2019年11月30日土曜日

『Hello, my friend』と『Good-bye friend』[志村正彦LN241]

 前回、松任谷由実『Hello, my friend』の「僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ」という一節を聴いた瞬間、志村正彦のことを考えたと記した。ユーミンはどのような経緯でこの一節を歌詞に入れたのか。そのことが気になったのだが、『Hello, my friend』のwikipediaに次の記述があることを知った。


カップリングの「Good-bye friend」は今は亡き友人を歌ったナンバー。『君といた夏』劇中歌。ユーミン夫妻と親交があったアイルトン・セナの死を悼んで作られた曲。元々は「Good-bye friend」の方が主題歌として予定されていたが、ドラマのイメージに合わないということで、サビの部分以外作り直された。


 歌詞の謎が少し解けた気がした。『Good-bye friend』の歌詞を引用する。


 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥の 友達でいさせて

 君を失くした 光の中に
 指をかざした 眩しくて見えない堤防
 なぜこんなにも 取り残されて
 どのざわめきも鏡の向こうへと消えてく

 悲しくて 悲しくて 帰り道探した
 もう二度と 会えなくても 友達と呼ばせて

 君はとっくに知っていたよね
 すぐ燃えつきるイカロスの翼に乗ったと

 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥の 友達でいさせて

 僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ

 悲しくて 悲しくて 君の名を呼んでも
 めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから

 淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
 離れても 胸の奥に ずっと生きてるから
 友達でいるから 友達でいさせて


  『Good-bye friend』の歌詞を読むと、サビの部分は『Hello, my friend』とほぼ同一である。「君を失くした 光の中に」「なぜこんなにも 取り残されて」という深い喪失感、そして「離れても 胸の奥の 友達でいさせて」「もう二度と 会えなくても 友達と呼ばせて」という胸の奥から発せられる願いが聴き手に痛切に響いてくる。アイルトン・セナの死を追悼する歌であることが伝わってくる。

 アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)はブラジル人のF1レーシング・ドライバー。1988年・1990年・1991年の計3度F1ワールドチャンピオンを獲得した。1994年5月1日、サンマリノグランプリの決勝レースで首位を走行中コンクリートバリアに高速で衝突する事故によって亡くなった。歌詞にある「すぐ燃えつきるイカロスの翼に乗ったと」という表現はこの事故の隠喩であろう。今年が没後25年目になる。
 当時は僕もF1レースに関心があったので、あの日もフジテレビの中継を見ていた。生中継と一部録画だったようで、途中でセナの訃報が伝えられた。壁へ激突するシーンも放送された。その衝撃、恐ろしさと痛ましさはよく覚えている。今思い返せば、セナの死によってF1の人気も下降していった。僕も見ることがなくなった。

 当初は『Good-bye friend』の方が主題歌として予定されていたようだが、やはり、テレビドラマとは齟齬を来すのだろう。サビの部分以外は作り直しとなり、その結果誕生したのが 『Hello, my friend』だった。しかし、直接的に「死」を想起させる表現は除かれたが本質的には死の追悼というモチーフは引き継がれたのではないだろうか。歌詞の奥深い場所にそのモチーフが継続されている。つまり、『Hello, my friend』も本質的には鎮魂の歌であろう。

 「僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ」という言葉が受け継がれていることも重要である。『Hello, my friend』の中のこの一節は『Good-bye friend』とこだまし合う。そうなると深い意味合いを帯びてくる。前回、『Hello, my friend』について、この「僕」は歌の話者が失った対象でありもう二度と帰ることのない存在だとする仮定は、おそらく真実に近いのだと思われる。
 この一節を聴いて僕が志村正彦のことを想起したことにも、ある無意識の根拠が見いだせるかもしれない。

 『Good-bye friend』そして『Hello, my friend』も、若くして亡くなった友の安息を神に願うレクイエムのように聞こえてくる。
 『Hello, my friend』では「my friend」に対して、「Good-bye」ではなく「Hello」と呼びかけている。そこに松任谷由実の祈りが込められている。

2019年11月14日木曜日

『若者のすべて』と『Hello, my friend』[志村正彦LN240]

 槇原敬之は、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』について「ほとばしる愛を詰め込んだマッキーの成分文表 槇原敬之」という記事(取材・文 / 小貫信昭)で次のように語っている。


──ここからは、新たに録音された2曲についてお聞きします。まずはフジファブリックの「若者のすべて」です。

東京で花火大会があった日に、たまたま車の中で流れてきて、そのとき初めてこの曲を聴きました。フジファブリックは知っていたんですけど「若者のすべて」は知らなくて。「すごくいい曲だなあ」と思って、それから車内でこればっかり聴いていましたね。しかし残念なことに僕が知ったときには、曲を作って歌われていた志村正彦さんがお亡くなりになられていましてね。こんなことを言うと彼のファンの方がどう思うかわかりませんけど、こんないい曲を残した人と「一度くらいおしゃべりをしてみたかったな」と思いましたね。

──楽曲名の表記が「若者のすべて ~Makihara Band Session~」となっていますが、これはどうしてですか?

「Listen To The Music 3」を作ったときにライブをやろうよという流れになり(参照:槇原敬之、敬愛する名曲カバー&ヒット曲尽くしツアー完走)、当時のバンドメンバーに「この曲もやってもらえますか?」とお願いして、実はそのセッションの音にシンセを足したりして完成したのが今回のものなんです。

──だからこうしたサブタイトルなんですね。

そうなんです。ともかく「若者のすべて」を嫌いな人はいないんじゃないかと断言したいくらいです。もう、カタルシスの塊みたいな曲。この歌のような経験をしたことがない人でも、こういう経験をしたことがあるような気分になるというかね。そして、この若々しい歌を50歳の僕が歌ってしまいました(笑)。


 「SONGS」では「しかも衝撃だったのは作られた方はもうお亡くなりになられていたということがあって」と発言していたが、このインタビューでは「曲を作って歌われていた志村正彦さんがお亡くなりになられていましてね」と「志村正彦」の名に言及している。しかも「一度くらいおしゃべりをしてみたかったな」と述べている。『若者のすべて』を愛する者がこの類い稀な作品の作者に関心を持つのは当然のことだろう。槇原は「カタルシスの塊みたいな曲」と捉えているが、これは彼特有の解釈なのだろう。確かに「SONGS」で彼は「カタルシス」、ある種の感情を解放していく歌い方をした。

 今回の「SONGS」では松任谷由実『Hello, my friend』も歌われたが、この曲はアルバム「The Best of Listen To The Music」の中でひときわ魅力のあるカバーソングとなっていた。僕個人としては、『若者のすべて』と『Hello, my friend』の二つがこのアルバムのBestである。しかも、この二つの歌にはどこかに響き合うところがある。

 『Hello, my friend』(ハロー・マイ・フレンド)は、1994年7月27日にリリース。ユーミン25枚目のシングルである。歌詞の前半部を引用したい。


 Hello, my friend
 君に恋した夏があったね
 みじかくて 気まぐれな夏だった
 Destiny 君はとっくに知っていたよね
 戻れない安らぎもあることを Ah…

 悲しくて 悲しくて 帰り道探した
 もう二度と会えなくても 友達と呼ばせて


 「君に恋した夏」は「みじかくて 気まぐれな夏」とあるので、夏の終わり頃の季節の設定なのだろう。ある意味では『若者のすべて』の季節感に似ているかもしれない。夏が終わりつつある『若者のすべて』、夏がもう終わってしまった『Hello, my friend』という違いはあるが。
 「Destiny」運命を知っていたという過去表現、「戻れない安らぎ」という多様に解釈できる表現。ユーミンらしい歌詞の背景の設定ではあるが、心の深くにとどまる言葉である。直観だが、この「君」はすでに遠い世界に旅立ってしまった人であり、比喩ではなく現実に「もう二度と会えな」い存在ではないだろか。「悲しくて 悲しくて 帰り道探した」、歌詞の後半にある「めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから」という表現からもその印象が強まった。荒井由実、松任谷由実の歌う喪失感にはいつもどこかに、無くなったもの、亡くなったものへの想いが込められている。

 『Hello, my friend』の中で最も突き刺さる歌詞は次の一節である。(同じ箇所を槇原敬之も「SONGS」で指摘していた)


 僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ


 後半部にあるこの一節によって、歌の話者が「僕」であることが示される。『Hello, my friend』は、「僕」が「君」に対して語りかける作品である。この一節は通常、「僕」の「君」に対する呼びかけの言葉だと考えられるが、もう一つの可能性を提示してみたい。この一節の「僕」を「君に恋した夏」の「君」の方だと捉える解釈である。つまり、ここで視点が転換される。この「僕」は、歌の話者が失った対象であり、もう二度と帰ることのない存在だと捉えるのであれば、歌の様相は一変する。

 「僕」は生き急いでいた。「そっとたしなめておくれよ」は、「僕」が歌の話者に対して依頼した言葉、願いの言葉だった。もしもこの「僕」がすでに遠くの世界へと旅だった存在であるのなら、もう取り返しのつかないような痛切な意味合いを帯びてくる。

 このようなことを書いてよいのかためらいがあるが、一歩ふみこんで僕の想いを語ろう。この言葉を聴いた瞬間、僕は志村正彦のことを考えた。『若者のすべて』と『Hello, my friend』が互いにこだまし合っているようにも聞こえてきた。



2019年11月4日月曜日

SONGS11月2日 槇原敬之『若者のすべて』[志村正彦LN239]

一昨日の11月2日、NHK「SONGS」を見た。槇原敬之が予告通り、松任谷由実『Hello, my friend』、フジファブリック『若者のすべて』、エルトン・ジョン『Your Song』を歌った。

 『若者のすべて』のパートでは、最初に『若者のすべて』ミュージックビデオを説明のナレーションと共に放送した。志村正彦の歌う姿が視聴者にまず届けられた。その後「桜井和寿 柴咲コウ 藤井フミヤなど さまざまなアーティストがカバー」というテロップもあった。
 槇原敬之がこの歌との出会いと魅力を語った。その一部分を文字に起こしたい。


この曲はもうほんと雷を打たれたような衝撃がありましたね。たまたまなんかテレビかなんか見てたらかかって、誰が作ってんだと思っていたら、フジファブリックさんというバンドが作ってて、しかも衝撃だったのは作られた方はもうお亡くなりになられていたということがあって、だから僕はすごく後になってからこの歌を知ったんですよ。


この発言中に画面に次のテロップが表示された。


「若者のすべて」を作詞作曲したVo/Gtの志村正彦は 2009年に亡くなった


 続けて槇原はこう述べた。


一番好きなのはもちろんメロディと曲の世界観なんですけれども、一番すごい好きなところがあって「まぶた閉じて浮かべているよ」 


 「まぶた閉じて浮かべているよ」を口ずさみながら発言した後で、この部分のコード進行に言及する。自ら歌い、キーボードに弾かせながら、普通と異なるコード進行を実演して説明していた。槇原のコメントを簡潔にまとめた次のテロップが流された。


あえて不安定なコード進行を使うことで青春時代特有の情緒を表現している


この箇所をほんとうにすごい、すごい好きですと繰り返し述べていたのが印象的だった。


今年50歳を迎えた槇原敬之が若者の心の揺らぎをマッキー流に届ける


というテロップがあり、歌唱のシーンに入っていった。

 この日のSONGSライブでは、歌い手もバンドマンもそこに現前しているということがあり、CD音源ヴァージョンとは印象が少し異なり、より自然で重厚なグルーブ感があった。
 槇原の歌い方から、「若者の心の揺らぎ」そのものではなくて、50歳という年齢から来るものであろうか、「揺らぎ」を振り返る視線から歌われているように感じた。年齢を重ねると、「揺らぎ」は次第にその揺れの幅を縮めていくが、それでも「揺らぎ」そのものが消失することはない。「揺らぎ」の中心点は時を超えて持続していく。年齢を重ねたものだからこそ歌うことができるリアリティがあった。
 でもそれは、槇原の現実の年齢とこの歌の解釈からもたらされたリアリティであって、オリジナルの志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』の伝えるリアリティとは当然だが異なる。そのことは確認しておきたい。

 実は志村は槇原と遭遇していた。志村日記2004.4.21の記述に「4月20日分」と題してこうある。(『東京、音楽、ロックンロール 』42頁)


 昨日の日記にも書いた通り、本日は招待制ライブだった。割とリラックスして出来た感じ。
 前回同様、いくつかのアーティストと共演した訳でありますが、最後に槇原敬之さんがシークレットで出演。なんというか…感動。声に。感動ですねえ。ほんとよく聴いていたんで。玉置浩二ばりに。
 楽屋で少し挨拶をしたんだけれど、恐ろしいくらいに腰の低いお方でおられた。
 そういえば、今まで話したミュージシャンで厭な感じの人って本当にいないと思う。イヤイヤほんとに。


 前日の日記を読むと、このライブは「東芝EMIコンベンションライブ」だったようだ。この時、志村正彦は槇原敬之に確かに会っていたのだが、楽屋での少しの挨拶であり、何人もの共演者や関係者がいただろうから、槇原からすると、まだデビューまもない志村正彦・フジファブリックを記憶にとどめる出会いではなかったのかもしれない。『若者のすべて』に衝撃を受けてからあらためて、志村正彦という存在を知ったのだろう。

 引用した志村の発言を読むと、槇原敬之の「声」に「感動」している。確かに槇原の「声」には独自な魅力がある。どの歌も最終的には「声」の質感のようなものにたどりつく。『若者のすべて』は特に「声」の質や力に左右される歌ではないだろうか。
 志村正彦の『若者のすべて』の声には独特の肌理がある。声は遠く彼方から訪れてくる。聴き手は声の肌理を感じとる。そして声は過ぎ去り、遠く彼方へと戻ってゆく。それでも声の肌理、その感触は聴き手の心にとどまる。

    (この項続く)

2019年10月27日日曜日

槇原敬之『若者のすべて ~Makihara Band Session~』[志村正彦LN238]

 10月23日、朝刊を読んでいると、ある全面広告が目に飛び込んできた。槇原敬之『The Best of Listen To The Music』。そろそろリリースされるかと思っていたところ、この日が発売日だった。(朝日新聞で見たのだが、他の全国紙や地方紙で掲載されたかは分からない)2020年にデビュー30周年を迎える記念として初のカバー曲のベストアルバムであり、志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』がカバーされると告げられていた作品である。

 紙面の上半分は槇原の写真。ウェリントン型のメガネをかけておだやかに微笑んでいる。ブルーのコーデュロイジャケットに白いシャツとネクタイ。カジュアルな正装だろうか。背景には落ち着いた山吹色の幕。髭には白いものが混じている。1969年生まれということは今年五十歳。年齢にふさわしい落ちついた彩りの写真だった。
 視線を下に移すと、収録曲のクレジットがあった。すぐにあの曲を探した。


  14. 若者のすべて ~Makihara Band Session~
          作詞・作曲:志村正彦


 「作詞・作曲:志村正彦」という記載があった。カバー曲の場合、広告などではオリジナル曲の歌手や演奏者が書かれるだけのことが多いが、作詞・作曲者名も記されるべきだということをこのブログでくりかえし主張してきた筆者にとっては非常にうれしい記述だった。小さな文字ではあったが、「志村正彦」という名が全国紙の全面広告の中にある。

 早速、『The Best of Listen To The Music』初回限定盤を注文して聴いてみた。
 『若者のすべて』は「Makihara Band Session」と付記されているように、完璧なバンドサウンドになっている。もともと、アルバム『Listen To The Music 3』のライブのバンドメンバーによるセッションの音をもとに完成したそうだ。このライブ映像は『Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し 2014 』としてDVD化されているが、今回の音源はストリングスも加えられて練り上げられた音になっている。



 これから聴く人もいるだろうから、感想を簡潔に述べたい。
 志村正彦の『若者のすべて』には、「ない」という不在の感覚が通奏低音のように響いているが、槇原敬之の『若者のすべて』では、「ある」ことへの期待や希望が描かれている。そのように僕には聞こえてきた。かつて志村正彦が語ったように、同じ歌詞でも解釈が異なってくる。歌い手や歌い方によって歌の世界は多様に広がっていく。槇原の五十歳という年齢が、「ある」ことへの希求を歌に込めていったのかもしれない。

 オリコンニュース2019-10-26「カバーソングから考察する歌手・槇原敬之の魅力の真髄」という記事で、槇原の言葉が紹介されている。


 槇原自身は「本当はカバーよりも本人の歌っているバージョンが一番良いとは思います」としながらも、「カバー・アルバムを作るときはちょっと角度が違いまして。僕自身の「音楽好きの歴史」というのは50年になるわけです。そちらの(音楽好きの)自分が、『なんでこの人はこんな良い曲を作ったんだ』とか、『この曲作るなんて本当に天才だな』とか、『本当にこの曲に救われたな』という曲ばかりを集めて、自分で勝手に尊敬の気持ちを込めてカバーさせていただいているんです」と、カバー曲に取り組んできた姿勢を語っている。


 『若者のすべて ~Makihara Band Session~』はとても丁寧に緻密にそして想いを込めて制作されている。槇原敬之のこの曲への「尊敬の気持ち」が自然に伝わってくる。
 なお、この記事には、オリコンモニターリサーチによって10~50代以上のモニターの男女1365名に全15曲のダイジェスト版を聴いてもらって作成した「好きな曲ランキング」が掲載されている。『若者のすべて ~Makihara Band Session~』は総合7位となかなか健闘している。最近この曲の知名度が上がったことも影響しているのだろう。

 11月2日(土)午後11・00~11・30の『SONGS』(NHK総合)に槇原が出演する。すでにご存じの人も多いだろうが、松任谷由実『Hello, my friend』、フジファブリック『若者のすべて』、エルトン・ジョン『Your Song』が歌われるそうだ。この三曲の選曲だけで僕は胸がいっぱいになった。
 「運命」なんて便利なもので、文脈は異なるが、そのように語ってみたい気もした。『若者のすべて』のこれまでとこれから、その軌跡そしてその運命を、まぶた閉じて浮かべている。

2019年10月22日火曜日

金木犀の香り、ふたたび。 [志村正彦LN237]

 一週間ほど前からだが、ほのかに金木犀の香りがする。九月の下旬に香り始めたと以前書いた。でもすぐに消えてしまった。今年はほんの短い間だけなのかと思っていたら、このところふたたび金木犀の香りが漂う。どういうことなのか。花についても植物についても知識がないが、一部の花が咲き始め、遅れて、別の花が咲いたということなのか。とにかく例年にない現象だ。不思議である。

 20日、フジファブリック 15th anniversaryのSPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」が成功のうちに終わったようだ。フジファブリックのファンにとって特別なライブだったのだろう。そのことは祝福したい。12月にwowowで放送されるのでそれを待ちたい。

 今日は朝から冷たい雨が降っていた。祝日で一日家にいたが、冬物を取り出した。ついこの前まで夏の暑さが続いていた。台風が来て、悲惨な災害が起きた。山梨は東京方面の交通が断絶した。季節の変調が続いている。
 夕方、「富士山で初冠雪 例年より22日遅く」とニュースが伝えていた。一日でかなり雪を被った富士山の映像。これまでは夏山のような富士山だったのに、一日で景色が変わった。

 金木犀の香りに戻りたい。今年の不思議な香り方は、金木犀がその香りの名残を惜しんでいたのかもしれない。過ぎ去ってしまわないようにと。
 志村正彦・フジファブリックの『赤黄色の金木犀』は、時間や季節の流れ方を歌っている。過ぎ去ったものを追いかけていく。


  もしも 過ぎ去りしあなたに 全て 伝えられるのならば
  それは 叶えられないとしても 心の中 準備をしていた


 「過ぎ去りしあなた」に伝えることは「叶えられない」。時を遡ることは不可能だが、そうだとしても「準備をしていた」「心の中」は何を追い求めていたのか。準備するのは時間との対話でもある。


  冷夏が続いたせいか今年は なんだか時が進むのが早い
  僕は残りの月にする事を 決めて歩くスピードを上げた


 「時が進むのが早い」ことに気づいた「僕」は「歩くスピード」を上げて、「残りの月」にする何を決めたのか。歩行の速度がその何かを追いかけていく。

 すべては「冷夏が続いた」せいなのか。季節の変調に呼応するかのように、「僕」は時の速度を感じ、時の流れを想う。「僕」は「過ぎ去りし」ひとやものやことを追いかけようとする。ほんとうは逆転していて、「過ぎ去りし」ひとやものやことが「僕」を追いかけてくるのかもしれない。


  赤黄色の金木犀の香りがして たまらなくなって
  何故か無駄に胸が 騒いでしまう帰り道


 一度消えてからふたたび香り始めた金木犀。香りがその香りを想起させるためにもう一度、いや何度も漂いだすかのように。なんだかたまらなくなった。追いかけていくもの。追いかけてくるもの。過ぎ去っていくもの。回帰してくるもの。

 今年の秋は、金木犀がふたたび香り、「たまらなくなって 何故か無駄に胸が 騒いでしまう」ような経験をした。そのことをこれからも想いだすだろう。
 秋は短く、もう冬が訪れる。

2019年10月13日日曜日

『別冊 音楽と人×フジファブリック』[志村正彦LN236]

 10月初旬、『別冊 音楽と人×フジファブリック』という増刊号が出された。雑誌増刊号ではあるが、フジファブリック単体を対象とする一冊の刊行物としては、単行本『FAB BOOK』フジファブリック(2010/6)以来のことだろう。主な記事を次に掲げる。

・インタビュー「僕とフジファブリック」山内総一郎・加藤慎一・金澤ダイスケ
・音楽と人アーカイブpart1 志村正彦記念館
・音楽と人アーカイブpart2 フジファブリック
・居酒屋でゆるいかトーク

 このうち、3万字に及ぶインタビュー「僕とフジファブリック」は、長年の間フジファブリックの良き取材者である「音楽と人」編集部の樋口靖幸氏による(と思われる)三人のメンバーへのインタビュー記事だ。山内・加藤・金澤の三氏が志村正彦・フジファブリックとの出会いや加入の経緯、自らの性格、作品作り、これからのフジファブリックについて述べている。特にあまり単独の取材対象にならない加藤氏・金澤氏の発言を読むことができる。
 「僕とフジファブリック」というテーマが示すように、三人各々が個人「僕」という視点で「フジファブリック」を語っていて興味深い。志村正彦の関わりについても貴重な証言がある。

 まだ発売されたばかりの雑誌増刊号であるので、「僕とフジファブリック」というテーマに特にかかわる箇所だけ簡潔に引用したい。-以下は樋口氏の問いかけである。


・山内総一郎
-アニバーサリーなのにね。大阪城ホールでワンマンやるし、どんだけ花火が打ち上がってるアルバム[『F』]と思いきや(笑)。
「派手ではないですよね。でも今もフジファブリックっていうバンドをもっと理解したいと思ってますし、自分も裸にならないといけないし、そのために戦わないといけない。それでどうにか、僕らの音楽が誰かの勇気とか喜びとかに繫がっていくのかなって。で、その繰り返しが人生なのかなって」
-でも、今日のこの会話もそうだけど、志村くんが作った曲も含め、総くんはこのバンドで歌を唄うことでしか、裸になれないような気がします。もっと言うと、人生をフジファブリックの曲に導かれてるというか。
「導かれてる……そういうところもあるかもしれないですね」

・加藤慎一
 -フジファブリックらしさって、最初は志村くんが持ってたもので。
「そうですね」
-それを受け継いでるのとは違うけど、もともと加藤さんの中にも同じ〈らしさ〉があるってことなんじゃないか……と、今話をしてて思いました。
「まあでも、それは志村の曲がすごく面白くて、好きだから。そこに惹かれてこのバンドに入ったっていうのもあるし……」

・金澤ダイスケ
-これからフジファブリックの一員として、どうなっていきたいですか?
「やっぱりもっともっと矢面に立てるような存在にならないといけないなと思います。もともと目立ちたがり屋なんだし」
-大阪城ホールっていう大きな舞台に立つわけだし。
「そう。ちゃんと胸を張れるようにしなければいけないですね。そのためにはもっと自分と向き合って、もっと自分を表現できるようになりたいし、そういう曲がもっと書けるようになりたいですね」


 樋口靖幸氏の「人生をフジファブリックの曲に導かれてる」という的確な指摘は山内氏に対すものだが、加藤氏・金澤氏にも当てはまる。この文脈での「フジファブリックの曲」はその多くが志村正彦の作品を指すのだろう。そして、山内氏の「今もフジファブリックっていうバンドをもっと理解したい」という気持ち、加藤氏自身の持つ「フジファブリックらしさ」、金澤氏の「フジファブリックの一員」としての存在への抱負、それぞれが、「志村正彦のフジファブリック」に導かれて歩んできた「僕」の現在を語っている。そして三人ともに、作品作りへの強い想いと自分を自分らしい形で表現することへの決意を述べている。「フジファブリック」は志村正彦の作った「作品」であるのだからそれは必然である。

 この増刊号には二つのアーカイブが収録されている。「音楽と人アーカイブpart1 志村正彦記念館」は2009年までの「音楽と人」記事再録と未公開写真、「音楽と人アーカイブpart2 フジファブリック」は2010年以降の記事再録。特に「志村正彦記念館」には入手困難な記事が再録されているので大切な保存版となる。記念館の扉の33頁に「音楽と人」2004年12月号未掲載カット(撮影:磯部昭子)の横顔の写真が載っている。遠くを見つめている志村の眼差しが印象深い。


2019年9月30日月曜日

《ロックの歌詞》出張講義 [志村正彦LN235]

 勤め先の山梨英和大学では高校生対象の出張講義を実施している。専任教員が27名ほどの小さな大学だが、一人ひとりがテーマを設けて出張講義の冊子を作り、県内や近県の高校に送付している。
 僕の設定したテーマは「ロックの歌詞から日本語の詩的表現を考える」。志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』を教材にして、詩的表現を鑑賞して分析する授業である。

 今回、長野県の駒ヶ根市にある高校からこのテーマでの出張講義を依頼された。高校1年生と2年生のグループに対して60分の授業を二回行う。昨年この授業を甲府市内の高校で実施した時は80分だったので、その時使用した資料やワークシートを60分用に再編集したが、新たに書き加えた部分も多かった。最近の『若者のすべて』カバーの盛況を伝えるためのDVDも作成した。長野の高校生に授業ができる大切な機会なのでいろいろと準備した。

 9月27日の金曜日、資料・DVD・PC等の機材を車に乗せて大学を出発した。その時に偶然、『赤黄色の金木犀』がFM-FUJIから流れてきた。DJはこの季節の曲だという紹介をしていた。なんだかこの出張講義への声援のようにも聞こえてきた。この曲のミュージックビデオは長野県上田市で撮影されたことも思い出した。

 甲府から駒ヶ根までは車で2時間近くかかる。往復で4時間。それなりの長旅だ。地図上の感覚では南アルプスを超えた向こう側に位置しているが、車のルートでは中央自動車道で大きく迂回していく。この日は天気が良く、フロントガラス越しに山々の稜線が美しく見えた。山梨の反対側から南アルプスを眺めることになった。

 高校に無事到着。教室に案内される。生徒は第1回目が14人、2回目が7人。僕の授業は、生徒や学生が読んだり聴いたり書いたり話し合ったりという所謂「アクティブラーニング」のスタイルなのでちょうどよい規模の数だった。本題に入る前に好きな音楽、歌手やバンドを質問してみた。RADWIMPS、back number、米津玄師の名が上がる。残念ながらフジファブリックはない。『若者のすべて』という曲を知っているかという問いに対しては一人だけ返事をした。8月のミュージックステーションでの演奏を見たそうである。山梨の高校生ならもっと知っているだろうが、隣県とはいえここは長野だ。知名度としては低いのだろう。

 今回の展開は、
1.『若者のすべて』のミュージックビデオを聴いて、心に浮かんだことを自由に言葉で表現していく。
2.三つの観点から『若者のすべて』の詩的表現を分析していく。
3.最初の感想と分析を通して得たものを総合させて考察文を書く。
 というものだった。授業であるからには展開を組織して、生徒の考察を深めていかなくてはならない。これは容易なことではなく、いつもその難しさと闘いながら実践を続けている。

 生徒は『若者のすべて』の物語内容について関心を持った。自分で読み解いたストーリーをグループで話し合う。解釈の違いが浮かび上がるのが楽しいようだった。表現面については、いつもは生徒自身が興味を持った表現を選んで自由に考察させるのだが、この日は全体で60分という時間の制約があったので僕の方から指示して生徒に考察を促した。選択したのは、「ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」の一節。この表現について言葉の意味と音という観点から考えてワークシートに記入するように指示した。生徒が書き始める。言葉が進んでいく者。時々立ち止まりながら考える者。少し書きあぐねている者。志村正彦・フジファブリックの歌詞に触発されてどのような思考と表現を試みているのか。しばらく経ってから生徒の記述を確認した。中には「ない」という言葉の繰り返しや言葉の響きに注目した生徒もいた。だが全般的には十分な時間が取れなかったこともあり、課題の表現と深く対話することは難しいようだった。このような課題に取り組むためにはゆったりとした雰囲気とゆっくりした時間が必要だ。この経験は次回に活かしたい。

 講義の最後で、あくまで歌詞に対する一つの分析であることを断った上で、以前このブログにも書いたことに基づいて『若者のすべて』の優れた表現の特徴を生徒に説明してみた。その要点を以下に記す。


「ないかな ないよな きっとね いないよな」の一節には、再会することが「ない」あるいは誰かが「いない」、出来事の《否定》あるいは人の《不在》が強調されている。「ない」という否定形の反復、「・かな」「・よな」「・ね」「・よな」という助詞の付加が、ある種の曖昧さや余白を与え、聴き手の想像を引き出す。
純粋な音の響きとしては、「な・」「な・」「・な・」の不在を強調する「な」の頭韻と、「・かな」「・よな」「・よな」の「な」の脚韻がある。「な」の頭韻には強く高い響き、「な」の脚韻には柔らかく低い響きがある。「な」の音の強さと柔らかさが、縦糸と横糸になって織り込まれているような、見事な音の織物になっている。志村正彦の歌には《否定》や《不在》の表現が多いが、言葉の反復や音の響きを通じてそのような表現の世界を構築している。

 
 これはワークシートの解答例として記述したもので、授業では口頭でもっと解きほぐして伝えた。
 自分の好きな歌の歌詞に対して、「言葉」や「表現」という観点であらためて向き合ってみると、新しい発見や解釈が生まれることがある。そのような行為が思考や表現の力を築いていくことにつながる。そのことを生徒に伝えて出張講義を終えた。


[付記]
 長野に出かけた27日、まだ金木犀の香りはしなかった。翌日の28日になると、ほのかに金木犀が香り始めた。僕の住む界隈では毎年、25日か26日頃に香りだす。夏がまだ過ぎ去っていない気候のせいか、今年は少し遅かった。
 どこから漂ってくるのかは分からない。それがまた金木犀の香りの特徴だろう。どこからかは定かでないが、毎年どこからかは訪れてくる香り。同じように『赤黄色の金木犀』の歌も九月下旬という季節にどこからか流れてくる。そのような感触がこの歌にはある。

2019年9月22日日曜日

2019年夏の番組 [志村正彦LN234]

 今年、2019年の夏、フジファブリックが出演した主要な番組を振り返りたい。


・8/9(金)20:00~20:55、テレビ朝日「ミュージックステーション」
  演奏:『若者のすべて』

・8/25(日)24:30~25:25、フジテレビ「Love music」
  演奏:『若者のすべて』

・8/31(土)24:58~26:08、TBS「COUNT DOWN TV」
  演奏:『手紙』

・9/2(月)26:20~26:50、テレビ東京「プレミアMelodiX!」
  演奏:『カンヌの休日』

・9/6(金)25:29~26:29、日本テレビ「バズリズム02」
  演奏:『手紙』

・9/7(土)25:00~25:55、BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」
  演奏:『陽炎』(フジファブリック×三原健司【フレデリック】)、『手紙』、『LIFE』


 以上だが、地上波民放局のすべてに出演したことになる。志村正彦没後10年、フジファブリック結成15年という年であり、ますます名声が高まる『若者のすべて』が夏の歌であることから、2019年の夏は集中的な番組出演となった。志村正彦そしてフジファブリックの歴史を振り返ると共に、記念アルバム『FAB BOX III』、『FAB LIST 1』、『FAB LIST 1』のリリース、10/20(日)フジファブリック 15th anniversary SPECIAL LIVE at 大阪城ホール2019「IN MY TOWN」の宣伝も意図したものだろう。

 演奏曲は、テレビ朝日「ミュージックステーション」とフジテレビ「Love music」が『若者のすべて』。その後は、『手紙』を中心に『カンヌの休日』『LIFE』、三原健司【フレデリック】をボーカルに入れた『陽炎』という流れだった。山内の故郷である大阪城ホールでのコンサートのテーマが「IN MY TOWN」であり、『手紙』はそのテーマ曲のような扱いでもある。

 テレビ朝日「ミュージックステーション」についてはすでに志村正彦LN228に記した。今回はそのほかの番組から印象に残った言葉や事柄について書いてみたい。
 フジテレビ「Love music」では、「志村正彦没後10年愛され続ける名曲」として『若者のすべて』が紹介されて、この曲についてのメンバー3人のコメントがあった。


山内:リリースされてから十年以上経っていますし、今年志村君が亡くなって10年なんですけど、志村君と頑張って作ったというとあれですけど本当にいい曲が出来たっていう手応えがあったんですね

加藤:この曲は歌詞が体験したことがなくても情景がやっぱり浮かぶ曲だと思いますねえ。

金澤:日本で生まれた育った皆さんのですねえ、その潜在的に持つ心情だったり風景だったりと……


 この番組では『若者のすべて』をフルヴァージョンで演奏した。メンバーの視線の向こう側に花火の映像を展開する演出が効果的だった。

 TBS系「COUNT DOWN TV」では、「ALBUM RECOMMEND」の2枚目として『FAB LIST』が取り上げられた。山内はこう述べていた。


すべての曲に思い入れはあるんですけど中でも「STAR」という曲が「FAB LIST 2」収録されているんですけども、この曲はですね、フジファブリックは2009年にボーカル・ギターの志村正彦という人間が他界しまして、バンドが本当に続けられるかどうか,続けることも出来ないだろうって思ってたところ、このメンバーでやっていこうと決めて最初に録った作った作品が「STAR」なので、その「STAR」ていう曲が思い出になるというかいろいろ自分たちにとっても大切な曲になっています。


 このコメントがあったので、演奏されるのは『STAR』かと思ったが、実際は『手紙』だった。どちらかというと、テレビスタジオで演奏される『STAR』を聴いてみたかったのだが。

 BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」は、フジファブリックを単独のテーマとした番組だった。 出演者は、山内総一郎、金澤ダイスケ、加藤慎一。コメントゲストは、綾小路 翔【氣志團】、奥田民生、岸田 繁【くるり】、刄田綴色(ドラマー)、原田公一(FREE,INC. 代表取締役)、薮下晃正(ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ)、今村圭介(EMI Records)。歌唱ゲストは三原健司(Vo./Gt.)【フレデリック】という面々。特に、原田公一、今村圭介の二氏が出演したのは特筆すべきことだった。志村正彦を見出し、そして育てた重要な二人だからだ。

 志村正彦・フジファブリックは若い世代のアーティストから高い支持を受けている。三原健司(フレデリック)もその一人であり、彼の唱法は『陽炎』の新しい魅力を伝えていた。『手紙』は現在のフジファブリックにとっての代表曲として、『LIFE』はおそらく番組タイトルとの関連で選ばれたのだろう。

 番組制作者の志村正彦・フジファブリックへのリスペクトがうかがわれる内容であり、ゲストのコメントはどれも興味深いものだった。そのなかで最も印象に残ったのは、次の問いかけに対する山内総一郎の回答だった。


 3人にとって志村正彦とは ――

稀有という言葉がありますけど、僕は唯一の人だと思いますし、だからこそ、フジファブリックというバンドにこんなに真剣になれているというか、人生をかけて、フジファブリックとして生きていこうって思うのは、やっぱり彼の存在があって、彼がない人生はない、なかったので、感謝していますし、ずっと仲間のミュージシャンという感じですね、はい。
生み出しつつ、新しいものをやっぱり生み出さないと、いけないですね、はい。


 山内は志村に対する想いを「彼がない人生はない、なかったので、感謝しています」と正直に吐露している。誤解を恐れずにあえて書くが、彼の現在のポジションは志村正彦という存在がなければ獲得できなかったものである。「感謝」という表現は、一人の人間としての山内が志村に対してどのような関係の意識を持っているのかを示している。しかし、表現者は言葉で表明するだけでなく、作品の創造を通じて「感謝」を表現していかなければならない。表現を仕事とする者の孤独で時に過酷な現実がある。

 前回まで四回にわたって、「闘い」というキーワードで志村正彦の軌跡を振り返ってきた。2010年以降のフジファブリックには、志村が自らとフジファブリックというバンドに求めたような「闘い」の軌跡はあまり見られない。山内、金澤、加藤の三氏はこの十年間、「闘った」というよりも「守った」のだろう。バンドの継続そしてバンドマンとしての生活を守ってきた。日々の生活を守ることは生きることの根本である。『FAB BOX III』も『FAB LIST 1』も守ったことの成果かもしれない。守ることも闘うことではある。そう考えることは可能だ。しかし、守るだけでは新しいものを創り出すことはできない。
 コメント最後の「生み出しつつ、新しいものをやっぱり生み出さないと、いけないですね」には、志村正彦のフジファブリックとは異なる「新しいもの」をまだ創造していないという自己認識が現れているのではないか。新しいものを生み出すためには「闘い」が必要である。番組最後で山内自身も「闘っていかないといけない」と述べていた。
 フジファブリックがフジファブリックであるためには、創造のための闘いが必要である。守ることと闘うことの間に、現在のフジファブリックのアポリアがある。


 今年の夏は志村正彦そしてフジファブリックに対して様々な言葉が語られてきた。BSフジ「LIFE of FUJIFABRIC」冒頭の岸田繁【くるり】の発言を引用してこの回を閉じたい。


表現者としてあるいは詩人としてすごいポテンシャルが高くてエネルギーの強いシンガーソングライターがいたバンドで


 「表現者としてあるいは詩人として」という捉え方、「すごいポテンシャルが高くてエネルギーの強い」という評価の基軸には、同時代の優れた音楽家である岸田繁の明確な意志がうかがえる。そして「シンガーソングライターがいたバンド」という過去形の表現から、岸田の喪失感が伝わってくる。
 2019年夏の時点で志村正彦・フジファブリックはどう評価されているのか。その貴重な証言として記憶される言葉だろう。

2019年9月15日日曜日

「闘い」の記録 [志村正彦LN233]

 「闘いの場」「音楽との闘い」「仕事としてのフジファブリック」と三回続けて、《闘い》をキーワードにして、志村正彦の軌跡について書いてきた。

 志村の人生の軌跡は、「志村日記」(『東京、音楽、ロックンロール 完全版』)に記された彼自身の言葉によってたどることができる。また、『FAB BOOK―フジファブリック』や様々な雑誌にインタビュー記事が載せられ、ドキュメンタリー映像もDVD「FAB MOVIES DOCUMENT映像集」(『FAB BOX』)、そして今回のDVD「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」(『FAB BOX III』)に記録されている。二十九歳で人生が閉じられた音楽家の「表現」と「仕事」の軌跡を、僕たちは幸いなことに(そう言うべきなのだろう)知ることができる。

 でもあらためて考えてみると、このようなことが可能になったのは取材者の情熱や努力によることも大きい。彼に関する記事を書籍、雑誌、ネットの記事で読むと、他の音楽家と比べても取材者や編集者に恵まれていたと言えるだろう。それは志村正彦という希有な表現者が彼らを魅了していたからにちがいない。
10月刊行予定の『別冊 音楽と人×フジファブリック 音楽と人増刊』にも、志村の良き理解者であった樋口靖幸氏による記事が再録されるのだろう。

 『FAB BOX III』、『Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"』の「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」については、「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」氏(中也さん)の功績が大きい。彼が撮影した映像がなければこのDVDは不可能だった。

 ネットを検索して、「須藤中也ブログ 日々のあぶく」があることを知った。2004年から2016年までの記事を読むことができる。その中に「フジファブリックスペシャル」という2010年4月2日の記事がある。長文になるので部分に切り取って引用させていただく。


僕は2005年からずっとフジファブリックのドキュメントやオフショットを撮ってきました
そして撮影したものはMusic on TV!のフジファブリック スペシャルで形にしてきました
だからこのプログラムは僕のクロニクルでもあります
僕はこのバンドと出会わなかったらディレクターとしての人生は大きく変わっていたと思うし
多分曽我部さんやアナログフィッシュとの繋がりもなかった事でしょう
フジとの仕事は仕事であるけど、大事なライフワークでもあります
だから仕事を超えた何かがいつも作品を作ると残っていきました
僕を一回りも二回りも成長させてくれたバンドです

その頃(*2004年)、テレビで桜の季節のPVのスポットが流れてて
そのメロディーと歌詞の雰囲気にすぐさま心奪われ
いいPVだなと思い、こういう感じのバンドのPV作れたらいいだろうなーと傍で思いながら
久々にいいバンドが出て来たなと部屋の掃除をしながら思っていた記憶があります
だから完全に僕は1ファンでしかなかったのですが
まさかあの時はこんなに人生に深く関わるバンドになるとは思いもしませんでした

僕が初めてフジを撮ったのは2005年のロックインジャパン
初対面で緊張したし、自分の思うように撮れなくて
なんとなく撮影終わってへこんだりしました
そもそも僕も人見知りだし、メンバーも人見知りだったなと
今思えば、それはそれでその時にしか撮れないものが撮れていたと思えます
「フジファブリック SPECIAL 2005」は僕の初めてのフジ作品になります
僕のメイキング奮闘記でもあります
最後の茜色の夕陽がだんだん白黒になっていくのが印象的です
あとテレビ画面を8mmで撮ったオープニングも今見ると良い味だしてます

「フジファブリック ライブスペシャル 2006 完全版」は
今思えばクリスマスの日のスペシャルライブで
僕はバックステージで撮っていたけど
この時志村君が帽子のセレクトに悩んでて
たまたま僕の帽子を被ったら
それでステージに出てくれて
なんかすごい嬉しかった記憶があります

フジファブリック SPECIAL 「CHRONICLE」までのクロニクル
これは去年作った番組です。スウェーデンでのレコーディング風景とアルバム完成後のインタビューです
僕の位置づけとしてはアルバム「クロニクル」のDVDと対になった番組です
だから両方見てもらえるとクロニクルというアルバムが深くわかるのではと思いますし
二つ流れで見てもらうのが監督の気持ちとしては本望だったりします
インタビューの画の質感が気に入ってます
あとフジの歴史をビジュアル化させたオープニングが印象に残ってます


 この記事は、MUSIC ON! TVの「フジファブリック志村正彦 追悼特別編成企画」の「フジファブリックスペシャル2004~2009」2010年4月3日(土)18:00-23:00を紹介するためのものだが、「フジとの仕事は仕事であるけど、大事なライフワークでもあります」という言葉は2019年に『FAB BOX III』として具現化した。

   フジファブリック SPECIAL 「CHRONICLE」までのクロニクルの内容から、この番組が「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」の原型ではないかと推測される。「クロニクル」の付属DVDと併せると「クロニクルというアルバムが深くわかる」というのが中也さんは述べているが、今回リリースされた『FAB BOX III』によって、アルバム『クロニクル』をそしてスウェーデンでの日々をさらに深く理解することができる。
 中也さんが志村の「闘い」を記録することによって、志村の闘いの軌跡をたどり、その意味を考えることが可能となった。

 音楽は完成された作品を聴くことだけで完結する。しかし、完成までの過程を知ることができるのも僕たちファンにとっては幸せなことである。特に映像の場合、たくさんの情報から様々なことを読みとることができる。作品と対話する経験を深める。

2019年9月8日日曜日

仕事としてのフジファブリック [志村正彦LN232]

 志村正彦は、ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DISC1)の冒頭、チャプター1「2009/2/9 Stockholm」で次のように語っている。2/9という日は、スウェーデンでの仕事がほぼ終わった頃である。


『Teenager』が去年の1月に出て、今2月になってスウェーデンでレコーディングをしてますけど、まあ一年ちょっと経ってますけど、その間にですね、まず感じたのは、自分のスキルというか曲作りの精度、言いたいことの方向性っていうものをもうちょっと明確にしていかないと先に進まないなあというのが根本的にあって。

フジファブリックは、正直言うと僕はメンバーにすごい助けられている部分がとてもあってですね、いつもダイちゃん、カトーさん、総くん、サポートドラマーの方にいつも、なんて言うんでかねえ、支えられてほんとうにやってきたんですけど。

それも素晴らしいんですけど、一人で根本的にスタートする、ものは、きっかけは、僕が作らないとそろそろいけないなと思ってですね、そういう自覚というか、それはフロントマンとしてあたりまえのことなんですけど、プロミュージシャンとして曲を一人でまずしっかり作れるような、一人でメロディをしっかり作れるような人間にプロミュージシャンになろうかなっていうのがとりあえず一番大きかったので。デモテープ作りとかすごい籠もってやっていましたよ、部屋で。


 自分のスキル、曲作りの精度、言いたいことの方向性を明確にすること。『CHRONICLE』はその実践でもあった。そして「一人で根本的にスタートする」ことへの決意が語られている。志村のフロントマンとしての自覚、プロミュージシャンとしての自立。プロフェッショナルとしての覚悟や意気込みが強くうかがえる発言である。

 志村にとってフジファブリックは、彼の言葉と楽曲を「表現」として具現化する媒体であると同時に、「仕事」としてのプロジェクト名であった。「仕事としてのフジファブリック」のリーダーとしてプロジェクトを率いてきた。頭角を現してきたロックバンドのフロントマンとしてレコード会社や所属事務所の期待にも応える。アルバムでその成果を出す。2009年はそのプロジェクトが大きく開花する時期でもあった。
 彼自身はもとよりメンバーやスタッフの生活の糧を得ることは仕事としての必然である。表に出すことはないにしても、志村家の長男として将来は家を支えていくという意識もおそらくあっただろう。(僕もそうだが、山梨のような田舎で生まれた長男にはそのような意識がまだ残っている)
 志村は職業として音楽家を選択した。そのための努力を惜しむことはなかった。計画作りも綿密に行っていた。彼の発言の記録からその姿がうかがえる。

 彼はDVDチャプター13でこう述べている。


闘っていましたねえ。ホテルのロビーでみんながご飯食べに行っているなか、一人でこうピアノを鍵盤を弾きながら曲を作って、ギター弾いてベース弾いてマイク持ってきてマイクで歌ってレコーダーたてて、曲作って『Stockholm』ていう曲ができて。一刻もこう予断を許さないというか、そんな毎日でしたね、はい。


 志村正彦はフジファブリックという仕事と闘っていた。音楽の創造という純粋な闘いであると同時に、仕事という現実的な闘いでもあった。ルーティーンとしての日々の厳しい仕事に耐えること。スウェーデンレコーディングの記録映像はその闘いの軌跡も描いている。

2019年9月1日日曜日

音楽との闘い [志村正彦LN231]

 志村正彦にとってスウェーデンは闘いの場であった。これまでもこれからも「ずっと闘っている」という意志と予感が確かな確信として彼にはあった。前回そのように書いた。
 ここで以前紹介した 『bounce』 310号(2009/5/25)のインタビュー(文:宮本英夫)をもう一度引用したい。宮本氏の問いかけに対して志村はこう述べている。


最後にひとつ、確かめたいことがあった。前作のインタヴューの際に彼は、これまでの作品のすべてに〈vs.精神〉があると言い、ファースト・フル・アルバムは〈自分vs.東京〉、2作目は〈自分vs.日本のロック・シーン〉、そして3作目は〈いまの自分vs.ティーンエイジャーの自分〉と語ってくれた。では、このアルバムはどうなんだろう?

「今回は〈音楽家の自分vs.自分〉という感じです。自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘いです。その答えはまだ出ていないですね。これから出たらいいなと思います」。


 ここにも、「自分はちゃんと立派なミュージシャンになれたのか?ということとの闘い」という発言がある。〈自分〉が〈音楽家の自分〉になるための闘いを志村自身が証言している。
 この宮本英夫氏による記事とも関連するもう一つの記事がある。同じく『CHRONICLE』発表時に『musicshelf』というwebで次のように語っている(文:久保田泰平氏)


ファースト・アルバムは東京vs.自分、セカンド・アルバムは当時の音楽シーンvs.フジファブリックっていうテーマがあって。で、前作の『TEENAGER』は東京vs.東京が好きになった自分、なんでもない日常だけど前向きに生きていればいいことあるさっていうテーマがあったんですけど、そこで思い描いていた自分のイメージにその後の自分が届いてないように思えたんですね。だから、今回は音楽vs.自分みたいな、そのぐらいまで根詰めてやってましたね。


 『bounce』 の記事(宮本英夫)と『musicshelf』の記事(久保田泰平氏)のアルバムごとの説明を併記してまとめてみよう。

 1st  2004年11月10日 『フジファブリック』
     〈自分vs.東京〉 〈東京vs.自分〉

 2nd 2005年11月 9日  『FAB FOX』
        〈自分vs.日本のロック・シーン〉 〈当時の音楽シーンvs.フジファブリック〉

 3rd 2008年1月23日   『TEENAGER』
    〈いまの自分vs.ティーンエイジャーの自分〉 〈東京vs.東京が好きになった自分〉 

 4th 2009年5月20日   『CHRONICLE』
          〈音楽家の自分vs.自分〉 〈音楽vs.自分〉

 説明の違いがあるのは 3rdアルバム『TEENAGER』である。しかしこれも、志村正彦の「いま」は「東京が好きになった自分」にあり、「ティーンエイジャー」の時代は富士吉田にいて「東京」との距離があったことを考えると、説明に矛盾はない。他のアルバムはほぼ同じである。

 二つのインタビューとも最初読んだ時には「vs.」は、対比や対立を表すための記号と捉えていた。しかし、『FAB BOX III』収録インタビューの「ずっと闘っている」という志村の肉声を聞くと、「vs.」は単なる対比・対立の記号ではなく、「闘い」そのものの記号であることにようやく気づいた。

 ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DVD2枚中のDISC1)の「チャプター17」をあらためて再生してみた。志村の「ずっと闘っている」という発言のシーンである。
 このシーンには『ルーティーン』の最後の一節が流されている。


日が沈み 朝が来て
昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね


 志村の「日が沈み」の歌声が聞こえると、それに重なるようにインタビューの声が始まる。前回引用した部分でもある。


僕はたぶん音楽という仕事を続けていくかぎり、ずっと闘っていかなければいけないと思うんですよね。
だから気が休む時なんてほとんどないと思うんですけど、まあそういう日が来たらうれしいと思うんですけど、ないと思うぐらいほんとうに今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね。すごいミラクルが起きた場所だったと思います。


 発言中の「ずっと闘っている」という言葉の直後に『ルーティーン』の「ずっとね」という言葉が流れる。まるでインタビューの声と『ルーティーン』の声とが対話をしているかのように聞こえてくる。志村の二つの声によるデュエットのようなコーラスのような不思議な余韻があった。
 このシーンを編集した須藤中也氏や今村圭介氏の想いが込められた演出なのだろうが、このシーンに僕は心を揺さぶられた。ある種の啓示を得たような気もした。
 「折れちゃいそうな心だけど/君からもらった心がある」の「君」は「音楽」のことかもしれない。解釈はいろいろとあってよい。聴き手の自由である。『FAB BOX III』のこのシーンから、「音楽からもらった心」という意味合いが新たに伝わってきた。「今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね」という発言にも新たな意味が加えられた。

 志村の「音楽からもらった心」は、音楽を深く愛した。そして音楽から深く愛された。彼は音楽家を志した。しかし、音楽家となるのは闘いであり、闘い続けることであった。昨日も今日も、そして明日も明後日も明々後日も、ずっと闘っている。そのような闘いであった。
 
 音楽は愛である。音楽を創造することは音楽を愛することであるが、音楽と闘うことでもあった。 


2019年8月25日日曜日

闘いの場 [志村正彦LN230]

 「ディレクターズカット版 “CHRONICLE” スウェーデンレコーディング」(『FAB BOX III』「Official Bootleg Live & Documentary Movies of "CHRONICLE TOUR"」DVD2枚中のDISC1)には、ストックホルムでの記録映像が1時間17分ほど収録されている。特に、新たに公開された志村正彦やメンバーのインタビューが貴重である。撮影を担当したのは須藤中也氏(中也さん)。彼が撮った映像がなければ『FAB BOX III』は今の形では成立しなかっただろう。

 フジファブリックは『Sugar!!』『同じ月』の日本での録音を終えて、スウェーデンへと旅立つ。成田空港でパスポートを忘れた中也さんがなんとか出発に間に合うシーンも収められている。一行はSAS(スカンジナビア航空)に乗り、コペンハーゲンでトランジットしてストックホルム空港へ到着。空港ロビーで楽しそうに話したり、楽器や機材が壊れていないか確認したりと、海外ならではのシーンが続く。
 
 冬のストックホルムは雪や氷で覆われている。宿泊したホテルの近くにはスルッセンがあり、そこから眺めるガムラ・スタン(旧市街)のシーン。僕と妻も2年前の夏にこのあたりに泊まり、夜と昼に数時間かけて街を歩いた。ヨーロッパの旧市街は歩いてみることによって、その歴史や現在を身近に感じることができる。DVDには記憶の中の風景と重なる映像もあった。

 1月19日から2月12日まで三週間を超えるレコーディングがMonogramスタジオで始まる。志村正彦はこのスウェーデンレコーディングについてある決意を述べている。


スウェーデン、そうですね、僕は闘いに行きましたからねえ。
だから闘いの国でしたよ、やっぱり。


 その「闘い」の記録が様々なシーンによって構成されている。スタジオとホテルの往復生活。志村はホテルに帰ってからも一人で部屋にこもって制作を続ける。思い描いたように録音できた時の充実した表情。メンバーとのやりとりの中での笑顔。次第に疲労が蓄積されていく様子。「自分」と闘う志村の姿が映像に刻み込まれている。

 2月8日、『ルーティーン』を録音してレコーディング完了(翌々日が本当の最終日だったが)。2月9日、メンバー四人で船に乗ってユールゴーデン地区の動物園に遊びに行く。スケートをする子どもたち、戯れるメンバー。この日は天気も晴れていて、のどかなおだやかな雰囲気に心が安らぐ。過酷なスタジオ録音の終了後にこうした時間を持てたことは喜びだったろう。


 以前、『FAB BOX III 上映會』の記事で、上映のラストに映像に被さる形で志村正彦の「闘っている」という言葉が最も印象に残ったと書いた。その際に、『FAB BOX III』で正確な発言を確認したいと記した。このDVDにそのシーンがあったので文字に起こして引用したい。


僕はたぶん音楽という仕事を続けていくかぎり、ずっと闘っていかなければいけないと思うんですよね。
だから気が休む時なんてほとんどないと思うんですけど、まあそういう日が来たらうれしいと思うんですけど、ないと思うぐらいほんとうに今もたぶん将来も音楽に夢中でしょうし、ずっと闘っている、と思いますよね。
すごいミラクルが起きた場所だったと思います。


  「すごいミラクルが起きた場所」というのは文脈上、スウェーデンを指すのだろう。志村正彦はスウェーデンに闘いに行き、その意志の通りにすごいミラクルを起こした。スウェーデンは闘いの場でありミラクルの場であった。そして、これまでもこれからも「ずっと闘っている」という意志と予感が、確かな確信として彼にはあったのだろう。


[付記]数日前、このblogのページビュー数が25万を超えました。記事を読んでいただいている方々、tweetして紹介していただいている方々に感謝を申し上げます。