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2013年5月12日日曜日

『Mirror』と『モテキ』 (志村正彦LN 27)

    漫画『モテキ』のラストシーン。「俺(幸世)」は「土井亜紀」が男といることを見てうちひしがれていたが、「心の声が増えている」ことに励まされて、ガバアッと立ち上がり、「アキちゃん」と叫ぶ。「亜紀」は「藤本君に色々伝えたい事あったけど なんか顔見たら忘れちゃったよ」と応える。そのシーンに、次の独白の声が被さり、この物語の円環が閉じられる。

本当の俺とは別に皆の中にもそれぞれの俺がいるんだ
ずっと俺は自分は好かれる資格がないんだと思ってたけど
俺の実体とは関係なく誰かの心の中での姿は良くも悪くも変わってく

きっと皆の中で「俺」が勝手に動き回ってたんだろうな
全部伝わらなくてもいいから伝えてみるよ
今の俺はこんなです

そこから君の中の俺が変わる

 「俺(幸世)」の言う「本当の俺」「俺の実体」とは、「俺」自身がそう思っているところの「俺」、自分の捉える「俺」、いわゆる「ほんとうの自分」である。この独白にある「君の中の俺」という表現に倣って、対比的に名付けるなら、「俺の中の俺」とも言い換えられる。「俺(幸世)」は「本当の俺」「俺の実体」、『モテキ』の物語から言うと「モテない俺」「モテるはずのない俺」という自己の像にとらわれていた。そのことにこだわりすぎることで、空回りし続け、他者に「好かれる資格」がないと思いこんでいた。しかし、「皆の中」の「それぞれの俺」、他者の捉える「俺」は、自分の捉える「俺」とは異なり、しかも時と共に変化していく。

 自分の捉える「俺」と他者の捉える「俺」との間には「ずれ」がある。四人の女性たちとの関わりを通して、「俺(幸世)」は、自分の捉える「実体」としての「俺」と、他者の捉える「像」としての「俺」との二つの差異にようやく気づいたのであろう。女性たちの「幸世」に対する捉え方の方が、「幸世」の自分自身に対する捉え方よりも、端的に言って、柔軟で懐が深い。「幸世」という人間は、「俺(幸世)」自身が思っているより、器が大きい可能性があるのだ。このラストシーンで、ある意味では、他者の捉える「俺」の方が「俺」の真実に近いのかもしれないという認識の一歩手前に、「幸世」はたどりついたとも言える。

 そのような認識にたどりついたことで、「俺(幸世)」はある決意、「今の俺はこんなです」ということを「全部伝わらなくてもいいから伝えてみるよ」という決意をする。「俺(幸世)」が「今の俺」を「君」に伝えることを通して、「君の中の俺」が次第に変化していく。志村正彦の『夜明けのBEAT』の一節とシンクロさせるなら、「半分の事で良いから」「些細な事で良いから まずはそこから始めよう」という言葉が思い浮かぶ。「全部」ではなく「半分」や「些細な事」から、「俺」そして「僕」と「君」とのほんとうの関係が始まるのだろう。

 論理的に考えてみたい。「俺」には、「俺の中の俺」と「君の中の俺」という二つの要素がある。同じように、「君」にも、「君の中の君」と「俺の中の君」の二つの要素がある。「俺」と「君」との関係の中では、「俺の中の俺」「君の中の俺」「君の中の君」「俺の中の君」の四つが動いている。そのような複雑な関係、ダイナミックな運動の中で、「俺」と「君」、自己と他者の関係が形成されていく。

 今、この四つの言葉で説明を試みる地点まで来て、志村正彦の創ったある歌を想い出した。遺作『MUSIC』収録の『Mirror』(作詞、志村正彦。作曲・ボーカル、山内総一郎)である。驚くべきことに、次の一節があるのだ。『Mirror』はCDの歌詞カードでは鏡文字で記されていので、ここでは『志村正彦全詩集』から引用する。

  君が君の中の僕を見て
  僕は僕の中の君を見る

  迷路の中で会おう
  にじんだままでもいいよ

  (中略)
  
  君は君の中の君を作って
  僕は僕の中の僕を得る
                                      
 ここには、「君の中の僕」「僕の中の君」「君の中の君」「僕の中の僕」という四つの言葉がある。『モテキ』にあるのは、「君の中の俺」という一語のみであるが、先ほど論理的に導いた言葉を引いてくるなら、「君の中の俺」「俺の中の君」「君の中の君」「俺の中の俺」の四つの言葉が対応する。

 自己と他者の関係を、実体と鏡という側面を含めて考えると、この四つの要素が現れる。志村正彦もそのことを論理的に考えて、『Mirror』の歌詞に反映させたのだろう。「君」と「僕」は互いに「君の中の僕」と「僕の中の君」を見る。「鏡」を発想の起点にして、互いが互いを照らしあって、「僕」と「君」は「迷路の中で」「にじんだままで」もいいので「会おう」とする。そのことを通して、「君」と「僕」は互いに「君の中の君」と「僕の中の僕」を作り、得る。

 「僕」と「君」との関係を、「Mirror」、「鏡」や「反射」「反映」というモチーフで考察したのは、志村正彦らしい発想だ。以前引いた「歌詞は自分を映す鏡でもあると思うし、予言書みたいなものでもあると思うし、謎なんですよ」(『FAB BOOK』)という言葉とも関係してくるだろう。

 この『Mirror』が、作詞は志村、作曲・ボーカルは山内氏という分担になった経緯について、CDの歌詞カードや公式HPの「ライナーノーツ」の「楽曲解説」では、一切触れられていない。おそらく、歌詞だけが遺されていたので、作曲とボーカルを山内氏が担当することになったのだろうが、この歌の成立過程が分からないのは、非常に残念である。(その経緯がどこかに書かれているのなら、ご教示していただきたい)

 この歌詞自体は、引用部第1行の「君が」の「が」以外はすべて「僕は」「君は」「僕は」というように「は」となっている。「が」と「は」の使い分けは難しいが、この歌詞の意味の流れからすれば、「が」と「は」は最終段階で何らかの調整や推敲が必要だったはずだ。このことからも、この歌詞は完成前の段階のものだということが推測される。 

 時間の軸から考えると、志村正彦が漫画『モテキ』最終話のこのシーンを読むことも、あるいはその逆に、久保ミツロウが『MUSIC』収録の『Mirror』の歌詞を読むことも、現実にはありえない。この類似は全くの偶然だろう。ただし、この言葉の典拠となるような作品(何かは分からないが)を、両者がたまたま読んでいて影響を受けたという可能性はあるかもしれない。

 そのどちらにせよ、事実の次元には関係なく、この『Mirror』の歌詞を読むと、漫画『モテキ』のラストシーンとの間の、言葉と言葉の響きあいを感じずにはいられない。
 『夜明けのBEAT』と共に『Mirror』にも、『モテキ』との「奇跡って感じ」(久保ミツロウ)「シンクロ具合」(大根仁)を想起させる、志村正彦の優れた言葉がある。

2 件のコメント:

  1. 初めまして。大変興味深く読ませていただいております。

    1つだけ気になったことがありましたので、コメントをさせていただきたいと思います。

    「Mirror」のことなのですが、MUSICのライナーノートで、
    『志村君の摩訶不思議な歌詞と、刄田さんの「悪魔のような」ドラムをきっかけに大変貌を遂げた曲』という記述があり、
    (http://www.fujifabric-music.com/linernotes/index.html)


    それと、http://ent2.excite.co.jp/music/special/2010/fujifabric/music.html
    では、インタビュアーの方の『「Mirror」は山内くんの曲に志村くんが歌詞を書いて、この曲もヴォーカルは山内くん。』
    という部分があります。

    おそらく曲が先だったと思われます。

    徒然流線形のさいたま新都心のライブに行ったときに、
    山内さんが、「セカンドアルバムあたりのときには曲はできていた。」と言っていた記憶があります。

    しかし、今のところ記事や他のライブ参加者のブログ等にも見られないことから、ちょっと不確かな情報かもしれません。

    こんなコメントで申し訳ありません。




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    1. Fujineko 様

      こんばんは。ご親切なコメントありがとうございました。

      『Mirror』について、曲(山内総一郎氏作曲)が歌詞(志村正彦作詞)より先行していたというご指摘ですが、根拠となったインタビュー(http://ent2.excite.co.jp/music/special/2010/fujifabric/music.html)の取材・文が小野田雄氏であるということは、信頼性が高い資料だと判断できますので、現時点では、ご指摘の通りの順序でこの楽曲が作られたとする方が妥当だとは思います。

      〈徒然流線形のさいたま新都心のライブに行ったときに、山内さんが、「セカンドアルバムあたりのときには曲はできていた。」と言っていた記憶があります。〉と書いていただいたことも興味深いです。

       ただし、ブログに書いたように、『Mirror』の歌詞は完成前の段階のものだと私は推測していますので、曲先で作られたとすると、志村正彦のこの歌詞がどのような形で記録されていたのか(ハードディスク内の記録として、あるいは紙に書いた歌詞として)が気にはなります。
       かなり以前から、山内氏作曲の『Mirror』原曲があり、志村正彦が時間をかけてその曲にあわせて歌詞を作り、その音源の記録あるいはその過程がハードディスクに残されていたという可能性もあるのでしょうが、なかなか複雑な経緯になるかもしれません。

       結局、繰り返しになりますが、『Mirror』の歌詞カードや公式HPの「ライナーノーツ」の「楽曲解説」に、この歌の成立過程が記されていれば明確な事実が分かったのに、それがないことが残念です。これからでも遅くないから、他の曲を含めて、『MUSIC』収録作の成立の「事実」について、制作会社が公式に伝えてくれるのが一番いいのですが。

      今回のご教示にとても感謝しております。さらに入念に色々な資料を読み込んで、今後も書いていきたいと思います。ありがとうございました。

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