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2013年5月15日水曜日

森山未來と志村正彦の邂逅 (志村正彦LN 28)

  ドラマ&映画『モテキ』のオープニング。4人のヒロインを先頭に大勢の女たちが担ぐ神輿に、唯一の男「藤本幸世」(森山未來)が乗り音頭を取るシーンで、志村正彦の歌う『夜明けのBEAT』は流れる。この演出は、もともと漫画『モテキ』にあった画を再現したものである。「モテ期」=女御輿に乗る男、という面白い演出なのだが、この点について大根仁監督はこう語っている。( 《対談!「マンガ『モテキ』」久保ミツロウVS「ドラマ『モテキ』」大根仁》  http://ro69.jp/feat/moteki201009-3 )

大根: だから、ほんとにねえ……あんなふざけた画にしなきゃいけないっていうのがねえ(笑)。あの素敵な楽曲に対して。
久保: いや、あのPV、すごいよかったじゃないですか。
大根: いやいや、違う、ドラマのオープニングで"夜明けのBEAT"がかかる時の。
久保: ああ、女神輿(笑)。
大根: そう。「ファンはどう思ってるんだろうな」って、ずっと気になってて。遺作じゃないですか? 遺作をああいう感じで使うって、俺がファンだったらどう思うかな……って。でも、PVを撮ってほしいって話をいただいたんで、「じゃあちゃんとかっこいいものを作ろう」って。

 大根監督は「あの素敵な楽曲」に対して「あんなふざけた画」にしたことを気にしていたようだが、きらびやかなミラーボールの下でハートマークも光もあふれる女御輿の突き抜けた感じと、少しくぐもった抑制された志村正彦の声が夜更けから夜明にかけて闇から光の世界へと突き抜けようとするかのような感じが、意外にもよく調和している。この異質なものの複合を、志村正彦も気に入ったのではないだろうか。
 それでも、「遺作」であることを重んじて『夜明けのBEAT』のPVを「ちゃんとかっこいいもの」に撮ろうとした大根監督の想いは理解できる。

 このミュージック・ビデオについてネットで改めて調べてみると、『大根仁×easeback!「モテキ」森山未來が疾走するフジファブリックMV「夜明けのビート」 2010.09.03 Fri 』( http://white-screen.jp/?p=3633 )に、注目すべきことが書かれていた。

 その記事によると、このMVは、監督・大根仁。演出構成・easeback(イーズバック)、ダンス振付・劇団「冨士山アネット」主宰長谷川寧氏、の三者のコラボレーションで制作された。森山の振り付けは、「冨士山アネット」長谷川寧氏が「故・志村正彦が遺した歌詞を森山未来が身体で表現するというコンセプト」で考えたようである。また、映像面では、志村正彦の像は合成ではなく実際に「プロジェクターの映像を投影」して撮影したそうであるが、これは意外であった。デジタル編集したものとばかり思っていたが、確かに改めて見ると、影の映り方が実写らしく、少し解像度を下げたような投射映像が独特の臨場感を出している。

 さらに、easebackの演出者には「疾走する森山さんとその先にある壁の間に別の3次元的空間を感じさせる映像を流し、その虚構の世界の行き着く先で森山さんが志村さんと邂逅するという流れをつくりました」という意図があったことには非常に驚かされた。

 森山未來が志村正彦と邂逅する、何という想像力あふれる大胆で魅力のある演出なのだろう。失踪する森山をトラック・ショットで平行に移動して追うというカメラワークや生前のライブ映像を素材にするしかないという制限があったために、難しい演出となっただろうが、このような作品を創りだしたことには、深い感動を覚える。監督と演出者が志村正彦の歌の世界をよく理解し、その遺作に対してのリスペクトがあったからこそ実現できた試みだろう。

 これまで書いてきたように、『モテキ』の主人公「藤本幸世」と、志村正彦の分身である歌の中の「僕」との間には、ある共通の世界がある。
 『モテキ』の藤本幸世という虚構の人間を演じる森山未來は、ミュージック・ビデオというもう一つの虚構の中で、「僕」という分身の作者、志村正彦に巡りあう。虚構の中で、「幸世」と「僕」が出会うとしたら、その二人の間にはどのような対話が築かれるのか。『夜明けのBEAT』や『茜色の夕日』をテーマ曲とする『モテキ』の番外編を想像してみるのも愉しいかもしれない。

付記
 今回で、志村正彦と『モテキ』というテーマをひとまず完結させたい。当初の想定を超えて、1か月ほどの期間をかけて10回もの連載と分量になった。『夜明けのBEAT』と『Mirror』という二つの歌、『夜明けのBEAT』のミュージック・ビデオ、漫画・ドラマ・映画という三つの『モテキ』作品、久保ミツロウ氏や大根仁氏の幾つものインタビュー記事というように、多彩で質の高い作品や資料があったからこそだが、何よりも、志村正彦の歌の深さや豊かさが、このようなエッセイを書き続ける原動力となっている。

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