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2019年1月23日水曜日

荒井由実と志村正彦-『陽炎』9[志村正彦LN207]

 荒井由実『ひこうき雲』の一番の歌詞を再び引用したい。


  白い坂道が 空まで続いていた
  ゆらゆらかげろうが あの子を包む
  誰も気づかず ただひとり
  あの子は 昇っていく
  何もおそれない そして舞い上がる 

  空に 憧れて 空を かけてゆく
  あの子の命は ひこうき雲

   
 荒井由実『ひこうき雲』を聴いた者は誰でも、「誰も気づかず ただひとり/あの子は 昇っていく」「空を かけてゆく」という展開と「あの子の命はひこうき雲」という比喩から、「あの子」の「死」を描いた作品であると受けとめるだろう。

 この歌の背景には、小学校時代の同級生の男子が高校一年の時に無くなったという出来事がある。作者自身が『ルージュの伝言』(角川書店 1983/01)という本でそう述べている。その男の子は難病を患っていた。小学校以来会ったことはなく、葬儀で見た写真は高校生の顔をしていた。作者の知らない「あの子」の時の流れがあった。「何もおそれない そして舞い上がる」という詩句から、「あの子」の持つ強い意志のようなものも伝わってくる。何もおそれることなく自らの道を歩んでいく孤高の若者の存在が浮かび上がる。それにしても「何もおそれない」という言葉は重い。荒井由実の歌詞が優れているのはこのような断言の純粋な強さであろう。

 5行目までは「かげろう」に包まれて昇天していく「あの子」の生と死の描写であるが、6行目の「空に 憧れて 空を かけてゆく」では歌い方が幾分か転換する。「空」への「憧れ」は、「あの子」だけが抱いたものではなく、作者が抱いたものでもあるのだろう。そのように聞こえてくる。最後の7行目になると、「かげろう」というイメージが「ひこうき雲」に繫がっていく。「かげろう」が消えていき、「ひこうき雲」が大空に線を描いていく。それも次第に消失していき、「あの子の命」が虚空をかけてゆく。

 荒井由実は「あの子の命」を「ひこうき雲」に喩えた。飛行機のジェットエンジンによって生成された水蒸気の雲は自然の現象とも言えるが、その原動力は人工的なものである。飛翔する動力の軌跡である。
 日本の詩歌の伝統では、命や死を人工的な飛行機雲に喩えることはなかっただろう。死は自然の移ろいとして表現されてきた。「ひこうき雲」による比喩は新しい感受性の登場を告げている。飛行機雲が流れる現代の空の風景。その風景に若者の死が重ね合わされていく。70年代初頭の日本語ロック、ポップスはこのような表現を成し遂げたのだ。

 歌の主体は「あの子」の死に対して過剰な感情を込めているのではない。他者の死への過剰な感情の投影は、自己愛や自己憐憫の発露にもなりかねない。歌の主体は「かげろう」によって「あの子」の現実から隔てられている。作者が「あの子」の小学生から高校生までの時間から隔てられていたように。その隔たりの感覚がむしろこの美しい歌を純粋な哀しみの歌に昇華させている。

 荒井由実の声には透明感がある。彼女の声は、感情を伝えるというよりも感覚を伝える。この時代の都市音楽にふさわしい声の誕生だったかもしれない。イギリスのプログレッシブロック、特にプロコロハルムに影響されたという楽曲には硬質で透明な響きがある。ギター鈴木茂、ベース細野晴臣、キーボード松任谷正隆、ドラム林立夫というバックバンドは、その響きに潤いや柔らかさを与えている。よく言われることだが、イギリス的な端正で重厚な響きとアメリカ的なうねりのあるサウンドが綺麗に融合している
 昇天していくような多分にキリスト教的なイメージがあるが、ミッション系の中学高校で学び、パイプオルガンに親しんでいた荒井由実にとっては身近なものだったのかもしれない。

 前回言及したように、志村正彦は荒井由実のアルバム『ひこうき雲』を「ロックを感じるCD3枚」の1枚目に挙げている。
 『Rooftop』掲載の志村正彦(フジファブリック)とクボケンジ(メレンゲ)の対談、「新宿ロフトで出会い、共に“SONG-CRUX”卒業生の2人が語る内なる“ロック”的なもの」(2004.11.15 interview:Hiroko Higuchi)で、「ロックを感じるCD3枚」について、二人が一枚ずつコメントしている。志村の発言を抜き出してみる。


──では、志村君の1枚は?

志村 荒井由実の『ひこうき雲』です

──これはいつ頃手にしたの?

志村 2〜3年前です。比較的最近なんですよ。曲が良いのはもちろんなんですけど、バックの演奏とか凄いんですよね〜

クボ 何気に凄いよね

志村 バックがティン・パン・アレーなんですよね。凄いファンキーなんです。あと、少女が思ったことを真剣にやっている気がして。そういうの凄い好きだなぁって

クボ 女の子しか判らない世界っていいよね


 ちなみに志村の2枚目はブラジルのエドゥ・ロボの『エドゥ・ロボ』、3枚目はレッド・ツェッペリンの『PHYSICAL GRAFFITI』である。2004年というインタビューの時期からすると、『ひこうき雲』を入手した「2〜3年前」は2001から2002年ころになる。つまり、オリジナルの富士ファブリックからインディーズ時代のフジファブリックの時代だ。

 荒井由実+エドゥ・ロボ+レッド・ツェッペリン。日本語ロック・ポップスの新しい感性+ブラジル音楽のグルーヴ+ブリティッシュロックのビート。志村は正直に自らの系譜を語っている。初期のフジファブリックはこのようにして生まれていった。

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