2018年9月26日水曜日

フジファブリック・奥田民生・綾小路翔(日本テレビ『スッキリ』)[志村正彦LN198]

 今日の甲府盆地は雨に煙り、涼しく、秋めいてきた。富士山は初冠雪だったそうだ。昨日からほのかに金木犀の香りも漂う。

 本日、9月26日、フジファブリックが日本テレビ系『スッキリ』の「HARUNAまとめ」コーナーに出演すると知ったが、あいにく山梨県内の系列局では別番組が放送されていて見ることができない。あきらめていたのだが、夜になって映像サイトにUPされていることに気づいた(感謝)。早速拝見したが、予想よりはるかに丁寧に志村正彦とフジファブリックの軌跡をたどっていた。映像が消えないうちに放送内容をワープロで打ってこのblogに記しておきたい。ネット上のテキストとして記録していくことも「偶景web」の目的である。

 番組はハリセンボンの近藤春菜によるナレーションで進行した。はじめに今年の夏に注目を浴びた『若者のすべて』MVの映像を流し、志村正彦の歌う表情が大きく映し出される。続いて、槇原敬之( Listen To The Music The Live 2014年)、桜井和寿・スガシカオ(ap bank fes 2018年)のライブ映像を紹介し、様々な大物アーティストにカバーされていることを伝えた。春菜さん自身、十年ほど前から大好きになったと述べていた。

 『赤黄色の金木犀』MV、『陽炎』ライブ(渋谷公会堂 2006年)、『虹』ライブ(ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008年)、『銀河』ライブ(COUNT DOWN JAPAN 0809年 → 富士五湖文化センター 2008年)でフジファブリックの歴史をまとめた後で、春菜さんのナレーションでこう告げられた。

そんなまさにバンドとしてこれからって思っていた矢先
2009年12月24日(テロップ)
ヴォーカル&ギターの志村正彦さんが29歳の若さで急逝

 この後、奥田民生のコメント映像に切り替えられた。(背後に流れたのは志村による『茜色の夕日』、その後、フジフジ富士Qでの奥田の『茜色の夕日』へと変わった)
 よく知られたことだが、志村正彦は奥田民生に大きく影響されて音楽家を目指した。奥田の発言をできるだけ忠実に文字に起こす。


音楽に対してすごい真面目だったでしょうし、曲を作ったりすることを、すごい、なんていうんですかね、楽しんで積極的にやっている印象はあったし、この先というかね、本当は変わっていくところが、変わり始めるタイミングのような気も少ししてたんで、それも見たかったですけどね。

人が減ってね、その当然音が変わるのは当たり前で、その中でまあ新しい曲と昔の曲も交ってますし、昔の曲もね、昔のようにやってるわけではない。もう新しいものになってますから。それもなんかまあ、僕が見る限りすごい自然にこうどちらかが浮くこともなく、なんかこう調和してる気がしますね。違うものになれって言ってるわけじゃないけど、なんかこう変わっていく楽しさみたいなものがね、やっていただければと思います。


 奥田のコメントの後、志村正彦を失った後のフジファブリック、山内総一郎・金澤ダイスケ・加藤慎一の三人によるフジファブリックに焦点が当てられる。『夜明けのBEAT』(制作の経緯と『モテキ』にも触れて)、『SUPER!!』、『カンヌの休日』、『電光石火』、『手紙』のMVやライブ映像が続いた。
 綾小路翔(氣志團)のコメントもあった。彼は志村のバイト先「東高円寺ロサンゼルスクラブ」の先輩であり、デビュー前からの良き理解者だった。綾小路の発言も文字化する。


世の中にフジファブリックを知らしめた4人のうちの3人が引き継いで、そして今まったく違う新しいものになっていってる、極めて珍しい例だと思うんですよね。そこの妙な感じが俺はフジファブリックの一つの魅力なんじゃないかなというふうに思ってるんですけど。

この間もフェスで久しぶりに一緒になってずっと見てたんですけど、新しいものにもうなってるなって思って、またあの3人になってからの自由さみたいなものも感じて、それまでとはまた全然違うんだな、違う別バンドなんだな、でも、なんか残ってるものは残ってる。だから全部が妙なんですよ。妙ですごくいいっていうか、クセになるっていうか。フジファブリックにしか出せないメロディとグルーヴと存在感っていうのがね、彼らにしかできないほんとone&onlyですよね。


 奥田民生と綾小路翔の表情と声のトーンにリアリティがあった。各々の「キャラクター」ではなく、「人」としての「素」の想いが伝わってきた。(そのことは文字では表せないので、できれば映像をそのまま見ていただきたい)特に奥田の「本当は変わっていくところが、変わり始めるタイミングのような気も少ししてたんで」はいつまでも記憶すべき言葉だ。奥田だからこそ見えていた(奥田にしか見えていなかった)志村の姿がそこにはある。綾小路の「違う別バンドなんだな、でも、なんか残ってるものは残ってる」も正直で的確だ。
 奥田の言う「変わっていく楽しさ」、綾小路の言う「妙ですごくいい」。二人の先輩の言葉は、現在の三人にとってとても有り難いものとなったことだろう。

  最後は『若者のすべて』と新曲『Water Lily Flower』(映画『ここは退屈迎えに来て』主題歌)のスタジオライブ。(ドラムはBOBOさんで4人編成)『若者のすべて』は一部が演奏されただけだが、これまで何度も聴いた山内総一郎ヴァージョンの中では最も良い出来映えだったと思う。山内の歌い方が自然だった。以前より歌詞のニュアンスを生かすことができている。
 来年の15周年企画、新しいミニアルバム『FAB FIVE』に触れ、「天の声」の愉快な喋りも降ってきて、番組は終了した。

 志村正彦のフジファブリック、そして現在のフジファブリック。朝の全国放送の地上波にもかかわらす、18分近い時間をかけて丁寧に構成したことに出演者と番組制作者の愛を感じた。今年の『若者のすべて』の季節の終わりをまさに締めくくる番組だった。


2018年9月20日木曜日

堕落モーションFOLK2 、LOFT HEAVENで。

 昨夜、9月19日、渋谷「LOFT HEAVEN」の『RESPECT vol.2』堕落モーションFOLK2/成山剛のライブに行ってきた。7月にオープンしたこの会場は九つ目のロフトになるそうだ。今はもうない西新宿の「新宿ロフト」が僕のライブハウス体験の原点。ロフトが今でも成長し続けていることを「RESPECT」したい。

 今年の夏はどこにも行けなかったので東京小旅行の気分だった。新宿でランチの後、新宿シネマカリテで『顔たち、ところどころ』(Faces Places)を見た。映画監督アニエス・ヴァルダと写真家でアーティストのJRがフランスの田舎を旅しながら、村々に住む人々の「顔」の大きな写真を貼り出すドキュメンタリー作品。人々の「顔」が、「ところどころ」のその集積がとてつもない「アート」となっていた。難解さや独りよがりなところのないとても愉快な映画だ。固定的なアート観を揺さぶり、覆す力を持つ。

 渋谷に移動。開演まで時間があったので、途中にある「渋谷ヒカリエ」11階の「スカイロビー」へ。お上りさんが文字通りのお上りさんとなる。ここからの展望は建造物がミニチュアのように立ち並んで面白い。丹下健三が設計した国立代々木競技場の特徴ある屋根も見える。ここで開かれたブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの初来日公演に出かけたことを思いだした。『BORN IN THE U.S.A.』の時代なので、そのパワフルな歌と演奏に圧倒された。調べると1985年4月開催、当時はまだ東京で暮らしていた。色々なことが記憶から遠ざかりつつある。

 六時過ぎに「LOFT HEAVEN」へと歩き始める。地図を見ながらだったが少し迷った。きょろきょろしていると、ビルの合間の夜空に半月が現れた。よく晴れていたのでくっきりと映えて美しかった。
 「LOFT HEAVEN」に無事到着。しばらく待ってから入場。階段を降りていくと、内装のまだ新しい素敵な空間が開けてくる。





 百人ほどの椅子席が用意されていた。落ち着いて音楽を聴くのにふさわしい場だ。僕たちのような年齢になると、こういう感じが嬉しい。
 最初に成山剛の登場。ふわっとしてやわらかく綺麗な声が魅力の歌い手だった。札幌在住ということで、あの地震について触れていた。

 休憩後、堕落モーションFOLK2の登場。オリジナル曲、カバー曲、スパルタローカルズの曲を織り交ぜていた。会場の音響の特性か、安部コウセイの声、伊東真一のギターの音が耳に鋭角的に飛び込んでくる。聴覚の刺激が高まる。生で聴く彼らの歌と演奏は、当然かもしれないが、音源より力強い。

 8曲ほど聴いたところで9時を過ぎていた。渋谷から甲府まで帰るには3時間以上かかる。この日は平日。『完璧な犬』演奏後に僕たちの時間はタイムアウト。残念だが新宿に戻り、帰路につかねばならなかった。
 車窓からはずっと東京の月が見えていた。やがてそれは山梨の月となった。帰宅した時にはもう日が変わっていた。ネットを見るとセットリストを挙げてくれた方がいた。会場を出た直後、『夢の中の夢』が歌われたことを知った。

 この歌については以前このblogに書いたことがある。いつか聴いてみたいとずっと思っていた曲だった。仕方がない。次の機会を待つしかない。そんな風に自分に言い聞かせて眠りについた。この日ライブで『夢の中の夢』を聴くことは夢の中の夢となってしまった。

 今朝起きて、安部コウセイのtwitterで『夢の中の夢』の映像がアップされていることに気づいた。貴重な贈り物だ。映像という形だが記憶に残すことができる。本当に有り難い。早速再生してみた。


  友達は今日も夢の中の夢で
  終わらない音楽 鳴らし続けてる


 この歌の直前までその場、その現実の場にいたのだが、この場、この映像の場にはいなかった。不思議な感じだ。その場とこの場とがねじれて交錯して、夢の中の夢のようだった。



2018年9月16日日曜日

複雑な図柄のファブリック-『陽炎』4[志村正彦LN197]

 今日の甲府盆地は夏の揺り戻しのような天気で気温が三十一度に上がった。この夏の『若者のすべて』熱の余波なのか、最近このblogのページビューも増えている。tweetして紹介していただくこともある。ありがたい。
 今回は、この強い日差しに促されるようにして『陽炎』論に久しぶりに戻ろう。

 『陽炎』3の回で、『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)での志村正彦の発言「田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵がなんかよく頭に浮かんだんですよね」を引用して、この作品には、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という三つの自分がいると書いた。

 このことに関連するもう一つの証言がある。「oriconstyle」2004年7月14日付の記事(文:井桁学)で志村は次のように語っている。


今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵が、頭の中あって。そこで回想をして、映画に出てきそうなシーンを書きたいなと思って作りました。


  『FAB BOOK』の「田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵」からさらに一歩踏み込んで、「今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵」が頭の中にあったと述べている。今の自分が少年期の自分をただ「見ている」のではなく、「出くわす」のである。現在の自分と少年期の自分、二人の自分が遭遇する。発売当時の資料によると『陽炎』には「ワープ」というテーマがあったようだ。時の隔たりを超えてワープするようにして、現在と過去の自分が遭遇する。「映画に出てきそうなシーン」でもある。そのようなシーンの幻が『陽炎』を創り上げた。

 作者の志村はどう考えて『陽炎』を創作したのか。それに関する作者自身の発言を二つほど紹介した。歌をどのように聴こうが、聴き手の自由である。作者自身の発言に縛られる必要もない。それでも複雑なファブリックのように組織されている志村正彦・フジファブリックの作品の場合、作者の様々な発言がその織り込まれ方を解析する鍵を与えてくれることがある。自由に聴くこと、多様に考えること、その二つは共存できる。

 ここで『陽炎』のミュージックビデオをあらためて視聴したい。歌詞も付記する。
 少年期の自分、現在の自分、その二人の自分を語りあげる自分。三つの自分が絡まり合う複雑な図柄のファブリックとして『陽炎』を聴く。そのように聴くとどのような風景が描かれるだろうか。




 
    『陽炎』(作詞作曲:志村正彦)

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

  また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  残像が 胸を締めつける

  隣のノッポに 借りたバットと
  駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
  さんざん悩んで 時間が経ったら
  雲行きが変わって ポツリと降ってくる
  肩落として帰った

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

  きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
  きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

  またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  出来事が 胸を締めつける

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

  陽炎が揺れてる


2018年9月8日土曜日

藤巻亮太ミニライブ in 小瀬

 一週間前になるが、9月1日、小瀬・中銀ズタジアムで開催のヴァンフォーレ甲府vsFC町田ゼルビアの試合前に、藤巻亮太のミニライブがあった。

 先月、藤巻はヴァンフォーレ甲府スペシャルクラブサポーターに就任した。2015年にヴァンフォーレ甲府創立50周年を記念してアンセム「ゆらせ」の作詞・作曲を手がけるなど、甲府との関係は深い。彼自身サッカーが好きでフットサルのチームも率いている。
 今回のライブは、10月7日「山中湖交流プラザきらら」で開催の音楽フェス「Mt.FUJIMAKI」のプロモーションのためだろう。僕もこのイベントに行く予定だが、その前に最近の彼の歌を聴くことができたのは幸運だった。
 
 空がまだ明るい中、アコースティックギターを抱えて登場。試合開始1時間以上前の時間帯で、チーム成績が振るわずに観客がかなり減少していることもあり、特にメインスタンドの観客の入りは淋しかった。本人もちょっと拍子抜けしたかもしれない。
 1曲目はVF甲府アンセム「ゆらせ」。アンセムにしてはかなりテンポが速いこの曲をアコギをかき鳴らして力強く歌った。(選手やサポーターにとって良い声援となったが、試合は完敗だった。審判の不可解な判定もあったが、勝利への執念と貪欲さで町田に負けていた)

 2曲目は「Mt.FUJIMAKI2018」テーマソングの『Summer Swing』。初のライブ演奏だと述べていた。
 「夏の終わり」を感じさせる曲。季節感があふれる歌詞に初期のレミオロメンを思わせるメロディ。スタジアムのPAを使っているので、音の質が悪くて気の毒だったが、そんなことを気にするでもなく堂々と声を大きく上げて歌いきった。ソロになってから試行錯誤が続いているようだが、この日の彼はどこか吹っ切れた様子で、現在の自分をアピールしていた。耳に入り込んできた歌詞の一節を引用する。


   思い出が美しいなんて まるでばかげた蜃気楼


 「ばかげた蜃気楼」という喩えは藤巻らしい言い回しだ。明るい屈折感が言葉の底に漂っている。たとえば志村正彦の描く「蜃気楼」(フジファブリック『蜃気楼』)のような混沌とした暗さはない。陰陽という差異を導入するのなら、陽の「蜃気楼」と陰の「蜃気楼」のような隔たりがあると言えるかもしれない。

 『Summer Swing』のMVがyoutubeで公開されているので紹介したい。





 母校の笛吹高校(正確に言うと彼の母校は石和高校だが、2010年、石和高校と山梨園芸高校が統合されて校名も変わり「山梨県立笛吹高等学校」となった)の終業式での演奏も入っている。山梨のロケーション撮影でいっぱいのミュージックビデオである。

 10月7日が楽しみだ。宮沢和史そして山内総一郎や和田唱と一緒にステージに立つのだろうか。そのとき何を歌うのだろうか。


2018年8月31日金曜日

堕落モーションFOLK2 『若者のすべて』・HINTO『シーズナル』[志村正彦LN196]

 8月の最後の日。暑さはまだ続くだろうが、8月を超えて9月になると「夏」でなくなるような気がするのはなぜだろう。月、暦の上の区切りが、「夏」を終わらせてしまう。

  堕落モーションFOLK2/若者のすべて @ 下北沢Laguna 

という映像が安部コウセイのinstagramに上がっている。

 このライブは8月27日(月)に行われた。夏の最後に近づい日付ゆえにこの歌が選ばれたのだろう。安部は何度か『若者のすべて』を歌っているが、ネット上に公開されたことは初めてだろう。「(すりむいたまま 僕はそっと)歩き出して」から「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」までの1分間ほどの映像だが、安部コウセイの『若者のすべて』の雰囲気がよく伝わってくる。

 視線を落としたうつむき顔なので表情を読みとるのは難しいが、歌詞の言葉の一つ一つをかみしめるように丁寧に歌っている。安部らしいハイトーンの声がのびやかに広がっている。とても素直で力強い歌いぶりが印象に残る。伊東真一のストロークも心地いい。「僕らは変わるかな」のところは安部コウセイならではの声と節が響きわたる。彼にとってのキーワードなのだろう。

 安部の率いる三つのユニットの一つ、HINTOには 『シーズナル』という夏の名曲がある。





 以前この曲について次のように書いたことがある。


 『シーズナル』と『若者のすべて』の間に、描かれる物語の内容でもモチーフの面でも、直接的、間接的な対応関係はないと考えられる。しかし、二つの歌のサビの部分にはある種の共通した雰囲気もある。
 『シーズナル』のサビは三回繰り返される。それぞれの末尾はこうだ。

  めぐってめぐって少しずつ変わって


  愛して憎んで少しだけわかって


  めぐってめぐって少しだけ変わった



 『若者のすべて』の最後の歌詞「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」と、『シーズナル』の「少しずつ変わって」「少しだけわかって」「少しだけ変わった」という展開が、どこかでこだましているのではないかという筆者の感想を記した。何の根拠もない感想にすぎないのだが、言葉がそのように作用してきた。instagramの映像を見てそのことを思い出したので、繰り返しになるがここに書きとめておきたい。

 『若者のすべて』は数々の歌い手によってカバーされている。この作品を歌いこなすのは難しい。技術的な面でも難度は高いが、それ以上に、志村正彦の歌詞の世界を映像として描きだすのが非常に難しい。聴き手の心の中に、『若者のすべて』の世界を一つの短編映画のように上映させなければならないからだ。
 歌い手の側からすると、『若者のすべて』は鏡のような存在でもある。歌い手の心象がそこに写し出されてしまう。カバーの仕方によって質がかなり変化する。逆に、カバーに挑みたくなる作品なのだろう。

 この歌が聴き手にとっても歌い手にとっても愛されている要因かもしれない。

2018年8月27日月曜日

「関ジャム 」作詞・作曲者としてのリスペクトー『若者のすべて』[志村正彦LN195]

 ご覧になられた方が多かっただろう。(と言っても日本国内限定だが。このblogは海外からのアクセスもあるので、視聴不可能な方のために正確に伝達することを心がけたい)
 昨夜8月26日(日)、テレビ朝日「関ジャム 完全燃SHOW」で、フジファブリックの三人と関ジャニ∞の錦戸亮、大倉忠義が『若者のすべて』を演奏した。
 今回は、20~50代100名にアンケートして決めた「世間が選ぶ“夏の終わりソング”ベスト10」特集。「若者のすべて」は第9位になった。

第9位 フジファブリック「若者のすべて」('07)作詞・作曲:志村正彦

という文字情報が映された。歌詞や楽曲に焦点を当てる番組だけに「作詞・作曲:志村正彦」と明示されていた。「若者のすべて」のミュージックビデオが流され、あの寡黙な表情で歌う志村が画面に登場した。
 各作品について、作詞家・音楽プロデューサーのいしわたり淳治[元SUPERCAR]が歌詞を、寺岡呼人[JUN SKY WALKER(S)]が楽曲を分析していた。いしわたり淳治のコメントで画面に文字化されていたものを引用する。


とても具体的な風景描写と主語が無いまま語られる空白だらけの状況説明。それが聴き手の心にポッカリと穴を空けて、夏の終わりの切なさとシンクロしているのが魅力的です。

歌詞に主役となる「君」という言葉がなく 重要な要素がない喪失感を生んでいる


 優れた作詞家らしい的確な分析だった。特に、「君」という言葉がないという指摘は興味深い。確かに、「若者のすべて」には「君」という二人称代名詞は出てこない。登場するのは「僕」と「僕ら」という一人称の単数・複数の代名詞である。このことには必然性がある。そもそも「若者のすべて」には「君」という存在そのものが不在となっている。だから「君」という代名詞の表現がないというよりも、そもそもその代名詞で表象される存在自体がない。すべては、「僕」の独白と「僕ら」の夢想として語られている。
 なお、いしわたり淳次と志村正彦は各々『音楽とことば あの人はどうやって歌詞を書いているのか』 (SPACE SHOWER BOOks – 2013/6/24)で歌詞論を述べていることも付記しておきたい。
 欲を言えば、寺岡呼人は「Golden Circle」で志村と共演しているので、彼による「若者のすべて」楽曲の分析も知りたかった。

 番組最後の時間帯でジャムセッションが行われた。
 山内総一郎(Vo&Gt)・金澤ダイスケ(Key)・加藤慎一(Ba)・錦戸亮(Vo&Gt)・大倉忠義(Dr)・サポートギターの6人編成だ。
 山内は「志村君が作った曲でずっと大切にしている曲なのでこうやって皆さんと一緒にできるのがほんとうに嬉しいです。ありがとうございます。」と発言していた。画面に志村の写真と共に次の文字が映し出された。

志村正彦 フジファブリックのVo&Gtで主に作詞作曲を担当。2009年に他界。

 志村のプロフィールは簡潔ではあるが正確に伝えられていた。
フジファブリックの三人は緊張した様子だった。今、まさにこの番組が伝えているように、「若者のすべて」は「夏の終わり」の代表曲となった。今年はLINEモバイルのCMでも流れている。ある意味でフジファブリックの作品という枠を超えてきている。これまでにない事態が押し寄せてきたので、現メンバーの三人はこの曲を演奏することに責任や重圧を感じているのかもしれない。よい意味でもう少しリラックスして演奏する方がこの曲の複雑なニュアンスが浮かび上がるだろう。関ジャニ∞の錦戸亮・大倉忠義を含めて、皆がこの曲を大切に歌い奏でていた姿には共感したが。

 残念だったのはフルヴァージョンの演奏でなかったことだ。地上波の人気番組ゆえの時間の制約だろう。2番のブロックのすべてと最後のブロックの次の箇所が省略されていた。 


  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな


 この箇所は、「若者のすべて」物語の展開の上で重要な場面である。15秒ほどの時間で歌えるので、ここだけは欠落させてほしくなかったが。

 最後に「“夏の終わりソング”ベスト10」中9位の「若者のすべて」の前後を挙げてみたい。画面の文字情報をそのまま転記する。

第10位  山下達郎「さよなら夏の日」('91) 作詞・作曲:山下達郎
第 9位  フジファブリック「若者のすべて」('07) 作詞・作曲:志村正彦
第 8位  松任谷由実「Hello,my friend」('94) 作詞・作曲:松任谷由実

 何よりも日本語ロック・ポップスの二人の大家山下達郎・松任谷由実に挟まれてこの順位につけているのは、志村正彦にとって名誉なことだ。とても喜んでいるにちがいない。

 全体を通じて、作詞・作曲者としての志村正彦に対するリスペクトと高い評価があった。この番組の見識だろう。

2018年8月25日土曜日

織物としての「僕」-『陽炎』3[志村正彦LN194]

 今朝は台風が過ぎて日差しが戻ってきて暑い。前回、真夏のピークが去ってと書いたがまだ続くようでもある。真夏のピークが揺れているのだろうか。今回は真夏の歌『陽炎』に戻りたい。

 フジファブリック『陽炎』(詞曲:志村正彦)は2004年7月14日シングル第2弾として発売された。カップリング曲は『NAGISAにて』。「夏盤」のこの二曲の誕生から14年になる。

 『陽炎』はどのように作られたのだろうか。有り難いことに本人によるいくつかの証言が残されている。志村正彦は、アルバム『フジファブリック』についてのBARKSのインタビュー (取材・文:水越真弓)で、『陽炎』の成立についてこう語っている。


「陽炎」は、けっこうすんなりできましたね。この曲を作った翌日に、新曲用の“デモテープ発表会”を控えていて(笑)、「ヤバイ…、新曲がない」って言いいながら夜中に家で一人でピアノを弾いてたんですよ。そしたら、30分くらいでこの曲のメロディが降りてきて、歌詞も同時にスラスラできました。


 残された発言を読む限り、志村は楽曲や歌詞作りにはかなりの時間をかけたはずだ。誰にとってもそうかもしれないが、志村は作品の完成度を高めるための作業を惜しまなかった。『陽炎』のメロディと歌詞が同時に30分位で出来上がったというのはきわめて珍しいことだったろう。「夜中に家で一人でピアノを弾いてた」という具体的な状況も興味深い。

 『FAB BOOK』(角川マガジンズ 2010/06)ではこう述べている。『陽炎』の物語の枠組や根本的なモチーフを解き明かす貴重な発言である。


僕の中で夢なのか現実なのかわかんないですけど、田舎の家の風景の中に少年期の僕がいて、その自分を見ている今の自分がいる、みたいな。そういう絵がなんかよく頭に浮かんだんですよね。それを参考にして書いたというか、そういう曲を書きたいなと思ってて、書いたのがこの曲なんです。


 「少年期の僕」と「その自分を見ている今の自分」、二人の自分がいる。過去の自分と現在の自分。見られている自分と見ている自分。時間の差異と能動受動の差異によって二人の自分が存在しているわけだが、ここで重要なのは、その二人の自分を「絵」として頭に浮かべているもう一人の自分、第三の自分がいることだ。
 そうなるとここには、①「少年期の僕」、②「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、③「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という①②③の三人の自分「僕」がいることになる。

 かなり前になるが、次のように書いたことがある。【《作者》《話者》《人物》としての「僕」 (「志村正彦LN 7」)2013年3月24日】

語る「僕」のことを《話者》としての「僕」、語られる「僕」つまり作中人物としての「僕」のことを《人物》としの「僕」、時には《主体》としての「僕」と呼ぶことにしたい。さらに付け加えると、《話者》としての「僕」、《人物》としての「僕」の背後に、この歌を創造した《作者》としての「僕」つまり志村正彦という現実の作者、歌い手が存在している。

 この枠組に基づいて整理してみたい。
 『陽炎』の場合、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、の二人が作中に登場する。「僕」という人物、主体が二人設定されていることになる。この「僕」は過去と現在という時間を隔てた同一の人物、主体ではあるが。そして、その二人の「僕」を「絵」として見ていて物語として語っていくのが、《話者》としての「僕」である。《主体》としての二人の「僕」(①②)、《話者》としての「僕」(③)。ここまでで三人の「僕」が存在することになる。さらに、その三つに分化した「僕」を統合統率するのが《作者》志村正彦である。

 文学研究的な語彙が堅苦しいかもしれないので、フジファブリックにちなんで「ファブリック」「織物」の喩えを用いてみよう。
 「少年期の僕」を縦糸、「少年期の僕を見ている今の自分」を横糸とする二つの糸がそれぞれ、《主体》としての「僕」である。その二つの糸を織り上げていくのが、《話者》としての「僕」である。《話者》の「僕」が、縦糸と横糸の「僕」を織り込んで、絵や図柄という形にしていく。《話者》は織り人であり、美しい織物に仕上げていく。そのようにして、《作者》の志村正彦は一つのファブリックのデザインを創造する。

 もちろん、志村はこの作品を30分位で仕上げたと述べているように、このような過程のすべてを意識的に行ったのではないだろう。身につけた技術や分析の力を活かすことがあるにせよ、詩人の創造は半ばは無意識的である。「降りてきて」「スラスラ」と述べていることがそのことを示している。

 無意識は、言葉、記憶、感覚、映像の断片が複雑に織り込まれている。睡眠中に見る夢は無意識の形成物の代表である。詩人の場合、時に直観的に時に瞬時に、自らの無意識という織物を作品という織物に変換することができる。詩は覚醒状態の夢、無意識の形成物であるともいえる。だからこそ逆の作用によって、詩は読者の無意識に働きかける。

 志村正彦・フジファブリックの『陽炎』もまた、聴き手の無意識に強く作用してくる。陽炎が揺れ、無意識が揺れる。



2018年8月19日日曜日

真夏のピークが去って、VF甲府 [志村正彦LN193]

 一昨日、真夏のピークが去ったようだ。
 まだ暑いのは暑いのだが、朝晩に吹く風は秋風を想わせる。湿気も少なくなり過ごしやすくなった。LINEモバイルのCM効果でフジファブリック『若者のすべて』は依然として話題となっている。ついにNHKの気象予報士のコメントにも「真夏のピークが去った」が使われたそうだ。志村正彦が作ったこの表現はもはや「真夏」に関わる言い回しとして日本語に定着してきたのかもしれない。天気予報士ではなく気象予報士という呼び方に変わってしまったのが残念だが。「気象」は科学的な語彙であり、生活の実感としては「天気」の方がしっくりする。

 今回、『陽炎』論は一休みさせていただく。昨日のヴァンフォーレ甲府の試合について触れてみたい。前回VF甲府について書いたのは2016年11月、J1残留を決めた時だった。あれから2年近く経つが、この間、2017年度にJ1降格、今年2018年度からJ2で闘っている。
 昨夜の相手は愛媛FC。前半14分、カウンター攻撃から失点。ポスト直撃など何度か決定機を作ったが得点はなかった。
 前半終了近く、西の空は青色を残し、雲は茜色に染められていた。メインスタンドの向こう側に見えるのは南アルプスの連山。VF甲府のシンボルカラー「青赤」そのままの夕景だった。後半に期待した。



 後半、新加入の選手を使ったが機能しない。結局、0:1で負けてしまった。結局、試合の方は夕景とは違い「青赤」は輝けなかった。
 このところ前半早々の失点が続く。堅守速攻というJ1時代のイメージはもうない。攻撃の形を作ることはできるのだが、最後まで押し込めない。中途半端に終わってカウンターを受ける。同じことの繰り返し。全体として、試合のコントロールができていない。事前の分析・対策、ゲームプランを練り上げているのだろうか。
 現在14位。勝点は37、自動昇格圏2位チームとの差が16、プレーオフ進出圏6位チームとの差が9ある。残り試合は13しかないので、J1昇格はきわめて難しくなったと言わざるをえない。観客数もこのところ減少、今後さらに少なくなっていくだろう。

 2005年12月のJ1初昇格決定から13年、降格したり昇格したりの年月だったが、全体としてはまずまず順調な歴史を送ってきたと言えるだろう。しかし、今回の降格はこれまでとはどこか異なる。サポーターとしての予感のようなものだが、これからは厳しい時代が続く気がする。チームにもサポーターにも疲れというのか諦めのようなものがある。
 何度か引用したが、志村正彦は2009年12月5日付の日記に「甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。」と書いてくれた。残念だが、2005年度の昇格以来ずっと持続していたVF甲府のピークがついに去っていくのかもしれない。

 1999年のJ2加入から20年が経った。最大の問題点は自前の(完全に専用の)練習場もクラブハウスも建設できなかったことにある。未だに借り物の大学グラウンドが主な練習場であり、練習後にケアできる施設やクラブハウスがない。メディカルなチェックも不十分になる。実質的に怪我人が多い原因であるのは間違いない。選手やサポーター・ファンにとって本当の意味での「場」がないのだ。
 財政的に厳しいのは分かるが、運営会社は少なくとも中長期計画は作成しなければならないはずだ。しかし、その準備をしてきたかどうかは大いに疑問である。チームだけでなく会社を含めての全体的な成長と発展が求められているのに、その姿が見えないことに多くのサポーターは失望している。山梨という地域に根ざしているのだから、もっと自らの方向性やビジョンを公に発表し、ファンやサポーター、地域の人々と対話して、この状況を打開していく必要がある。


 ハーフタイムで印象深い出来事があった。
 アウェイ側ゴール裏の巨大モニターに、藤巻亮太主催のイベント「富士山世界文化遺産登録5周年記念 Mt.FUJIMAKI 2018」(10月7日(日)、山梨県・山中湖交流プラザきらら)のCMが流された。

「Mt.FUJIMAKI 2018」公式webから

 主催は、藤巻亮太(最近事務所から独立したので個人としてのプロジェクトなのだろう)、山中湖村、(株)テレビ山梨、FM FUJI。出演は、ASIAN KUNG-FU GENERATION、浜崎貴司(FLYING KIDS)、宮沢和史、山内総一郎(フジファブリック)、和田 唱(TRICERATOPS)。記憶をたどってみたが、この種のイベントのCMが流れたことは一度もないはずだ。最近、藤巻亮太はヴァンフォーレ甲府スペシャルクラブサポーターに就任した。9月1日(土)のFC町田ゼルビア戦でミニライブ(16:45頃~17:05頃)が行われる。「皆さまと一緒にヴァンフォーレ甲府を応援し、山梨の魅力を発信していきたいと思います。サポーターの力で、チームを盛り上げ、J1を目指していきましょう!」というコメントも寄せている。クラブとの関係や「富士山世界文化遺産登録5周年記念」という趣旨から異例の扱いになったのかもしれない。

 一瞬だが、小瀬・中銀スタジアムのスクリーンに、山内総一郎の顔が大きく映ったことには感慨を覚えた。フジファブリックの現フロントマンということで参加することになったのだろうが、志村正彦が存命であれば当然、彼が、あるいは彼のフジファブリックが出演したはずだ。さらに言えば、甲府の宮沢和史(ザ・ブーム)、御坂の藤巻亮太(レミオロメン)、吉田の志村正彦(フジファブリック)という山梨の誇るロック音楽家が集うイベントになったことだろう。それは真夏の夜の夢のように消えてしまったが。「途切れた夢の続きをとり戻したくなって」(『若者のすべて』)という一節も浮かんできた。だが、取り戻すことはできない。

 ハーフタイムの最後に花火が上がった。花火大会に行く習慣がないので、毎年このスタジアムで夏の打ち上げ花火を見ている。


 最後の最後の花火が落下してくる。途切れた夢のように儚い。

2018年8月11日土曜日

喪失を喪失のままに-『陽炎』2[志村正彦LN192]

  幸いなことに次第に回復して、7月中旬職場に復帰した。後遺症は残ったが仕事は可能だった。激務のルーティーンに舞い戻ることになった。そして、フジファブリックのCD・DVD、関連書籍を集め出した。熱心なファンになっていった。

 翌年の2011年、あることを契機に国語の授業で取り上げるようになった。志村正彦・フジファブリックの作品は生徒の心に強く作用した。言葉を生み出した。その試みが『山梨日日新聞』の文化欄に掲載され、その年の12月、富士吉田で開催された志村正彦展で生徒の文が展示された。
 その際に、授業の試みの概要と僕自身の志村正彦論を書くことにした。どういう視点で迫ろうか考えあぐねたが、『陽炎』の歌詞から「喪失」というモチーフが浮かんだ時に、言葉が動き出した。「志村正彦の夏」という題をつけた短いエッセイ。結局、この文がすべての始まりとなった。「偶景web」の原点とも言える。以前一度掲載したが、『陽炎』論の出発でもあるので該当箇所を再び引用したい。



 夏の記憶の織物は、フジファブリックの作品となって、ここ十年の間、私たちに贈られてきた。なかでも『陽炎』は志村にしか表現しえない世界を確立した歌である。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ  (『陽炎』)

 夏は、想いの季節である。夏そのものが私たちに何かを想起させる。「街並」「路地裏」という場。「英雄」、幼少時代の光景。楽しかったり、寂しかったりした記憶が「次から次へ」と浮かんでくる。
 夏は、ざわめきの季節でもある。人も、物も、風景も、時もざわめく。「陽」が「照りつけ」ると共に、何かが動き出す。そのとき、「陽炎」が揺れる。

  窓からそっと手を出して
  やんでた雨に気付いて
  慌てて家を飛び出して
  そのうち陽が照りつけて
  遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる   (同)

 『陽炎』はここで転調し、詩人の現在に焦点があてられる。

   きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
   きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

   またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ

   出来事が胸を締めつける          (同)  

 今では「無くなったもの」とは何か。特定の他者なのか。風景なのか。十代や青春という時間なのか。あるいは、過去の詩人そのものなのか。そのすべてであり、すべてでないような、つねにすでに失われている何かが「無くなったもの」ではないのか、などと囁いてみたくなる。

 喪失という主題は青春の詩によく現れるが、大半は、失ったものへの想いというより、失ったものを悲しむ自分への想いに重心が置かれる。凡庸な詩人の場合、喪失感は自己愛的な憐憫に収束するが、志村の場合は異なる。
 彼の詩には、そのような自己憐憫とは切り離された、失ったものそのものへの深い愛情と、失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動がある。そして、喪失を喪失のままに、むしろ喪失を生きなおすように、喪失を詩に刻んでいった。それは彼の強固な意志と自恃に支えられていたが、「胸を締めつける」ような過酷な歩みでもあった。



 七年近く前に書いたこのエッセイは、ごく短い作者論、「志村正彦論」としてまとめたものだ。当時は、フジファブリックの作品全体を考察できるほど聞きこんではいなかった。思い返すと、「無くなったもの」を「つねにすでに失われている何か」と捉えることによって論理を形成することができた。いかにも現代思想的な論点であり、若干の気恥ずかしさを感じるが。それでも、論理だけでなく、作品から受けた印象や触発された感覚を織り交ぜることも追求した。

 何かが、すでに、意識されることもない過去において失われている。その何かは、常に、現在においてそして未来においても、失われ続けている。その喪失は自己憐憫的な凡庸なものではない。
 志村の歌詞には「失ったものそのもの」という他なるものへの愛が貫かれている。それと共にあるいはそれに反して、「失ったものへ、時に遠ざかり、時に近づいていく、抑制された衝動」と形容した、衝動や欲動の律動がフジファブリックのリズムに込められている。抽象的で明解でないが、このように展開するのが精一杯だった。

 「喪失を喪失のままに」という表現はふっと自然に浮かんできた。そのような覚えがある。多分に直観的な把握だが、僕の志村論の原点となるモチーフがここに現れている。
 今回の連載は歌詞の丁寧な分析や資料の参照によって、当時の思考をあらためて省察していきたい。

2018年8月5日日曜日

出会い-『陽炎』1[志村正彦LN191]

 この夏は、『NAGISAにて』そして『虹』、『若者のすべて』と志村正彦・フジファブリックの「夏」に関わる作品について書き続けてきた。『虹』は映画『虹色デイズ』のオープニング曲、『若者のすべて』はLINEモバイルのCM「虹篇」のCMソングとして使われたことに触発された。今回から『NAGISAにて』の際に少し触れた『陽炎』を取り上げたい。『NAGISAにて』、『虹』、『若者のすべて』はどの曲も夏(それは初夏であったり晩夏であったりするが)を舞台とする作品ではあるが、夏(それも真夏、盛夏)そのものの季節の感覚を強く表している作品としてはやはり『陽炎』が筆頭であろう。

 僕と志村正彦・フジファブリックとの出会いについてはこのblogでほとんど触れたことはなかったが、『陽炎』が出会いの曲だった。その経緯を少し語らせていただきたい。

 2010年のことだ。僕はそれなりに難しい病気にかかり、四月に東京の病院で手術を受けた。一月ほどして退院し甲府に戻り療養生活に入った。安静状態で回復を待たなければならなかった。外出は禁止だったので三ヶ月近く自宅に閉じこもることになった。回復が順調にいくのか、職場に無事復帰できるのか、不安な日々を送っていた。寝ているだけで何もしないのも苦痛なので、読書をしたり映画を見たりしていたが、それもすぐに疲れてしまう。結局、音楽好きだったのでCSの「スペースシャワーTV」「MUSIC ON! TV」「MTV」などの音楽番組を見ることが多くなった。BGMのように流すこともできた。

 六月頃だったろうか。複数の音楽専門局で集中的にフジファブリックの映像が流されたり特集番組が放送されたりしていた。当時は分からなかったが、七月に富士急ハイランドで開催の「フジフジ富士Q」のプロ-モーションと志村正彦の追悼の意味があったのだろう。同じ頃、地元紙の山梨日日新聞の「志村正彦『富士』に還る」という連載記事もあった。これらの音楽番組と新聞記事によって、僕は志村正彦・フジファブリックに出会うことになった。

 フジファブリックの代表曲のミュージックビデオはどれも素晴らしいものであった。中でも圧倒的な印象を受けたのは『陽炎』MVだった。真夏の季節。檸檬色のシャツの女性が彷徨う。街中の路地裏。二匹の野良猫。通り雨。時計の針の逆転。流れる雲と空。部屋のカーテンの向こう側の海辺の光景。落下する時計。映像が歌詞の説明でないところもよかった。暗い眼差しの青年が自らの表情を隠すようにして歌い続けている姿に何よりも惹かれた。






 MVを録画して繰り返し聴くと、独特なグルーブのサウンドに連れられて、『陽炎』の物語世界に自分自身が入り込んでいくような気がした。歌詞をたどると、複雑で陰影に富んだ世界が刻み込まれていた。記憶や知識の中にある日本語ロックの世界に類似した作品はなかった。真に独創的な音楽を富士吉田出身の青年が作り出していたことに感銘を覚えた。それと共に、なぜこれまでフジファブリックの存在を知らなかったのだろうかと後悔した。(正確に言うと、そのバンドの名前は知っていたが音源に接することはなかった、ということだが)志村正彦はその前年の十二月に亡くなっていた。

 それでも、あの時期に自宅で療養をしていなかったら、フジファブリックと出会うことはなかったかもしれない。少なくともその出会いはもっと遅くなっただろう。今振り返ると、病気療養中の不安な日々と『陽炎』の底に流れる不安な心象がどこかでつながれていた気がする。


2018年7月31日火曜日

LINEモバイルWEB限定CM 30秒ver.-『若者のすべて』[志村正彦LN190]

  前回の記事から二日、珍しく読み込みが多く、筆者として嬉しい。今日で七月が終わる。猛暑が続くが、これから「真夏のピーク」がやってくるのだろうか。季節の感覚が揺らぐ夏だ。

 今夜、『若者のすべて』関連のtweetを検索すると、再度、LINE取締役CSMOの舛田淳氏の次の呟きを見つけた。


   舛田淳 Jun Masuda @masujun
皆様からの反響を見ているうちに製作陣の想いが溢れ出してしまい、新たに30秒Verも作ってしまいました。 どうぞご覧ください。


 「30秒Ver」!
 皆の反響が制作者の想いを溢れ出させたとはなんということだろうか。
 早速、youtubeを見ると、《【WEB限定】LINEモバイル: TVCM 〜 虹篇 〜 30秒ver. 2018/7/26(木)より放送のTVCM『虹篇』 フジファブリックの楽曲「若者のすべて」と、のんさんの演技が反響をいただいているため、WEB限定で少しだけ長い特別篇を公開いたしました!》という詞書きがあり、次の映像が公開されていた。




 「30秒ver」では次の部分の歌詞までが流されている。


  最後の花火に今年もなったな
  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて(浮かべているよ)


 「15秒ver」では断片的だった歌詞が、「30秒ver」になってようやく『若者のすべて』としてのまとまりを得た。この歌詞を支えているのは次の四つの文節である。この箇所がないと、この歌の実質が失われてしまう。


   ないかな
   ないよな
   きっとね
  いないよな


 「な」の音が六回繰り返されている。「な」の響きが「(い)ない」という意味を押し出すようにして、何かの不在を描き出している。
 CM映像は「のん」ちゃんが、音としては聞こえない台詞を話している。不在の台詞の背後で、「ないかな ないよな きっとね いないよな」という不在を伝達する志村正彦の声が響いている。「のん」という女優名があたかも「non」、否定、不在の刻印を帯びているようでもある。

 そのような分析はやはり、ない、のだろうが。

2018年7月29日日曜日

2018年の夏-『若者のすべて』[志村正彦LN189]

 LINEモバイルのCM「虹篇」のCMソングとして、フジファブリック『若者のすべて』が使われたことはネットの世界でかなりの反響を呼んでいる。特にテレビで思いがけなく志村正彦の声が聞こえてきた人にとっては、驚き、喜び、そして不意打ちのようにしてもたらされた哀しみなど様々な感情が去来したようだ。このような形で使われることに対する反発もあった。曲とCMの内容に齟齬があるのではないかという指摘もあった。それでも、『若者のすべて』が傑出した作品であることについては皆が同意しているようだ。

 筆者としては、作品としての素晴らしさとは別次元のこととして、なぜこの曲が選択されたのかを考えた。CMソングによくあるタイアップではなく、しかも、フジファブリックは今も活動しているが、九年前に亡くなった志村の声によるオリジナル音源を採用した経緯はどのようなものであったのか。このような問いは問いのまま終わることが多いのだが、このCMのスポンサーであるLINE株式会社取締役CSMOの舛田淳氏自身のtwitter(@masujun 7月26日)が、その問いに対する答えをある程度まで明らかにしてくれた。


今回のcmは企画から完成まで大難産。最後の最後まで今までで一番悩んだかもしれない。楽曲も悩みに悩んでの「若者のすべて」。だからこそ、tweetでの皆さんのたくさんのポジティブな評価が嬉しい。300円、300円... 。


 CSMOという役職は、企画・企業戦略・マーケティングに関する全てを統括する責任者のようだ。その職に就いている最高責任者自身が『若者のすべて』採用の経緯を率直に吐露しているのは珍しい。twitterというフラットなコミュニケーションの文化がそういう状況を切り開いたのだろうが。

 発言を読む限り、かなりの悩み、困難や試行錯誤の過程を経た上での志村の歌の採用だったようだ。ネットの情報によると、舛田淳氏は1977年生まれ、高校中退後に大検を経て早稲田に進み、LINEをここまで成長させた経営者らしい。経歴もベンチャー起業家としての実績もとてもユニークだ。「愛と革新」というLINEモバイルのキーワードも秀逸だ。なるほど。このような人物だからこそ、『若者のすべて』はこの2018年の夏の季節に日本全国に流されることになったのであろう。

 そんなことを考えていた昨日の午後、小袋成彬(おぶくろなりあき)という未知の音楽家が「フジロックフェスティバル '18」のRED MARQUEEステージで『若者のすべて』を歌ったことを知った。幸いなことに、この日のライブはyoutubeの「FUJI ROCK FESTIVAL '18 LIVE Sunday Channel 2」で中継されていた。LIVE映像を過去に巻き戻して、小袋成彬のステージを見ることができた。本人とギター、ベースの三人編成で『若者のすべて』の一番が演奏された。小袋の声はファルセットボイス。透き通るように広がっていく。この歌が新しい世代の音楽家たちにも愛されているのがとても嬉しい。
 ただし、「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて、のところを、「運命」なんて便利な言葉でぼんやりさせて、と歌ったのには疑問符が付く。おそらく間違いだったのだろうが、意図的だったとするなら、ここは「言葉」ではなく「もの」でなければならないと書いておきたい。それこそ、歌詞をぼんやりさせてしまう。

 振り返ると、このblogで『若者のすべて』について書き始めたのは2013年3月、それから五年半近くの年月が経っている。この歌に強く惹かれて、通番を付さないものも含めると今回で計34回も書いたことになる。あの当時もこの作品は志村正彦・フジファブリックの代表曲、2000年代の日本語ロックの傑作という評価はあった。その後、優れた歌い手によって何度もカバーされ、幾つものテレビ番組やドラマ・アニメの挿入歌にもなってきた。
 そして2018年の夏、CMソングとして大量にオンエアされている。この五年半の間、より多くの人々に届けられるようになった。

 『若者のすべて』は、繊細な季節感と新しい叙情の表現、この時代の若者の複雑な陰影の描写、「僕」と「僕ら」による語りの重層性によって、希有な作品となっている。「日本語ロック」という枠組みを超えて、「日本の歌」「夏の叙情詩」というより大きな世界で揺るぎない評価を受け、愛されるようになった。今、そのような「運命」を生きている。