2022年10月30日日曜日

小さな旅-2022ハタフェス[志村正彦LN319]

 10月22日、昨年に引き続き、大学の「山梨学Ⅱ」という授業で、学生19名とバスに乗って、富士吉田の「2022ハタオリマチフェスティバル」に行ってきた。地域活性化の先進的な試みを実際に見て学ぶための現地見学である。コロナ禍での小さな旅といってもよい。ハタフェスは、山梨県富士吉田市の街の中で開催する秋祭り。二日間、小室浅間神社と本町通り沿いの各会場で、山梨のハタオリの生地や製品を販売したり関連のイベントをしたりする街フェスだ。

 富士吉田市役所の駐車場にバスを止めて、全員で歩いて、メイン会場の小室浅間神社に到着。皆で記念写真を撮った後、三つのグループ別の見学、その後、各自の自由見学という流れだ。

 この自由見学の時間に志村正彦の生家近くの公園へと向かった。この日は晴天で富士山がよく見えた。雪がまだなく、赤茶けた山の地肌が露わになった夏の富士だった。その姿を見ながら、前日アップしたばかりの偶景webの記事をスマホで探して、インディーズ版『茜色の夕日』MVを再生した。志村の歌声が静かに流れる。いくぶんか感傷的な気分に浸った。



 それから、「FUJIHIMURO」で開催中の「旅するテキスタイル」展を見に行った。フィンランドで最も歴史のあるテキスタイルブランド「フィンレイソン」のテキスタイルプリントを行ってきた街フォルッサの工場跡地をリニューアルした博物館の出張展だ。実物の展示と解説のグラフィックパネルが充実していた。富士北麓にはどことなく北欧の香りがあるので、マッチングがよい。


 昼食時間となるが、店は混んでいる。しばらく歩くと、洋菓子店のTORAYAがあった。大粒のイチゴを使ったロイヤルショートが評判の店だ。店内を見るとイートインコーナーがあるではないか!僕のようなおじさんが一人でケーキを食べるのはかなり気が引けたのだが、覚悟を決めた。イチゴが新鮮でクリームの甘みも抑えられていて、とても美味しい。ヴォリュームがあるので、満腹感がある。これで昼食は無事完了。



 本町通を上っていく。黒板当番さんの『みんなの黒板きょうしつ』のブースがあった。インクジェットプリンターで印刷した60枚のミニ黒板の中には志村正彦をテーマとする十数枚の絵があった。この日は「おとなも子どももチョークで絵を描いてみよう!」というワークショップがあった。ちょうど子供が恐竜の絵を描いていた。夕方までにボードは絵でいっぱいになったことだろう。


 フジファブリック・ファンゆかりの場所、喫茶店M-2の前を通り過ぎようとした時に、壁に小さなポスター二点が貼られていることに気づいた。



 事前に案内されていたイラストレーターmameさんによる「私のハタオリマチ日記」だった。よく見ると右側の絵はまさしくこのM-2を背景にしていた。M-2の壁にもうひとつのM-2がある、という不思議な光景。特設サイトによると、この絵は三種類あり、それぞれに三つの物語がある。その一つは志村正彦・フジファブリックに関わるもののようだ。

 途中で学生たちと何度か出会ったが、店の人たちにインタビューして取材をしていた。授業では学生のスライド発表会が予定されている。最終的な課題では、自分の街のフェスティバルを企画して提案する。ハタフェスを先進的な事例として調査した上で、自分自身が主体的に考えることを求めている。

 今年は各エリアのブースが整理されていて、統一感があった。昨年に比べて、コロナ禍による制限も緩和されて、のびのびとした雰囲気もあった。天候に恵まれて、そしてなによりも富士山にも愛でられて、素晴らしいハタフェスになった。


2022年10月21日金曜日

インディーズデビュー20周年とインディーズ版MV-『茜色の夕日』5 [志村正彦LN318]

 二十年前の2002年10月21日、インディーズのSong-Cruxから1stアルバム、フジファブリック『アラカルト』が発売された。

 今日はインディーズデビュー20周年の日。そして、『茜色の夕日』がCD音源としてリリースされた記念の日でもある。

 この歌は18歳の頃作られたと言われている。2001年夏、『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープが自主制作されている(参照:『茜色の夕日・線香花火』カセットテープ [志村正彦LN173])が、CDのミニアルバム『アラカルト』の収録曲『茜色の夕日』がロック音楽のファンに聴かれるようになった作品であると考えてよいだろう。当時、この曲のミュージックビデオも制作された。

 22歳の志村正彦は、表情も、声も、実に若々しい。この映像では、十代の面影を宿しているようでもある。ドラムの渡辺隆之、キーボードの田所幸子がわずかだが映っている。この時は脱退していた萩原彰人のギター、加藤雄一のベース音も入っている。

 ネットにあるインディーズ版『茜色の夕日』MVを紹介したい。

    


 この映像が伝えようとしているものをシーンごとに追っていきたい。


・ファーストシーン。スタジオ照明による〈茜色の夕日〉
・演奏シーン(正面にギターを抱えた志村、その画面右側にキーボードの田所幸子、オルガン音のイントロ。
 画面が左側に移動して、ドラムの渡辺隆之。中央に移動しながら志村の声が聞こえてくる。歌が始まる)
・東京と思われる住宅街の路を歩く目線からの移動撮影の映像が挿入される。緑の多い街。庭木や生け垣。
・葉書のようなものを手にして物思いにふけるような志村。演奏シーン。
・誰かが横切って絵葉書かカードのようなものを置く。絵葉書のクローズアップ。女性(と思われる人)が丘のような所から東京と思われる街並を見下ろす。部屋の中のシーン。演奏シーン。
・再び、住宅街の路を歩く目線からの移動撮影。女性とその下に石畳。演奏シーン。空と雲。演奏シーン。
・サンダルを履いた女性が座り、何か白いものが散っている。演奏シーン
・煙草を吸いながら外を眺める志村。演奏シーン。
・丘の公園のような所からその向こう側に街並が広がる。白いノースリーブのワンピースを着てベンチに腰かけた女性の背中が映る。演奏シーン。
・部屋の中のシーン。真ん中に低いテーブル。その上には絵葉書のようなもの、グラス、灰皿。カーテンが閉められている。演奏シーン。
・空と雲のシーン。
・三度、街中を歩く目線からの移動撮影。
・ラストシーン。実景による〈茜色の夕日〉。茜色に染まる東京の街並とその向こう側の山並、山々の稜線。


 このミュージックビデオで描かれる物語は、おそらく、志村正彦が構想したものだろう。東京と思われる住宅街の路を歩くことが語りの枠組となっている。志村正彦が演じるTシャツ姿の男性と白いノースリーブのワンピースを着た女性。男女の恋愛が背景にあるのだろうが、この二人は別々に登場し、一人ひとりである。絵葉書のようなものには〈手紙〉による言葉の伝達のモチーフがあるのだろう。

 丘の公園のような所からその向こう側に街並が広がる。最後は茜色に染まる東京の街並とその向こう側には山並とその稜線が見える。〈茜色の夕日〉の時間だから東京の西側にある山梨方面の山々のように思われる。つまり、東京の街並の光景とその向こう側にある故郷の風景を思い浮かべているのではないだろうか。

 このインディーズ版『茜色の夕日』MVは日中の撮影のためか、東京の〈星〉はないが、東京の〈空と雲〉は出てくる。志村が構想したと思われるこの映像は、第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがあるのでユニットⅠとしてまとめることができるという仮説をある程度裏付けるものでもある。  

      

1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。そして、茜色の夕日となり、夕暮れから夜の闇へと至り、〈東京の空の星〉は〈見えないこともないんだな〉ということに気づく。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉という対比的なモチーフが現れる。

 さらに、インディーズ版ミュージックビデオのラストシーンに、志村の故郷である山梨方面の山並が出現することは、〈茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました〉とされるものは、故郷での出来事であることをそれとなく示しているのかもしれない。 


 『茜色の夕日』が『アラカルト』収録曲としてリリースされてから二十年。インディーズ版MVの志村正彦は、いつまでも若く、在りつづけている。


2022年10月17日月曜日

ヴァンフォーレ甲府 天皇杯優勝

 優勝が決まった瞬間の想いは、夢でないのか。でも、夢ではなかった。それでも、夢のなかにいるような心持ちがした。一日経った今でもそれが続いている。

 2022年10月16日。日産スタジアムには2万人ほどの甲府サポーターが駆けつけていた。入場時のコレオが素晴らしかった。青と赤の色彩が強烈でしかも美しく、夢のなかの光景のようだった。



 試合開始から、ゴール裏からは凄い音圧の声が出ていた。僕と妻はバックスタンドの1階にいた。声出しは出来ないエリアだったので、コールや歌のリズムに拍手を合わせていた。拍手の音が重々しく響いた。巨大な日産スタジアムはラウンド型の形状なので音が反響する。轟音・爆音のロックを身体で受けとめながら応援するのは、独特の高揚感があった。3時間に及ぶ試合だったが、夢の祝祭の空間にいるようだった。


 想いが駆け巡った。過去から現在に至る出来事。

 J2参入以来、24年ほどサポーターを続けてきた。2000年の19連敗。あの時は苦しかった。そして経営危機を迎えて、甲府存続のための活動を行った。仲間が主宰していたブログに毎日のように書き込みをしていた。とにかく何かを書くことが、甲府のために少しでも役立つかもしれないと考えた。しかし、3年連続最下位とチームは低迷した。

 2002年の大木武(現、熊本監督)就任後、チームは変わった。そして2005年12月10日のJ1昇格。柏サッカー場のゴール裏で応援していた。柏レイソルを6対2で破った。現在まで降格と昇格が合わせて3回。今年はリーグ戦で勝てないことが続き、18位。そのような成績にもかかわらず、天皇杯で勝利したのは、甲府らしいといえば甲府らしい。

 一晩明けて先程、録画をすべて見終わった。スタジアムの追体験というよりも、もう一つの経験をした気分だった。ネットの記事で報道されているように、劇的なあまりに劇的な展開。延長戦後半、山本英臣がPKを与えてしまう。河田晃兵がそのPKを止める。PK戦でも河田がPKをセーブして、最後に山本が決めて勝利。夢の経験が現実の映像によって記憶に変わっていくのだが、やはり、夢のような映像、映画のような決勝戦だ。


 来年はACL(アジア・チャンピオンズリーグ)に出場する。

 ヴァンフォーレ甲府はありえないような物語、夢の物語を創り出す。


2022年10月6日木曜日

10月16日サッカー天皇杯決勝 ヴァンフォーレ甲府VSサンフレッチェ広島

 ヴァンフォーレ甲府のことをこのblogでは久しく書いていない。調べたら2018年8月が最後だった。もう4年前になる。この間の成績は、2018年J2・9位、2019年J2・5位、2020年J2・4位、2021年J2・3位。ここ3年で順位をを上げてきたのだが、今年は現在18位とかなり低迷している。攻撃では圧倒し、枠内シュートも多いがなかなか得点できないうちに、相手のワンチャンスで失点というパターンが続いている。ところが、昨日、鹿島スタジアムで開催された天皇杯準決勝で鹿島に1―0で勝利して、10月16日の決勝に進出することになった。甲府のサポーターを24年間続けてきた僕としては、2005年のJ1初昇格に次ぐ喜びだった。

 昨日は仕事があったのでテレビでの応援。予想通り、鹿島にボールを支配されるが、ときどきカウンター攻撃が機能し、ほぼ互角の戦い。後半37分、ニキ(浦上仁騎)がDFの背後にキック、ジュンマ(宮崎純真)が走り、絶妙なトラップからGKをかわして落ち着いてシュート。ゴール! この先制点を奪い、守り切った。全体を振り返れば、攻守の切り替えが早く、小さいエリアでのパス交換を通じて、効果的な攻撃を繰りだしていた。ニュースでは「ジャイキリ」「下克上」、鹿島の監督からは「大失態」とか言われているが、そうではない。もちろん、鹿島は強豪であり、チームの総合力で甲府を上回っているのは確かだが、それで勝負が決まらないのがサッカーの面白さ、醍醐味。甲府の守備が持ちこたえれば勝つ可能性はあると僕は思っていた。札幌、鳥栖、福岡のJ1勢を複数得点で破ってきた攻撃力には優れたものがあるからだ。

ヴァンフォーレ甲府@vfk_official には、

 ⭐️クラブ初の天皇杯決勝進出⭐️
 地方クラブの挑戦は続きます。
 喜びを噛み締め、次に向かいましょう💙❤️
 現地や山梨、それぞれの場所から応援ありがとうございました。

とある。平日夕方にもかかわらず、2000人の甲府サポーターが鹿島に駆けつけたそうだ。

Yahooには、〈「興奮したよ!!」J2甲府の「男泣きの決勝進出動画」に感動の声続々! 対戦相手や他クラブのサポも巻き込み14万回再生!〉という記事(サッカー批評編集部)もあり、勝利の瞬間の映像が話題になっている。


 天皇杯決勝の相手はサンフレッチェ広島。会場は横浜スタジアム。本来なら元旦の恒例行事だが、今年はワールドカップがあるためにこの日程となった。会場も新国立競技場でないことが残念だが、これは仕方がない。

 何度か引用したが、志村正彦は2009年12月5日付の日記で、VF甲府のJ1初昇格についてこう書いている。

  京都前のり。民生さんと合流し、飲みに行く。
  民生さんサッカーの話、超詳しい。俺、全然分からん。
  今、甲府はどうなってるんだ?
  甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯したな、そういやあ。

 京都でのライブの前夜、奥田民生と合流し、サッカーの話題となったようだ。〈甲府がJ1に上がった日は嬉しくて乾杯した〉というのは山梨愛が深かった彼らしい言葉だ。


  サンフレッチェ広島には、昨年甲府に期限付きで在籍して大活躍した野津田岳人、甲府でプロキャリアをスタートさせた柏好文(山梨県出身)、佐々木翔(日本代表)、今津佑太(山梨県出身)がいる。甲府の監督を三年間務めた城福浩は昨年まで広島の監督だった。そういうわけで、J1の中では最も親しみを感じているチームだ。その広島と対戦するのも、なんというのか、少し複雑でもあるが、とても楽しみでもある。

 さらに言うと、広島で思い浮かぶのは奥田民生のこと、甲府・山梨ではもちろん志村正彦である。つまり、ヴァンフォーレ甲府VSサンフレッチェ広島は、志村正彦VS奥田民生でもある、と勝手に考えている。

 今日、チケットを購入した。10月16日午後2時キックオフ。横浜スタジアムに行って、天皇杯決勝を楽しみたい。


2022年9月29日木曜日

三拍の言葉-『赤黄色の金木犀』[志村正彦LN317]

 一昨日の夜、仕事の帰りに建物から外に出た瞬間、金木犀の香りが漂っていた。毎年、甲府盆地では9月の26日か27日頃に香り始める。今年は例年通りだ。九月の中旬までは夏の暑さが続く。下旬になると秋が訪れ始める。金木犀は、夏の終わりと秋の始まりの狭間に香り出す。

 今日9月29日は、志村正彦・フジファブリック『赤黄色の金木犀』のシングルCDリリース日。2004年のことだからもう18年が経つ。

  久しぶりにこの曲をかける。言葉がリズムに乗って次第に加速していく。前へ前へというよりも、後ろから追いかけられるようにして、歩みを速める。その速度の感覚を志村正彦は巧みに言葉で表している。


 冷夏が続いたせいか今年は
 なんだか時が進むのが早い
 僕は残りの月にする事を
 決めて歩くスピードを上げた


 冷夏の後、秋を迎える。〈なんだか時が進むのが早い〉ので〈残りの月にする事を決め〉る。この〈月〉は九月だろう。歌の主体〈僕〉は〈歩くスピードを上げた〉。

 志村はこの歌について〈秋は夏が終わった憂いがあって、四季の中でも一番グッとくる季節だし、前々からいい形で秋の曲を作りたいと思っていたんです。秋の風景にはいろいろありますけど、今回はある帰り道に思ったことを瞬間的に切り取って曲にしました〉と述べたことがある。

  〈夏が終わった憂い〉とあるので、『赤黄色の金木犀』は『線香花火』『陽炎』などの夏歌との関連があることに気づく。〈憂い〉が色濃くなる季節、歩行の速度を上げる。〈僕〉はなんらかの〈憂い〉に追い立てられるように歩いているのかもしれない。憂いと焦燥感。そのリズムの加速がこの歌の感覚の鍵となっている。


 いつの間にか地面に映った
 影が伸びて解らなくなった
 赤黄色の金木犀の香りがして
 たまらなくなって
 何故か無駄に胸が
 騒いでしまう帰り道


 このブロックの言葉自体のリズムが三拍であり、ブレスを含めると四拍になることに、今まで気を止めていなかった。久しぶりに聴いて、言葉の三拍のリズムが妙に身体を貫いてきた。歌詞を平仮名にして記してみる。


 いつの・まにか・じめん・に・うつった
 かげが・のびて・わから・なく・なった
 あかき・いろの・きんも・くせい・の・かおり・がして
 たまら・なく・なって
 なぜか・むだに・むねが
 さわい・で・しまう・かえり・みち


 三拍の言葉によるビート感が基調にある。〈強・弱・弱〉の反復がリズムの区切りとなって、言葉が表出される。特に〈何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道〉〈なぜか・むだに・むねが・さわい・で・しまう・かえり・みち〉のところで、三拍の頭の〈な・む・む・さ・し・か・み〉の強い響きが、何かに急き立てられるような感覚を打ち出す。志村は言葉を切り取る「拍」の感覚にも優れていた。


 金木犀の香りが訪れる感覚にも似ている。突然、鼻腔に強い香り、刺激的な香りがどこからともなくやってくる。その後、やや弱い香り、甘い香りがなだらかに続いていく。金木犀の香りにも〈強・弱・弱〉のリズムがあるのかもしれない。

 あの美しいイントロ・アウトロのギターのアルペジオにも〈強・弱・弱〉のビートがあるようにも聞こえてくる。これはすべて聴き手としての僕の感覚にすぎないのではあるが、今日は三拍の言葉が強く響いてきた。


2022年9月25日日曜日

語りの構造-『茜色の夕日』4[志村正彦LN316]

 『茜色の夕日』には独特の揺らぎがある。独自のリズムがある。歌詞にも独特の揺れのようなものがあり、その言葉の世界はたどりにくい。たどりにくいと言っても難解なわけではない。曲を聴き終わったときに、やるせないような余韻が残る。かと言っても、歌詞の言葉に戻ると、そこには依然として、謎としての余白が残る。

  志村正彦の歌には、現在時から、現在と近い過去の出来事を語っていくものが少なくない。しかし、それだけでなく、過去や遠い過去の出来事に対する回想が加わる。そこからさらに、もう一度、現在時に戻り、心の中の呟きを会話体で表現するフレーズが入り込む。『茜色の夕日』はそのような枠組の原点と言える。

 今回の考察は私の仮説の提示である。作者志村のモチーフを想像しながら、一つの仮説としての構造を示したい。その図示を試みる。  


 まずはじめに、第1~4ブロック全体を再度引用する。

1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 この第1~4ブロックを次のように再構成する。

ユニットⅠ 第1ブロック+第4ブロック

ユニットⅡ 第2ブロック

ユニットⅢ 第3ブロック

ユニットⅣ 第5ブロック


 第1ブロックは、回想の叙述から始まるが、現在の出来事の語りでもある。LN313で述べたように、ここに第4ブロックを接続することで、ユニットⅠというまとまりを形成できる。

 ユニットⅡとユニットⅢは純然たる回想の語りであり、部分的に現在の想いが入り込む。Ⅰが全体の枠組を作り、その中にⅡとⅢが入り込む。ユニットⅣは、ⅠⅡⅢの枠組の外側にあり、現在時の歌の主体の〈僕〉の心の中の呟きが会話体で表現されている。この語りの構造を図示してみよう。




 この構造図は、志村正彦による出来事の語り、回想の叙述、心の中の呟きの関係を視覚化したものである。
 次回から、ユニットごとにその構造とモチーフを詳細に分析していきたい。

2022年9月11日日曜日

めぐる夏-HINTO『シーズナル』

 CDTV「思い出の夏ソングBEST60」1位となった『若者のすべて』の他にも、『陽炎』『NAGISAにて』など素晴らしい「思い出の夏ソング」を志村正彦・フジファブリックは創った。一つだけ選ぶとしたらずいぶん迷うことだろう。

 僕が志村の作品以外から「思い出の夏ソング」を選ぶなら、HINTOの『シーズナル』(2014年発表)だ。以前も紹介したが、あらためてこの歌を取り上げたい。ミュージックビデオと歌詞全文を添付する。





HINTO 『シーズナル』
作詞:安部コウセイ・作曲:HINTO

いつだって調子が悪そげな現状に
テンパってばかりでもう
本日の曜日もわかんなくなってるけど
猛暑って騒ぎ出したね

チャラい事に無縁の僕の夏がやってくる
今年こそは!今年こそは!だぜ

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節が始まるみたいさ
誰かと出会って 誰かとは別れて
めぐってめぐって少しずつ変わって

なんとなく自然と疎遠になった君を
想い出して忘れた夜
完璧に眠気が消滅しちゃったけれど
豪雨ってこんな時いい

それっぽいことしないで僕の夏が去ってゆく
来年こそ!来年こそ!だぜ

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節とサヨナラみたいさ
誰かと笑って 誰かと涙して
愛して憎んで少しだけわかって

ねぇ皆ねぇ皆ねぇ皆 そろそろ
新しい季節が始まるみたいさ
誰かと出会って 誰かとは別れて
めぐってめぐってくシーズン
めぐってめぐってくシーズン
めぐってめぐって
少しだけ変わった


 安部コウセイ@kouseiabeの8月28日のtweetには〈HINTOのシーズナルって曲があるんですけど、何度歌っても毎回しずかに感動するんです。なのでもう勝手に名曲認定しますね〉とある。作者自身の名曲認定だが、この歌がもっと聴かれるべき夏の名曲であることは確かだろう。9月3日には〈アナログヒントありがとうございました。あー最高の夜だった。最高の夜だったよ〉とあり、9月2日開催のAnalogfish×HINTOの 2 man Live 『アナログヒント~おひさしぶりのブラザー~』での『シーズナル』のライブ映像が添えられている。

 歌詞について触れたい。〈チャラい事に無縁の僕の夏がやってくる〉〈それっぽいことしないで僕の夏が去ってゆく〉と〈僕の夏〉がゆるやかに語られている。〈チャラい事に無縁の〉〈それっぽいことしない〉〈僕〉。〈やってくる〉夏と〈去ってゆく〉夏。遠い遠い夏の季節にそんなことがあったような、なかったような、そんな思い出が聴き手の僕自身の中でもめぐりだす。失われてゆくものを取りかえしたい想い。その苦しさ、空しさ、懐かしさ、切なさ。この歌を聴くと様々な感情が浮かび上がる。

 『シーズナル』のサビは三回繰り返されるが、歌詞に変化がある。

 めぐってめぐって少しずつ変わって
 
 愛して憎んで少しだけわかって

 めぐってめぐって少しだけ変わった

 このblogですでに書いたことを繰り返すが、〈少しずつ変わって→少しだけわかって→少しだけ変わった〉という変化について触れたい。〈変わって→わかって〉の〈かわ〉〈わか〉の音の戯れ。〈少しずつ→少しだけ→少しだけ〉という副詞の展開。〈て→て→た〉と余韻を残す接続助詞〈て〉を使いながら最後は助動詞〈た〉で完結させる。安部コウセイは、言葉の微細な変化によって、〈僕〉の変化を歌う。

 以前、この三つの箇所が、『若者のすべて』の最後〈僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ〉に対する応答のように感じると書いたが、今聴くと、ますますそんな気がするのはなぜだろうか。

 『シーズナル』も『若者のすべて』も、聴き手にそして歌い手にも、夏を想起させる強い作用を持つ。夏の思い出が〈めぐってめぐって〉ゆく。
 

2022年9月4日日曜日

『若者のすべて』-CDTV「思い出の夏ソングBEST60」第1位[志村正彦LN315]

 前回、この夏は『若者のすべて』についてのニュースは特段なかったようだ、と書いたが、その翌日の8月29日、TBSで『CDTVライブ!ライブ!』夏の4時間スペシャルが放送され、フジファブリックの『若者のすべて』が「思い出の夏ソングBEST60」1位となった。

 僕はこの番組を見逃してしまったのでネットの情報によった。これはこの夏の特筆すべき出来事だ。テレビ番組のあらゆるランキングの中で、志村正彦の歌がナンバーワンになったことは初めてだろう。

 3万人の一般リスナーの投票で決まったようだ。最近のこの曲の人気からすると、30位以内には入る、もしかすると10以内もありえる、そんな予想はできただろうが、結果は1位。真夏の夜の夢のような気もしたが、これは事実である。

  5月のテレビ朝日「関ジャムJ-POP史 最強平成ソングベスト30!!」では「若者のすべて」が4位になったが、これは若手人気アーティスト48名による一斉アンケ―トの結果だ。アーティストの投票による4位も嬉しいが、一般リスナー3万人の投票による1位の方が断然すごい。驚きと嬉しさでいっぱいになる。

 ネットで放送の一部を見ることができた。両国ライブ(DVD『Live at 両国国技館』)で志村正彦が歌う映像が使われていた。テレビで紹介される場合、ミュージック・ビデオが使われることが多いが、この番組はライブ演奏や中継があるなど「ライブ」が中心なので、両国ライブの方が選ばれたのだと思われる。現在のフジファブリックもこの歌をよく演奏しているが、やはり、志村正彦が歌う『若者のすべて』でなければ『若者のすべて』ではないのだろう。歌詞、楽曲、歌い方、声、眼差しのすべてが志村独自の表現となっている。そして、『若者のすべて』が、志村正彦という一人の若者が作詞作曲した作品であることが広く認知されてきたのだろう。


 ネットで見たランキングによると、僕らの世代の夏歌として有名な下記の歌は次の通りの順位だった。

44位 井上陽水『少年時代』
36位 松任谷由実『真夏の夜の夢』
22位 TUBE『あー夏休み』
18位 サザンオールスターズ『真夏の果実』

 サザンオールスターズやTUBE、そして松任谷由実や井上陽水。10位代から40位代に入っているが、これらが夏歌の上位を占める時代は終わってしまったのだろうか。10位から2位までは、BTS、キマグレン、平井大、3代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、KARA、湘南乃風、緑黄色社会、桐谷健太の順だが、10代から20代の若者によって支持される曲だろう。

 このような曲が並ぶ中で『若者のすべて』が1位となったのは、現在の若者世代からの支持も多いことを示す。『若者のすべて』は、かつて若者であった者にも、今若者である者にも、そしておそらく、これから若者となる者にも、つまり、若者のすべての世代によって愛される作品になりつつある。すべての若者の『若者のすべて』。

 それにしても1位となった要因はどこにあるのか。やはり、「思い出の夏ソング」というテーマ設定、特に「思い出」というモチーフが大きい。


  何年経っても思い出してしまうな

  ないかな ないよな きっとね いないよな


 〈何年経っても思い出してしまう〉歌の主体が〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉と歌うのは、思い出す行為そのものである。思い出したものではなく、思い出すこと、そのこと自体を歌う。思い出す行為がそのまま聴き手に作用していく。聴き手自身が思い出す行為に誘われる。これが「思い出の夏ソング」第1位となった要因ではないだろうか。


2022年8月28日日曜日

2022年夏、黒板当番『若者のすべて』 [志村正彦LN314]

 夏が終わろうとしている。毎年この時期に志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』について書いてきたので、今年も続けたい。『茜色の夕日』論は一休止とする。

 今夏も、地元局テレビ山梨の花火の映像のBGMでこの曲を聴いた。特に八月の最後になると、テレビやラジオで『若者のすべて』が再生されることが多い。ネットでもその報告が増えている。

 今年に関して言えば、『若者のすべて』についての報道は特段なかったようだ。この春から高校音楽の教科書に採用されて以降、この曲に関するニュースは特に見当たらない(見落としている可能性もあるが)。

 そのような状況だが、黒板当番さんがこの夏に描いた『若者のすべて』の画が印象深かった。今日はこの黒板画を取り上げてみたい。すでに見た方も未見の方も、この素晴らしい作品をぜひご覧ください。

 僕は実際の画をまだ見ていない。ネットの画像、そしてこの画について作者が書いた文章(@kokuban_toban Aug 7)から考えたことを記したい。


 黒板当番さんは、『若者のすべて』の二人について次のように述べている。

この絵の中心となる男女二人の顔は、一番思い悩んだ表現でした。単純に考えるとこの歌は再開を願っていた彼女についに出会い、一緒に花火を見上げているハッピーエンドに聴こえます。しかし「話すことに迷うな」というだけでは、二人が互いに目を合わせて言葉を交わしたかどうかは怪しい、と思いました。もしかしたら彼女の存在を確認しただけで、声を掛けられないまま別れたかも知れないし、彼女は志村さんに気付いてすらいないかも知れない。さらに志村さんの妄想癖を考えると、彼女が本当にそこにいたかどうかも分からない。記憶の中の彼女をリアルに想像して、まいったな、と言っているだけかも知れない。志村さんの歌詞は、このような複数の世界線を同時に成り立たせるような「空白」を巧みに言葉に込めているように思えます。


 黒板当番さんは、〈ないかな ないよな なんてね 思ってた/まいったな まいったな 話すことに迷うな〉という所謂《再会》のシーンについて、〈この二人が互いに目を合わせて言葉を交わしたかどうかは怪しい〉〈彼女の存在を確認しただけで、声を掛けられないまま別れたかも知れない〉と考えている。

 このシーンについては以前、「志村正彦LN300」で、「「僕」は〈まいったな まいったな 話すことに迷うな〉と躊躇い、そのままその場を通り過ぎようとする。その一瞬に、「僕」の視線はその想い続けていた人に向けられる。「僕」とその人との間で、眼差しが交わされる。眼差しによる再会」という解釈を示したことがある。

 黒板当番さんはさらに〈彼女は志村さんに気付いてすらいないかも知れない〉〈さらに志村さんの妄想癖を考えると、彼女が本当にそこにいたかどうかも分からない〉と考察を深める。〈気付いてすらいない〉可能性はあると僕も考えていたが、〈妄想〉によって〈彼女が本当にそこにいたかどうかも分からない〉〈記憶の中の彼女をリアルに想像して、まいったな、と言っているだけかも知れない〉という捉え方は、思ってもみなかった。斬新で独創的な解釈である。確かに、志村正彦の作品には、彼特有の妄想や想像の力によって描かれた世界がいくつもある。


 夏の夜の花火大会だとすると、花火を美しく見せるために会場の照明は少なく、ほの暗い。大勢の人々で賑わっているが、人々の顔の表情はよく見えない。時折光る花火の光。その一瞬一瞬、光が輝く以外の時には、近くの人が誰であるのかも分からない。

 会いたい誰かがいるとしよう。たまたま、面影が少し似ている人を見かける。はっきりとは分からない。だからこそ、思う気持ちが強ければ強いほど、その見かけた人をその人自身と思いこむことがあるかもしれない。現実よりも、思う気持ちの方が勝る。そうなると妄想にも似てくる。

 あるいは、「真夏の夜の夢」のような夢想。花火の鮮やかな光や大きな音の中で、夢見心地の世界が現れる。現実と夢の狭間のような世界。〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉〈ないかな ないよな なんてね 思ってた〉という〈ない〉のリフレインは、現実でも〈ない〉、夢でも〈ない〉、その狭間の世界を歌っているのかもしれない。

 『若者のすべて』の物語は、主体の「僕」が〈まぶた閉じて浮かべているよ〉と歌うように、閉じられたまぶたの裏側にあるスクリーンに投影されている夢物語のようでもある。

  シェイクスピア『真夏の夜の夢』(A Midsummer Night's Dream、『夏の夜の夢』という訳もある)は、真夏の熱に浮かされた恋の祝祭の物語である。最後に妖精パックは、〈夜の住人、私どもの、とんだり、はねたり、もしも皆様、お気に召さぬとあらば、こう思召せ、ちょいと夏の夜のうたたねに垣間みた夢まぼろしにすぎないと〉と語る。『若者のすべて』にも、花火によって高揚する感触、静かな祝祭の感覚がある。シングル『若者のすべて』のカップリング曲・B面の『セレナーデ』にもそのような感覚の陰影がある。


 黒板当番さんは、志村正彦の歌詞を〈複数の世界線を同時に成り立たせるような「空白」を巧みに言葉に込めている〉と考えて、次のように「若者のすべて」黒板画を構想したそうである。

このような空白を尊重したいと思ったので、この絵に二人の姿を具体的に描く上で、明らかに隣に並んでいると分かる構図の絵は描けない、と考えました。そこで出た答えが、絵の中で二人が別々のカメラで撮られたように描くことでした。すぐ隣にいるかも知れないし、離れたところにいるかも知れない。同じ花火を見上げているかも知れないし、記憶や想像の中の彼女かも知れない。本当にそこにいたとしても、彼女は懐かしい志村さんに出会っていないかも知れないし、出会うことを想定すらしていないかも知れない。そこで、彼女の髪型や服装は、特に再会への期待を感じさせない、いつもの飾らない普段着風にしました。彼女の表情も再会の有無に関係なく、花火の美しさだけに集中しているように見えるよう描きました。志村さんの方は、再会に喜んではにかんでいるようにも、また再会を妄想してニヤけているだけのようにも見えるよう気を付けました。また、二人の顔の影が少し違うのは、花火を見ている場所が違うかも知れないことを示唆しています。


  作品の画像を見ると、確かに、〈絵の中で二人が別々のカメラで撮られたように〉描かれていることが分かる。カメラの比喩で言うと、カメラの被写体とカメラの撮影者がいる。〈別々のカメラ〉とあるので、ハリウッド映画の撮影のように、同一シーンを複数カメラで撮影している感じかもしれない。映画ではカットのモンタージュで編集するが、絵画では同一画面でつなぎ合わせることになる。

 この二人の描き方による画には、《パララックス・ヴュー》、パララックス(視差)による二つの像の間に生じる見え方の差異、ギャップのようなものがある。それは、志村正彦的な何かにつながるような気がした。

 この黒板画には、富士吉田の「いつもの丘」の山と高円寺の駅前、高円寺の陸橋、八月末の天気図、『若者のすべて』CDジャケットの観覧車など、いくつもの風景や景物が同時に織り込まれている。画を描く人の視線もまたそこに織り込まれる。

 僕の目には、チョークのドットが花火の光の粒子に見える。この画全体が花火の一瞬の輝きのようでもある。上部の風景の中に、かすかに、富士山の姿を感じたのだが、これは幻かもしれない。


 文章の場合、結局、対象の構造を分析したり概念を提示したりすれば、とりあえず句点を打つことができる。だから、ある種の逃げになることもある。このblogの文章もそれを免れない。

 しかし、絵画の場合、具体的であっても抽象的であっても、像を描かなければならない。線と色を選択しなければならない。これは当然の前提だろう。しかし、あらためて、黒板当番『若者のすべて』を見て、絵を描く人の決断と勇気といったものを考えさせられた。


2022年8月21日日曜日

第5ブロックの時間、第1と第4ブロックとのつながり-『茜色の夕日』3[志村正彦LN313]

   前回、『茜色の夕日』の第1~4ブロックのフレーズを構成要素abcdに分けた。第1~4ブロックは、基本として回想であり、歌の主体が回想する出来事が述べられている。それに対して、第5ブロックは回想というよりも、歌の現在時における主体の想いが表出されている。構成要素abcdとは独立した関係にあるので、eという新しい要素を付した。


 第5ブロックを引用する。

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


 第1~4ブロックの回想は〈そんなことを思っていたんだ〉と語られるが、第5ブロックは〈そんなことを思ってしまった〉と述べられる。第5ブロックの〈思ってしまった〉の方は、今まさしくそのようなことを〈思ってしまった〉という、思う行為が完了した時点を示している。〈そんなこと〉は、歌の主体の現在時に近い出来事になる。それに比べて、第1~4ブロックの〈思っていたんだ〉は〈そんなこと〉を思い、その思いが持続していたという時の流れを示している。〈そんなこと〉は、歌の主体にとって、近い過去から遠い過去までの出来事になる。

 つまり、〈そんなことを思ってしまった〉とされた第5ブロックの想いは、歌の現在時のものと言ってもよいだろう。その内容も、〈僕じゃきっと出来ないな〉〈本音を言うことも出来ないな〉〈無責任でいいな〉という〈僕〉と〈僕〉自身との対話であり、現在の思いであろう。その自己対話を〈ラララ〉と受けとめながら、〈そんなこと〉と捉えた上で、〈思ってしまった〉と結んでいる。ここでは表現の観点で分析したが、この第5ブロックの意味については後に論じたい。


 第1~4ブロック全体を再度引用する。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックには、abの構成要素はあるが、それに続くcdはない。

 歌の主体ははじめに、〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉と語り始める。〈てたら〉は、〈ている〉という現在進行形を含む〈ていたら〉であるので、この眺める行為は、今、進行中、継続中の事態や行為である。そして、眺める行為の帰結は〈少し思い出すものがありました〉という想起となる。回想される出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去の日と、その過去の時点で〈誰もいない道 歩いた〉という行為である。

 〈晴れた心の日曜日の朝〉という表現は独特だ。〈晴れた日曜日の朝〉という通常の表現に〈心の〉が繰り込まれている。おそらく、〈晴れた心〉(心が晴れやかだ)と〈晴れた日曜日の朝〉(天気が晴れている、日曜日の朝)が複合されているのだろう。続くフレーズは〈誰もいない道 歩いたこと〉。つまり、歌の主体は〈日曜日の朝〉に〈誰もいない道〉を歩いている。この〈歩行〉のモチーフを、志村正彦は繰り返し表現している。『茜色の夕日』全体を通じて、〈歩行〉が続いているようなリズムがある。逆に、立ち止まる、佇立する、休止のポイントもある。歩いて立ち止まる。立ち止まって歩き出す。このモチーフとリズムは、『若者のすべて』などの他の作品に引き継がれている。

 第2ブロック・第3ブロックで焦点化されるのは〈君〉であり、〈君〉との出来事である。注目したいのは第4ブロックである。cdの構成要素はあるが、それ以前のabがない。その意味で、第1ブロックと第4ブロックは対照的である。ここで一つの仮説を提示したい。第1ブロックのabと第4ブロックのcdにはつながりがある、というものだ。第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させて、一つのブロックを作るとこのようになる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックのabで回想される出来事は〈晴れた心の日曜日の朝〉という過去と、その時点で〈誰もいない道 歩いたこと〉という行為である。歌の主体はどこかを歩いている。この〈歩行〉の場、〈誰もいない道〉は、歌の主体の故郷にある道のような気がする。根拠はないのだが、そのように感じられる。

 第4ブロックのcdで〈東京の空の星〉が登場する。作者志村正彦が、東京という具体的な場を表現することは極めて珍しい。それは〈見えないと聞かされていたけど〉〈見えないこともないんだな〉と、〈ない〉という否定と〈ないこともない〉の二重否定による肯定がある。〈ない〉という表現は三度重ねられる。第1ブロックにも〈誰もいない道〉という〈ない〉による否定がある。

  第1ブロックのabと第4ブロックのcdとを接続させると対比的な構造が現れる。〈晴れた〉〈日曜日の朝〉と〈見えないこともない〉〈東京の空の星〉。晴れて見えないこともないもの。そして、〈朝〉と夜という時間。そのような構造を想定すると、この歌詞の展開において、第1ブロックのabと第4ブロックのcdとの間につながりがある、という仮説が成り立つかもしれない。


2022年8月14日日曜日

歌詞の構成要素-『茜色の夕日』2[志村正彦LN312]

  『茜色の夕日』(作詞・作曲:志村正彦)の歌詞は、歌詞カードによって異同があるが、ここでは、『志村正彦全詩集新装版』(パルコ 2019/8/28)収録の本文を引用する。


茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない

君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

僕じゃきっと出来ないな
本音を言うことも出来ないな
無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった

君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 この歌詞も、他の志村の歌と同様に、具体的な物語の展開がたどりにくい。反復されるフレーズが多いことも影響しているだろう。把握しにくいのではあるが、歌われている出来事、物語がないことはない。その出来事、物語をこのblogでよく使っている歌詞の構成要素abcd(いわゆる「起承転結」に相当する)によって分析してみたい。

 現代詩作家荒川洋治『詩とことば』 (岩波現代文庫 2012.6、原著2004刊)の次の箇所を参考にした。その部分を引用する。

 詩は、基本的に、次のようなかたちをしている。

  こんなことがある           A
  そして、こんなこともある   B
  あんなこともある!      C
  そんなことなのか         D

 いわゆる起承転結である。Aを承けて、B。Cでは別のものを出し場面を転換。景色をひろげる。大きな景色に包まれたあとに、Dを出し、しめくくる。たいていの詩はこの順序で書かれる。あるいはこの順序の組み合わせ。はじまりと終わりをもつ表現はこの順序だと、読者はのみこみやすい。

 この論ではABCDを小文字のabcdに置き換えて、歌詞の展開の基本要素にする。

 物語の展開および楽曲の展開から、五つのブロックに分けた。1~4の四つのブロックには、各々、abcdの構成要素を付したが、1と4については空白の行を設定して、それぞれcd、abを付した。また、1~4の展開から独立したブロックは5として、eという構成要素を新たに付けた。このeは、起承転結的な展開からは独立した部分、歌の主体の思いが直接表現されているところを示している。abcdそしてeの差異を明らかにするために、フォントの色を分けてみた。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
1c
1d

2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ

3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった

4a
4b
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ

5e  僕じゃきっと出来ないな
5e  本音を言うことも出来ないな
5e  無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった


2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 第1ブロックから第4ブロックまでのabcdの構成要素を要素別に配列してみると、歌詞の物語構造が明確になる。


1a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
2a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
3a  茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
4a

1b  晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと
2b  君がただ横で笑っていたことや どうしようもない 悲しいこと
3b  短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
4b  

1c
2c  君のその小さな目から大粒の涙が溢れてきたんだ
3c  君に伝えた情熱は呆れるほど情けないもので
4c  東京の空の星は見えないと聞かされていたけど

1d 
2d  忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ
3d  笑うのをこらえているよ 後で少し虚しくなった
4d  見えないこともないんだな そんなことを思っていたんだ


 〈a〉は、この歌の起、イントロダクションであり、すべての回想が引き起こされる。このフレーズは1~3にかけて、そのまま反復される。〈茜色の夕日〉という光景を〈眺めてたら〉という主体の行為。夕方という現在時。〈少し思い出すものがありました〉という回想は、思うに任せない現実に気を揉むような焦慮が変化していったものだと考えられる。焦慮が回想へと転換されていくことで、次第に、主体の想いが動き始めるといってもよい。

 〈b〉は、〈a〉の回想を受けて展開される。その回想される出来事、それと共に、その出来事の時間や時代が表される。〈誰もいない道 歩いたこと〉〈君がただ横で笑っていたこと〉〈どうしようもない 悲しいこと〉〈子供の頃の寂しさがない〉という出来事。〈晴れた心の日曜日の朝〉〈短い夏が終わった〉〈今〉という時間や時代。

 〈c〉で、ある種の転換が起きる。〈君〉が焦点化されて、その〈君〉と歌の主体〈僕〉との間にある大切な出来事が語られる。また、〈東京〉の〈空〉の〈星〉というもう一つの重要なモチーフが登場する。

 〈d〉は、そのブロックの結となる部分である。〈そんなことを思っていたんだ〉という語り口で、それぞれの回想が終わる。そして、歌の主体の現在の想いが語られる。〈忘れることは出来ないな〉の〈な〉、〈笑うのをこらえているよ〉の〈よ〉、〈そんなことを思っていたんだ〉の〈んだ〉と添えられた言葉。志村正彦が愛用した表現である。その〈な〉、〈よ〉、〈んだ〉は、歌の主体と出来事とのあいだの一種の距離を示しているとも感じとれる。

2022年8月7日日曜日

焦燥から焦慮へ、1stアルバム『アラカルト』-『茜色の夕日』1[志村正彦LN311]

 志村正彦・フジファブリックは、2002年10月21日、インディーズでデビューを果たした。1stミニアルバム『アラカルト』がロフトプロジェクト主宰のレーベルSong-Cruxから発売。今年2022年はそのデビューから20年となる。

  インディーズに在籍したことのあるアーティストのデビュー時期をインディーズにするかメジャーデビューにするかという問題がある。各々独立したデビューとして考えればよいのかもしれないが、志村正彦の場合、2022年のインディーズデビューを、表現者としての活動開始、デビューとして捉えたいと私は考えている。『アラカルト』収録作品は6曲。いずれも、「習作」的な段階を超えた水準にある作品であり、何よりも独創性が光っている。作品の観点からすると、そのディストリビューションがインディーズかメジャーかということは本質的なことではない。サブスクリプションの時代を迎えて、今後はさらにその識別は無意味になるだろう。

 今年は志村正彦・フジファブリックのデビュー20周年。『アラカルト』から20年。このアルバムの代表曲が『茜色の夕日』であることは多くの聴き手が同意するだろう。だから、『茜色の夕日』20周年と捉えてもよいだろう。

 『茜色の夕日』については、このblogの作品indexをみるとすでに19回ほど書いてきた。ただし、2014年武道館LIVEの志村正彦の《声》による『茜色の夕日』。様々な番組で取り上げられた『茜色の夕日』。『茜色の夕日・線香花火』のカセットテープ。『茜色の夕日』のカバー。映画の作中歌『茜色の夕日』。下吉田駅の『茜色の夕日』というように、この十年間のこの歌をめぐる様々な出来事を主に記してきた。

 このblogでは、作品そのものを論じる場合、通番を付している(例えば『若者のすべて』で通番を付したものは24回ある)が、『茜色の夕日』について通番を付したことはない。つまり、作品そのものを本格的に論じたことはこれまでなかったといってよい。なぜか。私にとって端的に、この歌がつかみづらい、ということに帰する。もっと正直に言えば、これまでこの歌についてどのように論じてよいのか分からなかった。ずっとこのことは気になっていた。この歌が『アラカルト』でCD音源としてリリースされて20年となる今、この歌について通番を付して論じていきたい。


 ここであらためて1stミニアルバム『アラカルト』の曲を振り返りたい。このアルバムにもアルバムとしてののストーリーというものが、そこはかとなく、ある。

 収録曲は全六曲。すべての作詞・作曲は志村正彦。

1.線香花火
2.桜並木、二つの傘
3.午前3時
4.浮雲
5.ダンス2000
6.茜色の夕日




 『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』の三曲には共通するモチーフがある。


線香花火のわびしさをあじわう暇があるのなら
最終列車に走りなよ 遅くは 遅くはないのさ      『線香花火』

最後に出かけないか 桜並木と二つの傘が きれいにコントラスト       『桜並木、二つの傘』

いやしかし何故に いやしかし何故に
踏み切れないでいる人よ                『ダンス2000』


 〈走る〉〈出かける〉〈踏み切る〉という移動や運動の動詞群。〈走りなよ〉〈出かけないか〉。その逆の〈踏み切れないでいる〉。二十歳前後の青年である歌の主体の〈今〉〈ここ〉からの離脱あるいは脱出の願望、それが遂げられない焦燥感が独特のグルーブ感によって歌われている。何かに追い立てられる。それが何かは分からないままにとにかく、どこか外へと出て行くこと。所謂「初期衝動」的なモチーフといってもよい。最も初期の志村正彦の世界がここにある。

 この四曲に対して、『浮雲』『茜色の夕日』は異なる次元へと踏み出している。一つの方向性が定まる。(『茜色の夕日』は最も初期の作と言われているが、ここでは、現実の制作時期についてはあえて問わないことにしたい)移動や運動の動詞はそのまま継承されている。しかし、『線香花火』『桜並木、二つの傘』『ダンス2000』の三曲にみられた「焦燥感」、思い通りにならない現実に対する苛立ちや焦りに駆られることから、思うに任せない現実に起因する不安が内面をめぐることへと変化していく。後者は「焦慮」の感覚と捉えることもできる。アルバム『アラカルト』全体を通じて、歌の主体の「焦燥」から「焦慮」へという想いや感覚の転換が描かれているといえるかもしれない。


 『アラカルト』の三曲目に『午前3時』がある。次の一節が注目される。


鏡に映る自分を見ていた
自分に酔ってる様でやめた


 〈自分〉が、〈鏡に映る自分〉とそれを〈見ていた自分〉とに分離されている。ここでは〈自分に酔ってる様でやめた〉とされているが、このような鏡像との対話は繰り返されたのだろう。志村の場合おそらく、自己陶酔や自己愛に閉じられていくのではなく、自分自身を見つめるもう一人の自分が形成されていった。これはもちろんどの人間にもある経験だが、志村の場合、その経験を自ら深めていった。自分に対する〈他者〉としての自分という存在ががある強度を持って形成されていった。〈他者〉としての志村正彦の誕生である。


 『浮雲』『茜色の夕日』には次の一節がある。


独りで行くと決めたのだろう
独りで行くと決めたのだろう                  『浮雲』


茜色の夕日眺めてたら 少し思い出すものがありました
晴れた心の日曜日の朝 誰もいない道 歩いたこと        『茜色の夕日』


 『浮雲』では、〈独りで行く〉ということを、歌の主体は自分自身に対して〈決めたのだろう〉と問いかける。自らに問いかけるのではあるが、〈独りで行く〉ことは、すでに決められていたように思える。

   『茜色の夕日』では、〈茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました〉と語りかける出来事は、〈晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと〉、歩みの記憶である。〈…ものがありました〉という語りかけは、まず第一に自らに対するものだ。〈…たのだろう〉の問いかけと、〈…ものがありました〉の語りかけ。その問いかけと語りかけの話法によって、〈独りで行く〉という主体の決意と、〈歩いたこと〉という主体の歩みの記憶が伝えられる。

 『浮雲』の主体は、現在の自分、故郷の「いつもの丘」にいる自分が、未来の自分自身に対して問いかける。現在の自己と未来の自己という二つの自己の分離とその二者間の対話がある。『茜色の夕日』では、現在の自分、おそらく東京の街にいる自分が、故郷にいる自分、過去の自分へと語りかける。現在の自己と過去の自己という二つの自己の分離とその二者間の対話がある。


 2002年の1stミニアルバム『アラカルト』収録の『浮雲』と『茜色の夕日』の二曲が、一人の青年志村正彦を一人の表現者志村正彦へと転換させていった。

 柴宮夏希による『アラカルト』ジャケット画をもう一度見てみよう。近景に花々、中景に白銀の富士、遠景に赤色と黄色の太陽が描かれているように見える。この二つの太陽が茜色の夕日の象徴なのかもしれない。あるいは、この赤色と黄色のコントラストが何かと何かの対比を表している、とも捉えられる。どちらにしろ、この対比的構造は志村正彦・フジファブリックの始まりを象徴的に表している。