11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

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2019年1月23日水曜日

荒井由実と志村正彦-『陽炎』9[志村正彦LN207]

 荒井由実『ひこうき雲』の一番の歌詞を再び引用したい。


  白い坂道が 空まで続いていた
  ゆらゆらかげろうが あの子を包む
  誰も気づかず ただひとり
  あの子は 昇っていく
  何もおそれない そして舞い上がる 

  空に 憧れて 空を かけてゆく
  あの子の命は ひこうき雲

   
 荒井由実『ひこうき雲』を聴いた者は誰でも、「誰も気づかず ただひとり/あの子は 昇っていく」「空を かけてゆく」という展開と「あの子の命はひこうき雲」という比喩から、「あの子」の「死」を描いた作品であると受けとめるだろう。

 この歌の背景には、小学校時代の同級生の男子が高校一年の時に無くなったという出来事がある。作者自身が『ルージュの伝言』(角川書店 1983/01)という本でそう述べている。その男の子は難病を患っていた。小学校以来会ったことはなく、葬儀で見た写真は高校生の顔をしていた。作者の知らない「あの子」の時の流れがあった。「何もおそれない そして舞い上がる」という詩句から、「あの子」の持つ強い意志のようなものも伝わってくる。何もおそれることなく自らの道を歩んでいく孤高の若者の存在が浮かび上がる。それにしても「何もおそれない」という言葉は重い。荒井由実の歌詞が優れているのはこのような断言の純粋な強さであろう。

 5行目までは「かげろう」に包まれて昇天していく「あの子」の生と死の描写であるが、6行目の「空に 憧れて 空を かけてゆく」では歌い方が幾分か転換する。「空」への「憧れ」は、「あの子」だけが抱いたものではなく、作者が抱いたものでもあるのだろう。そのように聞こえてくる。最後の7行目になると、「かげろう」というイメージが「ひこうき雲」に繫がっていく。「かげろう」が消えていき、「ひこうき雲」が大空に線を描いていく。それも次第に消失していき、「あの子の命」が虚空をかけてゆく。

 荒井由実は「あの子の命」を「ひこうき雲」に喩えた。飛行機のジェットエンジンによって生成された水蒸気の雲は自然の現象とも言えるが、その原動力は人工的なものである。飛翔する動力の軌跡である。
 日本の詩歌の伝統では、命や死を人工的な飛行機雲に喩えることはなかっただろう。死は自然の移ろいとして表現されてきた。「ひこうき雲」による比喩は新しい感受性の登場を告げている。飛行機雲が流れる現代の空の風景。その風景に若者の死が重ね合わされていく。70年代初頭の日本語ロック、ポップスはこのような表現を成し遂げたのだ。

 歌の主体は「あの子」の死に対して過剰な感情を込めているのではない。他者の死への過剰な感情の投影は、自己愛や自己憐憫の発露にもなりかねない。歌の主体は「かげろう」によって「あの子」の現実から隔てられている。作者が「あの子」の小学生から高校生までの時間から隔てられていたように。その隔たりの感覚がむしろこの美しい歌を純粋な哀しみの歌に昇華させている。

 荒井由実の声には透明感がある。彼女の声は、感情を伝えるというよりも感覚を伝える。この時代の都市音楽にふさわしい声の誕生だったかもしれない。イギリスのプログレッシブロック、特にプロコロハルムに影響されたという楽曲には硬質で透明な響きがある。ギター鈴木茂、ベース細野晴臣、キーボード松任谷正隆、ドラム林立夫というバックバンドは、その響きに潤いや柔らかさを与えている。よく言われることだが、イギリス的な端正で重厚な響きとアメリカ的なうねりのあるサウンドが綺麗に融合している
 昇天していくような多分にキリスト教的なイメージがあるが、ミッション系の中学高校で学び、パイプオルガンに親しんでいた荒井由実にとっては身近なものだったのかもしれない。

 前回言及したように、志村正彦は荒井由実のアルバム『ひこうき雲』を「ロックを感じるCD3枚」の1枚目に挙げている。
 『Rooftop』掲載の志村正彦(フジファブリック)とクボケンジ(メレンゲ)の対談、「新宿ロフトで出会い、共に“SONG-CRUX”卒業生の2人が語る内なる“ロック”的なもの」(2004.11.15 interview:Hiroko Higuchi)で、「ロックを感じるCD3枚」について、二人が一枚ずつコメントしている。志村の発言を抜き出してみる。


──では、志村君の1枚は?

志村 荒井由実の『ひこうき雲』です

──これはいつ頃手にしたの?

志村 2〜3年前です。比較的最近なんですよ。曲が良いのはもちろんなんですけど、バックの演奏とか凄いんですよね〜

クボ 何気に凄いよね

志村 バックがティン・パン・アレーなんですよね。凄いファンキーなんです。あと、少女が思ったことを真剣にやっている気がして。そういうの凄い好きだなぁって

クボ 女の子しか判らない世界っていいよね


 ちなみに志村の2枚目はブラジルのエドゥ・ロボの『エドゥ・ロボ』、3枚目はレッド・ツェッペリンの『PHYSICAL GRAFFITI』である。2004年というインタビューの時期からすると、『ひこうき雲』を入手した「2〜3年前」は2001から2002年ころになる。つまり、オリジナルの富士ファブリックからインディーズ時代のフジファブリックの時代だ。

 荒井由実+エドゥ・ロボ+レッド・ツェッペリン。日本語ロック・ポップスの新しい感性+ブラジル音楽のグルーヴ+ブリティッシュロックのビート。志村は正直に自らの系譜を語っている。初期のフジファブリックはこのようにして生まれていった。

2019年1月5日土曜日

荒井由実『ひこうき雲』-『陽炎』8[志村正彦LN206]

 2019年が明けて五日になる。ずっと快晴に恵まれ、甲府盆地から見える冬の富士が綺麗だ。新春という境地になる。

 時間を大晦日の紅白歌合戦に戻す。毎年その年の歌のトレンドを知るために見ている。平成最後が強調されていたが、歌合戦というよりもダンス合戦のような演出にはついていけなかった。suchmosの醸し出す「場違い感」だけがその流れを断ち切っていた。ロックだった。

 圧巻だったのは松任谷由実。教会風のセットを背景に『ひこうき雲』、突如NHKホールに移動して『やさしさに包まれたなら』を歌った。バックには鈴木茂、松任谷正隆、林立夫たち。ベースは細野晴臣ではなく小原礼。それでも四分の三「ティン・パン・アレー」ではないか。会場に呼びかけるユーミンと淡々と奏でるバンドメンバーのコントラストも見物だった。

 『ひこうき雲』の歌詞には「かげろう」が登場する。以前から気になっていたのだが、志村正彦・フジファブリック『陽炎』のエッセイを連載している今、この歌を取り上げてみたい。一番を引用する。
 誰もが知る曲だが、オフィシャル映像に〈松任谷由実 - ひこうき雲 (Yumi Arai The Concert with old Friends)〉という1996年のライブ映像があったので添付する。





  白い坂道が 空まで続いていた
  ゆらゆらかげろうが あの子を包む
  誰も気づかず ただひとり
  あの子は 昇っていく
  何もおそれない そして舞い上がる 

  空に 憧れて 空を かけてゆく
  あの子の命は ひこうき雲


 この映像は、砂田麻美監督によるユーミン×スタジオジブリのコラボレーションによるもので、映画『風立ちぬ』主題歌『ひこうき雲』のMUSIC CLIP(Short ver.)である。荒井由実時代のものか、それを意図した演出かは分からないが、回想的な映像が効果的に使われている。

 一番の歌詞を読んでいきたい。
 歌の主体は、「白い坂道」と「空」を見上げていくまなざしのなかで「かげろう」と「あの子」を描いていく。「かげろう」とひらがなで書かれているので、大気を揺らす現象を指す「陽炎」か、命のきわめて短い昆虫の「蜉蝣」が決めきれないところもあるのだが、「坂道」「空」「ゆらゆら」という表現との関連、この曲全体の雰囲気からするとすると「陽炎」と取る方が自然だろう。それでも、「昇っていく」「舞い上がる」という動きには、か弱くも宙を飛ぶ「蜉蝣」のイメージが入り込んでいるとも捉えられる。「陽炎」「蜉蝣」の二つが「かげろう」に重ね合わされている感じもある。半ば無意識的なものとして。

 『日本国語大辞典第二版』の「陽炎」の項目には次のような説明がある。

平安時代以降の和歌では、あるかなきかに見えるもの、とりとめのないもの、見えていても実体のないもののたとえとされることが多い。また、「かげろう(蜉蝣)」と混同して解され、はかないもののたとえとなることもある。

 「陽炎」は、「あるかなきかに見えるもの」であり、しかも語の混同により「はかないもの」の喩えともなる。実際に詩でも歌詞でも、「かげろう」にはこの二重の意味合いがあることが少なくない。『ひこうき雲』の「かげろう」にもそのようなニュアンスがある。

 解釈の枠組を作る際はどちらかの意味を基本とするかとりあえず決めなければならない。この論では「陽炎」という意味に取りたい。そうなると、「ゆらゆらかげろうが あの子を包む」は、「かげろう」がゆらゆらと揺れて、「あの子」を包んでいくというイメージが生まれる。しかし、歌の主体とそのまなざしの向こう側にいる「あの子」との間で「かげろう」が遮っているとも考えられる。「かげろう」が「あの子」を「ゆらゆら」と揺らすことで、有るか無きかの存在に見えてくる。
 その揺れの狭間で「あの子」の像が微かに現れるが、それはあくまでも儚い。「誰も気づかず ただひとり」とあるように、「あの子」は単独者として空に「昇っていく」。

 実は、志村正彦は『Rooftop』のクボケンジとの対談(2004.11.15 interview:Hiroko Higuchi)で「ロックを感じるCD3枚」の1枚目に、荒井由実のアルバム『ひこうき雲』を挙げている。次回はこのことを考えてみたい。

  (この項続く)

2018年12月31日月曜日

エレクトリックとアコースティック、二つのヴァージョン-『陽炎』7[志村正彦LN205]

 フジファブリック『陽炎』には、エレクトリックとアコースティックという演奏や楽器の違いによる二つのヴァージョンがある。

 シングル『陽炎』とアルバム『フジファブリック』のCD音源やいくつか残されているライブ音源のエレクトリック・ヴァージョン。非売品の限定盤『四季盤』と『FAB BOX』内の『RARE TRACKS&COVERS』収録音源の二つがあるアコースティック・ヴァージョン。歌詞は同一だが聴いた印象は異なる。

  エレクトリック・ヴァージョンは70年代のブリティッシュロックを想わせる完璧なロックであり、アコースティック・ヴァージョンは志村正彦が影響を受けたとされるブラジル音楽の香りがする。どちらも素晴らしいのだが、『RARE TRACKS&COVERS』収録音源の『陽炎』は、志村の「歌」の本質を表しているような音源である。かけがえのない『陽炎』というべきだろう。

 ポルトガルの歌のファドは「サウダージ(saudade)」の感情を歌う。サウダージは失われてしまったものへの懐かしさや郷愁である。アコースティック・ヴァージョンの『陽炎』はまさしくサウダージを感じさせる。

 前回、「出来事が胸を締めつける」について、単なる感情や感覚を超えて、痛みを伴う葛藤やある種の強い不安が身体を貫いていると書いた。『陽炎』の音源を聴いたりライブ映像を見たりすると、エレクトリックでもアコースティックでも、全体的として抑制的に歌われていることに気づく。その中で「出来事が胸を締めつける」の歌い方は際立っている。この歌の感情と感覚の中心はここにあるが、興味深いことにエレクトリックとアコースティックの二つのヴァージョンによって、感情と感覚の表現の仕方に違いが見られる。歌う、奏でるという身体の行為に貫かれるようにして。

 エレクトリック・ヴァージョンの方は総じてテンポが速い。全体として張り詰めた感じがある。「む・ね・を」の助詞「を」の抑揚を高くまで上げて「し・め・つ・け・る」というように息を短く吐き出しながら強い調子で歌いきっている。外側に向けてある種の激しさを押し出している。

 アコースティック・ヴァージョンではゆるやかに言葉をかみしめるようにして歌っていく。歌い方にも独特の揺れがある。「を」を高く上げるのは同じだが、「し・め・つ・け・る」の方はむしろ息をつなぐようにして歌っている。内側に向けて痛みを押し込むかのようだ。そうすることでひしひしと「サウダージ」の感情が聴く者に迫ってくる。

 エレクトリックとアコースティックの歌い方の違いは、「出来事が胸を締めつける」の意味にも影響を与える。解釈が揺れる。そう言えるかもしれない。聴き手の心の揺れ方によって、歌は自由に受けとめられる。

 アコースティック・ヴァージョンの一つが収録された限定盤『四季盤』はもともと非売品であり、もう一つの『FAB BOX』(『RARE TRACKS&COVERS』)も限定版で売り切れている。どちらも入手困難だ。オークションに出たり中古盤として販売されているが、非常に高価である。

 今日で2018年が終わり、明日は2019年を迎える。志村正彦が旅立って十年となる。

 ファンの一人として望むことは、限定盤の『四季盤』や『FAB BOX』収録の音源など入手できないものが新たにあるいはもう一度発売されることだ。
 以前も書いたことがあるが、特に『シングルB面集 2004-2009』を独立したCDとして発売してほしいということは切なる願いである。デジタルではなく一つのパッケージとして存在してほしい。さらに言えば、『SINGLES 2004-2009』(A面集)』と併せて、2枚組の『SINGLES A・B面 2004-2009』がリリースされるのが僕の夢である。


2018年12月28日金曜日

「残像」と「出来事」-『陽炎』6[志村正彦LN204]

 『陽炎』5の回で、この歌で描かれる世界は、「少年期の僕」を描く物語の系列と、「少年期の僕を見ている今の自分」の想いを叙述する系列の二つから構成されると書いた。前者を赤、後者の青で色分けしてみた。
 今回は、「少年期の僕を見ている今の自分」の想いを叙述する系列、青色で記された箇所を論じていきたい。この系列は二つに分かれているので、それぞれ「残像」部分と「出来事」部分と仮に名付ける。

 「残像」部分を引用する。


あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
残像が 胸を締めつける


 「残像」部分では、「あの街並 思い出したときに」とあるように、歌の主体「僕」は、過去へと、「路地裏の僕」の時代へと回帰していく。「英雄気取った」少年期の物語を想起している。そういう行為を「そうこうしているうち」に、「残像」が次々に浮かんでくる。この場合の「残像」は、もうすでにそこには残っていない、消えてしまったのにも関わらず、記憶に残り続けている心象や感覚のことであろう。「残像」は時には執拗に現れて、歌の主体の「胸を締めつける」。

 次に「出来事」部分を引用する。


きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
出来事が 胸を締めつける


 「今」現在という時間。初めの二行を区分けしてみる。「きっと今では」と「きっとそれでも」、「無くなったもの」と「あの人」、「も」と「は」、「たくさんあるだろう」と「変わらず過ごしているだろう」。対比的な表現ではあるが、微妙なずれがある。対照的でもあり非対称的でもあるような世界が微妙な陰影をもたらしている。

 「あの人」に焦点化していくのだが、「あの人」がどのような人なのかはもちろん分からない。歌の主体そして作者にとっては特定の人なのだろうが、聴き手にとっては「あの人」と指示される存在はどこか曖昧な存在にも受け取められる。歌詞の一節をもじるならば、「あの人」は「陽炎」のように揺れている。だからこそ、聴き手は「あの人」を自分自身で補填して、自分なりの「あの人」を描いていくのかもしれないが。

 「またそうこうしているうち」というのは、志村らしい言い回しだ。そうしている、こうしている、回想や想像あるいは妄想を巡らせながら、時間を行きつ戻りつしていく。そのうちに、「次から次へと浮かんだ」ものがあふれてくる。
 ここでは「残像」ではなく「出来事」となっている。何かを想起していくうちに、それが繰り返されるうちに、過去から現在へと時間が戻ってくる。通常、回想は「過去」に対する想起である。しかしここでは、「過ぎ去っていたもの」というよりも「まだ過ぎ去っていないもの」「現在まであり続けるもの」に対する想起に次第に変化している。形容矛盾のような言い方になるが、「現在の回想」とでも名付けられる行為になっている。「残像」というよりも「出来事」が想起され、現在という時間につながっていく。

 そしてその「出来事」を想起することが「胸を締めつける」。「胸」とある以上、きわめて身体的な感覚でもある。単なる感情や感覚を超えて身体の領域にまで迫ってくるものだ。どういうものかは分からないのだが、痛みを伴う葛藤やある種の強い不安が身体を貫いていることは確かだろう。

 志村正彦は「ROCKIN'ON JAPAN 2004年12月号」のインタビューで1stアルバム『フジファブリック』の作品についてこう発言している。


考えすぎる性格なのか、常に今の自分と頭の中にある過去のものだったりを比べたり、いろいろな葛藤がありますね。基本的にそんなにポジティヴじゃないというか、子どもの頃からみんなと一緒にいて楽しんでいるようでうしろのほうでいろいろ考えている自分がいる感じがするんですよね。


 ここで述べられた「今の自分」、「頭の中にある過去のもの」、「いろいろ考えている自分」という区分けの仕方は、『陽炎』3の回で書いた、「少年期の僕」、「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」、「少年期の僕」と「その自分(少年期の僕)を見ている今の自分」の両方を「絵」として見ている自分、という三人の自分がいる、ということとほぼ同じである。作者の「考えすぎる性格」は、そのような複雑な構造を作品に与えている。
 そして、「いろいろ考えている自分」が自らにもたらす「いろいろな葛藤」は、『陽炎』の主体の「残像」と「出来事」にも刻み込まれている。


2018年12月25日火曜日

『茜色の夕日』と『ここは退屈迎えに来て』[志村正彦LN203]

 今年も12月末の季節を迎えた。
 前回から一月以上経ってしまったが、もう一度、映画『ここは退屈迎えに来て』について考えてみたい。

 調べると、今この映画が上映されているの山形県だけで、ほとんどの地域では公開が終わっているようだ。今後の上映予定は分からないが、いつかDVDになるのかもしれない。そういう状況なので、ネタバレになってしまうが、作品の内容に入っていきたい。雰囲気をつかむためにトレーラー映像の予告編を紹介したい。




 「私」橋本愛、「あたし」門脇麦、「サツキ」柳ゆり菜、「椎名くん」成田凌、「新保くん」渡辺大知が主なキャストである。予告編全体にフジファブリック『Water Lily Flower』が流れているが、映画本編では主にエンディングテーマとして使われている。

 この映画の考察のために原作の小説、山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』を読んでみた。八つの物語から構成される作品で、地方都市が舞台となっている。地方から上京しその後帰郷した女性、そのまま地方で暮らし続ける女性、関わり合う男性。地方都市の郊外の風景と「退屈」な日常。人物やテーマ的な関連はあるものの各々は独立した物語だと言えるが、全体を読み通すと、ひとつの群像劇と捉えることもできる。

 映画の基本的な枠組は、原作の1章「私たちがすごかった栄光の話」に拠っている。映画も原作も、「私」が「サツキ」と共に自動車学校の教官をしている「椎名くん」に会いに行く筋だが、原作の方はペーパードライバーの「私」の再教習という目的があるが映画にはそれがない。原作では「私」はあっさりと再会して車の教習を受け、「椎名くん」の「合格!」という言葉で終了するが、映画ではその再会までの間に、時間を遡る手法によって、『ここは退屈迎えに来て』のいくつかの話が挿入される。郊外の道路をドライブしていくロードムービーの物語が膨らんでいく。

 『茜色の夕日』が最初に登場するシーンは、原作4章の「君がどこにも行けないのは、車持ってないから」を基にしている。高校時代「あたし」は「椎名くん」と交際していたが、その後別れた。現在「あたし」は「惰性」で、椎名の友達の一人だった「遠藤」と関係を続けている。映画も原作も、「あたし」が「遠藤」と郊外のラブホに行く展開は同じである。細部が説明されている原作の方でこのシーンを補ってみる。事を終えて、二十三歳の「あたし」は「目を閉じて、椎名との思い出を忘れないように反芻する」。だが、「だんだん思い出せない記憶が増えていく」。いつの間にか眠り、目を覚ましたのは朝の六時半。まだ寝ている「遠藤」の「鼻ちょうちん」を見た「あたし」は「マジで無理。ごめん無理!」と思い、部屋から抜け出す。原作ではそのように描かれている。

 早朝の道を「あたし」は歩き出す。「誰か 誰でもいいんだけど」と叫ぶ。(このシーンが予告編に入っている)その後で唐突に口ずさむのが志村正彦・フジファブリックの『茜色の夕日』だ。BGMとして流れるのではなく、「あたし」が歌うのだ。原作にはこのシーンはない。映画独自の演出である。前回も述べたように賛否両論の使い方だろうが、どうしてこのように使われたのか。

 映画公式webの「Director's interview」で廣木隆一監督はこう述べている。


劇中で登場人物がフジファブリックの「茜色の夕日」を歌うのは、何より名曲ですし、あの時代を生きた彼らが共有している記憶でもあり、歌詞が彼らの気持ちを代弁しているような使い方をさせてもらいました。歌詞が物語やキャラクターにぴったりはまりすぎると世界が狭まってしまうので避けるようにしていますが、役者には「それぞれの役として歌って」と伝えました。


 廣木監督は素直に「歌詞が彼らの気持ちを代弁しているような使い方をさせてもらいました」と告げている。志村正彦の聴き手であれば、各々の『茜色の夕日』への想いや解釈があるだろう。虚構の人物である「あたし」もこの歌を愛していて、あの行き詰まりのような状況で自らの想いを重ね合わせた。このシーンに違和感を持つ人は少なくないかもしれない。しかし、歌は聴き手に届けられてからは聴き手のものである。「あたし」も聴き手の一人だ。「あたし」にとっての『茜色の夕日』は、絶ちがたい過去への追憶とその痛みそのものなのだろう。

 原作の小説では、「遠藤」と「あたし」との共通の話題は音楽という設定だ。「遠藤」は「ロッキンオン信者」。「あたし」は次のようなバンドを好んでいる。

あたしはアメリカやイギリスの、夢も希望もないド田舎出身のバンドが好きだ。打ち棄てられたような町で生まれ育った、貧乏で誰にも認められたことのない若い男の子が集まって作った、初期衝動のつまったデビュー作が好きだ。

 このような「あたし」の人物像から、『茜色の夕日』を唐突に歌うという演出が選択されたとも考えられる。

 廣木監督の発言の中で疑問符が付いた箇所もある。「あの時代を生きた彼らが共有している記憶」という発言だ。映画作品としてそのことが伝わってこなかったからだ。
 作中人物単独の記憶であればそれを明確に描く必要はないかもしれない。あえて隠したまま物語を展開することもある。あるいは、失われた記憶として扱うこともある。しかし、作中人物の「共有」の記憶であるのなら、フジファブリック『茜色の夕日』という歌の記憶が「共有」されていたことを何らかの演出で描く必要があるだろう。そうしなければ、「椎名くん」や「新保くん」や「私」によってリレーされるようして歌われるラストシーンの意味合いも伝わらない。

 さりげないものでいい。この映画の特徴からして大袈裟に取り上げるのは野暮になる。2004年という時代に、ある歌(『茜色の夕日』という名を明らかにしなくてもいい)が『ここは退屈迎えに来て』の主要な人物の間で大切にされていた、ということを描写か説明すべきだった。何らかの伏線を張って、『茜色の夕日』が歌われるシーンにつないでいく。積極的に使うのであれば、渡辺大知(黒猫チェルシー)演じる「新保くん」が歌うシーンをほんの短い時間でも挿入することも考えられる。難しい演出になったかもしれないが、廣木監督のセンスなら可能だっただろう。

 さらにあからさまなことを言えば、『茜色の夕日』という曲は、残念ながら、映画の観客一般が共有している記憶とはなっていない。この曲を知らない客にとって、歌詞を聞き取ることによって、「あたし」の「気持ち」の「代弁」として受けとめることはできるかもしれないが、もっと観客に伝わりやすい工夫がされてもよかったのではないだろうか。

 ここで、映画のパンフレットに記されていた加藤慎一(フジファブリックのベース)のコメントの一部を紹介したい。


「茜色の夕日」は、とても印象に残るシーンで、素敵でした。時が経っても、フジファブリックの、志村正彦の楽曲がこうしてフィーチャーしてもらえるのは本当に嬉しいです。作品は制作時から何度も観ていますが、登場人物の色んな感情が発見できます。


 ファンなら誰でも加藤氏と同じ想いだろう。「フジファブリックの、志村正彦の楽曲」が映画に使われる。こんなに嬉しいことはない。この歌が生き続けるからだ。この点において前回書いたように、賛否両論のこの映画について僕はどちらかというと肯定的である。

 また、原作者の山内マリコは志村正彦と同年の1980年生まれである。小説『ここは退屈迎えに来て』を読むと、映画や音楽やサブカルチャーにかなり親しんできたことが伝わってくる。同世代の表現者として、志村正彦・フジファブリックの作品に対する共感があったのだと思われる。映画パンフレットで山内マリコはこう述べている。


好きなシーンは、「茜色の夕日」を歌うところと、ラストシーン。ああいう洒落た、気取った演出に弱いんです(笑)。


 原作者にとっても『茜色の夕日』の存在は大きかったのだろう。

 志村正彦は映画に深い関心を抱いていた。
 彼自身が関わった『蜃気楼』(李相日監督『スクラップ・ヘブン』エンディングテーマ)、『蒼い鳥』(塚本晋也監督『悪夢探偵』エンディングテーマ)は、映画の本編を活かす意味でも非常に優れた作品だった。
  志村が亡くなった後、大根仁監督はドラマそして映画『モテキ』のオープニングテーマに『夜明けのBEAT』を流した。大根監督の志村に対するリスペクトを感じさせた。大根監督の志村作品起用がこの後の流れを作ったと言えるかもしれない。

 今年2018年、志村正彦・フジファブリックの作品が二つの映画で使用された。『虹』が飯塚健監督『虹色デイズ』(7月6日公開)のオープニングテーマ、『茜色の夕日』が廣木隆一監督『ここは退屈迎えに来て』(10月19日公開)の作中人物による挿入歌として使われた。

 志村正彦の歌は、一つの言葉、一つのフレーズで瞬間的に映像を喚起させる。物語を想像させる。その抜群の喚起力が映画監督を魅了する。

2018年11月23日金曜日

映画『ここは退屈迎えに来て』[志村正彦LN202]

 映画『ここは退屈迎えに来て』(廣木隆一監督)を見てきた。甲府の中心街に一つだけ残っている映画館「甲府シアターセントラルBe館」で今日から上映が始まった。

 廣木隆一はかなり前から好きな監督である。現在のフジファブリックが主題歌『Water Lily Flower』と劇伴を担当し、志村正彦の『茜色の夕日』が劇中で歌われていると知って、どうしても見たかった作品だ。甲府での上映は無理かもしれないと思っていたが、シアターセントラルBe館の予定にあり、とても楽しみにしていた。




 これから鑑賞される方がいるかもしれないので、映画の具体的内容については触れないが、書いておきたいことが少しある。

 原作者山内マリコの故郷である富山県を舞台とする一種のロードムービーである。地方在住者としては、どこにでもある地方都市の郊外のどこにでもある風景に「デジャヴュ」を覚える。東京から帰郷した「私」(橋本愛)と故郷にそのまま残っていた「あたし」(門脇麦)という二人の女性の物語。「椎名くん」(成田凌)という男性が展開の中心にいるのだが、彼は空虚な存在でもある。物語に登場してはいるが、『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八監督)の「桐島」にある意味では近い存在かもしれない。この三人は共に、どこにでもある地方都市のどこにでもいる人物である。つまり、僕たち自身であり、僕たちの隣人であるのだ。

 撮影が優れている。「場」はあるにはあるのだがそこに「人」があまりいない地方の空間の感触を的確に描き出している。ドライブシーン中の車のフロントガラスに映る周囲の影の動きのイマージュ。ラストシーン近くで「サツキ」(柳ゆり菜)が「私」と「椎名くん」の二人を見つめる際の表情の微妙な変化の演技と演出も素晴らしかった。キャスティングでは山梨出身のマキタスポーツがいい味を出していた。
 それに比べて、物語の構成にはもっと練り上げが必要だっただろう。人物がたくさん登場ずる群像劇であり、2004年、2008年、2010年、2013年と時間も交錯するので、展開が把握しにくい。もう少し分かりやすく整理して、モチーフを焦点化した方がよかったのではないか。

 フジファブリックの劇伴は、彼らの巧みな演奏力によって安定感があった。『Water Lily Flower』も小波のような余韻を残した。
 話題となっている『茜色の夕日』の劇中挿入シーンだが、おそらく賛否両論があるだろう。僕個人としては条件づきではあるが、どちらかというと肯定的である。制作者には失礼な言い方になるかもしれないが、この映画全体を『茜色の夕日』の映画版ミュージックビデオと捉えることもできるからだ。この歌の受容の歴史の中で、この映画は話題作、問題作として記憶に残るだろう。このことはいつか機会を設けて書いてみたい。

 甲府シアターセントラルBe館での上映期間は、12月6日までの二週間(水曜日は休館)。山梨在住の志村正彦・フジファブリックのファンであればご覧になることを勧める。『茜色の夕日』が、映画作品という虚構の中ではあるが実在しているのだから。
 

2018年11月18日日曜日

少年期と現在、二つの系列-『陽炎』5[志村正彦LN201]

 フジファブリック『陽炎』論を二ヶ月ぶりに再開したい。

 この歌で描かれる世界は大きく二つの系列に分かれる。「少年期の僕」を描く物語の系列と、「少年期の僕を見ている今の自分」の想いを叙述する系列の二つだ。そしてその二つの系列の背後には、「少年期の僕」と「少年期の僕を見ている今の自分」の両方を見つめている自分が存在している。

 この二つは明解に分けられるのだが、視覚的に捉えやすくするるために前者の系列を赤、後者の系列を青で記してみる。最後の「陽炎が揺れてる」は青でも赤でもない紫色にする。


  陽炎 (作詞・作曲:志村正彦)

あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
残像が 胸を締めつける

隣のノッポに 借りたバットと
駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
さんざん悩んで 時間が経ったら
雲行きが変わって ポツリと降ってくる
肩落として帰った

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

きっと今では無くなったものもたくさんあるだろう
きっとそれでもあの人は変わらず過ごしているだろう

またそうこうしているうち次から次へと浮かんだ
出来事が 胸を締めつける

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる

陽炎が揺れてる


 『陽炎』のライブ映像をいくつか見ると、青色の部分では照明が落とされて、赤色の部分に転換する際に照明も光量が多くなる。テンポも速くなり、音量も大きくなる。歌詞の系列の転換を強調したアレンジや演出だろう。この歌のテーマでもある「ワープ」を意図したのかもしれない。『陽炎』のダイナミズムがここにある。

 歌の主体「僕」は次のように語り出す。


あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ


 「あの街並」を想起した時、「英雄気取った 路地裏の僕」が心の中で浮き上がる。それは「何故だか」とあるように訳もなく、しかも「ぼんやり」としか見えない像である。何かの拍子に脈略もなく、ある出来事が瞬間的に回帰してくることがある。はっきりとしない曖昧なものであってもその像を追っていくと、少しずつ像の実質が現れてくる。

 「今の自分が少年時代の自分に出くわすっていう絵が、頭の中あって。そこで回想をして、映画に出てきそうなシーンを書きたいなと思って作りました」(「oriconstyle」2004年7月14日付記事)という志村自身の発言にあるように、現在の自分と少年期の自分に出くわす「絵」の輪郭が作者の頭の中で確かなものとなる。舞台は作者の故郷の「路地裏」。そのような設定で物語が動き始める。
 今の自分が少年期の僕と遭遇し、二人は並んで走る。そうこうしているうちに、二人は一体化して路地裏を駆け巡る。そんな幻が浮かんでくる。


隣のノッポに 借りたバットと
駄菓子屋に ちょっとのお小遣い持って行こう
さんざん悩んで 時間が経ったら
雲行きが変わって ポツリと降ってくる
肩落として帰った

窓からそっと手を出して
やんでた雨に気付いて
慌てて家を飛び出して
そのうち陽が照りつけて
遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる


 十月、山中湖で開催された「Mt.FUJIMAKI 2018」に行く途中、富士吉田の「ハタオリマチフェスティバル2018」に立ち寄り、かなり久しぶりにこの「路地裏」界隈を歩いた。
 当時の彼の実家、駄菓子屋。せいぜい二、三百メートルくらいの距離に位置している。少年にとってのテリトリーの場所はこのくらいの距離内にある。それを超えるともう他所の地域なのだ。それを超えた場所に行くことは一種の冒険になる。

 路地裏。少年にとっての「自分」の居場所。おそらく夏休みという季節。「借りたバット」「駄菓子屋」「ちょっとのお小遣」。昭和の少年の夏のアイテムがそろっている。「さんざん悩んで 時間が経ったら」、これも目に浮かんでくる光景だ。どれにしようかさんざん悩む。駄菓子屋での買い物は少年の大切な時の過ごし方なのだ。

 先に引用した部分に続いて志村は次のように述べている。


でも、夏といっても“どこかに遊びに行きました”というよりは、“路地裏で一人遊んでいる”っていう歌詞が自分たちらしいかな、と(笑)。うだつの上がらない夏を過ごした感じの曲です(笑)。


 つまり、この物語に登場する人物は「一人」である。もちろん、バットを持っていくのであるから、どこかのグラウンドで仲間と野球をするのだろうが。そこに行く途中、そこに行くまでの時間は、一人遊びである。「うだつの上がらない夏」と話しているが、孤独な少年の影もうかがえる。一人でいることと仲間と共にいること。この二つの時の間で少年は成長していく。

 雲行きが変わり雨が降ってきて、少年は肩落として帰る。夏の通り雨だったのだろう。しばらくすると止み、陽が照りつけてくる。雨が上がり光が差し込んでくるモチーフは『虹』『蜃気楼』などにもある。作者が愛した表現だ。

 「手を出して」「雨に気付いて」「家を飛び出して」「陽が照りつけて」、動詞の連続が歌の主体の動きを現し、その連用形に接続する「て」という助詞が歯切れのいい脚韻になって、リズムを盛り上げ、路地裏の物語を加速させる。しかし、その運動を静止させるように、「遠くで」、「陽炎」が「揺れてる」。空気が揺れ、視界が揺れ、世界が揺れている。
 そのとき「僕」はおそらく立ち止まったのだろう。そして佇立したのだろう。

2018年11月11日日曜日

『ルーティーン』の祈り [志村正彦LN200]

 「志村正彦LN(ライナーノーツ)」が200回を迎えた。ブログの開設は2012年の暮れ。実質的に始まったのは2013年3月。六年近くの時が流れた。

 最初に「志村正彦LN」を構想した時に、漠然とではあるが、300回くらいになるかなと思った。何となくの想定だったが、現時点での判断としてはおおよそ当たっているのかもしれない。そうなると後100回は続くことになる。今までのペースであれば三、四年はかかる。始まりから通算すると、十年一仕事ということになる。この想定通りに進んでいけるかどうかはわからないが、書き続けるという意志はある。

 今年の春から職場が変わった。後期から国語科教育法に加えて、文学講読(芥川龍之介の夢と無意識をモチーフとする小説)と初年次教育の演習(レポート作成方法)も担当することになった。ミッション系の大学なので、宗教主任をはじめとする教職員や外部からの講師がキリスト教やキリスト教に関連するメッセージを話す「チャペルアワー」という時間が週に三日ある。先日、そのメッセージを伝える番が回ってきた。
 僕はクリスチャンではなく、キリスト教の理解も浅いので、何を話したらよいのか思案したが、日本語の詩や歌に表現された「祈り」というテーマに決めた。具体的な作品としてフジファブリック『ルーティーン』が浮かんできた。若い学生も参加するので、この曲をぜひ聴いていただきたい。そのような思いもあった。

 題名は、「志村正彦『ルーティーン』の祈り」とした。
 会場はグリンバンクホール。日常の礼拝や講演会等で使われる多目的ホールで、正面には十字架が掲げられている。礼拝で演奏するパイプオルガンもある。学内で最も聖なる場だと言える。
 十五分弱の短い時間なので、最初に『ルーティーン』を再生し、作者と作品とついて簡潔に話し、最後に再び『ルーティーン』を流して終えるという構成にした。会場設置のオーディオ装置を事前に調整し、できるだけクオリティの高い音質にすることにこだわった。志村正彦の声や息づかいを忠実に再生したかった。

 当日配布した資料は、「志村正彦LN」の『ルーティーン』の回をもとにして、新たなモチーフを少し加え、書き改めたものである。以下、引用させていただく。


  フジファブリック『ルーティーン』 (作詞作曲:志村正彦)

 フジファブリック『ルーティーン』は、2009年4月8日、シングル『Sugar!!』のカップリング曲としてリリースされた。アルバム『CHRONICLE』収録曲と共に、スウェーデンのストックホルムで録音された。

 『CHRONICLE』付属DVDの「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記」には、志村正彦が「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって「終了」って感じにしたくて」と述べるシーンがある。この曲が『ルーティーン』である。「Recording『ルーティーン』2009/2/6」と記されていて、2009年2月6日に録音されたことが分かる。帰国の間際に「一発録り」で収録されたゆえに、加工されていない彼の自然な声や息づかいが聞こえてくる。

 「ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」という映像もある。志村と山内総一郎のアコースティックギター、金澤ダイスケのアコーディオンによる演奏の映像に、志村のボーカルの映像をミックスしたものだ。冒頭で志村は「わびさび日本系で」という指示を出している。海外での収録ゆえに「日本系」を意識したのかもしれないが、むしろこの歌には「日本」という枠組を超えたある種の普遍性がある。

 その十ヶ月後、2009年12月24日クリスマスイブの日、志村正彦は急逝する。結果として、『ルーティーン』は生前に完成された最後の作品となった。

 志村の声は限りなく優しい。甘く切なく、耳に溶け込むようでもある。
 二行七連構成の歌詞は日常的ないわば「ルーティーン」の語彙で綴られている。「君からもらった心がある」と、歌の主体は「君」に歌いかける。ラブソングという枠組で捉えるのであれば、この「君」は恋する人や愛する人であるだろう。しかし、そのように限定しない解釈もあり得る。「君」は父や母かもしれない。友であってもいい。もっと大きな存在、人に心を与えるような存在とも考えられる。あるいは「君」は音楽そのものとも捉えられる。
 人間の心は「自」ら成るのではなく「他」から与えられるものである。「他」からの贈り物のようにして存在している。そのような論理を考えることができるだろうか。

 いったん曲が終了し、一瞬の沈黙がある。第六連と七連との間だ。微かにギターをたたく音と共に七連目が歌い出される。                                       
 最後の二行は、歌うことそのものが祈りとなっている。「ルーティーン」の日々、永遠に繰り返される時への祈り。日が沈み朝が来ること。「昨日もね」と「ね」で一度小休止し、「明日も 明後日も 明々後日も」と続き「ずっとね」でフェイドアウトしていく。その後に続く言葉はない。
  志村の詩にはいつも余白がある。その余白、言葉にならないものが祈りを支えているかのように。

 時々、不思議に思う。音盤に刻まれた歌が再生されることを。声は生き続けることを。あまりにも自明になってしまって振り返ることもないが、録音という技術は人の声に関する「奇跡」のような出来事だったのかもしれない。
 志村正彦の「ルーティーン」、彼の「時」は永遠に失われた。彼の声は、歌は、少なくともその聴き手が存在する限りは、永遠のような時を得る。一人の聴き手としてそのように考え、そのように祈る。


 グリンバンクホールに志村正彦の歌が広がっていった。一発録りゆえの彼の地の声や息づかいが聞こえてきた。祈るようにしてその声に耳を澄ませた。

2018年11月4日日曜日

デイヴ・シンクレア(Dave Sinclair)『ゆめのしま』

 数日前、朝日新聞をめくっていると、いきなり「デイヴ・シンクレア」という名前と写真が現れた。驚いた。なぜデイヴ・シンクレアが? 記事を読むと、彼は70歳となり、今日本で暮らしていることを知った。その『(ひと)デイヴ・シンクレアさん 瀬戸内の島で暮らす英ミュージシャン』という記事(2018年10月30日)を引用しよう。

 「まさか日本で、瀬戸内の島で暮らすことになろうとは。人生、わからないものです」
 英国のバンド「キャラヴァン」や「キャメル」で、1970年代を中心に活躍したキーボード奏者だ。ジャズや聖歌の要素も取り入れたプログレッシブ・ロック。「グレイとピンクの地」では英ゴールドディスクも獲得した。
 転機は2003年。ソロ新作の宣伝で来日し、京都の寺を再訪。前回から四半世紀の時が流れたのに、何も変わらぬ姿に心動かされた。浮き沈みの激しい音楽業界で3人の子を育てるため、田舎町に中古ピアノ店を開いて二十数年。すでに子は独立し、妻とも心が離れていた。日本でなら、何か新しい音楽の刺激が得られるかもしれない。「いま、ここで人生を変えよう」と、移住を決めた。
 11年の京都暮らしで、二回り年下の日本人女性に出会って再婚。愛媛県の弓削(ゆげ)島に移り住んで2年半になる。人口3千。穏やかな海。豊かな人付き合い。島の暮らしから、するりと曲が生まれた。

 ♪きらめく街に背を向けて/夢にみたこの場所/心の奥から声がした/この島こそ アイランド・オブ・ドリームス

 島の高校が今年、創立70周年。その記念行事に招かれて文化の日、全校74人の生徒と一緒にこの「ゆめのしま」を歌う予定だ。
 「光栄です。この島はもう我が家ですから」 (文・写真 萩一晶)


 デイヴ・シンクレア(Dave Sinclair、David Sinclair)がメンバーだった「キャラヴァン(Caravan)」。いわゆる「カンタベリー・ロック(Canterbury rock)」、イギリスのカンタベリー出身者を中心とするプログレッシブ・ロックのバンドの一つだった。
 彼らが活躍したのは70年代。80年代以降は第一線から退いていった。中古ピアノ店で糧を得ていたとのことだが、どの国でも売れなくなった音楽家の生活は厳しいようだ。

 プログ・ロック(イギリスではこの呼び方らしいのでこう記す)というと、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどが知名度が高いが、ソフト・マシーン、キャラヴァン、マッチング・モール、ハットフィールド・アンド・ザ・ノースなどのカンタベリー・ロック系のバンドにも、少数派かもしれないが熱心なファンがいる。僕もその一人だった。ジャズ・ロック風のサウンド、イギリスらしい知性や叙情性が感じられる歌詞、独特なアートやユーモアの感覚に魅了された。例を挙げると、ハットフィールド・アンド・ザ・ノース(Hatfield And The North)の『ザ・ロッターズ・クラブ』 (The Rotters Club)。ジャケットの絵とデザインが秀逸で、LPを部屋に飾っていた。デイヴ・シンクレアはこのバンドに在籍していたこともある。

 彼はロバート・ワイアットが結成したバンド、マッチング・モウル(Matching Mole)のオリジナルメンバーでもある。ファースト・アルバム『そっくりモグラMatching Mole』は学生の頃の愛聴盤だった。カンタベリー・ロックの歴史の中の傑作だと言える。彼の弾くキーボードのメロディは美しく流麗で、バンドサウンドを構築する要ともなっている。

 キャリア的には「キャラヴァン」のキーボードとして知られているのだろう。今朝からすごく久しぶりに代表作『グレイとピンクの地 (In the Land of Grey and Pink)』(1971年)を聴いてみた。


 日曜日の朝にふさわしい爽やかで穏やかな声と音の響きだった。都市というよりも郊外の田園風景を想起させる音楽でもある。ジャケットのイラストレーションも素晴らしい。

 youtubeで当時の映像を探してみた。デイヴ・シンクレアの演奏シーンのある『Place of My Own』(1969、Beat Club - German TV)を添付したい。




 モノクロ映像が時代を感じさせるが、当時のキャラヴァンの雰囲気をよく伝えている。
 どうだろうか。直接的な影響ではないが、ブリティッシュロックの半世紀を超える歴史からすると、カンタベリー・ロックの系譜もフジファブリックの音楽に流れ込んでいると考えられるかもしれない。

 この記事を読むまで、デイヴ・シンクレアが日本で暮らしていることは全く知らなかった。しかも音楽活動を続け、島の高校の創立70周年記念に生徒と一緒に歌う。「文化の日」とあるので昨日披露されたことになる。どんな歌と演奏になったのだろう。
 「きらめく街に背を向けて/夢にみたこの場所」という歌詞の一節。カンタベリー・ロックの世界と瀬戸内の島の風景が融合するような気がする。


2018年10月27日土曜日

のん『へーんなのっ』『若者のすべて』

 『若者のすべて』が流れる「LINEモバイル」のCMに出演した「のん」は、昨年2017年の11月、自ら作詞作曲した『へーんなのっ』を含む1stシングル『スーパーヒーローになりたい』で本格デビューした。その『へーんなのっ』と『スーパーヒーローになりたい』(作詞・作曲:高野寛)の二曲のライブ映像がyoutubeで公開されている。
 「のんが人生で初めて作詞作曲した曲で、パンクな一曲となっていますので、みなさん楽しんでください」と紹介されて『へーんなのっ』は始まる。





 正直、こんなにロックしているとは想像できなかった。予想をはるかに超える出来映えの「日本語ロック」だ。歌とギターのリズム感が抜群で、自ら書いた歌詞も秀逸だ。言葉が実に「ロック」している。かなり「パンク」でもある。歌詞の前半を引用する。

  
  あのチョコレートの形が変だ
  あの道に落ちてる石ころが変だ
  変なものってたくさんある
  子供のようにひとつひとつ目を見張る

  はっきりした物言い
  無駄のない言葉
  余計のない心
  変なものは変だ
  好きなものは好きだ
  変なのに好きだ
  へーんなのって言ってやれ!
    ( 『へーんなのっ』作詞・作曲:のん )

 「子供のようにひとつひとつ目を見張る」眼差し。のんのつぶらで大きい目を想起させる。その眼差しが「変」なものをスケッチしていく。「変なものは変だ/好きなものは好きだ/変なのに好きだ」という風に変なものと好きなものとが交錯していく。融合していく。『へーんなのっ』という題名に「っ」という促音が付いているのも変でいい。

 近田春夫が『近田春夫の考えるヒット』の連載で「“のん”のライブ映像を見て「スゲー」と思ったふたつの理由」を書いている。(2017/12/13、週刊文春 2017年12月14日号)
 近田は『へーんなのっ』のライブ映像を見て「この女スゲー……。」と独りごちてしまったそうだ。その理由を二つ書いた部分を引用する。

 まずは“ボーカルをとりながらのロックギター演奏家”として素晴らしい、もといスゲー。いわゆる“人馬一体”のそのプレイスタイルの、なんとも様になっている半面、歌唱と楽器演奏がきちんと独立をして、身体的によく整理された作業となっていることが、映像から見て取れるのである。読者諸兄には、その音色、リズム共に大変男性的な魅力に満ち溢れたものである点にも是非注目していただきたい。これは本腰を入れてロック演奏をやってきたなというオーラが、画面から伝わってくると思うのである。

 もうひとつは、コード進行である。良し悪しはともかく、どうも我が国ではロックと称する音楽においても、その和声の動きには聴き手の気分を、ウェットにさせる傾向のものが多い。この曲のコードには珍しくそうした“感傷に人を導く”ようなところがない。誤解されることを百も承知で申すならば、のんのコード感覚は極めて“外人ぽい”のだ。


 近田は「歌唱と楽器演奏がきちんと独立をして、身体的によく整理された作業」による歌と演奏、 「感傷に人を導く”ようなところがない」「“外人ぽい”」コード進行という二つの観点で分析して高く評価している。確かに、声、音、言葉ともにその感覚が「洋楽」ぽい。洋楽とりわけブリティッシュロックの影響を受けて成立した70年代の日本語ロックの香りもする。
 また近田は「この人の表現センスの只者ではないのは、歌詞/タイトルの表し方にも、十二分に散見は可能だ」とも述べている。歌詞そのものも『へーんなのっ』というタイトルもやはり「只者」ではない。この連載でなかなか厳しい批評を綴る近田にしては大絶賛だろう。
 
 先月、のんは自身のバンドを率いて『スーパーヒーローズツアーのん、参上!!!』と題する大阪、広島、福岡、宮城を巡るツアーを行い『若者のすべて』を歌ったそうだ。9月30日には日比谷野外音楽堂で「のん with SUPERHEROES」(仲井戸麗市バンドとのツーマンライブ)が予定されていたが、台風のために中止となってしまった。この公演であれば映像がどこかで見られるかもしれないという淡い期待もあったが、幻の公演となってしまった。

 事前に公式サイトで次の「のんコメント」が寄せられていたので紹介したい。

フジファブリックの若者のすべて。
たくさんの方の心の中に大切に宝物のように存在するこの曲にリスペクトを込めて、今のんが出来る事と言ったら、ライブで歌う事だ。と思いました。
この曲を聴いている皆さんに寄り添うように、私も大切に歌わせていただきます。お楽しみに。

 知名度の高いアイドルが、この曲を「たくさんの方の心の中に大切に宝物のように存在する」と述べ、リスペクトを込めてライブで自ら歌う。志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』という作品にとって、とても幸せなことだろう。

2018年10月13日土曜日

10月7日山中湖、Mt.FUJIMAKI 2018/ハタフェス 2018

 先週の日曜日、10月7日(日)、「山中湖交流プラザきらら」で開催の「Mt.FUJIMAKI 2018」に行ってきた。山梨県御坂町(現・笛吹市)出身の藤巻亮太が企画し、同郷の宮沢和史や音楽仲間たちに呼びかけて実現したフェスだ。台風が心配されていたが、関東地方はすでに通り過ぎていて、夏が戻ってきたような暑さの中のドライブとなった。

 会場へ向かう途中、富士吉田で「ハタオリマチフェスティバル2018」が開催中だったので寄ることにした。富士吉田は「織物」、ファブリックの街。その地域の魅力を伝えるフェスティバルで、織物や様々なグッズの店、食べ物屋、ワークショップやライブなどのイベントが開かれていた。



 十時過ぎに会場の下吉田に到着。本町通りから路地裏の方を通って小室浅間神社、市立第一小学校と歩いていった。ここは志村正彦が生まれて育った場所。フジファブリック『陽炎』の舞台ともなった。

  あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ
  英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ

  また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ
  残像が 胸を締めつける

      (『陽炎』作詞・作曲:志村正彦)

 数年ぶりにこの界隈を歩いたのだが、路地裏はさらに時の経過に置き去りにされているようだった。この日は「ハタフェス」で表通りが華やかだった分よけいにそう感じたのかもしれない。

 カフェのリトルロボットでランチ。この日は北杜市のSUN.DAYS.FOODと甲府市のNODOによるコラボショップだった。北杜と甲府の店が吉田で臨時オープン。街のフェスらしい趣向で良い試みだ。洋風のお好み焼きと特製のジンジャーエールが美味しかった。
 三年前にここで佐々木健太郎&下岡晃(analogfish)のライブが開かれた。下岡晃は『茜色の夕日』の弾き語りをした。歌い終わるとぼそっと「いい歌だね」と呟いた。そんなことを思い出した。

 吉田を後にして、忍野を経由する。花の都公園の花々が美しい。十二時半、大渋滞を通り抜けやっと山中湖きららに到着。車を降りると真夏のような日差しが降り注いでいた。富士山は向かって左側が雲に隠れていたがその悠然とした姿を現していた。まだ夏の富士だ。



 会場の「イスシートエリア」に入り、持ち込んだ小さな折りたたみイスに腰掛けた。夏のフェスなんで十数年ぶりのこと。なんだか落ち着かない気分だ。見渡すと会場にはざっと四千人から五千人くらいの人が集っていた(正式な数は知らない)。山梨出身やゆかりの音楽家が中心のフェスだからなんとか成功してほしいと思っていたが、動員的には大成功だろう。



 一時過ぎにスタート。オープニングは藤巻亮太が一人でステージに立った。アコースティックギターを奏で歌い始めたのは「粉雪」。この曲は山中湖のスタジオで録音されたそうだ。この場にふさわしい幕開けとなった。

  粉雪舞う季節は いつもすれ違い
  人混みにまぎれても 同じ空見てるのに
  風に吹かれて 似たように凍えるのに
     …
  粉雪 ねえ 心まで白く染められたなら
  二人の 孤独を分け合う事が出来たのかい

      (『粉雪』作詞・作曲:藤巻亮太 )

 彼の声が微風に乗って大空へとどこまでも伸びていく。力強くしかも微妙に揺れるような声が粉雪のようにして聴き手に舞い降りてくる。この歌を聴くだけでもここに来た甲斐があった。そう思わせるのに十分な出来映えだった。

 ゲストの一番目は和田唱(TRICERATOPS)。 ファースト・ソロ・アルバム(10月24日発売)収録の『1975』を披露。歌詞を追いかけると、彼の故郷である東京を舞台とする歌だった。発売されたら音源を聴いてみたい。彼は「フジフジ富士Q」で『陽炎』を歌った。志村正彦の良き理解者であった。
 二番目が浜崎貴司(FLYING KIDS)。もう三十年となるキャリアにふさわしい貫禄と余裕の歌いぶりだった。『風の吹き抜ける場所へ』が心地よかった。
 三番目に山内総一郎(フジファブリック)が登場。フジファブリックの故郷は山梨だと発言したが、志村正彦という固有名詞への言及はなかった。エレクトリック・ギターを奏でながらで新曲『Water Lily Flower』を歌った。自らエレキで伴奏するアレンジには工夫があった。
 和田唱、浜崎貴司、山内総一郎は藤巻亮太と共にレミオロメンの曲も歌った。藤巻亮太BANDは、Gt岡 聡志、Ba御供信弘、Dr河村吉宏、Key皆川真人、Pf桑原あい。曲によって弦楽四重奏も加わった。

 藤巻とアルピニストの野口健とのトーク・タイムを経て、四番目にASIAN KUNG-FU GENERATIONが登場。この日唯一のバンドとしての出演だった。非常によくコントロールされたサウンドが美しく、グルーブ感も抜群だ。バンドサウンドとしての完成度が高い。後藤正文はレミオロメンと共演した時『雨上がり』を聴いて感嘆したと語った。同世代のバンドとしての強い連帯感もあったのだろう。
 五番目、ゲストとしての最後に宮沢和史が登場。言うまでもないが、山梨県甲府市出身の音楽家だ。THE BOOM『星のラブレター』『世界でいちばん美しい島』そして『中央線』。三つとも故郷の山梨を舞台や主題とする歌である。最後に山梨で結成されたエイサーグループを入れてバンドサウンドで『島唄』を演奏した。どれも素晴らしく、この日の出演者の中では彼の歌がベストパフォーマンスだったと思う。中でも『中央線』が染み込んできた。特に山梨から東京へと上京した者にとっては、心の深いところへ入り込んでくる歌だ。

  逃げ出した猫を 探しに出たまま
  もう二度と君は 帰ってこなかった
  今頃君は どこか居心地のいい
  町をみつけて 猫と暮らしてるんだね

  走り出せ 中央線
  夜を越え 僕をのせて

      (『中央線』作詞・作曲:宮沢和史)

 最後に、藤巻亮太と彼のBANDが登場。ヴァンフォーレ甲府の創立50周年アンセム『ゆらせ』では観客も青色のタオルを揺らせて一体感が高まった。エンディングはMt.FUJIMAKIのテーマ曲『Summer Swing』。十月であるにもかかわらず、この日は夏の終わりを思わせる気候だったので、歌詞がこの日のこの場の雰囲気に合っていた。
 エンディングは出演者全員がステージに集まった。マイクをバトンタッチしながら『3月9日』が歌われる。ややぎこちないその様子が手作り感のあるこのフェスらしかった。湖畔は夕暮れを迎えていた。

 山中湖で開催の「Mt.Fujimaki 2018」。「山梨愛」「故郷愛」にあふれる素晴らしいフェスティバルだった。会場の雰囲気も山中湖という場も富士山という風景もとても良かった。それはそうなのだが、
 藤巻亮太がいて、宮沢和史がいる。でも志村正彦はいない。
 どうしてもそう感じてしまう自分がいた。
 彼が健在であればおそらくこのステージに立っていたことだろう。宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦という山梨で生まれた三人は、もちろん山梨という場に限定されない、日本語ロックを代表する音楽家、詩人である。そうではあるが、大月で生まれ甲府で育った僕にとってこの三人は、甲府の宮沢、御坂の藤巻、吉田の志村でもある。この三人の共演は、かなえられない夢想として、いつまでもあり続ける。

 「Mt.Fujimaki 2018」の成功は心から祝福したい。そのこととは無関係であり別次元のことだが、志村正彦の不在という現実をつきつけられた。書いてもしかたのないこと、書くべきではないことかもしれないが、そのままここに、その想いを書きとめておきたい。


2018年10月3日水曜日

スガシカオ・桜井和寿・小林武史『若者のすべて』[志村正彦LN199]

 前回の記事は、2018年9月26日に放送された《日本テレビ系『スッキリ』内の「HARUNAまとめ」フジファブリック特集》を記録したものだが、多くの方に読んでいただいたようだ。地上波の全国放送の影響力はやはりすごい。フジファブリックがこのような形で注目されたのは初めてのことだろう。

 今回は、番組でもほんの少しだが紹介されたスガシカオ・桜井和寿・Bank Bandによる『若者のすべて』について書いてみたい。
 幸いなことに先日、wowowで『ap bank fes  2018』が放送された。7/14から7/16の間、静岡つま恋で開催されたこのフェスを「前日祭・Day1」と「Day2」の二回に分けて収録したものである。スガシカオと桜井和寿がBank Bandの演奏に乗って『若者のすべて』を歌っていた。
(『若者のすべて』は「前日祭・Day1」に収録。10/16(火)午後1:00再放送予定)

 スガシカオの声は艶やかでほのかな色気もある。五十歳を超えた年齢を感じさせない若々しさもある。言葉の拍の区切り方が明瞭だ。だから歌詞のひとつひとつが自然に聴き手に伝わってくる。数多くあるこの曲のカバーの中でも出色の出来映えだ。
 桜井和寿はとても素直な歌いぶりだった。この曲のカバー音源の創始者にふさわしく、『若者のすべて』をリスペクトしている姿勢がうかがえた。スガシカオと桜井和寿の二人の声のハーモニーも美しかった。
 Bank Bandの一員として、神宮司治(レミオロメン)がドラムを担当(河村智康とのツインドラムの一人として)。山梨出身の神宮司がリズムを刻んでいるのはやはり感慨深かった。ベースは亀田誠治。彼はフジファブリックのシングル『Suger!!』をプロデュース。ゆかりのある音楽家がステージで演奏していた。

 21世紀に入ってからすでに20年近くの年月が経っているが、その間に誕生した「日本語ロック」の系譜の作品の中で、この曲ほど人々に親しまれているものはないだろう。発表当時はそれほど注目されなかったが、ここ十年ほどでその評価は揺るぎないものとなった。そのような流れを作った音楽家として第一に挙げられるのは、桜井和寿そして小林武史だろう。そのことを振り返ってみたい。

 2010年6月30日、『若者のすべて』カバーを収録したBank Bandのアルバム『沿志奏逢3』が発売された。「ap bank」の「エコレゾ ウェブ」の「沿志奏逢 3」Release Special には関連記事がたくさん掲載されている。リリースを告げる記事には、《櫻井が本作品の為に新たに選曲した「若者のすべて」(フジファブリック)、「有心論」(RADWIMPS)、「ハートビート」(GOING UNDER GROUND)など、Mr.Childrenよりも新しい世代のアーティストの楽曲にも敬意を持ってBank Bandがカバー/リアレンジしています》とある。関連記事として桜井と小林武史のインタビューも掲載されている。『若者のすべて』に言及している部分を引用してみよう。


―― 櫻井さんの曲との出会い方って、一般リスナ-と変わらないところが凄く親近感湧くんです。例えばフジファブリックの「若者のすべて」は、ラジオで聴いて好きになったそうですね。
櫻井 そうですね。あとSyrup 16gの「Reborn」もそうなんです。 ラジオで掛かってたのを聞いて好きになるということは、僕のなかで重要なことでもあるんですけど。

 ―― 「若者のすべて」も初々しさがありますね。あと、花火が出てくる夏の情景が描かれ、フェスにもピッタリというか......。

櫻井 そうでしょうし、あとこの曲はですね、最初聴いた時に「アレンジが小林さんぽいな」って思ったんです。サビ前のとことか、3番のサビに出てくる仕掛けとか......。これ、Mr.Childrenとして最近は歌わなくなった音の飛び出し方をするアレンジでもあるわけですよ。「それを今の時代にまた鳴らすというのもいいなぁ」という想いもあったんですけどね。あと同時に、「この曲の持つ切なさとは何だ?」というのをずっと考えながらレコ-ディングしてました。
《「沿志奏逢 3」Release Special 櫻井和寿Interview(前編)(取材 小貫信昭)》

―― ここからは『沿志奏逢3』の内容にも関わっていくわけですが、若い世代とのレゾナンスにおいて、「若者のすべて」という楽曲が大きなポイントになったようですね。 

小林 あの曲は「本当にいい曲だなぁ」というのは、櫻井だけじゃなく僕も思っていたことで、それをBank Bandで実際に演奏してみた時、様々なことが共振共鳴し合えるイメ−ジもハッキリ浮かんだんですよ。なのであの曲が核となって他のいろいろな曲が選ばれていったとこがあったんです。
《「沿志奏逢 3」Release Special 小林武史Interview(前編)(取材 小貫信昭)》


 桜井の『若者のすべて』との出会いはラジオだった。『若者のすべて』の「切なさ」が鍵となったようだ。1970年生まれの桜井はこのとき40歳。音楽家としても生活者ともしても折り返し地点にたどりつく年齢だ。新しい世代のアーティストの楽曲をカバーすることで、ある種の再生、再出発を試みたのかもしれない。
 小林にとっても「本当にいい曲」であり、演奏を通じて「様々なことが共振共鳴し合えるイメージ」があったというのは興味深い。『沿志奏逢3』の楽曲は、『若者のすべて』が核となって選ばれていったというのは貴重な証言である。桜井と小林は、『若者のすべて』の歌詞と楽曲の持つポテンシャルを見抜いた。二人の指摘の通りいやそれ以上に、様々な歌い手によって歌い継がれている。藤井フミヤ、槇原敬之、柴咲コウをはじめとする人気歌手。小林武史自身がプロデュースしたanderlustなど若いアーティスト。そして、クボケンジ、安部コウセイたち、志村正彦の友人や仲間によって大切に歌われている。

 最後にwowowの放送に戻りたい。この映像では観客が一緒に『若者のすべて』を歌うシーンがたくさん挿入されていた。一人ひとりの表情が生き生きとしていた。このフェスに集う人々にとってこの曲は馴染みのものかもしれない。しかしそれでも、ほとんどの観客が声を出して口ずさんだり拍子に合わせて手や体を揺らしたりしている姿を見ると、胸に迫ってくるものがあった。

 志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』は、「人々」によって歌い継がれている。何よりもそのことに心が動かされる。