11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

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2023年1月29日日曜日

《痕跡として有りつづける、有るもの》-『茜色の夕日』12[志村正彦LN327]

 志村正彦の聴き手であれば、一人ひとり、忘れることのできない『茜色の夕日』があるだろう。この曲との出会いの時。この曲の想いが真に迫ってきた時。その《時》あるいはその《時々》において、聴き手はこの曲に触発される。〈少し思い出すものがありました〉という志村の声に誘われるようにして、何かを少し思い出す。

 僕にとってのその《時》は、2014年11月28日だった。日本武道館のフジファブリック・ライヴで『茜色の夕日』を聴いた。

 オープニングから十曲ほど演奏した後、志村のハットがマイクスタンドにかけられて、演奏が始まった。イントロのオルガン音に続いて、志村の声が武道館に響きわたる。予期していなかった驚きと共に心に込みあげてくるものがあった。ここにはいない志村正彦の音源と、現メンバーの金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎、サポートの名越由貴夫・BOBOによる生演奏の共演による『茜色の夕日』。当時のブログで書いたことをここに引きたい。


彼は無くなってしまった。だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。《声》という純粋な存在になった。聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。


 あの日の『茜色の夕日』は、歌の音源と生演奏によるもの、というよりも、志村正彦・フジファブリックの歌と演奏を聴いたという記憶となって、僕の中に強く残っている。その記憶を大切にしたいので、日本武道館ライヴのDVDの映像も一度見ただけで、それ以上見ることはしなかった。

 今日、これを書くにあたって、八年ぶりにライブ映像を見た。こみあげてくるものがあった。それでも志村の声を聴くことに集中した。〈僕じゃきっと出来ないな/本音を言うことも出来ないな/無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった〉という箇所にやはり惹かれた。

 この一連のエッセイでは、この箇所をユニットⅣに位置づけた。このユニットⅣがユニットⅠ・Ⅱ・Ⅲの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体〈僕〉の心の中の呟きの声が表出されている、という点を中心に論じてきた。武道館の音源は〈2005年9月シングル版・2005年11月アルバム〉収録のものを使ったようで、〈無責任でいいな〉は、やはり、〈無責任でいい〉と歌われているように聞こえる。〈無責任でいい〉という言葉には、自分自身に対する深い問いかけがある。志村の声がそう伝えている。 


  志村正彦のように、高校を卒業後、東京に出て行く山梨の若者は少なくない。僕もそうだった。山梨の空の星は美しい。もともと星を見るのが好きだったので、山梨の夜空をよく見ていたのだが、東京に出てからはそれがほとんどなくなった。空を見ることを忘れてしまったとも言える。そういう経験をしてきた者には、「茜色の夕日」の〈東京の空の星は見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな。そんなことを思っていたんだ〉という言葉が迫ってくるかもしれない。

 この表現は、〈東京の空の星〉も〈見えるんだな〉ではなく、〈見えないこともないんだな〉と語っているところが志村らしい。〈ある〉という単純な肯定ではなく、〈ない〉ことも〈ない〉という二重否定を使っている。一度、その現実が〈ない〉と否定された後で、その否定自体をくつがえす何らかの契機によって、否定が否定され、その現実が肯定される。その過程の中で、何かを見出すという時が流れている。

 〈ないこともない〉という感覚と論理が志村の歌の根柢にある。

 そもそものはじめには〈ない〉がある。「茜色の夕日」でも「若者のすべて」でも、〈ない〉という声がこだましている。彼の声がこれほどまでに〈ない〉を繰り返したのは、端的に言って、彼の《喪失》の深さを表しているのだろう。何かが、誰かが、あるいは、時や場そのものが失われていく。志村はおそらく物心がつく頃から、失われていくものに鋭敏だったのではないだろうか。

 失われていくものは、そのままそこに不在となる。無いものとなる。しかし、無いものは記憶の痕跡としてはそこに有りつづける。無いものとなったが、そこに痕跡として有りつづけるもの。志村がそれを歌うことによって、聴き手にもそれが浮かび上がる。それを《痕跡として有りつづける、無いもの》と名付けてみたい。

 この《痕跡として有りつづける、無いもの》は、〈ない〉と繰り返し歌われることによって、二重に否定される。《無いもの》が〈ない〉と二重否定され、結果として肯定されると、《無いもの》が《有るもの》へと変換される。《痕跡として有りつづける、無いもの》が、不思議なことではあるが、《痕跡として有りつづける、有るもの》とでも名付けられるものへと変わっていく。錯綜とした分かりにくい論理ではあるが、そのような論を呈示したい。

 〈東京の空の星〉はもともと有りつづけたものであるが、〈見えない〉とされることによって《無いもの》とされてしまう。しかし、その《無いもの》が〈見えないこともない〉という二重否定によって、《有るもの》として肯定される。〈東京の空の星〉は《痕跡として有りつづける、有るもの》として、眼差しに浮上する。

 

 志村正彦には、《痕跡として有りつづける、無いもの》を《痕跡として有りつづける、有るもの》へと変えたいという想いがあったのではないだろうか。《痕跡として有りつづける、有るもの》を希求する想いと言ってもよい。「茜色の夕日」にもその想いが貫かれている。

 昨年の八月から半年の間、断続的に番号を付けながら『茜色の夕日』について書いてきたが、今回でひとまずの区切りを付けたい。


2023年1月22日日曜日

〈リアルな思い〉と客観的な視線-『茜色の夕日』11[志村正彦LN326]

  『若者のすべて』が収録された3rdアルバム『TEENAGER』は、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムである。〈二十代〉の後半になった志村正彦は、このアルバムで〈十代〉を振り返ろうとした。志村は『若者のすべて』についてこう語っている。(『音楽と人』2007年12月号インタビュー記事、樋口靖幸氏)

 

〈茜色の夕日〉以来です、こんなナーバスになってるのは。あの時は曲つくって自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたいっていう、音楽やるのに真っ当な理由があったわけですよ。それに自信をつけられていろんな曲を今まで作ってきたけど、これは当時のその曲と同じくらいのリアルな思いがある……ってことを、作った後に気づかされたんだよなぁ。

 

 『若者のすべて』には、『茜色の夕日』と〈同じくらいのリアルな思い〉があることを〈作った後に気づかされた〉のは、そのリアルな思いを事前に意識していたのではなく、創作した後で事後的に認識したということである。『茜色の夕日』の創作によって〈自信〉を付けた志村は多様な楽曲を表現していったが、その〈リアルな思い〉は幾分か遠ざかっていった。無意識的なものとなったとも言えよう。しかし、『若者のすべて』によって、〈自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたい〉というモチーフが強く、志村の中で浮上してきた。〈二十代〉の後半になった志村は、〈十代〉の思いをふたたび語りたかったのかもしれない。

 

 〈十代〉から〈二十代〉へと至る道筋についてもう一つの観点を示したい。


 『若者のすべて』の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考える。街灯の明かりがつくと帰りを急ぎ、〈途切れた夢の続き〉をとり戻したくなる。〈僕〉の一日は〈すりむいたまま〉のように終わるのだが、やがて〈僕〉は、〈すりむいたまま〉に〈そっと歩き出して〉いくだろう。

 『若者のすべて』から時を遡って『茜色の夕日』を捉えると、『若者のすべて』は『茜色の夕日』で歌われていた〈途切れた夢〉の〈続き〉を歌ったものだとも考えられる。

  『茜色の夕日』の回想は〈途切れた夢〉の回想でもある。その〈続き〉が『若者のすべて』で語られることになる。そして、その〈途切れた夢〉の〈続き〉を取り戻すために、〈そっと歩き出して〉いく意志を歌ったのが『若者のすべて』であるという見方はどうであろうか。


 歌の主体〈僕〉の声、第三次の語りに焦点化すると、『茜色の夕日』の〈本音を言うこともできない〉から、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉への変化を指摘できる。〈言うこともできない〉は文字通り、言うことが不可能な状態である。『茜色の夕日』の〈僕〉は、言うことができないまま、立ち尽くしている。

 『若者のすべて』の〈言えるかな〉には、言いたいのだが本当に言うことができるかなという想い、〈話すことに迷うな〉には、話したいのだがその内容に迷ってしまうという想いが込められている。どちらにしろ、『若者のすべて』の〈僕〉は、言えないまま立ち尽くすのではなく、言うことに向かって少しずつ歩み出している。〈十代〉から〈二十代〉への言葉をめぐる軌跡が浮かび上がる。

  志村は、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で、〈曲のアプローチ、曲を作っていく中で――もちろん夢中になってしまう自分もいるんですが―― 客観的に見れるようになっていった〉と語っている。インタビュアーの〈客観的になった事で見えてきた物などありますか?〉という問いに対してこう答えている。

  

そうですね・・・、結構妙な事やってるな、とは思いますね(笑)。音楽を始める時は色んな素晴らしい人がいて色んな素晴らしい音楽があって、それに感動したりして「そういう音楽って凄いな」って思うんですけど、いざ真剣に考えてみると「ここの歌詞はちょっと自分と違うな」「自分だったらこういう音で作るんだけどな」っていうのがありまして。それを実際にやってみたいって事でミュージシャンを目指したんですけど、やっと自分がやりたかった事が出来てきたというか、色々面白い事に挑戦しているバンドなんじゃないかと思うんですけどね。


 表現者としての志村は、次第に、歌の主体〈僕〉を客観的に見ることができるようになった。このような視線で〈二十代〉の志村は〈十代〉の志村を見つめ直した。『茜色の夕日』から『若者のすべて』までの時の流れの中で、言葉をめぐる在り方も変化した。〈やっと自分がやりたかった事が出来てきた〉〈色々面白い事に挑戦しているバンド〉だという達成感も得られてきた。そのような軌跡が浮かび上がる。この軌跡は表現者としての志村の成長を物語っている。

 また以前、2001年から2005年までに至る『茜色の夕日』の歌い方の変化によって、自分自身が自分を問い返す意味合いが強まってきたと書いたが、このことと客観的な視線を獲得したことの間には深い関係があるだろう。



2023年1月8日日曜日

故郷と東京、〈十代〉と〈二十代〉-『茜色の夕日』10[志村正彦LN325]

 新年が明けた。今年もよろしくお願いします。

 このブログでは毎年十二月の最後にその年の出来事を振り返ってきたが、昨年末はそれができなかった。2023年の最初の回で少し、昨年のことを書きたい。富士吉田を何度か訪れたことについてである。

 一月、下吉田駅の志村正彦パネルを見て、列車近接音の『茜色の夕日』と『若者のすべて』を聞いた。その後も、本町通りの商店街で買い物をしたり、吉田のうどんの店を新しく開拓したりと、街を歩いた。十月「ハタオリマチフェスティバル2022」、十二月「FUJI TEXTILE WEEK 2022」とイベントにも出かけた。

 フジテキスタイルウィークでは、落合陽一の《The Silk in Motion》が想像以上に美しかった。小室浅間神社の神楽殿に設置した大型LEDで上映された映像は、ファブリックの色彩と形態が時間と共に変容していく姿をどこまでも追いかけていく。映像に複雑なリズムがあった。産地展「WARP& WEFT」では、ファブリックのサンプル生地やマテリアルブックを見た。富士吉田の織物産業とその歴史を、文字通り、手に取るようにして知ることができた。

 展示会場の一階にはオープンしてまもなくの「FabCafe Fuji」があった。ハンドドリップコーヒーを飲んで一休みする。窓の外を見ると、スマホを構えた観光客がたくさんいる。富士山写真のスポットのようだ。本町通りには洒落たカフェが集まってきた。新しい街へと歩み出しているようだ。

 富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル mill shop」にも三度ほど立ち寄った。黒板当番さんの黒板画を拝見するためである。最も印象に残ったのは『Strowberry Shortcakes』の絵。〈フォークを握る君〉〈左利き?〉〈残しておいたイチゴ食べて〉〈クスリと笑う〉〈片目をつぶる君〉〈まつげのカールが奇麗ね〉と歌詞が展開していく女性を一つの像で見事に描ききっている。これは傑作ではないか。その女性を〈上目使い〉で見ている〈僕〉の少々デレンとした表情にも味わいがある。


 富士吉田の街を歩くとやはり、志村正彦の故郷を身近に感じることができる。

 昨年秋から『茜色の夕日』について書いてきた。この歌の回想場面には故郷での出来事が強く反映されているように思う。特に、〈十代〉の出来事が色濃く刻まれている。志村は、『茜色の夕日』に関連して、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で次のように語っている。  


ミュージシャンになりたくて決意の上京をした訳ですけど、言い方が堅いですけど孤独だったりしたんですよね、東京は。ホームシックになったりしましたし。でも今は東京の中での自分の場所、それはバンドの中での自分でもありますけど、ずっと住んでる今の家があって、色んな所に行ったりしても帰る場所がある、落ち着ける場所がある。それだけでも違いますよね。


 メジャー1stアルバム『フジファブリック』、2ndアルバム『FAB FOX』の二作によって、フジファブリックの作風は確立した。志村が正直に語っているように、〈孤独〉や〈ホームシック〉を乗り越えて、〈東京の中での自分の場所〉を得たことが彼の創作を支えたのだろう。彼にとって、故郷が〈十代〉までの経験の場であり、東京が〈二十代〉の場であった。

 3rdアルバム『TEENAGER』になると、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムを試みた。『若者のすべて』もこのアルバムの一作品であり、〈十代〉を回想するモチーフが込められている。それはどのような経過をたどったのだろうか。

   [この項続く] 


2022年12月31日土曜日

番組『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』、この十年[志村正彦LN324]

 一昨日12月29日、TBSの番組『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ〜私を支えた歌詞SP2022〜』を見た。名曲の「心に刺さった歌詞」に注目し、その魅力を再発見する歌詞に特化した四時間の音楽番組である。今回は「グッとフレーズ」「感謝ソング」「青春ソング」の三つのテーマの名曲が世代別に紹介され、40代の「青春ソング」に志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が選ばれた。番組MCの加藤浩次、数名のゲスト、アーティストゲストのコブクロ小渕健太郎、wacci橋口洋平、岡崎体育の3人。今回はこの番組について丁寧に説明したい。なお、テロップと歌詞の引用は〈 〉、コメントそのものは「 」で示す。


 『若者のすべて』の場面は、40代〈夏の思い出が蘇るグッとフレーズ〉というナレーションで始まる。街頭インタビューで、〈花火を思い出す〉〈付き合うかな付き合わないかな付き合わなかったな〉〈ちょっとした青春の1ページ〉と話す二人の女性。〈高校生の頃〉〈夏祭りであの子来てないかな?〉〈来てないか一緒に探してよ〉〈見つけると恥ずかしくて近づけない〉〈初恋の人〉と語る父とその娘。

 MV映像の〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉のパートが流され、ナレーターの〈好きだった女性を探してしまう男性〉という説明が入る。

 MC加藤が〈すっげー良くない?この曲〉と話し、〈胸がギューとなる〉点を問いかけると、橋口洋平が〈フワーッとしてて〉〈青春を終えた後の寂しさ〉〈よく分からない胸がギューとなる気持ち〉を〈そのままあるよねって歌ってる〉のが〈素敵なところ〉だとコメント。加藤が〈曲自体がギューとなる〉とまとめていた。

 〈この曲は今〉という話題に移り、〈メッチャ好き❤〉〈ヘビーローテーション〉〈夕方の一人でいる時に聴く曲〉〈実家地元の友達思い出す〉という20代女性のコメント。学園祭やライブハウスで若者がこの曲をカバーする映像と共に「10代20代の若者たちにも刺さっていて」、高校の教科書に掲載されたことが紹介された。

 続いて、ナレーターの「実はこの曲を作詞作曲したボーカルの志村正彦さんはこの曲をリリースした2年後、29歳の若さで亡くなったのですが、生前この曲についてこう語っていました」という説明が入り、テロップで示された志村のMCをそのまま引用する。(テロップでは〈作詞・作曲Vo.志村正彦さん 「若者のすべて」リリースの2年後… 2009年12月24日29歳で急逝〉と表示された)


   センチメンタルになった日だったりとか
 人を結果的に裏切ることになってしまった日
 色んな日があると思うんですけども
 そんな日の度に 立ち止まって色々考えてた
 それはちょっと勿体ない気がしてきて
 歩きながら 感傷に 浸るっていうのが
 得じゃないかなって思って
 止まっているより歩きながら悩んで
 一生たぶん死ぬまで 楽しく
 過ごした方がいいんじゃないかなということに
 26、27歳になってようやく気づきまして
 そういう曲を作ったわけであります


 「そして志村さんはその思いをこの二行のフレーズに込めたといいます」とナレーターが話した。志村の歌声と次のテロップが表示される。


     《グッとフレ ーズ》

    すりむいたまま 僕はそっと歩き出して


 MV映像の〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉〈最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉のパート。

 MC加藤は「最後をどう思う?」と問い、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉から〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉への転換について触れると、ゲストが〈隣にいる 近くにいるという解釈〉〈隣にいるんだな〉と答え、〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉については、岡崎体育が〈うまくいったと信じたい〉と話していた。

 『若者のすべて』は何度も同様の番組で取り上げらてきたが、今回の番組で、フジファブリック両国国技館ライブでの志村のMC映像が放送され、〈グッとフレーズ〉として〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉に焦点が当てられたことは特筆すべきであろう。あの映像が地上波で流されることは初めてではないだろうか。それを受けて、〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉が歌詞の中心にあると捉えたことも的確である。番組ディレクター、構成担当者の見識が光る。出演者の会話は軽めのノリだったが、内容は真面目なものだった。時間も6分を超えていた。この曲を取り上げたこれまでの地上波の番組の中では最も素晴らしかった。

 また、この番組を通して気がついたことがある。人々の歌詞に対する感覚や思考が深まっていることだ。岡崎体育も番組webで、〈VTRに出てくる街頭インタビューの人たちの考察力が上がってるんちゃうかな〉〈リスナーの人たちの歌詞を汲み取る力が上がってるんやな〉と思ったと述べている。歌の言葉が大切にされる時代になってきたと言えよう。歌は生きることを支える。

 

 『音楽と人』2007年12月号のインタビュー(文・樋口靖幸氏氏)、志村は『若者のすべて』についてこう述べている。


一番言いたいことは最後の〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに。


 歌の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考え、街灯の明かりがつくと帰りを急ぐ。そして、二番の歌詞にある〈途切れた夢の続きをとり戻したくなって〉、〈すりむいたまま〉〈そっと歩き出して〉いく。MCで言われた〈止まっているより歩きながら悩んで〉進んでいく。


 十年前の12月末、この偶景webを始めた。その一週間ほど前、富士吉田の市民会館前で『若者のすべて』のチャイムを聴いたことも契機となった。当時は、今回の番組に見られたような極めて高い評価はまだなかった。現在のように、これほど多くの人々に愛される曲とはなっていなかった。志村も発表後しばらくして、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、「精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…」と述べていた。

 しかし、この作品は時間をかけて、言葉と楽曲、歌と演奏の力によって、自らの夢を歩んでいった。2022年の今、この歌は〈若者のすべて〉を表現した作品として人々に聴かれ続けていく夢を実現した。志村の〈すべてに気持ちを込めた〉〈よし!と思ってリリースした〉という想いは達成されたのである。
 振り返ると、この曲について82回ほど書いた。全体の四分の一ほどが『若者のすべて』論。このblogの十年の軌跡はこの歌を中心に歩んできたことになる。



  現実としては、志村正彦の歩みは〈途切れた夢〉となってしまった、と言わざるを得ないだろう。この言葉は哀しく、ある意味で残酷にも響くが、その現実が現実のままにある。

 しかし、聴き手は彼の歌を聴くことによって、〈途切れた夢の続き〉を歩むことができる。そして、一人ひとりが、自分自身の夢や夢の続きを歩み続ける。時に悩んで時に楽しんで、歩きながら進んでいく。志村正彦が歌いたかったのはこのことだ。
 今回から十一年目に入る。このblogを書くことによって、私も私の歩みを続けていきたい。


2022年12月18日日曜日

第三次の語りと声 『茜色の夕日』と『若者のすべて』-『茜色の夕日』9[志村正彦LN323]

 『茜色の夕日』と『若者のすべて』の語りの構造にはある共通点がある。その構造を視覚的に表した図をまず示したい。




 二つの歌ともに、語りの枠組は、一人称の話者であり歌の主体である〈僕〉の観点によって構築されている。〈僕〉は都市の街路を歩いていく。これを第一次の語りとしよう。図の青い部分である。

 『茜色の夕日』では、〈僕〉は街を歩きながら、〈茜色の夕日〉を眺め、おそらく故郷での〈誰もいない道 歩いたこと〉を思い出し、東京で〈空の星〉が〈見えないこともない〉ことに気づく。『若者のすべて』では、〈僕〉は〈真夏のピークが去った〉季節に、それでもいまだに〈落ち着かないような〉街を歩いている。『茜色の夕日』と『若者のすべて』はどちらも、都市に生きる孤独な若者、単独者である〈僕〉が歩行して、風景を見つめる。 

 話者であり歌の主体である〈僕〉が街の風景を眺めながら歩いていくときに、何かを思い出す。あるいは、何かを想い描く。回想であり想像でもある。これを第二次の語りとしよう。図の赤い部分である。

 『茜色の夕日』では、二人称の〈君〉に焦点をあてて、〈横で笑っていたことや/どうしようもない悲しいこと〉を想起する。『若者のすべて』では、一人称複数の〈僕ら〉という視点を加えて、〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな〉と回想する。

 第一次の語りと第二次の語りによって、『茜色の夕日』には一人称と二人称の対話性、『若者のすべて』には一人称単数と一人称複数による対話性が潜在的にもたらされる。二重の語りが複合して、複雑な織物・ファブリックを作り上げる。志村正彦はその織物・ファブリックにもう一つの語りを加える。これが第三次の語りである。図の黄色い部分である。話者であり歌の主体である〈声〉であるが、それと共に、いやそれ以上に、作者志村正彦自身の〈声〉であろう。


  僕じゃきっとできないな できないな
  本音を言うこともできないな できないな
  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった 
                      『茜色の夕日』


  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな   
                       『若者のすべて』 
             


 『茜色の夕日』は〈本音を言うこともできないな〉、『若者のすべて』は、〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉と呟く。失われてしまった、あるいは、失われてしまいそうな誰かに〈言うこと〉〈話すこと〉が不可能になったり困難になったりする。歌の主体は〈僕〉は言葉で伝えることの壁に遭遇する。

 また、『茜色の夕日』の〈できないな〉の四回もの反復、「な」音の繰り返しと、『若者のすべて』の〈ないかな〉〈ないよな〉の反復、〈いないよな〉〈なんてね〉を含む〈な〉音の繰り返しというように、この二つの作品には〈な〉の音が通奏低音のように響く。そして、〈ない〉という否定と不在の表現が二つの歌の世界を貫く。

 比喩的に言うと、志村正彦は、縦糸と横糸から成る織物・ファブリックの二次元的世界に、垂直の次元を加えて、三次元的世界の厚みを創り出した。


2022年12月4日日曜日

時を経た成熟-『茜色の夕日』8[志村正彦LN322]

 今回は、ユニットⅣの歌詞について考えてみたい。


5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この箇所について、『茜色の夕日』スタジオ収録の四つの音源を聞き比べてみた。以前にも書いたことがあるが、それぞれの演奏者と演奏時間を整理してみる。


1.2001年夏(推定)カセットテープ版  4分40秒 ( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

2.2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』版  4分52秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

3.2004年2月CDミニアルバム『アラモルト』版 5分12秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )

4.2005年9月6thシングル版・2005年11月2ndCD・アルバム『FAB FOX』版 5分36秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )


 再生ソフトの示す時間から、カセットテープ版 4:40→『アラカルト』版 4:52→『アラモルト』版 5:12→シングル・『FAB FOX』版 5:36 というように、最終的に1分ほど長くなっていることが分かる。四年ほどの時間が流れているので、志村正彦の声は、若々しい声からより成熟した若者の声へと変化している。歌い方も変わり、過去を回想する色合いが強くなる。それに伴って、切なさや哀しさが増してくる。取り戻せない時の流れが伝わってくる。

 今回、今まで気づかなかったあることに気づいた。4番目の最終的なスタジオ音源の〈無責任でいいな ラララ〉の〈な〉の音が歌われていない(ように聞こえる)ということだ。それまでの音源では、〈いいな〉の〈な〉は発音されたきた。続く〈ラララ〉の〈ラ〉音と重なるところもあるので微妙ではあるが、そう判断できる。引用して明示すると次のようになる。


無責任でいいな ラララ 

無責任でいい  ラララ 


 最終的音源、完成版ともいえる音源で、〈な〉が歌われていないことは、志村の判断があってのことだろうが、多分に無意識的な選択かもしれない。この〈な〉の有無によって、歌の解釈も異なってくる可能性がある。

  三省堂『大辞林』によると、助詞の「な」には、①感動や詠嘆の意②軽い主張や断定、念を押す意③同意を求める意、相手の返答を誘う意④軽い願望の意⑤依頼・勧告の意の五つがある。

 〈僕じゃきっと出来ないな〉には、何が〈出来ない〉のかという対象が示されていない。続く、〈本音を言うことも出来ないな〉には、誰が〈出来ない〉のかという主語が省略されている。この二つは連続しているので、〈僕じゃきっと本音を言うことも出来ないな〉という一つの発話として受けとめることができるが、この〈本音〉が何であるのかは分からないままである。この発話は自分が自分に対して話しかけているものだろう。

 〈無責任でいいな〉という発話は、それが話しかける相手が他者か自分自身かによって、二通りの解釈が生まれる。〈な〉があると、相手が他者である可能性が高くなる。この〈な〉は相手の返答を誘う意味となるだろう。歌詞の言葉であるから実際に返答を求めているではないが、その他者が〈無責任でいい〉ことについて、その他者からの応答を求めている。この〈無責任〉は、この歌の重要モチーフとなっている恋愛に関する責任と無責任のことであろう。

 〈な〉がないとおそらく、相手は自分自身になるだろう。自分が〈無責任でいい〉ことについてあらためて問いかけるか、あるいは〈無責任でいい〉ことを自分自身が同意するか、その二つのどちらかになるだろう。その他の解釈も考えられるかもしれないが。

 ユニットⅣの最後は、〈ラララ〉を挿んで、〈そんなことを思ってしまった〉で終わる。〈無責任でいいな/無責任でいい〉の〈な〉の有無によって、歌の主体と他者との関係性が変わるが、どちらにしても、その過程は〈そんなこと〉と捉え直され、〈思ってしまった〉で完結する。


 2001年から2005年まで、四年間の推移の中で、『茜色の夕日』全体がより自省的な歌、自分自身が自分を問い返す意味合いの歌に変化していった。〈な〉の発話の有無はそのことに関連している。

〈billboard-japan〉掲載の〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、志村正彦はこの『茜色の夕日』についてこう語っている。  


志村正彦:作ったばっかりの頃は思っている事を曲に書いてただけなんですけど、シングルで出したいなって思って前のバージョンの『茜色の夕日』を聴き直してみたら、いやに沁みてきたといいますか。18歳の頃のあの感じは出せないですけど、同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて、東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ、というのを曲にしてみました。この曲は代表曲と言われるくらいずっとやってきている曲なんで、これで一区切りするといいますか、落ち着けたいという気持ちもありましたね。まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこうかって、そういう雰囲気は見せれたんではないですかね。


 彼はここで〈同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて〉と述べているが、この発言は2007年12月の両国国技館ライブでのMC〈歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという〉とも響き合う。

 志村は、歌の意味合いや捉え方の変化をふまえて、〈東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ〉を2005年収録の最終的音源に込めた。〈一区切りする〉〈落ち着けたい〉という気持ちによって、〈まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこう〉という意志を表現した。

 このような時をかけて、志村正彦は『茜色の夕日』を成熟させていった。


2022年11月20日日曜日

〈醒めた客観視〉-『茜色の夕日』7 [志村正彦LN321]

 『茜色の夕日』はユニットⅢまで進むと、ある変化が現れる。この箇所を引用してみよう。


3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった


 ユニットⅡの〈忘れることは出来ない〉とされた出来事は、おそらく高校時代のことであろう。ユニットⅢでは、〈子供の頃〉の時間へ遡ろうとする。子供には夏休みがある。長いようで短い夏が終わってしまうと、子供なりにどことなく寂しくなる。やるせないような寂しさ。そんな記憶が誰にもあるのではないか。歌の主体〈僕〉もそのことを思い出している。しかし、この歌の現在時の〈今、〉、短い夏が終わったのにその寂しさがない。〈今、〉というように〈今〉のあとに〈、〉の読点が置かれているのは、時間の区切りを強調するためだろう。この一行のフレーズの背後には、子供から青年期への時の流れとその断絶が刻まれている。

 〈君に伝えた情熱〉は、この歌の背景にある〈僕〉の上京や将来に対する情熱と受けとることもできるが、この論では〈僕〉の〈君〉に対する恋愛の情熱と捉えてみたい。その〈情熱〉を、〈呆れるほど情けない〉というように客観化して、〈笑うのをこらえている〉と醒めた目で対象化する。さらに、〈後で少し虚しくなった〉というように、その出来事の〈後〉の〈僕〉の気持ちの語る。〈少し〉とはあるが、〈僕〉は虚しさに包まれる。

 この箇所について参考になるのが、『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』での発言である。インタビュアー青木優氏の〈その「茜色の夕日」にしても、ストレートに「好きだ」と告白している歌ではないですよね。そこまでその娘に対する想いがリアルなのであれば、そうなってもいいはずなのに、志村くんには、まったくそういう曲がない〉というという問いかけに対して、志村は次のように答えている。 


 僕に「愛してる」とか「好きだ」みたいな歌詞がない理由というのは、自分でもわかってます。それは僕の中にある醒めた客観視、「んなこと言われても!」って考えのせいなんですね。だって、僕がそういう曲を聴いた際の感想というのは、「へえ―、そうですか、愛してるんですか」っていう程度のものでしかないんですけど、場合によっては、「え、好きだからなんなんですか?」「愛してるからなんなんですか?」「ちなみにその愛の内容は、どういうことを経験しての愛なんですか?」みたいな詮索がスタートしてしまう。で、結局最後は「だったら愛してればいいじゃん!満たされてんだったらなんで曲なんか作んの?」みたいなことになっちゃうんですよ。 
 でも、それと同時に、僕が自分に対してまだ一流だと思えない理由というのも、そこにあったりするんです。愛してるってことが歌えないからこそ、一流になれないというか。だって、それを歌えるアーティスト、たとえばミスチルみ たいなアーティストというのは、やっぱりそのぐらい自分に自信があるんでしょうし、いろんな愛を歌うことで、世間 をハートマークだらけにしていく自信があるってことじゃないですか。でも、残念ながら、僕にはそれがない。そういう自信がないからこそ、「愛してる」が書けていないとも言えますね。寂しいことですけど。 


 志村は、〈愛してる〉と歌う〈自信〉がないと述べているが、そのことを〈寂しいこと〉とも受けとめている。〈僕の中にある醒めた客観視〉という発言にも注目したい。志村にはリアルな気持ちとしての主観的な〈情熱〉と共に、それに対する〈醒めた客観視〉があった。ユニットⅡは前者、ユニットⅢは後者を表現しているといえるだろう。歌詞の展開の中で、この二つの感情を対比的に捉えている。〈短い夏〉〈今、〉〈子供の頃〉〈後で〉というやや錯綜した時の区切り方が、心のゆれの振幅を奏でている。


 このユニットⅢを経て、ユニットⅠの後半部が登場する。


4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど

4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 過去と現在、故郷と〈東京〉、〈空の星〉が〈見えない〉と〈見えないこともない〉。これらの対比が、時間と空間の隔たりの中で〈そんなこと〉を〈思っていたんだ〉と歌われる。〈んだ〉を付加することによって、作者志村正彦は歌の主体〈僕〉の思いをある程度まで対象化している。

 〈見えない〉ものが〈見えないこともない〉という発見から、志村正彦の眼差しが変わってきたことがうかがわれる。『茜色の夕日』は眼差しの変化の歌でもある。

      (この項続く)


2022年11月6日日曜日

話法の原点-『茜色の夕日』6 [志村正彦LN320]


 1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました

 この語り口、話法を編み出したことが、志村正彦の歌の原点であった。

 〈茜色の夕日〉の〈日〉太陽という自然の景色、〈茜色〉の色彩感、夕方という時間。〈眺めてたら〉の〈眺める〉という動詞、主体の眼差。〈てたら〉は、〈眺める〉という動作が持続しながら、その完了後に別の出来事が引き続いて起こることを示す。その出来事を〈少し思い出しました〉ではなく、〈少し思い出すもの〉〈が〉〈ありました〉と語られる。まずはじめに、〈茜色の夕日〉という自然の景観、主体の外側にあるものが眼差しの対象となり、それに続いて、〈思い出すもの〉という記憶の対象、主体の内側にあるものが浮かび上がる。〈茜色の夕日〉はやがて、〈桜〉〈陽炎〉〈金木犀〉〈銀河〉という自然やそれに類するものになるだろう。そのような変奏が奏でられてゆく。


 1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

 続いて、〈少し〉〈思い出すもの〉の光景が現れる。〈晴れた心〉晴れやかな心と〈晴れた日曜日の朝〉晴れの天気の日曜日の朝という表現が、〈思い出す〉行為の中で融合されたのだろう。そして、〈誰もいない道〉を〈歩いたこと〉という歩行が記憶の中の鍵となってくる。


 以前述べた「ユニットⅠ」という構成の中では、夕暮から夜となり、眼差しの対象として〈空の星〉が現れる。

4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

 〈東京の空の星は見えない〉と〈聞かされていた〉という話は、誰か大切な人との会話だったのかもしれない。それは、〈東京〉に出て行く以前の故郷での出来事なのだろう。今、歌の主体〈僕〉は東京にいる。この箇所には故郷から東京へ過去から現在へという歩みが込められている。


 ユニットⅡの全体を引用しよう。

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

 〈少し〉〈思い出すもの〉は、〈君〉との間で経験された出来事である。この〈君〉という二人称で述べられる存在とその出来事について、志村は『音楽とことば ~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』( SPACE SHOWER BOOks 2013/6/24 ) で語っている。該当箇所を抜き出してみよう。


・歌詞というのは、とんなものでも、何を書いてもいいものではあるんだけど、実は、なんでもよくはない。そこにリアルなもの、本当の気持ちが込められていなければ、誰の気持ちにも響いてくれないと思うんです。

・そもそも僕がミュージシャンになるきっかけというのは、フラれたあの娘に対しての満たされなかった想いというのを、なんとか遠回しにでも聞いてもらおうと思ったからなんです。そこから秘かに曲作りを始めて、演奏して、発表して、できればドカーンと売れて、いつか見返してやろう、みたいな気持ちがあったんですけど、その気持ちっていうのは、本当にリアルなもので、世間に対して何かを訴える、みたいな種類のものではないにせよ、やっぱりそれは、メッセージ色の強いものだと思うんです。

・最初の最初は、あの娘になんとなく気づいてほしいからという情熱から歌詞を書き始めたわけです(後略)

・高校生の終わりぐらいですね。初恋の娘です。

・その失恋から産まれた曲は「茜色の夕日」って曲で、フジファブリックとして発表しているんですけど、自分の衝動をそのまま歌詞に刻めたということにおいては、この曲に勝るものはないです。僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはないですね。


 志村は自らの経験の中の〈リアルなもの〉〈本当の気持ち〉を歌おうとした。「茜色の夕日」の場合、歌の主体〈僕〉は作者志村自身であると考えられる。歌の作者と歌の主体とが〈リアルなもの〉として結びついている。〈君〉もまた、志村にとってまさしくリアルな存在であったと考えてよい。引用した発言からすると、〈君〉は志村の〈初恋の娘〉だった。その恋は〈高校生の終わりぐらい〉のことであり、〈失恋〉に終わった。〈自分の衝動をそのまま歌詞に刻めた〉ことがこの歌の根源にある。

 〈僕の人生において、この曲の中に込められたものに勝る想いというのはない〉という〈想い〉は、特にこのユニットⅡの中に込められている。〈君がただ横で笑っていたこと〉は、〈や〉という助詞で〈どうしようもない 悲しいこと〉につなげられる。〈笑っていたこと〉は喜びをもたらしたものだろうが、それゆえに逆に、〈どうしようもない 悲しいこと〉を際立たせる思い出にもなってしまった。その恋の終わりに、〈君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ〉という出来事があった。作者と歌の主体の〈想い〉の核にはそのような経験があるのだろう。

 その出来事は〈忘れることは出来ないな〉とされている。しかし続いて、〈そんなことを思っていたんだ〉と語られているので、忘却できないこと出来事自体とその出来事を想起する行為との二つが表現されている。志村が述べた言葉を用いれば、〈リアルなもの〉としての出来事とそれに対する〈本当の気持ち〉を歌うことの二つの次元が重要になってくる。

    (この項続く)



2022年10月30日日曜日

小さな旅-2022ハタフェス[志村正彦LN319]

 10月22日、昨年に引き続き、大学の「山梨学Ⅱ」という授業で、学生19名とバスに乗って、富士吉田の「2022ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。地域活性化の先進的な試みを実際に見て学ぶための現地見学である。コロナ禍での小さな旅といってもよい。ハタフェスは、山梨県富士吉田市の街の中で開催する秋祭り。二日間、小室浅間神社と本町通り沿いの各会場で、山梨のハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりする街フェスだ。

 富士吉田市役所の駐車場にバスを止めて、全員で歩いて、メイン会場の小室浅間神社に到着。皆で記念写真を撮った後、三つのグループ別の見学、その後、各自の自由見学という流れだ。

 この自由見学の時間に志村正彦の生家近くの公園へと向かった。この日は晴天で富士山がよく見えた。雪がまだなく、赤茶けた山の地肌が露わになった夏の富士だった。その姿を見ながら、前日アップしたばかりの偶景webの記事をスマホで探して、インディーズ版『茜色の夕日』MVを再生した。志村の歌声が静かに流れる。いくぶんか感傷的な気分に浸った。



 それから、「FUJIHIMURO」で開催中の「旅するテキスタイル」展を見に行った。フィンランドで最も歴史のあるテキスタイルブランド「フィンレイソン」のテキスタイルプリントを行ってきた街フォルッサの工場跡地をリニューアルした博物館の出張展だ。実物の展示と解説のグラフィックパネルが充実していた。富士北麓にはどことなく北欧の香りがあるので、マッチングがよい。


 昼食時間となるが、店は混んでいる。しばらく歩くと、洋菓子店のTORAYAがあった。大粒のイチゴを使ったロイヤルショートが評判の店だ。店内を見るとイートインコーナーがあるではないか!僕のようなおじさんが一人でケーキを食べるのはかなり気が引けたのだが、覚悟を決めた。イチゴが新鮮でクリームの甘みも抑えられていて、とても美味しい。ヴォリュームがあるので、満腹感がある。これで昼食は無事完了。



 本町通を上っていく。黒板当番さんの『みんなの黒板きょうしつ』のブースがあった。インクジェットプリンターで印刷した60枚のミニ黒板の中には志村正彦をテーマとする十数枚の絵があった。この日は「おとなも子どももチョークで絵を描いてみよう!」というワークショップがあった。ちょうど子供が恐竜の絵を描いていた。夕方までにボードは絵でいっぱいになったことだろう。


 フジファブリック・ファンゆかりの場所、喫茶店M-2の前を通り過ぎようとした時に、壁に小さなポスター二点が貼られていることに気づいた。



 事前に案内されていたイラストレーターmameさんによる「私のハタオリマチ日記」だった。よく見ると右側の絵はまさしくこのM-2を背景にしていた。M-2の壁にもうひとつのM-2がある、という不思議な光景。特設サイトによると、この絵は三種類あり、それぞれに三つの物語がある。その一つは志村正彦・フジファブリックに関わるもののようだ。

 途中で学生たちと何度か出会ったが、店の人たちにインタビューして取材をしていた。授業では学生のスライド発表会が予定されている。最終的な課題では、自分の街のフェスティバルを企画して提案する。ハタフェスを先進的な事例として調査した上で、自分自身が主体的に考えることを求めている。

 今年は各エリアのブースが整理されていて、統一感があった。昨年に比べて、コロナ禍による制限も緩和されて、のびのびとした雰囲気もあった。天候に恵まれて、そしてなによりも富士山にも愛でられて、素晴らしいハタフェスになった。


2022年10月21日金曜日

インディーズデビュー20周年とインディーズ版MV-『茜色の夕日』5 [志村正彦LN318]

 二十年前の2002年10月21日、インディーズのSong-Cruxから1stアルバム、フジファブリック『アラカルト』が発売された。

 今日はインディーズデビュー20周年の日。そして、『茜色の夕日』がCD音源としてリリースされた記念の日でもある。

 この歌は18歳の頃作られたと言われている。2001年夏、『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープが自主制作されている(参照:『茜色の夕日・線香花火』カセットテープ [志村正彦LN173])が、CDのミニアルバム『アラカルト』の収録曲『茜色の夕日』がロック音楽のファンに聴かれるようになった作品であると考えてよいだろう。当時、この曲のミュージックビデオも制作された。

 22歳の志村正彦は、表情も、声も、実に若々しい。この映像では、十代の面影を宿しているようでもある。ドラムの渡辺隆之、キーボードの田所幸子がわずかだが映っている。この時は脱退していた萩原彰人のギター、加藤雄一のベース音も入っている。

 ネットにあるインディーズ版『茜色の夕日』MVを紹介したい。

    


 この映像が伝えようとしているものをシーンごとに追っていきたい。


・ファーストシーン。スタジオ照明による〈茜色の夕日〉
・演奏シーン(正面にギターを抱えた志村、その画面右側にキーボードの田所幸子、オルガン音のイントロ。
 画面が左側に移動して、ドラムの渡辺隆之。中央に移動しながら志村の声が聞こえてくる。歌が始まる)
・東京と思われる住宅街の路を歩く目線からの移動撮影の映像が挿入される。緑の多い街。庭木や生け垣。
・葉書のようなものを手にして物思いにふけるような志村。演奏シーン。
・誰かが横切って絵葉書かカードのようなものを置く。絵葉書のクローズアップ。女性(と思われる人)が丘のような所から東京と思われる街並を見下ろす。部屋の中のシーン。演奏シーン。
・再び、住宅街の路を歩く目線からの移動撮影。女性とその下に石畳。演奏シーン。空と雲。演奏シーン。
・サンダルを履いた女性が座り、何か白いものが散っている。演奏シーン
・煙草を吸いながら外を眺める志村。演奏シーン。
・丘の公園のような所からその向こう側に街並が広がる。白いノースリーブのワンピースを着てベンチに腰かけた女性の背中が映る。演奏シーン。
・部屋の中のシーン。真ん中に低いテーブル。その上には絵葉書のようなもの、グラス、灰皿。カーテンが閉められている。演奏シーン。
・空と雲のシーン。
・三度、街中を歩く目線からの移動撮影。
・ラストシーン。実景による〈茜色の夕日〉。茜色に染まる東京の街並とその向こう側の山並、山々の稜線。


 このミュージックビデオで描かれる物語は、おそらく、志村正彦が構想したものだろう。東京と思われる住宅街の路を歩くことが語りの枠組となっている。志村正彦が演じるTシャツ姿の男性と白いノースリーブのワンピースを着た女性。男女の恋愛が背景にあるのだろうが、この二人は別々に登場し、一人ひとりである。絵葉書のようなものには〈手紙〉による言葉の伝達のモチーフがあるのだろう。

 丘の公園のような所からその向こう側に街並が広がる。最後は茜色に染まる東京の街並とその向こう側には山並とその稜線が見える。〈茜色の夕日〉の時間だから東京の西側にある山梨方面の山々のように思われる。つまり、東京の街並の光景とその向こう側にある故郷の風景を思い浮かべているのではないだろうか。

 このインディーズ版『茜色の夕日』MVは日中の撮影のためか、東京の〈星〉はないが、東京の〈空と雲〉は出てくる。志村が構想したと思われるこの映像は、第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがあるのでユニットⅠとしてまとめることができるという仮説をある程度裏付けるものでもある。  

      

1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。そして、茜色の夕日となり、夕暮れから夜の闇へと至り、〈東京の空の星〉は〈見えないこともないんだな〉ということに気づく。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉という対比的なモチーフが現れる。

 さらに、インディーズ版ミュージックビデオのラストシーンに、志村の故郷である山梨方面の山並が出現することは、〈茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました〉とされるものは、故郷での出来事であることをそれとなく示しているのかもしれない。 


 『茜色の夕日』が『アラカルト』収録曲としてリリースされてから二十年。インディーズ版MVの志村正彦は、いつまでも若く、在りつづけている。


2022年10月17日月曜日

ヴァンフォーレ甲府 天皇杯優勝

 優勝が決まった瞬間の想いは、夢でないのか。でも、夢ではなかった。それでも、夢のなかにいるような心持ちがした。一日経った今でもそれが続いている。

 2022年10月16日。日産スタジアムには2万人ほどの甲府サポーターが駆けつけていた。入場時のコレオが素晴らしかった。青と赤の色彩が強烈でしかも美しく、夢のなかの光景のようだった。



 試合開始から、ゴール裏からは凄い音圧の声が出ていた。僕と妻はバックスタンドの1階にいた。声出しは出来ないエリアだったので、コールや歌のリズムに拍手を合わせていた。拍手の音が重々しく響いた。巨大な日産スタジアムはラウンド型の形状なので音が反響する。轟音・爆音のロックを身体で受けとめながら応援するのは、独特の高揚感があった。3時間に及ぶ試合だったが、夢の祝祭の空間にいるようだった。


 想いが駆け巡った。過去から現在に至る出来事。

 J2参入以来、24年ほどサポーターを続けてきた。2000年の19連敗。あの時は苦しかった。そして経営危機を迎えて、甲府存続のための活動を行った。仲間が主宰していたブログに毎日のように書き込みをしていた。とにかく何かを書くことが、甲府のために少しでも役立つかもしれないと考えた。しかし、3年連続最下位とチームは低迷した。

 2002年の大木武(現、熊本監督)就任後、チームは変わった。そして2005年12月10日のJ1昇格。柏サッカー場のゴール裏で応援していた。柏レイソルを6対2で破った。現在まで降格と昇格が合わせて3回。今年はリーグ戦で勝てないことが続き、18位。そのような成績にもかかわらず、天皇杯で勝利したのは、甲府らしいといえば甲府らしい。

 一晩明けて先程、録画をすべて見終わった。スタジアムの追体験というよりも、もう一つの経験をした気分だった。ネットの記事で報道されているように、劇的なあまりに劇的な展開。延長戦後半、山本英臣がPKを与えてしまう。河田晃兵がそのPKを止める。PK戦でも河田がPKをセーブして、最後に山本が決めて勝利。夢の経験が現実の映像によって記憶に変わっていくのだが、やはり、夢のような映像、映画のような決勝戦だ。


 来年はACL(アジア・チャンピオンズリーグ)に出場する。

 ヴァンフォーレ甲府はありえないような物語、夢の物語を創り出す。


2022年10月6日木曜日

10月16日サッカー天皇杯決勝 ヴァンフォーレ甲府VSサンフレッチェ広島

 ヴァンフォーレ甲府のことをこのblogでは久しく書いていない。調べたら2018年8月が最後だった。もう4年前になる。この間の成績は、2018年J2・9位、2019年J2・5位、2020年J2・4位、2021年J2・3位。ここ3年で順位をを上げてきたのだが、今年は現在18位とかなり低迷している。攻撃では圧倒し、枠内シュートも多いがなかなか得点できないうちに、相手のワンチャンスで失点というパターンが続いている。ところが、昨日、鹿島スタジアムで開催された天皇杯準決勝で鹿島に1―0で勝利して、10月16日の決勝に進出することになった。甲府のサポーターを24年間続けてきた僕としては、2005年のJ1初昇格に次ぐ喜びだった。

 昨日は仕事があったのでテレビでの応援。予想通り、鹿島にボールを支配されるが、ときどきカウンター攻撃が機能し、ほぼ互角の戦い。後半37分、ニキ(浦上仁騎)がDFの背後にキック、ジュンマ(宮崎純真)が走り、絶妙なトラップからGKをかわして落ち着いてシュート。ゴール! この先制点を奪い、守り切った。全体を振り返れば、攻守の切り替えが早く、小さいエリアでのパス交換を通じて、効果的な攻撃を繰りだしていた。ニュースでは「ジャイキリ」「下克上」、鹿島の監督からは「大失態」とか言われているが、そうではない。もちろん、鹿島は強豪であり、チームの総合力で甲府を上回っているのは確かだが、それで勝負が決まらないのがサッカーの面白さ、醍醐味。甲府の守備が持ちこたえれば勝つ可能性はあると僕は思っていた。札幌、鳥栖、福岡のJ1勢を複数得点で破ってきた攻撃力には優れたものがあるからだ。

ヴァンフォーレ甲府@vfk_official には、

 ⭐️クラブ初の天皇杯決勝進出⭐️
 地方クラブの挑戦は続きます。
 喜びを噛み締め、次に向かいましょう💙❤️
 現地や山梨、それぞれの場所から応援ありがとうございました。

とある。平日夕方にもかかわらず、2000人の甲府サポーターが鹿島に駆けつけたそうだ。

Yahooには、〈「興奮したよ!!」J2甲府の「男泣きの決勝進出動画」に感動の声続々! 対戦相手や他クラブのサポも巻き込み14万回再生!〉という記事(サッカー批評編集部)もあり、勝利の瞬間の映像が話題になっている。


 天皇杯決勝の相手はサンフレッチェ広島。会場は横浜スタジアム。本来なら元旦の恒例行事だが、今年はワールドカップがあるためにこの日程となった。会場も新国立競技場でないことが残念だが、これは仕方がない。

 何度か引用したが、志村正彦は2009年12月5日付の日記で、VF甲府のJ1初昇格についてこう書いている。

  京都前のり。民生さんと合流し、飲みに行く。
  民生さんサッカーの話、超詳しい。俺、全然分からん。
  今、甲府はどうなってるんだ?
  甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。

 京都でのライブの前夜、奥田民生と合流し、サッカーの話題となったようだ。〈甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯した〉というのは山梨愛が深かった彼らしい言葉だ。


  サンフレッチェ広島には、昨年甲府に期限付きで在籍して大活躍した野津田岳人、甲府でプロキャリアをスタートさせた柏好文(山梨県出身)、佐々木翔(日本代表)、今津佑太(山梨県出身)がいる。甲府の監督を三年間務めた城福浩は昨年まで広島の監督だった。そういうわけで、J1の中では最も親しみを感じているチームだ。その広島と対戦するのも、なんというのか、少し複雑でもあるが、とても楽しみでもある。

 さらに言うと、広島で思い浮かぶのは奥田民生のこと、甲府・山梨ではもちろん志村正彦である。つまり、ヴァンフォーレ甲府VSサンフレッチェ広島は、志村正彦VS奥田民生でもある、と勝手に考えている。

 今日、チケットを購入した。10月16日午後2時キックオフ。横浜スタジアムに行って、天皇杯決勝を楽しみたい。