今回はまず始めに、11月15日の谷崎潤一郎「母を恋うる記」公演で、三味線を弾く女性を演じるエイコさんのプロフィールを紹介したい。
エイコ。有馬英子。有馬眞胤の独り芝居・一人語りに津軽三味線で合いの手を入れる活動で初めて舞台に立つ。2011年3月、文学座アトリエ公演『草鞋をはいた』(鵜澤秀行演出、坂部文昭主演)の下座として出演。篠笛と語りにも挑戦し、2023年から武藤挺一画伯の個展のイベントとしてライブ活動を開始。近年は、新宿のシャンソンの店 Kuwa、両国のシアターXカイ、甲府のこうふ亀屋座で、川端康成『雨傘』、小川未明『金の輪』、幸田文『濃紺』、北條民雄『すみれ』、太宰治『新樹の言葉』、芥川龍之介『尾生の信』等の文学作品を朗読している。
有馬さんとエイコさんが谷崎潤一郎「母を恋うる記」を演じるのは二回目である。2024年12月15日東京両国のシアターXカイが初演だった。夢をモチーフとするこの作品に興味を持っていた私は妻と一緒に両国に出かけた。そのことを振り返りたい。
両国は芥川龍之介が育った場所だ。かなり前のことになるが、山梨県立文学館の「芥川龍之介 人と文学」という映像の撮影でこの界隈を訪れたことがあった。現在は芥川家の跡地には居酒屋があり、その近くに「芥川龍之介生育の地という案内板が立てられている。
そこから少し歩くと芥川が幼少の頃によく遊んだ回向院、さらに進んでいくと隅田川に架かる両国橋がある。「母を恋うる記」の開演前に、芥川ゆかりの場所を巡った。
シアターXカイは、1992年、旧両国国技館・日大講堂跡に建設された複合ビルの両国シティコア内の劇場としてオープンした。客席は200席程度で、舞台との距離が近くて見やすい。
この公演について、有馬さんは次のように語っている。
有馬銅鑼魔50回記念公演を何とか無事に終えて半年間休みました。そして自分の中に新しい渇えが生まれるのを待ちました。今回上演する谷崎潤一郎「母を恋うる記」は私の心情ともリンクする、以前から気になっていた作品です。初めてエイコに芝居の中に登場してもらう冒険作です。私の中で期待と不安とが同居する野心作です。
このコメントにあるように、有馬さんとエイコさんの二人が役柄を持って芝居をする初めての公演だった。二人芝居だとも言えるが、有馬さんの独り芝居にエイコさんを加えることによって、より演劇的な世界へと広げていく試みだった。
原作:谷崎潤一郎、構成・演出:有馬眞胤、協力:鳥居慎吾(アトリエ・シャノアールトリイ)・川村和央、メイクアップ:野口文代。
有馬さんは二万字程度の分量がある原作の重複する部分などを一万字程度に圧縮した上でその全文を覚えて演じた。鳥居慎吾さん・川村和央さん・野口文代さんたちの協力を得て、照明や舞台、衣装やメイクアップが美しく調和していた。月影と青色の夜の世界。明治時代の和服姿の衣装。
有馬さんが演じる「私(潤一)」は、夢の中で七、八歳の子供に戻り、月が照らす明るい夜に海辺近くの道を歩いて行く。谷崎の言葉そのものを語ることによって、谷崎の内的世界が舞台に浮かび上がってくる。
「私(潤一)」は以前にも夢の中の景色を見た記憶を想い出す。その一説を引用したい。
夢の中で、これとそっくりの景色を、私は再三見たような心地がする。そうだ、確かに夢に見た事があるのだ。二三年前にも、ついこの間も見た事があった。そうして実際の世界にも、その夢と同じ景色が、何処かに存在しているに違いないと思っていた。この世の中で、いつか一度はその景色に出遇うことがある。夢は私にそれを暗示していたのだ。その暗示が今や事実となって私の眼の前に現れて来たのだ。―――
この夢の中のデジャビュ(déjà-vu)既視感は、既視夢とも捉えられるだろう。現実の風景が夢の中ですでに視られていた経験、夢の中でその風景が繰り返し視られた経験。そのような奇妙な経験のモチーフを、夏目漱石、志賀直哉、芥川龍之介たちも小説に表現してきた。(このモチーフについては、当日の私の20分程度の講座 「夢の文学-志賀直哉・谷崎潤一郎・芥川龍之介」で簡潔に触れたい)。
そして、「私(潤一)」の眼差しの向こう側には「母」がいる。実の母であるが幻の母でもある存在。そういう存在を探して一人で夢の中を歩いて行く姿を、有馬さんは語りの声と身体の動きによって巧みに演じていた。
小説には次の一説もある。
日本橋にいた時分、乳母の懐に抱かれて布団の中に睡りかけていると、私はよくあの三味線の音を聞いた。―――
「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」
と、乳母はいつもその三味線の節に合わせて吟んだ。
エイコさんが弾く三味線の音は、次第に、この「天ぷら喰いたい、天ぷら喰いたい」と吟む声として響いてきた。エイコさんの演技は最後の場面の近くで披露されるのだが、綺麗でやわらかい声と小説に忠実に横顔のみを観客側に見せる姿が印象的であった。
上演時間は50分ほどだったが、ほぼ満員の観客たちは二人が演じる幻想的な世界を堪能していた。谷崎潤一郎が描いた夢の光景が舞台に出現したのである。
11月15日の公演は、いくつかの制約からシアターXカイのような演出は不可能だが、今、こうふ亀屋座の舞台を活かした演出を試行錯誤しているそうである。
有馬さんとエイコさんの芝居だから質の高いものになることは間違いないが、実際にはどのような舞台が出現するのか、主宰者としても、一人の「有馬銅鑼魔」ファンとしても、とても楽しみにしている。
0 件のコメント:
コメントを投稿