2023年4月30日日曜日

「PRAY.」の〈きみ〉と〈キミ〉

  マカロニえんぴつ「PRAY.」は複雑な作品であり、前回は主にモチーフの構造をたどった。歌詞全体が、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉〈正しく消える〉というように三つの要素による変化によって構造化され、そのことによって、メッセージが直接的ではなく、間接的にそして断続的に浮かび上がり、歌詞の余白がめぐりはじめる。 

 「PRAY.」は、歌の送り手と受け手、歌い手と聴き手の関係も複雑である。具体的には、歌詞の中の主体とその相手、人称の関係に特徴がある。今回はそのことを書いてみたい。まず、人称代名詞が記された五つの箇所を引用する。


 ボクら引きずってるのはきっと青春の後味だ

 きみなら まだ間に合うよ

 トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う

 ボクらが担っているのはきっと青春のあとがきサ

 トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと
 哀しく唄う
 優しく回る
 正しく消える

  

 ひとつの歌の中に、人称代名詞が一人称複数〈ボクら〉、二人称単数〈きみ〉、一人称単数〈ボク〉、二人称単数〈キミ〉の四種類がある。特に、二人称単数が平仮名の〈きみ〉と片仮名の〈キミ〉の二つに書き分けられていることに注意したい。片仮名系と平仮名系の二つの系列がある。〈ボクら〉は片仮名の〈ボク〉と平仮名の〈ら〉が連結されているので、片仮名と平仮名の複合でもある。ただし、この〈ら〉は複数形を示す通常の表現として捉えてよいだろう。

 片仮名の系列をふまえれば、片仮名の〈キミ〉と結びつくのは、同じ片仮名表記の〈ボク〉である。歌の意味の流れからは、〈キミ〉は二人称の相手を指すというよりも、歌の主体が自分自身を二人称として対象化して、〈キミ〉に変換して呼びかけていると考えられる。そうなると、歌の文脈の中では〈ボクら〉は〈ボク〉と〈キミ〉から構成されているのだろう。その〈ボクら〉は〈青春〉の〈後味〉を引きずり、〈あとがき〉を担い、〈飛べないボク〉〈飛べないキミ〉とあるとおり、〈ボクら〉は飛ぶことができない。その代わりに、〈ボクら〉のために〈トンボ〉が飛んでいく。

 

 それでは、あえて平仮名で記された〈きみ〉はどのような存在なのだろうか。〈ボクら〉〈ボク〉〈キミ〉の片仮名表記の人称代名詞群とは異なる意味を帯びていることは間違いない。歌い方からしても、この〈きみ〉は歌の受け手や聴き手に直接呼びかけている感じがする。歌詞の展開上も、(プレイボール)という試合開始の合図に続くフレーズだ。

 〈きみ〉は歌詞の内部ではなく、歌詞の外部に開かれている。「PRAY.」のモチーフである高校球児や若者たち、もっと広くいえば聴き手一般を指していると考えるのはどうだろうか。歌詞の中の〈キミ〉は〈ボク〉の内部にある僕自身だが、〈きみ〉は僕の外部にある他者である。平仮名と片仮名に書き分けられた二人称にはそのような差異を作り出している。

 「PRAY.」は選抜高校野球大会のテーマソングであり、〈きみ〉への応援ソングである。しかし作者はっとりは、ナタリーの「憧れる側から憧れられる側へ、生き様を刻んだ新作EP」というインタビュー(取材・文:柴那典)で、〈いろいろ経験を重ねてたくさんのものを身に付けたようでいて、実はいろんなものを途中で落としていってるような気もする〉〈自分に向けて歌ってるような気もします〉と語っている。

 はっとり・マカロニえんぴつは、他にもアニメやドラマの優れたテーマソングを作っている。依頼曲が自然に自分自身の曲にもなるところが、はっとりの資質であり才能であるのだろう。「PRAY.」であれば、〈きみ〉のための歌が〈キミ〉のための歌になり、〈ボク〉の歌になる。そしてさらに〈ボクら〉の歌にもなるのだ。


2023年4月9日日曜日

マカロニえんぴつ「PRAY.」

 春の選抜高校野球大会で山梨学院高校が優勝した。春夏を通じて山梨県勢が初めて優勝した。山梨学院の野球部には地元の生徒が少ないのだが、甲府にあるこの高校の健闘と殊勲は素直に喜びたい。

 この第95回大会のMBS毎日放送の公式テーマソングが「マカロニえんぴつ」の新曲「PRAY.」であることを知った。このバンドのボーカル・ギター、ほとんどの歌を作詞作曲している「はっとり」は鹿児島県の生まれだが、保育園から高校まで山梨県中央市で過ごしたので、自らが山梨県出身としている。宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)、志村正彦(フジファブリック)に続く、山梨の優れた「ロックの詩人」だと言ってよいだろう。


 この「PRAY.」のMV(youtube)と歌詞を紹介したい。

 



 マカロニえんぴつ PRAY.
 (作詞・作曲:はっとり)

やがて春のトンボは毛羽立つ未来へ。
ボクら引きずってるのはきっと青春の後味だ
スリップ・イン・ザ 少年
忘れちゃいないか?価値は勝ちだけじゃないぜ
振れ!振れ!フレ!

(プレイボール)

きみなら まだ間に合うよ

届かなかった夢の、先を走る。走る
いま!会いに来てよヒーロー
トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う

山手からの望みは武庫川、夕暮れ。
ボクらが担っているのはきっと青春のあとがきサ
ステップ・オン・ザ・サーティ 諦めないで!
「いつからか負けることに慣れてしまいました」

今なら まだ間に合うぜ?

敵わなかった夢の、先を走れ。走れ
いま!そばに居てよヒーロー
祈りは空を越えて 白い光の中で優しく回る

スキップ・とん挫 正義
忘れちゃいないか?ただ立って待ってないか?

届かなかった夢の終わりを観に行こうぜ
いま会いに来ちゃ遅ぇよ
トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと
哀しく唄う
優しく回る
正しく消える


 〈春のトンボ〉が歌のモチーフであり、景物ともなっている。〈春〉はもちろん初の選抜野球大会から選択された季節だろう。〈トンボ〉は昆虫の蜻蛉。〈蜻蛉〉という字から〈蜻蛉カゲロウ〉が想起され、この〈カゲロウ〉から〈陽炎〉も連想される。命が短く儚いもの、という意味合いを帯びてくる。もう一つは、野球グランドの整備道具の〈トンボ〉。こちらの方は裏方仕事の労力、そのけなげさのようなものが伝わってくる。

 最初のフレーズに〈やがて〉〈未来へ〉とあるように、すべては〈未来〉から遡行する視点で歌われている。歌の主体、一称複数代名詞の〈ボクら〉が〈引きずってるのはきっと青春の後味だ〉とされる。未来へ飛翔した〈トンボ〉に引きずられるように、〈ボクら〉は青春の〈後味〉を噛みしめる。あくまでも〈後味〉であることに留意しよう。すべてはすでに過ぎ去っているのだ。この時間の間隔が、作者はっとりの持ち味だろう。

 冒頭の二行で歌の枠組が示される。はっとりは、この枠組の中で言葉を巧みにめぐらせる。

 〈スリップ・イン・ザ 少年〉〈ステップ・オン・ザ・サーティ〉〈スキップ・とん挫〉と、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉という三つの段階を定めて、少年時代、三十代、〈とん挫〉の時代という時が流れる。その時代ごとに〈忘れちゃいないか?価値は勝ちだけじゃないぜ〉〈諦めないで!〉〈正義〉という直接的なメッセージが歌われる。そしてその後に、〈振れ!振れ!フレ!〉という声援と〈(プレイボール)〉の宣言、〈「いつからか負けることに慣れてしまいました」〉という内言、〈忘れちゃいないか?ただ立って待ってないか?〉という問いかけがコーラスのように続く。このメッセージ群は、最終的に〈きみなら まだ間に合うよ〉〈今なら まだ間に合うぜ?〉に収束していく。

 〈間に合う〉というのは何よりも時間との闘いである。高校野球も闘いではあるが、そのモチーフを自分と時間との闘いに昇華している。そして、〈届かなかった夢の、先を走る。走る/いま!会いに来てよヒーロー〉〈敵わなかった夢の、先を走れ。走れ/いま!そばに居てよヒーロー〉というように、自らの〈夢〉の〈先〉が〈ヒーロー〉に仮託される。

 〈山手からの望みは武庫川、夕暮れ〉という風景描写がある。〈武庫川〉は甲子園球場の近くを流れている。〈ボクら〉が担うのは〈青春のあとがき〉。あくまでも〈あとがき〉、本文を終えた後書だ。

 〈トンボは夜を越えて 飛べないボクのためと哀しく唄う〉〈祈りは空を越えて 白い光の中で優しく回る〉〈トンボは夜を越えて 飛べないキミのためと〉というように、〈トンボ〉は〈僕〉と〈祈り〉と〈君〉のために飛翔する。〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉と唄って旋回するのだが、最後は〈正しく消える〉。この〈正しく消える〉にはこの時代に対する無意識のメッセージがあるような気がする。〈正義〉に関わるなにものかに対する作者の想いがある。〈正義〉が、哀しく唄い、優しく回り、正しく消える、ということだろうか。その意味は聴き手に委ねられている。


 歌詞全体が、〈ステップイン〉〈ステップオン〉〈スキップ〉、〈哀しく唄う〉〈優しく回る〉〈正しく消える〉というように三つの要素による変化によって構造化されている。そのことによって、メッセージが直接的ではなく、ある旋回する流れの中で間接的に、そして断続的に浮かび上がる。歌詞の余白がめぐりはじめる。はっとりには洗練された巧みな表現の技術があるが、その技術を聴き手にあまり意識させることなく、数分間のロックに落とし込んでいる。マカロニえんぴつの音楽が現在の若者に支持される所以だろう。

 「PRAY.」というように「PRAY」祈りに「.」ピリオド、終止符が打たれている。この終止符がまた、哀しく唄い、優しく回り、正しく消えるように聞こえてくる。


2023年3月31日金曜日

「黒服の人」―音による表象 [志村正彦LN331]

 志村正彦・フジファブリックの「黒服の人」に戻りたい。

 5分50秒ほどの長さを持つ曲である。イントロは静謐でありながらどこかに不穏な響きもある。歌詞の世界に入ると、冬の〈とても寒い日〉の〈小さな路地裏通り〉で、歌の主体が〈牡丹雪〉〈車の轍〉の〈雪〉へ、〈黒服の人〉、〈笑ったあなたの写真〉と〈泣いてる〉〈みんな〉へと眼差しを降り注ぎ、〈忘れはしない〉という意志をもって、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉という場と時を彼方に描いていく。そして、〈雪〉が消えていく。志村の声は自らの言葉をかみしめるように歌っていく。

 曲の真ん中あたりで歌詞のパートは終わる。その後、アウトロが3分ほど続く。少しずつ微かな電子音が聞こえてくる。5分を過ぎたあたりで、その電子音はパルスのような波形を模した音に変わり、その波形の間隔がゆっくりとなり、最後の十秒ほどでフラットになる。

 誰もがこのサウンドから、心電図の波形の音を想像するだろう。そしてその音がフラットになることの意味も明確であろう。

 

 「黒服の人」を初めて聴いたとき、志村正彦がこういう音楽を作る人であることに驚いた。懼れた、といってもよい。ある種の畏怖のような感情かもしれなかった。

 この曲を聴く度に、辛い気持ちにもなった。心電図の波形のような音が《死》を想起させる。                                                        

 なぜ志村はこのような音楽を作ったのだろうかと考えてみた。

 彼の感覚、特に聴覚は鋭敏だったと推測される。リアルな音が聞こえてくる。そしてその音を記憶する。時にはそのまま実際に記録する。彼は、学校の教室での音など身の回りの音をよく録音していたそうである。そして、その音を音楽に変換していく。


 これはあくまでも想像だが、志村は、心電図の波形の音によって他者の《死》を受けとめたことがあったのではないか。あるいは、実際の経験ではなかったのかもしれないが。直接的か間接的な経験から、音によって音楽によって、《死》を表象することを試みたのではないだろうか。

 「黒服の人」はそのことを告げているような気がしてならない。


2023年3月22日水曜日

2009 WBCテーマソング『Sugar!!』[志村正彦LN330]

 今日の「2023 WORLD BASEBALL CLASSIC」決勝戦。日本がアメリカを3対2で下して勝利。7戦全勝で3大会ぶり3回目の優勝。野球、ベースボールの素晴らしさを久しぶりに堪能した。

 WBC、というと思い浮かぶのは、志村正彦・フジファブリックの『Sugar!!』。この曲は、「スポーツ専門チャンネルJ SPORTS」の「2009 WBC」中継のテーマソングとなった。

 youtubeで探すと「Jsports WBC2009 ending」という映像が見つかった。志村の声が流れてくると、今日の感動がまた新たなものになってくる。

 



  全力で走れ 全力で走れ 36度5分の体温
  上空で光る 上空で光る 星めがけ

  全力で走れ 全力で走れ 滑走路用意出来てるぜ
  上空で光れ 上空で光れ 遠くまで


 サビの第一連後半の〈上空で光る〉〈星めがけ〉が、第二連後半では〈上空で光れ〉〈遠くまで〉に変わっていく。〈36度5分の体温〉で〈滑走路〉へと、〈全力で走れ〉から〈上空で光れ〉へと、運動が続いていく。

 映像の中でこの歌詞が流れると、この運動の軌跡が、WBCの優勝、上空の彼方で光ることへとつながるように聞こえてくるから不思議だ。


 志村正彦は野球少年だった。「記念写真」の歌詞にはこうある。


  ちっちゃな野球少年が
  校舎の裏へと飛んでったボール 追いかけて走る
  グラブをかかえた少年は
  勢い余ってつまずいて転ぶ すぐに立ち上がる

 

 志村が山日YBS杯山梨県少年野球大会に出場した際の写真入りの記事も残されている。(僕も野球少年だったのでこの大会に参加したことがある。毎朝、小学校のグラウンドで練習をしていたのは良い思い出だ)

 志村日記(2009.9.14)では、〈僕は小さい時からプロ野球の選手になろうと思ってました。しかし、中学3年生の夏、富士急サウンドコニファーというところで民生さんのライブを友達に誘われ観に行きました。ステージで一曲目が始まった瞬間、プロ野球の選手になるという夢は吹っ飛び、音楽家になろうと思いました〉と述べている。


 志村は「OKMusic」のインタビュー(【フジファブリック】OKMusic編集部2009年03月20日)で『Sugar!!』について、〈バンド活動もそうですけど、全力で駆け抜けていくことが、これから必要だなって感じていたからこういう歌詞になったんだと思います〉と語っている。当時、2009年春の時点での志村の心境が伺える。


 プロ野球選手からプロ音楽家へと、志村の〈上空〉の〈光〉は変わっていったが、2009 WBCのテーマソング『Sugar!!』は、志村自身が〈全力で駆け抜けていくこと〉に対する応援ソングでもあったのだろう。


2023年3月12日日曜日

「黒服の人」―主体の眼差し [志村正彦LN329]

 志村正彦・フジファブリック「黒服の人」は、2005年2月、四季盤シングルの最終章、冬盤「銀河」のB面曲として発表された。歌詞を引用する。

 

 「黒服の人」(作詞・作曲:志村正彦)


  並ぶ黒服の人 空から降る牡丹雪
  小さな路地裏通りで 笑ったあなたの写真を
  眺めてみんなが泣いてる
  見送ったあとの車の 轍に雪が降り積もる
  そうしてるうちに消えてく
  それは寒い日のこと とても寒い日のこと

  遠くに行っても 忘れはしない
  何年経っても 忘れはしない


 歌詞の中の〈あなた〉の葬儀の情景が歌われている。この〈あなた〉はおそらく志村の近親者かごく親しい人のことだろう。冬の季節、雪の日の出来事でもある。

 前回紹介したドラマ『雪女と蟹を食う』は「死生観」をテーマとしている。この歌が作中で流されたのは、テーマの共通性からであろう。


 表現面の特徴からまず論じたい。その前に歌詞の言葉について注記したいことがある。ネットの歌詞サイトでは、冒頭の〈並ぶ〉が〈並び〉と記されているものが多いが、これは当初の歌詞カードの誤記に拠るようだ。アルバム『シングルB面集 2004-2009』や『志村正彦全詩集』では〈並ぶ〉になっている。

 歌の主体の眼差しの中で全てが映し出されてゆく。〈みんな〉の眼差しが二人称の〈あなた〉の〈笑った〉〈写真〉に注がれる。そして〈みんな〉が泣いている。〈並ぶ〉〈降る〉〈泣いてる〉〈降り積もる〉〈消えてく〉、動詞の終止形のウ音が基調になる。意味の連鎖の上でも、雪が〈降る〉〈降り積もる〉〈消えてく〉という動きとウ音のつながりがある。〈並ぶ〉みんなが〈泣いてる〉、その静かな響きの情景を〈それは寒い日のこと とても寒い日のこと〉という〈こと〉の体言止めによって終結させている。この時この場の情景が絵画のように記憶に刻まれるが、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉、〈あなた〉を〈忘れはしない〉という意志が繰り返し歌われる。〈ない〉の反復が志村の歌であることを証している。


 雪国とは異なり、山梨では雪はあまり降らないのだが、標高が高い富士吉田では年に何度か降り、積もることがある。「牡丹雪」は僕の感覚からすると、春が近づき暖かくなっていく季節に降るイメージがある。

 志村の他の作品で〈雪〉が登場するのは、『Stockholm』の〈静かな街角/辺りは真っ白/雪が積もる 街で今日も/君の事を想う〉と、『MUSIC』の〈君を見つけて 君と二人/遊び半分で 君を通せんぼ/冬になったって 雪が止んじゃえば/澄んだ空気が僕を 包み込む〉である。どちらも、歌の主体が雪の情景の中で二人称の〈君〉のことを想う。「黒服の人」では〈あなた〉という二人称だった。雪の情景と二人称の存在との間に強いつながりがあるのかもしれない。


 楽曲の面では、真ん中あたりで歌のパートが終わってしまい、間奏からアウトロにかけて、ギターが鳴り響くところに特徴がある。このギターは志村が奏でたようだ。僕はこの旋律からどこか志村のブルースのようなものを感じてしまう。いわゆるブルースギターではないが、深い憂いのギターとでもいうべきものを。 

 ギターのことで少しだけ触れたいことがある。以前も書いたことがあるが、志村が高校入学の春、初めてのエレキギター、ギブソン・レスポールスペシャルを購入したのは、甲府の岡島百貨店にあった新星堂ロックイン甲府店だった。もうかなり前にこの楽器店は閉店していたが、この度、岡島百貨店は現施設での営業を終了し、規模をかなり縮小した上で近くのビルに移転した。これまでの建物は老朽化により解体されてしまう。岡島百貨店の創業は1843年、百八十年の歴史を持つ老舗である。東京でいえば三越といった感じのデパートであり、山梨の人々にとっては華やかな買い物の場所であった。僕にもいろいろな思い出がある。店内のジュンク堂書店の音楽書コーナーの目立つ場所に「ロックの詩人 志村正彦展」のフライヤーを飾ってくれたこともあった。思い出が消えていくようで淋しい限りである。

 

 冬の〈とても寒い日〉の〈小さな路地裏通り〉で、歌の主体の眼差しが〈牡丹雪〉〈車の轍〉の〈雪〉へ、〈黒服の人〉、〈笑ったあなたの写真〉と〈泣いてる〉〈みんな〉へと降り注がれ、〈忘れはしない〉という意志が垂直に立ち上がり、〈遠くに行っても〉〈何年経っても〉という場と時が彼方に描かれ、そうして〈雪〉が消えていく。

    (この項続く)


2023年2月26日日曜日

「黒服の人」―ドラマ「雪女と蟹を食う」[志村正彦LN328]

 昨年の夏から半年ほど「茜色の夕日」について断続的に書いてきた。一月ほど休止したが、このブログを再開したい。冬ももう終わりつつあるが、四季盤シングルの冬盤「銀河」のB面曲「黒服の人」を取り上げる。

 Gino0808の漫画「雪女と蟹を食う」がテレビ東京系「ドラマ24」枠でドラマ化され、2022年7月から9月まで放送された。監督は、内田英治・柴田啓佑・松本優作。このドラマの挿入曲として、志村正彦・フジファブリックの「サボテンレコード」と「黒服の人」が使われたことをネットで知ったが、その回は見逃してしまった。10月からBSテレ東で再放送されたので、第1話から最終12話まで見ることができた。まだ、漫画作品の方は読んでいない。

 「黒服の人」は第9話の冒頭、北(重岡大毅)と雪枝彩女(入山法子)が車で北海道の小樽へ入り、二人が小樽の街を歩く場面で〈遠くに行っても 忘れはしない/何年経っても 忘れはしない〉の部分が流された。時間も25秒ほどで音量も小さかったので、注意しないと聞き逃してしまうようだったが、むしろこの曲にふさわしい演出だったのかもしれない。動画配信サービスで視聴できるが、youtubeにはこの回の予告編がある。



 

 企画・プロデューサーの松本拓氏は〈テーマは「死生観」です〉〈人が生きる意味、そして、人の温かみを感じて頂ける作品に仕上がっていくと思いますし、「生」と「死」という人間の普遍的な要素を表現しながらも、その世界観はとても現代的なものになっていくはずです〉と語っている。確かに、「生」と「死」の要素を中心に、「性」と「愛」の要素も織り込んだ作品である。


 生の行き詰まりからどのようにして自らを解き放ち、自分自身の時を未来へとつなげていくのか。


 その切実なモチーフを、重岡大毅と入山法子の優れた演技と工夫された演出によって描いている。セレブな高級車、赤色のBMW M5と北が着る変わったTシャツとの取り合わせも面白い。東京から北海道までのロードムービーだが、温泉宿や土産物、蟹など美味しそうな食べ物も絡めている。第9話でも小樽運河や旧倉庫、おたる水族館を訪れていて、旅案内風なところもあった。第12話の結末は、ロードムービーの終着点ではなく、新たなロードムービーの始まりである。

 (この項続く)


2023年1月29日日曜日

《痕跡として有りつづける、有るもの》-『茜色の夕日』12[志村正彦LN327]

 志村正彦の聴き手であれば、一人ひとり、忘れることのできない『茜色の夕日』があるだろう。この曲との出会いの時。この曲の想いが真に迫ってきた時。その《時》あるいはその《時々》において、聴き手はこの曲に触発される。〈少し思い出すものがありました〉という志村の声に誘われるようにして、何かを少し思い出す。

 僕にとってのその《時》は、2014年11月28日だった。日本武道館のフジファブリック・ライヴで『茜色の夕日』を聴いた。

 オープニングから十曲ほど演奏した後、志村のハットがマイクスタンドにかけられて、演奏が始まった。イントロのオルガン音に続いて、志村の声が武道館に響きわたる。予期していなかった驚きと共に心に込みあげてくるものがあった。ここにはいない志村正彦の音源と、現メンバーの金澤ダイスケ・加藤慎一・山内総一郎、サポートの名越由貴夫・BOBOによる生演奏の共演による『茜色の夕日』。当時のブログで書いたことをここに引きたい。


彼は無くなってしまった。だがしかし、そうであるがゆえに、よりいっそう、彼は《声》そのものになった。《声》という純粋な存在になった。聴くという行為が続く限り、いつまでも、彼の《声》は今ここに現れてくる。


 あの日の『茜色の夕日』は、歌の音源と生演奏によるもの、というよりも、志村正彦・フジファブリックの歌と演奏を聴いたという記憶となって、僕の中に強く残っている。その記憶を大切にしたいので、日本武道館ライヴのDVDの映像も一度見ただけで、それ以上見ることはしなかった。

 今日、これを書くにあたって、八年ぶりにライブ映像を見た。こみあげてくるものがあった。それでも志村の声を聴くことに集中した。〈僕じゃきっと出来ないな/本音を言うことも出来ないな/無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった〉という箇所にやはり惹かれた。

 この一連のエッセイでは、この箇所をユニットⅣに位置づけた。このユニットⅣがユニットⅠ・Ⅱ・Ⅲの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体〈僕〉の心の中の呟きの声が表出されている、という点を中心に論じてきた。武道館の音源は〈2005年9月シングル版・2005年11月アルバム〉収録のものを使ったようで、〈無責任でいいな〉は、やはり、〈無責任でいい〉と歌われているように聞こえる。〈無責任でいい〉という言葉には、自分自身に対する深い問いかけがある。志村の声がそう伝えている。 


  志村正彦のように、高校を卒業後、東京に出て行く山梨の若者は少なくない。僕もそうだった。山梨の空の星は美しい。もともと星を見るのが好きだったので、山梨の夜空をよく見ていたのだが、東京に出てからはそれがほとんどなくなった。空を見ることを忘れてしまったとも言える。そういう経験をしてきた者には、「茜色の夕日」の〈東京の空の星は見えないと聞かされていたけど/見えないこともないんだな。そんなことを思っていたんだ〉という言葉が迫ってくるかもしれない。

 この表現は、〈東京の空の星〉も〈見えるんだな〉ではなく、〈見えないこともないんだな〉と語っているところが志村らしい。〈ある〉という単純な肯定ではなく、〈ない〉ことも〈ない〉という二重否定を使っている。一度、その現実が〈ない〉と否定された後で、その否定自体をくつがえす何らかの契機によって、否定が否定され、その現実が肯定される。その過程の中で、何かを見出すという時が流れている。

 〈ないこともない〉という感覚と論理が志村の歌の根柢にある。

 そもそものはじめには〈ない〉がある。「茜色の夕日」でも「若者のすべて」でも、〈ない〉という声がこだましている。彼の声がこれほどまでに〈ない〉を繰り返したのは、端的に言って、彼の《喪失》の深さを表しているのだろう。何かが、誰かが、あるいは、時や場そのものが失われていく。志村はおそらく物心がつく頃から、失われていくものに鋭敏だったのではないだろうか。

 失われていくものは、そのままそこに不在となる。無いものとなる。しかし、無いものは記憶の痕跡としてはそこに有りつづける。無いものとなったが、そこに痕跡として有りつづけるもの。志村がそれを歌うことによって、聴き手にもそれが浮かび上がる。それを《痕跡として有りつづける、無いもの》と名付けてみたい。

 この《痕跡として有りつづける、無いもの》は、〈ない〉と繰り返し歌われることによって、二重に否定される。《無いもの》が〈ない〉と二重否定され、結果として肯定されると、《無いもの》が《有るもの》へと変換される。《痕跡として有りつづける、無いもの》が、不思議なことではあるが、《痕跡として有りつづける、有るもの》とでも名付けられるものへと変わっていく。錯綜とした分かりにくい論理ではあるが、そのような論を呈示したい。

 〈東京の空の星〉はもともと有りつづけたものであるが、〈見えない〉とされることによって《無いもの》とされてしまう。しかし、その《無いもの》が〈見えないこともない〉という二重否定によって、《有るもの》として肯定される。〈東京の空の星〉は《痕跡として有りつづける、有るもの》として、眼差しに浮上する。

 

 志村正彦には、《痕跡として有りつづける、無いもの》を《痕跡として有りつづける、有るもの》へと変えたいという想いがあったのではないだろうか。《痕跡として有りつづける、有るもの》を希求する想いと言ってもよい。「茜色の夕日」にもその想いが貫かれている。

 昨年の八月から半年の間、断続的に番号を付けながら『茜色の夕日』について書いてきたが、今回でひとまずの区切りを付けたい。


2023年1月22日日曜日

〈リアルな思い〉と客観的な視線-『茜色の夕日』11[志村正彦LN326]

  『若者のすべて』が収録された3rdアルバム『TEENAGER』は、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムである。〈二十代〉の後半になった志村正彦は、このアルバムで〈十代〉を振り返ろうとした。志村は『若者のすべて』についてこう語っている。(『音楽と人』2007年12月号インタビュー記事、樋口靖幸氏)

 

〈茜色の夕日〉以来です、こんなナーバスになってるのは。あの時は曲つくって自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたいっていう、音楽やるのに真っ当な理由があったわけですよ。それに自信をつけられていろんな曲を今まで作ってきたけど、これは当時のその曲と同じくらいのリアルな思いがある……ってことを、作った後に気づかされたんだよなぁ。

 

 『若者のすべて』には、『茜色の夕日』と〈同じくらいのリアルな思い〉があることを〈作った後に気づかされた〉のは、そのリアルな思いを事前に意識していたのではなく、創作した後で事後的に認識したということである。『茜色の夕日』の創作によって〈自信〉を付けた志村は多様な楽曲を表現していったが、その〈リアルな思い〉は幾分か遠ざかっていった。無意識的なものとなったとも言えよう。しかし、『若者のすべて』によって、〈自分の思いを表現して、あの人にいつか届けたい〉というモチーフが強く、志村の中で浮上してきた。〈二十代〉の後半になった志村は、〈十代〉の思いをふたたび語りたかったのかもしれない。

 

 〈十代〉から〈二十代〉へと至る道筋についてもう一つの観点を示したい。


 『若者のすべて』の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考える。街灯の明かりがつくと帰りを急ぎ、〈途切れた夢の続き〉をとり戻したくなる。〈僕〉の一日は〈すりむいたまま〉のように終わるのだが、やがて〈僕〉は、〈すりむいたまま〉に〈そっと歩き出して〉いくだろう。

 『若者のすべて』から時を遡って『茜色の夕日』を捉えると、『若者のすべて』は『茜色の夕日』で歌われていた〈途切れた夢〉の〈続き〉を歌ったものだとも考えられる。

  『茜色の夕日』の回想は〈途切れた夢〉の回想でもある。その〈続き〉が『若者のすべて』で語られることになる。そして、その〈途切れた夢〉の〈続き〉を取り戻すために、〈そっと歩き出して〉いく意志を歌ったのが『若者のすべて』であるという見方はどうであろうか。


 歌の主体〈僕〉の声、第三次の語りに焦点化すると、『茜色の夕日』の〈本音を言うこともできない〉から、『若者のすべて』の〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉への変化を指摘できる。〈言うこともできない〉は文字通り、言うことが不可能な状態である。『茜色の夕日』の〈僕〉は、言うことができないまま、立ち尽くしている。

 『若者のすべて』の〈言えるかな〉には、言いたいのだが本当に言うことができるかなという想い、〈話すことに迷うな〉には、話したいのだがその内容に迷ってしまうという想いが込められている。どちらにしろ、『若者のすべて』の〈僕〉は、言えないまま立ち尽くすのではなく、言うことに向かって少しずつ歩み出している。〈十代〉から〈二十代〉への言葉をめぐる軌跡が浮かび上がる。

  志村は、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で、〈曲のアプローチ、曲を作っていく中で――もちろん夢中になってしまう自分もいるんですが―― 客観的に見れるようになっていった〉と語っている。インタビュアーの〈客観的になった事で見えてきた物などありますか?〉という問いに対してこう答えている。

  

そうですね・・・、結構妙な事やってるな、とは思いますね(笑)。音楽を始める時は色んな素晴らしい人がいて色んな素晴らしい音楽があって、それに感動したりして「そういう音楽って凄いな」って思うんですけど、いざ真剣に考えてみると「ここの歌詞はちょっと自分と違うな」「自分だったらこういう音で作るんだけどな」っていうのがありまして。それを実際にやってみたいって事でミュージシャンを目指したんですけど、やっと自分がやりたかった事が出来てきたというか、色々面白い事に挑戦しているバンドなんじゃないかと思うんですけどね。


 表現者としての志村は、次第に、歌の主体〈僕〉を客観的に見ることができるようになった。このような視線で〈二十代〉の志村は〈十代〉の志村を見つめ直した。『茜色の夕日』から『若者のすべて』までの時の流れの中で、言葉をめぐる在り方も変化した。〈やっと自分がやりたかった事が出来てきた〉〈色々面白い事に挑戦しているバンド〉だという達成感も得られてきた。そのような軌跡が浮かび上がる。この軌跡は表現者としての志村の成長を物語っている。

 また以前、2001年から2005年までに至る『茜色の夕日』の歌い方の変化によって、自分自身が自分を問い返す意味合いが強まってきたと書いたが、このことと客観的な視線を獲得したことの間には深い関係があるだろう。



2023年1月8日日曜日

故郷と東京、〈十代〉と〈二十代〉-『茜色の夕日』10[志村正彦LN325]

 新年が明けた。今年もよろしくお願いします。

 このブログでは毎年十二月の最後にその年の出来事を振り返ってきたが、昨年末はそれができなかった。2023年の最初の回で少し、昨年のことを書きたい。富士吉田を何度か訪れたことについてである。

 一月、下吉田駅の志村正彦パネルを見て、列車近接音の『茜色の夕日』と『若者のすべて』を聞いた。その後も、本町通りの商店街で買い物をしたり、吉田のうどんの店を新しく開拓したりと、街を歩いた。十月「ハタオリマチフェスティバル2022」、十二月「FUJI TEXTILE WEEK 2022」とイベントにも出かけた。

 フジテキスタイルウィークでは、落合陽一の《The Silk in Motion》が想像以上に美しかった。小室浅間神社の神楽殿に設置した大型LEDで上映された映像は、ファブリックの色彩と形態が時間と共に変容していく姿をどこまでも追いかけていく。映像に複雑なリズムがあった。産地展「WARP& WEFT」では、ファブリックのサンプル生地やマテリアルブックを見た。富士吉田の織物産業とその歴史を、文字通り、手に取るようにして知ることができた。

 展示会場の一階にはオープンしてまもなくの「FabCafe Fuji」があった。ハンドドリップコーヒーを飲んで一休みする。窓の外を見ると、スマホを構えた観光客がたくさんいる。富士山写真のスポットのようだ。本町通りには洒落たカフェが集まってきた。新しい街へと歩み出しているようだ。

 富士山駅の「ヤマナシハタオリトラベル mill shop」にも三度ほど立ち寄った。黒板当番さんの黒板画を拝見するためである。最も印象に残ったのは『Strowberry Shortcakes』の絵。〈フォークを握る君〉〈左利き?〉〈残しておいたイチゴ食べて〉〈クスリと笑う〉〈片目をつぶる君〉〈まつげのカールが奇麗ね〉と歌詞が展開していく女性を一つの像で見事に描ききっている。これは傑作ではないか。その女性を〈上目使い〉で見ている〈僕〉の少々デレンとした表情にも味わいがある。


 富士吉田の街を歩くとやはり、志村正彦の故郷を身近に感じることができる。

 昨年秋から『茜色の夕日』について書いてきた。この歌の回想場面には故郷での出来事が強く反映されているように思う。特に、〈十代〉の出来事が色濃く刻まれている。志村は、『茜色の夕日』に関連して、〈フジファブリック『FAB FOX』インタビュー〉(billboard-japan)で次のように語っている。  


ミュージシャンになりたくて決意の上京をした訳ですけど、言い方が堅いですけど孤独だったりしたんですよね、東京は。ホームシックになったりしましたし。でも今は東京の中での自分の場所、それはバンドの中での自分でもありますけど、ずっと住んでる今の家があって、色んな所に行ったりしても帰る場所がある、落ち着ける場所がある。それだけでも違いますよね。


 メジャー1stアルバム『フジファブリック』、2ndアルバム『FAB FOX』の二作によって、フジファブリックの作風は確立した。志村が正直に語っているように、〈孤独〉や〈ホームシック〉を乗り越えて、〈東京の中での自分の場所〉を得たことが彼の創作を支えたのだろう。彼にとって、故郷が〈十代〉までの経験の場であり、東京が〈二十代〉の場であった。

 3rdアルバム『TEENAGER』になると、〈十代〉をめぐる一種のコンセプト・アルバムを試みた。『若者のすべて』もこのアルバムの一作品であり、〈十代〉を回想するモチーフが込められている。それはどのような経過をたどったのだろうか。

   [この項続く] 


2022年12月31日土曜日

番組『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ』、この十年[志村正彦LN324]

 一昨日12月29日、TBSの番組『この歌詞が刺さった!グッとフレーズ〜私を支えた歌詞SP2022〜』を見た。名曲の「心に刺さった歌詞」に注目し、その魅力を再発見する歌詞に特化した四時間の音楽番組である。今回は「グッとフレーズ」「感謝ソング」「青春ソング」の三つのテーマの名曲が世代別に紹介され、40代の「青春ソング」に志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』が選ばれた。番組MCの加藤浩次、数名のゲスト、アーティストゲストのコブクロ小渕健太郎、wacci橋口洋平、岡崎体育の3人。今回はこの番組について丁寧に説明したい。なお、テロップと歌詞の引用は〈 〉、コメントそのものは「 」で示す。


 『若者のすべて』の場面は、40代〈夏の思い出が蘇るグッとフレーズ〉というナレーションで始まる。街頭インタビューで、〈花火を思い出す〉〈付き合うかな付き合わないかな付き合わなかったな〉〈ちょっとした青春の1ページ〉と話す二人の女性。〈高校生の頃〉〈夏祭りであの子来てないかな?〉〈来てないか一緒に探してよ〉〈見つけると恥ずかしくて近づけない〉〈初恋の人〉と語る父とその娘。

 MV映像の〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ〉のパートが流され、ナレーターの〈好きだった女性を探してしまう男性〉という説明が入る。

 MC加藤が〈すっげー良くない?この曲〉と話し、〈胸がギューとなる〉点を問いかけると、橋口洋平が〈フワーッとしてて〉〈青春を終えた後の寂しさ〉〈よく分からない胸がギューとなる気持ち〉を〈そのままあるよねって歌ってる〉のが〈素敵なところ〉だとコメント。加藤が〈曲自体がギューとなる〉とまとめていた。

 〈この曲は今〉という話題に移り、〈メッチャ好き❤〉〈ヘビーローテーション〉〈夕方の一人でいる時に聴く曲〉〈実家地元の友達思い出す〉という20代女性のコメント。学園祭やライブハウスで若者がこの曲をカバーする映像と共に「10代20代の若者たちにも刺さっていて」、高校の教科書に掲載されたことが紹介された。

 続いて、ナレーターの「実はこの曲を作詞作曲したボーカルの志村正彦さんはこの曲をリリースした2年後、29歳の若さで亡くなったのですが、生前この曲についてこう語っていました」という説明が入り、テロップで示された志村のMCをそのまま引用する。(テロップでは〈作詞・作曲Vo.志村正彦さん 「若者のすべて」リリースの2年後… 2009年12月24日29歳で急逝〉と表示された)


   センチメンタルになった日だったりとか
 人を結果的に裏切ることになってしまった日
 色んな日があると思うんですけども
 そんな日の度に 立ち止まって色々考えてた
 それはちょっと勿体ない気がしてきて
 歩きながら 感傷に 浸るっていうのが
 得じゃないかなって思って
 止まっているより歩きながら悩んで
 一生たぶん死ぬまで 楽しく
 過ごした方がいいんじゃないかなということに
 26、27歳になってようやく気づきまして
 そういう曲を作ったわけであります


 「そして志村さんはその思いをこの二行のフレーズに込めたといいます」とナレーターが話した。志村の歌声と次のテロップが表示される。


     《グッとフレ ーズ》

    すりむいたまま 僕はそっと歩き出して


 MV映像の〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉〈最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉のパート。

 MC加藤は「最後をどう思う?」と問い、〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉から〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉への転換について触れると、ゲストが〈隣にいる 近くにいるという解釈〉〈隣にいるんだな〉と答え、〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉については、岡崎体育が〈うまくいったと信じたい〉と話していた。

 『若者のすべて』は何度も同様の番組で取り上げらてきたが、今回の番組で、フジファブリック両国国技館ライブでの志村のMC映像が放送され、〈グッとフレーズ〉として〈すりむいたまま 僕はそっと歩き出して〉に焦点が当てられたことは特筆すべきであろう。あの映像が地上波で流されることは初めてではないだろうか。それを受けて、〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉が歌詞の中心にあると捉えたことも的確である。番組ディレクター、構成担当者の見識が光る。出演者の会話は軽めのノリだったが、内容は真面目なものだった。時間も6分を超えていた。この曲を取り上げたこれまでの地上波の番組の中では最も素晴らしかった。

 また、この番組を通して気がついたことがある。人々の歌詞に対する感覚や思考が深まっていることだ。岡崎体育も番組webで、〈VTRに出てくる街頭インタビューの人たちの考察力が上がってるんちゃうかな〉〈リスナーの人たちの歌詞を汲み取る力が上がってるんやな〉と思ったと述べている。歌の言葉が大切にされる時代になってきたと言えよう。歌は生きることを支える。

 

 『音楽と人』2007年12月号のインタビュー(文・樋口靖幸氏氏)、志村は『若者のすべて』についてこう述べている。


一番言いたいことは最後の〈すりむいたまま僕はそっと歩き出して〉っていうところ。今、俺は、いろんなことを知ってしまって気持ちをすりむいてしまっているけど、前へ向かって歩き出すしかないんですよ、ホントに。


 歌の主体〈僕〉は、夏の終わりの季節に街を歩き始め、夕方5時のチャイムを聞き、運命や世界の約束を考え、街灯の明かりがつくと帰りを急ぐ。そして、二番の歌詞にある〈途切れた夢の続きをとり戻したくなって〉、〈すりむいたまま〉〈そっと歩き出して〉いく。MCで言われた〈止まっているより歩きながら悩んで〉進んでいく。


 十年前の12月末、この偶景webを始めた。その一週間ほど前、富士吉田の市民会館前で『若者のすべて』のチャイムを聴いたことも契機となった。当時は、今回の番組に見られたような極めて高い評価はまだなかった。現在のように、これほど多くの人々に愛される曲とはなっていなかった。志村も発表後しばらくして、「Talking Rock!」2008年2月号のインタビュー(文・吉川尚宏氏)で、「精魂込めて作った曲なんだけど………なんていうか……こう……自分の中で、達成感もあるし、ターニングポイントであることには間違いないんです。すべてに気持ちを込めたし、だから、よし!と思ってリリースしたんだけど、結果として、意外と伝わってないというか……正直、その現状に、悔しいものがあるというか…」と述べていた。

 しかし、この作品は時間をかけて、言葉と楽曲、歌と演奏の力によって、自らの夢を歩んでいった。2022年の今、この歌は〈若者のすべて〉を表現した作品として人々に聴かれ続けていく夢を実現した。志村の〈すべてに気持ちを込めた〉〈よし!と思ってリリースした〉という想いは達成されたのである。
 振り返ると、この曲について82回ほど書いた。全体の四分の一ほどが『若者のすべて』論。このblogの十年の軌跡はこの歌を中心に歩んできたことになる。



  現実としては、志村正彦の歩みは〈途切れた夢〉となってしまった、と言わざるを得ないだろう。この言葉は哀しく、ある意味で残酷にも響くが、その現実が現実のままにある。

 しかし、聴き手は彼の歌を聴くことによって、〈途切れた夢の続き〉を歩むことができる。そして、一人ひとりが、自分自身の夢や夢の続きを歩み続ける。時に悩んで時に楽しんで、歩きながら進んでいく。志村正彦が歌いたかったのはこのことだ。
 今回から十一年目に入る。このblogを書くことによって、私も私の歩みを続けていきたい。


2022年12月18日日曜日

第三次の語りと声 『茜色の夕日』と『若者のすべて』-『茜色の夕日』9[志村正彦LN323]

 『茜色の夕日』と『若者のすべて』の語りの構造にはある共通点がある。その構造を視覚的に表した図をまず示したい。




 二つの歌ともに、語りの枠組は、一人称の話者であり歌の主体である〈僕〉の観点によって構築されている。〈僕〉は都市の街路を歩いていく。これを第一次の語りとしよう。図の青い部分である。

 『茜色の夕日』では、〈僕〉は街を歩きながら、〈茜色の夕日〉を眺め、おそらく故郷での〈誰もいない道 歩いたこと〉を思い出し、東京で〈空の星〉が〈見えないこともない〉ことに気づく。『若者のすべて』では、〈僕〉は〈真夏のピークが去った〉季節に、それでもいまだに〈落ち着かないような〉街を歩いている。『茜色の夕日』と『若者のすべて』はどちらも、都市に生きる孤独な若者、単独者である〈僕〉が歩行して、風景を見つめる。 

 話者であり歌の主体である〈僕〉が街の風景を眺めながら歩いていくときに、何かを思い出す。あるいは、何かを想い描く。回想であり想像でもある。これを第二次の語りとしよう。図の赤い部分である。

 『茜色の夕日』では、二人称の〈君〉に焦点をあてて、〈横で笑っていたことや/どうしようもない悲しいこと〉を想起する。『若者のすべて』では、一人称複数の〈僕ら〉という視点を加えて、〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな〉と回想する。

 第一次の語りと第二次の語りによって、『茜色の夕日』には一人称と二人称の対話性、『若者のすべて』には一人称単数と一人称複数による対話性が潜在的にもたらされる。二重の語りが複合して、複雑な織物・ファブリックを作り上げる。志村正彦はその織物・ファブリックにもう一つの語りを加える。これが第三次の語りである。図の黄色い部分である。話者であり歌の主体である〈声〉であるが、それと共に、いやそれ以上に、作者志村正彦自身の〈声〉であろう。


  僕じゃきっとできないな できないな
  本音を言うこともできないな できないな
  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった 
                      『茜色の夕日』


  ないかな ないよな きっとね いないよな
  会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

  ないかな ないよな なんてね 思ってた
  まいったな まいったな 話すことに迷うな   
                       『若者のすべて』 
             


 『茜色の夕日』は〈本音を言うこともできないな〉、『若者のすべて』は、〈会ったら言えるかな〉〈話すことに迷うな〉と呟く。失われてしまった、あるいは、失われてしまいそうな誰かに〈言うこと〉〈話すこと〉が不可能になったり困難になったりする。歌の主体は〈僕〉は言葉で伝えることの壁に遭遇する。

 また、『茜色の夕日』の〈できないな〉の四回もの反復、「な」音の繰り返しと、『若者のすべて』の〈ないかな〉〈ないよな〉の反復、〈いないよな〉〈なんてね〉を含む〈な〉音の繰り返しというように、この二つの作品には〈な〉の音が通奏低音のように響く。そして、〈ない〉という否定と不在の表現が二つの歌の世界を貫く。

 比喩的に言うと、志村正彦は、縦糸と横糸から成る織物・ファブリックの二次元的世界に、垂直の次元を加えて、三次元的世界の厚みを創り出した。


2022年12月4日日曜日

時を経た成熟-『茜色の夕日』8[志村正彦LN322]

 今回は、ユニットⅣの歌詞について考えてみたい。


5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この箇所について、『茜色の夕日』スタジオ収録の四つの音源を聞き比べてみた。以前にも書いたことがあるが、それぞれの演奏者と演奏時間を整理してみる。


1.2001年夏(推定)カセットテープ版  4分40秒 ( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

2.2002年10月21日CDミニアルバム『アラカルト』版  4分52秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、田所幸子:キーボード、萩原彰人:ギター、加藤雄一:ベース、渡辺隆之:ドラムス)

3.2004年2月CDミニアルバム『アラモルト』版 5分12秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )

4.2005年9月6thシングル版・2005年11月2ndCD・アルバム『FAB FOX』版 5分36秒( 志村正彦:ボーカル・ギター、金澤ダイスケ:キーボード、山内総一郎:ギター、加藤慎一:ベース、足立房文:ドラムス )


 再生ソフトの示す時間から、カセットテープ版 4:40→『アラカルト』版 4:52→『アラモルト』版 5:12→シングル・『FAB FOX』版 5:36 というように、最終的に1分ほど長くなっていることが分かる。四年ほどの時間が流れているので、志村正彦の声は、若々しい声からより成熟した若者の声へと変化している。歌い方も変わり、過去を回想する色合いが強くなる。それに伴って、切なさや哀しさが増してくる。取り戻せない時の流れが伝わってくる。

 今回、今まで気づかなかったあることに気づいた。4番目の最終的なスタジオ音源の〈無責任でいいな ラララ〉の〈な〉の音が歌われていない(ように聞こえる)ということだ。それまでの音源では、〈いいな〉の〈な〉は発音されたきた。続く〈ラララ〉の〈ラ〉音と重なるところもあるので微妙ではあるが、そう判断できる。引用して明示すると次のようになる。


無責任でいいな ラララ 

無責任でいい  ラララ 


 最終的音源、完成版ともいえる音源で、〈な〉が歌われていないことは、志村の判断があってのことだろうが、多分に無意識的な選択かもしれない。この〈な〉の有無によって、歌の解釈も異なってくる可能性がある。

  三省堂『大辞林』によると、助詞の「な」には、①感動や詠嘆の意②軽い主張や断定、念を押す意③同意を求める意、相手の返答を誘う意④軽い願望の意⑤依頼・勧告の意の五つがある。

 〈僕じゃきっと出来ないな〉には、何が〈出来ない〉のかという対象が示されていない。続く、〈本音を言うことも出来ないな〉には、誰が〈出来ない〉のかという主語が省略されている。この二つは連続しているので、〈僕じゃきっと本音を言うことも出来ないな〉という一つの発話として受けとめることができるが、この〈本音〉が何であるのかは分からないままである。この発話は自分が自分に対して話しかけているものだろう。

 〈無責任でいいな〉という発話は、それが話しかける相手が他者か自分自身かによって、二通りの解釈が生まれる。〈な〉があると、相手が他者である可能性が高くなる。この〈な〉は相手の返答を誘う意味となるだろう。歌詞の言葉であるから実際に返答を求めているではないが、その他者が〈無責任でいい〉ことについて、その他者からの応答を求めている。この〈無責任〉は、この歌の重要モチーフとなっている恋愛に関する責任と無責任のことであろう。

 〈な〉がないとおそらく、相手は自分自身になるだろう。自分が〈無責任でいい〉ことについてあらためて問いかけるか、あるいは〈無責任でいい〉ことを自分自身が同意するか、その二つのどちらかになるだろう。その他の解釈も考えられるかもしれないが。

 ユニットⅣの最後は、〈ラララ〉を挿んで、〈そんなことを思ってしまった〉で終わる。〈無責任でいいな/無責任でいい〉の〈な〉の有無によって、歌の主体と他者との関係性が変わるが、どちらにしても、その過程は〈そんなこと〉と捉え直され、〈思ってしまった〉で完結する。


 2001年から2005年まで、四年間の推移の中で、『茜色の夕日』全体がより自省的な歌、自分自身が自分を問い返す意味合いの歌に変化していった。〈な〉の発話の有無はそのことに関連している。

〈billboard-japan〉掲載の〈フジファブリック 『FAB FOX』インタビュー〉で、志村正彦はこの『茜色の夕日』についてこう語っている。  


志村正彦:作ったばっかりの頃は思っている事を曲に書いてただけなんですけど、シングルで出したいなって思って前のバージョンの『茜色の夕日』を聴き直してみたら、いやに沁みてきたといいますか。18歳の頃のあの感じは出せないですけど、同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて、東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ、というのを曲にしてみました。この曲は代表曲と言われるくらいずっとやってきている曲なんで、これで一区切りするといいますか、落ち着けたいという気持ちもありましたね。まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこうかって、そういう雰囲気は見せれたんではないですかね。


 彼はここで〈同じ歌詞でも自分の中で全然意味合いや捉え方が変わってきて〉と述べているが、この発言は2007年12月の両国国技館ライブでのMC〈歌詞ってもんは不思議なもんで。作った当初とは、作っている詩を書いている時と、曲を作って発売して、今またこう曲を聴くんですけども、自分の曲を。解釈が違うんですよ。同じ歌詞なのに。解釈は違うんだけど、共感できたりするという〉とも響き合う。

 志村は、歌の意味合いや捉え方の変化をふまえて、〈東京にきて6~7年経つ今でしか歌えない感じ〉を2005年収録の最終的音源に込めた。〈一区切りする〉〈落ち着けたい〉という気持ちによって、〈まだ大人になりきれていない所はもちろんあるんですけど、18歳の頃から変わっていこう〉という意志を表現した。

 このような時をかけて、志村正彦は『茜色の夕日』を成熟させていった。