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2019年3月3日日曜日

『桜の季節』から『ルーティーン』へ [志村正彦LN212]

 昨晩、「fujifabric.com」で次の情報が告知された。

2009年に行われたライブの映像作品のリリース&上映会の実施が決定!
志村正彦没後10年にあたる今年、7/10(水)に2009年に行われたライブの映像作品のリリースが決定しました。
また、発売直前の7/6(土)には、バンドとして所縁の深い、ふじさんホール(富士五湖文化センター)にて作品の上映會を行います。詳細は後日発表となりますので続報をお待ちください。

 2009年のライブ映像作品は僕たちファンが待ち望んでいたものだ。2009年のライブとあるので、『フジファブリック × FUJIFABRIC』『CHRONICLE TOUR』『デビュー5周年ツアー』のいずれかの映像なのだろうか。詳細は後日発表となる。志村正彦・フジファブリックのライブ映像には、日比谷野音(2006年5月3日)、渋谷公会堂(2006年12月25日)、両国国技館(2007年12月15日)、富士五湖文化センター(2008年5月31日)の各ライブDVD、『FAB MOVIES LIVE映像集』(『FAB BOX』)があるが、これまで空白だった2009年の歌と演奏が作品化されるのは、「志村正彦没後10年」の企画として最良のものだろう。


 前回、志村正彦の歌の軌跡は、1枚目のシングルA面『桜の季節』から11枚目のシングルB面『ルーティーン』へという流れの中にあると書いた。
  『桜の季節』は2004年4月14日、『ルーティーン』は2009年4月8日にリリースされた。たまたまだろうが、共に春の季節に聴き手に届けられた。どちらも桜の季節から少し過ぎた頃だが。

 一つの曲だけでなく、二つの曲を組合せてそこから見えるもの、複数の曲を横断するモチーフをたどること、そのような方法でこのblogのテキストを書いてきた。文学作品の批評や研究で使われている方法でもあるのだが、方法や理論を適用したというよりも、志村正彦・フジファブリックの作品を聴く過程で自然に浮かび上がったり偶然のようにして出会ったりしたモチーフから、そのような方法に近づいていった。九十数曲ある志村の作品から複数の作品を選び重ね合わせていけば、多様なテーマやモチーフが浮上してくる。私たち聴き手にはそのような自由が与えられている。

 『桜の季節』の歌詞はこう始まる。


  桜の季節過ぎたら
  遠くの町に行くのかい?
  桜のように舞い散って
  しまうのならばやるせない

  ならば愛をこめて
  手紙をしたためよう
  作り話に花を咲かせ
  僕は読み返しては 感動している!
 

 過去に二回ほど書いたが、志村正彦は『音楽と人』2004年5月号の記事でこの歌詞の「手紙」について「手紙を書いて、そこで終了している曲です」と語っている。「そこでまたひとりになると」というインタビュアー(上野三樹)の問いに対して「そうですね」と答えている。

 歌の主体「僕」は「愛をこめて」「手紙」を書く。しかし投函しない。宛先人に届くことはない。「手紙」を通じて差出人と宛先人が現実の関係を結ぶことはない。「手紙」は「僕」のもとに留まり、「僕」はふたたび「ひとり」になる。このようなあり方はまさしく志村正彦的だとしか言いようがない。
 そうだとしても、「作り話に花を咲かせ/僕は読み返しては 感動している!」とされた「作り話」がどこかに届けられることはないのだろうか。その「作り話」には「愛」がこめられているのだ。

 その「作り話」は作品として届けられたと、聴き手の立場から考えてみるのはどうだろうか。作品内の現実を超える聴き手の現実の中で。
 作者は「私信」ではなく「作品」として届けようとした。志村正彦が書いた九十数曲の「作品」を「愛をこめた」「手紙」だと捉えることから、どのような世界が開けるか。2019年の今、僕はそう考えている。

 「手紙」にこめられた「愛」は深く隠されている。作者の想いはつねにすでに作品の余白に隠されている。『茜色の夕日』でも『若者のすべて』でも、歌の主体が本当に伝えたいことは深い底の方に沈み込んでいる。しかし、その底の方から浮かび上がる想いがそのまま伝わってくる作品もある。『ルーティーン』はそういう歌ではないだろうか。


  さみしいよ そんな事
  誰にでも 言えないよ

  見えない何かに
  押しつぶされそうになる

  折れちゃいそうな心だけど
  君からもらった心がある


 『桜の季節』の「僕」が投函しなった「手紙」には、この『ルーティーン』の歌詞のような言葉が書き込まれていたのかもしれない。もちろん、その手紙は投函されなかったのだが。そしてまた、『ルーティーン』の歌詞を「手紙」の言葉になぞらえたとしても、結局、その『ルーティーン』という「手紙」は「君」に届けられたわけではないだろう。手紙の本文はそのままそこに留まる。

 『桜の季節』から『ルーティーン』へと続く軌跡を投函されない「手紙」というモチーフで描いてみた。『ルーティーン』は、本文の後に続く「追伸」のような言葉で終了する。
 「愛」がこめられた追伸である。


  日が沈み 朝が来て
  昨日もね 明日も 明後日も 明々後日も ずっとね



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