昨夜8月8日、甲府のハーパーズミルで、「トットコサマーで王さまツアー!2015」佐々木健太郎(アナログフィッシュ)と岩崎慧(セカイイチ)のライブを聴いてきた。
岩崎慧の歌を聴くのは初めてだった。のびやかな声を持つ歌い手で、プロとしての十数年のキャリアが伝わってくる。
最後に歌われた『バンドマン』。「夢はもうないのかい/夜になったまま朝がこないのかい」という最初のフレーズには少しどきりとした。「狭い狭い枠の椅子とりゲーム」という繰り返される言葉からはバンド業界で生きる者の悲哀が漂う。
このライブのみの印象だが、洋楽を始め様々な音楽を消化できる器用な人なのだろうが、もっと削ぎ落とすことで、彼の「地」のようなものを表した方が聴き手により届くのではないだろうか。歌の力は感じられるのだから。
佐々木健太郎は、昨年1月にもこの場所で聴いた。(http://guukei.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html)
今回は『希望』から始まった。この歌の世界はありふれたようでありふれていない。彼の歌う力と言葉の力がほどよく結晶されている。今のところ最も好きな作品で、収録アルバムのアナログフィッシュ『NEWCLEAR』を時々聴いている。
ただし、昨年とは何かが違う。歌のパフォーマンスのあり方だろうか。例えば、「希望 希望 希望」と口ずさむ時に目線が彼方を眺めるように動いていく。単独ライブではなく、二人によるライブツアーという背景があり、歌い方を変えているのかもしれないが、昨年の飾り気のない木訥としたスタイルの方が好きだ。
岩崎、佐々木の順で歌い、二人による歌とアンコールでしめくくられた。最後はアナログフィッシュの名曲『LOW』。岩崎によると、二人の出会いのきっかけとなった曲。「How are you? 気分はどうだい/僕は限りなく ゼロに近い LOW LOW/胸焦がして 胸焦がして 頭かかえて 胸焦がして」と、佐々木と岩崎が激しく声と身体を使う。この日こちら側に最も迫ってきた歌だ。
「限りなくゼロに近いLOW」は、村上龍『限りなく透明に近いブルー』へのオマージュだろうか。90年代からゼロ年代にかけてのロック青年は、60年代から70年代にかけてのロック青年の持つ「透明な浮遊や高揚」からはほど遠い日常を生きる。下降や逡巡を繰り返す焦燥感が吐き出される。それは「透明」たりえない。
『LOW』は佐々木の初期の作。「ゼロに近いLOW」いう表現は時代を鏡のように反射していて、ある種の社会性や批評性を帯びている。この頃の佐々木の歌には、アナログフィッシュの盟友、下岡晃の世界との共通項が多い気がする。
この日の聴衆は三十人弱。半分以上は他県からの客か。少人数の、そして静かな客を前に熱演し盛り上げようとして二人のパフォーマンス。一人の聴き手としてはこれ以上求めるものはないのだが、正直に書くと、その盛り上げ方に入り込めないような感じが残った。私の捉え方の問題かもしれないが、佐々木健太郎は逆にやや疲れているようにも見えた。
佐々木と岩崎も三十歳代の後半を迎えている。
歌い続けること。そのことの意味は、歌うことには無縁である私のような聴き手にとっては計りがたい。勝手に想像したり了解したりすることは慎むべき、少なくとも丁寧で慎重であるべきだらう。
それでも今こうして書いている最中にも、そのことが頭の中で回り続けている。
0 件のコメント:
コメントを投稿