲を作りたいと思っていたんです。秋の風景にはいろいろありますけど、今回はある帰り道に思ったことを瞬間的に切り取って曲にしました。
歌詞の該当部分を抜き出してみる。
志村正彦はあるインタビューで次のように語っている。(oricon style 文:井桁学)
秋は夏が終わった憂いがあって、四季の中でも一番グッとくる季節だし、前々からいい形で秋の曲を作りたいと思っていたんです。秋の風景にはいろいろありますけど、今回はある帰り道に思ったことを瞬間的に切り取って曲にしました。
歌詞の該当部分を抜き出してみる。
赤黄色の金木犀の香りがして
たまらなくなって
何故か無駄に胸が
騒いでしまう帰り道 (『赤黄色の金木犀』志村正彦)
ある帰り道で「金木犀の香り」がする。その香りで「たまらなくなって」、「何故か無駄に胸が騒いでしまう」。香りというのは我々の記憶の深いところに作用する。意識にも上らない何かの出来事、その香りが意識の底に張り付いているのかもしれない。「何故か」「無駄に」と形容しているように、それがで何あるかは歌の主体にとっても分からない。あるいはすぐには思い出せないものかもしれない。
「金木犀の香り」の到来、「胸」の騒ぎ、どちらも瞬間的にしか切り取ることができないもの、それを楽曲に変換していく。言葉で語ることのできない何かを言葉で分節しないままに、身体の律動や感覚の揺れとして楽曲を形作る。前奏と後奏のアルペジオの印象に近いものかもしれない。その流れの中で、言葉が、歌詞の元となるものが浮上する。それは断片的なモチーフに過ぎないが、楽曲と複合していくことで『赤黄色の金木犀』の原型が形成される。これはあくまで推測であるが。
フジファブリックがスタジオに入り、楽曲が完成する。前回も引用した志村の発言がそこからの過程を明らかにしている。
ただ歌詞は、いつもオケが完成してから一番最後に作るんですよ。むしろ演奏(の印象)を何倍にもするような歌詞を書きたい。
夏が終わった憂い。秋の日の帰り道。その時その場の瞬間的な想いから、言葉として楽曲として『赤黄色の金木犀』が完成するまではかなりの時間を要したことだろう。
言葉が楽曲を、楽曲が言葉を、互いが互いに作用し、より高い次元に引き上げていく。瞬間が作品となる。ある永遠となる。それを志村正彦の時間と名付けてみたい気がする。
たまらなくなって
何故か無駄に胸が
騒いでしまう帰り道 (『赤黄色の金木犀』志村正彦)
ある帰り道で「金木犀の香り」がする。その香りで「たまらなくなって」、「何故か無駄に胸が騒いでしまう」。香りというのは我々の記憶の深いところに作用する。意識にも上らない何かの出来事、その香りが意識の底に張り付いているのかもしれない。「何故か」「無駄に」と形容しているように、それがで何あるかは歌の主体にとっても分からない。あるいはすぐには思い出せないものかもしれない。
「金木犀の香り」の到来、「胸」の騒ぎ、どちらも瞬間的にしか切り取ることができないもの、それを楽曲に変換していく。言葉で語ることのできない何かを言葉で分節しないままに、身体の律動や感覚の揺れとして楽曲を形作る。前奏と後奏のアルペジオの印象に近いものかもしれない。その流れの中で、言葉が、歌詞の元となるものが浮上する。それは断片的なモチーフに過ぎないが、楽曲と複合していくことで『赤黄色の金木犀』の原型が形成される。これはあくまで推測であるが。
フジファブリックがスタジオに入り、楽曲が完成する。前回も引用した志村の発言がそこからの過程を明らかにしている。
ただ歌詞は、いつもオケが完成してから一番最後に作るんですよ。むしろ演奏(の印象)を何倍にもするような歌詞を書きたい。
夏が終わった憂い。秋の日の帰り道。その時その場の瞬間的な想いから、言葉として楽曲として『赤黄色の金木犀』が完成するまではかなりの時間を要したことだろう。
言葉が楽曲を、楽曲が言葉を、互いが互いに作用し、より高い次元に引き上げていく。瞬間が作品となる。ある永遠となる。それを志村正彦の時間と名付けてみたい気がする。
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『赤黄色の金木犀』,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
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