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2015年9月6日日曜日

2015年の夏-『若者のすべて』16 [志村正彦LN111]

  九月に入ると、夏という季節が急速に遠ざかる。

 「真夏のピーク」が去る頃から八月の下旬までの二三週間の時節、夏の終わりの季節に、このところ毎年のように、フジファブリック『若者のすべて』がラジオで放送されたり、ネットで語られたりしている。最近のことだが、山梨県庁の公式Twitter(広聴広報課の公式アカウント)が志村ファンの間で話題となった。

 山梨県庁 ‏@yamanashipref  · 8月26日 
先週の石和温泉花火大会。今年の主な花火は最後となります。
最後の花火に今年も・・・と綴られているフジファブリックというバンドの曲「若者のすべて」の歌詞のような状況ですね。同バンドの元ボーカル志村正彦さん(故人)は富士吉田市出身。(J)


 広聴広報課とは、その名の通り主に「広報」を担当する課。(県関係のテレビ番組の企画もしていて、昔、山梨ゆかりの作家のドキュメンタリー番組を一緒に制作したことがある) 所属の担当者の個人的つぶやきなのだろうが、どのような経緯にしろ、志村正彦の名と『若者のすべて』という名曲が県の広報という形で世に伝わっていくのは素直にうれしい。

 山梨の夏の花火で大きな規模のものは、一日から五日までの「富士五湖の花火」(山中湖・西湖・本栖湖・精進湖そして河口湖と続く)から始まり、第一週終わりの市川三郷町「神明の花火」(この地は昔から花火の生産地として有名)、八月下旬の笛吹市「石和の花火」だろう。知人の話では、今年の石和の会場では『若者のすべて』が流れていたそうだ。確か一昨年、地元局テレビ山梨の「神明の花火」特集番組のタイトルBGMでも『若者のすべて』が使われていた。ようやくこの山梨で、「花火」と「志村正彦」が自然につながるようになったのかもしれない。

 去りゆく今年の夏も、甲斐市立竜王図書館「ROCKな言葉~山梨の風景を編んだ詩人たち~」展、「路地裏の僕たち」主催の『フジファブリック Live at 富士五湖文化センター』上映会(会場・富士吉田市立下吉田第一小学校)などが開催された。志村正彦を偲び、彼の作品を伝えていく試みが継続されている。

 夏の始まりの六月、柴咲コウが歌う『若者のすべて』が私たちに届けられた。柴咲の『若者のすべて』は夏の朝の時間によく合う。さわやかな朝、その透明な歌声が心地よい。暑さがゆるやかに下降する夕方になると、志村正彦の歌う『若者のすべて』がしっくりとくる。彼の声が、それでもまだざわめいているような周囲の空気に溶けこむ。

 2015年の夏はそういうわけで、朝と夕、CDを入れ換えて、『若者のすべて』のオリジナルとカバーを何度も聴いた。声もアレンジも異なるが、それを超えて、『若者のすべて』の言葉そのものは尽きない魅力を持つ。そして、この歌は聴く者の心に言いあらわせない何かを与える。声の波動のようなものとして作用し続ける。

 『若者のすべて』についての単独の論は十五回ほど書いた。前回から一年ぶりになるが、この歌をめぐって再び書きたい。

 前々回、下岡晃・アナログフィッシュの『戦争がおきた』について書いたが、下岡は
「CINRA」掲載の「失う用意はある? アナログフィッシュ インタビュー」[2011/09/05、文:金子厚武  http://www.cinra.net/interview/2011/09/05/000001.php?page=2]で、プロテストソングについて問われ、「俺が聴いてきた洋楽って、R.E.M.でもなんでも、昔からロックって言われるものは社会のことを自然に歌ってるんですよね。」「だから特別なこととは思わないんですけど、日本で音楽をやってると、そういう曲の行き場所ってあんまりないんです。」と述べている。確かに「洋楽」と「邦楽」の間には、そのような距離、乖離がいまだにあることを否めない。

 志村正彦には、プロテストソング、レベル・ミュージックとして明確に位置づけられる作品はない、ととりあえず考えてよいだろうが、それでも、「ロック」音楽家としての彼はこの社会についてどのように考えていたのだろうか。歌い手としてどのように対峙していたのであろうか。

      (この項続く)

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