11月15日谷崎潤一郎「母を恋うる記」(甲府文と芸の会第2回公演)

10月1日から申込の受付を開始します。 右下の〈申込フォーム〉から一回につき一名お申し込みできます。記入欄の三つの枠に、 ①名前欄に〈氏名〉②メール欄に〈電子メールアドレス〉③メッセージ欄に〈11月15日公演〉とそれぞれ記入して、送信ボタンをクリックしてください。三つの枠のすべてに記入しないと送信できません(その他、ご要望やご質問がある場合はメッセージ欄にご記入ください)。申し込み後3日以内に受付完了のメールを送信します(3日経ってもこちらからの返信がない場合は、再度、申込フォームの「メッセージ欄」にその旨を書いて送ってください)。 *〈申込フォーム〉での申し込みができない場合やメールアドレスをお持ちでない場合は、チラシ画像に記載の番号へ電話でお申し込みください。 *申込者の皆様のメールアドレスは、本公演に関する事務連絡およびご案内目的のみに利用いたします。本目的以外の用途での利用は一切いたしません。

2022年6月19日日曜日

歌詞研究と専門ゼミナール(1)[志村正彦LN308]

   『志村正彦全詩集新装版』(2019年)の重版が決定したそうだ。詩集で重版ということはなかなかない。2011年刊行の元版とあわせて、かなりの部数になるだろう。番 歌、音源としてだけでなく、活字の言葉、「詩」としても、志村の作品は人々に愛されている。

 前回、「志村正彦の世界」という山梨学の講義を紹介したが、担当しているゼミナールでも志村正彦・フジファブリックの作品をテーマにして、3回に分けて演習を行った。

 今年3月卒業したゼミ生の一人が、「オノマトペ・音の持つ想像-フジファブリック・志村正彦の詩と演奏」という題で卒業論文を書いた。「追ってけ 追ってけ」「打ち上げ花火」「銀河」の三作品を主な対象にして、オノマトペという観点から作品を考察した。歌の主体の描写のありかたについての独創的な分析もあり、優れた論文となった。卒論発表会の際に他の教員からも評価された。

 今年度の3年次専門ゼミナールの学生は10人いる。このうちの半数ほどが、ロックやポップスの歌詞を研究する予定だ。大学という場であるので、アカデミックな歌詞研究が求められているが、アカデミアの中でロックやポップスの歌詞研究が進んでいるとは言えないだろう。また、その方法論が確立されているわけでもない。比較的多いのは、データ分析に基づく計量国語学的研究だが、この研究では歌詞の構造やモチーフについての深い分析は試みられていない。視野を広げれば、人々に支持された歌詞から聴き手の心情や時代精神を探る社会学的な観点での研究もあるが、こちらの方も歌詞自体の丁寧な分析は不充分であろう。


 音楽学・ポピュラー音楽の研究者である増田聡は、『聴衆をつくる―音楽批評の解体文法』(2006年)の第4章「誰が誰に語るのか―Jポップの言語行為論・試論」で、英国の社会音楽学者サイモン・フリスの歌詞論を参照して次のように述べている。少し長くなるが引用したい。


 ポップソングのコミュニケーションには特有の重層性がある、とサイモン・フリスは言う。彼によれば、ポップソングが聴かれるとき、われわれは実際には同時に三つの意味の水準を聴くことになる( Simon Frith   Performing Rites: On the Value of Popular Music 1996 :159)。一つはことばとしての「歌詞」である。それは読まれるものとしての詞であり、言語的な水準で意味作用をなす。次に「レトリック」であり、それは歌唱という言語=音楽行為が行う、音楽的発話の特性に関わる。歌における語調や修辞法、あるいは音楽とのマッチングや摩擦などが、単に歌詞を読むのとは異なる意味形成を生じさせる。最後に挙げられるのが「声」である。声はポップの文脈ではそれ自体が個人を指し示し、意味形成を行う。このことはクラシックの歌唱と比較してみれば明瞭であろう。クラシックの歌手の声は楽器と等しく、取り替え可能なものであるが(異なる歌手が同じ歌曲を歌っても、その曲の「意味」はさほど変わらない)、ポップの歌手はその声自体が独自の意味作用をもたらす。同じ歌を違う歌手が歌うとき、両者の意味は明らかに異なるのだ。
 このような三つの水準でわれわれはポップソングを聴く。それぞれのレベルは、各々独自の意味と質的評価を伴うだろう。このような複数の水準が関与する様態こそが、優れた「歌われる歌詞」が必ずしも優れた「読まれる詩」ではないことの要因となる。歌われる歌詞は歌詞自体とその言語行為、および声の質との関係の中で評価されるのだから。ゆえに、歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析することは可能であっても、どこか見当はずれな感は否めない。ポップソングは何よりもまず、「音楽」として流通し受容されていることを忘れてはならない。


  増田は「歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析すること」を「可能」だとしているが、一方で「どこか見当はずれな感」が否めないことを指摘している。そして、フリスの主張を受けて、歌唱という行為を「歌詞」「声」「歌」「音楽」の四つのレベルに分けることを提唱している。

 私自身が「志村正彦LN」で行っていることは、増田の言う「歌詞の意味や質をそれだけで評価し分析すること」にほぼ該当するだろう。それゆえ、「見当はずれな感」も自覚しているつもりではいる。方法として言語としての歌詞に限定しているが、歌詞の「意味」よりも、歌詞の構造や語りの枠組、歌の主体の在り方、歌詞を横断するモチーフなどに分析を集中させているところには、それなりの特色があるかもしれない。文学研究の方法が根底にあるからだ。また、「声」や「歌」のレベルの分析にも関心はある。特に志村正彦の「声」の魅力についてはこれまで断片的に触れてきたが、まとまった論として書きたいと考えている。


 今年の専門ゼミナールは、洋楽のカバーポップス、漣健児の訳詞、グループサウンズ、早川義夫・ジャックス、松本隆・はっぴいえんどという流れで、60年代初頭から70年代初頭までのポップス、日本語ロックの歌詞の変化をたどった。その後、70年代中頃から現在までの動きを、歌詞の役割の相対的低下という観点で簡単に追った。さらに、冒頭で述べたように、日本語ロックの一つの到達点として、志村正彦・フジファブリックの歌詞を3回に分けて考察していった。

     (この項続く)


2022年6月12日日曜日

「志村正彦の世界」山梨学2022[志村正彦LN307]

 山梨英和大学は四月から、多人数が受講する一部の科目を除いて、対面授業を実施している。キャンパスに学生が戻ってきて、活気があるのは好ましいことだが、当分の間、感染対策と学生の学びとの両立を図らねばならない。

 三年前から「山梨学」という科目を担当してきた。山梨の文化、社会、歴史、地域、観光などを総合的に学び、「山梨」の可能性を探究する科目である。年次の必修科目であり、受講生が200名近くいるので、この科目はオンライン遠隔授業となった。全14回の半分は外部講師、残り半分は僕が〈芥川龍之介と甲斐の国〉〈映画作品に描かれた戦後山梨の風景と社会〉〈山梨のロックの詩人-宮沢和史(ザ・ブーム)、藤巻亮太(レミオロメン)・志村正彦(フジファブリック)〉などのテーマで講義している。

 今年度は、志村正彦・フジファブリックの音楽について、「志村正彦の世界」と題して、独立した1回分の講義を行った。『若者のすべて』が高校音楽の教科書の教材になるなど、志村正彦の評価が確立されてきたからである。山梨学の枠組の中で、山梨出身の優れた音楽家、表現者という観点で取り上げるのにふさわしいという了解が得られると判断した。

 2年次学生に対しては、1年次の際に「人間文化学」というオムニバス科目で、〈日本語ロックの歌詞を文学作品として読む-志村正彦『若者のすべて』〉という授業をすでに実施している。題名からも分かるように、『若者のすべて』の歌詞を文学作品として読解し、分析する方法を中心に置いている。今回の山梨学では、志村正彦の全体像に可能な限り接近できるように、次の三つのテーマで構成した。取り上げたい作品はたくさんあるのだが、講義時間は70分程度なので絞らざるをえなかった。


1.『若者のすべて』と系譜的な原点としての『茜色の夕日』

2.四季盤、『桜の季節』『陽炎』『赤黄色の金木犀』『銀河』

3.2009年の歌、『バウムクーヘン』『ないものねだり』『ルーティーン』


 『茜色の夕日』と『若者のすべて』という二つの歌は、言うまでもなく、志村正彦の生の軌跡を表した曲だ。『茜色の夕日』の「できないな できないな」の「ない」は、『若者のすべて』の「ないかな ないよな」の「ない」にもつながっていく。「できない」「ない」。「ない」という不可能なことや不在であることを、志村は繰り返し歌ってきた。この二つの歌は、〈歩いていく〉という共通のモチーフがあるが、志村の歌の軌跡は、「ない」ことを巡る〈歩み〉としても捉えられる。

 山梨学という科目の性格から、富士吉田という地域とその季節感と関わりが深い四季盤の作品は重要である。〈坂の下→路地裏→帰り道→丘〉という富士吉田という場の光景と〈桜→陽炎→金木犀→銀河〉という春夏秋冬の変化が歌詞の中でどのように活かされているのかを話題とした。桜の四季の変化を見通す「桜の季節」の視点、少年期と青年期の二人の自分とそれを見つめる主体という「陽炎」の三つの視点、往路と帰路を見渡す「赤黄色の金木犀」の視点、丘や空から「二人」を俯瞰する「銀河」の視点。四季盤の作品については、視点論を中心に据えた。

 2009年制作のアルバム『CHRONICLE』から『バウムクーヘン』と『ないものねだり』。そして、ストックホルムで最後に録音された『ルーティーン』。〈2009年の歌〉としてこの三曲を取り上げた。『CHRONICLE』についての志村のコメント「"僕"という今の人間は、28年間のなかで、いろんな人と出会ったからこそ形成された"僕"であるし、だからこそ生まれた、自分の分身のような楽曲たちなんですよね」も紹介した。


 この〈志村正彦ライナーノーツLN〉の文章を基にしてSLIDEを作成した。実質的に、この〈ライナーノーツ〉が研究ノートになったわけだが、これは当初まったく想定していなかった。300回を超える記事は各回3000字ほどはあるので、すでに10万字程度、一冊の書物に相当する分量がある。自分で自分のブログのメニュー右側にある「このブログを検索」に検索語を入れて、該当の文章を探していった。すでに記憶が薄れて、この時はこんなことを書いていたのだな、などと発見することもあった。いうならば、過去の自分が今の自分に言葉を送り出している。そんな不思議な感じだった。この作業によってSLIDEを作ったのだが、結局、76頁と多めの量になった。僕の講義スタイルからすると、要点を絞っていけば1分1頁程度可能なので、何とかなるだろうとは思った。

 SLIDEでは、曲ごとに、歌詞をレイアウトし(音声ボタンを作り、クリックすると音源再生)、歌詞の構造を分析して図示した上で、歌詞の技法、表現の特徴を中心とする説明を記述した。志村の作詞と作曲についての姿勢については次のSLIDEなどで示した。




 講義終了後、学生に「振り返り文」を書いて提出してもらった。取り上げた作品の中では、やはり、『茜色の夕日』について言及する者が多かった。『ルーティーン』についてはほとんど知られていなかったが、この曲に惹かれた者も少なくなかった。また、志村の「色々なアーティストの感動する曲」について「すばらしいなあと思いつつも」「ちょっと自分じゃないような感じがする」、「100パーセント自分が聴きたい曲」を探したが「自分が作るしかない」ということに行きついた、という発言に対する反響が大きかった。数多くの学生が〈聴き手中心の歌は、私たちに寄り添ってくれるものであり、自分が表現しきれない気持ちを代弁してくれるようなものだと思う〉、〈志村さんが作る曲の数々がどこか懐かしさを覚え、誰が聞いてもその描かれている情景が目に浮かぶようなものになっていることは、彼自身が一番の聴き手として曲を理解して曲を作られているからなのだなと思いました〉などの的確なコメントを寄せてくれた。

 また、〈人が作った歌は「ちょっと自分じゃないような感じがする」と言う言葉に、自分が創作活動をするときも同じようなことを思うので共感を覚えた。また、「ルーティーン」の歌詞中の「君」は音楽を聞いている私たちなのではないかと感じた〉という捉え方にも感心した。『ルーティーン』の「折れちゃいそうな心だけど 君からもらった心がある」の「君」を「音楽を聞いている私たち」つまり聴き手だとする解釈は、〈聴き手中心の歌〉の本質とも重なる。

 さらに、〈フジファブリックの曲に多くの人が賛同し共感できるのは、この方の歌を通して自己を見つめ自分について考えることができるからではないかと考えました〉という学生の言葉が、志村正彦の世界の核心を捉えていた。


2022年5月29日日曜日

宮沢和史「Paper Plane」

 2016年、宮沢和史は療養のために歌手活動を休止していたが、その後、少しずつ活動を再開し、 2019年5月、ソロアルバム『留まらざること 川の如く』をリリースした。オリジナルアルバムとしては17年半ぶり、4作目となる作品である。

 その中に「Paper Plane」という歌がある。そのミュージック・ビデオと歌詞を紹介したい。

        「Paper Plane」MV(Short ver.)



指先から解き放たれた 紙飛行機は思う
なぜ無様な姿で落ちるために
空(そら)を舞うのだろう

風と風の隙間をぬって
逃げ道を探したけれど
吹きすさぶ風におだてられて
空(くう)を彷徨った

歌は人の人生よりも 先に始まり
後に終わるのだろうか

Paper Plane Paper Plane
北風に抱かれて
キリストが見下ろす街まで 旅に出よう
Fly away Fly away
いつか風が止んだら
あの人が生きる大地に 無様に落ちよう


自分の意思で飛んでいるような
誰か任せの航路のような
誰よりも高く舞い上がるから
落ちるのが怖くなる

夕日の紅(あか)よりも
朝焼けのマゼンダに染まりたいから
眠れない夜も風を探し
空(くう)を彷徨った

愛の歌を書きあげるのには
ほんの少しだけ人生は短い

Paper Plane Paper Plane
木枯らしに誘われ
エイサーが踊る島まで 海を渡ろう
Fly away Fly away
いつか力尽きたら
あの人が眠る大地で 無様に眠ろう


 曲の1番の映像は山梨で撮影されている。甲府市内の風景、甲府盆地の西部を流れる釜無川やその土手が舞台となっている。2番の映像は沖縄のものだろう。宮沢は甲府盆地を逆さまの島と見立ていたことがあったが、このMVでは山梨と沖縄を二つの「美しい島」として描いている。

 このアルバムの制作過程について彼は次のように述べている。( J-WAVE ORIENT STAR TIME AND TIDE 2019.06.08「シンガーソングライターの宮沢和史さん」


去年、もう一回人前に立ってみようと思い立ち、そのためには新曲があったほうがいいなと思って原点に帰る意味で出身地でもある山梨県の山の中に小屋を借りてギターだけ持って行って2週間くらい籠もりました。今まではTHE BOOMでもソロにしても音楽的なコンセプトを伝えたいというか、例えばブラジル音楽とロックの融合であったり、どうすれば沖縄の音楽をポップスに変えられるかといったサウンド面での勝負みたいなことが僕の音楽人生でしたが、ギターとドラムとベースだけのシンプルな編成でミドルテンポでも言いたいことが伝えられて自分自身の身の丈を表現できるということに気付いた2週間でした。それは貴重な体験だったし、アルバムに上手くパッケージできたかなと思っています。


 もともと彼の出発点にあったのはフォークであり、シンプルな編成のロックであった。山梨の山小屋で籠もって作った楽曲は原点回帰と捉えられる。歌詞も、五十歳を超えた時点からの過去への振り返りがある。

 同じ記事の中で、甲府についてこう語っている。

すり鉢の底のようだと表現した人がいましたけど盆地なので隠し事ができないし人の噂がすぐ耳に入ってきてちょっと窮屈だけど裏を返せば誰もがお互いのことを知っているので困った人がいたりすると誰かが手を差し伸べてくれるというか。イメージは真逆かもしれませんが沖縄も海に囲まれていて閉鎖的な部分もありますが沖縄の人と交流するようになって似ているところが多いと感じるようになりました。


  「すり鉢の底のようだと表現した人」というのは、太宰治「新樹の言葉」の〈よく人は、甲府を、「擂鉢の底」と評しているが、当っていない。甲府は、もっとハイカラである。シルクハットを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない。きれいに文化の、しみとおっているまちである〉と関連があるのだろう。

 太宰が言うように、甲府は明治大正期から昭和初期にかけて「きれいに文化の、しみとおっているまち」だったようだ。昭和20年の甲府空襲で中心部が焼失してしまった後は、田舎の小都市になってしまった。最近はだいぶ薄れては来たが、それでも、宮沢の言うように、盆地の地形から来るある種の閉鎖性とそれゆえの人間関係が支配するところでもある。その濃密さは時に窮屈ではあるが、時に相互扶助的なものをもたらす。

 甲府盆地は四方の険しい山々によって、沖縄は四方の海によって、外部と隔てられている。外部との交流が少ない地である。内向きな土地柄であるが、それゆえに、外への屈折した夢や憧れもある。


 このような地を脱して、宮沢は東京へ出て行った。しかし、その後、第二の故郷ともいえる沖縄に出会った。その沖縄には山梨と似た人間関係があると述べているところが興味深い。そのような山梨と沖縄の共通項を考えると、「Paper Plane」の歌詞の味わいがさらに深くなる。

 歌詞1番の「キリストが見下ろす街」は、ブラジルのリオデジャネイロを指しているのだろう。宮沢はブラジルに出かけてライブも行った。2番の「エイサーが踊る島」は沖縄だ。この歌は、山梨から、沖縄、ブラジルへという旅がモチーフになっている。

  人生の行路を〈紙飛行機〉の飛ぶ軌跡に重ね合わせる。〈空(そら)を舞う〉〈空(くう)を彷徨った〉。〈そら〉と〈くう〉に呼び方を変えながら、〈空〉から〈無様な姿で落ちる〉〈紙飛行機〉を想う。

〈歌は人の人生よりも 先に始まり/後に終わるのだろうか〉〈愛の歌を書きあげるのには/ほんの少しだけ人生は短い〉という声は、〈紙飛行機〉の空を切る音、音とも言えない静かな音のようにも聞こえてくる。その〈紙飛行機〉の微かな音と自分自身の声を宮沢は重ね合わせているのだろう。宮沢はこう述べている。(「再始動コンサート中の宮沢和史、ニューアルバムも発表」チケぴ  2019/6/21


自分の飛行、すなわち人生の航路が“ぶざま”であると自覚したことはとても素晴らしいことだと思っています。これからはカッコつけず、自然な旅ができる気がしています。


 「島唄」は〈このまま永遠に夕凪を〉という平和への祈りを込めた歌だった。宮沢はこの歌を三十年にわたって歌い続けてきた。そうではあるのだが、「島唄」が人々に求められなくなった時こそが平和が訪れる時でもあるという逆説もある。そのことに宮沢は自覚的であり、そのような発言もしている。「島唄」のような歌になると、そのような運命を背負っているのかもしれない。

 「島唄」が歌われ続けるのがこの世界の現実である。これからも宮沢は歌い続けるだろう。しかし、〈自然な旅〉も歩んでいってほしいとも思う。一人の聴き手としてそのように望んでいる。


【付記】山梨日日新聞社の創刊150年記念ライブ、宮沢和史&藤巻亮太ライブ「おなじ空の下で」が7月1日(金)甲府・YCC県民文化ホールで開催される。抽選で600名が無料招待となる。(応募はサンニチのwebから可能)。後日、アーカイブ配信もあるようだ。

 このライブの題名は「おなじ空の下で」。「若者のすべて」の最後のフレーズ「僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ」が浮かんでくる。志村正彦が存命であれば、おそらく、宮沢和史、藤巻亮太、志村正彦のライブになったことだろう。同じ空の下で三人が歌い、そして、山梨について語りあっただろう。

2022年5月15日日曜日

沖縄復帰50年。島唄。

 5月15日。1972年のこの日に沖縄が日本に復帰してから半世紀が経った。当時の僕は中学生だったが、新聞やテレビのニュースで大きく報道されたことは記憶に残っている。

 山梨の僕にとっては、沖縄は遠い遠い地だった。70年代の半ばから、沖縄のロック、コンディション・グリーンや紫が注目されるようになった。二つのバンド共に、ハードロックやブルースロックなどの洋楽のサウンドだった。その後、喜納昌吉とチャンプルーズの「ハイサイおじさん」によって、沖縄民謡のリズムや音階に基づくロックも聴くことになった。僕にとっての沖縄は、音楽の比重が大きかった。

 高校生の頃、僕は『ミュージック・マガジン』や『話の特集』で竹中労の記事を読んだ。『琉歌幻視行 島うたの世界』(1975年)も読み、〈琉歌〉の存在を知った。労の父、竹中英太郎は山梨日日新聞社の記者だったことがあり、戦時中と戦後の一時期まで、労は甲府に住んでいた。労は甲府中学(現在の山梨県立甲府第一高等学校、僕の母校でもある)で学んだのだが、校長退陣運動で退学となる。高校の恩師が労の同級生だったので、その時の話を少しだけ聞いたことがある。


              表紙画:竹中英太郎


 竹中労には『美空ひばり』や『ビートルズ・レポート』など音楽に関する著書が多いが、70年代初頭から、琉歌沖縄民謡のレコードをプロデュースしたり、コンサートを企画したりして、嘉手苅林昌を始めとする島唄を紹介した仕事も特筆される。竹中労によって、島唄に出会った「本土」の人間は少なくないだろう。

 父の英太郎は甲府で暮らしたが、優れた挿絵画家でもあった。没後の1989年、労の監修による回顧展が甲府のギャラリーで開催された。当時は山梨県立文学館に勤めていたので、その仕事もかねて、展覧会を見に行った。会場に竹中労がいた。おだやかな表情をしていた。何か話しかけたかったのだが、結局、話しかけることはできなかった。その二年後、労は63年の生涯を閉じた。

 甲府市の湯村には、英太郎の娘、労の妹である竹中紫が館長を務める「竹中英太郎記念館」がある。英太郎の作品や労の資料が展示されている。竹中英太郎・労の父子にとって、甲府は第二の故郷ともいえる地だろう。今日5月15日の山梨日日新聞の「FUJIと沖縄」シリーズの「山梨関係者の足跡息づく」で、「竹中労 島唄を通し文化紹介 復帰問題問い続ける」という題の記事があった。その中で、竹中紫さんの「兄の後半生は島唄と共にあった。島唄を愛し、愛された人」という言葉が紹介されている。


 島唄というと、やはり、THE BOOM・宮沢和史の「島唄」が思い浮かぶ。ほとんどの音楽ファンにとっても同様だろう。「島唄」についてはこのブログで何度か書いてきたが、今日は、「THE BOOM - 島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」の映像とオリジナルの歌詞を紹介したい。


      THE BOOM - 島唄 (オリジナル・ヴァージョン)



   THE BOOM  島唄
   作詞:宮沢和史 作曲:宮沢和史 

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た 

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た 
くり返す悲しみは 島渡る波のよう 

ウージの森であなたと出会い 
ウージの下で千代にさよなら 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙 

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ 
ささやかな幸せは うたかたの波の花 

ウージの森で歌った友よ 
ウージの下で八千代の別れ 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 

海よ 宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠に夕凪を 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙 

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ 
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を 


 「島唄」は、1992年1月22日リリースの4枚目アルバム『思春期』で発表された。このアルバムは「子供らに花束を」など聞き手に問いかける作品が多かったが、なかでも「島唄」は印象深い作品だった。

 前作、1990年9月発売の3枚目アルバム『JAPANESKA』に沖縄民謡・音階を取り入れた「100万つぶの涙」があったが、「島唄」はその歌詞の世界において、沖縄戦とその犠牲者への想いを歌っていた。宮沢の転機となる作品だという直観があった。しかし、その時点ではその後の展開はまったく想像できなかった。翌年1993年6月、この「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」シングルが発売されて、大ヒットとなった。この映像には若々しい姿と声の宮沢和史がいる。


 あらためてこの歌を聴くと、〈でいごの花が咲き〉〈でいごが咲き乱れ〉〈でいごの花も散り〉〈うたかたの波の花〉というように、〈花〉の表象の変化のなかに、沖縄戦の犠牲者への想いが表現されている。 宮沢和史の歌詞には、志村正彦や藤巻亮太と同じように、自然の風景や景物がよく描かれる。山梨のロックの詩人には、自然を描くことから、自己の存在、社会や歴史の出来事、世界の在り方を問いかける歌が多い。

     

  西日本新聞の記事〈「島唄よ海を渡れ」宮沢和史、歌い続け縮めた心の距離 沖縄復帰50年〉(2022/1/31)の中で、宮沢の想いが次のように述べられている。 


 完成しても発表には迷いがあった。「ヤマト(本土)の人間だし、戦争も知らないし」。山梨県出身の自分が歌っていいのか、不安を抱えながら世に送り出した。

 CDは150万枚超を販売する大ヒットとなる。応援の一方、批判の声も大きく響いた。「民謡をろくに知らないヤマトンチュ(本土の人)が」「ウチナー(沖縄)の音階を使うな」

 平和を希求する沖縄戦への鎮魂歌だ、と言いたい。でも、言葉でそれを訴えるのは音楽家として敗北だと思った。「歌い続ければ、本当の意味を分かってもらえる。いつかは心に染みていくはず」。そう信じた。


 沖縄復帰50年の今日、島唄と深い関わりのある山梨ゆかり・出身の二人の人物、竹中労と宮沢和史のことを書いた。竹中労が亡くなったのは1991年、宮沢和史「島唄」が生まれたのは1992年。山梨出身の青年が「島唄」を作ったことを労は喜んだに違いない。

 宮沢の〈歌い続ければ、本当の意味を分かってもらえる。いつかは心に染みていくはず〉という発言は重い。歌は、言葉による説明ではなく、歌うという行為であるのだから。

 歌が心に染みいることによって、何らかの形で、現実に働きかけることを信じたい。


2022年5月8日日曜日

「若者のすべて」-上白石萌音『こえうた』『関ジャム 完全燃SHOW』『MOUSA1』[志村正彦LN306]

 昨夜、5月7日の夜10時55分から、NHK総合テレビの番組「こえうた」で、上白石萌音が、志村正彦作詞作曲の「若者のすべて」を歌った。

 「こえうた」は、若い世代から募集した「わたしの推し曲」をもとに構成した新たな音楽番組。事前に、上白石が「『若者のすべて』、高校生の時から大好きです。素晴らしいアレンジに『すべて』を乗せて、福岡からお届けします!」と述べていたので、楽しみにしていた。ここ数年の活躍はめざましい。特に、テレビドラマ『ホクサイと飯さえあれば』(毎日放送)での演技が良かった。料理を作る楽しさや味わう喜びを上手に演じていた。

 「若者のすべて」が紹介された際に、志村正彦・フジファブリックのMVが少し流れた。画面には、「「若者のすべて」を上白石萌音が歌いつなぐ」「2007年に発表されて以降多くのアーティストがカバー。今年音楽の教科書にも記載され世代を超えて愛される」というテロップも表示された。

 この番組は生放送で、「若者のすべて」は福岡からの中継だった。しかも番組のトリだったので、聴く側にも臨場感が生まれる。無事に歌い終わってほしいという、緊張感のようなものもあった。

 2番の歌詞が省略された3分ほどの短縮版。フルコーラスで無かったのが残念だった。地上波の生放送という制約上、仕方がなかったのかもしれない。ピアノ、ハープ、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの6人編成によるアコースティックヴァージョン。アレンジは河野圭。プロデューサー、作曲家、編曲家、キーボーディストとして豊富な実績のある方だ。

  上白石萌音の声は透明感がある。女優らしい表現力もある。身体から言葉が溢れ出てくるように歌っていた。特に、「ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ」のフレーズ。この歌は、〈まぶたを閉じる・開ける〉というモチーフが全篇に貫かれている。上白石は、まぶたの動かし方、その表情の変化によって、この歌の言葉の世界を伝えていた。

 ミュージカルの経験が豊かなので、あたかも、ミュージカル「若者のすべて」のクライマックスシーンのようにも感じた。(志村正彦の作品によるミュージカルというアイディアはどうだろか。主演はもちろん上白石萌音。「茜色の夕日」から「若者のすべて」へと続いていく一人の若者の物語。そんなことを空想した)

 NHK MUSICのtwitterで、本番間近の“声”が紹介されていた。上白石は次のように述べていた。

フジファブリックさんの「若者のすべて」歌わせていただくんですけど、 当時若い頃聴いていらしたという方もいらっしゃれば今もなお聴き続けられている名曲だと思います。

ほんとうに言葉が素晴らしいですし、歌えば歌うほど名曲だなと思うので、大切に尊敬の気持ちを込めて、届くように歌わせていただきます。


  「ほんとうに言葉が素晴らしい」こと、「大切に尊敬の気持ちを込めて、届くように」歌うこと。上白石萌音は、志村正彦の言葉を深く理解し、尊敬している。なによりも「届くように」歌うことは、志村の歌に対する根本的な在り方でもあった。この番組はNHKプラスで5/14(土) 午後11:40 まで配信中である。


 一昨日の5月6日、テレビ朝日「関ジャム 完全燃SHOW」の特番「関ジャムJ-POP史 最強平成ソングベスト30!!」で、「若者のすべて」が4位になった。平均年齢25.8歳の若手人気アーティスト48名に一斉アンケ―トを実施した結果だ。この番組の放送を見ることはできなかったのだが、GYAO!で配信されていることを知った(5月13日(金)まで)。ありがたい。早速視聴した。

 「若者のすべて」は「根強い支持を得る 伝説的ロックバンド代表曲 バンドF」として紹介された。「若者のすべて('07) フジファブリック 作詞作曲 志村正彦」というテロップのもとにミュージックビデオが流された。その間に、若手アーティストのコメントが添えられていた。その言葉を引用したい。

   

  • 私の青春の一曲です。  kiki vivi lily(シンガーソングライター)
  • いつ聴いても胸を締めつけられる    PORIN(Awesome City Club)
  • 日本人なら誰もが共感してしまうような歌詞の情景、世界観   baratti(Nagie Lane)
  • 高校生の時にCDショップで流れていてあまりにも自分の心情とリンクしていて思わず立ち止まった     秋山黄色(シンガーソングライター)
  • 体験したわけじゃないのにタイムスリップした気持ちになれる     やまもとひかる(ベース&ボーカル)
  • あまりフォーカスされない、夏も終わり特有の侘しさをまるで独り言を言うように歌詞や歌で表現されています。その等身大なニュアンスに共感を覚えます。サビ前のギターフレーズからのピアノの掛け上がりがとてもドラマチック。  PORIN(Awesome City Club)
  • 夏が終わっていく夕暮れや街灯の灯りがつく時間の空気などを切実に感じられる。全詩がパンチラインなのがたまらない。    くじら(ボカロP)


 若手アーティストのコメントは、当然といえば当然だが、的確にこの作品の本質を捉えている。何よりも、この歌に対する愛が感じられる。「若者のすべて」は歌というものの本質に立ち戻らせる力がある。この時代、想いを歌うという本源が失われがちだ。だからこそ、若手アーティストのなかの鋭敏な歌い手たちは「若者のすべて」という2007年の作品を新鮮な驚きと共に見出した。この歌は、現在の音楽シーンに決定的な影響を与えている。さらに、これからの音楽シーンにも。この半世紀に及ぶ〈日本語ロック〉の最高の到達点であるのだから。歌い手の想いの深さと伝える力、卓越した言葉の表現と楽曲の構成の技術がこの歌にはあるのだが、そんなことを誇示することもなく、つつましく、さりげなく、存在している。そのたたずまいが「若者のすべて」である。


 ゴールデンウィーク中に、その他の番組でも「若者のすべて」が取り上げられたようだ。この4月から、高校音楽Ⅰの教材として採用されたのも、大きな流れでは、この評価の高まりと連動しているのだろう。

 その教科書、教育芸術社の『MOUSA1』を入手できた。教科書はだれでも購入できる。近くの教科書取次店で注文すればよい。私も甲府市内の取次店で取り寄せた。想像していた以上に、沢山の楽譜が掲載されていたが、「若者のすべて」は、初めの方のP.16・17に見開き2頁で掲載されていた。やはり、この教科書の「押し曲」なのだろう。嬉しく、誇らしいのだが、教科書の頁に志村正彦の名があるのは、どこか不思議な感じもする。


 音楽教科書掲載、最強平成ソング4位、そしてNHK総合テレビの生放送と、この歌の評価は高まるばかりだ。〈「運命」なんて便利なもので〉語ることは慎むべきかもしれないが、この歌の運命に想いを巡らせてしまう。「若者のすべて」は、自らの運命に向かって、2007年のリリースから〈そっと歩き出して〉いった、というように。

 すでに15年間の歩みがある。2022年、志村正彦の「若者のすべて」は、人々に聴き継がれ、歌い継がれ、愛されていく。



2022年4月24日日曜日

現実

 2016年の夏、ロシアに旅行した。モスクワとサンクトペテルブルクの二つの都市を回った。

 モスクワの空港の手荷物検査は2回あった。自動小銃を持った警備員もいた。入国審査も他のヨーロッパの国に比べて厳しかった。凄いというほどでもないにしろ、何かしらの緊張感があった。

 サンクトペテルブルクといえば、ゴーゴリの『外套』そしてドストエフスキーの『白夜』。この二つの作品には思い入れがあるので、そのゆかりの場所を見た。エルミタージュ美術館のコレクションは素晴らしかったが、その割に観覧者が触れられそうな距離に展示されているなど、展示の仕方がおおらかなことに驚いた。

 モスクワ。赤の広場、クレムリン。私たちの世代では、この地はロシアというよりもソ連、ソビエト社会主義共和国連邦の中心地という印象が強いが、かつての社会主義の要塞といったイメージはなかった。観光客が多く、賑わいを見せていた。土産店には、ソ連・ロシアの歴代の指導者(書記長や大統領)から成るマトリョーシカがあり、人形の顔を見てその名を思いだしていった。

 空港でも街でも、ユーラシア大陸の様々な民族を見かけた。私もいきなりロシア語(だと思う)で話しかけられたことがあった。その時は少し特徴のある黒い帽子を被っていた。帰国して調べると、キルギス人の被る帽子に似ていたので、もしかしたら、キルギス人に間違えられたのかもしれない。キルギス人は日本人と似ていると言われている。ロシアは、多様な民族から構成されているユーラシアの大国であると妙に納得した。 

 学生時代を振り返る。ロシア・フォルマリズムの文学理論。ロマーン・ヤーコブソンの言語理論。構造主義、物語の構造分析、記号論の源流。そして、ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの詩学』。私たちの世代の学生で文学理論に関心のあるものにとって、必読の文献だった。ポリフォニーの理論は大きな影響を与えた。ロシアの文学理論は、1910年代から30年代、今から百年前に発展し、その後深化していった。

 私にとってロシアは何よりも、文学と言語の理論の国であった。


 ロシアのウクライナ侵略から二ヶ月が経つ。

 私が知っていることは、ニュース映像やネットの情報で得たものに限定されるが、その一部になんらかの虚構がある可能性を排除できないにしても、その情報源が多様な媒体からもたらされていることを考慮すると、総合的に判断して、それらの情報がこの侵略の〈現実〉を伝えていることは間違いないだろう。

 国際政治にも国際法にも全くの素人である私がこのブログに書くことがあるとしたら、日本という場でのこの現実をめぐる様々の言説、そこで使われる言葉の問題、日本の言論の在り方についてである。言葉や言説についての教育や研究に携わる者として、今日はこの点について書いてみたい。

 この間、特に違和感を持ったのは、〈戦争〉という言葉である。戦争の定義は、通常、〈武力による国家間の闘争〉である(実際にはいろいろな定義があるようだが)。国際法上は、戦争は〈宣戦布告〉により始まり、当事国間に〈戦時国際法〉が適用される。当事国のロシアは戦争ではなく〈特別軍事作戦〉と命名している。それゆえに、と言うべきだろうか、宣戦布告はいまだない。

 日本の言論での〈戦争〉という括り方に違和感を持ち、この問題について考えあぐねていたが、危機管理の専門家、福田充氏(日本大学危機管理学部教授)のツイッターの発言によって、考え方を整理することができた。

福田充 Mitsuru Fukuda@fukuda326 Apr 20
「戦争」というメディア的概念の誤用によって、侵略する側と、侵略される側という圧倒的な関係性の非対称性、権力的な非対称性、コミュニケーションの非対称性が無視されて全てごちゃごちゃに語られる日本の弊害の拡散に、一部の研究者や記者、思想家などインフルエンサーも加担しています。 

 副田氏は、戦争というメディア的概念を〈誤用〉(この誤用という表現は、恣意的な使用あるいは党派的な適用という意味だろうが、まだ充分には理解できていない)することによって、侵略する側と、侵略される側という圧倒的な関係性の非対称性を無視している日本の一部の言論を批判している。確かに、この非対称性を無視どころか否定さえしている論者もいる。

 現実を直視しないで、自分の固定観念だけで考えると、現実の関係性そのものを捉え損ねる。そうするとさらに、現実の関係性よりも、自分自身の理想や観念、主義やイデオロギーによって見出した関係性の方へと思考が横滑りしていく。副田氏の観点に拠るのであれば、関係の圧倒的な非対称性がある種の対称性へと整理されていく。〈侵略する側と侵略される側〉という非対称的な関係が、〈戦争する側と戦争する側〉少なくとも、〈戦争をする側と応戦した側〉という対称的な関係へと置き換えられる。歪められると言ってもよい。

 国際法の専門家、酒井啓亘氏(京都大学大学院法学研究科教授)は3月20日の時点で、次のようにツイッターで述べている。

酒井啓亘(Hironobu Sakai)@UtBeneVivas Mar 20
備忘録として。周知のとおり、国際法の観点からすると、ロシアが主張する個別的自衛権による武力行使の正当化が困難なのは、ウクライナによるロシアへの先行武力攻撃の不存在から明らか。国連憲章51条は、「武力攻撃が発生した場合」に自衛権行使を国連加盟国に認めているから。

 要するに、「先行武力攻撃の不存在」は明白であり、主権国家による主権国家に対する武力の一方的な行使、侵略である。国連憲章も正当な「自衛権行使」を認めている。侵略・攻撃とそれに対する自衛・反撃は、当然、非対称的なものである。この場合、非対称的な関係と対称的な関係との間には絶対的な差異がある。

 しかし、対称的な関係を見出す論者は〈戦争〉として捉えがちである。そうなると、戦争の〈当事国〉同士という対称的な関係によって、いわゆる「どっちもどっち論」によって、「喧嘩両成敗」的な論を提示しやすくなる。当事国に対する中立論や、各々の原因を想定した両論併記論にも陥りやすい。さらに、その背景としての「代理戦争」論や根拠のない陰謀論まで持ち出してくる。このような論によって、当事国を相対化する視線が強くなる。この思考の流れは、その論者をメタレベル的な視点に立たせる。

 このメタレベル的な視点は、結果として、その論者にある種の思考停止をもたらす。そのような傾向を持つ専門家、研究者が一定数いる。意外にも、と言いたいところだが、ある面ではこれは当然なのかもしれない。ある局面で思考停止する方が、自分の主張や学説の一貫性を保つことができるからだ。メタレベルからの俯瞰する視点によって、当事国各々の原因や背景という方向に思考が向かう。当事国が対称化され、結果として、相対化されてしまう。「どっちもどっち論」の循環による思考停止。この現状についての強い違和感がある。

 全ての出来事は、その原因をかなりの次元まで遡ることができる。様々な原因、理由、背景を指摘できるだろう。しかし、それはあくまでも〈論〉にすぎない。あらゆる論は、その論じる主体の姿勢をあからさまにする。無意識の在り方を露呈させる。


 2022年、日本の言説の世界に起こっているのはこのような事態である。専門家や研究者は大学の教員である場合も多いので、この現状には特に関心がある。

 論は論であり、現実は現実である。その現実を、前回紹介したピーター・ゲイブリエルの言葉を再度引用するなら、世界の目が、今、見つめている。そして、この世界の現実に対して、思考停止に陥ることなく、今、この場で、思考を深めていくこと。その思考が現実に対して少しでも何らかの作用を果たすこと。働きかけること。私がこの二ヶ月間で考えて特に伝えたいことをこのブログに書かせていただいた。


2022年4月10日日曜日

Peter Gabriel の言葉

 敬愛するピーター・ガブリエルがこう呟いていた。

 Peter Gabriel@itspetergabriel

 

Mar 16
This horrific, totally unnecessary and barbaric invasion should encourage us to imagine something different for the future - pg


この恐ろしい、全く不要で野蛮な侵略は、将来のために異なる何かを想像することを私たちに強く促しています。


 このメッセージの全文「Out of Ukraine」(15th March, 2022)が、petergabriel.comに掲載されているが、その最後の部分に「Japan」という言葉が突然現れて、驚いてしまった。日本の「金継ぎ」という技術に触れているのだ。


In Japan, kintsugi is the art of repair. It translates as ‘join with gold.’ It is the broken pot, put back together with gold, that has greater value than the original whole pot. Rescuing something, or someone, from destruction, from the edge of the void and from worthlessness, gives it, or them, greater value.

日本では、金継ぎは修理の芸術です。「金でつなぐ」という意味です。壊れた器を金でつなぎあわせることによって、元の器よりも大きな価値を持つようになります。何かを、あるいは誰かを、破壊から、虚無の淵から、無価値の状態から、救いだすことは、より大きな価値を与えます。


 金継ぎは、陶磁器の破損部分を漆によって接着し金などで装飾して仕上げる修復技法である。壊れた物、壊された物を修復するだけでなく、その修復された器の継ぎ目が調和としての美となり、大きな価値が生まれる。

 ピーター・ガブリエルは、この「金継ぎ」を「将来のために異なる何かを想像すること」の喩えにしている。そして、この現実の中で「何かを、あるいは誰かを、破壊から、虚無の淵から、無価値の状態から、救いだすこと」を強く訴えている。


  1980年、ピーター・ガブリエルは、南アフリカの反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコをテーマとする「Biko」という歌を創った。音楽活動の外でも人権活動に積極的に取り組んできた。

 昨年2021年、彼は「Biko」リリース40周年とBlack History Monthを記念し、チャリティー・プロジェクトのPlaying For Changeと協力して、新しいヴァージョンを制作した。Playing For Changeは、この歌によって「世界の人々と団結、平和、希望のメッセージを共有します」とコメントしている。そのミュージックビデオを紹介したい。


 Biko | Peter Gabriel | Playing For Change | Song Around The World



  「Biko」の歌詞の最後はこう結ばれている。


    And the eyes of the world are watching now, watching now.
        
 そして、世界の目が今見つめている、今見つめている。


 今、現実に起きていることを、世界の目、つまり私たち一人ひとりの目が見つめている。



2022年3月13日日曜日

木下惠介監督『笛吹川』

  二月の下旬以来、重苦しい日々が続く。自明だと考えていた世界の前提が壊されてゆく。沈鬱な気分に陥り、ブログを書くこともできなかった。

 昨日3月12日、山梨市の日下部公民館で木下惠介監督『笛吹川』(1960年)の上映会があった。原作は山梨出身の作家深沢七郎の同名小説である。上映前の短い時間ではあるが、この映画についての解説を担当させていただいた。この映画をブログで取り上げることには意義があるかもしれないと思えたので、今日は久しぶりに書いてみたい。

 日下部公民館の館長夫妻とは知人であり、私が大学の「山梨学」という科目のなかで「木下惠介と山梨」というテーマで講義をしていることもきっかけとなった。映画は専門ではないが、山梨出身やゆかりの作家について研究や教育をしてきた。木下監督の代表作『楢山節考』(1958年)も原作は深沢七郎であり、『二人で歩いた幾春秋』(1962年)という戦後の山梨を舞台にした優れた作品もある。山梨との関わりが深い映画監督といっても良いだろう。

 当日は、五十人ほどの参加者があった。コロナ禍なので、座席の間隔を開けて換気にも注意しての上映である。レンタルDVDさらにネットでの動画サイトが普及して、自宅で映画を自由に視聴できる時代ではあるが、今回のように公民会という場に集って、みんなで名作映画を鑑賞するのも良いものである。なんだか懐かしい雰囲気があり、忘れてしまった大切なものを思いだしたような気持ちになった。

 映画の舞台笛吹川は、山梨北部の山々の渓谷を源に、甲府盆地の東にある甲州市・山梨市・笛吹市を通って、やがて富士川に合流して、静岡へと流れていく。この名の由来は、濁流にのまれた母を笛を吹きながら探す途中で川で亡くなった「笛吹権三郎」の哀しい伝説にあり、この川の音が権三郎の吹く篠笛の音のように聞こえたことによる。そのせいか、映画にも小説にも、どこか音楽的な響きやリズムを感じる。

 映画『笛吹川』は、武田信虎・信玄・勝頼の武田家三代の時代を背景に、笛吹川の袂にある「ギッチョン籠」と呼ばれた家に暮らす貧しい農民、おじい(加藤嘉)・半平(織田政雄)・半蔵(大源寺龍介)・定平(田村高広)・惣蔵(市川染五郎)・久蔵(伊藤茂信)の六代にわたる六十余年の物語を描いている。この六代の男たちと共に、定平の妻おけい(高峰秀子)と妹タツ(荒木道子)が主要な人物である。「ギッチョン籠」の一族の多くは武田家の戦に巻き込まれていく。

 この映画はモノクロで撮影され、山々の稜線や川の風景が美しく描かれているが、ところどころモノクロに部分的に色を付ける手法が導入され、風景に対する異化の効果を与えている。実験的な映像である。

 長部日出雄『天才監督 木下惠介』によると、当初は山梨でロケハンしたがおもわしい場所がなく、長野県の千曲川の木橋の近くにギッチョン籠のオープンセットを建てて撮影された。この美しい木橋が、「ギッチョン籠」の生活の世界と外部の戦乱の世界とを媒介している。この橋を人や馬が通ると、何かが起きる。そのほとんどは死をもたらす出来事だ。その反対に、「ギッチョン籠」やその周辺の世界では、死と引き換えるようにして、「ボコ」(甲州弁の「子供」)が生まれる。

 笛吹川の橋は、生と死の世界の境界にある。そして、その生と死の反復が、『笛吹川』の通奏低音になっている。そして甲州弁で語られる台詞、「ボコ」「ノオテンキ」などの言葉やアクセントが独特の響きを作っている。まさしく、甲州そのものの世界なのだ。

 木下は「歴史に流れる人間の生命」という文で、『笛吹川』のテーマやモチーフについて次のように述べている。

この小説の主題は、個人でも事件でもない、すべては笛吹川の流れなのだ。歴史を通して流れる人間の生命、その哀しさと力強さが基本的テーマとなって訴えかけてくる。恐らく深沢さんが狙ったのは、今迄のドラマや小説作法では捉えられなかった人間、時代や歴史を越えて生き続ける人間の、業のようなものを描こうとしたのだろう。(略)これ迄に勇ましい武将や華やかな合戦を描いた映画は沢山あるが、その陰に生きた庶民や百姓を主人公とし、彼等の立場から歴史を描こうとした作品は一寸見当らない。そこで、この歴史の波にもまれ、その中に生きて行く百姓一家を主人公にした小説から、今迄とは違った歴史映画を掴み出そうと思っている。(略)歴史が変っても、永遠に続く人間本能のくりかえし、演出はここに焦点を合わせるが、その結果として、戦国時代を描きながら大変現代性の強い作品になると思う。元来、人間というものは、原始的な斗争本能を根強く持っており、常に平和であることを希いながら戦争をくりかえすのは、こうした人間の悲しい本能によるものではないだろうか。人間の心の中には、明暗二面がいつも斗っている。


  物語の筋をここで書くことは控えたいが、物語で語られている三つの闘いの姿については触れたい。この三つの姿は深沢七郎の原作に忠実ではあるが、木下監督の解釈や演出もある程度加えられている。

  一つ目は定平とその妻おけいの闘い。子供達が「お屋形様」武田家の戦に行くことに終始反対する。貧しい農民が戦に出かけて手柄を立てたとしても、結局は死が待っているからだ。おけいは武田軍の一行に入ってしまった子供たちを何とか家に戻そうとして何処までも追いかけていく。母親は子供たちが生き延びるために闘う。

 二つ目は定平の妹タツの闘い。タツは自分の母や夫を「お屋形様」に殺されたことから、武田家に恨みを抱き、その滅亡を願う。タツは絶対に許すことをしない。武田家滅亡のために心の中でずっと闘い続けることがタツの人生だったと言えよう。

 三つ目は定平とおけいの子供、惣蔵たちの闘い。彼らは「先祖代々お屋形様のおかげになっている」と考え、武田家に従って敵軍と闘う。観点を変えれば、武田家と運命を共にするための闘いである。そもそも「ギッチョン籠」の一族は武田家の理不尽な仕打ちの犠牲になってきた。武田家に恨みを抱きこそすれ、恩恵を受けてはいない。それにもかかわらず、武田家という支配者に服従し、殉ずるという一種の背理がある。この心理と行動が観客にとって理解しがたいのだが、現実にはこのようなことが起きる。支配者と被支配者との服従をめぐる複雑な関係である。


 木下惠介はこの三つの闘いの姿を描くことによって、「人間の心の中」の「明暗二面」を浮き上がらせる。後年、「スクリーンと観客席の距離がずっと大きくなるように撮りました」「合戦があっても、ドラマがあっても、観客はその中にとけ込まない。盛り上りもない。人物関係がわからなくてもいい」と回想している通り、『笛吹川』には映画的な盛り上りがほとんどなく、人物関係や物語自体もたどりにくい。木下は、映画に対する観客の欲望、登場人物への同一化や物語への一体化の欲望には迎合しない。映画監督しての自らの欲望にあくまでも忠実である。木下にはどこか突き抜けたもの、とてつもなく過剰なものがある。

  木下惠介監督はヒューマニズムの人と言われているが、そのヒューマニズムは単純で凡庸なものではない。透徹した眼差しによって、戦争とそれを巡る人間の本質を冷徹にえぐりだしている。

2022年2月13日日曜日

抒情と祈り-『花』[志村正彦LN305]

 志村正彦の抒情の方法について考えてみたい。志村の場合、人への想いを抒情として表現するにしても、それが直接的に語られることはほとんどない。自らの眼差しによって、景物や風景の動きや時間の流れを描いていく。その変化や瞬間の出来事に、抒情の核になるものが、秘められてあるもの、隠されてあるものとして叙述されている。それゆえに、抒情が透明になる。抒情の純度が高くなる。

 志村正彦・フジファブリックの『花』には、時間と場所が連動する流れがある。歌い手の眼差しの動きによって、時と場の変化が表現されている。歌詞の連に番号を付けて引用したい。


 『花』 作詞・作曲:志村正彦

1.どうしたものか 部屋の窓ごしに
  つぼみ開こうか迷う花 見ていた

2.かばんの中は無限に広がって
  何処にでも行ける そんな気がしていた

3.花のように儚くて色褪せてゆく
  君を初めて見た日のことも

4.月と入れ替わり 沈みゆく夕日に
  遠吠えの犬の その意味は無かった

5.花のように儚くて色褪せてゆく
  君の笑顔を見た日のことも


 1連。〈どうしたものか〉とあるので、理由もなく、偶々、歌の主体は自分の部屋にいて、部屋の窓ごしに花を見ているのだろう。窓の枠によって、歌の主体と花とは隔てられている。〈つぼみ開こうか迷う花〉は、比喩としてよりも純然たる描写として捉えたい。花の姿をありのままに眺めている。まだ閉じられている蕾が開花していく微かな動きがある。開花するには、一日の光や温度などの気候的な条件が関与する。歌の主体は、開花するまでの一瞬の停滞する時間を「迷う」と表現しているのかもしれない。比喩ではないとしても、〈つぼみ開こうか迷う〉には、閉じられた状態から開かれた状態への移行がある。それを見つめる眼差しによって、結果として、主体の何らかの想いが重ね合わされているかもしれない。

 2連。部屋のこちら側で、歌の主体は〈かばん〉の中を見つめる。〈かばん〉の中が開かれ、〈無限に広がって〉いるように見える。ここにも、閉じられた〈かばん〉を開けるという動きがある。その内部が〈無限に広がって〉いくことによって、〈かばん〉が外部へと開かれてゆく。歌の主体は〈何処にでも行ける〉気がするのだが、しかし、それは何処にも行けないことの裏返しかもしれない。

 4連。歌の主体は部屋の外へと出て行く。〈月と入れ替わり 沈みゆく夕日に〉には、〈夕日〉が沈んでいく代わりに〈月〉が上っていくという〈入れ替わり〉の動きがあり、そこには、その動きを描写する眼差しがある。日中が終わろうとする時と場の中に〈遠吠えの犬〉が登場するのだが、〈その意味は無かった〉の〈その〉が指し示すものが難しい。〈犬〉の〈遠吠え〉なのか、〈犬〉そのものなのか。意味というからには擬人化されているのだろうが、そうであれば、〈遠吠えの犬〉は歌の主体自身を指しているという可能性もある。

  1連、2連、4連には、閉じられたものと開かれてゆくもの、下降していくものと上昇していくもの、そのような動きがある。そのような動きの中で、3連と5連に抒情の極点がある。

 3連と5連。〈君を初めて見た日のこと〉〈君の笑顔を見た日のこと〉、そのどちらにも、〈花のように〉という直喩が使われて、〈儚くて色褪せてゆく〉という現在進行形で叙述されている。〈儚い〉という形容詞と〈色褪せる〉という動詞が複合されて、〈…て〉〈…て〉〈ゆく〉という折り重なるような形式で表現され、〈はなhana〉〈はかなくてhakanakute〉というように〈ha〉〈na〉という音が反復されている。微細で効果的な表現が、この歌を限りなく抒情的にしている。


 「抒」という動詞には、「のべる」「打ち明ける」、「くむ」「すくいだす」、「ゆるむ」「とける」という三つの意味があるようだ。この三つをつなぎ合わすと、情をすくいだし、情をのべることによって、情をゆるめる、という過程が浮かび上がる。情をゆるめるというのは、ゆるやかな形で情をとどめる、というように取りたい。

 この歌の〈情〉の焦点が当てられているものは、〈君の笑顔〉であろう。〈君の笑顔を見た日のこと〉は、やがて色褪せてゆく。だが、〈君の笑顔〉だけは次第にゆるめられていっても、記憶の中には、微かな形であってもとどめられる。そうであってほしい。その願いがこの歌の抒情をいくぶんか祈りのようなものに高めている。


2022年1月30日日曜日

ちょっと犬に冷たくないですか [ここはどこ?-物語を読む 11]

 以前から気になっていたことがある。「志村正彦さん、ちょっと犬に冷たくないですか」ということだ。

 最初に感じたのは、「ペダル」だったか。

 何軒か隣の犬が僕を見つけて
 すり寄ってくるのはちょっと面倒だったり

 「ペダル」では「その角を曲がっても消えないでよ」というように、ほかに集中しているものがある状況なので仕方がないのかもしれない。でも、いったんそう思って犬に関連する詞を調べてみると、犬に対する扱いは結構厳しいような気がするのだ。

  「浮雲」の「犬が遠くで鳴いていた」「犬は何処かに消えていた」は、まあニュートラルな描写として捉えることができるが、

 遠吠えの犬のその意味は無かった(「花」)

はどうだろう。遠吠えの相手は「沈みゆく夕日」だから蟷螂の斧というか何というか、確かに吠えたって仕方ないんだけれど、でも、犬にだって吠えたくなるような、やむにやまれぬ思いがあるかも知れないではないか。 それに対してわざわざ「その意味は無かった」というのは、犬の思いをバッサリ切りすてている感じがする。

 その他、広い意味で犬が登場するのは、「Listen to the music」の「負け犬」のような比喩表現か、「surfer king」の「どうでもヨークシャテリア」という駄洒落かなのだが、どちらも犬の立場からみれば不本意な表現と言えるだろう。「負け犬」は日本語にある一般的な表現だから百歩譲るとしても、「どうでもヨークシャテリア」て、ひどくない? と特に親犬派でもない私ですら思う。

 犬についての表現はこれくらいで、決して歌詞にたくさん犬が登場するわけではないが、それでもほかの題材に比べれば登場するほうだと思う。例えば、猫は登場しない。

 そもそも志村正彦の歌詞には具体的なものを特定するような表現はとても少ない。花の歌はたくさんあるのに、具体的な名前は桜と金木犀とサボテンくらいしか出てこない。(すみれはあるけど、人の名前、しかも妄想だし)。それは志村正彦が、歌詞と聴き手との関係をどのように考えているかという重要なテーマと関わっていると思うのだが、そのことについては、またあらためて書いてみたい。

 閑話休題。

 さて、私がずっと気になっていたのは、この犬に対する冷たい感じが、私が勝手に思い描いている志村正彦像とずれていたからだ。もちろん、お会いしたこともないのだし、楽曲や著書やインタビュー記事などから想像しているだけなのだから、ずれていて当たり前である。でも、なんかずっと違和感を持っていた。

 最近になって、それが腑に落ちる出来事があった。

 隣家の黒猫は小さいうちからよく遊びに来ていて、網戸をよじ登ったりすごい勢いで庭を走り回ったりわんぱくだったが、名前を呼ぶとニャアニャア鳴いて応えてくれて、ほんとうにかわいかった。ところが、大きくなるにつれてツンツンして、声をかけても無視するか、しっぽをちょっと揺らす程度になった。今となっては、いっそふてぶてしいというような態度で目の前を通り過ぎていくこともある。それがある日、ひなたぼっこの最中、例のごとく私の声かけに気のなさそうにしっぽでトン、トンと地面を叩いていたとき、急に見知らぬおじいさんが通りかかって声をかけたのだ。別に大声でもなかったのだが、その瞬間、猫は立ち上がって家に逃げ込んだ。そうか、あんなふうでも猫は猫なりに隣のおばちゃんに親しみを感じていて、めんどくさいと思いながらもあしらってくれていたんだな、とその時に気がついた。

 それでわかったのである。「ペダル」で何軒か隣の家の犬が僕にじゃれてくるのは、ふだん僕がその犬をかわいがっているからだ。もし普段から邪険に扱っていたら、すり寄ってきたりしない。

 そう考えると、「花」の「遠吠えの犬」だって、むしろ自分を犬と重ね合わせているからこそ、「その意味は無かった」と表現しているのかも知れない。時の流れとともに変わり、失われていくものを、どんなに惜しんでも嘆いても押しとどめるすべはない。そのことを犬と共有していると考えると、むしろ犬はかなり近しいものなのかも知れない。だからこそ自分に厳しいという意味で、犬にも厳しくなるのだ。 

 というわけで、私がずっと気になっていた「志村正彦さん、ちょっと犬に冷たくないですか」は、どうやら私の思い込みだったらしい。 勝手に思い込んで、勝手に安堵している今日この頃である。

2022年1月23日日曜日

志村とシムラ「ダンス2000」[志村正彦LN304]

 「ダンス2000」(作詞・作曲:志村正彦)は、2002年10月リリースの1枚目ミニアルバム 『アラカルト』の五曲目に収録された。演奏は、Vo.Gt. 志村正彦、Key.田所幸子、Dr.Cho.渡辺隆之、サポートメンバーGt.萩原彰人、Ba.Cho.加藤雄一の五人である。この曲も「フジファブリック Official Channel」で公開されている。

  • ダンス2000 · FUJIFABRIC
  • アラカルト ℗ 2002 Song-Crux Released on: 2002-10-21
  • Lyricist: Masahiko Shimura
  • Composer: Masahiko Shimura




 この歌も起承転結のかたちを持つ。起承転結を示すABCDの記号を付けて、歌詞を引用したい。



1A  ヘイヘイベイベー 空になって あの人の前で踊ろうか
1B  意識をして 腕を振って 横目で見てしまいなよ

1C  少しの勇気 振り絞って

1D  いやしかし何故に いやしかし何故に
1D  踏み切れないでいる人よ

2A  ヘイヘイベイベー 何をやったって もう遅いと言うのなら
2B  今すぐでも投げ出す程の 覚悟ぐらいできてるさ

2C  少しの勇気 振り絞って

2D  いやしかし何故に いやしかし何故に
2D  踏み切れないでいる人よ

3D  いやしかし何故に いやしかし何故に
3D  踏み切れないでいる人よ

4A  ヘイヘイベイベー


 今回は、「ダンス2000」の架空のミュージックビデオを鑑賞してみたい。

 昭和の雰囲気が濃厚な小さなダンスホール。ステージ上に歌い手の志村正彦がいる。メンバーが周りで演奏する。ここではフジファブリックはダンスバンド。そして、ホールのフロアには志村の分身、もう一人のシムラマサヒコがいる。

 歌詞の1番。志村正彦はシムラマサヒコに〈ヘイヘイベイベー 空になって あの人の前で踊ろうか〉と呼びかける。話し手の志村と聞き手のシムラ、そして〈あの人〉と呼ばれる、おそらく女性の第三者がいる。志村は瞬間的にシムラの位置に移動して、その近くにいる〈あの人〉の前で踊ろうとする。本人と分身が混じり合うかのように。志村はシムラに〈意識をして 腕を振って 横目で見てしまいなよ〉とけしかける。とにかく、意識することが大切、腕を振ることも必要、横目で見ることが鍵。〈あの人〉を見つめなければならない。そして、志村はシムラに〈少しの勇気 振り絞って〉と励ます。しかし、シムラは踊り始めない。恥ずかしそうにためらっている。志村は古風な語り口で〈いやしかし何故に いやしかし何故に〉とシムラに問いかける。志村の分身シムラは〈踏み切れないでいる人〉なのだ。

 歌詞の2番。〈何をやったって もう遅いと言うのなら〉は分身シムラの言葉だろう。〈今すぐでも投げ出す程の 覚悟ぐらいできてるさ〉と心の中で呟く。しかし、これは強がり。シムラは覚悟ができないで、やはり、ためらっている。その場に佇立している。自らを空(から)にして、〈あの人〉の横で踊ることができない。

 歌の主体が、志村正彦とその分身シムラマサヒコというように二重化されている。二人の主体による対話の劇である。しかし、心の中の空回りの劇となり、身体が動き始めることはない。ダンスは踊れない。〈あの人〉はどこかに去ってしまっただろう。ダンスホールには誰もいなくなるが、ダンスバンドのフジファブリックが延々と演奏を続ける。志村は空のホールに向かって〈ヘイヘイベイベー〉と歌い、叫ぶ。

 この曲を聴くといつもロキシー・ミュージックを想い出す。〈いやしかし何故に〉?という気もするのだが、やはり、ブライアン・フェリーの歌と踊りがぐるぐると回り出す。たとえば、次の曲だ。

 Roxy Music - Love Is The Drug (Official Video)



 僕はこのバンドがけっこう好きだった。1979年4月、日本武道館で開催された「Manifesto Tour」公演に行ったことがある。ブライアン・フェリーの癖のある声と変にくねくねする踊りが印象に残っている。こういうコンセプトのヘンテコなダンス曲はロキシー・ミュージックあたりから始まったのだろう。

 志村正彦の「ダンス2000」は大真面目な歌なのだが、なんというのか、どこかヘンテコなところが愉快だ。結局、志村正彦もシムラマサヒコも〈空になって〉しまうことができないようだ。〈踏み切れないでいる人〉のままで、自意識が空回りをしている。

2022年1月9日日曜日

下吉田駅、富士山駅、新倉富士浅間神社[志村正彦LN303]

 新年になって、富士吉田に出かけた。御坂トンネルを抜けると白銀の富士。目に眩しいほど光を反射していた。吉田に入り、富士急行線の下吉田駅、富士山駅、新倉富士浅間神社を巡ってきた。

 昼頃、下吉田駅に到着。入場券を購入し、ホームへ向かうと、すぐ近くに志村正彦のパネルが設置されていた。柴宮夏希さんによる描画とデザインが秀逸だ。白い地、黒い髪、彩色されたライン。白銀の世界に虹の小雪のような線が舞う。志村の眼差しがこちらを見つめる。

 反対側には「若者のすべて」と「茜色の夕日」の歌詞の抜粋と英語・中国語・タイ語によるプロフィール。この地は世界から訪れる場になってきたので、多言語の翻訳は理に適っている。このパネルの作成に携わった方々の労を思う。



 列車到着の時間が来たので、ホームのスピーカーの下に移動する。 

 最初は1番線のホーム。大月方面行の列車。列車接近のアナウンスの後、すぐに「茜色の夕日」が流れる。〈茜色の夕日眺めてたら/少し思い出すものがありました/晴れた心の日曜日の朝/誰もいない道 歩いたこと〉。確かに志村の声だ。音量は小さい。耳を澄ます必要がある。そして直ぐに普通列車が到着した。接近音ではなく接近曲だと知ったときには、戸惑いがあったが、実際に聴いてみると、接近アナウンスと列車到着との間の数十秒に流れるBGMといった風情だ。1番線ホームからよく見える富士山を背に志村が歌っている。富士が赤く染まる夕景の頃にこの曲を聴くと格別かもしれない。まもなく、列車は大月へと向かって発車していった。実は僕は大月で生まれて2歳半頃まで住んでいたので、このまま列車に乗って大月まで行ってみたいな、とふと思った。

 すぐに、河口湖方面行きの列車接近のアナウンスがあった。今度は反対側の2番線ホーム。「若者のすべて」が流れ始める。〈最後の花火に今年もなったな/何年経っても思い出してしまうな/ないかな ないよな きっとね いないよな/会ったら言えるかな/まぶた閉じて浮かべているよ〉。このホームの向こう側には、いつもの丘」、その上には冬の青空。〈ないかな ないよな きっとね いないよな〉の〈な〉の響きが透き通った青色の空に広がっていく。この時の列車は富士山ビュー特急。豪華な車両には外国人の姿もあった。夏の河口湖湖上祭の季節には、河口湖方面行きのホームで、この歌がやさしく響くことだろう。








 

 出口に駅員さんがいたので音量の件を尋ねてみた。この駅の周りには住宅があるので音量に配慮しているとのことだった。そういう理由だと知って納得した。小さな音量でさりげなく流れる方が、志村らしい。

 営業中の下吉田倶楽部に入り、うどんを食べる。店内には志村のポスターがあり、志村の曲が流れている。アルバム『TEENAGER』の楽曲だった。ノートが2冊置かれていた。志村への想い、ご家族やこの企画に携わった人々への感謝の言葉が記されている。〈ならば愛をこめて/手紙をしたためよう〉というように、文字が綴られていた。


 下吉田駅を後にして富士山駅へ。駅ビル1階のヤマナシハタオリトラベル mill shopで、黒板当番さんの「夜汽車」の絵を見る。接近曲の開始にタイムリーな企画である。女性とリスが向かい合っている構図が独特だ。黒板当番さんの呟き@kokuban_tobanには、〈『夜汽車』黒板に描いたリスは夢の中に現れた志村さんの身代わりで、何かを言おうとしつつやっぱりリスだから結局言えないでいる、ということかも知れません。描いた本人が後から気付くというのも変ですが、志村さんの曲だとそれが不思議でもない感じがします。〉とあった。このリスは無意識から浮かび上がったもののようだ。

  〈長いトンネルを抜ける 見知らぬ街を進む/夜は更けていく 明かりは徐々に少なくなる/話し疲れたあなたは 眠りの森へ行く〉〈夜汽車が峠を越える頃 そっと/静かにあなたに本当の事を言おう〉。何度か書いたが、この歌を聴くと中央線や富士急行線の列車を思い出す。〈長いトンネル〉〈峠〉、そして〈眠りの森〉も志村の故郷の風景だ。〈眠りの森〉の〈あなた〉に〈本当の事を言おう〉とする歌の主体を黒板当番さんはリスに描いた。小動物は人間の言葉は話せないが、本当のことを伝えることができるのかもしれない。


 最後は新倉富士浅間神社に寄った。駐車場には東北や近畿からの県外ナンバーの車もある。この神社に来たのは数年ぶりだが、ここからの富士山は裾野への広がり方が雄大だ。松の内だったので初詣となる。願い事をして、お守りを購入した。

 この日は雲一つないような晴天だったが、この場所ではやはり「浮雲」の歌詞を想う。〈登ろう いつもの丘に 満ちる欠ける月/僕は浮き雲の様 揺れる草の香り〉〈消えてしまう儚さに愛しくもあるとしても/独りで行くと決めたのだろう〉。

 この丘の下の方に下吉田駅がある。そこには志村の曲を流すスピーカーや彼のパネルがある。志村への愛が込められた試み。一人のファンとして、嬉しさ、感謝、そして誇りのようなものもある。


 でも正直に書くと、下吉田駅の志村の歌を聴いて、彼のパネルを見て、かぎりなく寂しいような、哀しいような感情がわいてきた。「桜の季節」の〈桜のように舞い散って/しまうのならばやるせない〉の〈やるせない〉に近いかもしれない。遣る瀬無い、どうにもならない、どこにも持って行きようのない想いを抱えながら、甲府へと帰った。