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2017年3月5日日曜日

『ルーティーン』の声 [志村正彦LN151]

 三月の甲斐の山々。稜線が霞のようなもので覆われてくる。日差しがやわらかくなり、気温が上昇してくる。冬の寒さに慣れた身体が少しずつほぐれていく。それはそれで心地よいのだが、反面、気怠いような物憂いような気持にも染め上げられる。

 三月は年度の終わり。生活や仕事の流れの中では、三月が区切りという感じが強い。学校では卒業式や離退任式があり、人が巣立つ。冬が遠ざかり、春が近づく。人と季節それぞれが移り変わる。
 年度のしめくくりの仕事に追われ、新しい年度への準備もいそがしい。体には案外よくない季節かもしれない。毎年この時期、体調が少し悪くなることもある。一年の疲れが体そして心の芯にたまっているのかもしれない。一年のくりかえし。そのための一日のくりかえし。くりかえしのくりかえしの日々。そのような季節にふと聴いてみたくなるのが、志村正彦・フジファブリックの『ルーティーン』だ。
 
 2009年4月8日、シングル『Sugar!!』のカップリング曲としてリリースされた。同時期のアルバム『CHRONICLE』と同様に、スウェーデンのストックホルムで録音された。現在でもデジタル音源では入手可能だが、シングルは完全生産限定盤、アルバムにも限定盤『FAB BOX』中のDisc 3『シングルB面集 2004-2009』に収録ということで、CD盤としては入手困難だ。そのこともあってか、あまり知られていないのが残念である。『シングルB面集 2004-2009』が単独でリリースされるのが望ましいのだが、それはまだ実現していない。このB面集には『蜃気楼』『ルーティーン』『セレナーデ』など美しく儚い作品が多い。『SINGLES 2004-2009』というA面集よりも、志村らしい作品、志村でしか作りえない作品が収められているとも言える。

 『CHRONICLE』のDVDには、「ストックホルム”喜怒哀楽”映像日記::ルーティーン (レコーディングセッション at Monogram Recordings)」が収められている。志村と山内総一郎のギター、金澤ダイスケのアコーディオンの演奏と志村のボーカルが録画された貴重な映像だ。冒頭で志村は「わびさび日本系で」という指示を出している。海外での収録ゆえに「日本系」を意識したのだろうか。むしろというかそれゆえにと言うべきか、この歌には国や文化の違いを超えた普遍性がある。

 この年の12月、志村は急逝する。翌年、彼の残した制作途上の楽曲を中心に収録した『MUSIC』が「遺作」のような意味づけで発表されたが、このアルバムはあくまで参考作品として捉えるべきだと思う。志村の意志と構想で完成させたものではないからだ。彼の生前最後の作品を一つだけ選ぶとするならこの『ルーティーン』ではないかと私は考えている。
 歌詞のすべてを引用したい。二行七連の歌詞だ。


 日が沈み 朝が来て
 毎日が過ぎてゆく

 それはあっという間に
 一日がまた終わるよ

 折れちゃいそうな心だけど
 君からもらった心がある

 さみしいよ そんな事
 誰にでも 言えないよ

 見えない何かに
 押しつぶされそうになる

 折れちゃいそうな心だけど
 君からもらった心がある

 日が沈み 朝が来て
 昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね
   
      ( 『ルーティーン』作詞作曲:志村正彦 )


 声は限りなく優しい。耳に甘く溶け込むようでもある。
 歌詞自体が、日常的な語彙、いわばルーティーンの言葉で綴られているが、深い想い、語りえない想いを伝えている。曲が終了し、束の間の沈黙がある。第六連と七連との間だ。微かにギターをたたく音と共に、七連目の二行が歌われる。
 最後の二行は、言葉の意味としてではなく、言葉の行為として、「祈る」ことを成し遂げている。歌うことそのものが祈りになっている。何を祈るのか、祈りを向ける対象はわからない。歌詞の文脈からすると、昨日も、明日も、明後日も、明々後日も、ずっと「日」が続いていく、そのことへの祈りなのかもしれない。ルーティーンへの祈りと言い換えることもできる。ただそのように言葉を捉えたとしても、この歌の祈りには届かないような気がする。

 聴き手にとってこの歌の祈りは、日々のくりかえしの中で「折れちゃいそうな心」、「さみしい」こと、「押しつぶされそうになる」ことへの深い慰藉、なぐさめといたわりになる。
 この歌が録音されて一年も経たないうちに、この歌い手のルーティーン、日々のくりかえしは永遠に失われた。時々、不思議に思うことがある。音盤に刻まれた歌をくりかえし聴くことができることを。歌は生き続けるということを。自明になってしまってあえて振り返ることもないのだろうが、録音と記録という技術は本来、人の声に関する「奇跡」のような出来事だったのかもしれない。
 『ルーティーン』の声は今も日々のくりかえしを祈り続けている。

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