開演前に、メンバーかスタッフの息子さんだろうか、男の子から芋ケンピが一つ渡され、「空中散布」が始まった。(後でmoools酒井泰明も観客一人ひとりに配り歩いた)
ケンタ&カフカ。佐々木健太郎(Analogfish)とカフカ先生(moools)のデュオ。MCで小淵沢でのレコーディング時の挿話が入る。ケンタの声とカフカの鍵盤の音色がゆるやかに溶け込む。カフカ先生の故郷、北海道礼文島ではソ連の放送が聞こえたそうで、記憶に残る美しいピアノ曲を奏でてくれた。なんだかとても懐かしい時が流れる。
KETTLES。コイケ、オカヤスによる男女デュオ。ベースレスのロックがどういうものかを堪能できた。ベースの不在は音を尖らせる。尖っているけどにこやかであり繊細でもある。2016年の東京パンクはこういう音なのかもしれない。『何をやっていたんだ』という曲が耳にこびりつく。今まで。
moools。彼らが登場するだけで桜座の重心が低い方に降りていく。彼らの佇まいがそうさせるのか。有泉充浩のベース、斉藤耕治のドラムス、円熟した音が低く低くうねる。それに反作用するかのように、酒井泰明の声が高く高く言葉を突きあげる。浜本亮のギターは限りなく透明に近い音色。カフカの鍵盤音がさりげなく落ち着きを与えている。彼らを桜座で聴いて四年目になるが、70年代の英米のロックの音、その最上の部分が再現されているように感じる。単なる反復ではなく、mooolsらしいひねりのある現前であるのだが。
Analogfish。斉藤州一郎のドラムスが桜座に鳴り出す。彼のパルスのようなビートの感覚はこの空間にとてもよく合う。どの曲も素晴らしかったのだが、とりわけ『Nightfever』『夢の中で』『世界は幻』と続いた三曲に圧倒された。
夜空は年々深さを増し
いつか僕はのみ込まれてしまうよ
センターラインはどこにある
そしてそのどちら側に君は立つ 『Nightfever』
誰かの夢の中で暮らしてるような気分
そんな気分 『夢の中で』
べつだん 何不自由も無い
すりガラスごしに見る 世界が幻だ 『世界は幻』
制作年代もテーマも異なる三曲だが、この日は、「夜」、「夢」、「幻」とモチーフが絡み合い、つながるように響く(こう書くと三題噺のようでもあるが)。
「センターラインはどこにある」のか、「誰かの夢の中」か、「すりガラスごし」か。場や人や物。その境界線のこちら側と向こう側、僕らはどこにいるのか。
なぜだか感情が潤んだ。哀しい寂しいというものではない。冷静であるのだが、心の奥深く何かが呼び起こされる。下岡晃の語り、佐々木健太郎の唄、かけがえのない歌を今ここで聴いているのだという確信があった。
この夜、桜座で、歌が散布された。Analogfish『Nightfever』の一節で閉じたい。
nightfeverが覚める頃街は朝の中
nightfeverが覚める頃君は夢の中
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