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2025年7月20日日曜日

「若者のすべて」のチャイムと小川洋子『サイレントシンガー』の冒頭シーン[志村正彦LN366]

 今年も、志村正彦の誕生日をはさむ7月7日から13日まで、富士吉田の防災行政無線の夕方6時のチャイムが志村作詞・作曲のフジファブリック「若者のすべて」に変更され、その音が市内に響いた。

 その映像がYouTubeで流されたり、SNSで語られたりした。夏7月の「若者のすべて」と冬12月の「茜色の夕日」は富士吉田の風物詩とも言えるチャイムとなっている。7月と12月をあわせて、今回で28回目を迎えるという。


 6月30日、小川洋子の『サイレントシンガー』(文藝春秋)が刊行された。六年ぶりの原稿用紙400枚の長篇小説。早速手に入れて、一日かけてゆっくりと読んでいった。




 冒頭のシーンを読んでいくうちに、志村正彦のチャイムのことが浮かんできた。長くなるが引用したい。(ちなみに、この箇所を含む部分が発行元の「試し読み」に掲載されている)   


 毎日、夕方の五時になると、町役場から流れる『家路』が、山の中腹に広がるE-5地区にまで聞こえてくる。

響きわたる  鐘の音に
小屋に帰る  羊たち

 歌声は、麓を伝い、稜線を越え、森を抜けてくる間に、遠のいたり渦を巻いたり途切れ途切れになったりする。それでも、歌っているのは小さな女の子だ、というのは分かる。

夕日落ちた  ふるさとの
道に立てば  なつかしく

 一音一音、何の迷いもなく、のびやかに空中に広がってゆく。目を見開き、両手を脇にぴたりとつけ、爪の先まで真っすぐにのばして歌っている姿が、目に浮かんでくる。

ひとつひとつ 思い出の
草よ花よ 過ぎし日よ
過ぎし日よ

 まだ十分な厚みを持っていない舌のせいで、言葉の端々にあどけなさが漂っている。きっと、過ぎし日、などという言葉の意味も知らないに違いない。


 「若者のすべて」の歌詞を知るものなら誰でも、冒頭の一行から「夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて」という一節を想い出すのではないだろうか。

 ある町に夕方五時に流れる「家路」は、ドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」第2楽章のメロディに弟子の音楽家ウィリアム・フィッシャーが歌詞を付けた「Goin' Home」を、文学者・作詞家の野上彰が翻訳したものである。この曲の歌詞では、堀内敬三「遠き山に日は落ちて」の方が親しまれているが、他のヴァージョンもたくさんあり、宮沢賢治の歌曲「種山ヶ原」はその最も初期のもののようだ。

 この小説では「家路」は町役場が録音したテープで流されている。富士吉田の「若者のすべて」も、期間は限定されているが、市役所の無線のチャイムとして放送されている。「家路」も「若者のすべて」も、その町その市の人々に親しまれている。


 繰り返し再生されて録音が古びてしまったせいなのか、あるいは元々そうなのか、『家路』は町の役場よりももっと遠いどこかから、長い時間を経てはるばる届いているかのような錯覚を呼び起こす。皆をここではないどこかへ帰りたい気持ちにさせる。そこが心休まる場所であろうと、なかろうと、そもそも帰るべき場所がどこなのか分からなくとも、とにかく家路につく時が訪れたのだ。
 歌声は、帰る、というそこはかとなく心細い歩みに寄り添う。先頭を羊たちが導き、最後尾を歌声が見守る。それなのに、この歌をうたっているのが誰なのか、知っている者はいない。知ろうとする者さえいない。


  「家路」の録音テープは、町の「皆をここではないどこかへ帰りたい気持ちにさせる」が、「この歌をうたっているのが誰なのか」を知っている者も知ろうとする者さえもいない。やがて、この『家路』を歌っている小さな女の子が「リリカ」であることが明かされる。小川洋子はリリカの一生を静謐な声で語ってゆく。題名の「サイレントシンガー」、沈黙の歌い手という矛盾する言葉の組み合わせが、この小説の本質をかたちづくる。


 「家路」の歌詞には「響きわたる  鐘の音に」「小屋に帰る  羊たち」「夕日落ちた  ふるさとの」「道に立てば  なつかしく」「ひとつひとつ 思い出の」「草よ花よ 過ぎし日よ」という言葉がある。夕方、ふるさとの家に帰る道沿いで草や花を見て、なつかしさにつつまれて過ぎし日を想い出す。

 この歌のモチーフから志村正彦のいくつかの歌を想起した。

 例えば、「若者のすべて」の「街灯の明かりがまた 一つ点いて 帰りを急ぐよ/途切れた夢の続きをとり戻したくなって」、「茜色の夕日」の「茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました/晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと」、「陽炎」の「あの街並 思い出したときに何故だか浮かんだ/英雄気取った 路地裏の僕がぼんやり見えたよ/また そうこうしているうち次から次へと浮かんだ/残像が 胸を締めつける」、そして「赤黄色の金木犀」の「赤黄色の金木犀の香りがして/たまらなくなって/何故か無駄に胸が/騒いでしまう帰り道」。


 〈帰りを急ぐ〉〈途切れた夢の続き〉〈茜色の夕日〉〈少し思い出すもの〉〈あの街並〉〈残像〉〈金木犀〉〈帰り道〉、一連の風景やモチーフが志村の世界を貫いている。

 彼の歌の中心に、〈故郷に帰る〉、そして矛盾するようではあるがその逆の〈故郷に帰ることができない〉という心のあり方を感じる。

 小川洋子の『サイレントシンガー』、「家路」の歌詞、リリカの歌声は、このような志村正彦の歌を喚起させた。


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