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2019年11月4日月曜日

SONGS11月2日 槇原敬之『若者のすべて』[志村正彦LN239]

一昨日の11月2日、NHK「SONGS」を見た。槇原敬之が予告通り、松任谷由実『Hello, my friend』、フジファブリック『若者のすべて』、エルトン・ジョン『Your Song』を歌った。

 『若者のすべて』のパートでは、最初に『若者のすべて』ミュージックビデオを説明のナレーションと共に放送した。志村正彦の歌う姿が視聴者にまず届けられた。その後「桜井和寿 柴咲コウ 藤井フミヤなど さまざまなアーティストがカバー」というテロップもあった。
 槇原敬之がこの歌との出会いと魅力を語った。その一部分を文字に起こしたい。


この曲はもうほんと雷を打たれたような衝撃がありましたね。たまたまなんかテレビかなんか見てたらかかって、誰が作ってんだと思っていたら、フジファブリックさんというバンドが作ってて、しかも衝撃だったのは作られた方はもうお亡くなりになられていたということがあって、だから僕はすごく後になってからこの歌を知ったんですよ。


この発言中に画面に次のテロップが表示された。


「若者のすべて」を作詞作曲したVo/Gtの志村正彦は 2009年に亡くなった


 続けて槇原はこう述べた。


一番好きなのはもちろんメロディと曲の世界観なんですけれども、一番すごい好きなところがあって「まぶた閉じて浮かべているよ」 


 「まぶた閉じて浮かべているよ」を口ずさみながら発言した後で、この部分のコード進行に言及する。自ら歌い、キーボードに弾かせながら、普通と異なるコード進行を実演して説明していた。槇原のコメントを簡潔にまとめた次のテロップが流された。


あえて不安定なコード進行を使うことで青春時代特有の情緒を表現している


この箇所をほんとうにすごい、すごい好きですと繰り返し述べていたのが印象的だった。


今年50歳を迎えた槇原敬之が若者の心の揺らぎをマッキー流に届ける


というテロップがあり、歌唱のシーンに入っていった。

 この日のSONGSライブでは、歌い手もバンドマンもそこに現前しているということがあり、CD音源ヴァージョンとは印象が少し異なり、より自然で重厚なグルーブ感があった。
 槇原の歌い方から、「若者の心の揺らぎ」そのものではなくて、50歳という年齢から来るものであろうか、「揺らぎ」を振り返る視線から歌われているように感じた。年齢を重ねると、「揺らぎ」は次第にその揺れの幅を縮めていくが、それでも「揺らぎ」そのものが消失することはない。「揺らぎ」の中心点は時を超えて持続していく。年齢を重ねたものだからこそ歌うことができるリアリティがあった。
 でもそれは、槇原の現実の年齢とこの歌の解釈からもたらされたリアリティであって、オリジナルの志村正彦・フジファブリックの『若者のすべて』の伝えるリアリティとは当然だが異なる。そのことは確認しておきたい。

 実は志村は槇原と遭遇していた。志村日記2004.4.21の記述に「4月20日分」と題してこうある。(『東京、音楽、ロックンロール 』42頁)


 昨日の日記にも書いた通り、本日は招待制ライブだった。割とリラックスして出来た感じ。
 前回同様、いくつかのアーティストと共演した訳でありますが、最後に槇原敬之さんがシークレットで出演。なんというか…感動。声に。感動ですねえ。ほんとよく聴いていたんで。玉置浩二ばりに。
 楽屋で少し挨拶をしたんだけれど、恐ろしいくらいに腰の低いお方でおられた。
 そういえば、今まで話したミュージシャンで厭な感じの人って本当にいないと思う。イヤイヤほんとに。


 前日の日記を読むと、このライブは「東芝EMIコンベンションライブ」だったようだ。この時、志村正彦は槇原敬之に確かに会っていたのだが、楽屋での少しの挨拶であり、何人もの共演者や関係者がいただろうから、槇原からすると、まだデビューまもない志村正彦・フジファブリックを記憶にとどめる出会いではなかったのかもしれない。『若者のすべて』に衝撃を受けてからあらためて、志村正彦という存在を知ったのだろう。

 引用した志村の発言を読むと、槇原敬之の「声」に「感動」している。確かに槇原の「声」には独自な魅力がある。どの歌も最終的には「声」の質感のようなものにたどりつく。『若者のすべて』は特に「声」の質や力に左右される歌ではないだろうか。
 志村正彦の『若者のすべて』の声には独特の肌理がある。声は遠く彼方から訪れてくる。聴き手は声の肌理を感じとる。そして声は過ぎ去り、遠く彼方へと戻ってゆく。それでも声の肌理、その感触は聴き手の心にとどまる。

    (この項続く)

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