11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

10月1日から申込の受付を開始します。 右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月15日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2015年9月25日金曜日

雨と水と金木犀 [志村正彦LN113]

 今夜、仕事を終え、帰り道を歩き出した。
 昨日からの激しい雨は少し小降りになっていたが、まだ視界は雨の空気に覆われていた。
 歩き出すと、雨の匂いがする。ほのかに水の香りを感じる。霧雨のようでもある。鼻腔だけではなく、皮膚の周りにも、雨の水滴の感触のようなものが少しばかりまとわりつく。

 さらに歩き出す。
 やや広い空き地に踏みだしたとき、かすかに甘い香りがした。何かはわからない。花の香りであるようだが、水の香りと混じり合っていてすぐに識別できない。
 金木犀の香りが漂いだしたのだ、と気づいたのは、今が九月下旬であることが頭に浮かんできてからだ。九月の下旬という時節が、金木犀の季節を告げていた。

 ただし、雨と水の香りと溶けあっているようで、金木犀の香りは実に仄かだ。仄かではあるのだが、いや、仄かであるがゆえにだろうか、それは記憶を呼び覚ます。

 昨年のことを思い出した。確か、昼間、風に乗ってそれは訪れた。今年は、雨に運ばれるようにして訪れた。
 昨年も今年も、樹は見えない。「赤黄色」の花も見えない。見えないからこそ、香りだけが漂う。あたりが、少しずつ、金木犀に染め上げられる。


         赤黄色の金木犀の香りがして
    たまらなくなって
    何故か無駄に胸が
    騒いでしまう帰り道         ( 『赤黄色の金木犀』志村正彦 )



 年齢を重ねるということには絶対に抗しがたい何かがある。なすすべもなく、抗しがたく、感受性もうすまっていく。
 年を積み重ねることの遙か前の年月、むしろ時が進まないような、時が止まってしまうような年月にしか、(それを若さの時といえばそうなのだろうが)「何故か無駄に胸が騒いでしまう」という類の感受性と身体の感覚に包まれることはない。

 感受するとは、自分の身体の感覚を、心がくりかえし受けとることであるのなら、年を重ねると、感受性は自然にうすれていく。

 「何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道」、そのような帰り道を、志村正彦も、ある年齢を過ぎれば、歩むことはなかったのかもしれない。それが失われてしまっても、別の帰り道が待っていたかもしれない。

 そんなことをなぜか考えてしまった。

2015年9月22日火曜日

柴咲コウ、山梨・韮崎文化ホールで。

 9月19日、土曜日の夜、柴咲コウ『Ko Shibasaki Live Tour 2015 “こううたう”』の山梨公演に行ってきた。
 会場は韮崎市の「東京エレクトロン韮崎文化ホール」。大都市を回る全国ツアーにもかかわらず、なぜ山梨県のそれも韮崎市かと不思議に思っていたのだが、このホールを運営している「武田の里文化振興協会」の主催と聞いた。地域の文化振興の一つとして企画されているようだ。

 会場まで甲府から三十分ほどで到着。駐車場には、八王子、松本、静岡などの近県のナンバーの車も少なくない。チケットも比較的取りやすく、近県であれば日帰りも可能なので、山梨は穴場なのだろうか。
 以前ここで、奥田民生のライブを聴いたことを思い出す。調べると、2008年2月5日、「okuda tamio FANTASTIC TOUR 08」の時だった。アルバム『Fantastic OT9』は、私にとって奥田民生に「再会」した作品。渋さとしたたかさと優しさが溶けあう歌の世界。このホールは1000席ほどのキャパなので、客席との一体感があり、とても愉しめたことを覚えている。

 事前に4枚ほどCDを聴いて予習。アップテンポのポップな曲とバラード系の曲がほどよくミックスされているが、やはり、バラードの方が柴咲コウの声が活きる。ことのほか自作の歌詞が多く、言葉に向き合う姿勢が聴き手に伝わる。本当に歌が好きなのだという感触。女優の副業ではない。音楽家としての柴咲コウはなかなかの存在感を持つ。

 ライブのオープニング。いくつもの細長い垂れ幕のようなスクリーンが降りてくる。照明があたり、色が様々に変わる。薄いベールのようでもあり、時々、平仮名の文字が浮かび上がる。斬新で美しい。とてもコストのかかった演出で、通常よりはるかに高い水準だ。
 演奏メンバーの5人が奏で、ダンサーの2人が踊るうちに、赤色を主とする豪華な平安時代風の着物姿に、輝きのある白というか白銀の髪の毛をまとって、柴咲コウが登場。「月」の映像が背後のスクリーンに浮かび上がる。高貴な趣の女性と月。『竹取物語』の「かぐや姫」からの着想かもしれないととっさに思う。(ライブの最後に本人が『竹取物語』のモチーフで演出したと述べていたので、この想像は当たっていたのだが)

 ステージの進行とともに、何度も「お色直し」のように衣装を変えていく。(このようなスタイルに慣れていないので、とても感心してしまった)『こううたう』からも数曲が披露されたが、福山雅治『桜坂』が最も素晴らしかった。
 『若者のすべて』は残念ながら歌われなかった。期待していたのだが、CD音源になっただけでも満足すべきなのだろう。

 たっぷりと2時間、柴咲コウの多様なパフォーマンスを堪能できた。『こううたう』がリリースされなかったら、出かけることはなかったライブだが、時にはこのようなコンサートの経験も大切なのだと実感した。聴く音楽の領域を広げることは、独りよがりに陥ることをふせぐ。

 ライブが終わりホールに出ると、ちょうど『若者のすべて』が静かに流れていた。送り出しの曲として、『こううたう』の最初の曲からかけていたのだろうが、その偶然のタイミングが有り難かった。「街灯の明かりがまた一つ点いて帰りを急ぐよ/途切れた夢の続きをとり戻したくなって」という一節が心に響く。この歌は夜の帰路に合う。

 この日とても嬉しかったのは、入り口で『こううたう』カバー曲の選曲について述べたあの限定リーフレットが配られたこと。発売時のみの特定店舗での配布や予約特典だったので、入手をあきらめていたものだ。思いがけなく手に入れることができて、運営側の心配りに感謝した。
 表面は、初のカバーアルバムについて語った“こうはなす”、選曲について述べた“こうえらぶ”、最近読んだ本を紹介する“こうまなぶ”などが掲載され、裏面は柴咲コウの巨大ポスターという、A4サイズ8面の大きくて充実したリーフレット。座席に着いて早速読んだが、色々な想いが浮かんできた。
 未見の人がほとんどだと思われるので、『若者のすべて』の選曲理由のすべてを引用させていただく。


 NO1  若者のすべて  フジファブリック

意外性が欲しいなと思ったのもあるけれども、「ただ好きな曲だから」っていうのが、選曲した大きな理由。焦りや虚しさを感じながらも、それでも生きていくんだっていう男性の人生観を女性がさわやかに歌ったらどうなるかな?という興味もありました。「鎌倉の海岸沿いをドライブするのが好きなので、それに合うアレンジがいいなと思って。実際に、そこで花火を見たことがあるから、自分の人生とも完全にリンクしますね」


 「意外性」というねらいもあったことを素直に記しているが、それよりも「好きな曲」だというの最大の理由だったことがよく理解できる。志村正彦・フジファブリックの描いた物語を「焦りや虚しさを感じながらも、それでも生きていくんだっていう男性の人生観」と的確にとらえた上で、「女性がさわやかに歌ったらどうなるかな?」という視点で歌い方やアレンジを工夫していく。この作品を丁寧に歌うことへの意志と共に自分自身の声に対する自信や手応えも伝わってくる。
 「自分の人生とも完全にリンクしますね」という実感を持たせるのは、あらゆる歌にとっての願いでもある。「リンクする」力は、その歌が世に広がり、時を超えて伝わっていくために不可欠なものだろう。

 さらに “こうはなす”では、「私にとっていちばん大事だったのは、歌詞に共感できるかどうかっていうこと」であり、「カバーするにあたって、原曲のアーティストの方々に失礼があってはならないという思いもあったので、それぞれの曲に込められた思いや感覚的なものを大切にしつつ、自分の気持ちと声がマッチするように集中できたと思います」とも述べられている。

 柴咲コウが『若者のすべて』の言葉に深く共感し、志村正彦の世界と自分の世界との距離を測定した上で、自分自身の「声」によって、この歌に対する想いを注いでいった過程が伺える。あの透明な声とさわやかな歌い方には、このような背景と構築の方法があったのだ。
 

2015年9月14日月曜日

「逆らう」ジャケット写真-『若者のすべて』17 [志村正彦LN112]

  前回の問い、志村正彦がこの社会についてどのように考え、対峙していたのかという問いに進むにあたり、『若者のすべて』が収録されたアルバム『TEENAGER』(EMIミュージックジャパン、2008/1/23リリース)のCDジャケットについて言及した箇所から歩み始めたい。

 志村は『東京、音楽、ロックンロール』(志村日記)の「ジャケ深読み」(2008.01.25)で次のように書いている。

 今回のジャケットは上から逆さまに女の子をぶら下げています。実際に撮影現場にも、立ち会いましたが、かなりキツそうでした。頑張ってくれました。お疲れさまです。



『TEENAGER』ジャケット(表面)


 フジファブリックのCDジャケットをふりかえってみよう。
 1st『フジファブリック』は柴宮夏希が描くメンバー5人の画で、輪郭線が溶け出していくような不思議な作だ。2nd『FAB FOX』は題名の「FOX」をモチーフにした写真で、メンバー5人の顔が「FOX」になっている。(これを初めて見たときはGenesisの傑作アルバム『Foxtrot』の絵を思い浮かべた)4th『CHRONICLE』は、子犬が志村正彦の顔に被さるという風変わりな取り合わせの写真が使われている。

 1st,2nd,4thのジャケットは、絵や写真という媒体は異なるが、「顔」の「表情」を隠していることが共通している。志村は写真を撮られるのが嫌いだったそうだが、アルバムのデザインを見る限り、それは確かに肯ける。自分があからさまに被写体となることは避けているかのようだ。「顔」の「正面」を押し出す写真に対して、ある意味では、逆らっている。(この「志村正彦と写真」というテーマは別途論じたい)。

 注目すべきなのは、1st,2nd,4thの三作はメンバー5人にせよ志村1人にせよ、フジファブリックのメンバーを対象としているが、3rd『TEENAGER』は「逆さま」の「女の子」の写真を使っているところだ。この作品は結果として、「TEENAGER」や「若者」を主題とするコンセプトアルバムの性格を帯びたので、ジャケット写真もそれまでとは違うアプローチをしたのだろう。
 「女の子」の「逆さま」の像は、続く「ロック」の定義についての考察の鍵となっている。志村はこう語る。

 で、話は変わり、「ロック」とは何でしょう。まあ、「ロック」という定義の解釈については、奥深さ故、人それぞれ持っているものがあると思います。その解釈はその人にそのまま大切に持っておいて頂きたいと思います。ここではあくまで「僕の主観」による解釈のうちの、ごく一部を書きます。
 「ロック」…何それ。知らない。どーでもいい。から、しょうもないことをつらつら書きます。「ロック」とは、何かを打ち破ろうとする反骨精神、逆らうべきところは逆らうという精神じゃねえのかな~。でもこれ、さんざんみんな言ってるね。だから…分かりやすく例えるならば、PUNKSが頭を逆立てるのはロックなのであり、PUNKなのであります。なぜなら地球の重力に逆らっているから。

 「PUNKS」に続けて、「THE WHO」「DEVO」「ジョン・レノン」「富士山」「東京タワーを造った大工さん」を逆らう「ロック」の例として挙げている。この列挙の仕方がそもそも「ロック」的だ。特に、「富士山もロックだ」という言葉は、ロック的なあまりにロック的な発言だ。富士山についての紋切り型の表現に逆らっている。はるか昔のことになるが、富士山は御坂の山系や箱根の山系に逆らって、垂直に飛び跳ね、空に向かって突き進んだのか。そのようにして今の富士山が出来たのなら、確かにとてつもなく「ロック」だ。
 もう一つ付言するなら、DEVO(ディーヴォ)は、80年前後に活躍したアメリカのバンド。停滞していたロックを突き破ろうとする感覚と可笑しさがあり、当時はよく聴いていた。「DEVO」は「de-evolution」(退化)の意味で、「進化」に対する懐疑や「逆らう」姿勢を見せていた。志村と親交のあった「POLYSICS」の「原点」でもある。

 一連の列挙の最後に「いつかタイムマシンを作った人が現れたら、その人はスーパーロックンローラーだと思う。なんてったって、未だかつて誰も逆らえない時の流れに逆らうんですからねえ」としている。「時の流れ」が出てくるのは志村らしい。「時の流れ」に逆らうのが究極の「ロック」なあり方かもしれない。この後、ジャケット写真の話題に戻り、「逆らっている」姿が再び強調される。

 それをふまえ、今回のジャケットを見てください。中面も見てください。逆らっているでしょう。

 志村正彦は、「逆らうべきところは逆らう」ロックの精神をふまえて、このジャケットを見ることを勧めている。ジャケットの表と裏の写真の違いについても言及し、人間が「表の顔」と「裏の顔」の両方を持ち 、しかも「表裏一体」であることの「リアル」を描いたという意図を伝えている。
 この日の志村日記はとても饒舌で、彼の語り口はとても愉快だ。とにもかくにも、『TEENAGER』のジャケット写真は「逆らう」イメージを具現化したもののようだ。
 

 志村の主張に促されるようにして、「逆らう」というイメージに基づいて、『TEENAGER』の楽曲を聴いてみる。たとえば、作品『若者のすべて』の「世界の約束を知って それなりになって また戻って」という歌詞の一節の「戻って」という言葉については様々な解釈があるのだろうが、「世界の約束」に対して時に「戻って」、「逆らう」若者の日常を歌っていると読みとることもできる。

 「逆らうべきところは逆らう」は、若者のすべての行動の中の一つの重要な行為であるのだから。


 

2015年9月6日日曜日

2015年の夏-『若者のすべて』16 [志村正彦LN111]

  九月に入ると、夏という季節が急速に遠ざかる。

 「真夏のピーク」が去る頃から八月の下旬までの二三週間の時節、夏の終わりの季節に、このところ毎年のように、フジファブリック『若者のすべて』がラジオで放送されたり、ネットで語られたりしている。最近のことだが、山梨県庁の公式Twitter(広聴広報課の公式アカウント)が志村ファンの間で話題となった。

 山梨県庁 ‏@yamanashipref  · 8月26日 
先週の石和温泉花火大会。今年の主な花火は最後となります。
最後の花火に今年も・・・と綴られているフジファブリックというバンドの曲「若者のすべて」の歌詞のような状況ですね。同バンドの元ボーカル志村正彦さん(故人)は富士吉田市出身。(J)


 広聴広報課とは、その名の通り主に「広報」を担当する課。(県関係のテレビ番組の企画もしていて、昔、山梨ゆかりの作家のドキュメンタリー番組を一緒に制作したことがある) 所属の担当者の個人的つぶやきなのだろうが、どのような経緯にしろ、志村正彦の名と『若者のすべて』という名曲が県の広報という形で世に伝わっていくのは素直にうれしい。

 山梨の夏の花火で大きな規模のものは、一日から五日までの「富士五湖の花火」(山中湖・西湖・本栖湖・精進湖そして河口湖と続く)から始まり、第一週終わりの市川三郷町「神明の花火」(この地は昔から花火の生産地として有名)、八月下旬の笛吹市「石和の花火」だろう。知人の話では、今年の石和の会場では『若者のすべて』が流れていたそうだ。確か一昨年、地元局テレビ山梨の「神明の花火」特集番組のタイトルBGMでも『若者のすべて』が使われていた。ようやくこの山梨で、「花火」と「志村正彦」が自然につながるようになったのかもしれない。

 去りゆく今年の夏も、甲斐市立竜王図書館「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」展、「路地裏の僕たち」主催の『フジファブリック Live at 富士五湖文化センター』上映会(会場・富士吉田市立下吉田第一小学校)などが開催された。志村正彦を偲び、彼の作品を伝えていく試みが継続されている。

 夏の始まりの六月、柴咲コウが歌う『若者のすべて』が私たちに届けられた。柴咲の『若者のすべて』は夏の朝の時間によく合う。さわやかな朝、その透明な歌声が心地よい。暑さがゆるやかに下降する夕方になると、志村正彦の歌う『若者のすべて』がしっくりとくる。彼の声が、それでもまだざわめいているような周囲の空気に溶けこむ。

 2015年の夏はそういうわけで、朝と夕、CDを入れ換えて、『若者のすべて』のオリジナルとカバーを何度も聴いた。声もアレンジも異なるが、それを超えて、『若者のすべて』の言葉そのものは尽きない魅力を持つ。そして、この歌は聴く者の心に言いあらわせない何かを与える。声の波動のようなものとして作用し続ける。

 『若者のすべて』についての単独の論は十五回ほど書いた。前回から一年ぶりになるが、この歌をめぐって再び書きたい。

 前々回、下岡晃・アナログフィッシュの『戦争がおきた』について書いたが、下岡は
「CINRA」掲載の「失う用意はある? アナログフィッシュ インタビュー」[2011/09/05、文:金子厚武  http://www.cinra.net/interview/2011/09/05/000001.php?page=2]で、プロテストソングについて問われ、「俺が聴いてきた洋楽って、R.E.M.でもなんでも、昔からロックって言われるものは社会のことを自然に歌ってるんですよね。」「だから特別なこととは思わないんですけど、日本で音楽をやってると、そういう曲の行き場所ってあんまりないんです。」と述べている。確かに「洋楽」と「邦楽」の間には、そのような距離、乖離がいまだにあることを否めない。

 志村正彦には、プロテストソング、レベル・ミュージックとして明確に位置づけられる作品はない、ととりあえず考えてよいだろうが、それでも、「ロック」音楽家としての彼はこの社会についてどのように考えていたのだろうか。歌い手としてどのように対峙していたのであろうか。

      (この項続く)

2015年8月31日月曜日

雨宮弘哲、甲府ハーパーズミルで。

 先週の日曜日、甲府のハーパーズミルで開催の『雨宮弘哲レコ発「沼」ツアー2015夏・ファイナル』に行ってきた。出演は、雨宮弘哲・中西ヒロキ・よよよゐの三人。山梨出身あるいは在住のフォークシンガーだ。この日は所用があって、会場に着いたのは午後八時半頃、中西ヒロキさんの終わり近くだった。のびやかな明るい声の歌い手だった。
 まもなくすると、雨宮弘哲(弘哲は「ひろあき」と読む)さんの登場。でも「さん」を付けて呼ぶのはやはりしっくりこない。「弘哲君」と呼ぶのが自然だからそう書くことにしよう。というのも彼は、私が以前勤めていた高校で知り合った生徒だったからだ。

 もう二十年ほど前のことになる。弘哲君は高校2年生でたしか十七歳、私も三十代半ばの頃で今からするとまだ充分に若かった。早熟だった彼は、あの当時や昔のフォークソングをいろいろと聴きこんでいて、少しずつ自分の作品を作り、歌いはじめていた。ハーパーズミルで友部正人のライブを一緒に聴いたこともあった。あの頃の彼の自作の歌詞には、自分の言葉をつかもうとする意欲が感じられた。歌う力はまだまだだったが、ギターの演奏は上手かった。私は私なりに彼の成長を楽しみにしていた。

 卒業後、彼は山梨から東京に行った。学生時代を過ごし、バイト生活をしながらフォークを歌う道を選んだ。2003年、「あめあめ」というユニットでMIDI Creativeレーベルから『和同開珎』をリリース、その後は中央線沿線を主な活動場所にして、自主製作CDを発表したり、企画ライブを主催したりして、各地を旅して歌い続けている。(「雨宮弘哲 ホームページ」参照)
 数年に一度は山梨に帰り、ハーパーズミルで歌った。そのほとんどに行ったはずだが、前回は都合で行けなかったので、この日は久しぶりに彼の歌を聴くことになった。今年4月発表の新アルバム『沼』収録曲のお披露目。三十七歳になった彼の現在が刻まれた作品の数々。彼の日々のつぶやきが聞こえてきた。

 歌が上手いとは言えない、と率直に書こう。歌い方、特に言葉の強弱、末尾の発声が相変わらず不安定なのだが、その歌声が「ゆらぎ」のようなものを伴い、ある意味では、彼の心そのものの「ゆらぎ」を伝えているようでもある。
 そのような歌い方は聴き手を限定してしまうという弱さを持つと同時に、彼の「個」を際立たせる、ある種の強さにもなっている。彼の歌が聴き手に受け止められるかどうかの壁がここにあるが、この壁を乗り越えてしまえば、雨宮弘哲の歌の世界に入ることができるのだろう。



 アルバム最後の歌『小舟』は、彼の今までの旅の航路が歌われている。

  ぼくの小舟は  波に揺れない
  うねりの風も 笑いとばして
  すすむだろう 光へ向けた矛先
  手製の帆を張って 金の夕空
    
 日々の暮らしの中で、その航路を遮るもの。問いも答えもなく、立ちはだかるもの。それを前にして、時に折れ曲がり、時にいじけてしまう主体。しかし、「笑いとばして」進むしかない。
 彼は自らの声と言葉の「ゆらぎ」で、そのようなものたちに「ゆらぎ」を与えようとしているのかもしれない。

 しかし、アルバム『沼』の全体を通してみれば、もっともっと、言葉に「ゆらぎ」をもたせたらどうだろうかという考えが浮かんでくる。ゆらぎはじめている言葉もあるが、まだまだありふれた言葉もある。
 「小舟」が、「言葉」そのものの「うねりの風」を「手製の帆」で受けとめて進んでみたら、どのような風景が広がるのだろうか。そのような風景を聴いてみたい気がした。

 終了後、弘哲君と少しの間言葉を交わした。つい最近、このハーパーズミルで佐々木健太郎のライブを聴いたことを話すと、Analogfishがまだ下岡晃と佐々木健太郎の二人で活動していた頃に、下北沢で共演したことがあったそうだ。前野健太もいたようだ。その頃の下岡・佐々木の印象はエレファントカシマシのようだったらしい。2000年代初めの頃の話だ。

 もう一つ、興味深い話があった。弘哲君は、インディーズ時代のフジファブリック(いわゆる第2期の時代)のベーシストとバイト先のパスタ屋が一緒だった縁で、『茜色の夕日』等が収録されたカセット音源を2種類もらって聴いていた。志村正彦もそのパスタ屋に食べに来たこともあったが、会ったことはなかったそうだ。(弘哲君は志村正彦と同世代。山梨出身の二人が何かのきっかけでもし出会っていたらという想像をしてしまった)。彼が第2期のベーシストを通じて、当時のフジファブリックの様子を知っていたことには驚いたが、ある時代に新宿や高円寺という中央線沿線の場所で、フォークとロックという違いはあれ、インディーズシーンで活動をしていたのだから、どこかに接点があっても不思議ではない。

 1980年前後に生まれた世代には新しい感覚を持った歌い手がたくさんいる。彼らも三十歳代の後半に入りつつある。
 歌い手としてのポジションは様々だが、今もなお歌い続けている存在がいる。

2015年8月15日土曜日

『戦争がおきた』 Analogfish

 「戦後70年」とことさらに言われると、「戦後」という捉え方が自明なものであるのかどうか、あらためて問いかけてみたくもなる。
 「戦」の「後」という時の区分は、「戦」の「前」「中」と言う時との対比としてある。戦争が起きる「以前」、戦争が行われている「最中」という時の状況はある程度明確である。しかし、「戦後」とは定義上、戦争が終わった「後」の時を示す。そうであればすぐに、戦争が終わったのかどうか、ということが問われる。
 もちろん、戦闘としての戦争は、私たちの国の場合、1945年8月15日に終結している。しかし、戦争が終わるということが、戦争に関わるあらゆることが本当の意味で終わるということであれば、未だに戦争は終わっていないと考えられる。沖縄の現実を見れば明らかであり、現在の社会の動きもそのことを示している。
 

 先週の土曜日、Analogfishの佐々木健太郎のライブに出かけたこともあり、ここ数日、Analogfishの「社会派三部作」と言われる、『荒野 / On the Wild Side』(2011年)、『NEWCLEAR』(2013年)、『最近のぼくら』(2014年)の三枚のアルバムを聴いた。Analogfishには下岡晃、佐々木健太郎という二人のボーカル、ソングライターがいるが、下岡はあるインタビューで「僕はレベル・ミュージックを作りたいと思ってるんですよ」と語っている。(http://chubu.pia.co.jp/interview/music/2014-11/analogfish.html

 確かに「社会派三部作」には、この時代に向き合うレベル・ミュージックが数多く収められていて、しかも定型的なものはなく、自由で多様な作品が展開している。中でも、第1作『荒野 / On the Wild Side』収録の『戦争がおきた』(作詞:下岡晃、作曲:アナログフィッシュ)は、その題名の直接性が際立っている。「朝目が覚めて」と冒頭にあるように、朝のまどろみを想起させる美しいメロディを持つが、歌詞そのものの読みとりは難しい。歌詞の全てを引用する。


  朝目が覚めてテレビをつけて
  チャンネル変えたらニュースキャスターが
  戦争がおきたって言っていた


  街へ出かけて彼女と飲んで
  家へと向かう電車で誰かが
  戦争がおきたって言っていた


     借りてきた映画を見て その後で愛し合って
  戦争がおきた


  ずっと昔に夕飯時に
  手伝いしてたら近所の誰かが
  戦争がおきたって言っていた


  料理が並び家族がそろい
  食事をしてたらまばゆい光が
  暗闇の中を不確かな国の
  確かな家族へ飛んでった


  世界が終わるんだって 勝手に思い込んで
  眠れずに朝になった そんな事思い出して
  少しだけビール飲んで 昼まで眠りこけた


  戦争がおきた

  朝目が覚めて彼女も起きて
  昨夜の行為の続きの後で
  戦争がおきたって言っていた


  何かが変わるといいね

  戦争がおきた


 この歌には、「戦争がおきたって言っていた」という表現と「戦争がおきた」という表現の二つがある。この二つの間にはどのような差異があるのだろうか。

 歌の現在時(他の解釈もあるだろうが、ここではいちおうそのように捉える)、「テレビ」の「ニュースキャスター」が、街から家へと向かう電車で「誰か」が「戦争がおきたって言っていた」。その後、「ずっと昔」と時が遡り、その「夕飯時」の出来事として、「近所の誰か」が「戦争がおきたって言っていた」。もう一度現在時に戻り、「朝」「彼女も起きて」、「昨夜の行為の続きの後で」「戦争がおきたって言っていた」と歌われる。誰が言ったのかは明示されていないが、文脈上は「彼女」の発話だとするのが自然だろう。
  「戦争がおきたって言っていた」の実際の歌唱では、「戦争がおきた 戦争がおきた 戦争がおきた って言っていた」と歌われている。「戦争がおきた」は三回反復された後、「って言っていた」という他者の発話として、他者を通じて、その事態が歌の主体に伝えられる。

 第5連にある、「まばゆい光が/暗闇の中を不確かな国の/確かな家族へ飛んでった」は、この歌で描かれる「戦争」の像の中心にある。「国」と「家族」とが、「不確かさ」と「確かさ」とで対比されている。「レベル・ミュージック」の批評性がこのフレーズには現れている。しかし、この歌は、「国」のあり方を批判する方向には進まずに、「戦争」をめぐるある現実の露出に向かおうとしている。

 「戦争がおきたって言っていた」という他者の発話を聴く経験ではなく、歌の主体の経験、少なくとも他者を介在させることのない間接的ではない経験として、「戦争がおきた」と歌われるのは三度ある。                                                                      
 最初は、「借りてきた映画を見て その後で愛し合って」という「行為」の後で「戦争がおきた」と歌われる。その行為と「戦争がおきた」という出来事との文脈上のつながりは特にない。行為と出来事とは乖離している。次は、「少しだけビール飲んで 昼まで眠りこけた」に続けて「戦争がおきた」と歌われる。この場合も、「眠り」とその覚醒と「戦争がおきた」という出来事との間にはつながりはない。「眠り」は意識の断絶としてある。「愛し合って」という行為も一種の断絶だとするなら、断絶を経ての覚醒の後、「戦争がおきた」という出来事が起きる、という流れを読みとることができるかもしれない。そして、「何かが変わるといいね」という願望が唐突に歌詞の中に織り込まれた上で、「戦争がおきた」と最後に歌われて、この作品は閉じられる。
  最後の「戦争がおきた」には、とても静かに、それゆえ突然に、「戦争」という現実が露出したような響きがある。


 『戦争がおきた』という歌は、「戦争がおきた」という出来事と、「戦争がおきた」ことを主体が把握する出来事との二重の出来事を伝えようとしている。意味というよりも、出来事そのものが現れ出るように言葉が配置されている。(まだ私はそれを解析できないのだが、その端緒としてこの文を記そうと考えた)


 下岡晃、Analogfishは今、全く新しいレベル・ミュージックを創りつつある。

2015年8月9日日曜日

佐々木健太郎・岩崎慧、甲府ハーパーズミルで。

 昨夜8月8日、甲府のハーパーズミルで、「トットコサマーで王さまツアー!2015」佐々木健太郎(アナログフィッシュ)と岩崎慧(セカイイチ)のライブを聴いてきた。

 岩崎慧の歌を聴くのは初めてだった。のびやかな声を持つ歌い手で、プロとしての十数年のキャリアが伝わってくる。
 最後に歌われた『バンドマン』。「夢はもうないのかい/夜になったまま朝がこないのかい」という最初のフレーズには少しどきりとした。「狭い狭い枠の椅子とりゲーム」という繰り返される言葉からはバンド業界で生きる者の悲哀が漂う。
 このライブのみの印象だが、洋楽を始め様々な音楽を消化できる器用な人なのだろうが、もっと削ぎ落とすことで、彼の「地」のようなものを表した方が聴き手により届くのではないだろうか。歌の力は感じられるのだから。

 佐々木健太郎は、昨年1月にもこの場所で聴いた。(http://guukei.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html
 今回は『希望』から始まった。この歌の世界はありふれたようでありふれていない。彼の歌う力と言葉の力がほどよく結晶されている。今のところ最も好きな作品で、収録アルバムのアナログフィッシュ『NEWCLEAR』を時々聴いている。
 ただし、昨年とは何かが違う。歌のパフォーマンスのあり方だろうか。例えば、「希望 希望 希望」と口ずさむ時に目線が彼方を眺めるように動いていく。単独ライブではなく、二人によるライブツアーという背景があり、歌い方を変えているのかもしれないが、昨年の飾り気のない木訥としたスタイルの方が好きだ。

 岩崎、佐々木の順で歌い、二人による歌とアンコールでしめくくられた。最後はアナログフィッシュの名曲『LOW』。岩崎によると、二人の出会いのきっかけとなった曲。「How are you? 気分はどうだい/僕は限りなく ゼロに近い LOW LOW/胸焦がして 胸焦がして 頭かかえて 胸焦がして」と、佐々木と岩崎が激しく声と身体を使う。この日こちら側に最も迫ってきた歌だ。

 「限りなくゼロに近いLOW」は、村上龍『限りなく透明に近いブルー』へのオマージュだろうか。90年代からゼロ年代にかけてのロック青年は、60年代から70年代にかけてのロック青年の持つ「透明な浮遊や高揚」からはほど遠い日常を生きる。下降や逡巡を繰り返す焦燥感が吐き出される。それは「透明」たりえない。
 『LOW』は佐々木の初期の作。「ゼロに近いLOW」いう表現は時代を鏡のように反射していて、ある種の社会性や批評性を帯びている。この頃の佐々木の歌には、アナログフィッシュの盟友、下岡晃の世界との共通項が多い気がする。

 この日の聴衆は三十人弱。半分以上は他県からの客か。少人数の、そして静かな客を前に熱演し盛り上げようとして二人のパフォーマンス。一人の聴き手としてはこれ以上求めるものはないのだが、正直に書くと、その盛り上げ方に入り込めないような感じが残った。私の捉え方の問題かもしれないが、佐々木健太郎は逆にやや疲れているようにも見えた。

 佐々木と岩崎も三十歳代の後半を迎えている。
 歌い続けること。そのことの意味は、歌うことには無縁である私のような聴き手にとっては計りがたい。勝手に想像したり了解したりすることは慎むべき、少なくとも丁寧で慎重であるべきだらう。
 それでも今こうして書いている最中にも、そのことが頭の中で回り続けている。
                                                             

2015年7月28日火曜日

柴咲コウ『若者のすべて』 [志村正彦LN110]

 柴咲コウと言えば、やはり、女優という印象が強い。プロフィールを確認すると、廣木隆一監督の『東京ゴミ女』が映画初出演のようだ。この映画は2000年製作、かなり前の作品だが、廣木監督作が好きだったので衛星放送で見たことがある。柴咲コウ演じる役の記憶はほとんどなく、新感覚の女性映画だという印象だけが残っている。その後、柴咲コウは人気女優の地位を築いていくのだが、もともとは歌手志望だったようだ。

 その柴咲コウが志村正彦作詞作曲の『若者のすべて』を歌った。6月発売のカバーアルバム『こううたう』に収録されている。
 このCDは、期間限定で一部のショップで特製のリーフレットが添付され、その中に本人が選曲について語った「こうえらぶ」が掲載されていたようだが、私はそのエディションを購入できなかったので、残念ながら未読である。『若者のすべて』を選んだ理由は分からないのだが、どのような理由であっても、この曲が選ばれたことは素直にうれしい。

 歌そのものを繰り返し聴いてみる。
 志村の《声》の持つ、ある種のやるせなさ、よるべなさのようなものが脱色され、淡い色調の《声》を柴咲はまとう。志村の『若者のすべて』の複雑な陰影に満ちた言葉の世界に対して、言葉そのものは同一ではあるが、柴咲の歌う世界は、女性の男性に対する想いを述べているようにも聞こえてくる。この歌の主体は、歌詞の中の人称としては「僕」であるのだが、柴咲が歌うと、歌の主体が女性であると解釈してもそんなに違和感がない。そのように言葉がたどれる。
 女性が男性主体の歌詞を歌うという、日本のポピュラー音楽にしばしばある、いわゆる「CGP(Cross-Gendered Performance)」、「歌手と歌詞の主体とのジェンダー上の交差(女性歌手が歌う「男うた」等)」ではなく、女性が女性主体の歌詞を歌う、つまり歌詞の主体が女性に変換されている(実際に「僕」という言葉が換えられているわけではないが)ように、私には聞こえてきた。

 特に、「ないかな ないよな きっとね いないよな」の「な」音の響きは、むしろ女性の《声》に合うような気もする。ただし、志村の《声》の響きに比べて、幾分か単調ではあるのだが。
 志村の歌い方は、やはり、「語り」の要素が強いことも再発見する。語りによって、風景がスクリーンに投影され、外へと広がっていく。そのような流れは柴咲の歌にはない。むしろ、言葉は内に向かい、女性の想いという一点に集約されていく。それはそれで、美しく結晶されていて、この曲の数あるカバーの中でも、柴咲コウの『若者のすべて』は聴く価値のある作品となっている。

 以前書いたことだが、志村の歌う『若者のすべて』の季節は、なぜか「冬」のように感じられる。凍てつく風景に「冬の花火」の最後の光が上る。それに対して、柴咲の歌う『若者のすべて』は、当然かもしれないが、「夏」の季節感にあふれている。明るい光にあふれる空と雲の中を、《声》がゆるやかに漂う。そんな情景が浮かぶ。

  カバーされた全15曲中の第1曲目という重要な位置付けであり、「amazon」などのレビューを読むと、このアルバムで『若者のすべて』という歌を知った人も多いようだ。柴咲コウがこの曲を私たちに贈り届けてくれたことはとても有り難い。

 なお、 『若者のすべて』(フジファブリック)のカバー、あるいはフジファブリック『若者のすべて』のカバーというように音楽サイト等で紹介されているが、限定版同封の「こうつづる」というブックレットには、「作詞・作曲:志村正彦 編曲:関口シンゴ」というクレジットが記載されていた。これを見て大いに肯いた。
 フジファブリックの作品であることはもちろんだが、カバーされる場合は、「こうつづる」に記されているように、あくまで、志村正彦作詞作曲の『若者のすべて』のカバー、というように書いてほしい。少なくともそのように作詞作曲者名を補ってほしい。志村作品を愛する者の一人として、これは譲れない。

2015年7月23日木曜日

『ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~』 [志村正彦LN109] 

 昨日、甲斐市立竜王図書館で開催中の展示「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」を見てきた。甲斐市は十数年前に合併して誕生した市。甲府市の西側に位置する。竜王図書館は私の家からは車で10分ほどのところにあるが、今回初めて訪れた。開架式のスペースが広く、オープンな雰囲気の図書館だった。

 階段を上がり2階の展示ホールへ。宮沢和史・藤巻亮太・志村正彦のプロフィールと写真のパネル、歌詞のパネルが壁面に飾られている。CDを数枚ずつ入れた展示ケースが二つ。中央の机上に『宮沢和史全歌詞集』『志村正彦詩集』等の著書。感想を記す用紙が置かれていたが、志村正彦についてはメッセージを記入できる特別なノートも用意されていた。
  
 宮沢・藤巻・志村の「歌詞」を紹介する今回の展示は、「歌い手」というよりも「詩人」としての三人に焦点を当てている。図書館らしい視点だが、そのことによって、来館者に彼らの音楽との新たな出会いをつくりだす可能性がある。
 山梨では宮沢和史・THE BOOM、藤巻亮太・レミオロメンの知名度が高く、彼らの代表曲を聴いたことがある人は多いだろうが、彼らの「言葉」をあらためてたどり直すことは「再発見」の経験ともなる。志村正彦・フジファブリックについては、残念なことだが宮沢・藤巻ほどは知られていないので、そのまま「発見」の契機となるだろう。
 そのような展示を甲斐市立竜王図書館が主催したことは大いに評価される。現実の場において何かをなすことはとても大切なことだから。

 ただし、課題もある。歌詞パネルの数が宮沢2点、藤巻3点、志村10点というようにアンバランスなことだ。テーマから考えると、三人の扱いは均等であるべきだろう。(私は志村のファンであるからこそ、なおさらそのように感じた)また、彼らの詩から読みとれる「山梨の風景」について何らかの解説があれば、一般の来館者の関心をより高めることができると思う。甲府の宮沢、御坂の藤巻、吉田の志村という出身地の対比があれば、親しみもわく。

 どのようなイベントにも成果と課題がある。課題については次の機会、あるいは別の機会で向き合えばよい。そのことよりも、一人のロックの聴き手として、今回の試みに踏み出した図書館のスタッフの情熱と勇気をたたえたい。

2015年7月13日月曜日

『路地裏の僕たち上映会』 [志村正彦LN108]

 一昨日の土曜日、7月11日、以前から予定が入っていて、甲府を出発できたのは午後4時を回っていた。「路地裏の僕たち」主催の『フジファブリック Live at 富士五湖文化センター』上映会が富士吉田で行われている。その最後に何とか間に合いたいと車を走らせた。

 夏の観光シーズンを迎えるこの季節、県外ナンバーも多くなり、山梨の幹線道路は混雑する。甲府バイパスから御坂へ進み、河口湖の手前で左折し、3月末開通の「新倉河口湖トンネル」を初めて通る。照明が明るく、道もほぼ直線で、とても通行しやすい。全長2.5キロの長いトンネルだが、少し経つと吉田側の光がかすかに見えてきた。抜けると見覚えのある風景が広がる。志村正彦の生まれ育った場の近くだった。       

 これまでは、甲府から吉田までは必ず河口湖周辺を経由しなくてはならなかったが、今後は、御坂トンネルから下ってそのまま四つほどトンネルを過ぎると吉田にたどりつく。御坂から吉田まで「直結」したような感じだ。甲府と吉田との距離よりがさらに近くなり、時間帯によっては20分ほど短縮されたのではないだろうか。

 新トンネルのおかげで、午後5時過ぎに会場の下吉田第一小学校に到着。茜色の「路地裏の僕たち」Tシャツを着ている方々が忙しそうに動き回っていた。「志村商店」をはじめとする臨時の出店があると知ったので楽しみにしていたのだが、もう店じまいだった。遅く来たのでこれは仕方がない。

 入口には今回制作されたポスターやフライヤーが並んでいた。フジファブリックのCDデザインを数多く担当された柴宮夏希さんの協力があり、「路地裏」らしい雰囲気で味わい深い。グラフィックという点でも、これまでのイベントからさらに進化している。

 体育館に入ると、かなりの人数の熱気があふれる。映像と音響の設備も本格派だ。後方に写真やギターや機材がおぼろげに見える。「飛び箱」や用具らしきものもあったので、ここが小学校の体育館だということを実感した。

 アンコールが始まった。永遠に聴かれ、語り継がれることになるであろう『茜色の夕日』とそのMC。最後の『陽炎』。この二曲に間に合うことができた。

 『陽炎』が今回は特に胸に迫ってきた。
 志村少年が「路地裏の僕」として駆け回った「場」。
 陽炎がそこらじゅうに立つような夏の「時」。

 そのような「場」と「時」を得て、「路地裏の僕たち」の方々そして会場の人々の熱気、迫力のある映像と音響、フジファブリック・メンバーの熱演、志村正彦の「声」、それら全てが溶け合い、下吉田一小の『陽炎』は静かに熱く揺れていた。
 (エンディング近くでギターを激しくかき鳴らす彼。そのシーンが終わると、哀しみにおそわれるのはいつものことなのだが。)

 上映会の終了後、展示コーナーを見た。文字通り、飾りっ気のない展示がこの場にはふさわしい。ゼロ年代を代表するロック音楽家というよりも、「路地裏」の「英雄」としての彼が母校の小学校に還ってきた。この感覚を「路地裏の僕たち」は大事にしているのだろう。

 体育館を出ると、掲示板にクボケンジや片寄明人をはじめとする志村正彦の友人知人のコメントが掲げられていた。2011年の志村展の際に、私の勤務校の生徒たちが授業を通じて書いた文章も再び掲示されていた。
 以前、生徒の文が良かったという感想をよせてくれた地元の方がいらっしゃって、今回も展示することに決めたそうだ。生徒の文が志村正彦ゆかりの人々の文と並んで飾られているのは場違いのような気がして、当事者でもある私は大変恐縮したのだが、このように大切にされているのはとても有り難い。(あの生徒たちも卒業して三年になる。その内の一人は国文科に進み、今年母校に教育実習生として戻ってきた。教職に就くのはなかなか難しい時代だが、彼女が教壇に立ち、いつの日か自らの視点で志村正彦の詩について語ることがあるかもしれないと、勝手に思い描いている。)

 出口付近でチャイムを待っていると、久しぶりにお会いできた大切な方々、昨年の甲府での志村展やフォーラムでお世話になった方々と再会することができた。挨拶の言葉しかかわすことはできなかったけれども、このような機会があるからこそ再び会うことができてとても嬉しかった。

 午後6時、『若者のすべて』のチャイムが鳴りはじめる。小学校横の防災無線スピーカーを皆が見上げている。2012年の暮れ、冬の季節に市民会館前で聞いたときよりも、音が明るくかろやかに響く。この歌はある種の力強さも持っている。「すりむいたまま僕はそっと歩き出して」と歌詞にあるとおり、どのような状況であれ前に歩き出そうと伝えているようだ。夏の季節の始まり、私たちも歩き始めねばならない。       

 主催者と共催者の皆様の自発的な活動に対して敬意を表したい。私も経験者として、準備まで、そして当日の苦労はよく分かる。また、映写技師やプロ機材を使っているので経費もかなりかかったことと思う。彼らは「全国のファンへの恩返し」として企画したと述べているが、私たち各々が自分のやり方で志村正彦を聴き、語り続けることが、彼らへの恩返しとなるのではないか。私もその一人としてこのblogを書き続けていきたい。

 私個人として最も励まされたことを最後にひとつ書かせていただく。
 3回目の上映会の後で、志村正彦の子どもの頃から29歳までの写真の映写があった。その最後に映されたのが「ロックの詩人 志村正彦展」のフライヤー画像だった。事前には全く知らなかったので、とても驚いた。「路地裏の僕たち」の皆様から、昨年7月の甲府展へのエールが送られたような気持ちになった。
 深く、感謝を申し上げます。

2015年7月9日木曜日

去年の7月、今年の7月。 [志村正彦LN107]

 明日は志村正彦の誕生日。彼が元気であれば三十五歳を迎えた日だ。

 昨年7月12,13日開催の「ロックの詩人 志村正彦展」と「フォーラム」は、この時期に合わせて計画された。一年前の今頃は、最後の準備に追われていた。パネルの解説文を時間の許す限り推敲していた。

 思い返すと、私たちの試みがフジファブリックの所属事務所SMAやナタリーのサイトで紹介していただいたのは、全く予想外の出来事だった。そのことには非常に感謝したのだが、反響を呼ぶに従って、予想より大勢の人たちが来場される可能性が出てきた。正直に書くと、そのことがかなりのプレッシャーになった。二日間、私たちがこのイベントを無事コントロールできるのかという不安も生じた。精神的にも時間的にも余裕のない状態だったが、何とか展示の準備を完了することができた。会場での実務の仕事も、友人や協力者、そして会場の係の方に助けられた。無事終了することができた最大の要因は、何よりも来場者の御理解であったと思う。入場までの時間が非常に長くなっても辛抱強く待ち続けていただいた。ほんとうに有り難かった。

 すでに発表があったとおり、7月11日、土曜日に、志村正彦の母校、富士吉田市立下吉田第一小学校の体育館で、彼の同級生グループ「路地裏の僕たち」主催による『フジファブリック Live at 富士五湖文化センターDVD』の無料上映会が開かれる。ゆかりの品も一部展示され、あわせて、12日まで夕方6時のチャイムが「若者のすべて」のメロディに変更されるそうだ。

 「路地裏の僕たち」は、志村の故郷富士吉田で様々なイベントを推進してきた。これまでも、そしてこれからも、志村正彦に関する活動の中心を担う。ゆかりの場所での上映会という今回の企画は「路地裏の僕たち」ならではのアイディアだ。これまでの展示やチャイムに加えて、志村正彦・フジファブリックの音楽そのものを、故郷でのライブを、「映像」という形ではあるが「体験」してもらう会は、新しい試みとしてとても重要なものとなるだろう。

 また、30日まで甲斐市立竜王図書館で、志村正彦、宮沢和史、藤巻亮太の歌詞パネルを展示した「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」が開催されている。まだ見に行ってないのだが、図書館という場所からして、志村正彦の詩集や著書を山梨の人々が知る、良い契機になると思っている。

 昨年の展示やフォーラム、今年の「路地裏の僕たち」主催の上映会や甲斐市立竜王図書館主催の展示。共通するのは、志村正彦の作品を現在の世界に広げ、未来の世界に伝えていくという目的であろう。そのためには、多様な視点や方法があってよいと考えている。
 以前も書いたことだが、富士山の登山ルートには昔のものを含め、幾つものルートがあり、それは全て富士山の頂上を目指している。そのことになぞらえれば、多様性を保ちながら、共通の目標を目指していくのが、志村正彦にふさわしい「歩み」のような気がする。

 去年は間際に台風が到来したが、会期の週末は天気になった。今年も梅雨の長雨が続いたが、今週末は雨もあがるようだ。天気予報士がテレビで良い天気となると言うように祈っている。
 夏の富士に祝福されて、『路地裏の僕たち上映会』は開催されることになるだろう。
 

    週末 雨上がって 街が生まれ変わってく
        紫外線 波になって 街に降り注いでいる
        不安になった僕は君の事を考えている
   
                               ( フジファブリック 『虹』 、 作詞作曲 ・ 志村正彦 )

2015年7月3日金曜日

志村正彦がつなげた偶然-浜野サトル5

 昨日、浜野智氏のサイト「毎日黄昏」(http://onedaywalk.sakura.ne.jp/one/index.html)の7月2日の記事にこう書かれてあった。前回で一休止し再び歩み始めたいと記したが、思いがけない出来事が起こったので、今回はこのことについて「5」として書きたい。現在の氏は「智」と署名されているので、この文では「サトル」ではなく「智」と記させていただく。

 志村正彦というシンガーについてちょっと調べたいことがあって「偶景web」というサイトにたどり着いたときはびっくりした。なぜかといえば、ここには意外にも僕の古い文章についてのあれこれが盛りだくさんに載っていたからだ。

 浜野氏が志村正彦について調べ、この「偶景web」にたどり着く。インターネット特有の遭遇に驚くと共に素直に喜んだ。志村正彦が媒介した「縁」のようなものをとても大切にしたい。

  念のために申し添えると、当然のことではあるが、私は浜野智氏とは一面識もなかった。私は一読者という立場で、彼の著書や、断続的ではあるが、ネットで発表された文を愛読してきた。このwebを始めてからずっと、いつか氏の批評について書きたいと考えていた。私にとって音楽を語る原点として氏の言葉をたどりなおしたかった。二年経ち、ようやくその端緒につくことができた。

 「偶景web」の拙い試みはともかくとして、氏が「志村正彦」を調べているという事実そのものに感激する。理由や経緯は分からないが、志村正彦について関心を持つ。私だけでなく、志村正彦の多くの聴き手にとっても、この出来事は重要なものとなるかもしれない。

 《「偶景web」サイトを見ていて、いろいろなことを思い出した。》と述べられていたが、その契機となったのであれば、今回の試みも意味を持つ。
  「終りなき終り」についての早川義夫の発言、『ボブ・ディラン論集』の件など、一つひとつの挿話が興味深い。早川は浜野に何を語ったのだろうか。70年代初頭、あの渋谷BYGのレコード係として、浜野氏は「はっぴいえんど」や「風都市」の志した日本語ロックの現場近くにいた。
 そして、《「バイオグラフィー=線」ではなく、「一瞬の沸騰=点」をめぐって書きたいと思っていた》という平凡社新書『ボブ・ディラン』の企画。氏にとって第三の批評書、最新のディラン論となるはずのこの書物は、やはり、幻の本になってしまうのだろうか。

 私は何よりも浜野智氏の文体に魅了された。
 「エッジの効いたリズム」のような鋭い硬質な論理、その背後に響くやわらかい感受性の音調。「論理」と「音調」の融合した文体は、「批評」の内部に「歌」(その歌は「歌われない歌」であるのだが)を響かせている。