公演名称

〈太宰治「新樹の言葉」と「走れメロス」 講座・朗読・芝居の会〉

公演概要

日時:2025年11月3日(月、文化の日)開場13:30 開演14:00 終演予定 15:30/会場:こうふ亀屋座 (甲府市丸の内1丁目11-5)/主催:甲府 文と芸の会/料金 無料/要 事前申込/先着90名 *下記の申込フォームからお申し込みください。

公演内容

公演内容:第Ⅰ部 講座・朗読 「新樹の言葉」と「走れメロス」講師 小林一之(文学研究 山梨英和大学特任教授)朗読 エイコ、第Ⅱ部 独り芝居 「走れメロス」俳優 有馬眞胤(劇団四季出身、蜷川幸雄演出作品に20年間参加、一篇の小説を全て覚えて声と身体で演じる)・下座(三味線)エイコ

申込案内

下記の申込フォームから一回につき一名のみお申し込みできます。記入欄に ①名前 ②メールアドレス  ③メッセージ欄に「11月3日公演」と記入して、送信ボタンをクリックしてください。(ご要望やご質問がある方はメッセージ欄にご記入ください) *申し込み後3日以内に受付完了(参加確定)のメールを送信しますので、メールアドレスはお間違いのないようにお願いします。3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください。 *先着90名ですので、ご希望の方はお早めにお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

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2015年9月14日月曜日

「逆らう」ジャケット写真-『若者のすべて』17 [志村正彦LN112]

  前回の問い、志村正彦がこの社会についてどのように考え、対峙していたのかという問いに進むにあたり、『若者のすべて』が収録されたアルバム『TEENAGER』(EMIミュージックジャパン、2008/1/23リリース)のCDジャケットについて言及した箇所から歩み始めたい。

 志村は『東京、音楽、ロックンロール』(志村日記)の「ジャケ深読み」(2008.01.25)で次のように書いている。

 今回のジャケットは上から逆さまに女の子をぶら下げています。実際に撮影現場にも、立ち会いましたが、かなりキツそうでした。頑張ってくれました。お疲れさまです。



『TEENAGER』ジャケット(表面)


 フジファブリックのCDジャケットをふりかえってみよう。
 1st『フジファブリック』は柴宮夏希が描くメンバー5人の画で、輪郭線が溶け出していくような不思議な作だ。2nd『FAB FOX』は題名の「FOX」をモチーフにした写真で、メンバー5人の顔が「FOX」になっている。(これを初めて見たときはGenesisの傑作アルバム『Foxtrot』の絵を思い浮かべた)4th『CHRONICLE』は、子犬が志村正彦の顔に被さるという風変わりな取り合わせの写真が使われている。

 1st,2nd,4thのジャケットは、絵や写真という媒体は異なるが、「顔」の「表情」を隠していることが共通している。志村は写真を撮られるのが嫌いだったそうだが、アルバムのデザインを見る限り、それは確かに肯ける。自分があからさまに被写体となることは避けているかのようだ。「顔」の「正面」を押し出す写真に対して、ある意味では、逆らっている。(この「志村正彦と写真」というテーマは別途論じたい)。

 注目すべきなのは、1st,2nd,4thの三作はメンバー5人にせよ志村1人にせよ、フジファブリックのメンバーを対象としているが、3rd『TEENAGER』は「逆さま」の「女の子」の写真を使っているところだ。この作品は結果として、「TEENAGER」や「若者」を主題とするコンセプトアルバムの性格を帯びたので、ジャケット写真もそれまでとは違うアプローチをしたのだろう。
 「女の子」の「逆さま」の像は、続く「ロック」の定義についての考察の鍵となっている。志村はこう語る。

 で、話は変わり、「ロック」とは何でしょう。まあ、「ロック」という定義の解釈については、奥深さ故、人それぞれ持っているものがあると思います。その解釈はその人にそのまま大切に持っておいて頂きたいと思います。ここではあくまで「僕の主観」による解釈のうちの、ごく一部を書きます。
 「ロック」…何それ。知らない。どーでもいい。から、しょうもないことをつらつら書きます。「ロック」とは、何かを打ち破ろうとする反骨精神、逆らうべきところは逆らうという精神じゃねえのかな~。でもこれ、さんざんみんな言ってるね。だから…分かりやすく例えるならば、PUNKSが頭を逆立てるのはロックなのであり、PUNKなのであります。なぜなら地球の重力に逆らっているから。

 「PUNKS」に続けて、「THE WHO」「DEVO」「ジョン・レノン」「富士山」「東京タワーを造った大工さん」を逆らう「ロック」の例として挙げている。この列挙の仕方がそもそも「ロック」的だ。特に、「富士山もロックだ」という言葉は、ロック的なあまりにロック的な発言だ。富士山についての紋切り型の表現に逆らっている。はるか昔のことになるが、富士山は御坂の山系や箱根の山系に逆らって、垂直に飛び跳ね、空に向かって突き進んだのか。そのようにして今の富士山が出来たのなら、確かにとてつもなく「ロック」だ。
 もう一つ付言するなら、DEVO(ディーヴォ)は、80年前後に活躍したアメリカのバンド。停滞していたロックを突き破ろうとする感覚と可笑しさがあり、当時はよく聴いていた。「DEVO」は「de-evolution」(退化)の意味で、「進化」に対する懐疑や「逆らう」姿勢を見せていた。志村と親交のあった「POLYSICS」の「原点」でもある。

 一連の列挙の最後に「いつかタイムマシンを作った人が現れたら、その人はスーパーロックンローラーだと思う。なんてったって、未だかつて誰も逆らえない時の流れに逆らうんですからねえ」としている。「時の流れ」が出てくるのは志村らしい。「時の流れ」に逆らうのが究極の「ロック」なあり方かもしれない。この後、ジャケット写真の話題に戻り、「逆らっている」姿が再び強調される。

 それをふまえ、今回のジャケットを見てください。中面も見てください。逆らっているでしょう。

 志村正彦は、「逆らうべきところは逆らう」ロックの精神をふまえて、このジャケットを見ることを勧めている。ジャケットの表と裏の写真の違いについても言及し、人間が「表の顔」と「裏の顔」の両方を持ち 、しかも「表裏一体」であることの「リアル」を描いたという意図を伝えている。
 この日の志村日記はとても饒舌で、彼の語り口はとても愉快だ。とにもかくにも、『TEENAGER』のジャケット写真は「逆らう」イメージを具現化したもののようだ。
 

 志村の主張に促されるようにして、「逆らう」というイメージに基づいて、『TEENAGER』の楽曲を聴いてみる。たとえば、作品『若者のすべて』の「世界の約束を知って それなりになって また戻って」という歌詞の一節の「戻って」という言葉については様々な解釈があるのだろうが、「世界の約束」に対して時に「戻って」、「逆らう」若者の日常を歌っていると読みとることもできる。

 「逆らうべきところは逆らう」は、若者のすべての行動の中の一つの重要な行為であるのだから。


 

1 件のコメント:

  1. コメントありがとうございます。
    志村さんの言葉にも、ジャケット写真にも、確かな「ロック」の意志が貫かれていますね。今の時代に失われつつあるものがあります。

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