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2025年5月18日日曜日

映画館というスリップの場、「シアターセントラルBe館」再開、『侍タイムスリッパー』と『知らないカノジョ』。

 志村正彦・フジファブリックの「消えるな太陽」は、「映画の主人公になって/みたいなんて誰もが思うさ/無理なことも承知の上で映画館に足を運ぶ俺」と始まる。志村にとって映画館も太陽、光の場だったのであろう。

 映画の主人公になってみたいなんて、さすがに思うことはないが、映画館に足を運びたいとは思う。でも、私の住む甲府にはもう映画館がない。時々通っていた中心街の映画館「シアターセントラルBe館」は2023年12月から休館になってしまった。非常に残念だった。ここは良質な作品を上映する甲府のミニシアターとも言える場。このblogでも何度も上映作について書いてきた。休館ということだったがそのまま閉館となってしまう恐れもあった。


 ところが、シアターセントラルBe館が5月2日から再開されることになった。とてもとても嬉しかった。地元のメディアでも大きく報道され、山梨日日新聞の記事には「小野社長は「『映画の街』として栄えた市内中心街にある映画館として、長く続けてきた文化のともしびを消したくない。映画館からしばらく疎遠になっている人も、これをきっかけに足を運んでほしい」と語ったとある。この小野社長の心意気が有り難い。

 出井寛『山梨シネマ120年』(山梨ふるさと文庫2019)に山梨の映画館の歴史が詳しく書かれているが、最盛期の昭和30年代前半には甲府市内に十五の映画館があった。伝統的に甲府は興行が盛んな街だった。江戸時代には歌舞伎の芝居小屋があり、大正時代以降は映画館が娯楽の場となった。しかし現在は山梨県内に、この復活したBe館(略してこう呼んでいる)と昭和町のイオンモール内にある「TOHOシネマズ 甲府」というシネコンの二つしかない。富士北麓地方ではかつて富士河口湖町にあったのだが今はもうない。

 早速、妻と二人でBe館に出かけた。先々週は『侍タイムスリッパー』、先週は『知らないカノジョ』と、二週間続けて見た。



  『侍タイムスリッパー』は、幕末の侍が現代の時代劇撮影所にタイムスリップするという荒唐無稽な物語。主役の山口馬木也の姿や立ち居振る舞いが毅然として凜々しいが、ところどころユーモアも醸し出す。安田淳一監督による自主制作映画だが、脚本、俳優、演出、映像のすべてが素晴らしい出来映えだった。タイムトラベルものの定型に陥ることなく、侍という存在、幕末から現代までの時代の変化、そして時代劇そのものについて問いかけるメタ的な視点がある。全国で上映されるようなヒット作となったことも頷ける。

 『知らないカノジョ』の監督三木孝浩は、志村正彦・フジファブリックの「若者のすべて」を重要なモチーフとしたNetflix映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』を監督したということから、この最新作にも興味を持った。主演は中島健人とシンガーソングライターのmilet。この二人が恋愛し結婚するのだが、各々の仕事や立場が逆転した〈もう一つの世界〉に入り込んでしまう。小説と音楽の制作もモチーフになっている。脚本の質がとても高いことに驚いたのだが、日本映画離れをしているなと思って帰宅してから調べてみると、フランス映画『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』のリメイクだということを知ったので別の意味でも驚いた。リメイクであるからにはオリジナルを見てみたい。幸いにして配信サイトにあった。

  いくつかの場面での小さな違いはあるものの基本的なストーリーは同じだった。しかし、決定的な違いがあった。ネタバレになるかもしれないが、少しだけ言及したい。オリジナル版の『ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから』では二つのパラレルワールドが展開するが、リメイク版の『知らないカノジョ』には三つのパラレルワールドが存在する。この第三のパラレルワールドが重要な意味合いを持つ。そしてこの点においてリメイク版はオリジナル版を超えた作品となっている。三木監督や脚本の登米裕一・福谷圭祐の功績になるだろう。



 というわけで、休館時から一年半を経てタイムスリップしたかのように甲府の中心街に再び現れた「シアターセントラルBe館」で、時代のタイムスリップもの『侍タイムスリッパー』とパラレルワールドのスリップもの『知らないカノジョ』の二つの映画を二週の間スリップしながら鑑賞した。


 あらためて気づかされたことがある。映画館そのものがスリップの場である。いつもは自宅のテレビモニターで配信サイトを通して見ているが、やはり日常と地続きの感がある。映画館では外界が遮断され、暗闇に包まれてから、スクリーンという光の場にスリップする。二時間ほどの時間かもしれないがその時間を超えて、日常からもう一つの世界へとスリップできる貴重な経験の場である。


付記:ページビューが50万を超えました。このblogが始まった2012年12月から12年半が経ち、記事の総数は579になります。拙文を読んでいただいている方々に深く感謝を申し上げます。


2025年4月27日日曜日

「消えるな太陽」[志村正彦LN363]

 フジファブリック「消えるな太陽」(詞・曲:志村正彦)は、2003年6月21日発売の2ndミニアルバム『アラモード』に収録されている。僕はまだ聴いたことがないが、富士ファブリック時代のカセットテープにも収録されたヴァージョンもあるそうなので、最も初期の曲であることは間違いない。この曲はメジャーデビュー後に再録音されていないが、2006年5月3日の日比谷野外音楽堂でのライブが収録されたDVD『Live at 日比谷野音』でライブヴァージョンを視聴できる。この映像では志村正彦のブルージーなギターソロが味わえる。 

 ここではYouTubeの「フジファブリック Official Channel」にある音源と歌詞を紹介したい。   




映画の主人公になって
みたいなんて誰もが思うさ
無理なことも承知の上で映画館に足を運ぶ俺
ステレオのヴォリュームを上げて
詩の無いラブソングをかけて
ありったけアドレナリン出して目が覚めるだけ

ああ 欲しいメッセージ 要らないメッセージ
どんなメッセージ 解らない
暗い街にせめてもの光を

レコードの針を持ち上げて ラジオに切り替えたらすぐ
頭にくる女の声で目が覚めるだけ   

ああ 欲しいメッセージ 要らないメッセージ
どんなメッセージ 解らない
暗い街にせめてもの光を

消えるな太陽 沈むな太陽
消えるな太陽 沈むな太陽

ああ 欲しいメッセージ 要らないメッセージ
どんなメッセージ 解らない
暗い街にせめてもの光を

燃え上がれ 燃え上がれ太陽 照らせよ太陽
燃え上がれ太陽 照らせよ太陽 ああ


 〈映画の主人公〉になるという〈無理なこと〉を承知の上で映画館に行く〈俺〉の物語。映画館の暗闇に浮き上がる光の光景を見てから、〈俺〉は家に帰ってくる。閉ざされた部屋のなか〈ステレオのヴォリューム〉を上げ〈詩の無いラブソング〉をかける。そのうちに興奮して目が覚める。〈レコードの針〉を持ち上げて〈ラジオ〉に切り替えると〈頭にくる女の声〉が聞こえてくる。〈俺〉の日常がもたらす苛立ちや焦燥が伝わってくる。〈俺〉の孤独は映画や音楽によっても満たされない。

 〈詩の無いラブソング〉という言葉が気になる。この場合の〈詩〉を〈詞〉〈言葉〉だと捉えてみる。そうすると、言葉のないラブソングということになる。言葉のない、言葉が語られることのない、言葉が聞こえてこない、言葉が伝わってこない、あるいは、言葉が消えてしまっている、そのようなラブソング。

 そのラブソングに不在の言葉とは、続く箇所の〈欲しいメッセージ〉、〈要らないメッセージ〉、〈解らない〉〈メッセージ〉に連鎖していくだろう。〈俺〉は〈詩の無いラブソング〉に不在の〈メッセージ〉、本来はあるべき〈メッセージ〉を追い求めている。その〈メッセージ〉は〈暗い街にせめてもの光〉をもたらすものである。その光とは端的に〈消えるな太陽〉という比喩で指し示されるものだ。


 〈俺〉は〈暗い街〉で音楽の道を歩みはじめている。〈消えるな太陽〉〈沈むな太陽〉〈燃え上がれ太陽〉〈照らせよ太陽〉と連呼される〈太陽〉とは、志村正彦が追い求めている歌そのものの比喩ではないだろうか。〈ああ〉という反復される声がその意志を表している。

 〈消えるな太陽〉というメッセージは次第に〈燃え上がれ太陽〉というメッセージに進んでいく。志村の声もギターも力強くなっていく。自分自身の歩む道を〈照らせよ〉と、太陽に呼びかけている。


 この曲が初期の作品だという前提から少し考えてみたことがある。

 志村は『東京、音楽、ロックンロール 完全版』(2011年)の「生い立ちを語る」で、「茜色の夕日」に関連して、次のように発言している。(402頁上段)

〈サメの歌とかトカゲの歌とか、何が言いたいのかよく分かんないような曲ばっかりだったのが、明確に“キミ”に対しての、明確なメッセージソングっていうのをはじめて作れたので、とても自信につながりました。

 この証言からすると、「消えるな太陽」の歌詞の〈詩の無いラブソング〉、不在の〈メッセージ〉とは、志村が独自の歌を生み出す過程での試行錯誤を表しているとも考えられる。


 志村正彦は、何が言いたいのかよく分からない曲から、ある特定の二人称〈キミ〉を対象にした曲へと転換することによって、〈明確なメッセージソング〉を創り出した。その歌はまた、自らが〈主人公〉になることも意味していた。その意味では志村は自分の作品の主人公になった。

 「茜色の夕日」は、一人称の〈俺〉から二人称の〈キミ〉への〈メッセージ〉を明確に伝える〈詩のあるラブソング〉だった。「消えるな太陽」は、「茜色の夕日」への歩みの軌跡の一つであるのかもしれないが、この歌に込められた〈メッセージ〉を追い求める力によって作品自体が輝いている。


2025年4月20日日曜日

NHK「心をつむぐオルゴール~山梨・盲学校の春~」

 今朝、NHK総合テレビの「Dear にっぽん」というドキュメンタリー番組で「心をつむぐオルゴール~山梨・盲学校の春~」が放送された。

 60年前から、山梨県立盲学校ではオルゴールが卒業生に贈られる。毎年、匿名の女性から卒業生の数を尋ねる電話があり、卒業式の前に学校に配達される。山梨ではローカルニュースでしばしば報道されていたので、このオルゴールのことを知っている方も多い。60年という年月の間続いていることもあり、以前、この贈り主は二代目の方だと新聞に書かれていたと記憶している。おそらく家族の方が引き継がれているのではないだろうか。

 匿名という行為のゆえに、もとより誰かに知られることを目的とはしていない。純粋な贈り物である。今日は全国放送で取り上げられ、広く知られることになっただろう。この事実が視聴者にも贈り物として届けられることになった。このかけがえのない贈り物はそのようにして《心》を贈り続けるのだろう。


 毎年、オルゴールの曲は変わる。三人の方とその家族が番組に登場し、パッヘルベルの「カノン」、「星に願いを」、ビートルズ 「レット・イット・ビー」のメロディが「心をつむぐ」ものとなっていく。盲学校卒業後の人生とオルゴールの曲が織りなされるように時が流れてゆく。

 番組のHPでは「女性は盲学校の生徒たちを思い、その気持を受け取った生徒たちもまた女性のことを思う心の交流が広がっています。「人を思いやる優しさ」や「人が人を思う尊さ」・・・大切な気持ちに気づかされます」とある。確かにその通りの内容なのだが、「優しさ」「尊さ」という言葉では言い表せないほど、心に深く深く迫るものがあった。


 再放送が4月24日(木) 午前1:25〜午前1:51にある。インターネットのNHKプラスでは、4月27日(日)午前8:49 まで配信される。 ぜひご覧になっていただきたい。


 我が家はこの盲学校の近くにある。この盲学校の隣には山梨ライトハウスや青い鳥支援センターという支援団体もある。高校生のときに自転車での通学途中で、バス停で白杖をついた男性をよく見かけた。その方の姿が強く印象に残っていた。

 やがてかなりの年月を経てから再びそのバス停の前を車で通勤するようになって、あるとき、その男性の姿を再び見かけた。髪の毛には白いものが混じっていた。白い盲導犬を伴っていた。

 元気でいらっしゃるのだ。そう心の中でつぶやいた。高校生のときからは二十数年くらいの時が経っていた。とても嬉しかった。そして懐かしいような気持ちにも包まれた。

 以前勤めていた高校では毎年、この盲学校と隣にある山梨県立甲府支援学校との交流会を行っていたので、生徒を引率して訪ねて交流したこともある。盲学校と支援学校の生徒が高校の学園祭に遊びに来ることもあった。そういう経験もあり、この二つの学校には親しみがある。

 このオルゴールの贈り物には、人の人生に寄り添い、さりげなく、ときには強く支える音楽の力を感じる。


2025年3月31日月曜日

春雨の中や雪おく甲斐の山 芥川龍之介

 この三月は、寒さが戻ったり逆に急に暑くなったり、強い風が吹いたり雪が降ったりと、天候が目まぐるしく変化した。

 一昨日は朝から冷たい雨が降っていた。午後になると雨が上がり、視界を遮るものが取れて、甲府盆地の周囲が次第に見渡せるようになった。

 春の季節に雨が降ると思い出す俳句がある。題名に挙げた芥川龍之介の句である。芥川龍之介が山梨の俳人飯田蛇笏に贈ったものだ。


 龍之介は「ホトトギス」大正7年8月号の雑詠欄に「我鬼」の俳号で「鍼條に似て蝶の舌暑さかな」他一句を投句した。蛇笏は「我鬼」の「鍼條に」句を「雲母」大正8年7月号で「無名の俳人によって力作さるる逸品」と高く評価した。このとき蛇笏は「我鬼」が龍之介だということを知らなかったが、しばらくして気づくことになる。

 この四年後、「雲母」大正12年10月号と11月号で、蛇笏は「芥川龍之介氏の俳句」と題して龍之介の俳句を論じた。これを読んだ龍之介は大正12年11月9日に御礼の手紙を書き、蛇笏の影響で作った句があることを告げた。手紙の往来や書籍や雑誌の寄贈を通じてではあるが、この時から二人の交流が始まる。龍之介は「雲母」大正13年3月号に「蛇笏君と僕と」を寄稿し、「これは僕の近作である。次手を以て甲斐の国にゐる蛇笏に献上したい」として、この「春雨の」句を披露している。


 「春雨」は冬から春へと移り変わる時期に降る霧雨である。春が近づいても山梨の高峰には雪が残っている。春雨が煙るように降る中、視線を遠くへと放てば、残雪が置かれる「甲斐の山」が見えてくる。

 甲府盆地の周囲には、東に大菩薩嶺などの甲州アルプス、西に甲斐駒ヶ岳、白根三山・南アルプス連峰、南に富士山・御坂山系、北に八ヶ岳・奥秩父山塊というように、二千から三千メートル級の高峰が連山のように連なっている。

 飯田蛇笏には中学や高校の教科書にも掲載される名句がある。龍之介も高く評価していた。

   芋の露連山影を正しうす  蛇笏

 甲府盆地に住む私たちにとって、この「連山の影」は馴染みの風景である。四方を見渡せば連山に囲まれている自分と対話することになる。残雪が溶けていくと、春そして夏が訪れる。

 この「春雨の」句は、龍之介が蛇笏への献上の句だと述べているとおり、蛇笏に対する敬意が込められた挨拶の句であるとひとまず理解できる。しかし、この句は単なる挨拶、儀礼にとどまらず、龍之介の甲斐の山々への親しみの想いが込められているのではないか。


 明治41年の7月、龍之介16歳。東京府立第三中学校の四年生だった。親友西川英次郎と二人で東京を出発。日向和田までは汽車、そこからは歩いて氷川、丹波山、塩山へ行き、塩山駅で汽車に乗り甲府へ向かい、昇仙峡へは再び徒歩で旅した。この旅の日誌には塩山で見た山梨の風景がこう書かれている。

 紫に煙つた甲斐の山々 殘照の空 鉛紫の橫雲。それも程なくうつろつて 終には野もくれ山もくれ 暮色は暗く林から林へ渡つて 空はまるで限りのない藍色の海の樣。涼しい星の姿が所々に見えて いつか人家の障子には 燈が紅くともる樣になつた。

 龍之介の眼差しは、「紫」「殘照」「鉛紫」「暮色」「藍色」「紅」と、「甲斐の山々」の風景、空や雲の色や光の微妙な変化を追っている。東京では見ることのできない景観に感銘を受けたのだろう。俳句につながる可能性を秘めた表現でもある。

 明治43年10月、龍之介18歳。第一高等学校の行事で甲府に二泊し、笛吹川まで行軍演習を行う。その際に友人に送った手紙には「甲州葡萄の食ひあきを致し候 あの濃き紫に白き粉をふける色と甘き汁の滴りとは僕をして大に甲斐を愛せしめ候」とある。

 明治45年4月、龍之介20歳。富士裾野を巡る旅では「今日朝八時東京発大月下車七里の道を下吉田に参り候 空晴れて不二の雪さはやかに白く」という文面の葉書を友人に送る。四月初めだから富士山の残雪が白く輝いていたことだろう。

 大正12年の8月、長坂町で開催された夏季大学では「人生と文芸」という題の講義を行った。その合間に、八ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、南アルプスの山々を眺めたことだろう。

 芥川龍之介は数回にわたる旅で奥秩父山塊、南アルプス、八ヶ岳、富士山などの山々を実際に見ている。その経験を日誌や書簡に書き残している。甲斐の山の情景は生き生きと記憶に刻まれることになった。

 蛇笏は明示18(1985)年生まれ、龍之介は明治25(1992)年生まれ。七歳ほどの違いがあるが、俳句そして「甲斐の山」の風景を通して、この二人の間には深い心の交流があった。


   春雨の中や雪おく甲斐の山  龍之介

 残雪を置く峻厳な高峰には、第一に、孤高の存在としての飯田蛇笏が重ね合わされているだろう。第二に、龍之介が実際に見て感銘を受けた甲斐の山々の残像が投映されている。

 織物、ファブリックに喩えると、孤高の存在の蛇笏という縦糸と甲斐の高峰の残像という緯糸の二つが、この龍之介の一句に見事に織り込まれている。


2025年2月28日金曜日

2025年2月28日 [志村正彦LN362]

  現在のフジファブリックはこの2月末で活動を休止する。モバイルサイト「FAB CHANNEL」は今日で終了なので、2025年2月28日が活動休止の正式な日となるのだろう。

 この活動休止を受けて、このところ、NHKのラジオ番組や地元新聞などで、フジファブリックが話題となることがいくつかあった。このブログの目的の一つは志村正彦・フジファブリックに関する記事や出来事を記録しておくことにあるので、これらの話題について記しておきたい。


 2月16日、「サカナクション・山口一郎〜Night Fishing Radio〜」という番組で、フジファブリック「FAB FOX」が取り上げられた。僕はこの番組を聞き逃してしまったので、番組WEBの説明を引用したい。

ミュージック・マスターピース~その時名盤は生まれた~ 【今回の名盤】フジファブリック「FAB FOX」 【リポーター】川床明日香
毎回1枚の名盤にフォーカスしてお送りする特集企画。今回は、この2月で活動を休止する日本のバンド、フジファブリックの「FAB FOX」を特集。2005年にリリースされ、「銀河」「虹」「茜色の夕日」など、初期の代表曲を収めた、多彩な魅力に満ちたこの傑作を深掘りします。番組後半ではおなじみ、DJで音楽ライターの佐藤吉春さんが、最新のダンスミュージックを紹介してくれます!

 山口一郎はアマチュア時代にフジファブリックのライブを見て、特に志村正彦へのあこがれを抱いていた。以前「銀河」について「歌詞は超秀逸だし、メロディもすごいし展開もすごいね」と語ったこともある。この番組では何を話したのという興味がある。(ネットのどこかにその内容が記されてないだろうか)


 2月18日、NHKラジオの「マイ・フェイバリット・アルバム」という番組で、詩羽(水曜日のカンパネラ)がアルバム『CHRONICLE』の曲について語った。こちらの方はネットラジオ「らじる☆らじる」で聴くことができた。「バウムクーヘン」「Sugar!!」「タイムマシン」などが放送された。やはり、歌詞の世界に強く惹かれてきたようだ。


 少し遡るが、2月2日、「弁護士ドットコムニュース」で、「2月活動休止「フジファブリック」、弁護士になった初期メンバーの感謝「皆さんがいたから今の正彦もある」という題で、富士ファブリックのメンバーだった小俣梓司さんのインタビュー記事が載せられた。「普通のどこにでもいそうな男子高校生がすげえ頑張った。普通の大学生が楽しむ時間をすべてストイックに音楽に打ち込んだ。努力がすごかったんです。…」「素朴なところとか不器用なところとか普通なところとか、シャイですけど友だちへの思いやりがあるところとか。正彦のそういうところが好きです。…」など志村正彦に関する興味深い指摘が幾つもあるのだが、最後に「…富士ファブリックは、ぼんやりとした友情の結合体のようなもので、そのうち正彦はプロに、私は弁護士、へいちゃんは『いつもの丘』の神社の神主さんになって、たかさんは地元で楽しくやっていて、富士吉田に帰るといつも温かく迎え入れてくれる。ある意味、自分たちの富士ファブリックは今も続いている感じです」と語っているのがとても印象に残った。


 2月25日、山梨日日新聞に「フジファブ休止…でも「正彦の歌はこれからも」」という記事が掲載された。冒頭に、志村さんの思いや生きた証を届けようと活動している地元の同級生らは「正彦の歌や歌に乗せた思いは、これからもずっと残り続ける」と一つの節目に改めて感じている、とあり、同級生の奥脇一寛さんは「音楽で飯を食うなんて現実的ではない」と遠巻きに志村を見ていたが、ミスチルの桜井和寿が「若者のすべて」をカバーするなど「本当に肩を並べるようになって、心が震えた」と話し、篠原務さんは「(志村さんが)高校時代の同級生と組んでいた『富士ファブリック』が、自分にとってのフジファブリック」と言う、と書かれていた。

 志村の同級生たちにとっての「フジファブリック」は、いつまでもどこまでも、「富士ファブリック」なのであろう。


 オリジナルの富士ファブリック、インディーズのフジファブリック、メジャーのフジファブリックと三つのフジファブリックがあった。実際には、メジャーのフジファブリックは志村の死去によって二つのフジファブリックに別れている。だから、四つのフジファブリックがあったのだが、2004年から2009年までの志村がフロントマンだったメジャー時代が活動の頂点であったことはいうまでもない。今日、その二十五年に及ぶバンドの歴史が、「活動休止」という形で区切りというよりも実質的に終わりを迎えることになる。


 毎年2月になると、ある歌のことが思い浮かぶ。志村正彦作詞・作曲の『ルーティーン』だ。2009年2月6日、スウェーデンのストックホルムで録音された。偶然だろうが、NHKホールのライブも2月6日に開催された。十六年の時が流れたことになる。


 志村は「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記」(『CHRONICLE』付属DVD)で「最後にちょっとセンチメンタルな曲を一発録りでもう、多分歌も一緒にやるか、まあでもマイクの都合でできないかな、もうみんなで一斉にやって『終了』って感じにしたくて」と話して、「一発録り」で収録した。志村のヴォーカルとギター、山内総一郎のギター、金澤ダイスケのアコーディオンの演奏が撮影された貴重な映像だ。ネットにあるものを添付させていただく。



 志村はこの曲について「OKMusic」というサイトで次のように語っている。

日本でデモは作ってたんですけど、この曲だけ歌詞は向こうで書いたんです。向こうの空気を吸って書いてみると、新しい何かなるんじゃないかなって。でも、「ルーティーン」の曲名に連想されるように、どこにいても自分は変わらないというか、結局やることは一緒で、自分は自分なんだなってことに気付きました。そういうものが歌詞にも表れたんじゃないですかね。

  この曲は結果として、志村自身がスタジオで録音し完成した最後の作品となった。「どこにいても自分は変わらない」「自分は自分なんだな」、そのような自分自身がルーティーンとなる。日々を過ごしていく。そして歌を生み出していく。


 「ルーティーン」の歌詞には「日が沈み 朝が来て/昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」とある。

 今、志村正彦・フジファブリックの歌が、聴き手にとって大切なルーティーンとなっている。


 日が沈み、朝が来る。

 昨日も、明日も、明後日も、明々後日も、ずっと、愛されていくだろう。



2025年2月23日日曜日

解放のベクトルの差異

 2月6日のフジファブリックNHKホールライブのアーカイブ配信を何度か視聴しているうちに、2014年11月の武道館ライブのことを思いだした。

 志村正彦の音源の声による「茜色の夕日」と山内総一郎の声による「若者のすべて」に続いて、山内が作詞した「卒業」が歌われた。「卒業」はアルバム『LIFE』の15曲目、最後の曲であり、この歌を逆回転させて作られたのが1曲目「リバース」、再生という意味を持つ曲である。『LIFE』というアルバム全体が〈生〉〈再生〉というメッセージを持つ。

  「卒業」の作詞・作曲者は山内総一郎。歌詞の全文を引用する。


扉風ふわり立つ ぼくらの体を包み込む
沢山の思い出はこっそり鞄に詰め込んだから

ゆらゆらゆらり滲んで見えてる空は薄化粧
それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう

さなぎには触れるなよ もうすぐ羽ばたく時が来て
殻の中もがいてる心を大きく解き放つでしょう

静かな丘に登れば 出て来た街を見渡そう
暗い夜道に迷えば 思い出し灯火燃やそう

春の中ぽつり降る ぼくらの足跡消して行く
悲しみは 悲しみはこのまま雨と流れて行けよ


 『卒業』の歌の主体〈ぼくら〉は、山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一を指しているだろう。〈ぼくら〉は〈沢山の思い出〉を鞄に詰め込み、〈それぞれ道を歩けばいつかまた会えるだろう〉と自らに言い聞かせる。その再会の相手は、意識としても無意識としても、志村正彦その人だと解釈できるかもしれない。

 〈さなぎ〉は、〈ぼくら〉の〈殻〉の中でもがいている〈心〉の象徴である。その〈さなぎ〉に〈触れるなよ〉と強く禁じているのは、もうすぐ〈羽ばたく時〉、〈心〉を〈大きく解き放つ〉卒業の時が訪れるからだろう。そのことを〈ぼくら〉は望んでいる。

 〈静かな丘〉〈出て来た街〉〈暗い夜道〉〈灯火〉〈春の中〉。これらの情景や季節には、志村正彦の故郷富士吉田の風景と歌詞の世界が反映されているように感じる。しかし、〈雨〉が〈ぼくらの足跡〉を〈消して行く〉。その〈悲しみ〉に対して、〈このまま雨と流れて行けよ〉と命じている。

 〈僕ら〉の〈心〉を解き放つこと、〈僕ら〉の〈悲しみ〉を消していくこと。この二つの心の在り方が「卒業」では歌われている。2014年という時点であらためて、山内・加藤・金澤の三人によるフジファブリックの誕生を宣言している。


  2月6日のNHKホールでのライブでは、2024年2月リリースの12枚目のアルバム『PORTRAIT』収録の「KARAKURI」が演奏された。「KARAKURI」の作詞は加藤慎一、作曲は山内総一郎。歌詞の全文を引用する。

えー皆様これからお見せしますのは 世にも
珍しくってこんな様子だって何にもない 策謀
お目が高いね おさわりはダメね
お会計はこちらね 後悔させないからね それでは 始めよう

軽快に太鼓鳴って稀有なタップ踏んでみな 渇望
外連味だってそうさ性に合って造作もない されど
限界なんて超えて 衝動をたぎらせろ
他で得られんぜ ここまで来たら

真っ赤かにと燃えて
真っ赤かにと染めた
真っ赤かにと燃えて
どんな遠慮なんてせんぞ何も

ただ僕は祈ってる解放の時は来ると言ってくれ
出してくれ籠から食い破れば鳥のように飛びたって

どれだけ島越えて彼の地を目指すんだ
逢いたい者皆 そう宝
三年待った石の上望めば修羅になれ
殺気立った牙を剥け それから

さらけ出せよ どこまでも
やり場ないこの 怒りをさ
再会の日 待ち侘びて
すがり付いても 祈ろう祈ろう
神よ仏よ

いや 本当ならばsave/load
傀儡らしく怠惰遂げろよ
土竜のように咽び泣いて
相対そうね哀を止めなよ
神楽模して眺めたいぜ

えー皆様これからお見せしますのは 世にも

大体奴ら籠の中
もしや己も籠の中


 加藤らしい奇想天外な歌詞の世界。まさしく〈KARAKURI〉のように言葉が乱雑に組み合わされているので、この歌詞を読み解くのは難しい。

 ただし、〈僕〉が〈籠〉からの〈解放〉の時が来ることを、〈籠〉から〈鳥〉のように飛びたつことを祈っていることは確かだろう。そして、〈彼の地〉を目指し、〈再会〉の日を待ち侘びている。

 〈すがり付いても 祈ろう祈ろう〉は、歌詞の主体の真正な祈りだろうが、その反面、この祈り自体が〈KARAKURI〉のように作られた見世物の〈籠〉の中の出来事かもしれない、という懐疑もある。〈奴ら〉も〈己〉も所詮は〈籠〉の中にいるのかもしれない、という醒めた認識もある。

 あるいは、この〈籠〉は、現在のフジファブリックそのものを表しているのかもしれない。『PORTRAIT』というアルバムタイトルは肖像画、それもセルフポートレート、自画像という意味を伝えているのだろう。


 2014年リリースの山内作詞「卒業」と2024年リリースの加藤作詞「KARAKURI」。作詞者も楽曲の雰囲気も異なるが、〈解き放つ〉と〈解放〉という共通するモチーフがある。

 山内・加藤・金澤の三人によるフジファブリックが、志村正彦を失った後に、意識的無意識的に自らに問い続けてきたのは、この解放というモチーフだろう。その解放は、志村正彦への解放と志村正彦からの解放という相反する方向性を持っていたと考えられる。

 志村正彦への解放とは、志村が創造したフジファブリックの世界を再解釈することにによって新たに構築していくことである。志村の世界へと深く入り込むことが、逆説的だが、山内・加藤・金澤の三人の世界を見つけ出すことにつながる。

 これに対して、志村正彦からの解放は、文字通り、志村の世界から解き放たれることである。この方向を進んでいけば、志村が創ったフジファブリックの世界と次第に遠く離れていくことになる。


 志村正彦への解放と志村正彦からの解放では、そのベクトルの方向がまったく異なる。2010年から2025年までの時の流れの中で、山内・加藤・金澤の三人のフジファブリックがどのような解放のベクトルを描いたのかは、聴き手の一人ひとりが判断することだろう。

 金澤の脱退とフジファブリックの活動休止という選択は、この解放のベクトルに対する考え方の差異から生じたのではないかと、僕自身は推測している。 


2025年2月7日金曜日

2025.2.6 「フジファブリック LIVE at NHKホール」オンライン生配信

 昨夜、「フジファブリック LIVE at NHKホール」のオンライン生配信を視聴した。活動休止前の最終公演だった。


 我が家の場合、オンライン配信では中程度の大きさのモニター画面を「見る」そして小さなスピーカーからの音を「聞く」ことになる。会場での体験と違って、ホールの雰囲気も人の熱気も、何よりも音の圧力も振動も伝わらない。当然ではあるが、配信のためにミックスされた画像や音声を受けとめるだけである。ライブの様子を「眺める」ような視線になってしまう。やはり、どうにもならない一種の隔たりがある。どこか一歩引かざるをえないような、客観的ともいえる眼差しからメンバーの様子を追いかけることになった。

 この日の山内総一郎は、どこか疲れているというか体調があまり良くないように見うけられた。あるいは、活動休止時前の最後のライブという重圧や緊張のせいだろうか。ところどころ、歌の音程や声の強弱がやや不安定になっていた(あくまでも僕の受け止め方だが)。ときどきクローズアップされる映像からは、金澤ダイスケと加藤慎一も山内の調子を気にしているような感じがあった。そのことを心配した。オンライン生配信ゆえの感覚かもしれないが、実際はどうだったのだろう。


 それでも時間が経つにつれて、演奏に力が入ってきた。特に、「KARAKURI」「Water Lily Flower」「ブルー」と続いた三曲の流れは、山内・金澤・加藤によるフジファブリックの達成を明確に伝えていた。

 明るい叙情性を持つ山内の詞と奇想天外な加藤の詞という二つの歌詞世界。イントロは抑え気味にしながら、次第に、転調や変拍子を加えながら煌びやかで重厚なリフで楽曲を盛り上げ、それに合わせるようにして山内の声が広がり、ときにコーラスが響いていく。簡潔に記すとこうなるだろうか。現在の日本語ロックのシーンのなかでは、質の高い優れたサウンドを作り上げてきたバンドであることは間違いない。

 演奏では「ブルー」のギター・ソロが圧巻だった。ギタリスト山内総一郎の技術やセンスが発揮されていた。ギタリストとしての彼の力が再認識できたことはこのライブの収穫だろう。金澤ダイスケの多彩で繊細なキーボード、加藤慎一の柔軟で抑制されたベースも光っていた。サポートの伊藤大地のドラムと朝倉真司のパーカッションも力強くリズムを敲きだしていた。このようなフリースタイルのプログレッシブ・ロックを、今、この日本で聴けたこと自体が大きな驚きだった。

 全23曲、3時間近くをかけた、現在のフジファブリックの集大成ライブだった。


 最後に、フジファブリックに関わった「すべての人」に対する感謝、「ありがとう」の言葉が伝えられたことは心に残った。ただし、オリジナルの富士ファブリック、インディーズ時代のフジファブリックの存在への言及が全くないことには違和感を覚えた。彼らを含めてのフジファブリックの歴史である。メジャー初期のオリジナルメンバーであった足立房文の名が呼ばれることもなかった。「すべての人」のなかに含まれているという理由からなのだろうか。

 活動休止ということだが、サウンド面の中心を担ってきた金澤ダイスケが今月末で脱退するので、実質的には解散あるいはそれに近いものだと考えられる。最後の彼らの表情は、フジファブリックがその円環を閉じるというこの選択を、寂しさや哀しさと共に、静かに穏やかに受けとめているように見えた。


 本編からアンコールまですべての曲が2010年以降の作品であった。つまり、志村正彦の作品は演奏されなかったことになるが、これは事前に予想したとおりだった。昨年8月の〈フジファブリック 20th anniversary SPECIAL LIVE at TOKYO GARDEN THEATER 2024「THE BEST MOMENT」〉での志村曲を映像と共に演奏するという特別な演出によって、志村への感謝とリスペクトを表現したからだろう。

 昨夜のライブは、「フジファブリック LIVE at NHKホール」というタイトルであり、20周年記念のなかには位置づけられてなかった。活動休止前の最後という点も特別に強調されてはいなかった。おそらく、この規模のホールでのワンマンライブで2010年以降の楽曲だけが演奏されることはこれまでなかったと思われる。


 つまり、2025年2月6日のライブは、山内・金澤・加藤によるフジファブリックの作品のみで構成された、最初で最後のコンサートホールライブだった。

 志村曲を演奏しなかったこの判断は尊重されるべきだろう。同時にそのことは、2010年以降に彼らの歩んだ道が、様々な評価を伴うような困難な軌跡を描いたことも表している。



2025年2月2日日曜日

oppeke⇒notteke⇒otteke を「追ってけ追ってけ」[志村正彦LN361]

  志村正彦の歌詞には、〈音〉の効果を活かした言葉、擬態語、擬声語、オノマトペ的な言葉が少なくない。おそらく、意味にならない言葉を追い求めていくことが彼の歌詞作りの原点だったのではないか。

 「追ってけ追ってけ」の〈追ってけ追ってけ追ってけよ/ほら手と手 手と手〉を聴くと、アストロノウツ「太陽の彼方に」の日本語カバー曲の〈乗ってけ乗ってけ乗ってけサーフィン/波に波に波に乗れ乗れ〉〈notteke notteke notteke/namini namini namini nore nore〉というフレーズを思いだす人も少なくないだろう。

  アメリカのバンド、アストロノウツのインストゥルメンタル曲「太陽の彼方に」にタカオカンベによる日本語歌詞を載せたカバー曲「太陽の彼方に」は、1964年、藤本好一・寺内タケシとブルージーンズによるシングルが最初にリリースされたが、僕等の世代にとっては1972年のゴールデン・ハーフの「ゴールデン・ハーフの太陽の彼方」が印象に残る。その音源と歌詞を引きたい。

 


 乗ってけ 乗ってけ 乗ってけ サーフィン
 波に 波に 波に 乗れ乗れ
 揺れて 揺られて 夢の小舟は
 太陽の彼方

 60年代のエレキサウンドに合わせた譜割りの歌詞が心地よいリズムを奏でる。今この曲を聴くと、あのPUFFYのサウンドの原型がここにあるのではないかとも思ってしまう。


 もっと時代を遡ると、ある曲のフレーズが浮かんでくる。「オッペケペー節」の〈オッペケペー オッペケペ/オッペケペッポーペッポッポー〉だ。

 「オッペケペー節」は明治時代の流行歌。川上音二郎が「オッペケペー節」(三代目桂藤兵衛作)を寄席で歌い、大評判となり、1900年に欧米に行った際にイギリスのグラモフォン・レコードで録音し、SP盤を発売した。これが日本人初のレコード録音だったとされている。また、そのリズミカルで奔放な歌詞から、日本語ラップの最初の歌とも言われている。歌詞を読むと、明治時代の社会や政治に対する皮肉や批判が込められている。

 youtubeにはオリジナル録音からカバーヴァージョンまでいろいろな音源があるので聴いてみるとよいだろう。あるヴァージョンの歌詞にはこうある。〈心に自由の種をまけ〉というところは、きわめてロック的でもある。

 貴女に紳士の出で立ちで 上辺の飾りはよけれども
 政治の思想が欠乏だ 天地の真理がわからない
 心に自由の種をまけ
 オッペケペー オッペケペッポーペッポッポー

 

 「追ってけ追ってけ」は〈otteke otteke ottekeyo/hora tetote tetote〉。「オッペケペー節」は〈oppekepe oppekepe/oppekepeppo peppoppo〉。《oppeke⇒otteke》《peppoppo⇒tetote》というあたりに、僕は音の響きやリズムの対応関係を感じてしまう。

 志村が「オッペケペー節」の〈otteke otteke〉や「太陽の彼方に」の〈notteke notteke〉のフレーズを意識して作詞作曲したのではないだろうが、どこか無意識の領域で影響を受けている可能性がないとはいえない。〈音〉の反復フレーズの作用は強く、印象深い言葉のシニフィアンは連鎖するからだ。

 そうは言っても、「追ってけ追ってけ」には、「オッペケペー節」の社会への痛烈な批判が込められた自由で愉快な世界や「太陽の彼方に」のどこまでも明るく突き抜けたような夢の世界の感触はない。やりきれない閉ざされた世界から飛び出したいという鬱屈した願望が伝わってくる。

 志村正彦的なあまりに志村正彦的な世界である。

2025年1月25日土曜日

「追ってけ追ってけ」の追跡 [志村正彦LN360]

 2025年になり、新年あらたまってというわけでもないが、今年は原則として時間軸にそって志村正彦・フジファブリックの作品を追っていこうと思う。

 今日は2003年6月リリースのインディーズ2枚目ミニアルバム『アラモード』収録の「追ってけ追ってけ」。翌年のメジャー1枚目アルバム『フジファブリック』で再録音された。

 普段は歌詞カードを見ながら楽曲を聴き、とりあえず思いついたことを書き始める。当然ではあるが最初から言葉が頭に入ってくる。今回はなんとなく音源だけを聴くことにした。

 フジファブリックの公式YouTubeから音源を引いてみる。

  追ってけ追ってけ · FUJIFABRIC (作詞作曲:志村正彦)



 ギター、ベース、ドラムのうねるようなリズムに乗って、ドアーズを彷彿とさせるようなオルガンの音がのびやかに広がっていく。どこかに連れて行かれそうなグルーブの感覚、一種の浮遊感がある。

 イントロに続いて、志村の歌が聞こえてくる。

merameramoeru aitenomemiru to
sugunisorasi tesimattanodatta
muzugayuine mizunomihosityatte

 第1ブロックでは《m》の音が《r》の音と絡まりながら反復し、そのうちに《s》音や《t》音も重なっていく。音が言葉を句切って意味を成していくというよりも、そのまま拡散していく。音のつぶつぶが浮遊していくような奇妙な感覚に襲われる。

 歌詞カードを読むと、聞こえてきた音の群れは次のような言葉を作り出している。第1ブロックでは特に、言葉の句切り方と歌い方とのあいだにズレが起きている。意図的なものだろうが、言葉の音そのものが強調される効果がある。

めらめら燃える相手の目見ると
すぐにそらしてしまったのだった
むずがゆいね 水飲み干しちゃって

 歌の主体は〈相手〉の〈目〉をそらして、水を飲み干す。〈むずがゆいね〉という身体的感覚は、〈めらめら燃える〉相手の視線に対するものだろうか。


 第2ブロックでは《k》音が《r》音と絡まるが、《m》音も引き続き繰り返される。

kirakirahikaru mehosometemiru
maegaminokage tyottodakemieru
modokasiine jamanamonowatotte

きらきら光る 目細めて見る
前髪の影 ちょっとだけ見える
もどかしいね 邪魔な物は取って

 相手の目が〈きらきら光る〉のだろうか。歌の主体は〈目を細めて〉それを見る。〈前髪の影〉が少しだけ見える。〈きらきら〉の光をさえぎる影がもどかしくて邪魔だ。取り払ってほしい。


 この後でサビの〈追ってけ追ってけ追ってけよ/ほら手と手 手と手〉をはさんで、第三ブロックが登場する。《y》音が《r》音と絡まってゆく。続いて《k》音が目立つようになる。

yurayurayureru tabakonokemuri
damattahutari kissatennosumikko
tobidasunowa zikannomondaisa

ゆらゆら揺れる煙草のけむり     
黙った二人 喫茶店の隅っこ
飛び出すのは 時間の問題さ

 歌の主体と〈相手〉の二人は黙ったままで〈喫茶店〉にいる。〈煙草〉をくゆらせているのか、周りにその〈けむり〉が立ちこめているのかは分からないが、この喫茶店の空間は濃密のようだ。


 志村正彦は『FAB BOOK』のインタビューでこの曲について、「カフェミュージック的なものをつくろうとして、うまくできなくて(笑)。で、つくった曲」と述べている。

 〈カフェミュージック〉の〈カフェ〉の痕跡が〈喫茶店〉だ。つまり、〈カフェミュージック〉が上手くできなくて、代わりに作られたのがこの 「追ってけ追ってけ」、昭和風の〈喫茶店〉を舞台とする音楽なのだろう。

 おそらく二人のうちの一人が(あるいは二人かもしれないが)、喫茶店の場から〈飛び出す〉のは〈時間の問題〉だとされるが、歌詞は断片的であり、不確かな物語しか浮かび上がらない。二人のあいだにいったい何が起きたのか。

 この歌の世界は、めらめら燃え、きらきら光り、ゆらゆら揺れている。擬態語、オノマトペが繰り返し使われる。《m》《k》《t》音が《r》の音と絡まって編み出されてゆく〈めらめら〉〈きらきら〉〈ゆらゆら〉が意味にならない想いを表出し、最終的に〈喫茶店〉から〈飛び出す〉という衝動を生み出していく。志村は物語を描くのではなく、物語を生み出しそうな衝動を音そのもの、音のシニフィアンで伝えようとしたのではないか。


 サビのブロックは何度も繰り返される。

otteke otteke ottekeyo
hora tetote tetote

追ってけ追ってけ追ってけよ
ほら手と手 手と手

 《o》の音がキーになって繰り返される。聴き手の感覚として、〈teke〉〈teke〉〈teke〉、〈teto〉〈tote〉という音の組み合せが、芦原すなおの小説 『青春デンデケデケデケ』の題名のように、ベンチャーズのトレモロ・グリッサンド奏法のオノマトペを想起させる。

 〈追ってけ〉は、二人のどちらかがどちらかを追っていき、〈手と手〉を合わせようと物語を描こうとしているのだろうが、そのような物語的解釈ではなく、案外、左の手と右の手によってギターを弾き、楽曲の旋律を追っていくこと、つまりこの曲の演奏自体を表しているのかもしれない。そう考える誘惑に駆られてしまう。


 この不可思議な歌は、物語を超えた遊びを〈追ってけ追ってけ追ってけ〉と追跡している。

  (この項つづく)