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2013年6月19日水曜日

語ること、語られること。 (志村正彦LN 33)

   前回、「1万ビューを超えて」を書いたが、ツイッターなどでこのblogを紹介していただいた方がいらっしゃるようで、ページビュー数がこのところかなり増えている。有り難い。このまま書き続けよという声だと受け止め、この試みを続けていきたい。

 前回のコメント欄にも書いたように、歌というものは、ただひたすら聴くものであり、あくまで個人的な経験であり、他者に向けて語るようなものではない、という一種の「ためらい」がないことはない。何かを語ることは、その反作用として、語らないというあり方の重みへと内省を促す。

 しかし、語ることは、批評的に語るという行為は、語る対象を、私的な場から公的な場へと、顕わにするものである。志村正彦を、その遺された作品群を、多くの人が語りあう、光ある、明るみのある世界へと、顕現させること。そのようなことが必要とされているのではないか。その想いは、LN31で紹介した片寄明人氏のノート「フジファブリック 9」で伝えられている、志村正彦の言葉から、導かれてもいる。

志村くんからは何度も「片寄さん、いつかどこかで僕の音楽のことを語ってくださいよ」と言われていた。
彼は自分の音楽が正当に、音楽的にディープな視点から語られたことがあんまりないと思う、と語っていた。

 志村正彦が「自分の音楽が正当に、音楽的にディープな視点から語られたことがあんまりない」と思ったことは、充分にありえたことだろう。彼だけではない。優れた表現者であれば、ごく少数の例外を除いて、同様の思いを抱いているだろう。「正当に語られること」「ディープな視点から批評されること」の不在、音楽だけでなく文学でも映画でも、そのような行為の不在が際だっているのが、日本の状況である。

 以前にも書いたように、音楽的な視点で語ることは私の力量では不可能である。だから、少しは経験と方法の蓄積がある、言葉からの、言葉への、視点に限定して、「志村正彦LN」を書いている。彼が成し遂げつつあった(成し遂げた、とはやはり書きたくない)極めて優れた歌は、言葉に視点を限定しても、おそらく、彼の自己評価を超えた独創性があり、時の流れと共に色あせることのないような、本質的に新しいものであった。今の私にはそのような見取り図があるだけで、何かが確実に分かっているわけではない。色々と時間をかけて詰めていく作業の果てに、何とか論として示すことができればと考えている。

 彼について、様々な人が様々な視点で語り続けていくのが望まれることだろう。
 今、実際に歌を作りロックを奏でている人、あるいはかってそうしていた人であれば、音楽的な視点、楽曲の視点から志村正彦を語ることが可能だろう。今、そのような言葉も待たれているのだと思う。

 振り返れば、この「志村正彦LN」は、昨年12月の「夕方5時のチャイム」イベントと、もとになった『若者のすべて』について書くことから始まった。本論に入る前の予備的考察から、彼の詩の分かりにくさ、「複合体」としての歌、解釈の変化というように展開し、印象深い『ペダル』へ踏み込み、『夜明けのBEAT』テレビ放送を契機に『モテキ』との関係を取り上げ、そうこうしているうちに、新宿ロフトのメレンゲ・GREAT3のライブに広がっていった。

 行き当たりばったりのようだが、ライブ感というかリアルタイムで動いていく感じを出すことはできるだけ心がけた。前回のコメント欄で触れたように、新譜や公演中心の音楽界で、彼の情報がほとんどというか全くないという、寂しい哀しい現実がある。だからこそ、様々の出来事や偶然の遭遇を通じて、志村正彦が創りだした世界が未だに「動いている」感覚を表したかった。これは大切なことだ。その反面、一つの歌について持続的に考察していく流れが見えにくくなってしまった。『若者のすべて』がそうである。  

 すでに『Fujifabric International Fan Site 』でJack Russellさんが知らせてくれたように、この7月、富士吉田で、志村正彦の誕生日から5日間、防災無線のチャイムが再び彼の歌に変わる予定である。新たなチャイムが始まる前に、『若者のすべて』についてひとまず書き終えなくては区切りがつかない。そう考え、次回から再開したい。

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