11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

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2013年6月23日日曜日

ファブリックとしての『若者のすべて』-『若者のすべて』1 (志村正彦LN 34)

  『若者のすべて』を初めて聴いた時、歌われている世界にすんなりと入っていけなかった記憶がある。歌の世界をたどりきれないような、もどかしい想いにとらわれた。きわめて微妙で複雑な物語がそこにあるような気がした。そのような印象の原因はどこにあるのか。その解析から、『若者のすべて』論を歩み始めたい。

 この歌は、志村正彦の歌によくあるように、《歩行》の感覚とともに進んでいく。再引用になるが、「志村正彦LN2」では次のように書いた。

 「若者のすべて」の語りの枠組みは複雑であるが、「街」を「そっと歩き出して」歩行する「僕」の視点から語られている、とひとまずは言えるだろう。歩行しながら、いくつかのモチーフが語られる、とひとまずは言えるだろう。

 あらゆる物語には、それが歌として語られるものであっても、物語を語る話者による時間と空間と主体の枠組み、「いつどこでだれが」という枠組みがある。『若者のすべて』には、語りの現時点である「今」という時に、都市の街路という場で、主体《僕》が歩いていく、という枠組みを認めることができる。

 その歩行という枠組みに、幾つかのモチーフが絡まってくる。その中でも、「最後の花火に今年もなったな」と語り出される「最後の花火」のモチーフは、《僕》による説明やそこに至る文脈がないまま、唐突に物語の中に登場する。この部分は特に、意味の把握しにくい言葉で描かれてもいる。
 歩行する《僕》に交錯するかのように、楽曲の面でも、印象深いサビのメロディが使われている。落ち着いた抑制された声でややゆっくりと歌われる歩行の部分に対して、強い対称を成している。「最後の花火」のモチーフは、特に歌の結末部に近づくにつれて、想いを押し出すかのように力強く歌われる。

 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している印象を受ける。そのような印象を持ち続けていたのだが、今回、「若者のすべて」についての発言をたどりなおしたところ、『FAB BOOK』にある興味深いことが書かれていた。
 取材者は、『若者のすべて』が「Aメロとサビはもともとは別の曲としてあったもので、曲作りの試行錯誤の中でその2つが自然と合体していったそうだ」という重要な事実を伝え、さらに「最終段階までサビから始まる形になっていた構成を志村の意向で変更したもの。その変更の理由を「この曲には”物語”が必要だと思った」と、志村は解説する」という経緯を説明した上で、志村正彦の次のコメントを載せている。

ちゃんと筋道を立てないと感動しないなって気づいたんですよね。いきなりサビにいってしまうことにセンチメンタルはないんです。僕はセンチメンタルになりたくて、この曲を作ったんですから。

 つまり、『若者のすべて』は、二つの異なる、「別の曲」、別の世界が(とはいっても、絶対的に異なる世界ではないのだろうが)「自然」に複合されて生まれた作品であるという、ある意味で、驚くべき、しかし感覚としては腑に落ちるような事実が明らかにされている。 ものを創造するときに、ある二つの異なるものを複合させたり、複数のモチーフを合体させたりすることは、意外によくあることだろう。意識的な行為としても、無意識の次元での選択としても、あるいは単なる偶然の結果としても、むしろ普遍的なことである。
 志村正彦は、その上で、「筋道」を立て、「感動」に至る過程を練り上げ、「物語」を創造していった。

 『若者のすべて』の中には、歌詞の面でも楽曲の面でも、二つの異なる世界が複合している。「フジファブリック」という名の「ファブリック」、「織物」という言葉を喩えとして表現してみるならば、『若者のすべて』の物語には、《歩行》の枠組みという「縦糸」に、「最後の花火」を中心とする幾つかのモチーフが「横糸」として織り込まれている、と言えよう。
 しかし、この「縦糸」の枠組みと「横糸」のモチーフ、そして言葉と楽曲の織物は、聴き手がその繊細な世界を時間をかけて丁寧にたどるという主体的な行為によってはじめて読み解かれるものだろう。ただ受け身で聞いているだけでは、『若者のすべて』の物語を歩んでいくことはなかなかできない。冒頭に書いた私の「すんなりと入っていけなかった」という記憶は、そのことに関連している。聴く経験をまだ深めることができなかったからだろう。

 ファブリック、織物としての『若者のすべて』。物語を時系列で描くのではなく、しかも明示的に語っていくのでもなく、その中心にある想いの部分、彼の言う「センチメンタル」な部分を、所々に空白部を入れて、歌詞の世界で展開し、その複雑な構想に併せるように、メロディやリズムとその配置を工夫することで、志村正彦は極めて独創的な歌を造りあげた。書かれた詩では表すことが難しい、歌であることの特性を最大に活かした構造だと考えられる。
 (この項続く)

2013年6月19日水曜日

語ること、語られること。 (志村正彦LN 33)

   前回、「1万ビューを超えて」を書いたが、ツイッターなどでこのblogを紹介していただいた方がいらっしゃるようで、ページビュー数がこのところかなり増えている。有り難い。このまま書き続けよという声だと受け止め、この試みを続けていきたい。

 前回のコメント欄にも書いたように、歌というものは、ただひたすら聴くものであり、あくまで個人的な経験であり、他者に向けて語るようなものではない、という一種の「ためらい」がないことはない。何かを語ることは、その反作用として、語らないというあり方の重みへと内省を促す。

 しかし、語ることは、批評的に語るという行為は、語る対象を、私的な場から公的な場へと、顕わにするものである。志村正彦を、その遺された作品群を、多くの人が語りあう、光ある、明るみのある世界へと、顕現させること。そのようなことが必要とされているのではないか。その想いは、LN31で紹介した片寄明人氏のノート「フジファブリック 9」で伝えられている、志村正彦の言葉から、導かれてもいる。

志村くんからは何度も「片寄さん、いつかどこかで僕の音楽のことを語ってくださいよ」と言われていた。
彼は自分の音楽が正当に、音楽的にディープな視点から語られたことがあんまりないと思う、と語っていた。

 志村正彦が「自分の音楽が正当に、音楽的にディープな視点から語られたことがあんまりない」と思ったことは、充分にありえたことだろう。彼だけではない。優れた表現者であれば、ごく少数の例外を除いて、同様の思いを抱いているだろう。「正当に語られること」「ディープな視点から批評されること」の不在、音楽だけでなく文学でも映画でも、そのような行為の不在が際だっているのが、日本の状況である。

 以前にも書いたように、音楽的な視点で語ることは私の力量では不可能である。だから、少しは経験と方法の蓄積がある、言葉からの、言葉への、視点に限定して、「志村正彦LN」を書いている。彼が成し遂げつつあった(成し遂げた、とはやはり書きたくない)極めて優れた歌は、言葉に視点を限定しても、おそらく、彼の自己評価を超えた独創性があり、時の流れと共に色あせることのないような、本質的に新しいものであった。今の私にはそのような見取り図があるだけで、何かが確実に分かっているわけではない。色々と時間をかけて詰めていく作業の果てに、何とか論として示すことができればと考えている。

 彼について、様々な人が様々な視点で語り続けていくのが望まれることだろう。
 今、実際に歌を作りロックを奏でている人、あるいはかってそうしていた人であれば、音楽的な視点、楽曲の視点から志村正彦を語ることが可能だろう。今、そのような言葉も待たれているのだと思う。

 振り返れば、この「志村正彦LN」は、昨年12月の「夕方5時のチャイム」イベントと、もとになった『若者のすべて』について書くことから始まった。本論に入る前の予備的考察から、彼の詩の分かりにくさ、「複合体」としての歌、解釈の変化というように展開し、印象深い『ペダル』へ踏み込み、『夜明けのBEAT』テレビ放送を契機に『モテキ』との関係を取り上げ、そうこうしているうちに、新宿ロフトのメレンゲ・GREAT3のライブに広がっていった。

 行き当たりばったりのようだが、ライブ感というかリアルタイムで動いていく感じを出すことはできるだけ心がけた。前回のコメント欄で触れたように、新譜や公演中心の音楽界で、彼の情報がほとんどというか全くないという、寂しい哀しい現実がある。だからこそ、様々の出来事や偶然の遭遇を通じて、志村正彦が創りだした世界が未だに「動いている」感覚を表したかった。これは大切なことだ。その反面、一つの歌について持続的に考察していく流れが見えにくくなってしまった。『若者のすべて』がそうである。  

 すでに『Fujifabric International Fan Site 』でJack Russellさんが知らせてくれたように、この7月、富士吉田で、志村正彦の誕生日から5日間、防災無線のチャイムが再び彼の歌に変わる予定である。新たなチャイムが始まる前に、『若者のすべて』についてひとまず書き終えなくては区切りがつかない。そう考え、次回から再開したい。

2013年6月16日日曜日

1万ビューを超えて [諸記]

 この《偶景web》が実質的に始まったのは3月でした。それから100日ほど経ち、10,000ページビューを超える回数、閲覧していただきました。1日平均で100ビューという数字には驚きの感情が先立ちますが、この「志村正彦ライナーノーツ」を書き続けていく、大きな励ましとなっています。「ここはどこ?-物語を読む」を書いている藤谷怜子も同じ想いです。私たちの拙い文を読んでいただいたことに、深く感謝を申し上げます。

 この数字は何よりも、志村正彦に対する、強い、高い、持続的関心の現れです。彼の歌の尽きない魅力について少しでも解明していくために、「考えながら書く」という試行錯誤のスタイルによって、この連載を始めました。志村正彦に対する持続的関心という点において、この《偶景web》の書き手と読み手とは、つながっているのだと考えます。 

 私のような音楽に関するプロフェッショナルな書き手でない者、音楽の業界にも媒体にも無縁な者が、志村正彦という極めて優れた表現者について、書くことができる、そしてその文がそのまま読まれることができる、そのような述論の場が成り立っています。
 《偶景web》以外にも、「Fujifabric International Fan Site」を始めとする様々な場が成立しています。誰もが自由に、志村正彦について、音楽について、語ることができる場。書き手と読み手とは、絶対的なものではなく、その役割を交換しながら、このような場を支えています。

 インターネットという技術と媒体によって可能になったこのような状況に、すでに私たちは慣れてしまい、その意味合いの凄さを忘却しつつありますが、やはりこれは凄いことなのだと改めて感じています。
 もともと現在のパーソナルコンピュータやスマートフォンの起源の一つに、60年代の「カウンターカルチャー(対抗文化)」の思想があります。「ロックミュージック」と「カウンターカルチャー」との強い絆については言うまでもありません。

 支配的な言葉や媒体に対する対抗という意味で、WeblogつまりBlogにも、「ロック」の命脈が尽きることなく流れています。この《偶景web》も、そのような流れの中の小さな渦でありたいと、私たちは考えております。

2013年6月10日月曜日

無限ぐるぐる (ここはどこ?-物語を読む 3)

  ある曲のワンフレーズがなんとしても頭から離れないことがある。その部分だけが無限にぐるぐるめぐって、そうなるとお皿を洗っていても車を運転していても、どうにも止まらない。無意識に口ずさんでいて、自分ではっと驚くこともある。

 この「無限ぐるぐる」の経験で強烈に覚えているのは、たぶん誰かがカヴァーしていたのだと思うが、子供の頃に聴いたPeter,Paul&Maryの『Puff』である。「Puff the magic dragon lived by the sea」のフレーズが取り憑いたように・・・・・・見栄を張ってしまった。正確に言うと、ぐるぐるしていたのは「パフ・ザ・マジック・ドラゴン・ランランラララ」であった。英語が聞き取れなかったからである。   

 さて、志村正彦の曲はこの「無限ぐるぐる」を引き起こしやすい。しかも、この曲がというのではなく、日替わりのように次々違う曲がぐるぐるする。
 最初は『TAIFU』だった。

  飛び出せレディーゴーで踊ろうぜ だまらっしゃい 
                   
  これは止まらなかった。三日くらいは回り続け、今でも突然回り始めることがある。
 ちなみに私はこの「だまっらしゃい」が大好きなんである。あまりにも唐突だし、大体、今どき誰が「だまらっしゃい」なんて言うものかとは思う。でも、「だまらっしゃい」を聴いた後で他のどんなことばを当てはめてみても到底物足りない。少なくとも私の中でこのことばは不動である。小気味いいというか、すかっとする感じ、そしてメロディーと不可分であるかのようなことばの響きは、ちまちました意味や理屈や物語さえも超越する。私は理屈っぽい性格なので、もしかしたらそんなふうに感じたのは生まれて初めての経験かもしれない。

  その後もいろんな曲がぐるぐるした。ある時は「チェッチェッチェうまく行かない チェッチェッチェそういう日もある」(『バウムクーヘン』)だったり、ある時は「チョコレートでFly Away」(『Chocolate Panic』)だったり、またある時は「どうしてなんだろう どうしてなんだろう なんだろう」(『笑ってサヨナラ』)だったりした。「環状七号線を何故だか飛ばしている」(『環状七号線』)日もあったし、「悲しくたってさ 悲しくたってさ 夏は簡単には終わらない」(『線香花火』)時もあった。

 なぜその曲のその部分なのかはわからないが、どれもリズミカルで印象的なメロディーを持っていること、歌詞も聞き取りやすくあまり複雑ではないことが共通していて、それから私の場合は特に繰り返しがあるとはまりやすいようだ。子供が志村正彦の曲を気に入ってよく歌っているという話をあちこちから聞いたが、子供が気に入ることと「無限ぐるぐる」を引き起こすことは同じ要素からきているのだと思う。そして、それはすなわちその曲が名曲だということに違いない。確かに世の中には複雑なアレンジが効果的な名曲もたくさんあるだろうし、志村正彦がどれほど細部にまで心を配って曲を仕上げていったかは残された彼自身のことばや周囲の人々の証言によっても明らかなのだが、それを充分尊重した上で、素人があえて言うならば、メロディーとリズムと歌詞という素朴な三つの要素に還元される名曲の芯の太さのようなものがあるように思う。志村正彦の歌にはそれがある。

 一週間ほど前、気がついたら『浮雲』の「独りで行くと決めたのだろう」がぐるぐるしていた。「おお、これは相当なものだぞ」と私は思った。どう考えてもこれまでのパターンからは外れているこの「フレーズ」までが回っていたということは、どうやら私の頭の中には本格的に志村正彦が住みついてしまったらしい。

 さて、明日はどんな曲がぐるぐるするのだろうか。

2013年6月7日金曜日

時間 (志村正彦LN 32)

   志村正彦の生と死をどのように受けとめるのか、そして私たちの生と死をどのように考えるべきなのか、そのような問いに対して、メレンゲとGREAT3は、各々の新作や今回の新宿ロフトライブで、作品や演奏を通じて、私たち聴き手に応えてくれた。
 2012年にリリースされた各々の新アルバム『ミュージックシーン』と『GREAT3』の冒頭曲には、次の一節がある。

  時間はどれくらいあるかい  長いのかい 短いのかい
 本当に君はいないのかい  まだ まだ まだ
  【メレンゲ『ミュージックシーン』(作詞・作曲クボケンジ)』

 残されている 時間はきっと 思うよりも無い
 誰が次の名前なのか 神のみぞ知る
  【GREAT3『TAXI』( 作詞・片寄明人 作曲・片寄明人,白根賢一,Jan)】

 クボケンジと片寄明人の両者に共通している切迫した想い、一種の強迫観念のように去来するものは、《時間》である。
 30歳代半ばのクボは「時間はどれくらいあるかい」という問いかけ、40歳代半ばに達した片寄は「残されている 時間はきっと 思うよりも無い」という断言に近い言い回し、という差異はあるが。このような主題がロックで歌われるのはやはり極めて珍しいことだろう。

 自分自身を振り返っても、ごく若い頃は、時間というものがこちら側から向こう側へとはるかに広がってゆくもの、という果てしなさがあった。しかし、人生の年齢の折り返し点を過ぎた頃からは、むしろ、向こう側からこちら側へと降りたってくるもののように感じ始めた。日々こちら側へ時間は降りてくるのだが、時間の器は有限で、いつか尽きてしまう。そのような《時間》の意識がいつもどこかに張り付いている。

 志村正彦の日記や作品からの印象では、クボケンジや片寄明人が今回の作品で描いたような、「残されている生の時間」というような切迫した意識、強迫観念のようにこびりつくものが彼にあった、とは考えられない。しかし、作品を作らねばならない、それも、より独創的なものを作り続けねばならない、という幾分か強迫的な衝動はあったかもしれない。彼が時にもらした不安もそのことに起因しているのではないだろうか。

 志村にとって、歌を創るための時間を確保し、それに集中することが何よりも切実な課題であった。生きる「実」の時間よりも、歌を作る「虚」の時間の方が重要であった。この一種の転倒は、優れた作品を創造する表現者の本質のようなものだが、彼はその本質を生きぬいた。志村正彦にとって時間は、そのように流れていた。

 5月23日、新宿ロフトで繰りひろげられた、メレンゲとGREAT3のライブ。彼らの力強い演奏、哀しみや様々な葛藤の末に生みだされた言葉が記憶に刻まれた。このライブを実現させた企画担当者の真摯な想いも伝わってきた。
 不在の志村正彦が彼らに、歌い続ける力、何かをなし続ける力を与えている、そのように感じることのできる「有難き」時間を経験した夜であった。

2013年6月2日日曜日

GREAT3 『彼岸』『綱渡り』 (志村正彦LN 31)

 20分ほどの休憩の後、GREAT3が登場した。メレンゲと同様、ライブを見るのは初めてだ。2004年から8年間の活動休止を経て、昨年5月、彼らは新メンバーを迎えて活動を再開し、11月に新しいアルバム『GREAT3』をリリースした。

 その活動休止の間に、片寄明人は志村正彦と出会った。彼は、志村からの依頼を受けて、フジファブリックのメジャーデビュー作『フジファブリック』のプロデューサーとなる。片寄も志村の詞と曲の独自性を高く評価した。また、志村が影響を受けたブラジル音楽にも造詣が深かった。そのような音楽的な絆と共に、志村も年は離れているが(いやそれ故にというべきか)、片寄という人間に魅力を感じ、親しくなっていった。

 片寄が、それまでの沈黙を破って、2010年7月に発表した、志村正彦、フジファブリックについて書いた長文のノート『フジファブリック1~10』(片寄明人 公式Facebook、https://www.facebook.com/katayose.akito/notes 。いつかこのノートの内容に詳しく触れてみたい)は、愛のあふれる文章であり、貴重な証言であり、志村正彦を知るためには必読の資料である。

 この日、45歳の誕生日を迎えるギター・ヴォーカルの片寄明人、同年齢のドラム白根賢一。新加入のベースjanは23歳、ギターのサポートメンバーで新作の共同プロデューサーでもある長田進は55歳になる。20歳代、40歳代、50歳代という「多年齢」編成のロックバンドは珍しい。私のような世代としては、その事実だけでも圧倒的に支持したくなるバンドだ。

 新作1曲目の「TAXI」から始まる。暗いうねりと明るい響きが共存している白根のドラムとjanのベース、強さと抑制された感触が溶けあっている長田のギター、広がりのある透明感と憂いや哀しみを織り交ぜたような声を持つ片寄のボーカル。もともとGREAT3 はデビュー作から「大人っぽいロック」を志向していたが、現在のGREAT3は正真正銘の「大人のロック」、熟成と激しさが調和しているロックを奏でていた。
 
 数曲の演奏後、大切な友だちへ捧げるという意味のMCの後、『彼岸』が静かに歌われだした。この『彼岸』(作詞・片寄明人 作曲・白根賢一)については、GREAT3の公式HP(http://great3official.tumblr.com/post/34143721828/great3-9)で、「GREAT3マネージャー突然の逝去から始まり、この約7年間に両手では数え切れないほど自分の身に起きた、大切な友人達との別れ」がテーマだと告げられている。この大切な友人達の一人が、志村正彦である。この澄みきった哀しみと美しさを持つ希有な曲について、その言葉の世界について、私などに語るべきことはない。この歌は、心を澄ませ、耳を傾け、言葉と対話すればよい。ただ一つだけ、いつも感じていることを述べたい。

 この歌は、「 泣き疲れた その後に 僕がどうやって 歩き出すのか それを見守ってる 近くて遠くから 心で 今も 君を感じてる わかるんだ」と始まり、「泣き疲れた その後に  心の内側 君を感じてる わかるんだ」と終わる。最後の一節は最初と比べて、言葉の間に沈黙が挟まれている。この歌を聴くたびにいつも、最初の「わかるんだ」と最後の「わかるんだ」のところで、心の中に一瞬、沈黙が流れる。その言葉、声の感触に、心が佇む。

 ホールにいた皆がこの『彼岸』の言葉と音に耳を澄ましていた。この曲が終わるとすぐに、余韻の間もなく、メドレーのように続いて『綱渡り』(作詞・片寄明人 作曲・片寄明人/白根賢一/jan)が歌われだした。この選曲が示しているように、『綱渡り』は『彼岸』との深いつながりがあり、アルバム『GREAT3』の鍵となる曲の一つだ。
 「由来なんて分からない 祈りたいから来るだけ」と歌いだされ、この歌の舞台が「鳥居」や「鎮守の森」のある神社らしいことが伝わってくる。歌の主体はこう囁く。

  参道には光 有限なる命 
  悲しいことばかり多すぎた

  何にも願わないで そっと鏡の前で
  有難きを祈り 捧げる

  あるがまま 受け入れて

  昔の自分だったら 落ち込んで泣いてるだけ 
  崖っぷちを歩いてる 日々 死ぬまで綱渡り

 「有限なる命」、「悲しいことばかり」の現実を前にして、歌の主体は何も「願わない」。他に何かを願うというのは、その他に依存することになる。
 この場面で、「鏡」が登場する。「鏡」は神社の中心をなすもので、その意味づけは難しい。『彼岸』の歌詞の文脈から言えば、この場合の「鏡」は鏡の本質である光の反射を比喩とする、自分自身を、自分の生を照らし返す純粋な機能としてあるのだろう。その「鏡」を前に、歌の主体は自身を振り返り、「有難き」が対象として浮かび上がる。
 
 「有難き」とはどのようなものか。「有難き」とは文字通り、有ることが難しいものである。言葉そのものを受けとめて考えるのならば、有ることが難しいものとは、そもそも、有ることそのものではないだろうか。有るということ、ここに今存在していること、そのものが難しいこと、ある意味では有りえないことである。有りえないことであるからこそ、主体は「有難き」を祈り、「あるがまま受け入れて」生きていく。
 しかし、「有難き」現実は、「崖っぷちを歩いてる」ような「日々」、「死ぬまで綱渡り」の現実でもある。そのこともまた、歌の主体は「あるがまま受け入れて」いる。一瞬で、「有難き」存在が失われてしまうことがある。損なわれてしまうことがある。「有難き」を「綱渡り」のようにして、日々、私たちは歩み続ける。

 片寄明人がここで歌っているのは、「有難き」に対する思考、一種の「存在の哲学」の原型のようなものだろう。志村正彦を含む「大切な友人達」の生と死が、片寄にこのような思考をもたらした。それは非常に苦しい哀しい歩みでもあった。片寄は憂いや不安にも向き合い、「有難き」に耳を傾け、音楽を造る。
 最近のロックの歌詞には、どこかの書物から引用したような世界観や宇宙観をつぎはぎしたようなものがあるが、片寄の場合は異なる。自分自身の経験から手繰りよせた言葉を、しなやかで美しいビートとサウンド、透明な響きのある声で、「日本語のロック」として歌う。21世紀の10年代、わたしたちのロックもそのような境地にたどりついた。

 他に、白根賢一がドラムをたたきながら歌った『交渉No.1』(作詞・片寄明人/白根賢一 作曲・白根賢一,jan。この歌には、「3.11」後の現実、東日本大震災と福島原発事故に対する、よく考え抜かれた言葉による応答があり、必聴の作品である)と、アンコールでjanが歌った『Santa Fe』』(作詞・作曲 jan。ルー・リードの名作『ベルリン』を想起させる)が素晴らしかった。GREAT3はやはり表現者3人のユニットなのだなという感想を強く持った。
 ライブは、アンコール2曲目の『Emotion』の印象的なベースライン(ゴールデン・カップスを継承するかのように)と光量を増した照明が特別な高揚感を聴き手に与え、終了することとなった。

2013年5月29日水曜日

メレンゲ 『ビスケット』 (志村正彦LN 30)

  5月23日のメレンゲのセットリストは片寄明人が選んだそうだが、最後に『ミュージックシーン』収録の『ビスケット』が演奏された。顔を傾けたり揺らしたりして歌う、クボケンジ独特のスタイルで、「もっと遠くまで」と力強い声が響いた。
 結成から11年にわたりメレンゲの独創的なサウンドを創ってきた、タケシタツヨシのベースとヤマザキタケシのドラムによるリズムセクションのしなやかで強靱なビート、サポートメンバーである大村達身のギターと横山裕章のキーボードの繊細で粘り強い音色からなる演奏がクボの歌声とひとつになって、激しく柔らかく高揚していく。

 クボは『ミュージックシーン』のセルフライナーノートで、『ビスケット』について「オルガン的な音を入れたりしてフジを意識してみた」と書いている。サウンドの軽快な疾走感と、それに反するかのような陰影のある歌詞を持つ『ビスケット』は、特に『CHRONICLE』の頃の志村正彦、フジファブリックの世界に通じるものがある。
 『ミュージックシーン』収録曲には、「メリーゴーランド」「キンモクセイ」というように、志村正彦の歌詞の一節とのつながりや彼を連想するような言葉の断片もかなり含まれている。言葉として現れてこなくても、志村を想起させるような内容が少なくない。

 『ビスケット』の言葉には、直接、志村を感じさせるようなものはないが、冒頭の「もっと遠くまで もっと遠くまで 冷たくしないで かまって かまって かまって よね」という言葉の連なり、特に「かまって」の反復、「よね」という末尾の言い回しなどに、例えば、志村正彦の『バウムクーヘン』の「誰か僕の心の中を見て 見て 見て 見て 見て」やその他の歌とのつながりを感じてしまう。

 クボケンジは、2010年7月の「フジフジ富士Q」コンサートで、『バウムクーヘン』と『赤黄色の金木犀』を歌った。そのクボの姿を見て志村に似ていると感じた人が多かったと聞いている。クボはその時「当日は志村もいるつもりで行きます。僕が彼の言葉を背負って歌う事は出来ないのでフジファブリックを好きな人たちとみんなでカラオケするように楽しめたら良いのかなって今は考えています」というコメントを寄せている。

 『ビスケット』には次の一節がある。

    ポケットには 一人分 
    叩いて 二人分 
    粉々になる 
    黙って 困って 黙って

 この一節は、誰もが感じるように、まど・みちお作詞の『ふしぎなポケット』、あの有名な童謡から着想を得たものであろう。

  ポケットの なかには ビスケットが ひとつ
  ポケットを たたくと ビスケットは ふたつ
  (中略)
  そんな ふしぎな ポケットが ほしい
  そんな ふしぎな ポケットが ほしい

 「ふしぎなポケット」、たたくとビスケットの枚数が増えていくポケット。一つのものが二つ三つと増殖していくという不可能な出来事。「そんなふしぎなポケットがほしい」という欲望は、現実にはありえない夢、というよりも、夢の中でしか実現できないような不可能な欲望だと言えよう。精神分析の理論では、夢の本質は願望の充足だと考える。子どもだけでなく大人もまた、対象はどのようなものであれ、その対象の増殖への純粋な願望を夢の中で実現させ、願望を充足させる。意図したものではないかもしれないが、まどみちおはそのような欲望を描いている。

 それに対して、クボケンジの『ビスケット』では、「一人分 叩いて 二人分」になったが「粉々になる」。クボケンジのポケットは、まどみちおのポケットが反転されたものである。欲望の充足は損なわれ、夢が砕けてしまったかのように、ビスケットは粉々になる。「一人分」が「二人分」になることは永遠に不可能となる。その事態に直面した歌の主体は、「黙って 困って 黙って」という沈黙と困惑の循環の中に閉じこめられる。何かが決定的に損なわれてしまった。困り果てた主体は、為すすべもなく、壊れたビスケットを見つめる。

 次の一節が続く。

  もういいや もういいや 君の夢でもみよう
  楽しい事 楽しい事
  肝心な時はやはり 出てきてもくれないか
    (中略)
  もういいかい もういいかい あふれそうな I miss you 

 歌の主体は、「君の夢」を見ようと考える。でも、「肝心な時」に「君」は夢に現れてくれない。この「君」が誰であるのかは分からない。特定の誰か、歌の主体の恋人、友人かもしれない。あるいは誰でもないのかもしれない。「あふれそうな I miss you」という言葉からは、「君は失われ、僕は損なわれた」というような声が聞こえてくる。その喪失と欠落の感覚があふれそうになるのだ。
 無意識の次元まで考えていけば、クボケンジの『ビスケット』の一連の言葉の流れから、志村正彦との関係の痕跡が浮かび上がってくるような気がしてならない。

 志村正彦が亡くなった三日後に、クボは自身のブログで、志村との関わりの日常を書き記してくれた。受け入れられない現実の中で、それでも何とか言葉を発しようとする、正直で抑制した書きぶりが、逆に、限りない哀しみと喪失を伝えている。その後、クボケンジは志村正彦について、ブログや公的な場でほとんど語っていないはずだ。
 例外としては、聴き手に向けて、「フジフジ富士Q」のステージで、志村正彦のことを「心を許せる大親友でした」と話した後すぐに「あ、大親友です」と言い直したことが記憶に残る。「た」という過去形ではなく、「です」という現在形であることを改めて確認するかのように。そのような場を離れて、コメントのような形では語ることはできない、あるいはそうしないという姿勢がクボには見られる。むしろ、音楽家として、新しい歌を作ることで、志村正彦との対話を続けている。それは追悼や過去へと遡るものではなく、「もっと遠くまで」行こうとするような、現在から未来へ向けた確固たる強い意志にもとづいている。そのように歩み出したクボケンジを、志村正彦は見守っていることであろう。

 歌い手は、歌を作り歌うことがすべてである。それがクボケンジの決意である。5月23日の新宿ロフト、メレンゲのライブで、そのことを強く感じた。

2013年5月26日日曜日

5月23日夜、新宿ロフトで。 (志村正彦LN 29)

  5月23日夜、新宿ロフト「14TH ANNIVERSARY」の「GREAT3 / メレンゲ」ライブに行ってきた。甲府から新宿までは電車で1時間30分、バスで2時間ほどだ。夕方出かけ、何とか間に合うことができた。

 志村正彦とGREAT3 、メレンゲの関係についてはよく知られているが、ご存じない方のために簡潔に記したい。GREAT3 の片寄明人は、フジファブリックのメジャーデビュー作のプロデュサー。それ以来、志村は片寄を慕い続け、信頼できる相談相手としていたようだ。メレンゲのクボケンジは自他共に認める志村の「大親友」であり、週に何度か部屋を訪ねるような仲であった。志村正彦が生まれたのは1980年、片寄は1968年、クボは1977年である。兄弟の関係に擬するならば、志村正彦にとって、片寄は年の離れた兄、クボは少し年上の兄というような存在であったと言えるだろうか。

 今回のライブの話をする前に、個人的な思い出を少し語らせていただきたい。
 70年代後半から9年間ほど、東京で学生それからフリーター(当時そんな言葉はなかったが)のような生活を送っていた。当時は雑誌「ぴあ」の全盛時代だった。毎号、ライブハウス情報をチェックし、西新宿にあった旧ロフトにも何度か出かけた。あの界隈のビル街には輸入盤レコード店がたくさんあった。大学がそう遠くないところにあったので、帰りによく足を運び、日本未発売のプログレを漁ったものだった。

 1980年前後の新宿ロフトだったと思う。「東京ロッカーズ」のイベント、特に「フリクション」のライブ、博多からやって来た「ルースターズ」のロフト初ライブなどが強烈な印象をもたらした。フリクションの重くて痙攣的で身体をえぐるビートは、聴き手を制圧してしまうような凄みを持つ。ルースターズの浮遊感のあるたたみかけるビートは、縦にも横にも、激しく柔らかく熱くてクールに身体を揺らす。違いはあるけれども、この二つのバンドに圧倒された記憶がある。彼らの繰り出すビートの感覚は当時の日本のロックシーンでは非常に斬新だった。(いつかこのことも詳しく書いてみたい)
 1980年頃を境にして、日本のロックにも新しい波がおとずれた。そのようなシーンを支えていたライブハウスの中心が新宿ロフトだった。

 歌舞伎町に移転した新しいロフトに入るのは初めてだった(新しいと書かざるをえない「初体験」の自分に苦笑する)。旧ロフトは(特に80年前後の頃は)「アンダーグラウンド」な匂いが濃くて、入るのにちょっとした覚悟がいるような場所だった。それに比べると、新しいロフトはずいぶん大きくなり、綺麗な場所になっていた。

 この場所で、インディーズからメジャー初期の時代、フジファブリックが演奏を行っていたのだなと少し感慨にふける。このホールでの志村正彦のライブ映像、Tシャツやポロシャツを着てステージに立っていた、飾り気のない彼の像。あのころの彼からは「東京のロックシーンに闘いを挑むような、たくましい青年」の印象を受けるのだが、実際はどうだったのだろう。
 
 会場は満員だった。やはり女性が多い。ホールが広くなったからだろうか、後方にはモニターも設置されていて、親切だ。新しい新宿ロフトには、聴き手を優しく受け入れてくれるような感じがある。正直言うと、この変化に少しばかり戸惑ったのだが、この雰囲気に慣れてくると、今の時代にはこのようなスタイルが合っているのだろうと好感を持った。

 少しだけ開演が遅れて、メレンゲが登場。最後尾で見ていたのだが、CDで聴くよりも、ずいぶん激しいビートの感触だ。CDとライブの差はどんなバンドでも感じるのだが、メレンゲの場合、良い意味での差異に少し驚いた。
 3曲ほど演奏した後で、クボケンジが「志村が、メレンゲとGREAT3を出会わせてくれた」と語りだした。「志村」という言葉が出た瞬間に、ホールが静かになり、皆がクボケンジの言葉を聞き取ろうとしていたことを記しておきたい。続いて、志村正彦から聞いていた片寄明人の印象と実際とのギャップ(聞き間違っていたら失礼なのでここでは書きません)など、面白い打ち明け話になると、ホール全体が盛り上がり、和やかな雰囲気に包まれた。
 (この項続く)

2013年5月18日土曜日

『Strawbarry Shortcakes』の驚き (ここはどこ?-物語を読む 2)

 おばさんはめったなことでは驚かない。長年生きてきた中で、世の中、考えられないことが起こることを知っているから。初めて何かを見聞きしたとしても、これまでにどこかで見聞きしたものからついつい先を予測してしまうから。動じないと言えば聞こえはいいが、感受性が鈍っているかと思えば、寂しくもある。

 しかし志村正彦の歌はやすやすとおばさんの予測を超える。
 例えば、このシリーズのタイトルにいただいた『Strawbarry Shortcakes』(『Teenager』)
の「ところかわって ここはどこ?」というフレーズを聴いたときには、しばし唖然としてしまった。
 こんな歌詞ってあるだろうか。


 大体においてへんてこりんな歌なのである。皇居沿いの道でランナーが信号待ちをし、また駆け出すという場面が、一度聴いたら忘れられないメロディー(私の筆力では到底伝えることはできない。未聴の方は是非お聴きいただきたい)で歌われる。と思っていると、レストランで向かい合う「君」と「僕」の場面になる。この二つの場面は交わらない。
 この断絶されたように感じる二つの場面をつなぐことばが、


   ところかわって ここはどこ?
   ランナー見下ろせる レストラン


  である。    
 「ところかわって」も「ここはどこ?」もありふれたことばだが、並ぶとずいぶん奇妙に聞こえる。「ところかわって」は場面の転換を表すことばで、物語の登場人物の生のことばというより物語の外側にあることばだと考えたほうがわかりやすいように思う。テレビドラマか何かを思い浮かべても、場面が変わるときに登場人物が「場面が変わって」とせりふとして言うことはない。具体的な地名や場所などのテロップが流れるか、ナレーターが語るか、いずれにせよ物語の外側の何かが語るのである。
 

  「ところかわって」と言う何かは当然その場所を知っているはずである。だから、「ところかわって ランナー見下ろせる レストラン」なら違和感がないのに、間に「ここはどこ?」が挟まっているから奇妙なのだ。

  しかし、繰り返して聴いているうちに、この余計に思える 「ここはどこ?」がこの曲の物語を構成する上で非常に効果的なのではないかと思えてきた。

  「ここはどこ?」というのは周囲がわからなくなっている、つまり見失っている状態である。この場合、周囲というのはランナーが走っている皇居沿いの道の風景、「ドンパンドンパンドンパン」で表現される喧噪の光景であろう。しかし、その光景はすっかり消え去ってしまう。もちろん実際に消えるわけではない。登場人物の「僕」の意識から失われてしまうのだ。「僕」からそれを失わせたものはもちろん「君」である。「君」への極度の集中が「僕」から周囲を奪ってしまう、その感覚を「ここはどこ?」ということばが実に的確に表現している。平易なことばでこんなことをやってのける志村正彦に「君さすがだよ」と言ってあげたい。

 そんなことを考えていたら一つの映像が浮かんだ。カメラは最初皇居前の道の雑踏を映す。それから切り替わって道沿いの二階か三階にあるレストランの内部、窓際の席に座るカップルをとらえ、テーブルのイチゴショートケーキ越しに「君」のバストショット、そして顔から目、まつげへとだんだんズームしてそこに留まる。そんな映像。

 さて、登場人物の「僕」がそこまで集中している「君」はどんな人だろう。「左利き」に「違和感」を感じるのだから、差し向かいで物を食べるということ自体がおそらく初めてというような関係。「君」はイチゴショートケーキを食べているだけだが、食べると言う行為自体がどこか魅惑的だし、「僕」の目には蠱惑的に映る仕草や表情によって「僕」はすっかり心を奪われてしまっている。
 
 微笑ましいと言えなくもないが、おばさんはちょっと心配だ。「そんな小悪魔風の女はやめときなさい。きっと苦労するわよ」
 でもおばさんの声は「僕」にはきっと届かないんだろうな。

2013年5月15日水曜日

森山未來と志村正彦の邂逅 (志村正彦LN 28)

  ドラマ&映画『モテキ』のオープニング。4人のヒロインを先頭に大勢の女たちが担ぐ神輿に、唯一の男「藤本幸世」(森山未來)が乗り音頭を取るシーンで、志村正彦の歌う『夜明けのBEAT』は流れる。この演出は、もともと漫画『モテキ』にあった画を再現したものである。「モテ期」=女御輿に乗る男、という面白い演出なのだが、この点について大根仁監督はこう語っている。( 《対談!「マンガ『モテキ』」久保ミツロウVS「ドラマ『モテキ』」大根仁》  http://ro69.jp/feat/moteki201009-3 )

大根: だから、ほんとにねえ……あんなふざけた画にしなきゃいけないっていうのがねえ(笑)。あの素敵な楽曲に対して。
久保: いや、あのPV、すごいよかったじゃないですか。
大根: いやいや、違う、ドラマのオープニングで"夜明けのBEAT"がかかる時の。
久保: ああ、女神輿(笑)。
大根: そう。「ファンはどう思ってるんだろうな」って、ずっと気になってて。遺作じゃないですか? 遺作をああいう感じで使うって、俺がファンだったらどう思うかな……って。でも、PVを撮ってほしいって話をいただいたんで、「じゃあちゃんとかっこいいものを作ろう」って。

 大根監督は「あの素敵な楽曲」に対して「あんなふざけた画」にしたことを気にしていたようだが、きらびやかなミラーボールの下でハートマークも光もあふれる女御輿の突き抜けた感じと、少しくぐもった抑制された志村正彦の声が夜更けから夜明にかけて闇から光の世界へと突き抜けようとするかのような感じが、意外にもよく調和している。この異質なものの複合を、志村正彦も気に入ったのではないだろうか。
 それでも、「遺作」であることを重んじて『夜明けのBEAT』のPVを「ちゃんとかっこいいもの」に撮ろうとした大根監督の想いは理解できる。

 このミュージック・ビデオについてネットで改めて調べてみると、『大根仁×easeback!「モテキ」森山未來が疾走するフジファブリックMV「夜明けのビート」 2010.09.03 Fri 』( http://white-screen.jp/?p=3633 )に、注目すべきことが書かれていた。

 その記事によると、このMVは、監督・大根仁。演出構成・easeback(イーズバック)、ダンス振付・劇団「冨士山アネット」主宰長谷川寧氏、の三者のコラボレーションで制作された。森山の振り付けは、「冨士山アネット」長谷川寧氏が「故・志村正彦が遺した歌詞を森山未来が身体で表現するというコンセプト」で考えたようである。また、映像面では、志村正彦の像は合成ではなく実際に「プロジェクターの映像を投影」して撮影したそうであるが、これは意外であった。デジタル編集したものとばかり思っていたが、確かに改めて見ると、影の映り方が実写らしく、少し解像度を下げたような投射映像が独特の臨場感を出している。

 さらに、easebackの演出者には「疾走する森山さんとその先にある壁の間に別の3次元的空間を感じさせる映像を流し、その虚構の世界の行き着く先で森山さんが志村さんと邂逅するという流れをつくりました」という意図があったことには非常に驚かされた。

 森山未來が志村正彦と邂逅する、何という想像力あふれる大胆で魅力のある演出なのだろう。失踪する森山をトラック・ショットで平行に移動して追うというカメラワークや生前のライブ映像を素材にするしかないという制限があったために、難しい演出となっただろうが、このような作品を創りだしたことには、深い感動を覚える。監督と演出者が志村正彦の歌の世界をよく理解し、その遺作に対してのリスペクトがあったからこそ実現できた試みだろう。

 これまで書いてきたように、『モテキ』の主人公「藤本幸世」と、志村正彦の分身である歌の中の「僕」との間には、ある共通の世界がある。
 『モテキ』の藤本幸世という虚構の人間を演じる森山未來は、ミュージック・ビデオというもう一つの虚構の中で、「僕」という分身の作者、志村正彦に巡りあう。虚構の中で、「幸世」と「僕」が出会うとしたら、その二人の間にはどのような対話が築かれるのか。『夜明けのBEAT』や『茜色の夕日』をテーマ曲とする『モテキ』の番外編を想像してみるのも愉しいかもしれない。

付記
 今回で、志村正彦と『モテキ』というテーマをひとまず完結させたい。当初の想定を超えて、1か月ほどの期間をかけて10回もの連載と分量になった。『夜明けのBEAT』と『Mirror』という二つの歌、『夜明けのBEAT』のミュージック・ビデオ、漫画・ドラマ・映画という三つの『モテキ』作品、久保ミツロウ氏や大根仁氏の幾つものインタビュー記事というように、多彩で質の高い作品や資料があったからこそだが、何よりも、志村正彦の歌の深さや豊かさが、このようなエッセイを書き続ける原動力となっている。

2013年5月12日日曜日

『Mirror』と『モテキ』 (志村正彦LN 27)

    漫画『モテキ』のラストシーン。「俺(幸世)」は「土井亜紀」が男といることを見てうちひしがれていたが、「心の声が増えている」ことに励まされて、ガバアッと立ち上がり、「アキちゃん」と叫ぶ。「亜紀」は「藤本君に色々伝えたい事あったけど なんか顔見たら忘れちゃったよ」と応える。そのシーンに、次の独白の声が被さり、この物語の円環が閉じられる。

本当の俺とは別に皆の中にもそれぞれの俺がいるんだ
ずっと俺は自分は好かれる資格がないんだと思ってたけど
俺の実体とは関係なく誰かの心の中での姿は良くも悪くも変わってく

きっと皆の中で「俺」が勝手に動き回ってたんだろうな
全部伝わらなくてもいいから伝えてみるよ
今の俺はこんなです

そこから君の中の俺が変わる

 「俺(幸世)」の言う「本当の俺」「俺の実体」とは、「俺」自身がそう思っているところの「俺」、自分の捉える「俺」、いわゆる「ほんとうの自分」である。この独白にある「君の中の俺」という表現に倣って、対比的に名付けるなら、「俺の中の俺」とも言い換えられる。「俺(幸世)」は「本当の俺」「俺の実体」、『モテキ』の物語から言うと「モテない俺」「モテるはずのない俺」という自己の像にとらわれていた。そのことにこだわりすぎることで、空回りし続け、他者に「好かれる資格」がないと思いこんでいた。しかし、「皆の中」の「それぞれの俺」、他者の捉える「俺」は、自分の捉える「俺」とは異なり、しかも時と共に変化していく。

 自分の捉える「俺」と他者の捉える「俺」との間には「ずれ」がある。四人の女性たちとの関わりを通して、「俺(幸世)」は、自分の捉える「実体」としての「俺」と、他者の捉える「像」としての「俺」との二つの差異にようやく気づいたのであろう。女性たちの「幸世」に対する捉え方の方が、「幸世」の自分自身に対する捉え方よりも、端的に言って、柔軟で懐が深い。「幸世」という人間は、「俺(幸世)」自身が思っているより、器が大きい可能性があるのだ。このラストシーンで、ある意味では、他者の捉える「俺」の方が「俺」の真実に近いのかもしれないという認識の一歩手前に、「幸世」はたどりついたとも言える。

 そのような認識にたどりついたことで、「俺(幸世)」はある決意、「今の俺はこんなです」ということを「全部伝わらなくてもいいから伝えてみるよ」という決意をする。「俺(幸世)」が「今の俺」を「君」に伝えることを通して、「君の中の俺」が次第に変化していく。志村正彦の『夜明けのBEAT』の一節とシンクロさせるなら、「半分の事で良いから」「些細な事で良いから まずはそこから始めよう」という言葉が思い浮かぶ。「全部」ではなく「半分」や「些細な事」から、「俺」そして「僕」と「君」とのほんとうの関係が始まるのだろう。

 論理的に考えてみたい。「俺」には、「俺の中の俺」と「君の中の俺」という二つの要素がある。同じように、「君」にも、「君の中の君」と「俺の中の君」の二つの要素がある。「俺」と「君」との関係の中では、「俺の中の俺」「君の中の俺」「君の中の君」「俺の中の君」の四つが動いている。そのような複雑な関係、ダイナミックな運動の中で、「俺」と「君」、自己と他者の関係が形成されていく。

 今、この四つの言葉で説明を試みる地点まで来て、志村正彦の創ったある歌を想い出した。遺作『MUSIC』収録の『Mirror』(作詞、志村正彦。作曲・ボーカル、山内総一郎)である。驚くべきことに、次の一節があるのだ。『Mirror』はCDの歌詞カードでは鏡文字で記されていので、ここでは『志村正彦全詩集』から引用する。

  君が君の中の僕を見て
  僕は僕の中の君を見る

  迷路の中で会おう
  にじんだままでもいいよ

  (中略)
  
  君は君の中の君を作って
  僕は僕の中の僕を得る
                                      
 ここには、「君の中の僕」「僕の中の君」「君の中の君」「僕の中の僕」という四つの言葉がある。『モテキ』にあるのは、「君の中の俺」という一語のみであるが、先ほど論理的に導いた言葉を引いてくるなら、「君の中の俺」「俺の中の君」「君の中の君」「俺の中の俺」の四つの言葉が対応する。

 自己と他者の関係を、実体と鏡という側面を含めて考えると、この四つの要素が現れる。志村正彦もそのことを論理的に考えて、『Mirror』の歌詞に反映させたのだろう。「君」と「僕」は互いに「君の中の僕」と「僕の中の君」を見る。「鏡」を発想の起点にして、互いが互いを照らしあって、「僕」と「君」は「迷路の中で」「にじんだままで」もいいので「会おう」とする。そのことを通して、「君」と「僕」は互いに「君の中の君」と「僕の中の僕」を作り、得る。

 「僕」と「君」との関係を、「Mirror」、「鏡」や「反射」「反映」というモチーフで考察したのは、志村正彦らしい発想だ。以前引いた「歌詞は自分を映す鏡でもあると思うし、予言書みたいなものでもあると思うし、謎なんですよ」(『FAB BOOK』)という言葉とも関係してくるだろう。

 この『Mirror』が、作詞は志村、作曲・ボーカルは山内氏という分担になった経緯について、CDの歌詞カードや公式HPの「ライナーノーツ」の「楽曲解説」では、一切触れられていない。おそらく、歌詞だけが遺されていたので、作曲とボーカルを山内氏が担当することになったのだろうが、この歌の成立過程が分からないのは、非常に残念である。(その経緯がどこかに書かれているのなら、ご教示していただきたい)

 この歌詞自体は、引用部第1行の「君が」の「が」以外はすべて「僕は」「君は」「僕は」というように「は」となっている。「が」と「は」の使い分けは難しいが、この歌詞の意味の流れからすれば、「が」と「は」は最終段階で何らかの調整や推敲が必要だったはずだ。このことからも、この歌詞は完成前の段階のものだということが推測される。 

 時間の軸から考えると、志村正彦が漫画『モテキ』最終話のこのシーンを読むことも、あるいはその逆に、久保ミツロウが『MUSIC』収録の『Mirror』の歌詞を読むことも、現実にはありえない。この類似は全くの偶然だろう。ただし、この言葉の典拠となるような作品(何かは分からないが)を、両者がたまたま読んでいて影響を受けたという可能性はあるかもしれない。

 そのどちらにせよ、事実の次元には関係なく、この『Mirror』の歌詞を読むと、漫画『モテキ』のラストシーンとの間の、言葉と言葉の響きあいを感じずにはいられない。
 『夜明けのBEAT』と共に『Mirror』にも、『モテキ』との「奇跡って感じ」(久保ミツロウ)「シンクロ具合」(大根仁)を想起させる、志村正彦の優れた言葉がある。

2013年5月9日木曜日

心の声 (志村正彦LN 26)

 久保ミツロウは、漫画『モテキ』最終話のラストシーンの直前で、ある種の「目覚め」を「俺(幸世)」に与える。

 「土井亜紀」から別れ話を告げられた「俺(幸世)」は彼女に会うために、フジロックフェスに出かける。だが、彼女が他の男と一緒にいるのを目撃すると、「もともとそんな俺のこと 好きじゃなかったんだ」と思い、再び現実から逃げ出そうとする。
 そのとき、「俺(幸世)」の心の中で、「林田尚子」が「土井亜紀に今の自分見せつけてこい」と、「中柴いつか」が「やっぱりすぐに逃げんだね 変わってないじゃん」と、「小宮山夏樹」が「”本当の本”の私を理解したなんて 思い込みだか思い上がりがいやなの」と語りかける声が聞こえてくる。「俺(幸世)」は、ある心の変化に気づいて、こう呟く。

心の中に ちゃんといる
皆に会えて

不安にさせたり 励ましてくれたり
心の声が増えている


 他者の声、「幸世」のモテキを巡る四人の女性たちの声、そして友人や両親の声が、「俺(幸世)」の内面で「心の中」としてしっかりと根づき始めている。そのような「心の声」が増えてくることによって、「幸世」は変わり始める。

 他者の声は、時に「不安」にさせたり、時に「励まし」てくれたりするという両値性を持つが、そのような両値性に揺れたり、引き裂かれたりするのではなく、その両方を、良いことも悪いことも、肯定したいことも否定したいことも、心に受けとめ、心の枠組の中で的確に位置づけること。そのような過程を通じて、他者の声が心の声に変化していく。その心の声に向き合い、丁寧に時間をかけて対話を重ねていくこと。そのような心の動き方が、人の成長と人間関係の形成にとってとても重要となる。
 
 漫画『モテキ』の描く「幸世」はやはり、女性作家久保ミツロウが自分の分身として描いたということもあって、男性からすると、時に「男性」の心の動き方とは異なるところが垣間見られる。それは否定的なことではなくて、それゆえに、「幸世」は男女の差異を超えた普遍的な人間として造形されているとも考えられる。この「心の声」に気づくシーンにはそのような普遍性がある。

 ドラマ&映画『モテキ』の方は男性監督大根仁の演出ということもあって、男のどうしようもなさ、優柔不断ぶりというか端的に駄目さを強調している。それゆえに逆に、ある種のぎこちなさや純粋さを「幸世」に与えている。特にドラマの最終話では、漫画の最終話のような「目覚め」を「幸世」にもたらすことはなく、まだまだ「幸世」を迷いの状態に置きざりにする。だから、ドラマ『モテキ』の「幸世」は、漫画『モテキ』とは異なり、成長への彷徨いの過程にある。そのあたりを比較して愉しむことができるのも、漫画、ドラマ、映画という三つの作品がある『モテキ』の豊かさであろう。

  志村正彦は漫画の最終話もドラマも映画も見ることがかなわなかった、という悲しい事実がある。もしも彼が作品の全体を知ることができたのなら、どんな感想を抱いただろうか。
 漫画、ドラマ、映画の『モテキ』を読み返したり、見直したりして、志村正彦が作詞作曲し歌った『夜明けのBEAT』を聴いてみること。そのことによって歌の新たな意味が生まれてくるような気がする。