「S/R(Songs to Remember)」を4回続けたが、今回は久しぶりに志村正彦ライナーノーツに戻りたい。
コロナ危機の状況下、大学の新学期は延期され休校状態になっている。僕も在宅勤務が基本となった。「Stay Home」である。
5月中旬から予定されている遠隔授業、Online授業の環境整備の担当として、教職員、学生、ネットワーク会社と、毎日二十を超えるメールのやりとりをしている。校務の仕事がものすごく増えて、正直、とても疲れている。オンとオフの切り替えができない。実務文書やメールばかり書いているので、ブログのテキストを書くことは一種の解放となる。
我が家のCDプレーヤーのトレイには通常、フジファブリック『SINGLES 2004-2009』か『シングルB面集 2004-2009』が載せてある。フジファブリックは、PCやネットワークでなく、CD音源ともう20年も愛用している小型のブックシェルフスピーカーを通した音で聴きたいのだ。
この前、『SINGLES 2004-2009』を久しぶりにかけた。このところ、音楽を聴く気持ちにも慣れないほど仕事に追われていた。そんな状態で、スピーカーが、1. 桜の季節、2. 陽炎、3. 赤黄色の金木犀、4. 銀河と、四季盤の曲を次々に鳴らしていった。目をつぶって志村正彦・フジファブリックの春夏秋冬の歌に耳を傾けた。
三月末から家にいる時間が多くなり、外の世界と隔てられている。季節から遠ざかっているという感覚だ。そんな自分の身体に、「桜の季節」、「陽炎」の季節、「赤黄色の金木犀」の季節、「きらきらの空」の季節が順々に訪れてくる、そんな気分に浸ることができた。
僕のまわりに志村正彦が描く季節が動き出していく。「Virtualな四季」を擬似的に経験した。
桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい? 桜のように舞い散って しまうのならばやるせない 『桜の季節』
窓からそっと手を出して やんでた雨に気付いて 慌てて家を飛び出して そのうち陽が照りつけて 遠くで陽炎が揺れてる 陽炎が揺れてる 『陽炎』
赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって 何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道 『赤黄色の金木犀』
きらきらの空がぐらぐら動き出している! 確かな鼓動が膨らむ 動き出している! 『銀河』
四季の移り変わりと共に、「遠くの町」「家」「帰り道」「丘」と、場所も動いていく。春夏秋冬の映像が頭の中に浮かんでくる。四季の時間と場所、この二つが連動して、志村正彦の季節の感覚とシンクロナイズしていくような感覚になった。
時を少し遡りたい。
3月26日(木) 午後3時08分から、NHK総合テレビで『にっぽん ぐるり「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」』(NHK甲府制作)が再放送された。そのことに触れたLN251で、槇原敬之『若者のすべて』の歌とコメントの映像がどうなるのかが気になると書いた。
結果は、柴崎コウの写真を背景に彼女が歌う『若者のすべて』が流された。当然ではあろうが、やはり変更されていた。柴崎コウの『若者のすべて』の純度の高い声は素晴らしい。
一昨日、4月23日の夜、日本テレビ「今夜くらべてみました」は、『菅田将暉が熱弁!大切な事は全てJ-POPから学んだ男と女』というタイトルだった。このタイトルに惹かれて、番組を見てみた。菅田将暉は『茜色の夕日』を聴いて音楽を始めようとしたほど志村正彦の作品を敬愛している。もしかするとという予感があった。番組は、ゲストの菅田将暉(20代)、平川美香(30代)、平野ノラ(40代)の3世代が、大切な事を学んだ曲を選んでいくという内容だった。
「落ち込んでいる時に聴く曲」でくらべてみましたというテーマで、菅田将暉はフジファブリック『夜明けのBEAT』を選んだ。菅田は、「モテキ」の曲です、歌詞も「バクバク鳴ってる」みたいなわりと上げ目の曲で、と紹介していた。『夜明けのBEAT』が志村の声で流されて、画面にはフジファブリックの写真と共に次のような表示が出た。
フジファブリック「夜明けのBEAT」2010
ドラマ&映画「モテキ」の主題歌
心踊る気持ちを疾走感あふれるビートで表現
もっとコメントがほしかったのだが、こういう構成の番組にそれを求めても仕方がない。菅田将暉のフジファブリック愛が充分に伝わってきた。この後で『若者のすべて』がBGM的に流されるシーンもあった。
翌日の24日、NHKBS1で「ひとモノガタリ」の『若者のすべて ~“失われた世代”のあなたへ~』が再々放送された。放送局は制作が困難なために、このところ再放送が多くなっている。
そういう状況下ではあるが、 志村正彦の番組がこれだけ繰り返しオンエアされるのは、彼の人と音楽に対する高い評価があるからだろう。
2020年4月25日土曜日
2020年4月18日土曜日
Peter Gabriel and Kate Bush『Don't Give Up 』[S/R004]
S/R(Songs to Remember)第4回は、Peter Gabriel and Kate Bush(ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュ)の『Don't Give Up 』。
Peter Gabrielは、洋楽の中で最も愛する音楽家だ。ロックの歴史上、才能という観点で彼は最も優れた存在であろう。
出逢いは、Genesisの1973年の『GENESIS LIVE』だった。僕が初めて買った輸入盤だった。「ミュージックマガジン」の輸入レコード店(どの店かは覚えていない)の広告でアルバムの奇妙な写真に惹かれて通信販売で購入した。つまり「ジャケ買い」だった。
Genesisの存在は雑誌を通じて少しだけ知っていたが、音楽は聴いたことがなかった。ラジオで流されることもなかったと思う。70年代前半の日本では、英国プログレッシブロックでの知名度は最も低かった。GENESISやPeter Gabrielが日本でもブレイクするのは70年代後半から80年代初頭にかけての頃である。
『GENESIS LIVE』を聴いて、その不可思議な世界に魅了された。Peter Gabriel(ボーカル、フルート、パーカッション)、Tony Banks(キーボード)、Mike Rutherford(ベース)、Steve Hackett(ギター)、Phil Collins(ドラムス)の5人編成。Peter Gabrielの声と歌。変幻自在なメロディとリズムを奏でる演奏。シアトリカルな演出。聖書や神話、物語や小説から題材を取った奇想天外な歌詞はほとんど理解不能だったが、断片的に聞こえてくるフレーズが耳にこびりついてきた。Peter Gabrielはロックの詩人として高く評価されていた。
1974年リリースの『The Lamb Lies Down on Broadway』(眩惑のブロードウェイ)は、GENESIS の最高傑作だった。インナースリーブに記された物語や歌詞を読み込んだ。英米の文学へ関心を持つようにもなった。しかし、1975年、Peter GabrielはGENESISを脱退。悲嘆に暮れたのだが、1977年に彼はソロアーティストとして復活した。その後の活躍はここで記すまでもないだろう。
このPeter Gabriel &Kate Bushの 『Don't Give Up 』は、1986年の5枚目ソロアルム『So』に収録。Kate Bushも好きだったが、二人のデュエットと知って初めはとまどっていたが、レコードをかけるとその出来映えに驚いた。Godley & Creme(ゴドレイ&クレーム)制作のミュージックビデオも秀逸だった。背景の太陽が日食になり、コロナらしきものが見える。特に象徴性はないのだろうが、コロナ危機の状況下の偶然に目を引きつけられた。最後になると、日食が終わり太陽の光が戻ってくる。二人のシルエットが光の中に消えていく。
この歌は、大恐慌時代の貧困に苦しむアメリカ人を撮影した写真から着想を得て、サッチャー時代のイギリスで失業に苦しむ人々を重ね合わせているようだ。
「I am a man whose dreams have all deserted 僕はすべての夢をなくした男だ」と語る男に、「Don't give up 'cause you have friends あきらめないで あなたには友だちがいる / Don't give up You're not the only one あきらめないで あなたは一人じゃない」と語りかける女。
女は「'cause I believe there's the a place/There's a place where we belong 信じている 私たちの居場所があることを」と歌っている。
誰もが「居場所」に帰り、安らぎが得られることを祈りたい。
Don't give up.
The official Don't Give Up video. Directed by Godley and Creme.
Don't Give Up [ Peter Gabriel ]
In this proud land we grew up strong
We were wanted all along
I was taught to fight, taught to win
I never thought I could fail
No fight left or so it seems
I am a man whose dreams have all deserted
I've changed my face, I've changed my name
But no-one wants you when you lose
Don't give up 'cause you have friends
Don't give up you're not beaten yet
Don't give up I know you can make it good
Though I saw it all around
Never thought that I could be affected
Thought that we'd be last to go
It is so strange the way things turn
Peter Gabrielは、洋楽の中で最も愛する音楽家だ。ロックの歴史上、才能という観点で彼は最も優れた存在であろう。
出逢いは、Genesisの1973年の『GENESIS LIVE』だった。僕が初めて買った輸入盤だった。「ミュージックマガジン」の輸入レコード店(どの店かは覚えていない)の広告でアルバムの奇妙な写真に惹かれて通信販売で購入した。つまり「ジャケ買い」だった。
Genesisの存在は雑誌を通じて少しだけ知っていたが、音楽は聴いたことがなかった。ラジオで流されることもなかったと思う。70年代前半の日本では、英国プログレッシブロックでの知名度は最も低かった。GENESISやPeter Gabrielが日本でもブレイクするのは70年代後半から80年代初頭にかけての頃である。
『GENESIS LIVE』を聴いて、その不可思議な世界に魅了された。Peter Gabriel(ボーカル、フルート、パーカッション)、Tony Banks(キーボード)、Mike Rutherford(ベース)、Steve Hackett(ギター)、Phil Collins(ドラムス)の5人編成。Peter Gabrielの声と歌。変幻自在なメロディとリズムを奏でる演奏。シアトリカルな演出。聖書や神話、物語や小説から題材を取った奇想天外な歌詞はほとんど理解不能だったが、断片的に聞こえてくるフレーズが耳にこびりついてきた。Peter Gabrielはロックの詩人として高く評価されていた。
1974年リリースの『The Lamb Lies Down on Broadway』(眩惑のブロードウェイ)は、GENESIS の最高傑作だった。インナースリーブに記された物語や歌詞を読み込んだ。英米の文学へ関心を持つようにもなった。しかし、1975年、Peter GabrielはGENESISを脱退。悲嘆に暮れたのだが、1977年に彼はソロアーティストとして復活した。その後の活躍はここで記すまでもないだろう。
このPeter Gabriel &Kate Bushの 『Don't Give Up 』は、1986年の5枚目ソロアルム『So』に収録。Kate Bushも好きだったが、二人のデュエットと知って初めはとまどっていたが、レコードをかけるとその出来映えに驚いた。Godley & Creme(ゴドレイ&クレーム)制作のミュージックビデオも秀逸だった。背景の太陽が日食になり、コロナらしきものが見える。特に象徴性はないのだろうが、コロナ危機の状況下の偶然に目を引きつけられた。最後になると、日食が終わり太陽の光が戻ってくる。二人のシルエットが光の中に消えていく。
この歌は、大恐慌時代の貧困に苦しむアメリカ人を撮影した写真から着想を得て、サッチャー時代のイギリスで失業に苦しむ人々を重ね合わせているようだ。
「I am a man whose dreams have all deserted 僕はすべての夢をなくした男だ」と語る男に、「Don't give up 'cause you have friends あきらめないで あなたには友だちがいる / Don't give up You're not the only one あきらめないで あなたは一人じゃない」と語りかける女。
女は「'cause I believe there's the a place/There's a place where we belong 信じている 私たちの居場所があることを」と歌っている。
誰もが「居場所」に帰り、安らぎが得られることを祈りたい。
Don't give up.
The official Don't Give Up video. Directed by Godley and Creme.
Don't Give Up [ Peter Gabriel ]
In this proud land we grew up strong
We were wanted all along
I was taught to fight, taught to win
I never thought I could fail
No fight left or so it seems
I am a man whose dreams have all deserted
I've changed my face, I've changed my name
But no-one wants you when you lose
Don't give up 'cause you have friends
Don't give up you're not beaten yet
Don't give up I know you can make it good
Though I saw it all around
Never thought that I could be affected
Thought that we'd be last to go
It is so strange the way things turn
Drove the night toward my home
The place that I was born, on the lakeside
As daylight broke, I saw the earth
The trees had burned down to the ground
Don't give up you still have us
Don't give up we don't need much of anything
Don't give up 'cause somewhere there's a place where we belong
Rest your head
You worry too much
It's going to be alright
When times get rough
You can fall back on us
Don't give up
Please don't give up
Got to walk out of here
I can't take anymore
Going to stand on that bridge
Keep my eyes down below
Whatever may come
and whatever may go
That river's flowing
That river's flowing
Moved on to another town
Tried hard to settle down
For every job, so many men
So many men no-one needs
Don't give up 'cause you have friends
Don't give up you're not the only one
Don't give up no reason to be ashamed
Don't give up you still have us
Don't give up now we're proud of who you are
Don't give up you know it's never been easy
Don't give up 'cause I believe there's a place
There's a place
Where we belong
Don't give up
Don't give up
Don't give up
The place that I was born, on the lakeside
As daylight broke, I saw the earth
The trees had burned down to the ground
Don't give up you still have us
Don't give up we don't need much of anything
Don't give up 'cause somewhere there's a place where we belong
Rest your head
You worry too much
It's going to be alright
When times get rough
You can fall back on us
Don't give up
Please don't give up
Got to walk out of here
I can't take anymore
Going to stand on that bridge
Keep my eyes down below
Whatever may come
and whatever may go
That river's flowing
That river's flowing
Moved on to another town
Tried hard to settle down
For every job, so many men
So many men no-one needs
Don't give up 'cause you have friends
Don't give up you're not the only one
Don't give up no reason to be ashamed
Don't give up you still have us
Don't give up now we're proud of who you are
Don't give up you know it's never been easy
Don't give up 'cause I believe there's a place
There's a place
Where we belong
Don't give up
Don't give up
Don't give up
2020年4月15日水曜日
HINTO『エネミー』[S/R003]
前回のS/R[Songs to Remember]は、ポール・サイモンの『The Boxer』だったが、昨日たまたまNHKBSプレミアムで映画『卒業』[The Graduate](マイク・ニコルズ監督,1967)」が放送されたので、録画して鑑賞した。この映画はかなり前に見たことがあるが、今回の印象はそれとはまったく異なっていた。映画、音楽、文学の名作は、もう一度あるいは何度でも繰り返し見たり読んだり聞いたりすると、新たな発見がある。そのことを再確認させられた。
サイモン&ガーファンクルのいくつかの名曲が場面場面で流される。でも曲自体は映画の展開とは独立している。歌と物語が分離されているのだ。『The Boxer』はなかなか複雑な作品であるが、S&Gの声はとても美しく響きわたっていた。
S/R[Songs to Remember]第3回は、HINTOの『エネミー』ライブ映像。『The Boxer』からの連想というわけではないが、「敵」をモチーフとするこの傑作を紹介したい。
この映像の収録は2014年9月23日の渋谷CLUB QUATTRO。これもたまたまだが、このライブに行っていた。ただひたすら凄い演奏だった。得がたい音の体験だった。 安部コウセイのボーカル・ギター、伊東真一のギター、安部光広のベース、菱谷昌弘のドラムス。僕にとっては、1980年新宿ロフトでのFRICTIONライブを凌駕する衝撃だった。
この映像はそのライブを撮影した「official bootleg LIVE MOVIE」である。クレジットを見ると、ディレクターが須藤中也(m社 映像部)であることに初めて気づいた。あのフジファブリック『FAB BOX III』の映像の制作者である。あの日のライブの迫真性を忠実に捉えて、映像に見事に再現している。僕は会場の一番奥の方に立っていた。一番引いた映像を撮っているカメラのすぐ後ろだった。演奏後の静かな熱狂の余韻を示す観客の拍手のシーン。あの日の記憶を共有できる。
『エネミー』の歌詞にある「敵」はある抽象としても一つの具象としても捉えることができるのだろう。見えるものも見えないものもある。そもそも敵であることが明らかなものも明らかでないものもある。
安部コウセイ・HINTOは「敵の声を掻き消せ/歌声」と歌っている。「歌声」が「敵の声」を掻き消す。この歌の究極のvisionだ。安部のそしてHINTOの「歌声」がこの時代に突き刺さってくる。僕らの「歌声」にこだましてくる。
HINTO 『エネミー』【official bootleg LIVE MOVIE】
2014.09.23@渋谷CLUB QUATTRO
dir.須藤中也(m社 映像部)
撮影.鈴木謙太郎(m社 映像部)/大石規湖/ 宮本杜朗
HINTO 『エネミー』(作詞:安部コウセイ 作曲:HINTO)
こんなモグラみたいな眼で見つめても
地図がぼやけて読めるわないだろ
こんなO脚の足で歩いても
そこに辿り着ける筈がないだろ
目をつぶって祈らないで
救いなんて待たないで
やがてそうして受けとめて
決めたから
決めたから
こんな汗にまみれた手で掴んでも
すぐにすべり落ちてしまうだけだろ
耳すまして怯えないで
許しなんてこわないで
だからどうした?はね返して
今からだ
今から行く
『奴の次はおまえさ』
闇にまぎれ囁く
どこへゆこうと同じさ
敵の声を掻き消せ
歌声
サイモン&ガーファンクルのいくつかの名曲が場面場面で流される。でも曲自体は映画の展開とは独立している。歌と物語が分離されているのだ。『The Boxer』はなかなか複雑な作品であるが、S&Gの声はとても美しく響きわたっていた。
S/R[Songs to Remember]第3回は、HINTOの『エネミー』ライブ映像。『The Boxer』からの連想というわけではないが、「敵」をモチーフとするこの傑作を紹介したい。
この映像の収録は2014年9月23日の渋谷CLUB QUATTRO。これもたまたまだが、このライブに行っていた。ただひたすら凄い演奏だった。得がたい音の体験だった。 安部コウセイのボーカル・ギター、伊東真一のギター、安部光広のベース、菱谷昌弘のドラムス。僕にとっては、1980年新宿ロフトでのFRICTIONライブを凌駕する衝撃だった。
この映像はそのライブを撮影した「official bootleg LIVE MOVIE」である。クレジットを見ると、ディレクターが須藤中也(m社 映像部)であることに初めて気づいた。あのフジファブリック『FAB BOX III』の映像の制作者である。あの日のライブの迫真性を忠実に捉えて、映像に見事に再現している。僕は会場の一番奥の方に立っていた。一番引いた映像を撮っているカメラのすぐ後ろだった。演奏後の静かな熱狂の余韻を示す観客の拍手のシーン。あの日の記憶を共有できる。
『エネミー』の歌詞にある「敵」はある抽象としても一つの具象としても捉えることができるのだろう。見えるものも見えないものもある。そもそも敵であることが明らかなものも明らかでないものもある。
安部コウセイ・HINTOは「敵の声を掻き消せ/歌声」と歌っている。「歌声」が「敵の声」を掻き消す。この歌の究極のvisionだ。安部のそしてHINTOの「歌声」がこの時代に突き刺さってくる。僕らの「歌声」にこだましてくる。
HINTO 『エネミー』【official bootleg LIVE MOVIE】
2014.09.23@渋谷CLUB QUATTRO
dir.須藤中也(m社 映像部)
撮影.鈴木謙太郎(m社 映像部)/大石規湖/ 宮本杜朗
HINTO 『エネミー』(作詞:安部コウセイ 作曲:HINTO)
こんなモグラみたいな眼で見つめても
地図がぼやけて読めるわないだろ
こんなO脚の足で歩いても
そこに辿り着ける筈がないだろ
目をつぶって祈らないで
救いなんて待たないで
やがてそうして受けとめて
決めたから
決めたから
こんな汗にまみれた手で掴んでも
すぐにすべり落ちてしまうだけだろ
耳すまして怯えないで
許しなんてこわないで
だからどうした?はね返して
今からだ
今から行く
『奴の次はおまえさ』
闇にまぎれ囁く
どこへゆこうと同じさ
敵の声を掻き消せ
歌声
2020年4月13日月曜日
Paul Simon 『The Boxer』[S/R002]
3月31日、ポール・サイモン(Paul Simon)が「The Boxer」を歌う映像を公開した。この時期の演奏ということはおそらく、「コロナ危機」と闘うニューヨークそして全世界の「ボクサー」に対して捧げたのだろう。
「The Boxer」はサイモン&ガーファンクル(Simon and Garfunkel、S&G)の言わずとしれた名曲である。70年代前半、日本でもS&Gの人気は圧倒的だった。それこそラジオに毎日流れるくらいの。僕もファンだった。英語の歌詞に興味を持つきっかけにもなった。
1982年5月、S&Gの初来日公演に行った。今はなき後楽園球場が会場だった。記憶はうすれてしまったが、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの二人の声が大空を駆け上がるように綺麗に広がっていたことは覚えている。
2018年9月、彼は故郷のニューヨークでのライブを終えて引退したようだが、現在の危機に対抗するかのように復活して演奏する姿を見ると、ポール・サイモン自身がボクサー、闘う歌い手であり詩人であることが強く伝わってくる。
79歳になった彼はもちろん年齢相応の姿となっているが、アコースティックギターを抱えるようにして奏でて美しく響かせている。時折みせる深くて優しい眼差し。声はみずみずしく何かと闘っている。最後の「"I am leaving, I am leaving", but the fighter still remains」というところが胸に突き刺さる。「still remains」が繰り返されるのだ。
Paul Simon - The Boxer (Acoustic Version March 2020)
I am just a poor boy, though my story's seldom told
I have squandered my resistance for a pocketful of mumbles, such are promises
All lies and jest, still a man hears what he wants to hear
And disregards the rest, hmmmm
When I left my home and my family, I was no more than a boy
In the company of strangers
In the quiet of the railway station, runnin' scared, laying low
Seeking out the poorer quarters, where the ragged people go
Looking for the places only they would know
Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie
Asking only workman's wages, I come lookin' for a job
But I get no offers
Just a come-on from the whores on 7th Avenue
I do declare, there were times when I was so lonesome
I took some comfort there, lalalalalalala
Now the years are rolling by me
They are rockin' evenly
I am older than I once was
And younger than I'll be; that's not unusual
Nor is it strange
After changes upon changes
We are more or less the same
After changes we are more or less the same
Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie
And I'm laying out my winter clothes and wishing I was gone
Goin' home
Where the New York City winters aren't bleedin' me
Leadin' me
Goin' home
In the clearing stands a boxer, and a fighter by his trade
And he carries the reminders
Of every glove that laid him down or cut him
'Til he cried out in his anger and his shame
"I am leaving, I am leaving", but the fighter still remains
Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie
「The Boxer」はサイモン&ガーファンクル(Simon and Garfunkel、S&G)の言わずとしれた名曲である。70年代前半、日本でもS&Gの人気は圧倒的だった。それこそラジオに毎日流れるくらいの。僕もファンだった。英語の歌詞に興味を持つきっかけにもなった。
1982年5月、S&Gの初来日公演に行った。今はなき後楽園球場が会場だった。記憶はうすれてしまったが、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの二人の声が大空を駆け上がるように綺麗に広がっていたことは覚えている。
2018年9月、彼は故郷のニューヨークでのライブを終えて引退したようだが、現在の危機に対抗するかのように復活して演奏する姿を見ると、ポール・サイモン自身がボクサー、闘う歌い手であり詩人であることが強く伝わってくる。
79歳になった彼はもちろん年齢相応の姿となっているが、アコースティックギターを抱えるようにして奏でて美しく響かせている。時折みせる深くて優しい眼差し。声はみずみずしく何かと闘っている。最後の「"I am leaving, I am leaving", but the fighter still remains」というところが胸に突き刺さる。「still remains」が繰り返されるのだ。
Paul Simon - The Boxer (Acoustic Version March 2020)
I am just a poor boy, though my story's seldom told
I have squandered my resistance for a pocketful of mumbles, such are promises
All lies and jest, still a man hears what he wants to hear
And disregards the rest, hmmmm
When I left my home and my family, I was no more than a boy
In the company of strangers
In the quiet of the railway station, runnin' scared, laying low
Seeking out the poorer quarters, where the ragged people go
Looking for the places only they would know
Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie
Asking only workman's wages, I come lookin' for a job
But I get no offers
Just a come-on from the whores on 7th Avenue
I do declare, there were times when I was so lonesome
I took some comfort there, lalalalalalala
Now the years are rolling by me
They are rockin' evenly
I am older than I once was
And younger than I'll be; that's not unusual
Nor is it strange
After changes upon changes
We are more or less the same
After changes we are more or less the same
Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie
And I'm laying out my winter clothes and wishing I was gone
Goin' home
Where the New York City winters aren't bleedin' me
Leadin' me
Goin' home
In the clearing stands a boxer, and a fighter by his trade
And he carries the reminders
Of every glove that laid him down or cut him
'Til he cried out in his anger and his shame
"I am leaving, I am leaving", but the fighter still remains
Lie la lie, lie la lie la lie la lie
Lie la lie, lie la lie la lie la lie, la la lie la lie
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Songs to Remember[S/R]
2020年4月12日日曜日
フジファブリック『桜の季節』[S/R001]
「コロナ危機」への対策として、勤務先の山梨英和大学は「緊急クローズ」宣言を出した。学生・関係者の来校が原則禁止。教職員の自宅研修・自宅勤務も始まっている。今、五月以降の遠隔授業の準備に追われている。
この危機の中で自宅勤務となった方はまだ幸せだろう。通勤して勤めざるをえない方の感染への不安、仕事を奪われて自宅に留まざるをえない方、住む場所がない方の不安と窮乏を思うと、心が痛む。言葉にはどうしても現実との隔たりがある。書くことには距離がある。軽さも伴う。なんともいえない気分になるが、僕にできることはこのblogを続けることしかないので、その原点を確認して歩みを進めたい。
以前から考えていたことを始めたい。ロックを聴き始めてからもう四十数年の歳月が経った。その間に聴いてきた数々の名曲がある。中にはもう忘れられてしまったような作品もある。また、比較的最近聞いてとても気に入った曲もある。
このような状況下だからこそ、ネットの映像や音源を活用して、それらの名曲を紹介したい。説明はあまりしないで歌詞を載せるというスタイルでいきたい。
シリーズ名は「Songs to Remember」の略記[S/R]にした。この名は、Scritti Politti スクリッティ・ポリッティの1982年のアルバム『Songs to Remember』から取った。学生の頃愛聴していたアルバムだ。 "Jacques Derrida" という歌もあって、愉快でラディカルな作品だった。
一曲目は何にしようと数日考えていた。[S/R]は邦楽、洋楽を問わず、時代もジャンルも関係なく取り上げていく。それでもこの季節にやはり思い浮かんだのは、2004年4月14日リリースのフジファブリック『桜の季節』だ。16年前の曲になる。
今年の春は、桜を見ることもなく、桜が過ぎ去っていった。日常の風景が少し異なって見えてきた。
志村正彦は、「ならば愛をこめて/手紙をしたためよう」と歌っている。この「ならば」の前に挿まれる仮定の言葉は無限にあるのだろう。
フジファブリック 『桜の季節』
(作詞・作曲:志村正彦)
桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない
oh ならば愛をこめて
so 手紙をしたためよう
作り話に花を咲かせ
僕は読み返しては 感動している!
桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない
oh その町に くりだしてみるのもいい
桜が枯れた頃 桜が枯れた頃
坂の下 手を振り 別れを告げる
車は消えて行く
そして追いかけていく
諦め立ち尽くす
心に決めたよ
oh ならば愛をこめて
so 手紙をしたためよう
作り話に花を咲かせ
僕は読み返しては 感動している!
桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない
桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない
この危機の中で自宅勤務となった方はまだ幸せだろう。通勤して勤めざるをえない方の感染への不安、仕事を奪われて自宅に留まざるをえない方、住む場所がない方の不安と窮乏を思うと、心が痛む。言葉にはどうしても現実との隔たりがある。書くことには距離がある。軽さも伴う。なんともいえない気分になるが、僕にできることはこのblogを続けることしかないので、その原点を確認して歩みを進めたい。
以前から考えていたことを始めたい。ロックを聴き始めてからもう四十数年の歳月が経った。その間に聴いてきた数々の名曲がある。中にはもう忘れられてしまったような作品もある。また、比較的最近聞いてとても気に入った曲もある。
このような状況下だからこそ、ネットの映像や音源を活用して、それらの名曲を紹介したい。説明はあまりしないで歌詞を載せるというスタイルでいきたい。
シリーズ名は「Songs to Remember」の略記[S/R]にした。この名は、Scritti Politti スクリッティ・ポリッティの1982年のアルバム『Songs to Remember』から取った。学生の頃愛聴していたアルバムだ。 "Jacques Derrida" という歌もあって、愉快でラディカルな作品だった。
一曲目は何にしようと数日考えていた。[S/R]は邦楽、洋楽を問わず、時代もジャンルも関係なく取り上げていく。それでもこの季節にやはり思い浮かんだのは、2004年4月14日リリースのフジファブリック『桜の季節』だ。16年前の曲になる。
今年の春は、桜を見ることもなく、桜が過ぎ去っていった。日常の風景が少し異なって見えてきた。
志村正彦は、「ならば愛をこめて/手紙をしたためよう」と歌っている。この「ならば」の前に挿まれる仮定の言葉は無限にあるのだろう。
フジファブリック 『桜の季節』
(作詞・作曲:志村正彦)
桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない
oh ならば愛をこめて
so 手紙をしたためよう
作り話に花を咲かせ
僕は読み返しては 感動している!
桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない
oh その町に くりだしてみるのもいい
桜が枯れた頃 桜が枯れた頃
坂の下 手を振り 別れを告げる
車は消えて行く
そして追いかけていく
諦め立ち尽くす
心に決めたよ
oh ならば愛をこめて
so 手紙をしたためよう
作り話に花を咲かせ
僕は読み返しては 感動している!
桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない
桜の季節過ぎたら
遠くの町に行くのかい?
桜のように舞い散って
しまうのならばやるせない
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『桜の季節』,
Songs to Remember[S/R]
2020年4月5日日曜日
隔たりのある笑い
前回、志村けんの姓「志村」について述べた。今回は志村けんの「芸」について触れたい。とは言ってもそのことを書ける知識も見識もないので。この間に読んで教えられることが多かった二つの記事を紹介したい。
西条昇氏(フリーの放送作家、お笑い評論家を経て、現在は江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授)は、『普遍的笑い、比類なき観察眼で 志村けんさんを悼む』(朝日新聞2020.4.1)という追悼文で次のように書いている。
私が20代の時、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の構成作家を1年だけ担当しました。テレビで見るのとは全く違う、志村さんの笑いへの厳しい姿勢にとにかく驚きました。
私たちが出したコント案が加藤茶さん、志村さんに次々に却下され、ゼロから考え直すことは日常茶飯事です。たばこの煙がモクモクとする会議室で、数時間も机に突っ伏しながらネタを考えます。志村さんは物静かに考えられていました。そんな中でアイデアの出発点となるのが、加藤さんと志村さんが「あの映画のこの場面が面白かった」と何げなくつぶやく一言でした。
加藤さんもたくさんの映画を見られていましたが、志村さんの勉強量はすさまじかった。まだ日本で発売されていない海外のコント番組のビデオを輸入業者を通じて取り寄せておられました。自宅にはコメディー映画のビデオも大量にあり、早送りで見ながら面白い所だけ通常再生して確認すると伺ったこともあります。テレビ画面上では飲み屋の延長のようなノリで振る舞っておられましたが、志村さんの笑いはとてつもない知識量から生み出されたものなのです。
「志村さんの勉強量はすさまじかった」「志村さんの笑いはとてつもない知識量から生み出され」ということを知ると、もう一人の「志村」のことを思いだざずにはいられない。あたりまえのことだが、この勉強量や知識量は表には出てこない。表に出てきたのでは「笑い」も「音楽」も「芸」として成立しないからだ。そのことはしかし、あまり省みられない。
話題作『ポスト・サブカル 焼け跡派』の著者「TVOD」の一人であるコメカ氏は、『たけしと何が違うのか――コントで勝負した志村けんは、最後の世代の「喜劇人」だった』(文春オンライン)で、ビートたけしと対比しながらこう述べている。
インターネット以降の世界では、芸人もミュージシャンも作家もみな生身の人間であることをわたしたちは実感として知っている。だが、70~80年代にテレビで活躍しその存在を確固たるものにした志村けんというキャラクターは、その生身の奥行を想像しにくい存在としてのコメディアンの、最後の一人だったのではないだろうか。
だから私たちは、そういう平板な(これは揶揄ではない)キャラクターが消失してしまったことを上手くイメージできない。ミッキーマウスが生々しく死ぬ場面を想像できないのと同じことだ。
70年代までの日本には、お茶の間のブラウン管を通し平板なキャラクターたちのドタバタ劇に笑っていられる状況が、良くも悪くもあった。その残滓の消失を、恐らく私たちはいま実感しているのである。
「その生身の奥行を想像しにくい存在としてのコメディアン」というコメカ氏の捉え方には、なるほど、と頷くものがあった。
同時代の視聴者としての実感としても、テレビのブラウン管の向こう側にいる存在は、端的に、向こう側の人だった。televisionという言葉どおり、その技術は「tele」遠くにあるものをこちら側に近づけた。日常を日常にもたらした。
ザ・ドリフターズの時代のテレビ番組では、向こう側とこちら側はブラウン管で隔てられていて、その隔たりによって、「笑い」という非日常と日常がゆるやかに接していた。
あの時代、ブラウン管のテレビという機械には確固たる存在感があった。茶の間で君臨していたが、それはある種の異物でもあった。電源ボランを押すと非日常が日常と接続し、離すと断絶していった。
今日、ブラウン管が液晶などのフラットパネルに変わった。その形が象徴するかのように、向こう側とこちら側とはまさしく「フラット」に接続する。小さなフラットパネルをポケットに入れて持ち歩くこともできる。異物感はなくなり、接続が常態化される。そして、「tele」遠くにあるものをこちら側にもたらすのではなく、すべてのものが私たちの身体の近くに接しているような感覚をもたらす。
ブラウン管のテレビが茶の間に君臨していたあの時代、ザ・ドリフターズや志村けんの時代を思い出す。あの笑いとあの隔たりの感覚が懐かしい。それはゆるやかさでもあった。
笑いとは隔たりの感覚によって人を解放するものである。隔たりのある笑いがさらに遠ざかっていく。
西条昇氏(フリーの放送作家、お笑い評論家を経て、現在は江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授)は、『普遍的笑い、比類なき観察眼で 志村けんさんを悼む』(朝日新聞2020.4.1)という追悼文で次のように書いている。
私が20代の時、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の構成作家を1年だけ担当しました。テレビで見るのとは全く違う、志村さんの笑いへの厳しい姿勢にとにかく驚きました。
私たちが出したコント案が加藤茶さん、志村さんに次々に却下され、ゼロから考え直すことは日常茶飯事です。たばこの煙がモクモクとする会議室で、数時間も机に突っ伏しながらネタを考えます。志村さんは物静かに考えられていました。そんな中でアイデアの出発点となるのが、加藤さんと志村さんが「あの映画のこの場面が面白かった」と何げなくつぶやく一言でした。
加藤さんもたくさんの映画を見られていましたが、志村さんの勉強量はすさまじかった。まだ日本で発売されていない海外のコント番組のビデオを輸入業者を通じて取り寄せておられました。自宅にはコメディー映画のビデオも大量にあり、早送りで見ながら面白い所だけ通常再生して確認すると伺ったこともあります。テレビ画面上では飲み屋の延長のようなノリで振る舞っておられましたが、志村さんの笑いはとてつもない知識量から生み出されたものなのです。
「志村さんの勉強量はすさまじかった」「志村さんの笑いはとてつもない知識量から生み出され」ということを知ると、もう一人の「志村」のことを思いだざずにはいられない。あたりまえのことだが、この勉強量や知識量は表には出てこない。表に出てきたのでは「笑い」も「音楽」も「芸」として成立しないからだ。そのことはしかし、あまり省みられない。
話題作『ポスト・サブカル 焼け跡派』の著者「TVOD」の一人であるコメカ氏は、『たけしと何が違うのか――コントで勝負した志村けんは、最後の世代の「喜劇人」だった』(文春オンライン)で、ビートたけしと対比しながらこう述べている。
インターネット以降の世界では、芸人もミュージシャンも作家もみな生身の人間であることをわたしたちは実感として知っている。だが、70~80年代にテレビで活躍しその存在を確固たるものにした志村けんというキャラクターは、その生身の奥行を想像しにくい存在としてのコメディアンの、最後の一人だったのではないだろうか。
だから私たちは、そういう平板な(これは揶揄ではない)キャラクターが消失してしまったことを上手くイメージできない。ミッキーマウスが生々しく死ぬ場面を想像できないのと同じことだ。
70年代までの日本には、お茶の間のブラウン管を通し平板なキャラクターたちのドタバタ劇に笑っていられる状況が、良くも悪くもあった。その残滓の消失を、恐らく私たちはいま実感しているのである。
「その生身の奥行を想像しにくい存在としてのコメディアン」というコメカ氏の捉え方には、なるほど、と頷くものがあった。
同時代の視聴者としての実感としても、テレビのブラウン管の向こう側にいる存在は、端的に、向こう側の人だった。televisionという言葉どおり、その技術は「tele」遠くにあるものをこちら側に近づけた。日常を日常にもたらした。
ザ・ドリフターズの時代のテレビ番組では、向こう側とこちら側はブラウン管で隔てられていて、その隔たりによって、「笑い」という非日常と日常がゆるやかに接していた。
あの時代、ブラウン管のテレビという機械には確固たる存在感があった。茶の間で君臨していたが、それはある種の異物でもあった。電源ボランを押すと非日常が日常と接続し、離すと断絶していった。
今日、ブラウン管が液晶などのフラットパネルに変わった。その形が象徴するかのように、向こう側とこちら側とはまさしく「フラット」に接続する。小さなフラットパネルをポケットに入れて持ち歩くこともできる。異物感はなくなり、接続が常態化される。そして、「tele」遠くにあるものをこちら側にもたらすのではなく、すべてのものが私たちの身体の近くに接しているような感覚をもたらす。
ブラウン管のテレビが茶の間に君臨していたあの時代、ザ・ドリフターズや志村けんの時代を思い出す。あの笑いとあの隔たりの感覚が懐かしい。それはゆるやかさでもあった。
笑いとは隔たりの感覚によって人を解放するものである。隔たりのある笑いがさらに遠ざかっていく。
2020年3月31日火曜日
「志村」という姓 [志村正彦LN252]
志村けんが急逝した。知名度が抜群に高い人だけに衝撃が大きい。ご冥福を祈りたい。
小学生の頃、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』はそれこそ子ども全員が見ていた驚異的な番組だった。僕が熱心に見ていたのは、志村けんの前任者、荒井注の時代だった。ザ・ドリフターズはもともと音楽バンドということもあって、この番組はコントだけでなく歌や合唱もあった。「ドリフのズンドコ節」は最高だった。志村けんの加入時には高校生になっていたのでこの番組からはもう遠ざかっていたが、当時の感覚でも志村けんは新しいタイプのコメディアンだった。舞台に登場するとたちまちその場の雰囲気を変えてしまうようなインパクトがあった。
ここ十年ほどは、志村正彦と姓が同じであることで何となく親しみを抱くようになった。志村正彦のファンなら、ネットで「志村」を検索すると「志村けん」がヒットするという経験をしたことがあるだろう。
昨夜、追悼番組としてNHKが志村けんの「ファミリーヒストリー」を再放送していた。2018年5月に放送されたものだが、その際にこの番組を見ていた。言うまでもなく、志村けんのルーツそして「志村」という姓への関心からだった。
山梨で「志村」は比較的多い姓である。山梨県人なら誰でも志村という名の知人が何人かいるだろう。ネットで県別の姓のランキングを見ると、志村は15位である。全国では467位だからあきらかに山梨に数多くある姓となる。志村姓の県内在住者は約7000人いるらしい。歴史的には「甲斐志村氏」という捉え方のようだ。
直観にすぎないが、志村けんは山梨と何らかの関係があるのではと考えていた。「ファミリーヒストリー」では山梨の歴史研究家平山優氏が、志村けんの先祖は武田家家臣の山県昌景の家臣の可能性が高いと述べていた。その山県の家臣に「志村又左衛門」という人がいて、その子孫の一部が武蔵国に移り住んだそうである。志村けんのルーツは山梨にあるという説だった。説はあくまでも説だが、志村けんと志村正彦、二人の志村には、大きく捉えれば「志村」という姓の接点があると考えてもよいだろう。その他にも、志村けんは山梨とのゆかりがあったようだ。
新型コロナウイルスは世界を一変させた。
このブログに関係することではやはり、ライブハウスをはじめとする音楽の場が事実上閉鎖されていることだ。音楽家も現場の働き手も経営者も厳しい状況に追い込まれている。フリーランスの立場の方々の不安を思うとここに記す言葉もない。終息を待つしかないが、終息が見通せない。何をもって終息とするかも不明なところが焦燥感につながる。
こんな時こそ音源が不安な心を和らげてくれるかもしれない。志村正彦・フジファブリックの『ルーティーン』のことを想った。歌詞を引きたい。
日が沈み 朝が来て
毎日が過ぎてゆく
それはあっという間に
一日がまた終わるよ
折れちゃいそうな心だけど
君からもらった心がある
さみしいよ そんな事
誰にでも 言えないよ
見えない何かに
押しつぶされそうになる
折れちゃいそうな心だけど
君からもらった心がある
日が沈み 朝が来て
昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
新型コロナウイルスは世界を一変させた。わずか二、三ヶ月の間で、人々の日常が壊された。
日常とは、「昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」という祈りがもたらすものであり、ほんとうは奇蹟のようなものかもしれない。
小学生の頃、ザ・ドリフターズの『8時だョ!全員集合』はそれこそ子ども全員が見ていた驚異的な番組だった。僕が熱心に見ていたのは、志村けんの前任者、荒井注の時代だった。ザ・ドリフターズはもともと音楽バンドということもあって、この番組はコントだけでなく歌や合唱もあった。「ドリフのズンドコ節」は最高だった。志村けんの加入時には高校生になっていたのでこの番組からはもう遠ざかっていたが、当時の感覚でも志村けんは新しいタイプのコメディアンだった。舞台に登場するとたちまちその場の雰囲気を変えてしまうようなインパクトがあった。
ここ十年ほどは、志村正彦と姓が同じであることで何となく親しみを抱くようになった。志村正彦のファンなら、ネットで「志村」を検索すると「志村けん」がヒットするという経験をしたことがあるだろう。
昨夜、追悼番組としてNHKが志村けんの「ファミリーヒストリー」を再放送していた。2018年5月に放送されたものだが、その際にこの番組を見ていた。言うまでもなく、志村けんのルーツそして「志村」という姓への関心からだった。
山梨で「志村」は比較的多い姓である。山梨県人なら誰でも志村という名の知人が何人かいるだろう。ネットで県別の姓のランキングを見ると、志村は15位である。全国では467位だからあきらかに山梨に数多くある姓となる。志村姓の県内在住者は約7000人いるらしい。歴史的には「甲斐志村氏」という捉え方のようだ。
直観にすぎないが、志村けんは山梨と何らかの関係があるのではと考えていた。「ファミリーヒストリー」では山梨の歴史研究家平山優氏が、志村けんの先祖は武田家家臣の山県昌景の家臣の可能性が高いと述べていた。その山県の家臣に「志村又左衛門」という人がいて、その子孫の一部が武蔵国に移り住んだそうである。志村けんのルーツは山梨にあるという説だった。説はあくまでも説だが、志村けんと志村正彦、二人の志村には、大きく捉えれば「志村」という姓の接点があると考えてもよいだろう。その他にも、志村けんは山梨とのゆかりがあったようだ。
新型コロナウイルスは世界を一変させた。
このブログに関係することではやはり、ライブハウスをはじめとする音楽の場が事実上閉鎖されていることだ。音楽家も現場の働き手も経営者も厳しい状況に追い込まれている。フリーランスの立場の方々の不安を思うとここに記す言葉もない。終息を待つしかないが、終息が見通せない。何をもって終息とするかも不明なところが焦燥感につながる。
こんな時こそ音源が不安な心を和らげてくれるかもしれない。志村正彦・フジファブリックの『ルーティーン』のことを想った。歌詞を引きたい。
日が沈み 朝が来て
毎日が過ぎてゆく
それはあっという間に
一日がまた終わるよ
折れちゃいそうな心だけど
君からもらった心がある
さみしいよ そんな事
誰にでも 言えないよ
見えない何かに
押しつぶされそうになる
折れちゃいそうな心だけど
君からもらった心がある
日が沈み 朝が来て
昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
新型コロナウイルスは世界を一変させた。わずか二、三ヶ月の間で、人々の日常が壊された。
日常とは、「昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね」という祈りがもたらすものであり、ほんとうは奇蹟のようなものかもしれない。
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『ルーティーン』,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2020年3月25日水曜日
3月26日放送予定の志村正彦番組のこと[志村正彦LN251]
3月26日(木) 午後3時08分から、NHK総合テレビで『にっぽん ぐるり「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」』(NHK甲府制作)が再放送される。そのことで少し気になることを今回は書きたい。なお前回の記事でこの番組が全国放送されると書いたが、放送されない地域もあるようで、訂正させていただく。
最初にこの前放送されたBSテレビ東京『あの年この歌 3時間スペシャル 名曲~レア曲 昭和・平成ベスト100』の映像を振り返りたい。『若者のすべて』映像(月刊MelodiX! 2007/11/24)で次のテロップが表示された時のことである。
桜井和寿 草野マサムネ 柴崎コウ 奥田民生など
多くのアーティストにもカバーされた名曲「若者のすべて」
これを見た瞬間、何かが足りないと思った。何だろうかと考えたらすぐにあることに気づいた。槇原敬之の名がないことだ。言わずもがなであるが、彼が違法薬物所持の疑いで逮捕されたことの影響であろう。
数多くある『若者のすべて』カバーの中で、槇原versionの評価が高いことは衆目の一致するところであろう。『Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し 2014』DVDにライブ映像を収録。昨年10月リリースのカバーベストアルバム「The Best of Listen To The Music」に音源収録。昨年11月放送のNHK「SONGS」で『若者のすべて』を歌い、コード進行に言及しながらこの歌を絶賛した。槇原敬之は『若者のすべて』ルネサンスの中心にいるアーティストである。
槇原敬之の逮捕を知った時に『若者のすべて』を次の一節が思い浮かんだ。
世界の約束を知って それなりになって また戻って
「世界の約束」、世界には約束があり法がある。若者はその「約束」に対して「それなりになって また戻って」というように行きつ戻りつして大人になっていく。五十歳の槇原はまだ「世界の約束」を守りきれてない。まだ「若者のすべて」の只中にいるのかな、というのが正直な感想だった。アーティスト特有の悩みや不安はあるだろう。それでも「世界の約束」の中で生きていかねばならない。素晴らしい歌い手であるから、いつの日かまた『若者のすべて』を歌う機会が戻ってくることを期待したい。
この件に関連して考えたことがある。この番組はすでにNHK甲府とNHKBSでオンエアされたが、冒頭部分でNHK「SONGS」の槇原敬之『若者のすべて』の歌とコメントの映像の一部が使われている。気になるのは、明日のNHK総合の放送でこのシーンがどうなるのかということだ。
このシーンは削除されるのだろうか。そうなるような気がするが、番組を見るまでは分からない。そのことに特別な関心があるわけではないが、やはり気になるところではある。
「若者のすべて」のすべての中で様々な出来事が起きるのかもしれない。
最初にこの前放送されたBSテレビ東京『あの年この歌 3時間スペシャル 名曲~レア曲 昭和・平成ベスト100』の映像を振り返りたい。『若者のすべて』映像(月刊MelodiX! 2007/11/24)で次のテロップが表示された時のことである。
桜井和寿 草野マサムネ 柴崎コウ 奥田民生など
多くのアーティストにもカバーされた名曲「若者のすべて」
これを見た瞬間、何かが足りないと思った。何だろうかと考えたらすぐにあることに気づいた。槇原敬之の名がないことだ。言わずもがなであるが、彼が違法薬物所持の疑いで逮捕されたことの影響であろう。
数多くある『若者のすべて』カバーの中で、槇原versionの評価が高いことは衆目の一致するところであろう。『Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し 2014』DVDにライブ映像を収録。昨年10月リリースのカバーベストアルバム「The Best of Listen To The Music」に音源収録。昨年11月放送のNHK「SONGS」で『若者のすべて』を歌い、コード進行に言及しながらこの歌を絶賛した。槇原敬之は『若者のすべて』ルネサンスの中心にいるアーティストである。
槇原敬之の逮捕を知った時に『若者のすべて』を次の一節が思い浮かんだ。
世界の約束を知って それなりになって また戻って
「世界の約束」、世界には約束があり法がある。若者はその「約束」に対して「それなりになって また戻って」というように行きつ戻りつして大人になっていく。五十歳の槇原はまだ「世界の約束」を守りきれてない。まだ「若者のすべて」の只中にいるのかな、というのが正直な感想だった。アーティスト特有の悩みや不安はあるだろう。それでも「世界の約束」の中で生きていかねばならない。素晴らしい歌い手であるから、いつの日かまた『若者のすべて』を歌う機会が戻ってくることを期待したい。
この件に関連して考えたことがある。この番組はすでにNHK甲府とNHKBSでオンエアされたが、冒頭部分でNHK「SONGS」の槇原敬之『若者のすべて』の歌とコメントの映像の一部が使われている。気になるのは、明日のNHK総合の放送でこのシーンがどうなるのかということだ。
このシーンは削除されるのだろうか。そうなるような気がするが、番組を見るまでは分からない。そのことに特別な関心があるわけではないが、やはり気になるところではある。
「若者のすべて」のすべての中で様々な出来事が起きるのかもしれない。
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『若者のすべて』,
志村正彦ライナーノーツ(LN),
槇原敬之
2020年3月22日日曜日
コメントの紹介と対話 [志村正彦LN250]
志村正彦ライナーノーツは今回で250回目。この連載を始めたときには漠然と300回くらい続くかなと思っていたので、その行程の6分の5の地点までたどりついた。平均して一年間で30回くらいなので300回に到達するには二年近くかかるだろう。(ブログ開設が2012年末だから2022年になるかもしれない。十年で300回という計算になる)多くもなく少なくもない数だろうが、300回に向けて書いていきたい。
前回の記事に二人からコメントが寄せられた。とてもありがたい。
bllogerのコメントは隠れてしまいがちなので、今回は紹介させていただくと共に、二人の発言に触発されて考えたことを記したい。
最初の方からは、「1回目のテレビ出演は民生さんの「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」(10/26オンエア)ではないかと思います」と教えていただいた。「滅多にない地上波、特別思い入れのある楽曲、しかも憧れの民生さんの番組ということで、気合が入りまくったのでしょうね。すっかり声かれちゃってて」とその様子と感想が書かれていた。
二人目の方からは、「『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』はYouTubeにアップされてますのでよかったら是非チェックされてみてください!」という情報をいただいた。早速検索してみると、「2007年 音楽戦士 MUSIC FIGHTER奥田民生とフジファブリック」という動画が見つかった。志村さんと民生さんのコメントが興味深かった。残念ながら『若者のすべて』の演奏シーンはなかったが、この番組の雰囲気は伝わってきた。
そして次の言葉が心の中に刻まれた。一人目の方と二人目の方の順でここに引用させていただく。
一度ゆっくり休んでほしかった、と思わずにはいられません。
でもそんな彼の作った楽曲を愛しているので、結局は感情の持っていき場がなくなってしまうのですが。
2007年頃の志村くんは、恋をしていたらしいので音楽制作の苦しさとは別に少しくらい幸せな時間があったはずと思いたいです。後のインタビューで結局独りになってしまったと言ってましたが。
愛が込められた言葉である。音楽を深く聴くためには、その音楽家を愛することが必要だ。時が経つ共に、この愛は純粋なものになっていく。作家とその作品に対する愛、創造する行為への愛はそのような本質を持つ。
「MelodiX! 2007/11/24」の『若者のすべて』では、志村のやわらかくて切ない声が届いてくる。やや上方に向けられた眼差しも綺麗に何かを見据えている。でも、あきらかに痩せている。一生懸命に歌っている姿が、逆に痛ましい。「一度ゆっくり休んでほしかった」という言葉に深く頷く。それでも、「音楽制作の苦しさとは別に少しくらい幸せな時間があったはずと思いたい」とされる時間もあったのかもしれない。
二人のコメントを読んでからあらためて、BSテレビ東京で発掘された「MelodiX!」の映像を見ると、「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」のところで、志村がまぶたを閉じる瞬間の表情が切々とこちらに迫ってくる。あの言葉とあの表情が『若者のすべて』の核にあるのだろう。それは志村正彦固有のものである。この曲は多くのアーティストに歌われてきた。ただし、「まぶた閉じて浮かべているよ」のところをリアルに歌ったヴァージョンを聴いたことはない。
この歌は、「まぶた閉じて浮かべている」ようにして歌い、そして聴く作品であろう。
この曲がたくさんカバーされてきたことは素直にうれしい。でもカバーされればされるほど、『若者のすべて』は、志村正彦という作家の作品であるという原点に戻ってくる。歌を創造するという原点に回帰してくる。
その原点に、作家とその作品に対する愛が存在している。
【追伸 2020.3.23】
前回の記事への新たなコメントで、YouTubeのチャンネル名maimimainに、『若者のすべて』演奏シーンを含む「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」の映像があることを教えていただいた。早速見たが、「練習しすぎて声嗄れてて、本番で声が出なくて。で、うちひしがれて」という志村さんの発言がよく理解できた。特に「まぶた閉じて浮かべているよ」「同じ空を見上げているよ」のところが苦しそうだ。でも確かに、コメントを寄せられた方の「一生懸命歌ってる志村くんに心打たれます」という言葉のように、声の不調に抗うようにして、歌の真実をなんとか伝えようとしている。その志と姿に志村正彦を感じる。
それから番組の告知をひとつ。
NHK甲府制作の『にっぽん ぐるり「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」』が、3月26日(木) 午後3時08分からNHK総合で放送される。すでにNHK甲府とNHKBSでオンエアされているが、今回は地上波の全国放送なのでより多くの人々にこの番組が届くだろう。
前回の記事に二人からコメントが寄せられた。とてもありがたい。
bllogerのコメントは隠れてしまいがちなので、今回は紹介させていただくと共に、二人の発言に触発されて考えたことを記したい。
最初の方からは、「1回目のテレビ出演は民生さんの「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」(10/26オンエア)ではないかと思います」と教えていただいた。「滅多にない地上波、特別思い入れのある楽曲、しかも憧れの民生さんの番組ということで、気合が入りまくったのでしょうね。すっかり声かれちゃってて」とその様子と感想が書かれていた。
二人目の方からは、「『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』はYouTubeにアップされてますのでよかったら是非チェックされてみてください!」という情報をいただいた。早速検索してみると、「2007年 音楽戦士 MUSIC FIGHTER奥田民生とフジファブリック」という動画が見つかった。志村さんと民生さんのコメントが興味深かった。残念ながら『若者のすべて』の演奏シーンはなかったが、この番組の雰囲気は伝わってきた。
そして次の言葉が心の中に刻まれた。一人目の方と二人目の方の順でここに引用させていただく。
一度ゆっくり休んでほしかった、と思わずにはいられません。
でもそんな彼の作った楽曲を愛しているので、結局は感情の持っていき場がなくなってしまうのですが。
2007年頃の志村くんは、恋をしていたらしいので音楽制作の苦しさとは別に少しくらい幸せな時間があったはずと思いたいです。後のインタビューで結局独りになってしまったと言ってましたが。
愛が込められた言葉である。音楽を深く聴くためには、その音楽家を愛することが必要だ。時が経つ共に、この愛は純粋なものになっていく。作家とその作品に対する愛、創造する行為への愛はそのような本質を持つ。
「MelodiX! 2007/11/24」の『若者のすべて』では、志村のやわらかくて切ない声が届いてくる。やや上方に向けられた眼差しも綺麗に何かを見据えている。でも、あきらかに痩せている。一生懸命に歌っている姿が、逆に痛ましい。「一度ゆっくり休んでほしかった」という言葉に深く頷く。それでも、「音楽制作の苦しさとは別に少しくらい幸せな時間があったはずと思いたい」とされる時間もあったのかもしれない。
二人のコメントを読んでからあらためて、BSテレビ東京で発掘された「MelodiX!」の映像を見ると、「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」のところで、志村がまぶたを閉じる瞬間の表情が切々とこちらに迫ってくる。あの言葉とあの表情が『若者のすべて』の核にあるのだろう。それは志村正彦固有のものである。この曲は多くのアーティストに歌われてきた。ただし、「まぶた閉じて浮かべているよ」のところをリアルに歌ったヴァージョンを聴いたことはない。
この歌は、「まぶた閉じて浮かべている」ようにして歌い、そして聴く作品であろう。
この曲がたくさんカバーされてきたことは素直にうれしい。でもカバーされればされるほど、『若者のすべて』は、志村正彦という作家の作品であるという原点に戻ってくる。歌を創造するという原点に回帰してくる。
その原点に、作家とその作品に対する愛が存在している。
【追伸 2020.3.23】
前回の記事への新たなコメントで、YouTubeのチャンネル名maimimainに、『若者のすべて』演奏シーンを含む「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」の映像があることを教えていただいた。早速見たが、「練習しすぎて声嗄れてて、本番で声が出なくて。で、うちひしがれて」という志村さんの発言がよく理解できた。特に「まぶた閉じて浮かべているよ」「同じ空を見上げているよ」のところが苦しそうだ。でも確かに、コメントを寄せられた方の「一生懸命歌ってる志村くんに心打たれます」という言葉のように、声の不調に抗うようにして、歌の真実をなんとか伝えようとしている。その志と姿に志村正彦を感じる。
それから番組の告知をひとつ。
NHK甲府制作の『にっぽん ぐるり「若者のすべて~フジファブリック・志村正彦がのこしたもの~」』が、3月26日(木) 午後3時08分からNHK総合で放送される。すでにNHK甲府とNHKBSでオンエアされているが、今回は地上波の全国放送なのでより多くの人々にこの番組が届くだろう。
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『若者のすべて』,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2020年3月16日月曜日
「青春を彩ったレジェンドたち」BSテレビ東京『あの年この歌 …昭和・平成ベスト100』[志村正彦LN249]
昨夜、3月15日(日)19時00分~21時48分、BSテレビ東京で『あの年この歌 3時間スペシャル 名曲~レア曲 昭和・平成ベスト100』が放送された。事前にFujifabric_infoから、2007年の志村正彦・フジファブリック『若者のすべて』の映像がオンエアされるという情報が伝えられていたので、この日を楽しみに待っていた。
3時間に及ぶ長い番組だった。おそらく最後の頃と予想していたらやはり夜9時半近くになって、志村正彦・フジファブリックの映像が登場した。この番組は「昭和・平成ベスト100」を10のテーマ別に10曲(10人)を選んでいた。志村正彦『若者のすべて』が最後のテーマ「青春を彩ったレジェンドたち」の第10位となったのである。
ご覧になっていない方のためにそのシーンをテキストで記したい。このシーンのナレーションは次のように始まった。
それぞれの青春に欠かせない名曲を歌ったアーティスト。
まさに憧れの存在だった彼らも平成と共にその多くが世を去っていった。今回は平成に亡くなった中で各世代の青春を鮮やかに彩ったアーティストをランキング。
テロップに「*40代~70代の男女を対象にネットでアンケート調査」とあったので、ネット調査をもとにしたランキングのようだ。この後、志村正彦が紹介された。「10位 フジファブリック 志村正彦 1980年-2009年」という表示と共に志村正彦の顔写真(撮影:江森康之)が画面に映し出される。ナレーションは次の通りである。
10位 フジファブリック 志村正彦。
ほとんどの楽曲の作詞作曲を手がけていた志村。
彼が急逝した後、残されたメンバーはバンドを継続、数々の名曲を歌い継いでいる。生前の志村が代表曲『若者のすべて』を歌う貴重な映像が、テレビ東京に残されていた。
こう説明された後、志村正彦が歌う映像が始まった。テロップに「月刊MelodiX! 2007/11/24」とあるが、今も続いている音楽番組である。放送されたのは次の部分。最後の一節を除いて歌詞も表示された。
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」の代わりに画面では次のテロップが表示された。
桜井和寿 草野マサムネ 柴崎コウ 奥田民生など
多くのアーティストにもカバーされた名曲「若者のすべて」
全体で1分38秒ほどの時間だった。フルコーラスでなかったのが残念だが、この番組の構成上は仕方がない。いつかフルヴァージョンを放送していただけたらありがたい。「MelodiX!」の枠内はどうだろうか。
『若者のすべて』に続いて、10の曲、アーティストが紹介された。以下がその順位である。
1.坂井泉水(ZARD)
2.萩原健一
3.はしだのりひこ
4.加藤和彦
5.村下孝蔵
6.大滝詠一
7.ムッシュかまやつ
8.忌野清志郎
9.HIDE、TAIJI
10.志村正彦(フジファブリック)
この並びに志村正彦がいることは端的に凄い。志村の一般的な知名度は高くない。視聴者の中には誰かと思った人も少なくないだろう。しかし、志村という名前を知らなくても『若者のすべて』を聴いたことはあるかもしれない。記憶のどこかにこの曲の旋律や歌詞の断片がそっと入っていることもあるだろう。知名度の問題は別にして、志村が忌野清志郎、大滝詠一と共に「平成に亡くなった中で各世代の青春を鮮やかに彩ったアーティスト」に選ばれたことをここで特筆しておきたい。志村の世代とは所謂「失われた世代」、現在30歳から40歳前後の世代が中心だろう。確かに「失われた世代」の無や空白を彩る歌でもある。
10曲がオンエアされた後、出演者の一人ミッツ・マングローブがこう話した。
フジファブリックが入っているのはうれしいですね。今同じ事務所なんですけど、私が事務所に入る前の年に志村さんはお亡くなりになっていて。このバンドのギタリストが今ボーカリストとして歌ってて。ほんとこの「若者のすべて」っていうのは、もう若者じゃない世代なんですけどこれが流行った時って、これはすごい曲だと思って、聴いてたんで。
昨年来の様々な番組を含め、志村正彦や『若者のすべて』へのリスペクトが伺える発言が多い。この番組全体を通じて志村の歌うシーンが繰り返し紹介されていた。制作者の想いを強く感じた。
志村は当時のテレビ番組出演について『東京、音楽、ロックンロール 完全版』の「interview」(p225)で次のように振り返っている。
次のシングル”若者のすべて”でテレビ何本か出ましたけど、苦い思い出ですね。頑張ったんですよ。テレビだから、テレビ出る前に歌の練習してたんです。そしたら、練習しすぎて声嗄れてて、本番で声が出なくて。で、うちひしがれて、フジファブリックはテレビに出れないなって思ってですね。テレビに出てそういうパフォーマンスをされてる方に、とても尊敬を抱くようになりました。2回目はちょっとペースがつかめて、声もちゃんと出たんですけど。でも、今もちょっと出るのは怖いです。(後略)
以前この箇所を読んだときに、出演したテレビ番組のことが気になっていた。「何本か」とあるが、この「月刊MelodiX! 」(2007/11/24)がその中の一本だろう。この番組では志村の声はそれなりにしっかりと出ているので、この「2回目」だったのかもしれない。
この映像の印象を書きたい。
11月の放送ということで、晩秋を思わせるセットを背景に、志村は両国国技館ライブの時と同じTシャツの上にグレー色のパーカを着て、アコースティックギターを奏でながら歌っている。ドラムは城戸紘志。五人の演奏のアンサンブルはいつもどおり安定している。
志村の視線は上の方に向けられている。どこか遠くの方を見つめている表情である。しかし、「まぶた閉じて浮かべているよ」のところになると、まぶたを閉じる。何かを思い浮かべるように。そしてもう一度まぶたを開く。このまぶたの開閉は『若者のすべて』の歌を支える仕草であり、歌の表情そのものでもある。
引用箇所に「頑張ったんですよ」とあるが、そのことが充分伝わってくる映像だった。『茜色の夕日』に続く重要な楽曲であり、その出来映えに自信を持っていた作品。志村正彦はこれからの自分のあり方をこの歌にかけていた。
しかし、『若者のすべて』は彼が想像してほどには聴き手を獲得できなかった。その歌が2020年の今、「昭和・平成ベスト100」の「青春を彩ったレジェンドたち」の10曲のひとつとして評価されている。
このblogで何度か書いてきたが、この歌が浸透していくためには数年から十年の時間が必要だった。それゆえにこれからはおそらく、その何倍もの時間、数十年という時を経ても、『若者のすべて』は人々に聴かれていくのだろう。
3時間に及ぶ長い番組だった。おそらく最後の頃と予想していたらやはり夜9時半近くになって、志村正彦・フジファブリックの映像が登場した。この番組は「昭和・平成ベスト100」を10のテーマ別に10曲(10人)を選んでいた。志村正彦『若者のすべて』が最後のテーマ「青春を彩ったレジェンドたち」の第10位となったのである。
ご覧になっていない方のためにそのシーンをテキストで記したい。このシーンのナレーションは次のように始まった。
それぞれの青春に欠かせない名曲を歌ったアーティスト。
まさに憧れの存在だった彼らも平成と共にその多くが世を去っていった。今回は平成に亡くなった中で各世代の青春を鮮やかに彩ったアーティストをランキング。
テロップに「*40代~70代の男女を対象にネットでアンケート調査」とあったので、ネット調査をもとにしたランキングのようだ。この後、志村正彦が紹介された。「10位 フジファブリック 志村正彦 1980年-2009年」という表示と共に志村正彦の顔写真(撮影:江森康之)が画面に映し出される。ナレーションは次の通りである。
10位 フジファブリック 志村正彦。
ほとんどの楽曲の作詞作曲を手がけていた志村。
彼が急逝した後、残されたメンバーはバンドを継続、数々の名曲を歌い継いでいる。生前の志村が代表曲『若者のすべて』を歌う貴重な映像が、テレビ東京に残されていた。
こう説明された後、志村正彦が歌う映像が始まった。テロップに「月刊MelodiX! 2007/11/24」とあるが、今も続いている音楽番組である。放送されたのは次の部分。最後の一節を除いて歌詞も表示された。
それでもいまだに街は 落ち着かないような 気がしている
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ
「会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」の代わりに画面では次のテロップが表示された。
桜井和寿 草野マサムネ 柴崎コウ 奥田民生など
多くのアーティストにもカバーされた名曲「若者のすべて」
全体で1分38秒ほどの時間だった。フルコーラスでなかったのが残念だが、この番組の構成上は仕方がない。いつかフルヴァージョンを放送していただけたらありがたい。「MelodiX!」の枠内はどうだろうか。
『若者のすべて』に続いて、10の曲、アーティストが紹介された。以下がその順位である。
1.坂井泉水(ZARD)
2.萩原健一
3.はしだのりひこ
4.加藤和彦
5.村下孝蔵
6.大滝詠一
7.ムッシュかまやつ
8.忌野清志郎
9.HIDE、TAIJI
10.志村正彦(フジファブリック)
この並びに志村正彦がいることは端的に凄い。志村の一般的な知名度は高くない。視聴者の中には誰かと思った人も少なくないだろう。しかし、志村という名前を知らなくても『若者のすべて』を聴いたことはあるかもしれない。記憶のどこかにこの曲の旋律や歌詞の断片がそっと入っていることもあるだろう。知名度の問題は別にして、志村が忌野清志郎、大滝詠一と共に「平成に亡くなった中で各世代の青春を鮮やかに彩ったアーティスト」に選ばれたことをここで特筆しておきたい。志村の世代とは所謂「失われた世代」、現在30歳から40歳前後の世代が中心だろう。確かに「失われた世代」の無や空白を彩る歌でもある。
10曲がオンエアされた後、出演者の一人ミッツ・マングローブがこう話した。
フジファブリックが入っているのはうれしいですね。今同じ事務所なんですけど、私が事務所に入る前の年に志村さんはお亡くなりになっていて。このバンドのギタリストが今ボーカリストとして歌ってて。ほんとこの「若者のすべて」っていうのは、もう若者じゃない世代なんですけどこれが流行った時って、これはすごい曲だと思って、聴いてたんで。
昨年来の様々な番組を含め、志村正彦や『若者のすべて』へのリスペクトが伺える発言が多い。この番組全体を通じて志村の歌うシーンが繰り返し紹介されていた。制作者の想いを強く感じた。
志村は当時のテレビ番組出演について『東京、音楽、ロックンロール 完全版』の「interview」(p225)で次のように振り返っている。
次のシングル”若者のすべて”でテレビ何本か出ましたけど、苦い思い出ですね。頑張ったんですよ。テレビだから、テレビ出る前に歌の練習してたんです。そしたら、練習しすぎて声嗄れてて、本番で声が出なくて。で、うちひしがれて、フジファブリックはテレビに出れないなって思ってですね。テレビに出てそういうパフォーマンスをされてる方に、とても尊敬を抱くようになりました。2回目はちょっとペースがつかめて、声もちゃんと出たんですけど。でも、今もちょっと出るのは怖いです。(後略)
以前この箇所を読んだときに、出演したテレビ番組のことが気になっていた。「何本か」とあるが、この「月刊MelodiX! 」(2007/11/24)がその中の一本だろう。この番組では志村の声はそれなりにしっかりと出ているので、この「2回目」だったのかもしれない。
この映像の印象を書きたい。
11月の放送ということで、晩秋を思わせるセットを背景に、志村は両国国技館ライブの時と同じTシャツの上にグレー色のパーカを着て、アコースティックギターを奏でながら歌っている。ドラムは城戸紘志。五人の演奏のアンサンブルはいつもどおり安定している。
志村の視線は上の方に向けられている。どこか遠くの方を見つめている表情である。しかし、「まぶた閉じて浮かべているよ」のところになると、まぶたを閉じる。何かを思い浮かべるように。そしてもう一度まぶたを開く。このまぶたの開閉は『若者のすべて』の歌を支える仕草であり、歌の表情そのものでもある。
引用箇所に「頑張ったんですよ」とあるが、そのことが充分伝わってくる映像だった。『茜色の夕日』に続く重要な楽曲であり、その出来映えに自信を持っていた作品。志村正彦はこれからの自分のあり方をこの歌にかけていた。
しかし、『若者のすべて』は彼が想像してほどには聴き手を獲得できなかった。その歌が2020年の今、「昭和・平成ベスト100」の「青春を彩ったレジェンドたち」の10曲のひとつとして評価されている。
このblogで何度か書いてきたが、この歌が浸透していくためには数年から十年の時間が必要だった。それゆえにこれからはおそらく、その何倍もの時間、数十年という時を経ても、『若者のすべて』は人々に聴かれていくのだろう。
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『若者のすべて』,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2020年2月23日日曜日
NHK ひとモノガタリ「若者のすべて~“失われた世代”のあなたへ~」[志村正彦LN248]
2月11日にNHK総合で放送された、ひとモノガタリ「若者のすべて~“失われた世代”のあなたへ~」が、明日2月24日(月) 午前5時10分から再放送される。未見の人にとっては最後のチャンスとなるかもしれない。
今日はこの番組とNHK甲府で制作された一連の番組について振り返りたい。再放送も多かったので時系列で整理しておきたい。
①2019.12.13(金) NHK甲府
ヤマナシ・クエスト「若者のすべて~フジファブリック志村正彦がのこしたもの~」
②2019.12.20(金) NHK甲府ラジオ局
かいらじ *関連のラジオトーク番組
③2020.1.24(金) NHK BS1(にっぽんぐるり)
ヤマナシ・クエスト「若者のすべて~フジファブリック志村正彦がのこしたもの~」(再放送)*①にテロップが部分的に追加され、より正確な表現に修正された。このヴァージョンが保存版となるべきだろう。
④2020.2.11(火) NHK総合
ひとモノガタリ「若者のすべて~“失われた世代”のあなたへ~」
⑤2020.2.24 (月) NHK総合
ひとモノガタリ「若者のすべて~“失われた世代”のあなたへ~」(再放送予定)
一連の番組の制作はNHK甲府が中心となった。NHK甲府の取材者やディレクターが時間をかけて撮影したものを二つの番組「ヤマナシ・クエスト」「ひとモノガタリ」として編集構成したのだろう。企画段階からこの二つの番組の構想があったのかもしれない。
NHKの「ひとモノガタリ」公式サイトでは、「若者のすべて~“失われた世代”のあなたへ~」は次のように紹介されていた。
フジファブリックのボーカルとして活躍したミュージシャン・志村正彦が亡くなって10年。彼と同年代の人たちはいわゆる「失われた世代」と呼ばれ、就職氷河期の中社会に出て生きてきた。志村の曲はそんな彼らに何を残したのか?これは、一人の若者が人生をかけて残した音楽と、かつて若者だった人たちの物語。
志村正彦の人と物語の紹介から始まり、「失われた世代」の人と物語に焦点を当てていた。番組制作者の意図は、「失われた志村正彦」から「失われた世代」への架橋を果たすことだったと思われる。
この偶景webでは、 2015年11月2日の記事「今の子供たちの世代、僕らの世代。-『若者のすべて』19[志村正彦LN115]」で、世代論的な視点から志村正彦と『若者のすべて』について論じている。できればこのテキストを読んでいたきたいが、そこで引用されている志村の発言(「Talking Rock!」2008年2月号、文・吉川尚宏氏)をここで再掲載したい。志村は『若者のすべて』の歌詞を作る過程についてこう語っていた。
最初は曲の構成が、サビ始まりだったんです。サビから始まってA→B→サビみたいな感じで、それがなんか、不自然だなあと思って。例えば、どんな物語にしてもそう、男女がいきなり“好きだー!”と言って始まるわけではなく、何かきっかけがあるから、物語が始まるわけで、同じクラスになったから、あの子と目が合うようになり、話せるようになって、やがて付き合えるようになった……みたいなね。でも、実は他に好きな子がいて……とか(笑)、そういう物語があるはずなのに、いきなりサビでドラマチックに始まるのが、リアルじゃなくてピンと来なかったんですよ。だからボツにしていたんだけど、しばらくして曲を見直したときに、サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいいと。
しかも同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて。ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない!
「ないかな/ないよな」という「ない」の反復には、多重の無や不在の感覚が織り込まれている。自分自身、自分と他者との関係における不在や不充足の感覚を基にして、「ない」「失われた」という時代や社会の感覚に広げていく。「“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませる」とあるように、その過程を詩的表現の方法として実現させたのが志村らしい。「ないかな/ないよな」の無と不在の響きに手繰り寄せられるようして彼は『若者のすべて』の歌詞を書いた。
志村が「失われた世代」を描こうと意図してこの歌を作ったというよりも、「ないかな/ないよな」という詩的表現によって「失われた世代」のモチーフにたどりついたということだろう。世代論的なものを意図して作られた作品はメッセージ性が強くなる傾向がある。志村の場合、直接的なメッセージは少ない。彼の歌の特質は意識的なものよりもむしろ無意識的なものを取り入れていくことにある。『若者のすべて』の「すべて」は、文字通り、「すべて」の意識的無意識的なモチーフを織り込んでいるのではないだろうか。だから結果として、志村と同世代の「失われた世代」のこころに響いていった。詩的言語は、メッセージでは「ない」ものを伝える。
この番組について正直に書くと、志村正彦『若者のすべて』と「失われた世代」を直接的に結びつけすぎたという印象が残る。制作者は、志村正彦没後十年という時の流れから「時代」や「世代」を重視する意図を持っていたのだろう。一つの番組で表現できることには自ずから制約や限界がある。全体として言えば、志村正彦という存在を世に広く伝えることができたことは功績である。二つの番組を通じて、長い時間をかけて丁寧に取材した関係者の映像の価値は高い。片寄明人、樋口寛子、藤巻亮太、路地裏の僕たち、各地で取材した人々。彼らの発言はどれも真摯なものだった。
なかでも、高校生バンドから「富士ファブリック」までのメンバー、ドラムス渡辺隆之・ベース渡邊平蔵・キーボード小俣梓司の証言はきわめて貴重だった。特に印象に残ったものを二つの番組からここに記しておきたい。
・『茜色の夕日』について
自分の心として吐き出せた。歌詞もそうだしメロディもそうだし吐き出せた。 (渡辺隆之さん)
この曲は魂があるから、この曲で自分は勝負したいってことを言っていたんで。(渡邊平蔵さん)
・富士吉田ライブに関連して
曲だってあんだけ何曲も何曲も作り込んで。あいつが一曲作るのにどれだけ大変か見てますから。(小俣梓司さん)
三人の言葉は、オリジナルメンバーとして身近にいた友人だからこその証言である。僕のような単なる聴き手は想像するだけであるが、このような証言によって、志村正彦の曲への想いや制作の過程をある種の実感として受けとめることができる。
一人のファンとして、一連の制作についてNHK甲府に感謝したい。それと共に今後も、志村正彦・フジファブリックの番組を継続していただければ有り難い。
志村正彦の人と音楽そのものについて、さらに取材し証言を集め、資料や映像を掘り起こして集大成した番組がいつか制作されることを切望している。
今日はこの番組とNHK甲府で制作された一連の番組について振り返りたい。再放送も多かったので時系列で整理しておきたい。
①2019.12.13(金) NHK甲府
ヤマナシ・クエスト「若者のすべて~フジファブリック志村正彦がのこしたもの~」
②2019.12.20(金) NHK甲府ラジオ局
かいらじ *関連のラジオトーク番組
③2020.1.24(金) NHK BS1(にっぽんぐるり)
ヤマナシ・クエスト「若者のすべて~フジファブリック志村正彦がのこしたもの~」(再放送)*①にテロップが部分的に追加され、より正確な表現に修正された。このヴァージョンが保存版となるべきだろう。
④2020.2.11(火) NHK総合
ひとモノガタリ「若者のすべて~“失われた世代”のあなたへ~」
⑤2020.2.24 (月) NHK総合
ひとモノガタリ「若者のすべて~“失われた世代”のあなたへ~」(再放送予定)
一連の番組の制作はNHK甲府が中心となった。NHK甲府の取材者やディレクターが時間をかけて撮影したものを二つの番組「ヤマナシ・クエスト」「ひとモノガタリ」として編集構成したのだろう。企画段階からこの二つの番組の構想があったのかもしれない。
NHKの「ひとモノガタリ」公式サイトでは、「若者のすべて~“失われた世代”のあなたへ~」は次のように紹介されていた。
フジファブリックのボーカルとして活躍したミュージシャン・志村正彦が亡くなって10年。彼と同年代の人たちはいわゆる「失われた世代」と呼ばれ、就職氷河期の中社会に出て生きてきた。志村の曲はそんな彼らに何を残したのか?これは、一人の若者が人生をかけて残した音楽と、かつて若者だった人たちの物語。
志村正彦の人と物語の紹介から始まり、「失われた世代」の人と物語に焦点を当てていた。番組制作者の意図は、「失われた志村正彦」から「失われた世代」への架橋を果たすことだったと思われる。
この偶景webでは、 2015年11月2日の記事「今の子供たちの世代、僕らの世代。-『若者のすべて』19[志村正彦LN115]」で、世代論的な視点から志村正彦と『若者のすべて』について論じている。できればこのテキストを読んでいたきたいが、そこで引用されている志村の発言(「Talking Rock!」2008年2月号、文・吉川尚宏氏)をここで再掲載したい。志村は『若者のすべて』の歌詞を作る過程についてこう語っていた。
最初は曲の構成が、サビ始まりだったんです。サビから始まってA→B→サビみたいな感じで、それがなんか、不自然だなあと思って。例えば、どんな物語にしてもそう、男女がいきなり“好きだー!”と言って始まるわけではなく、何かきっかけがあるから、物語が始まるわけで、同じクラスになったから、あの子と目が合うようになり、話せるようになって、やがて付き合えるようになった……みたいなね。でも、実は他に好きな子がいて……とか(笑)、そういう物語があるはずなのに、いきなりサビでドラマチックに始まるのが、リアルじゃなくてピンと来なかったんですよ。だからボツにしていたんだけど、しばらくして曲を見直したときに、サビをきちんとサビの位置に置いてA→B→サビで組んでみると、実はこれが非常にいいと。
しかも同時に“ないかな/ないよな”という言葉が出てきて。ある意味、諦めの気持ちから入るサビというのは、今の子供たちの世代、あるいは僕らの世代もそう、今の社会的にそうと言えるかもしれないんだけど、非常にマッチしているんじゃないかなと思って“○○だぜ! オレはオレだぜ!”みたいなことを言うと、今の時代は、微妙だと思うんですよ。だけど、“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませると、この曲は化けるかもしれない!
「ないかな/ないよな」という「ない」の反復には、多重の無や不在の感覚が織り込まれている。自分自身、自分と他者との関係における不在や不充足の感覚を基にして、「ない」「失われた」という時代や社会の感覚に広げていく。「“ないかな/ないよな”という言葉から膨らませる」とあるように、その過程を詩的表現の方法として実現させたのが志村らしい。「ないかな/ないよな」の無と不在の響きに手繰り寄せられるようして彼は『若者のすべて』の歌詞を書いた。
志村が「失われた世代」を描こうと意図してこの歌を作ったというよりも、「ないかな/ないよな」という詩的表現によって「失われた世代」のモチーフにたどりついたということだろう。世代論的なものを意図して作られた作品はメッセージ性が強くなる傾向がある。志村の場合、直接的なメッセージは少ない。彼の歌の特質は意識的なものよりもむしろ無意識的なものを取り入れていくことにある。『若者のすべて』の「すべて」は、文字通り、「すべて」の意識的無意識的なモチーフを織り込んでいるのではないだろうか。だから結果として、志村と同世代の「失われた世代」のこころに響いていった。詩的言語は、メッセージでは「ない」ものを伝える。
この番組について正直に書くと、志村正彦『若者のすべて』と「失われた世代」を直接的に結びつけすぎたという印象が残る。制作者は、志村正彦没後十年という時の流れから「時代」や「世代」を重視する意図を持っていたのだろう。一つの番組で表現できることには自ずから制約や限界がある。全体として言えば、志村正彦という存在を世に広く伝えることができたことは功績である。二つの番組を通じて、長い時間をかけて丁寧に取材した関係者の映像の価値は高い。片寄明人、樋口寛子、藤巻亮太、路地裏の僕たち、各地で取材した人々。彼らの発言はどれも真摯なものだった。
なかでも、高校生バンドから「富士ファブリック」までのメンバー、ドラムス渡辺隆之・ベース渡邊平蔵・キーボード小俣梓司の証言はきわめて貴重だった。特に印象に残ったものを二つの番組からここに記しておきたい。
・『茜色の夕日』について
自分の心として吐き出せた。歌詞もそうだしメロディもそうだし吐き出せた。 (渡辺隆之さん)
この曲は魂があるから、この曲で自分は勝負したいってことを言っていたんで。(渡邊平蔵さん)
・富士吉田ライブに関連して
曲だってあんだけ何曲も何曲も作り込んで。あいつが一曲作るのにどれだけ大変か見てますから。(小俣梓司さん)
三人の言葉は、オリジナルメンバーとして身近にいた友人だからこその証言である。僕のような単なる聴き手は想像するだけであるが、このような証言によって、志村正彦の曲への想いや制作の過程をある種の実感として受けとめることができる。
一人のファンとして、一連の制作についてNHK甲府に感謝したい。それと共に今後も、志村正彦・フジファブリックの番組を継続していただければ有り難い。
志村正彦の人と音楽そのものについて、さらに取材し証言を集め、資料や映像を掘り起こして集大成した番組がいつか制作されることを切望している。
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『若者のすべて』,
志村正彦ライナーノーツ(LN)
2020年2月11日火曜日
映画『イエスタデイ』のジョン・レノン
今夜2月11日 18:05~18:34、NHK総合の「ひとモノガタリ」という番組で「若者のすべて~失われた世代のあなたへ~」が放送される。志村正彦(フジファブリック)と彼が遺した曲を支えにして生きる人たちをテーマにしたそうだ。昨夜のNHK甲府の「Newsかいドキ」で冒頭が少し紹介されていた。あと数時間後の本放送を待ちたい。
前回書いた映画『イエスタデイ』でジョン・レノンが登場するシーンがyoutubeにあった。4分ほどの場面である。この映画は昨年10月に公開されたので上映の機会は少なくなってきた。それでも東京、大阪、兵庫などでは2月から3月にかけて上映する映画館もある。ご覧になる予定の方はこの記事はスルーしていただくことにして、今回はその映像を紹介したい。
この映像だけを取り出すと、まるでこのシーンが中心のようであるが、映画全体からするとあくまで一つの挿話に過ぎない。しかし、前回書いたように、このジョン・レノンのシーンを中心に据える見方もあるだろう。僕はそう見た。ジョンの登場シーンのためにこの映画は作られたのではないかと。それはそうとして、まるで、ジョン・レノン登場シーンとそれ以外のシーンが、パラレルワールドになっているような関係なのだ。『Yesterday』と『Imagine』がパラレルになっているとも言える。
このシーンをよく見ると、ジョンの家の前の船底を上にして置かれた小舟に「Imagine」と書かれていることに気づく。この船の名は「Imagine」号なのだ。船が逆さまなので文字も逆さまであり、逆さまのパラレルワールドに相応しい。
ジャックとジョンの次の会話の場面が胸に刻まれる。
Jack So good to see you. How old are you?
John 78.
Jack Fantastic! You made it to 78.
映画『イエスタデイ』のジョン・レノンが78歳まで生き続けていたことは「Fantastic!」以外のなにものでもない。この後で二人はハグをする。映画という虚構の人物と現実の人物の虚構の抱擁のように。
40歳で亡くなった「ビートルズのジョン・レノン」が存在する世界。
78歳まで生き続けた「船乗りのジョン・レノン」が存在する世界。
この二つの世界に対して、もう一つの世界を想像する。
「ビートルズのジョン・レノン」が78歳まで生き続ける世界。
僕たちは第三のパラレルワールドを「imagine」することができるだろう。
【付記】 前回の記事について「偶景webを通勤時に読んじゃだめですね(;_;) パラレルワールド... 」と呟いていただきました。(;_;)という顔文字、充分にimagineできました。
前回書いた映画『イエスタデイ』でジョン・レノンが登場するシーンがyoutubeにあった。4分ほどの場面である。この映画は昨年10月に公開されたので上映の機会は少なくなってきた。それでも東京、大阪、兵庫などでは2月から3月にかけて上映する映画館もある。ご覧になる予定の方はこの記事はスルーしていただくことにして、今回はその映像を紹介したい。
この映像だけを取り出すと、まるでこのシーンが中心のようであるが、映画全体からするとあくまで一つの挿話に過ぎない。しかし、前回書いたように、このジョン・レノンのシーンを中心に据える見方もあるだろう。僕はそう見た。ジョンの登場シーンのためにこの映画は作られたのではないかと。それはそうとして、まるで、ジョン・レノン登場シーンとそれ以外のシーンが、パラレルワールドになっているような関係なのだ。『Yesterday』と『Imagine』がパラレルになっているとも言える。
このシーンをよく見ると、ジョンの家の前の船底を上にして置かれた小舟に「Imagine」と書かれていることに気づく。この船の名は「Imagine」号なのだ。船が逆さまなので文字も逆さまであり、逆さまのパラレルワールドに相応しい。
ジャックとジョンの次の会話の場面が胸に刻まれる。
Jack So good to see you. How old are you?
John 78.
Jack Fantastic! You made it to 78.
映画『イエスタデイ』のジョン・レノンが78歳まで生き続けていたことは「Fantastic!」以外のなにものでもない。この後で二人はハグをする。映画という虚構の人物と現実の人物の虚構の抱擁のように。
40歳で亡くなった「ビートルズのジョン・レノン」が存在する世界。
78歳まで生き続けた「船乗りのジョン・レノン」が存在する世界。
この二つの世界に対して、もう一つの世界を想像する。
「ビートルズのジョン・レノン」が78歳まで生き続ける世界。
僕たちは第三のパラレルワールドを「imagine」することができるだろう。
【付記】 前回の記事について「偶景webを通勤時に読んじゃだめですね(;_;) パラレルワールド... 」と呟いていただきました。(;_;)という顔文字、充分にimagineできました。
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